みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

何一つ与えていない

2021年12月16日 | ヨブ記

ヨブ記 41章1−12節

 水曜日午前のオンライン祈祷会では、「みことばの光」のその日の箇所を読んで分かち合います。もうすぐヨブ記が終わることについて、「寂しい」という声があって、とても嬉しくなりました。一人では完読が難しい聖書も、みんなで分かち合いながら読むと最後まで読むことができるようです。

 河馬(ベヘモト)に続いて、神はレビヤタンをヨブに示します。日本聖書協会発行の共同訳聖書の一部には、旧約聖書と新約聖書の間に「旧約聖書続編」が置かれています。その中の「エズラ記(ラテン語)」6章49節に、神の創造の五日目にベヘモトとレビヤタンを造り、ベヘモトには山のある土地を与え、レビヤタンには海を与えたとの記述があります。イスラエルの伝説の中での動物として、この二つの動物はありました。ですから、実際の河馬や鰐というよりも、もっと大きく力の強い伝説上の動物なのかもしれません。

 神がここでヨブに問うておられるのは、レビヤタンを釣り上げて、自分の意のままに飼いならすことができるか、商人たちに売ることができるのかということです。私たちには??ですが、ベヘモトやレビヤタンの名前を聞いた時ヨブには、それがどんなに巨大なものかが分かっていたのです。

 8節の「その戦いを思い出して、二度と手を出すな」ということばに目が留まります。これは、ヨブはレビヤタンと戦ったということはなくて、レビヤタンと戦っていることを想像するだけで、手出しするなどとんでもないという意味なのだと考えられます。そして、「それらを造ったのはわたしだ」と、神はヨブに主張しておられるのです。

 11節の「だれが、まずわたしに与えたというのか」との神のことばも心に迫ります。そんなことできるはずがないのです。何かを与えなければ、神がお困りになるなどとの高ぶりが湧きあがってくることがある、と気づかされます。


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