アモス書9章
神にある平安がありますように。
アモス書もきょうが終章。私は日本が直面している試練と重ね合わせながら読みました。
「みことばの光」には、「アモス書を読んで、神のさばきのメッセージに心が重くなるときもあったかも知れない。だからこそ、御子イエス・キリストの十字架での贖いによって罪が赦されるという約束が、何とありがたいことかと、改めて感謝が湧いてきたのではないだろうか」とあります。
確かに、「厳しい」メッセージでした。しかし、この書の終わりには回復の約束が神から届けられています。そして、回復は「わたしは…建て直す」(11)というように、神によってもたらされるのというのです。
考えてみると、自分自身もイエス・キリストの十字架の贖いによって、建て直してもらったのです。そう考えると、この預言はまず、福音を信じたすべての人のうちに実現しているといえます。
イエス・キリストにある真の回復がこの国にもたらされるように祈ります。
「父なる神さま。罪深い私たちに懲らしめのことばと共に、キリストにある希望の約束を与えてくださって感謝いたします。」(「みことばの光」祈りのことば)
神にある平安がありますように。
アモス書もきょうが終章。私は日本が直面している試練と重ね合わせながら読みました。
「みことばの光」には、「アモス書を読んで、神のさばきのメッセージに心が重くなるときもあったかも知れない。だからこそ、御子イエス・キリストの十字架での贖いによって罪が赦されるという約束が、何とありがたいことかと、改めて感謝が湧いてきたのではないだろうか」とあります。
確かに、「厳しい」メッセージでした。しかし、この書の終わりには回復の約束が神から届けられています。そして、回復は「わたしは…建て直す」(11)というように、神によってもたらされるのというのです。
考えてみると、自分自身もイエス・キリストの十字架の贖いによって、建て直してもらったのです。そう考えると、この預言はまず、福音を信じたすべての人のうちに実現しているといえます。
イエス・キリストにある真の回復がこの国にもたらされるように祈ります。
「父なる神さま。罪深い私たちに懲らしめのことばと共に、キリストにある希望の約束を与えてくださって感謝いたします。」(「みことばの光」祈りのことば)