アモス書 7章
近所の川にカモたちがいるのですが、ちょうど赤ちゃんが産まれたばかりでした。もっと近づいて写真を撮ろうとしましたが、親鳥が見張っているので遠慮しました。帰り道、親鳥の後について川を泳いで行く姿もぱちり。不鮮明ですがお分かりいただけるでしょうか。
7章は主とアモスとの対話、また預言者アモスの預言をめぐって、北王国の当時の王ヤロブアム、そしてベテルの祭司アマツヤも登場します。
ここでアモスは神から三つの幻を見せてもらいます。それらはどれもが、北王国イスラエルにこれから先何が待ち構えているのかを伝えています。最初の二つの幻を見せられた時、アモスはイスラエルの民のためにとりなします。このことから、預言者がどのようなところに置かれているのかを垣間見ることができます。彼は、神のことばを民に伝えるということにおいては神の側にいます。しかし、たとえ罪ゆえに受けなければならない神からのさばきによって、イスラエルにわざわいが起ころうとする時に、アモスは民のためにとりなすのです。
しかし、三度目の幻を見たアモスは、とりなしません。民の現状を見れば見るほど神が見せられたことは起こると確信するに至ったのではないでしょうか。預言者の辛さが伝わってきます。
さらにアモスには、預言をしてはならないとの圧力がかかります。国の将来に影響を与えるようなことばは慎むようにと、祭司アマツヤが言います。16節の「戯言(たわごと)」ということばが目に留まります。
しかしアモスは屈しません。彼は北王国が罪ゆえに滅びることをもちろん望んでいません。だからといって、人々の耳障りの良いことばを語るいわゆる「御用預言者」に成り下がろうとはしませんでした。真の戯言とは主が語れと命じなかったことばのことなのです。
まっすぐに語り、そしてとりなす者でありたいと願う者です。