アモス書 2章
買い物から帰ってみるとリュックサックの下が濡れています。買ったものを詰めておいたのですが、下のほうに置いたヨーグルトの蓋が破れていました。一足先にリュックがシャワーを浴びることになりました。
1章から始まるイスラエルの周辺諸国への神のことばは、この章では、モアブ、ユダ、そして北王国イスラエルへと次第に焦点が絞られています。神がアモスを預言者として立ててご自分のことばを届けられるのはイスラエルです。当時のイスラエルの一部は豊かさを享受していました。しかし、彼らの豊かさは弱い人々や貧しい人々を苦しめ、そこから絞り上げてのものでした。
6節に目を留めると、そこには人が売り買いされていて、しかも貧しい者は履き物一足の価値しかないものとされていました。北イスラエルは南王国ユダとは違い、国のあちこちに祭壇が造られていました。それは、彼らの敬虔さを示すものではなくて、自分たちの都合の良い礼拝をするためのものでした。しかもそこには享楽があり、それを可能にしていたのは、搾取した富でした。
彼らは、自分たちで今の富を築き上げたのだと錯覚していました。しかし、神は彼らの富んでも思い違いを糾(ただ)されます。それはまるで、イスラエルをわが子のように養い、導かれたご自分の愛ゆえの断罪でした。「このわたしだ」ということばの繰り返しは、忘恩の民の目を覚まさせるためです。
取り組んでいることがうまく行って、心の中で鼻高々でいるようなとき、「このわたしだ」という神のことばがだれにでも迫ってくるのだと、ここを読みました。