みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

巧妙なたくらみで

2016年02月20日 | 民数記

民数記 25章

 きのうはドイツ語のレッスン日。小雪混じりの中を出かけました。だんだんと難しいというか、覚えることが多くなってきました。「さてこのあとはどうなるか」などと、他人事のようなことを言っていますが…。

 民数記25章の初めに登場するシティムという場所は、ヨルダン川を挟んでエリコの反対にあるアベル・シティムだと考えられています。だとしたら、イスラエルの民は約束の地の一歩手前まで進んで来たということになります。しかし、ここで彼らは誘惑に負けてしまいます。

 神はモーセに、バアル・ペオルの事件もイスラエル人がミデヤンの族長コズビの娘を連れて来たことも、ミデヤン人が仕組んだ巧妙なたくらみだと言っておられます。これらのたくらみにはどうやら、山の上からイスラエルを三度祝福したバラムが絡んでいると考えられているのです。

 裏を返せば、それほどまでイスラエルは正攻法ではやっつけられないほどだったということになります。であればこそ、なおさらのこと民の心は緩みやすかったのだと思います。約束の地はもうすぐですし、周りの国々はイスラエルに恐れをなしています。向かうところ敵無し、もうだいじょうぶという時、彼らは誘惑にころりと負けてしまったのです。

 自分がうまくやっている時にこそ危険だとよく言われます。それはキリスト者の歩み、また教会の歩みにおいても当てはまるのではないでしょうか。「これでだいじょうぶ!」と心で思うときこそ、「敵」は巧妙なたくらみで迫ってきます。


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