みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

記念とした

2016年02月08日 | 民数記

民数記 16章23−50節

 きのうの礼拝の後のお茶の時間、サプライズが…。妻の誕生日を皆さんで祝ってくれました。美味しいケーキと、温かなお気持ちがとても美味しかったです。

 コラたちによる反抗は、神のさばきという結末を迎えます。焼き殺された者たちがささげた青銅の火皿は祭壇のための被金(きせがね)とされました。アロンの子孫でない者が主の前に近づいて香を焚くことのないようにと、それを見た者が思い起こすようにとのことでした。民数記にはこの他にも、人が罪を犯すことがないようにと、目に見えるもので実物教育をすることがあります。着物のふさ(15章)、このあと出てくるアロンの杖(17章)がそれです。

 「記念のため」というと、どこかに旅行したときの思い出、人生の節目に、栄誉を受けたとき…人にとって嬉しいことや晴れがましいことを忘れないようにということを思い浮かべるのですが、青銅製の祭壇の被金はそれとは違います。このようなものを、歴史では「負の遺産」と呼ぶのでしょうか。人にとって、国にとって、また世界にとって「負の遺産」はできるだけ残したくはないもの。または、消し去りたいものだと思います。けれども、それを保つことによって「二度としない」という決意が生まれるのだとしたら、まさに「遺産」としての意味がある、そのようなことを考えました。

*本日の「みことばの光」の文章について、19ページ9行目の文章を次のように訂正いたします。  「モーセに命じられてアロンが民の贖いをしたので、神のさばきはようやく止んだ。しかし、その前に大勢の者が死んだのである。」


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