みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

聖なる者としなかった

2016年02月13日 | 民数記

民数記 20章

 民数記20章は、モーセ、アロン、ミリヤムの三人にとって大きな転機となる箇所です。ミリヤムとアロンはこの章の最初と最後で死に、モーセはメリバの水の事件で神を聖なる者としなかったということで、約束の地に入ることができないという宣告を受けるのです。

 忍耐に忍耐を重ねて不平を言い続ける民を導き、民のために幾度となくとりなしたモーセ。顔と顔とを合わせて主との親しい交わりの中にあった彼は、繰り返される危機を、主に伺い、主がお語りになることばに従うことで乗り越えてきました。けれども、今回はそうでなかったのです。主のことばのとおりにせずに、民に怒りを発し、「私たちが…水を出さなければならないのか」と言い、岩を二度打つという、神がお命じになっていないことをしてしまうのです。

 主はモーセたちのこの態度、行動を「わたしを…聖なる者としなかった」と仰せられます。モーセほどの者であってもこのような時があるのだと思うと、ましてや私たちは…とどうしても考えてしまいます。主の厳しさを覚えます。

 ここで主がモーセとアロンに「あなたがたは、この集会を、私が彼らに与えた地に導き入れることはできない」とおっしゃったことばは、確かに彼らの態度によるものですが、すでに主は、カナン偵察の折、民の不信仰に対して、カレブとヨシュアのほかは約束の地に誰も入ることはできないとおっしゃっています。⇒14章30節 

 モーセもアロンも、この神のことばをどのような思いで聞いたのでしょう。彼らにとって、この厳しいことばはまた長い間の重荷からの解放を意味するものではなかったのか、とも考えるのです。


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