テサロニケ人への手紙第一 5章12−28節
スーパーの店先には水仙の花が並びます。クロッカスも…。日本の暦ではきょうが立春ですね。お住まいの近くには春の訪れを感じさせるものがあるでしょうか。
テサロニケ人への手紙第一の終わりにあたる部分には、「主がおいでになるのを待ち望む生活」という見出しをつけることができるかもしれません。テサロニケ教会は、厳しい迫害などの苦しみの中でも教会のあり方を崩すどころか、周囲の模範となっていました。正しい教えを守ることにおいても(5章1節)、実際の生活においても(11)…。
きょうの箇所について、「みことばの光」は、「私たちの営みはどこまで行っても不完全なものである。しかし仕上げは全能者の御手のうちにある」と書いています。地上にある教会に完成はないのです。どこまで行っても不充分さがつきまといます。むしろ、「もうだいじょうぶ」とか「これでいい」などと慢心することのほうが危ないのだと思います。
「仕上げは…」ということばから、小さな子どもが歯磨きをして一通り終わると、「おかあさん!」と呼ぶ、子ども向けテレビ番組のコーナーがあったっけ、などと思い出しました。「仕上げは神の御手の内にある」とは、神さまがやがて不充分、不完全な教会を仕上げてくださるということ。23節のことばに信仰者の希望があることをおぼえました。