みことばの光的毎日

聖書同盟「みことばの光」編集者が綴るあれこれ

神は祝福される

2016年02月18日 | 民数記

民数記 23章

 水曜日午前は祈祷会の日。きのうは祈祷会の後でお昼をいただきました。ちらし寿司とデザートは手作りのチーズケーキです。食べ物が美味しくいただけるというのはしあわせですね。祈祷会では、「みことばの光」のその日の聖書箇所を読み、「聖書を毎日読むための聖書同盟の方法」を用い、「みことばの光」を読んで分かち合っています。自分で気づかなかったことを発見する時でもあります。

 イスラエルをのろってもらうために招かれたバラム。しかし、ふたを開けてみたら…、というのがきょうの箇所です。何とバラムは、モアブのバラム王の期待に反して、二度もイスラエルを祝福してしまったのです。二度目の祝福のことばを聞いた後のバラク王が「彼らをのろうことも、祝福することもしないでください」というのはいかにバラクが混乱していたかということを表わしているのでしょうか。

 改めて考えてみますと、モアブの地の高い山の上でバラク王とバラムとの間にこのようなやりとりがなされているのを、イスラエルの民は何も知りません。けれども、まもなく約束の地に入ろうとしている民は、バラムによって神の祝福を受けているのです。「神は祝福される。わたしはそれをくつがえすことはできない」という20節のことばに目を留めました。

 誰かに手紙やメールを書くときに、しばしば「神の祝福が豊かであるように」ということばを添えます。昨晩中学時代以来の友人(クリスチャン)からいただいたメールの中にも、「…より多くの日本人に神さまからの恵みと祝福が伝わることができますように」という祈りのことばがありました。神の祝福があるようにとの祈りが互いのために捧げられていることの意義を、「神は祝福される」という一言から覚えるのです。


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