民数記 17章
月曜日には、自動車免許交付手続きに出かけました。当地に来てすぐに手続きしたことがあるのですが、その時には書類不備でだめ。今回は…、無事受け付けてもらえました。予めネットで調べたり人の話を聞いたりすると、日本の運転免許証を預かられてしまうとのことでしたが、二人とも戻してもらいました。
レビ人のコラたちの反乱の余波はなお、収まりません。民の不平を一掃し、アロンの祭司職が主から出たものだということを民に周知するために、アロンの杖が芽をふき、アーモンドの花をつけるというしるしをなさいました。
けれども、それで民は納得したのかというとそうではないことが、この章の終わりの2節から伝わってきます。ここでイスラエル人が言っているのは、決して間違ったことではありません。確かに、聖なる神のご臨在に不用意に近づく者は死ななければならないのです。だからこそ、アロンとその子どもたちが、民と神との間に立って、祭司としての務めをしているのです。ということは、彼らはこのような決定的だと思われるしるしを見せられてもなお、アロンの祭司職を心から認めていなかったということになります。
本日は「怖がる、恐れる」とタイトルをつけてみました。12、13節から垣間見る人々の心は、怖がっているように思えます。神を恐れる心を持つならば、神が間にお立てになったアロンの祭司職を認めるはずですが…。もし、神と私との間に主イエスが立ってくださらなかったのなら、自分も彼らと同じ思いのままに怖がっているしかない者なのだと思いました。
*数日前の朝焼け