小林秀雄が講演で「買うってことはたいへん重要な、大切なことでね」と言っていて、そのあと彼が勾玉を買ったという話につながるのだが、なんだか深く反省するところがあった。
お金を使うということ、お金について考えるということに対して、僕はものすごく苦手で、おそらく二十代の最初の頃の段階で「もう、めんどくさいから、お金なんか使うもんか、なんでこんなめんどくさいものがあるんだ! 知るかっ!」と思った、という記憶はないけれどなんとなくそんな気分になって意識して考えることを避けていたように思うのだが、そのころから実際にお金がなかったということもあるけれど、あまり物を買わなくなり、本しか買ってなかったように思う。
で、そうすると、だんだんとほんとに何も欲しくなくなってきて、欲望が枯れるというかそうなっていた。
テレビの音量のように、というか、水道の蛇口のように、というか、欲望も程よく出してないと、弁を締めすぎても開きすぎてもよくない。
買うということに対して真剣に考えたことはなかったのだが、小林秀雄に言われてとうとう彼の講演CDを購入してしまった。(すごい自己PR力。)
第四巻「現代思想について」と第七巻「ゴッホについて/正宗白鳥の精神」を買った。
ゲームソフトだったら、同じくらいの値段でも買えるのに、CDだとなかなか買えないものだ。
お金を払って自分のものにする、そして手元に置いておくということについては、思っている以上に心に影響があるのかもしれない。例えば、映像をビデオテープとして持っていたときよりも、ハードディスクに残している状態のほうが明らかに軽くなっている。写真も、紙でアルバムに張って持っていた時よりも軽い存在になってしまっている気がする。
物に値段が付いていると、少しでも安く、できれば無料で、と思ってしまうのだが、そこをケチって一体何がしたいのかまでは決して考えていない。少しでも安く、ということが自己目的化している。
逆にそのような考え方をしていることで失っているものもあるのかもしれない、と考えた。
講演は、第四巻「現代思想について」のほうを聴いた。
相変わらず素晴らしい。
学問をしなくちゃいけませんよ。
お金を使うということ、お金について考えるということに対して、僕はものすごく苦手で、おそらく二十代の最初の頃の段階で「もう、めんどくさいから、お金なんか使うもんか、なんでこんなめんどくさいものがあるんだ! 知るかっ!」と思った、という記憶はないけれどなんとなくそんな気分になって意識して考えることを避けていたように思うのだが、そのころから実際にお金がなかったということもあるけれど、あまり物を買わなくなり、本しか買ってなかったように思う。
で、そうすると、だんだんとほんとに何も欲しくなくなってきて、欲望が枯れるというかそうなっていた。
テレビの音量のように、というか、水道の蛇口のように、というか、欲望も程よく出してないと、弁を締めすぎても開きすぎてもよくない。
買うということに対して真剣に考えたことはなかったのだが、小林秀雄に言われてとうとう彼の講演CDを購入してしまった。(すごい自己PR力。)
第四巻「現代思想について」と第七巻「ゴッホについて/正宗白鳥の精神」を買った。
ゲームソフトだったら、同じくらいの値段でも買えるのに、CDだとなかなか買えないものだ。
お金を払って自分のものにする、そして手元に置いておくということについては、思っている以上に心に影響があるのかもしれない。例えば、映像をビデオテープとして持っていたときよりも、ハードディスクに残している状態のほうが明らかに軽くなっている。写真も、紙でアルバムに張って持っていた時よりも軽い存在になってしまっている気がする。
物に値段が付いていると、少しでも安く、できれば無料で、と思ってしまうのだが、そこをケチって一体何がしたいのかまでは決して考えていない。少しでも安く、ということが自己目的化している。
逆にそのような考え方をしていることで失っているものもあるのかもしれない、と考えた。
講演は、第四巻「現代思想について」のほうを聴いた。
相変わらず素晴らしい。
学問をしなくちゃいけませんよ。
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