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プラトーン『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』

2018年04月24日 11時32分17秒 | 文学
プラトーン『ソークラテースの弁明・クリトーン・パイドーン』(新潮文庫)を読んだ。

「ソークラテースの弁明」
ソクラテスが裁判でアテナイの人々に訴えかける。
ソクラテスが裁判にかけられたのには二つの理由があることが分かる。
一つは昔から人々を弁舌でたぶらかそうとしていると言われて来たこと。芝居などにも実名で書かれて、演じられていたようだ。
もう一つはメレートスから、若者に対して神を認めないような話をしているというような中傷を受けたこと。
ソクラテスは一番知恵があると巫女に言われた。
ソクラテスは、いろいろなものを知っていると言われる人のところに行っては、その人が自分が知らないということに気付いていないということを確認していた。そしてソクラテス自身は自分が無知であるということは知っている。巫女に言われたのはそれが理由である。
死ぬことが善いことであるのか悪いことであるのか自分にはわからない。分からないのに恐れるのはおかしい。
自分が間違っていることをしようとすると神のお告げあるが今日はない。それは自分のやっていることが間違ってはいないということだろう。

「クリトーン」
刑の執行を待つソクラテスのところにクリトーンがやってきて脱獄を勧める。
ソクラテスは正しく生きることはただ生きていくことよりも大切だと言って、逃げない。
命よりも正義のほうが大事だというのは、いまの世の中の感覚とは合わないが、よく考える必要がある。「クリトーン」を読むたびに自分の生き方を問われる気がする。

「パイドーン」
ソクラテスが刑に処せられて死ぬまでが描かれる。
真実を知るためには肉体は邪魔。哲学者は死ぬことを望む。
奇数は偶数ではない。つまり非偶数。
同様に生命の反対は死。であるので魂は不死。
このあたりの話はまったく説得されないが、どういうふうに受け取ればいいのだろう。
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