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岡潔『春宵十話』

2014年06月13日 00時37分39秒 | 文学
岡潔『春宵十話』(角川ソフィア文庫)。
小林秀雄との対談を読んで、岡潔に興味を持ったことがあった。どこに興味を持ったのかは忘れてしまっているのだが、今回新しく文庫が出たので買って読んでみた。
いまでは誰も言わないようなことが書いてあって、おもしろかった。戦後の教育のせいで女性の初潮が三年早くなったとか、女性の顔が変わったとか、いまでは誰も言わない。そんなことを言っていた人がいたことがあったことすら想像できない。
いまのものだけと付き合っていると思想が平板になってしまいそうなので、古いものを読むのは良いことだなと思った。
最近井上靖に興味があるのだが、読んでいるとちょうど井上靖のことが出てきて驚いた。
≪近ごろ、井上靖の「敦煌」を読んだ。非常におもしろく、すばらしいが、またテンポの早いのにもびっくりした。非常にスケールの大きいものをごく短い時間に読ませてしまう。≫(157頁)
予定には入っていなかったが、『敦煌』も読んでみるべきか。
井上靖についてきちんと論じているものに出会ったことがない気がする。小林秀雄はもちろん、江藤淳もなにも書いていなかったように思う。言うまでもなく、私が読んだ範囲でのことだが。
吉本隆明はどこかで『本覚坊遺文』について語っていたように思い、探した。『マス・イメージ論』で取り上げていた。世界の差異を消去するものとして批判的に語っていた。じぶんの死を打ち消したいのではないかとも書いていた。よくわからない。
ちょっと前に読んだ辻邦生と水村美苗の往復書簡『手紙、栞を添えて』のなかで水村美苗が、
≪文学が面白くないのに、文学を熱心に読むという人が世の中にはたくさんいるのです。文学が面白くないのに熱心に読むというだけではない。文学が面白くないのに、文学を教える人もいる。文学について書く人もいる。文学そのものを書く人すらいる。≫(24頁)
と書いていたのが魚の小骨のように気になっている。
これは私ではないのか、ということから、本を読むとはどういうことか、ということまでいろいろと考えさせる。
いま僕は吉本隆明のような言葉よりも、水村美苗のような言葉を求めているので、井上靖についても批判的な言葉よりも好意的な言葉を聞きたい。
まずは自分が井上靖を批判しないように気を付けます。(でもたぶんたまには批判します。)
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