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村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

2013年08月16日 22時03分08秒 | 文学
村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだ。
たぶん『スプートニクの恋人』や『海辺のカフカ』くらいから、村上春樹の長編小説はいったい何が行われているのやらさっぱりわからない。たぶん村上春樹自身にもよくわからない(と村上春樹は言うのだろう)。
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』も何が行われているのか誰か明確にわかる人がいるのだろうか。僕にはわからない。何が行われているかもわからないし、わかるひとがいるかどうかもわからない。
タランティーノの『キル・ビル』みたいに、恨みのある人物を順番に訪ねていって復讐をしていくのかというとそうでもなくて、相変わらずの村上春樹的な人物と村上春樹的なお話だった。もう慣れているので、何が行われているかわからなくても、もうページ数がすくないのにぜんぜん話が収束しないまま主人公がよくわからない内省を始めるのにも僕はまったく驚かないのだが(むしろそうじゃないほうが驚く)、初めて読んだ村上春樹の小説がこれだったらどう思うのだろうか。どうやって楽しんだらいいのかわからないだろう。
この小説は過去の村上春樹作品と比較して、ここは『ノルウェイの森』のあれだな、とか、いつものやつだな、とか、ちょっと変化球だな、みたいなことを考えながら読むものなんだと思う。
上手な文章はあいかわらずの村上春樹で、それを楽しむべきものなのだと思う。
それ以外にどういう読み方があるのか僕にはわかりません。

しかしやっぱり『ノルウェイの森』はよかったな、といつもの感想が繰り返されるのでした。なんだろう。切実さ、みたいなものが足りない。
それはおそらく読むほうの僕にも足りない。
ということは、切実な何かを求めている人が読んだら、この小説も切実に読めるのかもしれない。
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