周防教会・牧会ジャーナル

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6月25日―7月1日

2006年07月02日 | 日記・エッセイ・コラム

6/25(日) 留守中にたまった仕事が全て片付けられず、夜になって始めたが今度は睡魔にみまわれ進まない。明日からの牧師会旅行でバスの運転もしなくてはいけないし。旅行が終わったら急いでやってしまおう…と眠ることにした。しかし思っていたとおり。寝ようとすれば眠れない。

26(月) 訃報が入ったのは旅行に出発する直前。角田響平くんが死んじゃったって。何が起こったのか頭ん中で処理しきれない。香川へ向け運転中、角田牧師から諸日程の連絡が入り、イヤホンマイクで話す。バスの視界が何度もゆがんだ。彼は処理しきれないくらいじゃすまないはず。

27(火) 旅行から戻ってすぐに三重へ。全員で車で出かけるなんて何年ぶりのことやろ。旅の道のりが賑やかやったのは、単に現実を回避したに過ぎない。誰かが泣き出すと連鎖がおこる。泣いたり笑ったりを繰り返していたが三重県が近づくにつれ笑いは消えた。会いたくなかった。

28(水) 午前1時過ぎに着いた久居新生教会。5日前も僕と帆波はここに居たんや。牧師館の一室で角田夫妻や友人が響平くんを囲んでいた。僕はまともに顔が見られず角田君の書斎に入る。パソコンの画面に響平くんの写真入り挨拶文。どんな気持ちでこの文章を打ったんやろと思うといたたまれんかった。父は何度も息子を抱き上げ、母は何度もキスをしていた。全ての式を終えた17時。山口へ帰る僕らを、先週、津駅で見送ってくれたように角田一家が見送ってくれた。でも…先週と違う。見送り人が一人足りんぞ!この大きな大きな穴をどうやって埋める。 『平和よ!世界に響け!』という願いをもって命名された、響平。2歳3ケ月と21日。そのバトン、受けたぞ!響平。

29(木) 周防教会に帰ったのは午前1時。みんな長旅で体の疲れと、言い知れぬ虚脱感ゆえグッタリしていた。僕と帆波は風邪のおまけ付き。

30(金) 6月は今日で終わる。亀の里の会計を閉める。亀の里と言えば3号室のお嬢こと松岡淳子が今日で正式に退居していった。一日中、雨。

7/1(土) 角田牧師は今頃、明日の準備をしているんやろか。啓子夫人は潰瘍大腸炎で倒れたという。無理もない。神様…あなたの出番です。


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