魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

<総集編>

2009年02月28日 | 整理BOX

2006年9月に始めて2年半。500本目になりました。
カテゴリー内も増えすぎたので、<総集編>として、関連テーマで拾ってみました。
くどいものもあれば、言い足りてないテーマもあるので、今後もこの総集編に追加していくつもりです。書いた後で、現実にそういう動きが現れたものも多く、喜んだり嘆いたりしています。

省エネ
国家健全法、「欲」は地球を救うガソリン高騰射手座の効用小さな省エネ頭の切り替えどこへ転換小さな省エネ2飛行船くどいけれど

仕事
時代・世代3不幸の素衝動物2.洋東苦肉自転車で始める運送屋日本に仕事はないのかMEID IN ITALY

世界と日本
日本人の無信仰占いの俯瞰2占い人類学新鎖国主義いつも大変だ外国かぶれ瑞雲2、「」、「し」21208自らを島とせよ・看脚下平和連邦回る回る世界は回る伏せ字の時代(上)古代アメリカ(1)、大崩壊2スポーツ精神2

日本の東西
東(笑)西日の丸軍団自らを島とせよ・看脚下東西の日本1東西の日本2

昔話
男の足女の足日本埋没1日本埋没2日本埋没3童心

錯誤と言葉
女と女性(一)女と女性(二)影におびえる被害者という加害者外国ドラマ男と女1男と女2一辺倒言葉の御旗悩みの元ザンネーン!


癒し系

2009年02月27日 | 星の流れに

「もうすぐ牡羊座」()で、明日のことを考えたが、今日この日は、相変わらず魚座の話題が続いている。

小沢民主党主の第七艦隊論や、愛知の「H7型」鳥インフルエンザとか、医薬品ネット販売規制問題とか、九州新幹線の「さくら」とか、
もう、説明の必要もないだろう。

それより、アカデミー賞で日本映画の「おくりびと」、「つみきのいえ」が同時受賞したのはまさに魚座の出来事だ。
どちらも観ていないので、内容については何とも言えないが、伝え聞くところでは、魚座の「回顧と癒し、終わりと始まりの時」がテーマのようだ。

「おくりびと」が評判になっていることは知っていたが、ひねくれ者は、ベストセラーや大ヒットには近づけない体質なので、ほとぼりが冷めて世間が忘れた頃に、そっと観てみることになる。まして、賞をもらったからと、行列ができているようでは、当分、観る気になれない。
世間の熱気が盛んな時に近寄ると、自分なりの楽しみが、熱で腐ってしまう。そんな気がする。

が、それにしても、「つみきのいえ」は、TVの絵を見ただけで、反射的に涙ぐんでしまった。ジジイには、ますます観られそうもない。

走馬燈


瞳孔言う話ではない

2009年02月26日 | 占いばなし

忘れていたのだが、水瓶は光だから瞳を表す。それと、今年の九星は九紫火星だ。九紫も南側の明るさを表し、ものを見ることを意味する。

25日に銀座の眼科で近視矯正手術のミスが明らかになった。
九紫の年は眼科の話題が多い。乙女座(医療)土星の医療問題でもあるが、眼科の話題は、九紫と水瓶座の木星の影響でもある。
その年ならではの事件というのは、小さな事件でも波及効果が大きい。
ちなみに、被害者が67人=「4」(6+7=13→1+3=4)

水瓶座の木星と言えば、石原真理子が玉置浩二と結婚したそうだ。
かなりどうでもいい話ながら、石原が水瓶座であることは知っていたので、木星でやっぱりと言うところ。玉置の生年月日もみてみた。

玉置はマザコン気質の相当いい加減な人で、そのいい加減さが他人の思惑を誘うから人気運がある。乙女座だから、土星が来て病気になり、金星が魚座の石原が、奉仕愛に駆られて連絡を取ったのだろう。
複雑思考の石原にとっては、玉置のいい加減さが安らぎになり、病気を人生の最大問題と考える乙女座の玉置にとっては、都合の良いマリア様の降臨と思えたのだろう。
老婚でもあり、相性も良いから末永く?・・・好きにしてくれ


MEID IN ITALY

2009年02月25日 | 日記・エッセイ・コラム

以前、安売り衣料品店で ちょっとおしゃれなデザインの衣料品があったので、見ると、MEID IN ITALY と記されていた。
しかしどうにも、納得がいかない。異常に安いことと、見るからに雑な仕立てと粗悪な素材だ。

中国製は、生産地まで偽るんだろうか?
どう見ても安売りの中国製としか思えない。それにしても、そんな偽表示を堂々と売っているのは不思議だ。偽ブランドの方が、よほど商品がしっかりしている。
不思議なことだとは思ったが、それっきり忘れていた。

今日の世界のニュースには笑ってしまった
イタリアではMEID IN ITALYの商品を作るために、中国人が押し寄せ、中国から送られてくる素材を、中国から来た労働者が、中国とまったく同じ状態で生産し、MEID IN ITALYのタグを付けて送り出している。
そのため、元の小さな村が中華街になって、生活環境を失った村の人たちは仕方なく引っ越してしまった。一方では、イタリアの繊維会社が次々と倒産している・・・というのだ。

イタリアの人にとっては、まったくケシカラン話で、笑い事ではないのだが、大転換の観点からは、幾重にも示唆に富んだ出来事だ。

まず、「ブランドの崩壊」という点で、中国人の、「クオリティーより実用」の目には、付加価値は金儲けの手段としか映らない。
「そんなにMEID IN ITALYが売れるならイタリアで作れば良いジャン」ということになる。これは確かに一面の真実だが、世界に羽ばたく解放中国人の手に掛かれば、ブランドの価値を食いつぶし、世界の生産地が枯れ木になる。

また、生産と労働の観点からは、イタリアで働く中国人労働者が、中国の農民工と同じシステムで働き、資本主義が築いてきた契約概念が全くないことだ。目先の金を求めて移動して行く。

さらに、このケースでは、ただの出稼ぎと違い、仕事そのものが中国から来た宿り木で、従来の海外生産とは逆だ。
海外生産が、現地に仕事と商品を提供するのに対し、他国に売るために集団で入り込んで活動する、ガンのような存在だ。

しかし、おそらく彼らにはまったく悪気はない。
偽ブランドはウソだが、MEID IN ITALYのために、わざわざイタリアにまで出かけて苦労して商品を作っているのに、非難されることは何もない。そう思っているだろう。中国流筋道論だ。

なにはともあれ、13億の論理が動き始めれば、赤信号が青になる。
大転換の要因として、無視することも押さえ込むこともできないだろう。

中国パワー恐るべしだ


もうすぐ牡羊座(3)

2009年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

牡羊座はパイオニア、チャレンジャー
一つの時代は、技術と生活が絡み合った文明文化だ。
文明が老化し死を迎えれば、時代が変わる。

文明が死ぬ時、新しい文明が産声を上げる。その嬰児が牡羊座だ。
生まれてくる新生児は、やはり、先代とよく似ているだろう。
しかし、老人と新生児は、生きる方向と必要なものが全く逆になる。

老人は守りと思い出だが、新生児は調整とチャレンジだ。
新しい時代をどう育てていくのか、どこに向かっていくのか。注意深く、しかも大胆に、夢にチャレンジしなければならない。

過去にとらわれた瀕死の老人が大切にしていたブランドなど、邪魔者であって、何の役にも立たない。
新しい人生に向かって夢を描く。手足を自由に動かしてみよう。
先代の「形見」の品は先ず捨てて考える。
自動車産業、道路建設、ダム建設、原子炉、飛行機・・・など、大型の産業は、オジイチャンの古時計だ。

自動車よりも鉄道だ。飛行機より飛行船だ。ダムや原子炉より自然エネルギーだ。
たとえば、現在の既製服やファッション業界は要らなくなる。
ミシンや洗濯機ができて、生活・社会が変わったように
自動製服機」ができれば、ファッションに対する考えや、素材や流通がまったく変わる。
時代が変わるとはそういうことだ。

そういう、新しい時代を見据えた、技術チャレンジをしなければ、次の時代に成長できない。
改良やクオリティーより、「提案」の時代なのだ。


自動製服機:自分でデザインしたり、デザインパターンを入れて、素材を入れればお好みの衣服が出てくる新時代のロボ・ミシン


もうすぐ牡羊座(2)

2009年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ブランド志向の消滅は、社会全体の変革を意味する。
牡羊座の前には、魚座の時代が、天王星84年の一周期を締めくくる。
それまで築いた世界が終わり、次の84年が始まるわけだが、物流と情報にともなって発展したシステムの「信用」が、この数年で総崩れになっている。

二回の世界大戦も、その後の経済戦争も「物流と情報の戦争」であり、その間に生れたブランドが消えることは、単なる流行の変遷ではなく、経済体制や価値観の崩壊だ。

ブランドや付加価値といった「過去の習性」でビジネスを考えていては生き残れない。
250年のパラダイム大転換と重なる今、古い生活と価値観による、物が無くなる。
例えば、ガソリン車、典礼、宝飾、既製服・・・のようなものは、社会が変われば消える物だ。

自動車産業は、背景が大きく一概には言えないが、相当、以前から雪崩現象が起きている。始まりは70年代のマスキー法で、実質、ガソリン自動車衰退のターニングポイントといえるだろう。

企業のブランド興亡の例として、SONYは典型だ。
ポータブルラジオというアイデア商品で成長し、ウオークマンでピークに達して以来、完全な老化が始まった。
SONYブランドの維持と、切り売り以外の仕事ができなくなった。
冒険心が消え、アメリカ方式の経営で目先の利益と既得権ばかり追求し、サービスの劣化も起こった。
初期のようにオリジナリティーを売るのではなく、独自規格を権益のために使い始めた。
挙げ句の果てには、ipodの物まねにウォークマンと命名するなど、ブランドへの甘えは、悲しいばかりの醜態をさらしている。

こういう成功しすぎた会社こそが、パラダイム転換に生き残れない。
日本企業には、SONYの歩んだ道を辿る可能性のある企業が少なくない。プライドと、妙なグローバル化に犯されている会社だ。

また、日本の企業の長所が、今や短所となりつつある。
戦後の工業技術の成長期には、日本のものづくり、クオリティーが差別化に役だった。しかし、技術力が飽和状態の今、世界のどこでも似たような物が作れる時に、日本の企業は技術屋中心で動いている。

ガラパゴス携帯は、技術屋のワンダーランドだ。アニメやゲームのコンテンツビジネスなら、驚きこそが商品だが、携帯のような実用品は、必要な物が手軽に使えることが命だ。

携帯も液晶TVもPCも、日本の製品は、明らかに技術屋主導で作られている。
これが、日本衰退の背景だ。少なくとも今は、技術の時代ではない。
グリーン産業はいずれも、誰でも作れる簡単な技術だそうだ。
日本は、政治も企業も明らかな後れをとってしまった。
巨大な需要がある時は、多少の技術差より手軽さが求められる。

今食べるものがないのに、もう少し待てば美味しいものが食べられますよと言っても、誰も待たない。温暖化対策は、質より量の時だ。

天王星→牡羊座時代に始まる開拓時代を過ぎれば、日本のものづりが、また日の目を見るかも知れないが、スタンダード創りの苦手な日本としては、それまでは「ニーズを見極めるために」アンテナを大きくするしかない。


もうすぐ牡羊座(1)

2009年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

天王星牡羊座、で予想した、ブランド志向の消滅が始まっているようだ。

ブランドとは、「差別化による信用」のような意味らしいが、
「のれん」のように、長年の蓄積によって、信用と信頼の対象となるものもあれば、CMや販売法による洗脳で、強制的に作り上げるものもある。

ブランド志向
ファッション・ブランドは、美意識を持たない人の制服だ。社会という学校の規則(価値)に従う優等生なら、身に付けなければならないものだ。
電化製品や車などのブランドは、実績から、最も安心して使える機器であるとともに、ファッションと同様、優等生の印でもある。

いずれも、自分の判断ではなく、社会的な評価に従うことが第一にある。それは、社会に認められたい気持、集団への帰属意識であり、社会の一員としての認定書を金で買えるような錯覚でもある。
だから、犯罪や反社会的な、恥ずかしい稼ぎで稼いだ人ほど、それに固執することがある。いわゆる成金趣味だ。
自分に自信のない人ほどブランドに頼ろうとするのは、自分の判断を社会に保証してもらいたいという、社会依存だ。

ファッション・リーダの自覚の強い人は、ブランド志向ではなく、自分のオリジナリティーにこだわる。
昔、ブランドがブームになり始めた頃。加賀まりこにインタビューしたレポーターが「やはりファッションはブランドものですか?」
と聞くと、加賀まりこが「そんなもの着ません!」と、汚いものに触るような顔をした。
加賀まりこをよく知らなかったのだが、このとき、好感を持った。

ブランド志向が社会化してからは、オリジナルな取り合わせがむしろ、センスが悪いようにさえ見られるようになった。金目のものを得意になって身につけるのは、昔、大阪の象徴だったワニ皮のベルトだ。
日本全体の関西化がこういうところにも出てきているのだろう。

ブランドの消滅
ブランド信仰の消滅は、既存のブランド自身の凋落と、ブランドの呪縛そのものからの解放の、二つの側面で起こりつつある。

現実に、アウトレットの拡大、ブランドの値下げ、フリマ人気、デパートの衰退・・・など、不景気による生活環境の変化もある。
また、大手自動車メーカーやSONYなど、一世を画した産業自体にも変化がおこり、商品ニーズが変わりつつある。

ブランド信仰が無くなるかどうか以前に、これまでブランドとされてきた物の衰退が始まっている。
半世紀も経てば、またブランド時代が始まるかも知れないが、少なくともこれからは、売り手も買い手も、ブランドを意識することが無意味になる。

それは、消費者が自分の目を磨き、生産者が付加価値より、真に良い物を作ろうという意識を覚醒させる。
活気あるさわやかな時代を期待する。

♪魚座は続くよサソリ座


間違いは何

2009年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

受精卵を間違えて中絶・・・
どう考えたらいいのだろう。

占いの観点からは、
昨年起こった事件は、木星→山羊座の年寄りによるミス。今年になって表面化したのは、木星→水瓶座の「卵」問題。「四」国も多少はあるだろう。(話は違うが北方4島問題も)
また、このところ多い、体外受精による多胎児のニュースや、双児ブームは、天王星→魚座の胎児に関する話題だ。

社会や人生の観点からは、
思想や哲学の問題なので、本当にどう考えて良いのか解らない。
どういう立場でどう言っても、非難されそうな気がする。

考えてみるべき問題は
生命とは何か類とは何か
人類は類としての生命をどういう形で存続させるべきなのか
子供は誰のものか
子供は誰がどういう形で育てるのか
社会制度はどうするのか

等々、次元の違う問題が複雑多岐に絡み合っている。
これが良いという方法があったとすれば、それは宗教的な思い込みだ。
実は、答えなど無い。

だから、言えることは、
こうでなければならないのに、このようなことが起こったから良くない・・・。と言っている人には、本当にそれしかありませんか?と、問いかけるしかない。

今回の四国の事件で、解らなくなるのは
子供が欲しくて体外受精までして、できた子供が他人の子供かも知れないから中絶する・・・という矛盾
いったい何を欲しがっていたのだろう。
本当に中絶したかったのは誰だろう。
心と思考、価値観と行動、社会と立場・・・

ミステリーだ


酔拳

2009年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

中川大臣のヨレヨレ会見。魚座の時代もとうとうここまで来た。
酒や薬の話題が注目される時代だ。

むかし達人は、居眠りや酔っぱらいの姿をしている話がよくあった。
大酒を飲んでごろごろしているみすぼらしい老人が、絵筆をとって、さらさらと絵を描き残していく。やがてそのその絵から老人が名人であることが解る・・・そんな話だ。

ジャッキーチェンの「酔拳」は、酔えば酔う程強くなる拳法だ。
しらふでは力が出ないが、酔ってヘナヘナになると、俄然強くなる。

達人は酔っぱらいである・・・というイメージは、どこから来るのだろう。
ミュージシャンなどが、薬物に頼るのは何だろう。

薬物に関してはいろいろに言われているが、昔、そういうミュージシャンに直接聴いてみたら、超現実体験をすることによって、ヒラメキが得られると言う人がいた。
「それを自分の力で得るのが真の能力じゃないのか」と言うと、
「なるほど、そうする人は尊敬するが、同じものを手軽に得られるなら、その方が確実に受け手の期待に応えられるじゃないか」・・・と、言うことだった。そのヒラメキが同じものかはわからない。

酔っぱらいの達人」に関しては
酔っぱらっても、軽々とこなすぐらい達人、と言う意味なのか、
酔うから達人になる、と言う意味なのか?
良くわからないのだが、

常人を超えた能力は、異常な状態のはずだ・・・という、「畏怖」の心を納得させるからではなかろうか。
神懸かりや稚児の言葉を、神の言葉と受け止めるように、古今東西、神の力は「有り難い」異常な姿をしている。

これを逆手にとって、超能力を演出するために、新興宗教の教祖や占い師は、わざと異常な姿をする。
ひげや髪をボウボウに伸ばしたり、白衣に身をまとったり、御簾の向こうに姿を隠したりして、猫だましをしかける。先ず、相手を異常な心理状態に引きずり込んでしまう手口だ。
こういう姿を見ただけで、感心して信用してしまう人が結構いることを見ても、やはり、人間には「超常」への信仰心があるらしい。

しかし、普通ではないものがみなインチキかと言えば、そうでもない。
天才科学者や作家などには、実際に、左右が違う靴下をはいていたり、ズボンをはき忘れて電車に乗った人もいる。
その人の能力の中核が、世間的な常識を置き忘れている場合は、まるで、異常だから天才なのだ・・・とさえ思える風貌になるからだ。
異常な言動の酔っぱらいは、時には天才や神懸かりの姿に見えなくもない。

また、あまりにも複雑思考をしていると、かえって集中力や判断力を失い、むしろ少し酔っぱらった方が、まとまった良い考えが出ることもある。
そういうことも「酔っぱらい信仰」にあるのだろうが、これは芸術家や勝負師など、技術の達人の場合だ。

現代の政治家は、どちらかと言えば商売人や役者など、サービス業だ。
達人や天才ではつとまらないが、中川大臣は、神懸かりの「お告げ」をしようとして失敗したのだろう。


童心

2009年02月17日 | 話の畑

人工衛星がぶつかって驚いたら、原潜もぶつかっていた。
原潜は魚座・海王星問題だが、衝突はいずれも電子機器(天王星)の問題だろう。

子供の頃、潜水艦の模型を作った。
おもちゃの船や飛行機が好きだった。何時も模型作りをしていたので大人からよほど工作好きだと思われたが、工作は嫌いだった。
船や飛行機の動く姿を見たさに、仕方ないから組み立てていた。

航空産業
組み立てキットに描かれた飛行機の勇姿を見ると、飛ばしてみたくなる。組み立てて飛ばすと、もっとうまく飛ばしたくなる。
良く飛ぶにはどうするか、部品を削り、動力ゴムを替え、様々な工夫をして、より高く、より永く飛ばそうとする。

滞空時間を競うゴム飛行機の飛行機大会があった。
内心、かなりの自信作で、テスト飛行では上位を競うタイムが出た。
いざ、出陣のその日、会場は風が強く、時折、突風も吹くという悪条件だったが、晴天で決行された。

次々と舞い上がっていく機体の中には、突然、地面にたたきつけられる者もあれば、強風で、遙か彼方の上空に消えてしまう者もあった。
しばらく凪のような無風になると、強者が本領を発揮し始め、延々と会場上空を旋回し続ける。

いよいよ我が愛機、勇躍、飛翔のそのとき、構えた手の先の愛機に突風が吹き付けた。
翼は一瞬にして折れ、アッとかばう胸の内で、愛機は無惨な姿で逝ってしまった。
以来、一度も模型飛行機を造ったことはない。

造船業
これよりもっと、昔になるが、ゴム動力の潜水艦を建造した。
幼児期には、タライで樟脳の船を走らせたし、風呂ではロウソクで走るポンポン船で遊び、のぼせてしまったこともある。
ヨットの航法をそのまま模型にする記事が、工作本に載っていたので造ってみた。
近くの池に浮かべると、ゴムも電池もないのに、風に向かってジグザグに、ものすごいスピードで走っていく。人工の動力が無くてもこんなに走ることにショックを受けた。

その頃、プラモデルというものが登場した。箱に描かれた迫力ある絵に魅せられて、零戦を作ってみたが、動かないから何ともつまらない。せめてもと、ヒモにぶら下げて見たが、やはりつまらない。
翼にヒモを付けてクルクル回していたら柱にぶつかってバラバラになってしまった。
「潜水空母・伊四〇〇型潜水艦」のプラモデルは美しく、見ていると潜航する姿が目に浮かぶ。これも何とか動かないものかと思っていると、ゴム動力で走る伊号潜水艦が売り出された。

これはなかなかの優れもので、スピードもあり、潜行蛇が付いているから本当に潜行する・・・と言うより潜行しようとする。
何しろ一定の距離を走らなければ潜行しないから、家の風呂では潜りかけるところでぶつかってしまう。
かと言って、池で走らせると、潜るからどこに行くか解らない。
その当時、プールは学校しかなく、もちろんそんなことに使わせてはくれない。
で、友達と銭湯に行った。

潜航する姿を見られるように水中めがねも用意した。
ワクワクしながらゴムを巻き、一番すみっこから、最も距離がある対角線上に進水した。
スゴイ、スゴイ !
本物の潜水艦が潜行するように、艦橋が水を切りながら潜行していく!
急いで潜って見ると、まさに潜航して進んで行く潜水艦だ・・・
そのとき
「こらーッ! 何をするッ!」
いきなり、オヤジに突き飛ばされた。
伊号潜水艦が、オヤジの股間に体当たり攻撃をしてしまった。
しかも、スクリューがモジャモジャを巻き込んだから、大騒ぎ・・・
帰りには、番台のオバサンにも懇々と説教された。

子供は、小遣いがあれば新しい玩具や模型を買ってしまう。
高度成長の中国もインドも、軍事費にものすごいお金を使い始めた。
せっかく手に入れた最新鋭機を使いたくなるのは、子供ばかりではない。近頃、中国の潜水艦は広い太平洋で走りたがっている。もうすぐ空母も建造する。

「こらーッ!」と叱るオヤジがいないなら、
小遣いを持たせないようにするしかないのだが・・・

P.S. 
思い出したのだが、オヤジを怒らせた潜水艦は、市販にヒントを得て自分で木を削った改良型だった。完全潜航してスピードが倍になっていた。


支持率

2009年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

麻生内閣不支持が70%を超えて80%に近いそうだ。
政治家には期待していないからどうでもいい。

しかし、へそ曲がりだから世論調査のことをちょっと言いたい。
「調査方法」云々は、つじつま合わせ論議だからどうでもいい。

世論調査とか以前に、社会的総意が、
7~80%を超える「判断」は、正しかった試しがない。
世界の国民投票というものを観ていても、70%を超えるようなものは結果的にインチキだ。まじめな評決は、たいてい50%台で決まる。
もちろん、世論を二分するから国民投票になるのだろうが、それでも、多くの人の選択というものは、ほぼ半々になるのが自然だ。

世論が80%を超えるような判断は、理性ではなく感情だ。
戦争の時など、どの国でも支持が80%を超えるし、そうでなければ命までかける行動は起こせない。感情こそが、死に至る病だ。

個人的には、どんな事柄であれ、世論が8割にも達するような意見に、これまで、一度も共感したことがない。自分でも、困ったへそ曲がりだと思う。世渡りの得にはならないからだ。
しかし、これからはなおさら、超高支持率は「間違い」のバロメーターだと心したい。

オバマ支持率は80%にのぼった
日本でのオバマ支持率は90%と言う話もある。こういうことを聞かされるほど、オバマ大統領というものに不安を感じる。
未知数に対する支持。まして日本では、小浜市程度しか知識がないにもかかわらず90%とは!
支持率というものが夢や感情であることが良くわかる。
オバマ支持とは「祈り」の熱狂なのだ。

ひるがえって日本では、小泉支持率や郵政選挙の熱狂がもたらした結果は、その後、次々と問題が表面化した。
だから逆に、内閣不支持率が80%という話を聞くと、ちょっと待てよ?と考えたくなる。
決して支持するわけではないが、麻生内閣の問題と、状況の不満とは直結するのだろうか、首相を差し替えれば解決する問題なのだろうか。

80%の不支持率という数字は、何でも良いから辞めてくれという「感情」であって、「じゃあどうする」と言う展望は、どこにもない。
ただ政権交代だけを叫ぶ野党には、ヴィジョンも信頼感もない。
こんな状態が続くと、戦前の、軍部クーデターを容認するような空気が生まれてくる。

政権の不支持率が高い内は、まだ国民が政治に期待している証拠だ。
官僚のクーデターが起こる前に、政治維新を起こさなければ夜明け前に日が沈む。


借金払い

2009年02月15日 | 星の流れに

小泉元首相の発言で、マスコミは色めき立っている。
話題提供の大スターが動いたから大喜びだ。

小泉改革の功罪とか言っていたかと思うと、待ってましたとばかりに、今度は何をやってくれるのかと、提灯に火を入れ始めた。

何が不愉快かと言って、野次馬の火付け役、群がるマスコミ禿鷹の鳴き声ほど不愉快なものはない。
関脇が政治家なら、大関は官僚、横綱はマスコミだ。

小泉発言には大した意図はない。
昨年の木星が、山羊座の末期にさしかかった年末年始、山羊座のイスラエルが強硬手段に出て非難の的になったように、山羊座の多くは、昨年の総決算で借金払いをした。トラブルや病気が吹き出し極限状態だったが、このところようやく気を取り直して調整をはかろうとしている。
小泉元首相は、単純に去年からの憂さ晴らしをしただけだ。

しかし、本人に何の意図がなかったとしても、他人はそうは見ない。
冥王星が山羊座にいる現在、周囲が勝手に黒幕に祭り上げるだろう。
射手座の冥王星時代に、射手座の小室哲哉が祭り上げられたように。


またも

2009年02月14日 | 星の流れに

水瓶座の満月
ロシアの上空で、アメリカとロシアの人工衛星が衝突するという極めて珍しい「ハプニング」がおきた。(水瓶事件だ)

すると今度は、またも、ニューヨークで飛行機が落ちた。
落ちた飛行機は、またも、ボンバルディア。   
乗客44人、乗員4人、非常勤1人。併せて49人が全員死亡。*
飛行機の型番は DHC8-Q400
墜ちた所はバッファロー

水瓶座は十二支なら丑。丑年のバッファロー(水牛)
この事故が「4」にたたられていることは、誰がみても解る。
「4」と因縁の深い数字は「8」(8凝縮→4爆発)

ところで、
ボンバルディアって何だろうと、スペルをみてビックリ!
Bombardier
何と、「爆撃手」
勝手に、bon val(dez)dia とか bon value diaや bon ball(ad) dia
bon bal(ance)diaのような意味の名前だと思っていた。

天王星は爆発。爆弾は爆発する「卵」でもある。
それにしても、飛行機会社の名前に、
「爆撃手」は、アカンやろう???

*当初、地上の死者1名と併せて49人と報道されていた。錯綜する初期報道には象徴的数や言葉が踊ることが多い。


大崩壊 3

2009年02月13日 | 大転換

情報革命の時代には、物流は裏方になる。

産業革命の物流時代は、好奇心が人々を世界に向かわせた。
遠くの物を手元に取り寄せ、所有や加工をした。
初期には冒険や探検が流行り、末期にはパック旅行で万人が世界中に出かけて行き、車や飛行機で地球の隅々まで走り回っている。
グルメだ富裕層だと、珍しいものにお近づきになろうとする。
徒然草の兼行が田舎者と評した行動を、人類総掛かりでやってきた。

情報革命パラダイムでは、おそらく、人類は意味もなく走り回ることを止めるだろう。(現在の状態がまだ、数十年は続くとしても)
走り回って得られる知識より、居ながらにして得る知識の方が大きく、走り回るには、地球が小さくなり過ぎた。

一方で、体験による認識の重要性も意識されるだろうから、新たな冒険時代が始まるだろう。それは、未開の地でライオン狩りをするようなことではない。宇宙旅行もあるだろうが、世界の人々の対話こそが新たな冒険になる。

袖すり合うも多生の縁
定住時代には異邦人と出会う機会が少なかった。だから、よけいに見知らぬ人に好奇心を持ち、ことに、旅先で出会う人には互いに無防備に知り合おうとした。
自分の生活圏に入ってくる異邦人に警戒心を抱いても、旅先では、互いにテリトリーを持たず、荒らされる心配がないから寛容になる。

近年めっきり減ったが、昔は列車の中で隣り合った者同士、何もしゃべらないでいるのは、むしろ失礼な気がして、座ったとたんに話しかける人もいた。
日本でこれが少なくなったのは、長距離の対座シートが無くなったことや、長時間一緒に乗り合わせていることが無くなったからではないかと思う。
欧米式の個人主義が、「形だけ」普及したこともあるだろう。

昔風の旅先のコミュニケーションが、居ながらにして、可能になれば、感覚的には本当に地球村が生まれる。村の道で出会う人とあいさつをするように誰とでもあいさつをすることになれば、嫌悪感や恐怖感が消える。
今世界中で、外国人に対する排斥が生まれているのは、生活圏を荒らされる警戒感と、異文化に対する違和感と恐怖心だ。
若い人に特に火がつきやすいのは、利害と潔癖性が若い人には大きいからだろう。

もし、互いに同席せず情報だけで知り合うことができれば、第一段階の親近感が生まれる。その上での接触なら、互いに遠慮と寛容が生まれる。
出稼ぎ労働者などに対する排斥は、先ず知り合うというステップがないからだ。出稼ぎ側は「金を稼ぐところ」としか考えないし、受け入れ側は、自分たちと共通の利害を持つ人間とは思えない。
誰でも、見知らぬ人にいきなり抱きつかれたら怒るが、同じ人でも、話し合って解り合えたと思えたなら喜んで抱き合う。

もちろん情報革命の時代は、地産地消が可能になり、出稼ぎ自体が消えるだろうし、そうであってほしい。
出稼ぎ労働は、本質的に、奴隷貿易の変形だからだ。


大崩壊 2

2009年02月12日 | 大転換

これまでの、化石エネルギー、大量生産大量消費、国家主義といった大前提が大崩壊をする。

人・物・金が動いた産業革命250年。情報はその後を付いて歩いていたが、その間も情報は産業に浸透し、ついに、情報が前に出た。

マイクロコンピューターが普及し始めた30年前。
「物理戦争はなくなる」かもしれないと思った。国益を争う物理力が互いに正確に測れるようになれば、戦争はできなくなるからだ。
しかし、その後も戦争は続き、さらに軍拡を進める国もある。

情報で軍事力が測られるなら、よけいに実態を強大にしたくなるのが人情だが、それは、冷戦のように、古い産業革命パラダイムの幻影だ。

国家の崩壊
情報革命の新パラダイムでは、まず、国益の概念が無意味になる。
国家が情報を支配できない社会では、国家は存在できなくなるからだ。
民族や国家は、共有する情報によって共同体意識を持ち利害を共有するが、情報の共有が広がれば、共同体意識は国を超えて拡大する。

現在はまだ、情報によってむしろ、互いに知らなかったものを知った驚きや違和感が、ネットナショナリズムを拡大している段階だが、高度な翻訳システムが生まれれば、次の段階に進むだろう。

もちろん、認識を共有しても、世界が同じ民族になるわけではない。
日本では、多様な民族が2000年掛けて、日本認識を持つに至ったが、情報による地球認識は、この過程を一気に短縮するだろう。

地球連邦への道
多様な国や民族が、言葉や利害を超えて一つの世界意識を持つには、

世界中が同じになれば喧嘩しなくても良い。という考え方がある。
この考え方には、自分と同じようになれば良いという独善がある。また時には、その逆に、何でも迎合すれば良いという。偽善も生まれる。
これは「世界は一家」という、古典的な「家」の発想だ。
儒教的家の発想には、動物的な血族のタテ秩序が根底にある。
東洋の自然観はすばらしいが、人間の文化は自然だけに縛られるものではない。重要なことは自然と人間文化の調和だ。

地域に根ざした文化を保ちつつ、世界が共通の認識を持って生きて行くには、「世界は友達」の、知的秩序、君子の交わりこそが必要だ。
友達は、生まれも育ちも違うものが助け合うことができる。
地域や民族が共存するには、互いの違いを知り、それを認め合う。その為には、先ず、自分に誇りを持ち、その上で自分のあり方を相手に強制しない。同時に、安易な物まねや比較をしない。(これが、こころの「鎖国」だ)

産業革命の大量生産パラダイムは、人間に「画一化」を強制するから、他文化を洗脳しようとする。
「まだ、そんなことをしているんですか!」と言って、新製品を売りつける。それは、終いには利害と文化の大戦争まで行くしかない。

情報が未熟な時代は、洗脳が可能だったが、情報革命は一元的洗脳を不可能にする。情報革命が進展し、多角的な「理解」が進めば、やがて、互いを良く知り合い、その上で尊重し合うことが可能になる。

しかし、人間はそうは簡単にいかない。いかに知的に向上しようとも、生身の体で成っている。欲望が知識を使い、不安が敵意を生む。
そこが次の問題だ。