魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

新生日本 1

2023年09月28日 | 星の流れに

このブログを始めて、18年目になるが、考えに大きな変わりはない。
ここ10年余は、中国のことばかり書いてきたような気がする。やはりそれだけ、中国の時代だったと言うことだろう。
今でも、地中海文明のような大きな意味で、中華文明と中国人を尊敬している。中国の愚行は、一党独裁によるものだが、独裁が成り立つこと自体が、おおらか中国の短所でもある。極めて現実的で大雑把な二者択一と直情(男気)は独裁政治にマッチする。これが未だに古代帝国を引きずる理由だろう。そして、何であれ、それが世界の動きに影響を及ぼし続けている。

新生国の誕生
一方、惑星周期は一貫している。冥王星による中国のピークが終わる時、同時にインドが台頭した。冥王星が惑星であろうがなかろうが、250年周期は動いている。
冥王星が山羊座を通過した10年余の間に、カニ座の中国は辛亥革命からの上昇がピークを打ち、平行して山羊座のインドの歩みが始まった。インドは国名を「バーラト」に変える動きまである。日本で言えば大和のようなものだろう。
「インド」であろうが「バーラト」であろうが、この10年余で新しい国が誕生し、120年の成長を始めた。

同じサイクルで考えると、「新生日本」が生まれたのは、冥王星が天秤座に入った1971年だったが、影響圏と天秤座の天王星を考えれば、「1968~83年頃」だから、70年代になる。250年遡れば江戸中期で、武士道日本のイメージもこの頃に生まれた。したがって、前時代の価値観と新時代が葛藤する明治から第二次大戦後しばらくは、戦国時代と江戸前期のような時代だったことになる。
「新生日本」はそれから紆余曲折の中、実は上昇し続けている。冥王星が牡羊座に達するまでの約半世紀は、まだまだ成長する。様々な試練は成長期に通る道だ。
アメリカも中国もピークで道を失ったが、これから100年、老成し壊乱し再生していく。当然、日本もそうなる。願わくば、その頃までに国の興亡など無意味になっていて欲しいものだが・・・それはまた別のお話、と言うやつだろう。


かくして

2023年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

中国のこのところの動きは、完全に戦争準備だ。
国際的話し合いの場には出て来ず、侵略目標の図面を自国領として掲げ、国内の統制を厳しくする法律を次々と定め、係争地域のトラブルに、物理的行動を起こし、抗議など受け付けない。
もう、「ヤルならやって見ろ!」状態だ。

これをどう捉え、どう対処すべきなのか。世界中のチェンバレン達は見てみないふりをしている。
これは事実上、日本の国際連盟脱退の再来であり、あの時、世界は日本とナチスに対しどう対処すべきだったのか、再び問われている。
露チスは既に戦争を始めている。アジアの新興軍事国家がどう出るか・・・そういう段階だ。

中共は始めから軍事政権だが、軍の力が膨張している時に、外から経済を圧迫することで、却って軍の制御が出来なくなった日本の例もある。
中共は政治風船がパンク直前なのではないか。もし、習近平と軍部のしのぎあいの最中に、外部から圧力を加えてパンクすれば、中から軍が飛び出してくる。
中国の異常な動きは、内部葛藤の喘ぎかもしれない。

中はグダグダのお家騒動
誰がやっても上手く行くような成長期には、政治が劣化する。その結果、習近平のような経済音痴が、権力闘争だけで独裁権力を得て、もともと一党独裁国の全権を握る。
権力が無能無力だと結局、「腕力」が牛耳る。戦前の日本は軍が天皇を隠れ蓑にした。
中国と日本が大きく違うところは、「元首」の位置づけで、日本の場合は一本化されて外に向かったが、中国は不都合な元首は替えられるから、軍と元首と補完勢力との内部葛藤に沈んでいく。

中国の異常な態度に抗議しても始まらない。内部ではそれどころではないかも知れない。抗議するより、黙々と、経済、国防の備えをすることだ。
ただ、中国が国内問題で、苦し紛れに台湾侵攻に走るのには懐疑的だ。中国が戦争を始めるのは、外的危機や、傲慢の極みで、内部葛藤時には外に関心が無くなる。
中国が、常に外敵の内部分裂を画策するのも、それが「謀反を恐れる独裁国家」自身の弱点だからだろう。同様に、アメリカが経済圧力を掛けるのも、民主主義国の弱点である国民感情の変化を期待するからだ。こういう主観的な思惑違いが戦争を生む。

日本に圧力を掛けた1世紀前の失敗に懲りないアメリカは、相変わらずの一つ覚えだが、プーチンを追い込んだバイデン民主党も相変わらずだ。もっとも、共和党だったとしても、野合外交は問題解決にはならない。ただ、当面の戦争は避けられただろう。いずれにしても限界だ。
かくして歴史は動く


海中都市

2023年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

食中毒や腐敗による商品回収など、季節の変わり目の事故が相次いでいる。
こういう風景は、もう少し早かったはずだが、近頃は夏の終わりが遅くなっている。
年々、夏が暑くなり、今年など夏という呼び方はふさわしくない迄に暑くなった。夏は「暑い」が転じたものだと言われているが、「嫌」が転ずればどう呼ぶのだろう。

温暖化で地球が金星のようになるのではないかと懸念されているが、太陽からの距離が違うから、長い目で見ればむしろ、氷河期が始まる可能性の方が高い。何が切っ掛けになるかは解らないが、太陽との距離によるバランスだ。人類は暑さより、寒さの方が耐えられる。
とは言え、当面の数世紀は暑いだろうから、本気で世界的な避暑対策が必要だ。
高層ビルがステータスなのだそうだが、近いうちに海中や地下生活がそうなるだろう。
核シェルターが注目されているが、熱シェルターには現実的なニーズがある。世界では既に大きな核シェルターを備えている国もある。政策として、本気で地中・海中都市を考える時だろうが、何よりも商売人には、海中タウンは巨大なビジネスチャンスだ。


尊住攘夷

2023年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

観光公害と言われるものの多くは、住民の日常生活に支障が起きることだろう。
今や世界観光都市の京都は千年の昔から、よそ者に苦労してきた。それが、当たりの良い冷たさとして、意地悪のレッテルを貼られている。
お金を落とし、文化刺激をもたらす「よそ者」に、受け取る時はニコニコ顔、生活を乱されれば後ろを向いて顔をしかめる。これは、正に今の日本の対応だ。

清朝皇帝に英国がお茶輸入赤字の穴埋めに様々な物を売りつけようとしたら、「そんなものは全て我が国にある」とバカにされ、英国は阿片を持ち込んだ。物事はギブアンドテイク、お互い様でなければ争いになる。
観光であれ貿易であれ、異文化と接触する以上、必ず自らも影響を受ける。その覚悟と寛容さを持たないのであれば、完全にシャットアウトして閉じこもるべきだろう。

ルール破りの観光客に困ると不満を言う前に、「観光客の視点」から考えたことはあるだろうか。様々な観光対策は受け入れる側の視点から行われている。
観光客視点で考えたつもりだろうが、それは、金儲けのためであって、その思惑に引かれて来る観光客には、商品しか見えない。当然、商売人以外の通行人には目が行かないから様々なトラブルが起こる。

住観WINWINの観光
本当に観光客視点で考るなら、富士登山にしても、とにかく来てもらおうの安売りではなく、初めから簡単には入れない神社の本殿と同様に聖域として設定し、五合目より上は、予約による入山申請と審査による許可のある人だけ登れるようにすべきで、初めからそうと決まっていれば、誰も文句は言えない。神社のご神体を見せろと文句を言う観光客はいない。
それをしないで、「富士山がボロボロに・・・」などと、観光客を蔑むのはご都合主義だ。

観光客にとっては、生活文化そのものがテーマパークだから、住民の迷惑など考えない。逆に言えば、住民側もそのつもりになって、備えとルールを解りやすく宣言しておけば良い。見る物は全て観光のためにあると思っている観光客を前提に、見せるものと見せないものをハッキリさせ、客のための専用通路、専用施設を設ければ、生活も守れる。
もちろん、少数の探求派はいるだろうが、そういう人はわきまえている。

京都の例では、住民のためのバス路線が観光客で満員になり、住民が利用できないと問題になっている。実際、乗ろうとして乗れなかったことがあるが、これは市の怠慢だ。
観光客用のバス路線を作っておけば、観光客も住民もWINWINになる。
バスを満員にする観光客の行き先は決まっているのだから、定番の観光ポイント10カ所ほどを直接繋ぐ観光循環路線があれば、観光客に分かりやすく早く着く。一方で、生活路線が混み合うこともない。
アニメ聖地など、思いがけない観光スポットになって困っている地域も、積極的に受け入れるつもりになれば、必ずWINWINの解決策がある。

「有り難いが困る」観光客は、「有り難迷惑」のお節介とは違う。実際に金を落とす経済チャンスなのだから、受け取るならそれなりの努力が必要だ。
そんな努力はしたくない、生活も乱されたくないというのなら、世界文化遺産など全て返上し、観光ビザ免除も取りやめ、当然の事ながら、海外の観光ビザ取得も難しくなるから、海外旅行も止め、「尊住攘夷」の旗の下、準鎖国状態の静かな日本に閉じこもって暮らせば幸せになるだろう。


スポーツ

2023年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、日本に大敗したトルコでは、我々は100年前からサッカーをやっているのに、何で日本なんかに負けるんだ。と怒りが爆発したそうだ。
いや、悔しさは解るが、日本のサッカーは野球と同じ頃から始まっているし、1917年には天皇杯も始まっている。ただ、世界に知られたのは1968年のメキシコオリンピックかも知れない。

30歳ぐらいまでスポーツに全く関心がなかったので、スポーツについて技術的なことは語れないが、スポーツの人間や文化は、他の分野より明確でわかりやすく、常に関心がある。
今は、ラグビーワールドカップが盛り上がっている。Jリーグが生まれるまでは、日本ではラグビーの方が花形だった。ラグビーは旧英仏領を中心に盛んだが、サッカーほどの広がりはない。サッカーはルールが単純で解りやすいことに加え、単純なだけに様々なテクニックを加えやすい。それだけに、文化ウォッチャーとしてはサッカーの方が面白い。卑怯、狡猾、インチキ、暴力、賄賂など、ストレートに国民性が表れる。

Jリーグが出来てもう30年以上になるので、あまりラグビーに関心のない世代も増えていたが、日本でのワールドカップ開催で、一気に関心が高まった。
文化のぶつかり合いのようなサッカーに比べ、公正を目指す欧州型の理想が競技そのものの柱になっており、日本人の価値観にマッチするのだろう。サッカーでは後味の悪い試合があるが、ラグビーにはそれが無い。
また、野球が人気したのも、やはり、英国のクリケットの精神を受け継いだ上、それ以上に、細かいルールの遣り繰りが、日本人を夢中にさせるのだろう。

それにしても、このところ、日本スポーツの世界での活躍はめざましい。
思えば、昭和初期の大戦前夜も、水泳、陸上と、記憶に残る名選手、名勝負があったが、多くの選手が戦死した。やはりスポーツは、平和あってこそのものだとつくづく思う。


後の祭り

2023年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ジャニーズ問題で騒がしいが、何かウンザリだ。騒いでいる当事者も、第三者も、問題の本質を理解せず、口々に、とんでもない、ケシカラン、反省しなければと、核心のない空騒ぎをしている。
欧米の価値観をそのまま問題化するから、言葉だけの「人権」が飛び交う。個人の人権が大前提の欧米の問題を、個人や人権が希薄な東洋で、同じ言葉を使って議論するから、あたかもよく解っているような「論語知らず」の論語談義になってしまう。

初めは「性加害」が飛び交ったが、次には「児童虐待」になり、だんだん、「人権」が中心になってきた。騒ぎの中で、問題の本質を解っている人が指摘することで、言葉が変わってきたのだろうが、騒いでいる人の大半は熱気のコンサート会場で、意味など考えず、一斉に叫ぶ観客だ。

個人の確立した欧米で近年、人権視点から性犯罪が注目されるようになり、相手が同意しない行為が糾弾されるようになった。これは、年齢や性別に関わらず、「人権」そのものを犯すことが問題にされているのだが、東洋では外見とは別の、「人権」が理解されない。
人権を掲げている人たちさえも、逆に、幽体離脱のような現実離れをした主張をする。
西欧の一神教世界の人権は、神の創造した人間に与えられた、神のものである人権だが、神を持たない東洋世界では、個人とは肉体、骨や血だから、霊魂はあっても、神のものである人権が存在しない。
人種差別問題やフェミニズムから、近年のMeToo運動やLGBTなど、何れも、ある意味で西欧の宗教論争であり、神の人権をどう捉えるかの論争だ。

この宗教論争が、八百万の神の日本に来ても根本的に理解不能だから、単純に言葉だけが持ち込まれ、どの問題も、例のごとく熱気だけの空騒ぎになる。
そして、例のごとく、タレントを使う使わないと、臭いものにフタをして終わりになる。
どこまで騒いでも、頭も尻尾もない話でもあるし、被疑者が死んだ後の祭りだから、取りあえず、祭りの櫓は解体して、一人一人新しい祭りを始めたら良いのではと思うのだが・・・まあ、どうでもいい


ウサギ君

2023年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

各上のドイツに快勝の後、格下?41位のトルコにいきなり3点を取った。
ところが、1点を失うとガラリとムードが変わり、後半は防戦一方になった。強化試合なのでメンバーをほとんど入れ替えたチームではあるが、やっぱり、勝ち「過ぎる」と寝てしまう日本ウサギは健在だ。その後、要所を入れ替えると、目が覚めたように走り出し、数字の上では、圧勝した。
日本の実力は確実に上昇している。問題は妙なバランス感覚だ。弱い者、弱そうな者に対する優しさは傲慢であると知り、弱い相手にもちゃんと「勝つ責任」を果たす精神を持ってこそ、真の強者になれる。政治、外交においてもバラマキなど、日本の「良い人」政治は禍根を残してきた。


何たる事

2023年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

日本ドイツに圧勝!
凄い 何たる事
過ぎる」を嫌う日本が、らしくない圧勝をした。
この事態に、日本人も様々な反応を示した。ドイツを心配する声や、各国の反応で「安心」する声。「当然だ!」「どうだ!」と言った反応はほとんど見られない。
日本らしく小さく喜び、「勝って兜の緒を締めよ」的な空気が漂っている。

何でこんなに圧勝してしまったのか!?
これもまた、日本らしい、「強い相手に強く、弱い相手に弱い」のバランス感覚パターンに外れるものではない。
今回、ドイツは120%本気で来た。ワールドカップの日本戦は不運であり、ちょっとした油断に過ぎない、ドイツが日本に負けるわけがない。ドイツ人は、少なくとも監督は、そう思っていたようだ。試合前のインタビューでも「日本は上手な成長をしてきた」と、決して、ドイツより強いという言葉は無かった。それはその通りだが、ドイツにはこの思いが強すぎた。「オレはまだ本気を出してない」もう一度やれば必ず勝てる。
だから、ドイツから対戦オファーを出してきた。

よく、日本人とドイツ人は似ていると言われる。勤勉実直だけではなく、自負心の強さや思い込みも似ているらしい。
日本は状況に応じて態度を変えることができず、ピンチになるほど同じパターンを繰り返す。そして終いには、玉砕、神風と精神突撃をする。
これは、現実より思いを信じ、姿形にこだわるからだ。何か問題が起こると、「なぜだ?」より、「そんなハズがない!」と思う。世の中に「思い」という言葉が飛び交う時は社会や組織が硬直化している時だ。

ドイツの監督は、強いドイツの申し子だ、戦前の勝ちしか知らない軍人や、経済成長で育った習近平と同じで、自分で苦境に立ち向かった経験がない。
ドイツは強い、本気を出せば「日本なんかに」負けるわけがない。ただその思いだけで全力突撃をしかけてきた。
日本は、負けて元々の親善試合と、W杯で得た手応えに加え、本気の相手に本気で臨めるアウェーでの試合と、何も「遠慮」のいらないガチ勝負ができた。
一方ドイツは、勝てるハズだから「勝たねばならない」の思いが空回りし、慎重な現実対応に欠けていた。
結果、日本は「出来過ぎ」た。海外の賞賛に比べ、日本国内ではどう捉えるべきか、やや戸惑い勝ちだ。

日本がかなりの上空に上がってきたのは確かで、ドーハを「悲劇」と言っていた頃のレベルではなくなってきているが、「相手なりに戦う」体質は相変わらずだ。これからは、格下にも着実に勝てる質実剛健の精神スタイルを築いていくことこそが課題だろう。そして、大関になっても決して横綱になってはいけない。引退しかできなくなる。


中華域内

2023年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

日本に好意的な中国人は、日本も一緒にアジアの発展に協力して欲しいと言う。
一見、友好的に聞こえるが、習近平が「朝鮮半島はもともと中国の一部」と言ったことや、軍幹部が「太平洋を米国と二分しよう」と言ったことと同じ感覚だ。
中国のアジアとは中華圏のことであり、中華文明の影響を受けた国は全て中華として、中国の一部であると考えている、実に中国らしい「大らかな?」考えだ。
似たような考えは、大東亜共栄圏や八紘一宇で、戦前の乱暴な思想が本家の中国で大きく花開いている。

南シナ海の九段線を十段線に広げ、東シナ海も全て自国領と宣言する。今の中国人のコンセンサスは、日本も対等に交渉する他国ではなく、本来、中華覇権の一部である朝貢国の一つで、どんなに発展していても、中国本土から飛び散った島々に過ぎないと考えている。実際、中国から東を見るとそう見える。中国人が中国という時には、心の底から中国は世界の中心だから中国なのだと、誇りを持って言う。
この考えをどう批判しようが、彼らの思考はそうであり、直しようがない。
したがって、中国と話をする時には、守るも攻めるも、この視点を前提に対峙、説得しなければ、力の決着しか残らない。

自分こそが長であると考える古代帝国のタテ思考にすれば、周辺の目下国はアメとムチで懐柔できるのだ。にもかかわらず、他の「帝国」が自国領域に侵入してきて邪魔していると考え、ロシアはウクライナを「躾」しようとし、中国は「域外」の国は介入するなと明確な「領域」を掲げて「警告」する。口には出さないが、日本も当然、中華の域内だと信じている。
日本がこれを否定するのなら、事なかれは通用しない。かと言って、敵対姿勢は中華のプライドを傷つけ、ロシアのように意地になる。

中国の「域内」ではないと解ってもらうためには、西太平洋に面する国が、一つの国、一つの連邦国家のように、明確に塊としてまとまるしかない。中国人が同じ中華圏と思っているなら、卵の黄身と白身の違いを明確にする必要がある。
中国が個々のアジア諸国を懐柔しようとしても、窓口が一つになれば、切り崩せない。

一方でアメリカも、アジアの島国のことなど、駆け引き材料としてしか見ていないが、島国が一つになれば、むしろ、欧州のように付き合える相手になる。
今のように、中国が本性を現してくれるのはまたとないチャンスだ。アジアの海洋国がアメリカとは独立したビジョンで、EUのように西太平洋連合としてまとまれば、中国に「域内」扱いされることもなく、アメリカにも付き合える相手になる。

直ぐにでも、EUのような西太平洋連合が出来れば良いが、中国火事がそこまで迫っている今、もっと明確な西太平洋条約機構WPTO(West Pacific Treaty Organization)を緊急にまとめるべきかもしれない。これは正に「対立を煽る」行為だが、中露の態度を見る限り、もはや、遠慮している場合ではなさそうだ。
しかし、最も良いのは、何もしないことだ。これは、寝ているのではなく、何を考えているのか解らない無反応で、着々と手の内を固めることだ。何を脅されようが、禁輸されようが、全く無反応のまま、堪えない体力を備え、小出しの痴漢行為には、黙って指をへし折って、相変わらず無表情でいればいい。痴漢は叫べない。


学力過多

2023年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

プロパガンダ、フェークニュース、ステルスマーケティング、コンテンツ、データ、ファクト、エビデンス、バイアス、メディアリテラシー・・・
日本は韓国のように漢字を止めたわけではないが、こんな単語を見続けていると、中国からの「認知戦」に、易々と洗脳されそうな気がする。
認知戦、撹乱、洗脳は中国からだけでもない。何一つ嘘のないニュースも、捉え方一つ、語り方一つで真逆の認識になる。
ネット世界の喧しい情報の中で考えていると、いつか、「われを失う」

近頃は、陰謀論にハマる人が問題になっているが、これに顔をしかめる人も、遠目で見れば、両者とも大して変わりない。
格差、分断と、世界は対立する情況ばかりだ。
中国の核汚染水と日本の処理水はどちらが正しいか。アメリカのトランプ嫌いとトランプ信者はどちらが正しいか。ゼレンスキーの政治とプーチンの政治はどちらが正しいか・・・こんなことを、
「解りきっているじゃないか」と即答する人は、かなり危険な世界にいる。
そして、世の中の多くの著名人や評論家も同じ船に乗っている。

日本が戦争に敗れた後、「一億総懺悔」と言われるほど、多くの知識人が反省した。
みな日本の中で考えていたからだ。一方的な情報に善意が加わると、自分や周りを「悪者」の立場、相手の目で客観視することができなくなる。
相当な知識人であっても無意識に、他人に非難されない考えを選び、楽な判断をする。戦争に敗れ「王様は裸だ」と言われて、初めて眠っていた別の選択肢を思い出し「懺悔」となったが、これもまた他人の船だ。

今また、全てを反対する野党も、与党は間違っている前提で、正誤は関係ない。立場だけで判断し、反対側の意見なら全て誤りと攻撃する。それが「野党の一つ覚え」であり、戦時下の国民と同じオカルト信者のような思考だから説得力がない。
人を説得する営業トークは、「おっしゃる通り!」「そうですねえ」と、先ず相手を肯定することから始めるのが定石だ。相手を安心させ、相手の認識に合わせて、違う話に持って行く。
他人の認識を変えるには、相手のルール、相手の視野から、景色の見方を変えていかなければ、話そのものが成り立たない。

分断のワケ
なぜ、現代世界はいわゆる「分断」社会になったのか。一言で言えば、学校教育の弊害だろう。
識字率が上がり、本や先生、文字に書かれていることを疑わない習慣が身につき、先生のように語りかけてくる画面を信じる脳になっている。
学校以前は、生活の皮膚感、それを集約した長老・古老の意見に頼って生きていたが、個々が情報を理解するための学校教育で、皮膚感や経験知によらない認識、判断を持つようになった。
知識と合理性で理解する能力は、仕事や社会への適合力に優れるが、曖昧なものや、答の無いものを認識できない。昔のSFのコンピュータのように、矛盾するデータを受け付けない。

高学歴化した現代人は、情報を合理的に説明されると疑わない。
不可解な情報には、先ず「ファクトは、エビデンスは」と、データの確かさを求める。それしか理解方法を知らないからだ。しかし、情報が確かでも隠れた情報もあり、視点が変われば異なる事実もある。
真実を求める研究者は、不明な事実を認識しているが、一般人は学校で習ったように情報を利用し、信じる。見識を自負する慎重な人も、確かと「言われる」情報源のファクトやエビデンスなら間単に信じる。

経験知と合理性
昔の人間と、高学歴社会の現代人の何が違うかと言えば、経験知か合理性かで、昔の人間は自分で積み上げた「思考軸」に照らして判断したが、現代人はそれを不合理で情緒的と排除し、正確な知識に基づく合理的な答こそ正しいと信じている。
確かに、個人の経験知はバラバラで科学的普遍性が無い。だから、皆の経験知から賢人を選び出しその人に従った。
一方、現代人は、科学的な「知識」を合理的に組み合わせて、個々が判断する。それを最も上手く出来るのが受験選抜のエリートで、コンピュータのように優秀な処理能力を発揮するが、ほとんどが経験知による「思考軸」を持っていない。 

それでも、優秀な人たちだから、智の経験知を持つ人も少なくないが、多くの教化された現代人は、合理的に見える「受付可能な情報」なら、何でも受入れて処理してしまう。それが、一つの論理にハマる、オカルトや陰謀論、様々な運動や個人崇拝を生み、分断の原因になっている。
NHKによると陰謀論にハマる世代は40代以上に多く、20代は少ない。この違いは受験戦争世代と、ゆとり世代に当たるから、教化度合いに比例する。学力に問題があると言われるゆとり世代は、より「経験知」が育まれているのではなかろうか。

P.S.
丁度これを上げた翌9月9日。現代ビジネスで、後藤宗明という人が「日本人に圧倒的に足りない能力」として、ほぼ同じ事を上げていた。
「勉強の得意なアカデミックスマートと、生きるための経験の知恵=ストリートスマート」で、
ストリートスマートとは、次のようなこととしていたが、案の定、ネット読者には「低く評価」されていた。
・人に溶け込む力
・周囲に対する観察力
・状況を理解する判断力
・トラブルを回避する力
・生きていくための知恵


大戦前夜

2023年09月05日 | 星の流れに

8月24日、日本が処理水を放出し、中国はヒステリー状態だ。
火星は乙女座28゜から27日に天秤座に入った(10/12迄)。
火星が入った天秤座の日本は過激になる。天秤座が、家や国境の第4室に当たるカニ座の中国は、国内情勢や近隣外交で苦しんでいる。運は、ほぼ自分に原因がある。運が悪い時とは、自分が上手く対応できない時のことを言う。日本も中国も自分で問題を起こしているようなものだ。

とは言え、結果としての禍福は粛々と去来する。
第二次世界大戦前夜を再現している天王星は、8月29日牡牛座の23゜で逆行を始めた。続けて木星も、9月4日牡牛座15゜で逆行を始めた。しばらく生存競争のエネルギーが影を潜める。
次の星座の気配が見え始めるのは23゜で、今まさに、天王星双子座の影響が見えかけて消えた。天王星が双子座に移ると、アメリカが興奮し、教育・情報の分野に画期的な変革が起きる。前回は、米国のミッドウェーからの反転攻勢、レーダーの実用化などがあったが、おそらく今回も、似たような発明や反転が起こるだろう。

木星が天秤座に来た時、日本は敗戦した。と言うことは、敗戦は解放でもあったことになる。
2024年夏以降、天王星が双子座の影響圏に入り、2025年夏に双子座入りする。同時にカニ座入りする木星は、中国を「解放」する。どういうプロセスかは、内外二通り考えられるが、とにかく「解放」される。日本にとっては重荷でもあるが名誉でもある。
良いプロセスを望みたいが、楽な出産はない。
願わくば、前回に核時代を生み出したアメリカが、核時代を終わらせる、核無力化の発明をしてほしいものだ。
これは、日本でも良い。おそらく「核を無力化するのは電子技術」だろう。
毒は毒をもって制するのが王道で、気持ちは分かるが、残念ながら「銃を一緒に捨てるから、お前から捨てろ」と言うような核兵器禁止条約は空念仏だ。
人間はそれほど聖人君子でもないし、賢くもない。


風の音に

2023年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

秋きぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

昔、北極圏に近い北欧の街で、夏の8月30日に雨が降り始めると、強い風雨で木の葉が一斉に散り、3日目には雪が降ったのには驚いた。
日本は四季のある国と言われるが、それがどれほど特別なことか、日本にいると解らない。絶好の緯度で海に囲まれ、急激な寒暖変化から守られることで、春秋が長く保たれ、世界でも希な環境に暮らしてきた。これが、日本の特殊性であり、独特の文化を育んだ。様々な波乱はあったにせよ、ジパングはやはり、蓬莱の島だった。

ところが今、温暖化による海水温の上昇で、いつの間にか日本列島は南の島になりつつある。
いわゆるゲリラ豪雨と呼ばれる集中豪雨や線状降水帯は、新しい日本のスコールやスコールラインであり、日本列島の目前で発生する台風は、もはや日本が南海列島であることを物語っている。
春は春分よりも早く桜が咲き、新学期は夏日で始まり、夏は殺人的な高温に耐えねばならない。
インドでは50度で死者が・・・と言ったニュースを聞くと、まだ耐えることは出来るだろうとは思うが、日本の四季は無くなる。まもなく桜も咲かない国になる。

ニューフロンティア
遠い昔、インド人は北の国から来たらしい。一方、モンゴリアンは南から上がって来たという。何で今の日本人がここにいるかは知らないが、多少の気候の変動なら、人類は生き抜ける。問題はどう生きるかだ。
フンドシの起源は定かではないが、南方発祥ではないかと思われる。基本的にモンゴリアンのアイテムだ。
暑さと水に囲まれて暮らす時、身体を守る最低限の覆いとしてフンドシは合理的だ。おそらく布の無かった時代から木皮などが使われていたのだろう。今でも木筒をキャップにする民族もいる。

現在の世界のファッションは北方のものであり、熱帯化時代にはそぐわない。それでも文化というものは面白いもので、北から来たインド人は、あんなに暑い国なのに、何とか布をまとおうとし、南の島のように潔い「裸ファッション」ではない。フンドシは取り入れたようだが。
今後、世界はますます暑くなる。人類はどう対処するのか知らないが、脱炭素で止められるような段階は、事実上とっくに過ぎている。今後は人類が適応するしかない。
寒さに耐える文化も身体も、暑さに耐えるために逆転させなければならない。

冷暖房エネルギーを減らすため、人類は何れ温度変化の大きい地上の暮らしから、地下か海中に潜るだろうが、その前に今すぐにでも、戸別冷暖房を止め、地下か海中に大型の熱交換パイプを通し、地域単位の温度調整に利用すべきだろう。少なくとも、それ自体を街広場ととらえるほどの規模で、公共の「耐寒耐暑避難所」は必要だ。
食料生産は高緯度に移動すると同時に、人工栽培や養殖、培養を中心にする。
あらゆる生産は、処理方法から考え、処理効率の悪いものは初めから生産しない。これは切実な現実問題として既に進んでいる。もう、妄想ではない。

秋きぬと目にはさやかに・・・見えぬまま
今年の秋はあるだろうか。


大きい事 2

2023年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の「大きければ良い」は、人類の素朴な価値観だ。
多くの動物は環境に恵まれ繁栄すれば、どんどん大きくなる。野生では大きいものが強く、生き残りに有利だからだ。
たいていの動物は、同種で争う前に大きさ比べをする。大きさに差がなければ力比べになる。また、草食動物など闘争に向いていなければ、身体を大きくして身を守る。
だから、発想が原始的であるほど、「大」は正義になる。

中国人が大を好むこと、欧米人の「ハンデ」やクラス別けの発想は、大きければ強いのが当たり前と考える、原始的で、素朴な発想に基づいている。
ところが、おそらく唯一、日本人は小さなものの価値に着目する。相撲も、小兵が勝てば大喝采が起きるし、柔道も小が大を倒す技が重視される。一寸法師やかぐや姫、こぶとり爺さんの小人や、大国主命の国づくりを助けた少名毘古那(すくなびこな)など、小さいものが極めて有能、有意義として語られる。アイヌのコロボックルなども、同じ精神的ルーツがあるのだろう。
中国を含め世界にも小人の話はあるが、日本ほどの主役ではない。

日本人は海外との交流がある動乱期には体格が大きくなるが、江戸のような安定期には小さくなる。これは島嶼化だろうが、この時、逆に精神性は拡大する。
人類は既に100億人に近づいている。少子化を心配するのは、富裕を先取りした先進国の返済問題であって、地球は飽和状態だ。
それでも先進国は豊食とゆとりで体格が大きくなり、それを良しとしている。しかし、地球は小さな島国同様になりつつある。化石燃料だけの問題ではなく、あらゆる資源が枯渇し始めている。これから宇宙に資源を求めるにせよ、人間は島嶼化しもっと縮まなければならない。

仮に人間の身長が現在の半分になったら、ほとんどの資源が倍使える。
食料は言うに及ばず、靴一つ、衣服一つ取っても、半分のサイズで済むし、宇宙に行くにも半分のエネルギーで行けることになる。
どこまで人間が小さくなれるかは分からないが、1メートルぐらいの人骨が見つかっているし、それで知能が半分だったとは考えられない。
今後は遺伝子操作で、少なくとも日本猿ぐらいまでは小型化できるかも知れない。問題は、「大きいことは良いことだ」の文化、価値観をどう変えるかだが、その時こそ、小さな島国で培った日本文化が人類の王道になるだろう。
世界に広げよう、「小さな事は良いことだ」