魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

無責任

2011年03月31日 | 自動車人間学

東電の清水正孝社長が入院した。また、シャーシだ。
自動車人間「シャーシ」は、過剰に責任を感じるが、責任の取り方が間違っている。
責任をとるとは、腹を切ることではない。死力を尽くして対応、対処することであり、その過程で死ぬ事をも顧みないことだ。

シャーシは自意識過剰のため、問題が起これば、問題を直視するのではなく、自分を見つめる。だから、自分の身体をどうにかする。
辞職したり、自殺したり、病気になったりする。

シャーシの有名人と言えば、
西郷隆盛は武士だから切腹したが、最近の政治家を見ると
偽メールの永田寿康も、元農水相の松岡利勝も自殺。
前原誠司外相は即座に辞任。安倍晋三総理は病気入院。
そして今回は、清水正孝東電社長が、事故が発生した時から病気で、ついに一度も謝罪することなく、入院した。

一連の経過の謝罪には、老いた会長が出てきて対応した。
清水社長はこれまで、あたかも敏腕経営者のように、あちこちに顔を出し、さんざん、もっともらしいことを並べてきた。
事故にまともな対応ができないのみならず、謝罪さえもできない。

上記の政治家達も、威勢は良いが、一度も謝ったことがない。
行き詰まれば、投げ出して、腹を切るか、病気になる。
そのことによって、西郷隆盛のように名誉を守った人もいたが、
持ち場を放棄して逃げるのは、自分がいかに責任を感じても、客観的には卑怯であり、無責任になる。
実は西郷隆盛も、好意的に色々と解釈されているが、決して責任感のある「熟慮」から出た行動とは言えないのではなかろうか。

清水正孝東電社長は、せめて、謝罪だけでも顔を出すべきではないのか、もし、会見中に心臓発作で死ぬようなことがあれば、少しでもシャーシ流の責任を取ったことになるだろう。
自ら現場に出向いて、放射能を浴びながら制御したならもっと良い。

そうでない以上。卑怯、無責任の叱責を逃れることはできない。

P.S.
清水社長は、13日に一度謝ったらしい。見落としていた。ただし、この段階では、まだ深刻さを認識していなかったようだ。


アマテラス(1)

2011年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

過去数十年。世界が脱原発に向かう中、なぜ日本は原発だけに頼ってきたのか。
冷静に客観的に考えれば、どこにも、安全の保証がないにもかかわらず、チェルノブイリ後でも、反原発の声は広がらなかった。
これはただ、高橋英樹の説得力だけが理由ではないだろう。

日本人は、原発を神聖視しているのではなかろうか。
日本は世界で唯一、原子力の被害者になった国民であり、原子力の超パワーに対して、潜在的な畏れを植え付けられてしまった。

神と悪魔は、絶対パワーの表裏一体の存在だ。
日本人にとって、日本を征服した原子力が、悪魔では、あまりにも惨め過ぎる。しかし、原子力が平和利用にも使えるのであれば、むしろ、それを神として信じたい。

そんな強いコンプレックスのあった戦後、
>東海村原子力発電所< と言う響きは、まるで、新しい神が降臨したかのように聞こえた。
原爆の闇と、原発の光は、日本人には「スサノオとアマテラス」の姉弟のように受け止められたのではないだろうか。
以来、日本で原発は神聖化されることになった。

もし原発で問題が起こるのなら、それは「神のご機嫌を損ねた」のであって、決して、神性が損なわれたのではない。そう信じたい気持ちがあったのではなかろうか。
だから、海外の潮流が、脱原発に流れている時でも、
高橋英樹の祝詞一つで、納得してしまった。

今でも、日本人の気持ちの中では、「神様を信じて機嫌を取りさえすれば、必ず、この世を照らしてくださる」という、強い信仰がどこかにあって、今更、神様を裏切って、違う神に帰依などしたくないという思いがあるのではなかろうか。

だから、二度も大きな被害に遭いながら、
これだけのクリーン技術を持ちながら、
いまだに、エネルギー政策変更の大合唱が起こらない。


引っ込め

2011年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

アホー・レンホー・ホーレンソー >・)

消費者庁長官
「2位じゃダメなんでしょうか?」は、本当に解らないから聞いたんだろうと、大目に見ていたが、節電対策に、「サマータイム導入」と言いだしたからには、もう、見過ごすわけにはいかない。

サマータイム、反対!」で書いたように、日本人の感性には、決して馴染まない愚行だ。

電力不足解消のために、あらゆる対策や工夫*をしなければならないが、「サマータイム」は愚策だ。
様々な対策をしようにも、その基準となる時間を動かせば、二乗の混乱が発生する。

板の上で、ボールを並べ替えようとしているときに、「この方が動かし安いでしょ」と、その板の下に車輪を付けるようなものだ。
それぞれの立場の人が、様々なことを考慮して、所定の位置から「作業手順」を動かそうとしているときに、無神経なお手伝いは迷惑だ。

「よけいなことをするなッ

平時で、送電に支障のない時なら、効率化に役立つかも知れないが、問題があるから操業時間を変えようとしているのではないか。

射手座の悪い癖、オッチョコチョイが、モロ出しだ。
ちょっと聞きかじったら、熟慮することなく、一気に突撃する。
射手座は詩人であり、思想家であり、スターでもある。仮想空間では面白い人だが、現実処理には、いたって困った存在だ。

いい人ですよ、いい人だとは知っていますが、
謹んで、言わせて貰います

「バカヤロー、大人しく引っ込んでろ」


節電対策は無限にある。
例えば、娯楽番組は明け方にする
一人暮らしや年寄りのために、集団で冷房避暑できる施設を開放する。(この方法は実際、昨年の猛暑で、生活困窮者のために関西の自治体で行われた)一人乗り自動車と同じで、各戸冷房はムダ。
また、電力不足の一因になった、オール電化家庭は、太陽電池ルーフでないなら強制設置でも良いと思う。


陸奥常陸

2011年03月28日 | 日記・エッセイ・コラム

大津波に見まわれた地域は、1000年前にも見まわれていた。
いずれの集落も、様々な歴史を重ねながら、1000年以上も営みを続けてきた。
その間、幾たびも津波に見舞われながらも、集落は同じ場所にあった。

津波学者や地質学者が、異口同音に、
「復興の町作りには、子孫のことを考えて、高台に再建して欲しい」
と言っていた。

住んでいた人には、歴史や愛着もあるだろうが、豊富な知識のある現代なのだから、もうこれ以上、危険な土地に住まいを再建しないで欲しい。切にそう願う。

危険な平地は、農地や工場など、再建可能な用途にして、生活の場は高台に移せないものだろうか。
そうすれば、あえて、防潮堤などつくらなくても、最低限、命と文化は守られるし、経済機能もいいはずだ。

こんなひどい大災害なのだから、東北一丸になって、日本最先端の、機能的な「国」を、一から築いて欲しい。

復旧ではなく、興域、興国をして欲しい。

原日本の故郷、人も景色も美しい東北・・・この先は涙が出る


脱出装置

2011年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

始めて旅客機に乗ったとき、パラシュートが付いてないことを不思議に思ったことはないだろうか。

パラシュートは、飛行機に非常事態が起こった時のためにある・・・そう思っているのに、飛行機にパラシュートが無いと言うことは、最後の非常手段が無いと言うことだ。

飛行機会社にすれば、「お客様を、そんな危険な目に遭わせるようなことは”あってはならないこと”ですから、万全の対策をこうじております」と言うかも知れない。
乗る側は、何となく「そんなに安全なんですかあ♪」と信頼して乗っている。

確かに、自動車の事故率より遙かに少ないかも知れないが、一年に何回か、世界のどこかで、少なからず死者が出ている。
今でも、飛行機に乗るのは「ギャンブル」だ。

パラシュートのない旅客機に、一度乗れば、一蓮托生、いざというときは、みな、行き先変更のパックツアーだ。
客は飛行機会社に「非常脱出装置のない飛行機なんか乗らない」と、言えば良さそうなものだが、そんなことを言えば無知な野蛮人と思われそうで、誰も言い出さず、飛行機会社の言いなりになっている。

中には少しでも安全なファーストで、と思う人もいるようだが、死ぬ時はファーストも貨物も同じ事だ。(案外、エコノミーの最後尾などが助かっている)

システム社会、システム災害
産業革命パラダイムの現代人、殊に日本人は、システム社会で暮らし、自分が勝手に判断するより、システムに従う方が安全だと思っている。そして、システムに従わない人間を日頃から駆除する。
「空気が読めない」「前例無視」「傲慢」「非常識」・・・
こうして、閉塞社会を生み出した。

その閉塞システムを全部ひっくり返したのが、この大災害だ。
1000年の大津波が、想定の防潮堤を乗り越え、想定の避難所を押しつぶし、想定の原子炉安全装置を根こそぎ破壊した。
大津波から助かったのは、指定避難所を見限って、自分の判断力(=人間力)で逃げた人達だった。

想定外のことは起こるのだ。
日本人は、素直に正直に、飛行機会社を信頼して、日本ジャンボに乗っている。飛行機がダッチロールを始めても、慌てず騒がず、シートベルトをして座っている。その冷静な自制心が世界中から賞賛されている。
機長は、飛行場に帰る事だけを考えて懸命に操縦している。海上に不時着する事は考えていない。そうしているうちにも、次々と悲観的な情報が入ってくるが、今更騒いでも仕方がない乗客は、歯を食いしばって耐えている。

でも、もし、無事生還できたら、孫、子の代まで言い伝えよう、
非常脱出装置のない飛行機には乗るな・・・ と

「脱化石、脱原発で、真のクリーンエネルギーを~!」

今回見舞われている惨状は、「確率外の、やむを得ない結果」と言って済む問題なのか。
システム社会より、ソフト社会。知恵が生きる人間力社会をつくろう。


発電列島

2011年03月26日 | 日記・エッセイ・コラム

東電の原発事故は、100歩譲って、自然災害を考慮するとしても、
復旧作業員の被爆は「完全に人災」だ。

この被爆事故によって、原発事故そのものが「完全に人災」であることが証明された。
敬虔な「設計思想」も、基本的な「管理思想」もない。
こんな連中に「核」をゆだねてきたのだ。 背筋が寒くなる

昔知っていた東電の人々はみな、家庭的で穏やかな「いい人」達だった。今も変わっていないと思う。
東電だけではない。電気会社のような、独占企業の人々は、金持ち喧嘩せずの、仏さんのような人々だ。つまり、極楽トンボなのだ。
そして、その結果のFUKUSIHMA50には、複雑な心境になる。

日本のシステム社会を支えてきた、官公と大企業こそが、大転換の時代に、日本の大きな足かせになっている。
そして今、その足かせを、天災がさらけ出した。
もはや、足かせを復活させてはいけない。いけないのだが・・・

原発も石油も無い島に
日本の石油は100%輸入であり、原子力は自然界には存在しないエネルギーだ。
日本のすごさは、こんな「無理」で、世界の上位まで経済発展したことだろう。しかし、石油利用も原子力利用も、サルのマネだ。

100年後の世界には、石油も原発も無い。原発は核融合等に変わるかも知れないが、とにかく、現在のような「デキ損ないの原発」は確実に消える。

ネットの片隅で飽きず叫ぶ
「脱化石、脱原発で、真のクリーンエネルギーを~!」

前世紀エネルギーを、今すぐ止めることはできないが、次世代エネルギーに大きく梶を切ることはできるハズだ。

次世代エネルギーは、太陽電池や風力発電だけではない。
先ず、今までの集約型「発電所」の発想を、改める事から始まる。

マイクロ発電のように、電気は至る所で作れる。
ミニ水車やミニ風車、ミニ太陽熱、ミニ地熱・・・もちろん各戸の太陽電池から、地域の生ゴミバイオ発電まで、
あらゆる可能性をかき集めて、ハイブリッドシティーを構成する。

もちろん集約型も様々に転換できる。太陽熱発電から、潮位や波力発電、地熱発電、非食物系のバイオ発電もある。宇宙発電だって・・・

こうしたものを日本全域に展開すれば、原発は要らなくなるし、今のような停電の心配もしなくていい。

しかも、この為の技術革新は、産業を担う太い柱になるはずだ。


伝言ゲーム

2011年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

原発事故情報を各方面の専門家が説明してくれるのだが、イライラする。
原子力安全・保安院のカメムシみたいな人は、顔のインパクトがきつすぎるせいか、言ってることが、とんと分からない。
カメムシは失礼だから、カメレオン・・・いや、それも失礼だから、中国・江沢民の孫のような人???

どの専門家も、素人に説明したことなど無いのだろう。
本人も、『解ってもらえないだろな~』と思っているから、どうでも良いことまでくどくど話す。
それでも数値は正確にと思うから、いきなり、ワケの解らないインパクトのある数値や数字を並べまくるから、素人は、理解する前に恐怖の金縛りになる。

O型は「ごちゃごちゃ言うより、要するにどないやねん!」と思うし
A型は「え、何々、もっと詳しく、詳しく」と数値にとりつかれてしまう。
B型は「まあー、大したこと無いんじゃないか」と、聞く気を失う。

復旧作業は頑張っていることを信じるとしても、発表するのはCMのプロを雇った方がいい。
原発推進に、高橋英樹を雇って「現状では原発が最善の選択です」と信じ込ませた手腕を使って、今こそ
「大丈夫ですよ~、どうってことないんですよ~」
と、イイ感じで、発表すべきではないのか。CMのプロならタブラかしの達人だ。
その点、宣伝大臣を置いたヒトラーは、やっぱり天才だ。

テコの原理
海外では日本が情報を隠蔽していると思っている。過去の日本の伝統的隠蔽体質から見れば、やむを得ないかも知れないが、
今回の場合は、むしろ、彼らが思い込んでいる「重大事態」を裏付ける情報が得られないことに、イラだっているようだ。

元々、パニクッた取材陣が不確かな情報を世界に伝え、世界中がさらにパニックになった。しかし、そんな惨状の日本にしては、発表する情報が一致しないじゃないかと、自国のメディアを疑わずに、日本を疑っている。

日本人は生の日本語で聞いているし、教養レベルも高いから、それほどのパニックにはならないとしても、海外は疑心暗鬼になる。

小さな情報が、テコの原理で、地球の裏側では地球を吹き飛ばすぐらいのニュースになって伝わっている。
IAEAの独自調査で、多少沈静化したようだが、事務局長が日本人だから、まだ信じないだろう。自国の利益ばかり考えて批判されている国連事務総長の例もあるからだ。
それより何より、IAEA自体が核保有国の免罪符臭い。

あまり騒ぐようなら、大量殺戮兵器でもないのだから、この際、米ロ中英仏に視察でも査察でもさせたら、納得するのではなかろうか。印パやイスラエル北朝鮮も呼べば、なお賑やかで面白い。


自粛亡国

2011年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

日本中がまた、「自粛」に、萎縮しているが、本当に被災者のことを思うなら、被災してない地域が元気になって、日本全体を活性化しなければならない。

買い占めに走る人々もエゴだが、自粛する人々もエゴであることに気づくべきだ。自分が他人からどう思われるかだけを考えている。
そして、実際に、少しでも目立ったことをしていると、「不謹慎だ」と、憂さ晴らしに攻撃する人がいる。

被災地だけではなく、日本中が悲嘆に暮れている今こそ、動ける人間はガンバらなければならない。
ガンバルと言うとすぐ、ボランティアとか募金とか考えるが、頼まれもしないボランティアは、被災地には迷惑だ。
専門家でもない素人が、直接何かできると思うのは自惚れだ。

家族でも国でも、非常時に重要なことは、先ず、一人一人が自分に責任を持ち、他の人を安心させることだ。
そして、より元気になって、余力を他の人に回せばいい。
看病疲れで、病気になったり死んだりしては、何倍も迷惑だ。

日本は今、原発問題で、海外に大げさな情報が流され、その上、自粛で街の灯が消え、海外では「日本は死んだ」と思われている。
日本全体が、風評被害にあっているのだ。
これは経済的な大損失であり、本当に、立ち直れなくなる。

歌えや踊れ
三方原の合戦に大敗した家康は、城に逃げ帰ると、城門を開け放し、かがり火を焚いて、余裕を装って、敵の追い打ちを防いだ。

今、被災してない日本人は、「自粛」などと、下を向いて、「敵」につけ込まれてはいけない。何時でも打って出るぐらいの気力を見せなければならない時だ。それが、ガンバルと言うことだ。
(敵とは、もちろん、マネーや経済競争国)

特に関西は、こんな時こそ元気になって、東日本だけでなく、日本を救わなければならない。「東京には負けん」などと僻んでいる場合ではない。本気が試されているのだ。
幸か不幸か、東西の電力事情は違う。自粛節電などしてはいけない。
逆に、電力の足りない東京でのナイターは非常識だ。

関東大震災後も、大阪が日本を支えた。明治以降、大阪が最も栄えた時代でもあった。

とにかく今、西日本にできることは、心に哀悼を抱きながらも、
東日本の補完のために、商工業だけでなく、関西の笑いを以て、精一杯元気になることだ。

いま再びの「わらわし隊」


土壇場

2011年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

自動車人間学で、「乱世、土壇場」に強いのはハンドルだ。
政治家2

エンジン中心の菅政権に必要なのは、ハンドルなので、ハンドルの枝野幸男が外れた時、まずいなと思ったら、今年に入って返り咲き、少し安心したとたん、いきなり、この「土壇場」に追い込まれた。

土壇場の状況で、枝野官房長官一人が、大活躍している。一方で、菅総理のリーダーシップが疑問視されている。

エンジンの菅総理の問題は、大局観を失うことだ。
エンジンは、問題にいちいち自分が直接対処しようとして、優先順位が分からなくなってしまう。
おそらく菅総理は今、次々と現れる問題の山に埋もれて、獅子奮迅、満身創痍の大奮闘をしながら、ほぼ、潰れかかっているのではなかろうか。

総理という立場は、運転手でなければならない。
自動車から降りて、自分で押しながらハンドルを裁こうとしたのでは、5mも動けない。

では、枝野が総理になれば良いかというと、そうも行かない。ハンドルは「軍師」であって、大将ではない。ワンポイントリリーフなら戦えるが、長期続けると、ブッシュや金正日のようになってしまう。

総理には、ボディーのような人事の達人が良いが、豆鉄砲を喰らったようなボディーでは困りものだ。吉田茂や田中角栄のような苦労人のボディーは、今の政治家には、いそうもない。

政府以外の与野党議員は、放置されてすることがないと、ぼやくばかりだが、それぞれの立場で、自ら進んですることはあるはずだ。
結局の所、官僚情報がなければ仕事ができないと思っていることが、国士ではなく、政治屋に過ぎないことを表している。
こんな連中は、乱世には、もう要らない。大幅削減だ。


反撃復興

2011年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

物理学者であるドイツのメルケル首相は、
「高度な技術力の日本でさえ、原発トラブルは避けられなかった」と、原発推進に疑問を呈した。
海外では、「日本の原発事故を止められるのは、日本だけだ」と言う論調だ。だから、よけいに、モタつく原発対応に、日本政府への不満が見られる。

日本以外の国では、日本の大災害に同情し、何とか協力したいと思っているが、深層の本音は「自分の所でなくて良かった」と思っている。
つまり、余裕があるから同情できるわけだが、原発に関しては直接自分の問題だ。

放射性物質の飛散や、汚染輸入品の恐れ。さらに、自国の原発不安は、「今そこにある危機」だ。
危機に際して、平静に対処する日本人に驚く人々は、当然、自分たちの危機には平静でいられない。

日本の原発動向に、狂乱せんばかりに過剰反応して、日本への不安・不満を叫び立て、自国のようにパニックっている。
(つまり、やっぱり、震災は異国のことだ)

見切り時
再度、原発に流れようとしていた世界の潮流を、最も熱心な原発推進国、日本自身が「まった」をかけた。

ドイツが真っ先に原発推進に異議を唱えたのは、それだけの裏付けがある。ドイツは非原発エネルギーに熱心に取り組んできたからだ。
ここで、原発の流れが完全遮断されれば、ドイツが最も優位な位置に着くことになる。
もちろん、商売に抜け目のない中国は、原発建設の傍ら、自然エネルギーに莫大な投資を始めている。

日本は元来、非原発エネルギーの技術をふんだんに持ちながら、
現状を改められない国民性のために、せっかくの最先端技術を、すべて他国に抜け駆けされてしまった。政府・政策だけの問題ではない。これは、国民性だ。

ダムや干拓政策が時代に逆行と知りながら、半世紀経っても改められない。もちろん原発もその最たるものだ。
せめて、5年前、10年前にエネルギー政策を、いさぎよく転換していたならば、今頃日本は、どれだけ世界のエネルギー市場を席巻していただろう。

遅きに失したとは言え、日本の力をもってすれば、まだ挽回の余地はある。今回のこの凶事をきっかけに、全てを一から、抜本的に設計し直す必要がある。

長年、無能ぶりに、世界から無視されていた日本は、悲しいことに、大災害で注目されている。この際だからこそ、日本は
原発から真のクリーンエネルギーに転換する」と、大々的に宣言して、
クリーンエネルギーの日本」を印象づけ、再建の柱として、怒濤の反撃を始めるべきだ。

そして、これが、日本復活の最後のチャンスになるだろう。


東北関東

2011年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

大災害に際し、NHKは優れた報道をしたと思うし、海外の評価も高い。
しかし、頑固に「東北関東大震災」と呼んでいるのは、いい加減、改めてはどうだろう。

気象庁が「平成23年東北地方太平洋沖地震」と長々しい命名をしたので、『関東だって』、という思いも有ったのかも知れないが、呼称を「東北+関東」とした。
一方、NHK以外の民放は「東日本大震災」とした。

単純に、「東北関東」は4文字で、「東日本」は3文字だ。
読み方だって、「東・北関東」とも読める。
その上、原発も含めて、実際に東日本全域が災難に被われている。

気象庁が「兵庫県南部地震」と名付けた地震を、政府は「阪神淡路大震災」と名付けたが、今日、誰でも思い出せるのは「阪神大震災」だ。

「東日本」と言う場合、東海甲信越はどうなんだと言うことになるが、今回の地震では、新潟や長野でも巨大な余震に見舞われた。

NHKとしては、一旦、名付けた以上、おいそれと、変更するのは「沽券に関わる」かも知れないが、客観的に見て「東日本大震災」の方が心に響く。
ここは素直に「改めます」と宣言して、変更してはどうだろう。

募金箱をつくる時、非常に困ってしまう。
どれか一つの名前を使用するにも、必ず、他の二つの名前を併記しなければならない。
NHK「ともあろう」見識なのだから、沽券より、国民の便を考えて欲しいものだ。


天啓

2011年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

易卦「火風鼎」の初爻。
  初六。鼎顛趾。利出否。得妾以其子。无咎。
  象日、鼎顛趾。未悖也。利出否、以従貴也。

「鼎」(かなえ)は、三本足で支え、火を焚き、物を煮る。
様々なものの相互作用である「世の営み」も表す。

営みの始めである初爻は、鼎をひっくり返した異常な姿。
とんでも無い状態のように見えるが、中にあった古い屑を掻き出し、新しい体制を整える始まりであり、良いことの始まりである。

今回の凶事で、腐りきった日本の旧弊は、一気にひっくり返された。
中から出てきた腐ったものとは・・・

● 原発に頼るエネルギー政策
● 東西が異なる電力行政
● 石油依存の社会
● イチャモンばかりの政治とメディア
● 融通の利かないシステム社会
● 技術先進国の幻想とプライド
● 借金で続ける贅沢暮らし

など、挙げればきりがないが、
頭から冷や水を浴びせられて、国民は目覚めた
・・・いや、目覚めなければならない。

これは、全てを改めて、一から始めよとの「天啓」に違いない。
これまで何度も、ぼやいてきたことが、ついに現実になった。

一言で言えば、
産業革命パラダイムの「システム社会」より、先ず「人間力」
と言うことだろうか。

想像を超える被害者数も、原発のモタモタも、
「人間の知恵を捨ててシステムに頼っていた」からではないのか。

バブル以後の、30年の衰退と苦難は、個人の人間力を捨てて、システム化にばかり傾注してきたことにある。(今から反転攻勢の30年

原発のモタモタが象徴しているのは、「人と自然の対峙」を忘れた、設計思想にある。
「千年に一度の災害は想定していなかった」のは、自然に対する驕りだ。自然を崇拝し、自然に調和してこそ、人は生きられる。

「自然の恵みを活かして生きよ」との天啓に従い、世界のどこよりも前で、21世紀社会を築いていく日本であって欲しい。
そうでなければ、亡くなった人に申し訳ない。


ぼんぼん

2011年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

病気で寝ている時に、見舞客に困ることがある。
苦しい最中に、「大丈夫か!」「ここにいるぞ!」と、枕元で騒ぎまくる人がいる。終いには「日頃の心がけが悪い!」「療養態度が悪い!」と、説教まで始める。

本当に病人を案ずる人は、「何かあったら言ってくれ」と、頼まれるまで静かに待機する。そして、頼まれたら黙って行動する。
病人の枕元で騒ぐ人は、自分も、声をかけてもらいたい人であり、何をするにも、独りで生きられない自分のためだ。

国も人となりと同じだ。日本で起こった「大事件」に、各国各様の反応があり、日本以上に大騒ぎをし、終いには、日本政府批判まで始める国もある。

後が怖い
人も国もさまざまの、感性があるわけで、どんな態度も、有り難い。
有り難いが、見舞いを受けるには、それぞれ配慮が必要になる。

怪我や病気に駆けつける人の中には、頼みもしないのに、病床で大騒ぎをした挙げ句、後々「世話をしてやった、してやった」と吹聴するばかりか、「おまえには貸しがあるだろう」と、事あるごとに様々な要求をする人がいる。

阪神大震災の時、暴力団が炊き出しをしたが、これについての評価は様々だったように記憶している。
あの時、暴力団に何らかの魂胆があったとは思わない。
心から、被災者の役に立ちたいと思っていただろう。

しかし、「渇しても盗泉の水を飲まず」という言葉もあれば、「武士は食わねど高楊枝」とも言う。

いかに善意であっても、誰からでも無条件に受け入れて良いものではない。後の災いということもあるからだ。
日頃、揺すりタカリを生業とするような人なら、なおさらだ。
やっかいな人ほど、優しそうな顔をするのが世の常だ。

ところが、このやっかいな人の親切は、断るのが、またやっかいだ。
「てめえ、オレの酒が飲めねのか!」と、逆ギレされる。
阪神大震災の時、国を挙げて「ざまー見ろ」と言った国を、ニュージーランドのように、体よくお断りをする方法もあるが、それができないなら、腹を決めて太っ腹で受け入れる道もある。

真心のこもった「貧者の一灯」として有り難く受け入れ、もし、後に請求書が来た時には、「鯛を釣るためのエビ」であったと解釈して、相手にしなければいい。

ところがどうも、一人っ子日本は、良い子になりたいお人好しの
「おぼこ、ぼんぼん」で、何度でも押し売り被害に遭う痴呆老人のように、悪徳業者のカモになりやすい。


負けない

2011年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

この大災害に、世界中から励ましの言葉が寄せられ、救援隊が駆けつけている。
この国難を前に、被災者への同情とともに、日本人として、「覚悟」が迫られていることを、ヒシヒシと感じる。

そんな時に、世界からの励ましの言葉は、有り難いが、かえって気持ちが折れそうになる。
「日本は必ず立ち直ると信じている」と言われると、泣きそうになる。
むしろ、「日本人の頑張は素晴らしい」と賞賛される方が、頑張れそうだ。

日本のベースは東
非常時における日本人の冷静さや我慢強さは、東日本の文化が浸透した結果だ。今回の被災地でも、わめき散らす人はいない。声を上げて泣く人も、無事を喜び合う場合だけだ。辛いほど内に噛み締めて、我慢する。

東日本の我慢強さについては「東西の日本」でも書いた。
東西の日本1」「東西の日本2