とにかく明るい安村の「はいてます!」が英国でバカ受けしたようだ。
裸芸というのは「芸の無い」芸で、感心も感動もしないが、鉄板で受ける。
笑いは「概念」が破られた時の衝撃で起きる。だから、お笑い芸人は固定概念が強く、保守的な人が多い。自分自身の固定概念を破ることで笑いを発見する。
概念破りを発見できない場合、下ネタか裸、自虐か誹謗に走る。誹謗は他人を傷つけるからプロは使えない。自虐は恐妻ネタなどもあるが一人者は使えない。下ネタと裸芸は誰がやっても笑いが取れるので、プロのプライドの問題になる。
飲めや歌え
昔の酒は皆で楽しむ為の物だった。テレビもラジオもプレーヤーも、ましてやゲーム機など無い時代は、歌ったり踊ったりして互いに楽しんだ。
アフリカのように文明に毒されていない人々は自然に体が動き、楽しむことを知っているが、複雑な文明に侵された人は文明の殻を剥ぎ取る切っ掛けが要る。酒は自制心から解放し人を原始に戻すが、アフリカ人のようにリズム勘があるわけでもないし、日頃から芸を身につけているわけでもない。それでも自他を楽しませようとすれば、先ず始まるのが「裸踊り」だ。神話の天岩戸もアメノウズメのストリップだ。
昔、社員旅行が盛んだった頃。何かの研修会で温泉に行った。すると近くの大広間から女の子達がキャアキャア言いながら飛び出して来て、何人かで爆笑しながらもう一度のぞき込んでいる。誰かが裸踊りを始めたようだった。今ならセクハラだろう。
裸踊りの定番と言えば、浴衣を脇から頭にまくり上げて纏め、「きのこの山」か黒柳徹子の顔のような姿で、腹に「へのへのもへ字」を描いて踊りながら、身体をよじって表情を作り、浴衣の中から適当なことを言う、おもしろ可愛いのから、お盆や内輪を二枚交互に股間に当てながら一物を見えないように踊る。と、言っても始めから、当人は見えてもかまわないからきわどく踊り、時々ポロリでさらに爆笑を誘う。
これがセクハラになるのは、男しかやらないからだ。見える心配の無い女がやっても意味がない。久本雅美の乳首をつまんで「よろちくび~」もあるが、マズい物が見えたから可笑しいのではなく、女らしからぬ言動に笑う。
裸が可笑しいのは、見ないはずの物という「概念」が破れるからで、「よろちくび~」も女はそんなことはしないだろうの「概念」破りだ。
下ネタや裸は、堅苦しい立前を守ろうとする人ほど笑う。「嫌らしい!」、「馬鹿らしい!」と言って、最後まで笑わない人は、常識人ではあるが、案外、立前にそれほど固執しない人だし、何も言わないけれど興味を示さない人は、世間常識に始めから囚われない、天才やオタクなどのアウトサイダーだ。
ツボにはまる
関西と関東で笑いの質が違うのは、常識概念が違うからだ。
関西は人間関係や商取引の常識を破ることで笑い、関東は上下の権力関係の常識を破ることで笑う。関東人が「バカヤロウ」の連発を面白がるのは、権威や秩序の破壊があるからだが、権威や秩序に無関心な関西人は論理の崩壊を面白がる「何でやねん」の世界だ。
ノリ突っ込みや、さんまと陣内の掛け合い「それ、わしやないかい!」などが典型だ。近藤春菜の「ブタじゃネエよ!」は、関西流の笑いを上手く吸収している。
中国香港や韓国は、物事をオーバーに表現することで笑うが、即物的な人は現実を直視するので、「あり得ない!」ことに常識が崩壊するようだ。
アメリカにもこの傾向があるが、関西的な論理崩壊もある。散々理屈を並べて決定は直勘とか、日本でも「そこかい!」の突っ込み笑いを誘う。
「はいてます!」が受けた英国は、いわゆるお堅い国で、初対面の中流以上の英国人と話す時は、初対面の京都人と同じ堅苦しさを感じる。京都人は日本人だから表面にこやかだが、英国人は本人が先ず緊張している。加えて、英国英語独特の息を詰まらせる吃音のような話し方で、こちらも息が詰まる。
そういうお堅い国だから、「裸」というストレートな概念破りに開放感があるのだろう。
英国が何故そんなにお堅くなったのかは知らないが、英国人はそうして内圧を高めているから、常に解放を求め爆発力も大きい。
チャップリンやMr.ビーンを輩出したのも、英国王室がアメリカの「あばずれ女?」に惹かれるのも、ある種のバランス感覚なのかも知れない。
安村が裸で現れた瞬間、タガが外れたのか、審査席の女性は、「はいてます!」に「パンツ!」と全身で合いの手を入れていた。陶酔状態だ。安村の裸芸で笑ったことはないが、会場の大爆笑につられて笑ってしまった
・・・そんなに面白いかなあ!???