魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大スター

2023年05月27日 | 占いばなし

大谷翔平と吉田正尚が大活躍だが、二人ともカニ座だ。大谷は7月5日で、吉田は15日だから、吉田の方が少し後、3分の1後で影響が出る。
月の影響なら同じ日か翌日に感情が動く。木星の影響なら数ヶ月遅れ。土星なら一年遅れという具合だ。
大谷翔平の生日は壬辰で吉田正尚は丁酉、天地徳合と言われる相性だが、性格は真逆。
自動車人間では、吉田がシャーシの豪傑型なのに対し、大谷はエンジンのショーマンでサービス精神満点。ちなみに、吉田は習近平の性格に似ている。生日干支も同じだ。

一方、大谷はプーチンと空亡も同じ午未で、同じエンジン。「マメ」で愛想も良い生来のショーマンなので、メディア受けも良く、偶像化しやすいから、最早、神格化されている。だが実は意外にもお金が大好きで、無駄金は使わないが、お金が価値観なだけに、最大の誠意を見せる時には大金を使う。ヌートバーに高級時計をプレゼントしたのは単なる気まぐれではない。
ただ、これだけ儲かると案外、馬鹿なことで出費することがある。

お金にこだわるのは、午未空亡と子丑空亡だが、両者とも合理主義者で理論家だから理屈に合わないことが嫌いなだけで、ケチというわけではない。単なる情や見得ではお金を使わない。午未空亡の場合は悲観的なのでお金が無いことを恐れ、資格や公務員など保証を好むが、居直って作家や芸人で力を発揮する場合もある。ちなみに、ゼレンスキーも午未空亡。
逆に、子丑空亡は強気なので、常に何とかなると思っている。自分が頼りなので、無意味なバラマキをしないし、理由の無い奢りや贈答も好まない。当然、人を巻き込むことが不得手なので政治家にも向かない。孫正義の震災100億はいかにも妥当な金額だし、小池百合子、舛添要一も政治家ではなく職人タイプで、知事向きだが、桝添のセコさは落とし穴に落ちた合理主義で、つまりは政治家に向かない。
※干支と空亡→「干支の話(1)」20150720


日本の術

2023年05月22日 | 占いばなし

日本の株価が上がって、経済専門家は当初、「もぐもぐ」と、切れの悪い説明をして、上がる理由を色々探していたが、さらに上昇すると慎重派は沈黙し、無責任な声が大きくなってきた。
惑星の動きを見れば、慎重派が不安なのも当然だろう。

木星と天王星が牡牛座に来た
天秤座の日本にとって牡牛座は第8室に当たり、「死とセックスと相続」のサソリ座と同じ意味になる。天秤座は全ての位置が、基本の牡羊座の真逆になる。牡羊座の象徴句は「I am」だが、天秤座の象徴句は「You are」だ。つまり、他人事こそが自分事。
本来、第8室は「サソリ座=他者の生産活動」であって、その結果として表れるのが、相続などの事柄となる。生産活動の結果が受け継がれるのが「相続」であり、次の生産者を生むのが「生殖」であり、生の引き渡し後は「死」となる。

世界の生産活動は日本にとっての「頂き物」になる。その他者の生産活動が大膨張するのだから、海外勢の思惑投資で日本株が上がるのは当然で、当事者の日本の実態や実感とは関係ない。
一方、失った半導体技術の再興をと、海外企業誘致に注力している。
しかし、他者次第の日本だからビジネスとしては問題ないが、プライドを賭けた技術力復活という点では見通しが暗い。

もともと、日本の経済を表す第2室はサソリ座で、他人の財布を当てする貿易や娯楽、サービス業で、海外投資も効果的だ。
しかし、天秤座の日本の特質は活動宮のオリジナリティだ。活動宮は「個」、「祖」、「他」、「社」の四分野の原点を表す。天秤座は「他」の他者との関係だから、協力や社交で、既存の物、他者をさらにランクアップさせる力だ。したがって、お金を出して他者に協力してもらうのは逆で、お金をもらって他者に協力する時に力を発揮する。
また、他者のアイデアや試行を具体的に磨き上げて、新しい製品にする能力が日本の能力だ。
日本で商売をしようとして来る企業からは、新しい物は生み出せない。

日本の生き方
他者を観察分析して、「自ら新しい物を生み出す意志」が無ければ、オリジナリティは生まれない。他国の企業が在ればむしろ邪魔になる。
日本の縮図は京都だが、他者が勝手にやって来るのを歓迎し、協力的に自由にやらせ、相手のお株を奪い上位に立ち、邪魔になったら、別の他者に駆逐させる。そして、様々な物が残る。
中国は、他者を呼び集め、その宿の主人が追い剥ぎになって、裸にして叩き出し、これは元々うちの物だと言う。これは中国が「祖」の活動宮で、伝来の大きな屋鋪を活かすのが生き方だからだ。
全てが他者頼みの日本は、「呼び寄せ」たら叩き出せない。向こうが勝手に来るのでなければ、自ら学びに行き、自分の部屋で試行錯誤して、新技術を生み出す。御用学者を呼ぶのは良いが、追剥商人を呼び込んだのでは、お株を奪う技術は育たない。


カナリア

2023年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

闇バイトで、少年からいい大人まで間単に参加し、ずさんな犯罪で直ぐ捕まる。
この現象を、色々な人が様々な視点から説明しようとするが、誰も説明できない。ただただ、あきれるばかりだ。
一体何が起こっているのか。

結局、現代人が呼吸する空気の問題だろう。
人はそれぞれ置かれた世界で呼吸して生きるが、その空気に生かされながら麻痺している。生きる糧もその世界で得る。
エスキモーは植物栽培をせず、古代文明の多くは狩猟をしなかったが、その中にいる人たちは、互いの生き方を知らず、自分たちの生き方に何ら疑いを持たなかった。

最近は、野生動物を食べるのが「ジビエ」として新しいトレンドのように思われているが、ほんの半世紀ほど前までは、当たり前だった。昭和20年代には、色々な人から「獲れたので」と、頂き物をしたキジや山鳥やウサギのすき焼きを食べたが、時々、散弾の弾を噛んだ。
今は知らないが、世界から観光客が押し寄せる伏見稲荷では、スズメを串刺しにした「焼き鳥」が売られていた。昔の「焼き鳥」は鶏ではなく本当に小鳥だった。昭和40年代でも、スズメ落としでスズメを捕まえ、市場に売りに来る人がいたそうだ。
伏見稲荷の名物「スズメの焼鳥」は、スズメが稲の神様の天敵として考えられていたからだろうが、現在では、スズメも大切な自然として保護されている。

おそらく、50代以下の日本人には「とんでもないこと」だろうが、日本人は何処でも立ちション便をし、至る所で犬の糞を踏み、野良犬に噛まれ、猫を捕まえて三味線にし、川で採ったシジミやタニシや、イナゴや蜂の子を食べていた。田舎や下町では暑い盛りは腰巻き一つで洗濯をする主婦も少なくなかった。ブラジャーなど無かった時代だ。何処であろうと授乳は当然で、変な目で見る人は皆無で、むしろ美しい母子の姿と考えられていた。
昔話をして、90代の韓国のお爺さんが青年に殴り殺されたことがあったが、殴り殺されないまでも、自分たちの知識を信じ込むのが、教育の恐ろしさだ。

情報充満の世界で
現代人は学校教育(本)と、テレビとネットで、世界を理解している。さらに、ゲームが普及してからは、成長期に自然との接点が希薄になり、人間関係も希薄になった。昔と比べ、どれほど希薄か想像もできない。昔を知らないから当然だ。
動物は自然の中で糧を得る。人間は文明の中で糧を得る。その文明が情報化するほど、自然から離れていき、自然から直接糧を得ることが出来なくなる。
文明から糧を得る方法は学校で習うが、自然から糧を得る方法は知らないまま育つ。それどころか、自然から直接得ることの多くは封じられる。所有権、漁業権、自然保護、衛生・・・等々、うかつに自然に触ってはならない。
糧を得る道は、情報知識と就職システム以外に道はなく、システム以外は別の情報による闇バイトしかない・・・そう思い込む。

就職氷河期時代、意外にも起業する若者は少なかった。むしろ、景気が回復し始めてから起業が増えた。終戦直後のような、切羽詰まっての起業ではなく、多様なニーズが転がっているから起業する。つまりは、野人的生存競争ではなく、文明ジャングルの狩猟ゲームだ。就職システムで上り詰めた経営者から政治家に至るまで、災害や戦争やパンデミックで、一瞬にして原資を絶たれる虚構にどっぷり浸かっている。

昔、炭鉱夫は有害ガスを察知する為に、籠のカナリアを持って入り、カナリアの様子がおかしければ、坑外に脱出した。
不可解な闇バイト犯罪は、現代人がいかに現実感を失っているかを告げるカナリアだ。一刻も早く坑外に逃げなければ、ある日突然、死ぬことになるだろう。


動く世界

2023年05月15日 | 星の流れに

5月17日、木星が牡牛座に入り、天王星と合流する。(前回は1940~1年、土星も同居)
膨張の木星と爆発の天王星が、生存欲の牡牛座で、そこに20日から怒りの火星が獅子座に入り、90゜の凶角になる。
これらの影響は既に起こっているので、世界的な地震や水瓶座ロシアの苦境も目につく。

サソリ座の朝鮮半島は、牡牛座とは180゜なので、対人関係=外交相手がコロコロ変わり先が読めない。韓国も北朝鮮も対外的に主導権が持てず、成り行き次第になる。
天王星と木星が牡羊座に来た2011年の日本と同じ状態だが、日本の場合、土星が天秤座にいたうえ、元々の姿と立場が違うので、全く別の問題が起こる、むしろ魚座の土星が吉角120゜なので、堅実になり大チャンスになる。
土星が天秤座に居た日本さえ、東日本大震災の一方で世界から評価された。
なお、トルコは何座なのか良く解らないが(牡牛座?)、サソリ座や牡牛座など定着宮に惑星が入ると動揺が起こる。

ウクライナ戦争は、どちらにとっても辛い結果になるが、長い目で見れば、新しい歴史が始まる。
山羊座のインドにとっても牡牛座の木・天は大吉で、中国にとってもチャンスになる(中国=共産党ではない)。
問題は双子座のアメリカだが、魚座の土星で国際評価を落とし、内政も荒れるが、3年ほどすると突然、活気づく。おそらくAI関連の革命的進展が切っ掛けになるのだろう。今はその前夜だ。84年前に劣勢にあったアメリカは、様々な技術革新で形勢を逆転した。

魚座の土星と言うことではタイには古いものが帰ってくる。土星が来れば、日本の大震災&原発、北朝鮮の金正日の死、韓国の朴槿恵政権、ロシアのプーチン戦争など、不幸が起こるが、他の惑星の関係で不幸中の幸いに転ずることもある。

EUやASEANという纏まりで考えると、EUは牡羊座=火の星座、ASEANは魚座=水の星座が妥当のようなので、古いもの(アメリカ)がアジアの海洋国に帰ってきた。一方、EUは天王星の牡羊座時代が去った後の始末に追われる。EU膨張と中国接近の反動がそれだろう。


外交電車

2023年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

痴漢外交」を上げた翌日の4月28日。駐日中国大使が台湾問題の日本の立場に、流ちょうな日本語で「日本の民衆が火の中に連れ込まれる」と発言した。
「無慈悲に火の海に堕としてやる」と言わなかったのは、さすがに日本語通だ。
これに対する日本側の抗議の仕方で、日本国内がもめている。
これぞ正に痴漢外交!
中国の目的はアドバルーン、「日本の反応」を今まさに観察している。

カナダでは中国大使を追放し、中国も対抗してカナダ大使を追放した。
日本の右派はカナダを見習えと言うが、隣町と隣家では同じ事は出来ない。
かと言って、「大人しい日本」では、ますます図々しくなってくる。
この際は、「痴漢ですー!」と叫ぶより、この車内に痴漢がいることを乗客みんなに知ってもらうことが肝要だ。
例えば、誰かに普通の声で周囲に聞こえるように、「スミマセン、痴漢に遭ったらどうすれば良いんですか?」と聞いてみる。人の良さそうなオバサンなどが良いだろう。
痴漢に「何すんのよ!」と言えば、相手は引っ込みがつかないから波乱が起こるが、他人事のように周囲の耳目を喚起すれば、当の痴漢は「ヤバイ」と、引っ込む。

外交の車内でチュカン(中漢)に遭ったら、本人への抗議より、周辺への周知が効くようだ。
駐仏大使のアドバルーンに、他国が憤慨したので、中漢はアッサリ引っ込んだ。つまり、最も嫌うのは、第三国の反応だ。目的対象国以外で連鎖が起こるのは計算外だ。中国の習性は徒党を組むことだから、逆に、徒党を組まれることを最も恐れる。
「日本の民衆が火の海に引き込まれると言うことは、その前に韓国やベトナナム、フィリピンも火の中にあると言うことだ」と、世界に向かって吹聴する方が効果的だ。もちろん、根回しの上でだが。
当然、中漢は無抵抗な者はそんな目に遭わないと言うだろう。ピストルを突きつけた強盗は「大人しくしていれば傷つけない」と必ず言う。しかし、拳銃は一丁だ。みんなに取り囲まれれば、「今日はこれぐらいにしといたるわ」と引っ込む。

直接抗議は、戦争の覚悟があってのことだが、周囲へのたき付けなら、戦争までには至らないし、場合によっては他国が代わりに戦争をしてくれる。
この要領を最も体得しているのがラッシュ慣れした朝鮮半島で、日米中露とも、これに巻き込まれて歴史的な大けがをした。一方で、主体性のない依存一辺倒も、最後に身を滅ぼすことになる。
周囲を焚きつけることの効果は、あくまで、最後には自分が立ち向かう覚悟があってこそで、「痴漢に遭いましたか?」と聞かれた時に、「そんなことは言ってません」などと態度を変えるようでは、むしろ、痴漢をつけあがらせる。
自分を守る覚悟があってこそ、周囲に頼ることが出来るのが外交電車の乗り方だろう。


情況俯瞰

2023年05月11日 | 星の流れに

5月8日からコロナは五類に引き下げられ、形の上でも終わった
しかし実際には、既に昨2022年の中頃に終わり、各方面の調整が今まで続いたにすぎない。
2021年の夏、土星の影響が抜けるのは2023年の春だが、2022年の夏頃から影響が薄らいでいくだろうと書いた。
→「風も爆弾」20210808
昨22年の春の段階で、コロナが終わったと感じた人はいなかったかも知れないが、今でもまだ終わったと思えない人は少なくないようだ。
何十年経ってもトラウマが残るぐらいだから、今の今、コロナが終わったとは思えないだろう。

コロナの何が終わったのかが重要で、それは同時に、コロナとは何だったのかの問題だ。
今でも次の予防接種を心待ちにし、怖くてマスクを外せない人には、毛頭受け入れられない話だろうが、コロナは歴史上のパニックの一つだ。
「死者の数を見ろ!」と言う人がいるかも知れないが、ペストが欧州の明らかな人口減を招いたのに対し、世界の人口は今も休まず増加している。
死因を何とみるかの統計の取り方なども含め、パニックによる偏った作為が世界を覆っていた。
歴史の渦中にあっても、情況を俯瞰することが出来るのが、占いによる世相史観の効用だろう。


自粛大国

2023年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の球界もマスコミもコンプレックスの塊で、MLBに行く野茂を散々バッシングしたが、結果を出すと自分の手柄のように報道した。それに力付けられた若い世代が活躍を始めると、今度は当たり前のように、過剰な期待をする。
サッカーの場合は、野球のように大衆文化になっていなかったので、始めから海外交流があり、コンプレックスを抱く時間が無かったのが幸いしたようで、個人を束縛する「おらが村」根性は見られない。いずれにしても、思い上がりや妙な萎縮で、若者の芽を摘むことがないように祈りたいものだ。

ともあれ、島国で独特の発展をした日本の「野球道」が、本家のアメリカに影響を与えるようになった今、日米のプロ野球が直接リーグ戦を戦うことは出来ないのだろうかと思っていたら、先日、北野武が「孫さんでもMLB球団を一つ買収してくれねえかなあ」と言っていた。思いは同じようだが、地元応援の実現には確かに、その方が簡単だ。
カナダのブルージェイズの場合、他国と言っても国内同様だから、MLBは他国球団を入れる考えはないだろう。

それで、また、ChatGPTに「NPBとMLBが合体する可能性はありますか」と訊いてみた。すると、
「NPBとMLBが合体することは、両リーグの文化、競技規則、経営スタイル、そしてその他の様々な側面について、多くの調整が必要となります。そのため、実際に合体するには時間がかかるでしょう。(中略)
将来的に日本の球団がMLBに加入するためには、NPBとMLBの両方のリーグが、このような合併について積極的に議論をする必要があります。(後略)」
と、まあ、当たり前のことを答えてくれたが、その気さえあれば不可能ではなさそうだ。問題は、日本球界及び日本人の萎縮性の問題だ。

リーダーシップの欠如
島国日本は一人っ子気質だから、思い切ったことが出来ず、何でも自粛する。かと思えば、状況も見ずに思い込みで飛び出していく。空気が読めず、リーダーシップに欠け、大勢を導かなければならない時にも、臆して「自粛」する。
日本が世界を変えるのは、独特の感性やアイデアだが、それを用いて世界を動かすのは、常に日本ではない。ウオークマンはiPadに替わり、携帯はスマホに変わり、太陽電池は輸入している。盆栽は造るが大森林は育てない。
きめ細かい日本野球はそれなりに完成度を極めたが、それをイベントとして動かしていく構想力やリーダーシップには乏しい。種は蒔くが、収穫は他人が上げる。正に一人っ子だ。

柔道の本家にこだわる日本は、野球の本家の米国に畏れ入り、何も言えないが、それは日本の勝手な「自粛」だ。欧米は「起源」は尊重するがこだわらない。本家を凌駕するようになれば、柔道のように、尊重しながらも興行ビジネスの主導権を握っていく。
「起源」だ「パクリ」だと争うアジアの血統主義など欧米は理解しない。特許(ルール)と交渉と契約が全てだ。


概念崩壊

2023年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

とにかく明るい安村の「はいてます!」が英国でバカ受けしたようだ。
裸芸というのは「芸の無い」芸で、感心も感動もしないが、鉄板で受ける。
笑いは「概念」が破られた時の衝撃で起きる。だから、お笑い芸人は固定概念が強く、保守的な人が多い。自分自身の固定概念を破ることで笑いを発見する。
概念破りを発見できない場合、下ネタか裸、自虐か誹謗に走る。誹謗は他人を傷つけるからプロは使えない。自虐は恐妻ネタなどもあるが一人者は使えない。下ネタと裸芸は誰がやっても笑いが取れるので、プロのプライドの問題になる。

飲めや歌え
昔の酒は皆で楽しむ為の物だった。テレビもラジオもプレーヤーも、ましてやゲーム機など無い時代は、歌ったり踊ったりして互いに楽しんだ。
アフリカのように文明に毒されていない人々は自然に体が動き、楽しむことを知っているが、複雑な文明に侵された人は文明の殻を剥ぎ取る切っ掛けが要る。酒は自制心から解放し人を原始に戻すが、アフリカ人のようにリズム勘があるわけでもないし、日頃から芸を身につけているわけでもない。それでも自他を楽しませようとすれば、先ず始まるのが「裸踊り」だ。神話の天岩戸もアメノウズメのストリップだ。
昔、社員旅行が盛んだった頃。何かの研修会で温泉に行った。すると近くの大広間から女の子達がキャアキャア言いながら飛び出して来て、何人かで爆笑しながらもう一度のぞき込んでいる。誰かが裸踊りを始めたようだった。今ならセクハラだろう。

裸踊りの定番と言えば、浴衣を脇から頭にまくり上げて纏め、「きのこの山」か黒柳徹子の顔のような姿で、腹に「へのへのもへ字」を描いて踊りながら、身体をよじって表情を作り、浴衣の中から適当なことを言う、おもしろ可愛いのから、お盆や内輪を二枚交互に股間に当てながら一物を見えないように踊る。と、言っても始めから、当人は見えてもかまわないからきわどく踊り、時々ポロリでさらに爆笑を誘う。
これがセクハラになるのは、男しかやらないからだ。見える心配の無い女がやっても意味がない。久本雅美の乳首をつまんで「よろちくび~」もあるが、マズい物が見えたから可笑しいのではなく、女らしからぬ言動に笑う。

裸が可笑しいのは、見ないはずの物という「概念」が破れるからで、「よろちくび~」も女はそんなことはしないだろうの「概念」破りだ。
下ネタや裸は、堅苦しい立前を守ろうとする人ほど笑う。「嫌らしい!」、「馬鹿らしい!」と言って、最後まで笑わない人は、常識人ではあるが、案外、立前にそれほど固執しない人だし、何も言わないけれど興味を示さない人は、世間常識に始めから囚われない、天才やオタクなどのアウトサイダーだ。

ツボにはまる
関西と関東で笑いの質が違うのは、常識概念が違うからだ。
関西は人間関係や商取引の常識を破ることで笑い、関東は上下の権力関係の常識を破ることで笑う。関東人が「バカヤロウ」の連発を面白がるのは、権威や秩序の破壊があるからだが、権威や秩序に無関心な関西人は論理の崩壊を面白がる「何でやねん」の世界だ。
ノリ突っ込みや、さんまと陣内の掛け合い「それ、わしやないかい!」などが典型だ。近藤春菜の「ブタじゃネエよ!」は、関西流の笑いを上手く吸収している。

中国香港や韓国は、物事をオーバーに表現することで笑うが、即物的な人は現実を直視するので、「あり得ない!」ことに常識が崩壊するようだ。
アメリカにもこの傾向があるが、関西的な論理崩壊もある。散々理屈を並べて決定は直勘とか、日本でも「そこかい!」の突っ込み笑いを誘う。

「はいてます!」が受けた英国は、いわゆるお堅い国で、初対面の中流以上の英国人と話す時は、初対面の京都人と同じ堅苦しさを感じる。京都人は日本人だから表面にこやかだが、英国人は本人が先ず緊張している。加えて、英国英語独特の息を詰まらせる吃音のような話し方で、こちらも息が詰まる。
そういうお堅い国だから、「裸」というストレートな概念破りに開放感があるのだろう。
英国が何故そんなにお堅くなったのかは知らないが、英国人はそうして内圧を高めているから、常に解放を求め爆発力も大きい。

チャップリンやMr.ビーンを輩出したのも、英国王室がアメリカの「あばずれ女?」に惹かれるのも、ある種のバランス感覚なのかも知れない。
安村が裸で現れた瞬間、タガが外れたのか、審査席の女性は、「はいてます!」に「パンツ!」と全身で合いの手を入れていた。陶酔状態だ。安村の裸芸で笑ったことはないが、会場の大爆笑につられて笑ってしまった
・・・そんなに面白いかなあ!???


24問題 3

2023年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

リニアモーターカーは半世紀の、いや、鉄道150年の日本の夢だ。
しかし、もはや「死んだ親父の夢」になってしまった。思い立った時は、実現可能な素晴らしい未来だったが、今、その未来は次元の違う世界になっている。
21世紀の現在と未来は、150年前に夢見た未来世界ではない。
働き方も、家族も、地域社会も、150年前や70年前のニーズではなくなり、採算が成り立たなくなっている。通信の発達もあって、大都市と大都市を多くの人が高速移動する必要もなくなった。
移動そのもののニーズはあるが、移動速度と鉄道のコストパフォーマンスが合わなくなっている。空飛ぶ自動車などが発展すれば、もっと合理的な移動が生まれる。

鉄道会社は、大きな犠牲を払い、何時になるか分からないようなリニアより、鉄道のあり方から考え直した方がいい。技術へのこだわりも、このままモタモタしているうちに、パクリンゴン帝国の中国に出し抜かれてしまうだろう。
スピードとコスト面なら、むしろ真空チューブ鉄道を狙う中国が、リニアごと実現するかも知れないが、日本のリニアにはそのオプションがあるのだろうか。
静岡の川勝知事には腹が立つが、もし、このままリニアを断念するようなことがあれば、結果的に、川勝知事の怪我の功名になるかも知れない。

鉄道に求められる未来
このままズルズル完成が遅れ、中国に出し抜かれるよりも、一刻も早く、鉄道戦略の変更とリニア撤退を高らかに宣言し、前世紀のスピード競争と決別すべきだ。
建設過程のリニアは発想を転換し、真空チューブ等の研究開発路線で残す。「時がくれば」一気に新軌道を、アメリカやシベリアに売込めばいい。
今、求められる鉄道は、スピード革命ではなく、物流の大動脈だ。鉄道でスピードを競う時代はとっくに終わっている。しかし、文明史で道路が果たした役割のように、鉄道には「動く道路」としての使命がある。

現実的な今後日本の物流戦略は、トータル物流だ。長距離トラックに代わり、在来線と新幹線を、貨物と「貨客列車」中心の基幹線にして、ローカル配送と組み合わせた、面的物流が主体になる。
鉄道会社の常識は人間輸送で、いかに豪華な「御馬車」に人を誘い込むかだが、通信の発達した未来には移動願望は減少し、一方で物流需要は増大する。
前世紀、私鉄は経営の為に街造りまでしたが、その街もそれぞれの盛衰をたどり、私鉄の使命も変わっていく。鉄道用途も当然変わる。

多様に大量に運ぶ為には、高級バッグより百均のトートバッグの方が実用的だ。
JRには、リニアより第二新幹線の方が現実的だろう。物流中心の南北大動脈を人間も利用する逆転の発想で、私鉄も大都市圏のエリア輸送に組み込めば、WINWINだ。
また、車との共存では、ドライブ旅行よりオンデマンド旅行が拡大するだろうが、一方で「カーアンドトレイン」やフェリーの利用も広がるかも知れない。

未来社会がどうあろうとも、物流はますます拡大する。人の移動は多様化しても物流を担うことが出来るのは大型輸送機関であり、今のところ鉄道しか思い当たらない。
おそらく、日本縦断ベルトコンベアよりは現実的だろう。

24問題 1


24問題 2

2023年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

「2024年問題」は単に、物流業界の問題ではない。大きく見れば、人口、労働、文化、ジェンダーにまで及ぶ、生き方の問題だ。
労働力不足と男女格差、環境などの多様な問題を一気に解決するのは、意識改革しかない。
自動車大国の日本人は、自動車ありきで人生を考えている。都会暮らしで免許を持たない人でも、新鮮な野菜や魚、宅配や引越も自動車だ。当然、それを長距離トラックと道路インフラが支えている。
この「当たり前」を一度白紙に戻し、既存のインフラ利用を再構築する時が来ている。人手不足、交通インフラの老朽化、一極集中、環境問題・・・まとめて戦後の「終活」だ。

新世代の物流大動脈は鉄道
戦後築いた利便を残しながら、既存の鉄道や自動車を活かすには、戦後社会の選択と集中が必要だ。
老朽化で修理や再建築の必要なインフラには、無駄なものも多い。
あれば便利だが無くても死にはしない、「百均の小道具」のような橋や道路が日本中にあふれている。
国や自治体の管理するインフラを限定し、私設の橋や道路を自己責任の届出程度にし、営利目的の架橋なども認可制にすれば、本当に必要なインフラだけが残る。
災害の問題もあるから公共に拘るのは解るが、がんじがらめの規制は結果的に国民の首を絞める。

現在の便利さを残しながら、資源を最も効率よく活用する方法は必ずある。
手段が異なれば、全く同じ事は望めないし、出来なくなることもあるだろうが、新しいことも生まれるはずだ。要は、金や技術ではなく、「知恵」だ。

長距離トラックは、アメリカのように広大な国土で鉄道が少ない場合に有効で、日本のように既存の鉄道比率の高い国は鉄道が活きる。
点と点を結ぶ長距離の鉄道コンテナ輸送を基軸に、各基地駅から分散集配する。昔の鉄道時代なら、駅そのものが集配所だったが、自動車の現代なら駅の負担を分担できる。
これにより、長距離トラックは不要になり、地元の労働と担い手の柔軟性が増す。ドライバー不足なら自動運転も可能だが、高速道路のメンテナンスも減り、何よりもエコだ。

集配所や受渡所を強化の上、宅配は廃止し、ウーバーなど、宅配ビジネスにする。
また、客車専用列車を止め、貨客列車を基本にし、駅での受け渡しも可能にする。貨客列車にすることで、乗客の大型荷物や自転車なども併送できる。
自動車ありきの今の人には信じられないだろうが、鉄道時代には、荷物をコンパクトに纏めて引越さえしていた。言うまでもないが、鉄道中心で引越業も変わる。
→<24問題 3


24問題 1

2023年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

働き方改革の一環で、2024年、ドライバーの時間外労働の規制が強化されるので、人口減少もあって、業界は苦慮している。
長距離運送、再配達など、様々な悪条件が重なっている上に、労働力減少で業務継続が難しくなるのが2024年問題だそうだ。
しかし、これは運送業界の自業自得ではなかろうか。

土建国家の交通インフラに悪ノリして、長距離運送や宅配サービスで業務を拡大したのは運送業界で、消費者から求めたものではない。さらに、その環境に便乗したネット通販が運送業を酷使した。
これを止めれば、慣れきった消費者から不満が出て、運送業が成り立たなくなる・・・と、業界は信じ込んでいる。そのくせ、唐突に「置き配」に切り替える。何故、宅配に拘るのか。集配所受取の方が便利な面も多い。全て、運送業界の独り相撲だ。

原点に帰れ
水運・陸運の発達の歴史は面白く、古代からの知恵は今も生きているが、現代の運輸は鉄道以後だろう。
産業革命後の燃料動力や電動力で、物流は「異次元の」発展をした。物流の発達がなければ、大戦争も起こらなかっただろう。

馬車で開拓したアメリカは自動車が向いていたが、狭い日本には鉄道が便利だった。戦前は鉄道がトコトン利用され、産業や観光に特化した路線も経営が成り立ち、修学旅行にも徴兵にも大いに利用された。大トンネルや車両ごと運ぶ船が、日本列島を一つにした。
それほど便利に出来ていた鉄道を、アメリカナイズと輸出産業の為に、アッサリ置き去りにし、自動車大国に変身した。
自動車大国は良いのだが、何でも一辺倒になる国民体質のせいか、縦割り好きのせいか、鉄道と自動車の相互活用が無視され、ローカル鉄道が次々と壊死していった。

近年、エコの観点から鉄道が見直されているものの、環境以前に、人手不足が重なれば、自動車中心の物流インフラは、根底から考え直さざるを得ない。幸い、鉄道環境もかろうじて残っている。
トラックだけで考える業界では、長距離輸送が無理ならと、相互に途中まで運ぶ中継輸送を考えつき、国土交通省まで音頭取りをしている。信じられないことだ。
全ての資産のバランス活用を考えるのが国だろう、鉄道と自動車を融合した物流で、地域経済の活性化を図るべきだ。

長距離輸送を鉄道が担い、ローカルを細かく自動車が引き受けることで、エコも、労働環境も向上する。
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