魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

子供社会

2016年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道で、「しつけ」のため、山林に7歳の子を置き去りにしたら、子供が行方不明になった。
子供がいなくなった理由はわからないが、時代の悲劇だ。

街中やショッピングセンターなら、子供一人になってもどうにかなる。最悪の場合、誰かが保護するからだ。
人気の無い山林で、街中と同じ事が可能だと思うのは、自分が社会に依存している事を自覚してないからであり、あまりに便利になった社会に慣れすぎているからだ。

現代は、自動販売機やネットで、人の手を介在せずに生活できる。スーパーに行けば、魚は切り身になっているし、仕出しものが豊富にあって、自分で食べる段取りの必要も無く、誰かに頼む事もない。何事も直接人に頼まないから、全て自分でできているような気がしている。

近年の流行語で、何かと言えば「僕が守る」と言うが、一体何からどうやって守るというのだろう。自分自身が社会システムに依存し、守られていながら、守る守ると言うが、子供が何から何まで親がかりで居ながら、すっかり一人前の事ができているような気になって、親から貰った小遣いで親にプレゼントする。
そんな現代人の幼児性は、システム社会に依存して、それを自覚していない事にある。

北海道の、このかわいそうな親のように、近頃、何かと言えば親の不適切な「しつけ」による事件が起こるのは、「守る」と同じで、自分がそれを受けなければならない立場の者が自覚せず、自分がちゃんとできているような気になって、人にそれを施せると勘違いするから起こる。

子供を育てるのは、自分を親に育てることであることを知らないから、親になっているつもりで、いきなり、「らしい」ことをする。また、それができないと落ち込んでしまう母親もいる。自分も学ぶつもりなら、先ず、子供の気持ちを知ろうとするから、子供の気持ちをじっくり聴く。子供に怒鳴りつけている親を見ると、自分の命令ばかりで、何も聴こうとしていない。

大家族で暮らしていた頃は、親といえども子供の立場で、ベテランの家族に指導された。
システム社会の現代では、専門のアドバイザーがいたとしても、他人だから、親への指導は中途半端になる。この先は、子供を親から離して施設で育てるか、昔のように、大家族の環境で育てるしかないようだ。しかし、社会がここまで来たら、もはや昔には帰れないだろう。
ただ、同じ昔でも大名や皇族は、母親から離して育てた。これはどんな母親から生まれても、立派な子供を育てる知恵だった。

男の子が無事に帰って、笑い話で終わることを、祈りたい。


同居人達

2016年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

シャワーをしようとしたら、小さな家グモがいた。急に明るくなったので驚いたようだが、逃げ場もないと思ったのか、身をすくめてじっとしている。

かまわずシャワーを始め、上段にシャワ-ヘッドを掛けると、ツ、ツ、ツと、ヘッド下のホースの陰に移動した。シャワーを浴びながら見ると、ホースの陰でじっとしている。
向こうからはどう見えているのか知らないが、こちらの動く影が見えないところに、微妙に移動を繰り返しながら、見事にホースの裏に隠れている。

いることはわかっているが、構わず、シャワーを続けて、終わったので、ヘッドを下段に掛けると、どこにも隠れるところがなくなった。
しばらくじっとした後、また、ツ、ツ、ツと、下段に近づいた、が、
『このまま行っても、また動いてしまうかも知れない』、そう思ったのだろうか、手前で止まって、動かなくなってしまった。ピクリとも動かない。壁になっているつもりらしい。観音隠れの術だ。
早く暗くしてやろうと思って、そのまま出た。

クモは、見かけで損をしているが、毒グモでなければ、有益な奴だ。
ただ、どこにでも巣を張るから、一日家を空けただけでもびっしり張っている事がある。帰ってきて、玄関先で顔面に巻き付いたりすると、メチャメチャ腹が立つ。
それでも、駆除する気にはなれない。ギリシャ神話でも、クモにされた機織りのアラクネーには同情的だ。

まして、巣を張らない小さな家グモは、本当にありがたい存在だ。じっくり観察してみると、可愛くて憎めない。巣は張らないが、糸一本でスーッと降りてくることがある。
忍者の術は、相当、蜘蛛や昆虫の生態から学んでいるようだ。現代ではロボット工学などの技術に取り入れられている。

最近の子供は、と言うより、日本社会全体が、昆虫離れしていてノートの表紙の昆虫写真さえ、クレームで載せられなくなったそうだ。終いには幼稚園まで建てられない。
何でもかんでも除菌、除菌、花粉、花粉と言っているうちに、互いが駆除し合う社会になってしまった。


P.S.
これを上げた翌日、ダーウィンが来たで、孔雀グモの話をしていた。まさにこの家グモと同類だが、ハエグモと言っていたので、それが正式の呼び名なのかも知れない。


ゾンビ国

2016年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

オバマ大統領広島訪問。何とも表現しがたい波紋が起こった。
広島では、とにかく来た事を評価する人、不満を我慢している人、微妙な違いが見られたが、見ていると、どうも被爆体験時の年齢が影響しているような気がする。戦争を理解していた年代と、状況理解ができないままに被爆した年齢とでは、原爆の意味が違っているような気がした。

オバマ演説も、立場の複雑さを十分に反映した、むずかしいものだったが、なるほど、上手く言いまとめていた。その分、インパクトはなかったが。

一方、韓国は相変わらず、誰でも良いから謝罪と賠償をしろと言えるチャンスと受け止めたようで、相当アメリカにねじ込んだらしい。オバマ演説にも、ハッキリ「韓国」と言わしめた。それだけでは気が済まなかったのか、羽田で大韓航空機がトラブルを起こして、空路が止まり、日本の国会議員がオバマ訪問の広島に行かれなかったそうだ。いやはや
中国はさらに徹底しており、始めから、陰で色々妨害していたが、オバマ訪問へ外相が早速、「南京こそ忘れるべきではない」とコメントした。

中韓の「被害国」は、オバマ広島訪問が日本に免罪符を与えることを気にするあまり、非核問題には、ほぼ全く目が行っていなかった。
次に核を使う人達は、おそらく、こういう人達だろう。

ところで、サミットが問題にした、中国の鉄鋼過剰生産は、周期律的にみると、まさに、大躍進政策の失敗が、鉄鉱の大量産だった。この時は、ガラクタ鉄鉱を形だけ量産した事が問題だったが、使えない物の量産という点では、売れない鉄鉱も同じ事の繰り返しだ。
中国の李克強首相は、生産過剰で余った鉄鉱企業を減らすため、ゾンビ企業は容赦なく閉鎖すると言ったが、中国そのものが、古代帝国の夢を抱えたゾンビ国なのだから、ゾンビがゾンビをツブしたらどうなるんだろう。


選手交代

2016年05月25日 | 星の流れに

いよいよ興奮剤、天王星の効果が切れ始めたようだ。
初めの方のオヒツジ座、ザッケローニは中国のクラブ監督を解雇されたし、川島も契約先に困っている。一方で、まさに今、天王星が来ている後の方のオヒツジ座、岡崎慎司は絶好調だ。

天王星が後半に近づくにしたがい、牡牛座の気配が漂い始め、田中角栄ブームが再来している。
牡牛座時代は、食の異変が起こる。食品業界や外食産業などの離合集散、栄枯盛衰が起こるし、ファッションはオーソドックスになり、品質が問われ、重厚なセクシーさが注目される。

田中角栄について良く言われる色気は、調子の良さとズッシリした逞しさであり、一白と牡牛座の足し算だ。今、我々から見ると不思議でしょうがないヒトラーの魅力は、牡牛座にあったのだろう。
牡牛座の魅力は、京都弁で言うところの「むっくり」とした魅力で、角張らない存在感だ。
ヒトラーは不思議かも知れないが、三碧独特の演説シーンを除けば、日常は意外に可愛げがあった。

そんな牡牛座時代が漂い始めた反面、オヒツジ座には秋の気配が漂い始める。天王星によって、悪評を被っていた人もいるが、そういう人にはむしろ穏やかな日常が帰ってくる。気をつけなければいけないのは、ザッケローニや川島のように絶好調だった人で、こういう時は、もう一度、今までが異常だったと、思い直す必要がある。


母娘相似

2016年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、見合結婚が一般的だった頃は、娘より母親を見よといわれた。
若いときは誰でも魅力的だが、年を取ると差が出てくる。そして、不思議というか当然というか、娘が年を取ると母親そっくりになる。
その姿がどうあって欲しいか、人の好みは様々だが、とにかく母親の姿が娘の未来だといわれた。

しかし、この定説は間違いだと思う。母娘と言えども、体型からして全く違う場合もあり、生い立ち環境によって、性格、価値観まで異なる。
父方の遺伝を受けたり、姉妹関係のどの立場であったかによっても大きく異なるし、生活状況も同じではない。

おそらく、こういう通説が成り立ったのは、安定した封建時代ゆえに、安定した家族同士が見合いをしていた事で、一定程度の同質性が見られたからではなかろうか。
今日のように、家の継続性が失われた時代には、成立しない話しだ。

封建時代の結婚といっても、見合結婚は明治以降の話しで、それ以前の、親が勝手に決める許嫁(いいなづけ)結婚時代より、むしろ、革命的に民主的だった。何しろ、一応、男女両者が顔を合わせ、選べることが前提になっている。
とはいえ、見合結婚は、許嫁結婚の家同士の結婚から進歩したものだから、やはり基本は家同士の結婚で、そこに、本人の最低限の拒否権が認められたに過ぎない。

見合結婚が普通だった頃は、恋愛結婚はタブーだったので、許嫁結婚同様、責任ある立場の者は、若い男女を積極的に紹介してやらなければならない。だから、上司や先輩は、常に心がけて、若い男女を物色していた。
そうして、仲人となり、結婚生活にも口を入れたりアドバイスをしたりする責任を負っていた。仲人をする事で、結果的に指導者となり、社会的立場もできていったので、なおさら、お節介が増えていた。

こういうお節介が存在しない現代では、恋愛しか結婚のチャンスがない。恋愛ができなくても結婚はしたいという人は、儲け主義の紹介業者に頼るしかない。
つまり、少子化の背景は、自由恋愛時代にあるわけだ。社会的な強制力が働いた時代は、しぶしぶでも結婚したので、子供はどんどん生まれた。

では、自由恋愛をタブーにすべきなのだろうか。冗談ではない。
恋愛で男女が出会う時代に、家制度の名残である、婚姻を前提の出産環境のままである事が、決定的な障害になっているのだ。子供は両親で育てるものである事ばかり強制しているが、社会で育てる前提が、全く欠落している。

赤ちゃんポストが生まれたとき、安倍総理は、親の責任放棄はケシカランと言った。
育児休暇を取ると言った国会議員ではないが、一見もっともに聞こえる、響きの良い言葉だ。だが、子供の養育は、第一義的に少子化を止めようとする国家にこそあるのではなかろうか。
もっとも、少子化にそったビジョンを持つ国家なら、また別の話しだ。

ところで、娘が母のようになる必然はないが、近頃の母は、娘に負けまいと同じような格好をしているから、娘が母のようになると、言えなくもないのかも知れない ???


他言語脳

2016年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、ケンミンショーで津軽弁を紹介していた。昔若い頃、寝台特急「日本海」で青森から乗った女性四人グループが、一晩中楽しそうに話をしていたので、横で、懸命に聞いていたが、遂に、全く理解できなかった。
時々単語だけがわかる外国語を聞いているようだった。

同じ事は、沖縄の離島から来た、おばあのグループの会話もそうだったが、これは、比較的最近なので、日本語の古語と漢語の変形と理解しながら聞くと、多少理解できた。
津軽弁も、やはり、古語を意識しながら聞くと多少解るような気がする。

それにしても、日本に残る、方言が消えかかっている事は極めて残念な事だが、津軽には今も元気の良い津軽弁が息づいている事に感動し、嬉しくなった。
これに比べると、沖縄はかなり危ないような気がする。民謡歌手でも、習わなければ古い島言葉が理解できないと聞いた。

津軽と沖縄の差は、おそらく、東京との距離にあるのだろう。
学校で標準語に直すのはどちらも厳しく行われたようだが、東京に近かった津軽の方が標準語に接する機会が多く、比較的簡単に標準語のような話し方ができたので、学校以外での現地語との峻別がなかった。

一方、沖縄の場合は、東京との距離が遠く、頑張って標準語を身につけなければならない意識が働いたようだ。島ごとに方言も違ったので、標準語は便利だった側面もあるのだろう。また、琉球処分による葛藤も関係したと思う。
沖縄での標準語教育は、罰則を設けるなど、過剰に徹底していて、その結果、ウチナーグチに対する差別感覚が生まれたのではなかろうか。
この点、津軽人は東京に出たときだけ、上手く話せないコンプレックスから無口になったが、津軽弁そのものに対しては卑下する事は無かったのかもしれない。

ただ、いずれにせよ重要な事は、まだ両方とも命脈を保っているので、今から改めて、地元での使用を強化し、ヨーロッパでの言語別けのように、地元の国語として、津軽語、沖縄語などの教科を作れないものだろうか。
今更、わざわざバベルの塔を造る事はないようにも思えるだろうが、バイリンガルになれば、他言語学習が容易な脳になる。方言を話す人間は、他の方言の理解が早い。それだけ実用的な外国語の吸収が早くなるし、異文化に対する柔軟性が生まれる。

日本人の英語下手は、受験英語、つまり、すべて標準語化するような融通の利かない合理一辺倒が根本原因だ。戦時中、占領した国で日本が真っ先に始めたのは、皇国史観と日本語教育だった。今日の家電を始めとする日本企業の失敗も、一元化のゴリ押しによる。
違いを違いとして尊重する、江戸の幕藩合衆国を捨てて、日本東京主義を進めた、明治政府の負の遺産を、いまだに引きずっている。その上また、そこに戻そうとする力が強まっているようだ。


日本観光

2016年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

物や人を政治的道具として使う中国に、期待はできない。都合次第、気分次第で、いつでも出さなくなる。貿易も観光も、来る者拒まずの範囲で付き合った方が良さそうだ。

近場で人海戦術の中国を当てにするより、遠くでも、普通の付き合いができる、先進国欧州を掘り起こすべきだ。
観光案内は、何故か、英語、中国語、ハングルしか表示されてない。なぜ世界の公式言語の、フランス語やスペイン語、ドイツ語の表記がないのだろう。

中国人が来日して、本当の日本を見てくれるのは、ありがたい事だが、観光客としてあまり期待すると怪我をする。
日本からの欧州観光は、ラッシュのように押しかけるが、欧州からの観光客はあまりにも少なすぎる。
ハワイを始め、アメリカとの往来は属州のように頻繁だが、欧州とは日本からの一方通行だ。

日本から欧州に押しかけるのは、日本人が欧州の歴史文化の情報に触れる機会が多いからだが、欧州の人間は、想像以上に日本の事を知らない。極論すれば、いまだに東方見聞録の、地の果てジパングのイメージから出ていない。
文化歴史は浮世絵など、ジャポニズムや、ネオジャポニズムのフィルターを通してみている。

日本に関して、すぐ、男尊女卑の嫌疑が掛かるのも、欧州文化がほとんど、本当の日本を知らないからだ。武士道やゲイシャのイメージが何かにつけて強く影響している。
しかも、良きにつけ悪しきにつけ、この欧州のバイアスが、アメリカに伝わり、さらに、欧州を追随する新興国の日本観に影響する。つまり、本当の所、欧州の日本理解は極めて重要で、欧州人にこそ、もっと日本に触れてもらうべきなのだ。

欧米の観光客には、英語で対応すれば良いと思っているが、フランス人やドイツ人の観光客は、アメリカ人や中国人より、良質で、しかも、日本人からすれば意外かも知れないが、彼らは旅行好きだ。殊にドイツ人は、探究心旺盛で、どこにでも出かけ、徹底的に追求する。

先日、ドイツ人の少年がレインボーブリッジの120メートルの支柱に登って逮捕されたが、写真を撮ろうとしての事らしい。
トロイ発掘のシュリーマンも、徹底した好奇心で日本にも来ているし、易経などの中国の古典の研究や仏典研究、言語学の系統化を打ち立てたのもドイツ人だ。

観光案内には中国語も良いが、中国人は、日本語の漢字を多少は読める。むしろ独仏西などを優先的に併記すべきだ。また、欧州人の好奇心を引き出す、時空に広がる立体的な日本の観光キャンペーンも行うべきだろう。


天照大神

2016年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

台湾が、8年続いた中国寄りの国民党馬英九政権から、民進党の蔡英文総統に替わった。
馬英九政権は、ほぼ中国の思惑通りだったが、独立志向の蔡英文政権に、中国は始めから露骨な嫌がらせを始めた。
まず最初に始めたのは、台湾への旅行制限だ。
この、いつもながらの解りやすい態度は、日本人も既に、大いに学習している。

今、日本に押し寄せている中国人観光客に対し、日本の観光業は消極的ではないか、もっと積極的にチャンスをモノにすべきだと、日本通の経済専門家は助言する。日本の財界にもそういう意見がある。
しかし、押し寄せる中国観光客や爆買を、ビジネスチャンスと見て前のめりになる日本人は、意外に少ない。

大陸の人間は、臨機応変どころか一瞬で態度を変える。状況次第でどの様にも態度を変えられるから、今が良ければ、その場で目一杯稼いで、雲行きが悪くなれば、それはその時、また変えれば良いと思っている。

しかし、島国で暮らしてきた日本人は、天気次第で態度を変えられない。どんな天気も災害も、一喜一憂せず、淡々と過ごす事しかできないから、満面の笑みで近づいてこられても、そう簡単に、一緒になって笑えない。

中国の気ままな、親善や反日の繰り返しに、状況に合わせる事はせず、
どうせ、あんな奴らだと、心に深く刻み込んでいく。それでいて、繰り返し繰り返し愛想攻撃をされると、天照大神は、そっと岩戸を開けてしまう。
大陸は男で、日本は女だ。うかつに電話番号を渡さない方がいい。

大陸の満面の笑みには魂胆がある。始めは必ず儲けさせるのが、イカサマ博打だ。


概念革命

2016年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、電動自転車が大流行で、ミニバイクの売れ行きが激減しているそうだ。
バイクメーカーは、対策に色々知恵を絞っているが、どうも方向性が間違っている。

電動自転車とミニバイクは、同じぐらいの値段で、重さも大差ない。初めて電動自転車を買う人は、大いに悩む。
近所に買い物に行く程度なら、絶対的に電動自転車だが、ちょっと足を伸ばしてショッピングモールまでと思うと、バイクが欲しくなる。また、急ぐ場合も、バイクなら倍のスピードで行ける。
学生など、どこでも一台で行こうと思う人には、バイクの方がオールマイティーだ。

バイクメーカーは、バイク文化が消えかかっていると、勘違いしているようだ。バイクの魅力をアピールする作戦にこだわっている。
バイクが売れないのは、生活スタイルの変化だ。電動自転車とともに、スポーツ自転車と、折りたたみ自転車が人気だ。もちろん、自転車事故も激増している。

メーカーはバイクの「不便」を直視して欲しい。バイクはヘルメットを被らなければならない。一方通行など規制が多く、その上、近頃では駐めるところがなくなってきた。
それでもミニバイクに乗るのは、バイクが好きだから乗るのではなく、便利だから乗っているのだ。

今バイクを買おうと思えば、車として乗るか乗らないかの選択を迫られる。
何よりも駐車問題だ。昔と違い、ちょっと歩道に駐めていると、たちまち緑のおじさんがやって来る。それなら、駐輪場が普及している自転車の方が、よほど使いやすい。

学生アパートなどでは、駐輪場はたいてい無料だが、バイクになると、結構、駐車料を取られるし、公共の駐輪場などでも、バイクは別料金だ。
また、何よりも子供を乗せて回るお母さんは、絶対バイクは使えない。車か自転車の選択肢しかない。この時、電動自転車を選んだら、ミニバイクなど全く要らなくなる。
これまで、ミニバイクに乗っていた人が、雪崩を打って電動バイクに乗り換えたのも当然だ。

概念から変える
バイクメーカーは、バイクの概念を変えるつもりがない。バイクはこういうものだから、好きになって下さいと、玩具としてのバイクづくりに傾注している。
様々な交通規制のハンデがあるバイクでも、まだまだ潜在需要はある。バイクに乗りたくても、やむなく自転車にしている人がいる事を考えて欲しい。

その最たるものは、駐車と持ち運びだ。バイクは事実上、駐車場が必要だ。この点を解決すれば、電動自転車に勝るメリットが出る。
折りたたみ自転車のブームにも注目すべきだ。電車通勤に使う人も多い。

先ず、バイクをワンルームマンションなどの部屋に仕舞いたい人は、かなりいるはずだ。さらに、駐車時にバイクでなくなれば、緑のおじさんに捕まらない。もっと言えば、電車で運んで行かれるなら、パーフェクトだ。
ヘルメットだけはどうにもならないが、これも、組み立てヘルメットという物があるから、工夫次第でどうにかなりそうだ。

三菱自動車の幹部ではないが、先に目標値を上げて努力すれば、日本のエンジニアは優秀だ。「キャスター付きのスーツケース程度に収まるバイク」を作れば、絶対的に売れる。この場合、ガソリンを避ける意味で、電動バイクになるのかも知れない。
海外製の電動自転車は事実上の電動バイクで、手続き上、普及しないが、日本のバイクメーカは、始めからバイクとして出せば良い。

コンパクトで、室内にも仕舞え、持ち運びがきく電動バイクは、電動自転車に、機動力とスピードで差を付け、全く別の価値を生む。
小型バイクでは、ホンダのモンキーなどがあったが、あれはバイクの概念のまま小さくしたものにすぎない。ここで言う「コンパクト電動バイク」とは、電動自転車の発展系としてのバイクだ。

海外でさえできている事実上の電動バイク。日本の技術者にできないわけがない。
電動自転車を徹底的に進化させて、国民の足にするぐらいの意気込みがほしい。
この場合のポイントは、価格を電動自転車と同等にする事。スーツケースに収納できることを、前提にする事だろうか。
名前として、「ケースバイク」はどうだろう。


些細な事

2016年05月19日 | 生活の知恵

ヨーグルトパックの上ブタを開けたら、中身が飛び出して袖に掛かってしまった。
上ブタと言っても、アルミが張りつけてあるタイプだ。
小さなパックなら、あまりないと思うが、ある程度の大きさのパックは、中の空気部分も大きいから、開けるとき、無意識のうちにアルミブタに圧力を掛けることがある。

つまみ部分を持って開けたとたん、空気圧で、アルミブタについたヨーグルトが、ビシュッと飛び出す。
メーカーもここに気を配れば、様々な方法があると思うが、消費者側の心得として、開ける前、アルミに小さな穴を開けておくことだ。
尖った物をわざわざ用意することはなくて、スプーンの反対側の柄の部分などで、コンと開けておく。

メーカーの立場になって考えれば、本当に様々な方法を思いつくが、いずれもちょっとしたデザインの変更だ。それでも、それぞれ特許になりそうなアイデアなので、メーカーが考えるか、特許で儲けたい人が考えれば良いだろう。面倒くさいから踏み込まない。

ところで、フタに付いたヨーグルトや、アイスクリームは必ずなめることにしている。
けっして行儀の良いことではないが、ゴミとしては始末が良い。
すぐ捨てるところがある場合なら良いが、後でパックと一緒に捨てようなどと置いていたりすると、不慮の事故が発生する場合もある。


パナマ病

2016年05月18日 | 星の流れに

射手座の中南米、パナマ文書が話題の最中、今度はバナナのパナマ病が大騒ぎになっている。パナマ文書も世界中の問題だが、パナマ病も、実際には世界中の産地で発生しており、影響は世界中の消費国におよぶ。

バナナのイメージは、ニューギニアなどの魚座だが、病名が射手座のパナマ病として知られているのは因縁の相性だからだろうか。パナマ病はカビのような病原菌が茎全体を枯れさせるそうだから、これはいかにも土星っぽい。

バナナは何座か解らないが、芭蕉の一種と考えれば、射手座かも知れない。射手座も魚座も、元来の支配星は木星で、木星は大風呂敷だから、大きな緑の葉の植物芭蕉は木星の領域だ。果実は魚座で、病気は射手座・・・ではなくて、果実は魚座で、葉は射手座、射手座に土星が来れば葉が枯れる・・・となる。

芭蕉が射手座ならもう一つ、つじつまの合うことがある。
松尾芭蕉は俳人で、旅で知られる。「詩」は射手座で、「旅」も射手座だ。放浪の旅なら魚座だが、奥の細道は基本的に計画的な旅だ。松尾芭蕉という存在は射手座になる。

最近、和歌ブームだが、古い詩のブームは。射手座に土星の現象と言える。
ずいぶん以前、ブックオフで、「万葉集はありませんか」と、二十代の店員に聞いたら、「マンヨウシュウって何ですか?」と、逆に聞かれて、しばらく絶句したが、「まあ、日本最古の詩歌集でしょうか」と言いながら、涙が出そうになった。

よほど勉強嫌いだったとしても、名前ぐらいは聞いたことがありそうなものだが、例えアルバイトでも、本屋の店員をしながら、万葉集の名前さえ知らない。
「ちはやぶる」で、百人一首ブームだそうだから、流石にもう、あんな若者はいないだろう。


火ダルマ

2016年05月17日 | 星の流れに

射手座のカナダでは大規模な山火事が起こった。射手座の舛添都知事も火ダルマだ。
先日、射手座を怒らせたが、他でも、射手座が怒りまくって困惑している人がいた。
火星は火や武器だから、自分の星座に火星が来れば、熱が出たり、怪我をしたり、頭に血が上ってカッカする。何がなくても敵を探して興奮する。

腹が立つのは、自分の内部の問題なのだが、人が腹を立てるときは、外部のせいだと思う。自分の中の衝動を制御できないから、理由を外部に求める。
同じ状況を前にしても、疲れ果てて、怒る気力の無い人には怒れない。だから、怒りは必ずしも害ばかりではない。上手く制御すれば、向上心にも繋がる。

舛添都知事も、今、おそらく怒っているのだろう。この状況を外部からの攻撃と受け止めているから、防御と反撃の発想しか出てこない。それが無理な弁解になり、ますます火ダルマになる。冷静であれば、もう少しマシな対応ができるだろうが、もともと、土星による能力麻痺が起こっているから、こんなことになっている。当分、回復は難しい。

なお、土星が来ると老け込む。去ると回復するが、やはり一つの節目にはなる。


だんご箱 2

2016年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

「ダンゴ箱」の日本企業だが、中身は美味しいダンゴで一杯だ。
そんなダンゴ箱の周りでは、蟻やネズミが常に狙っている。

「ものづくり」に打ち込んでいる日本企業は、商売を知らない職人だ。
一方で、商売のできない職人を相手に、口八丁手八丁で、職人から仕入れて売りさばくのは、問屋である商売人だ。

ネット時代で、過去のビジネスモデルである問屋業は斜陽になっている。しかし、中韓のような商売人は、日本から核心部品を仕入れて、自社ブランドの箱に入れて売る。
中韓を日本の下請けだとなめている間に、日本の衰退が始まった。商売人の中韓は職人の下請けをしていたのではない。実際は、問屋をしていたわけだ。しかも、大々的に。

農業や工業の、物を造る人間は、自分では売ってやっているつもりだが、最終的に売る力を持ち、あちこちの仕入れ先を握っている問屋は、職人や農家が売らないと言えば、適当に別の仕入れ先を探してくるから、一向に困らない。
製造側は「あんな質の悪い物が売れるわけがない」と信じているが、それを売りさばくのが商売人だ。

また、新しい技術を編み出した職人が高飛車で、思惑に従わなければ、他の職人を養成して、作らせることができる。さらに、利益率を考えて、自社生産を始める。
オレしか作れないだろうと思うのは、職人のナルシズムだ。似たようなものなら幾らでも作れる。後は、客が納得すれば良いだけだから、手八丁口八丁の世界になる。

結局、製造者は、問屋に卸し始めたときから、支配権を握られる運命にある。
実際、中国の売れ行きが悪くなって、たちまち困るのは、職人の製造国だ。買ってくれる問屋に、嫌なことを言われたり、いじめられたとしても、簡単に拒否できなくなる。
売り手より買い手が強い例として面白いのは、中国がレアアースの販売を拒否して、困ったのは中国自身だった。

問屋が製造販売の実権を握っていた時代には、問屋が専売する条件を付け、製造者が直売できなかった。これは、問屋に依存することで条件を呑まされるからだ。
しかし、始めから、問屋に頼らなければ、商売人に大きな顔をされることはない。製造者が直売すれば、困るのは問屋だ。

おだてと目先の金で、核心部品を仲介者に提供するのは、欲に目が眩んだ近視眼だ。
職人として生きるなら、最後まで職人を貫く方が、結局は得策だ。
造った物は、欲しい人に直接売る。独りよがりの芸術家ではなく、発注者に応える職人になる覚悟だ。ニーズを探り、そこに新提案をするのが、最高の職人だ。
客に、「こんなのが欲しかった!」と言わせて、ほくそ笑むのが本当の職人だ。
日本企業は、もう一度、本当の職人に帰れるだろうか。
シャープや三菱自の社長のような、死んだ魚の目を見ると不安になる。


だんご箱 1

2016年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

「売り家と唐様で書く三代目」ではないが、三菱自動車にせよシャープにせよ、社長の顔つきを見たら、思わず「当然だ!、こんなのが社長になる会社なら仕方がない」と、口に出そうになった。

三菱自を傘下に収めたカルロス・ゴーン、同じくシャープを買収したホンハイの郭台銘。この人達の顔つきと比べれば、人相を知らない人でも、そう思うのではなかろうか。
誰にも何も言わせない顔と、誰にも何も言われない顔の違いだ。
何も言わせないのは、権威を笠に着て言わせないのではなく、何を言われても引かない決意とパワーを持っているからだ。目が違う。

三菱自やシャープだけではない。日本の会社では、何を言われても引かないような人間は、先ず、入社一年持たない。そもそも採用されない。
中小企業ならそんな社員も時々いるが、企業も大きくなるにつれて、トガった人間は集まらなくなり、優秀で、丸いだけが取り柄の人間しか集まらなくなる。

そんなダンゴ箱に、ナイフや金槌が入ると、グチャグチャになってしまうから、ダンゴが集まって入口を警戒している。何とか、ダンゴのような顔をして潜り込んでも、正体が分かったとたん、はじき出されてしまう。今や、日本の大企業はダンゴ箱で、びっくり箱ではないから、何の驚きも出てこない。


腐敗組織

2016年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

案の定、東京オリンピック誘致の不正疑惑が出てきた。
現代オリンピックの実体が、スポーツ精神に関係なく、金まみれの利権装置になっているのだから、そこに関われば必ず、「ブラック」な世界に引き込まれてしまう。
SF映画では、ブラックホールに近づいただけで逃れられなくなる。

もし本当に、オリンピック精神に基づいた「スポーツの祭典」をするなら、ギリシャ固定にすればいい。
現代オリンピックは、ずっと、政治プロパガンダや、金銭利権の道具にされてきた。
デフォルト危機のギリシャを事実上、世界共同で維持すれば、ギリシャを買い取ってヨーロッパ支配の足場にしようとしている中国の魔の手からも、護ることができる。

ギリシャ固定となれば、それはそれで色々問題はあるだろうが、とりあえず、今の問題は東京オリンピックだ。
賄賂があったかどうかの事実関係はどうでも良い。今のIOCなら無い方がおかしい。
この際、日本政府は、「クリーンなはずだ」と口を濁すより、
先ず、「そんな事実があったのなら返上する」と、宣言すれば良い。日本が返上して困るのはIOCだ。

そもそも、オリンピック経済発展神話は、せいぜい64東京あたりまでだ。近年のオリンピック開催国はその後、みな経済の崖に苦しんでいる。
時代錯誤なオリンピック誘致の結果が、既に、様々なドタバタ劇になっている。挙げ句の果てに、不正疑惑まで出てきて、次々と、かかなくても良い恥をかいている。

「不正があったら返上する」と宣言して、不正が確定したなら、JOCの責任を取る形で日本政府が返上すれば、最低限の日本の名誉は護れる。しかも、オリンピック景気という、破綻した古い経済から逃れ、未来経済を探る契機にもなる。

しかし一方で、困るのは、不正にまみれたIOCだ。代替の開催地を、おいそれと探すわけには行かないし、IOCそのものの信頼は壊滅する。何としても東京五輪を護ろうとするだろう。日本は返上宣言をして、IOCに任せれば良いのだ。

東京五輪