北海道で、「しつけ」のため、山林に7歳の子を置き去りにしたら、子供が行方不明になった。
子供がいなくなった理由はわからないが、時代の悲劇だ。
街中やショッピングセンターなら、子供一人になってもどうにかなる。最悪の場合、誰かが保護するからだ。
人気の無い山林で、街中と同じ事が可能だと思うのは、自分が社会に依存している事を自覚してないからであり、あまりに便利になった社会に慣れすぎているからだ。
現代は、自動販売機やネットで、人の手を介在せずに生活できる。スーパーに行けば、魚は切り身になっているし、仕出しものが豊富にあって、自分で食べる段取りの必要も無く、誰かに頼む事もない。何事も直接人に頼まないから、全て自分でできているような気がしている。
近年の流行語で、何かと言えば「僕が守る」と言うが、一体何からどうやって守るというのだろう。自分自身が社会システムに依存し、守られていながら、守る守ると言うが、子供が何から何まで親がかりで居ながら、すっかり一人前の事ができているような気になって、親から貰った小遣いで親にプレゼントする。
そんな現代人の幼児性は、システム社会に依存して、それを自覚していない事にある。
北海道の、このかわいそうな親のように、近頃、何かと言えば親の不適切な「しつけ」による事件が起こるのは、「守る」と同じで、自分がそれを受けなければならない立場の者が自覚せず、自分がちゃんとできているような気になって、人にそれを施せると勘違いするから起こる。
子供を育てるのは、自分を親に育てることであることを知らないから、親になっているつもりで、いきなり、「らしい」ことをする。また、それができないと落ち込んでしまう母親もいる。自分も学ぶつもりなら、先ず、子供の気持ちを知ろうとするから、子供の気持ちをじっくり聴く。子供に怒鳴りつけている親を見ると、自分の命令ばかりで、何も聴こうとしていない。
大家族で暮らしていた頃は、親といえども子供の立場で、ベテランの家族に指導された。
システム社会の現代では、専門のアドバイザーがいたとしても、他人だから、親への指導は中途半端になる。この先は、子供を親から離して施設で育てるか、昔のように、大家族の環境で育てるしかないようだ。しかし、社会がここまで来たら、もはや昔には帰れないだろう。
ただ、同じ昔でも大名や皇族は、母親から離して育てた。これはどんな母親から生まれても、立派な子供を育てる知恵だった。
男の子が無事に帰って、笑い話で終わることを、祈りたい。