中国のBBSで、中国人と日本人では、どちらが酒に強いかと議論していたそうだ。
これにかかわらず、何ごとにおいても、やはり中国は半世紀以上は遅れている。
昔は、日本でも「酒に強い」ことが自慢になった。
「♪ 酒は飲め飲め飲むならば~」の黒田節のように、「男、豪傑、酒」の三点セットとして称えられていた。
日本の場合は、「酒の上のこと」と、たいていの失敗が許されるが、中国の場合は、酒はスポーツのように、代理戦争や木剣試合の意味合いがあるようだ。酒の実力で人間を試したり、勝ち負けを決める。
そういう点では、黒田節に通じる実力テストだ。
酒に酔って我を忘れたり、能力を失ったりするのは、すなわち、戦う男として劣っており、そんな人間は尊重に値しないという、肉体至上主義の時代の原始的価値観だ。
その哲学は、日本の古事記にも至る所に表れている。
スサノウの八岐大蛇退治は、酒に酔わせて勝利し、ヤマトタケルは、やはり酒に酔った熊襲健をダマし討ちにする。
実戦でも、大和朝廷軍は蝦夷征伐でダマし討ちをしているし、信長の桶狭間では今川軍に酒を献上して急襲している。
酒で判断を誤るのは、その人間が無能だから悪い。だから、互いに、負けないように酒を飲む。酒の席は果たし合いであり、酒を拒むこと自体が、負けを認めることになる。
男としての価値が、肉体による闘争能力であった時代は、文人であっても、酒に強くなければならなかった。
浴びるように酒を飲みながら、詞を書いたと言われる李白が敬われたし、今日でも、ジャッキーチェンの「酔拳」のように、飲めば飲むほど強くなる、酒で能力が増す話が好まれる。
日本でもこの価値観が受け継がれてきたが、男の闘争能力より、人間としての知的能力が重視されるようになると、「酒に強い」ことが、自慢できるようなことではなくなってきた。
また、ネットや携帯で、肉体的に共同作業をする場が減少し、酒で人間関係をスムーズにする必要を感じなくなった。
そういうことも、若者の酒離れにつながってきている。
酒の味を変えたり、飲み方を提案しても、酒文化が無くなってくれば消費量が減少するのは当然だ。
遡る40年ほど前。着物文化も衰退を始め、祇園を支えていた呉服問屋の旦那衆がいなくなり、代わりに、京都には電子産業が育ち始めた。
しかし、この産業に従事する人達は、基本的に酒は飲まず、意味も無く人間関係をつくって群れることがないために、祇園を支える人脈にはならないと、花街の人を嘆かせていた。