魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

オリンピック

2008年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

「原始力」とはいえ、スポーツは人類の立派な文化だ。近代オリンピックは古代の人間性への「憧れ」に始まった。だから、理想はすばらしい。しかし、何事も、「理想と現実」は一致しないものだ。

古代の人間性を失った現代社会に、無垢な「夢」を持ち込んでも、それはたちまち、国家主義やマネーの餌食になる。
世界巡業の誘致合戦も、ただの物好きではない。

もちろん、現代では、音楽も文学も造形も、素朴な情熱としてよりも、商業主義として触発され成立する。
その商業主義の装置として国家があり、エネルギーとして民族主義が燃えるが、時には暴発し、国家装置を破壊することさえある。

少しでも古代オリンピックの精神に近づきたいなら、ギリシャ固定開催でいいはずだ。IOCなどいらない。競技種目もやりたいものをやればいい。そうすれば、各国の思惑や商業主義が働かなくなり、純粋な祭典が可能になるだろう。
それで、面白くないから廃るのなら、それはそれでオリンピック精神は汚されなくて幸せだ。

国と金のオリンピック
ワールドカップにせよ、オリンピックにせよ、近代国家とナショナリズムがあるからこそ刺激的なので、きれい事の本質は利害と競争だ。
現在のオリンピックは、スポーツ選手という戦士を戦わせる、利権獲得の戦いになっている。
民族や技術の優位性、総合戦力の優位性を内外に誇示する国家ブランド創りと集金効果。
オリンピック開催は、いわば、秀吉の大阪城築城だ。

一方で、戦士が、戦いで手柄を立てようと精進する気持ちは、いつの時代も変わりない。自己への挑戦と、名誉のためだ。
戦争を仕掛ける者と、戦う者の目的は、いつも異なっている。

「平和のために」と言って、戦争は始まる。
「平和の祭典オリンピック」には、平和を生み出す魔法のような幻想がある。政治は無縁だと、政治状況を無視する意見は多い。
しかし、近代オリンピックが戦いを収めた例は一度もない。

オリンピックが平和をうむのではなく、平和がオリンピックを可能にする。スポーツが平和に優先することはありえない。

オリンピックはむしろ、国家対立の意識を強化している面さえある。
勝ち負けの競技は、初めから闘争心の代償行為だからだ。
少なくとも、勝者の国旗掲揚は止めるべきだろう。

そもそも、古代の都市戦争と、現代戦争は異質のものだ。
古代オリンピックは、源平合戦の、那須与一の弓比べのようなもので、それ自体が戦争の一部であり、「いくさ」はロマンであり得た。

不名誉な「築城」
国家対抗競技は実際の戦争と同じで、戦い方にはその国の文明・文化があらわれるが、オリンピック開催の姿にもあらわれる。

北京はアジアで三番目の夏期オリンピック開催だ。発展途上国の自負の高揚と経済的跳躍台という点では、三者とも似たようなものだ。
しかし、各々、これほどカラーの違うオリンピックもない。
手前みそと言われようと、東京は平和とフェアという印象を残し、ソウルは強引と疑惑の印象を残した。(誘致、審判、薬物)

今また北京が、中華人民共和国の全貌を、聖火によって悲しいばかりに照らし出している。
経済的存在感よりも、軍事政権の正体を世界に露骨にさらしてしまったのだ。聖火リレーはまるで、裸の王様の帰り道だ。恥ずかしい姿でも逃げられない。
その上、世界中を五星紅旗で埋め尽くして嫌悪感を増殖させた。
必死になればなるほど、軍事国家の粗野で偏狭な醜態がむき出しになる。

ダライラマを恨めば、気は済むかもしれない。
しかし、古代帝政をそのまま一党軍事独裁政権に入れ替えたやり方では、現代に通用しないということを、悟るべき時が来ている。
ああ、中国4000年よ、どこに行く

オリンピック築城は、その国の本質を見せてくれる
東京大会が平和を表すことができたのは、戦後、いかに日本人が平和をありがたく思っていたか、ということだろう。


火星カニ座 4

2008年04月28日 | 星の流れに

火星はそろそろカニ座の終盤。5月10日には獅子座に移る。

この2ヶ月、カニ座は大混乱だった。
中国、福田首相、橋下大阪知事は言うまでもないが、
松居一代は始球式の練習で顔面骨折、さんまも唇が割れて見るからに体調不良だし、俊輔も体調不良とのこと。
食品、住宅業界も苦しんでいる。米国産輸入肉の危険部位混入で吉野家もオットット。(吉野家は単純には牡牛座だが、何座かよくわからない。魚座の時代によく問題が起きる)

中国と、福田総理は完全に思考停止している。押し押し押しだ。
聖火は北朝鮮に入って大歓迎。つまり、恥の総仕上げだ。
(列車正面衝突事故のおまけまでついた)
福田政権は山口での完敗にかかわらず、ガソリンを再値上げする。

突っ張って、寄って寄って・・・土俵際でうっちゃり

火星は10日にカニ座を去り、9日には山羊座の木星が逆行する。
3日には、乙女座で昨年暮れから逆行していた土星も順行で動く。
とりあえず、大きな悪要因がすべて外れるから、良くなるはずだが、突っ張りの勢いは止まらないから、むしろ、転がり落ちる。

確かに。 楽にはなる。


信じてもらえない話

2008年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

UFO」でも落下物のことを書いたが、昔から、他人に話しても信じてもらえないようなことに遭遇する。だから、信じなくてもいい話。


小学校の給食の時。野菜サラダの中にミミズの一部が入っているのを見つけて「ミミズみたいです」と持って行ったら、先生も認めて、食べ始めたばかりのクラス全員が食べられなくなってしまった。何とも複雑な心境になった。(多分、ミミズは毒ではないのだが)


20年ほど前。ハンバーガー・チェーンのドライブ・スルーでパンケーキを持ち帰って食べようとしたら、2cmほどのゴキブリが頭から半分ほど突っ込んでいた。慌てて2km離れた店に持って行ったら
「あ、すみません」と、新しいのに取り替えて、百円の割引券を一枚付けてくれた。
そのまま帰って、食べたが、これっておかしくない???

この当時、このチェーンは売り上げが落ち込んでいた。会社全体の志気というものが、こういう形で表れるものかとあきれてしまった。
マニュアル接客で有名な会社だったが、ゴキブリ・対応マニュアルは無かったらしい。
それにしても、どうすれば、ゴキブリ入りパンケーキが焼けるのだろう。いまも謎だ。


30代の頃。ひどい腹痛と下痢で、近所の総合病院に転がり込んだ。
いてもたってもいられない状態で、待合室の床に転がっていた。
2、3日前に近隣で赤痢が出たニュースがあり、担当医に聞いたら、「実は、保健所からお達しが来ているんです」ということで、そのまま隔離病院に移送されてしまった。
結局、2日後「ビブリオが出ました」と解放されて、「退院風呂」を使って、「出所」するまで、コレラ患者や正体不明の患者などと仕切っただけの同じトイレで、中東や戦後の公衆便所のような、コンクリートトイレだった。
どんな人でも、法定伝染病なら同じ境遇になるんだと思ったら、何か笑えた。(笑っている場合ではなかったが)
鳥インフルも近い。隔離病棟の状況を、舛添くんも一度体験してみたらどうだろう。

他にも、「そんな馬鹿な」と言われそうな話しばかりだが、
学生の頃、新幹線の切符売り場に並んでいたら、素敵なお姉さんがスーっと寄ってきて「要らなくなったので、使って下さい」と、切符をもらった・・・とか、嬉しい話もないわけでもない。
馬、鹿ではなくて犬なのだろう。棒には当たっても宝くじには当たらない。


2008年04月20日 | 占いばなし

ロシアの大統領選は、始めからプーチンの選挙だった。選挙戦中から常に二人で歩きまわり、勝利宣言も二人で現れると、「プーチン、プーチン」の声ばかり。
新大統領のメドヴェージェフという人。ロシア人にしても目が大き過ぎ、キョトキョトして、どこか人間離れしている。
どう見ても、人形と腹話術師にしか見えない。

「三浦さん」の弘中惇一郎弁護士の口と、サッカーの岡田武史監督は同じ口をしているが、目つきまで似ていて、親戚疑惑が浮上する。
森田公一(北海道)と山田隆夫も似ているが、実はNHKの加賀美幸子も似ていて、旧姓が山田だから、これも、どっかでつながっているんじゃないかと思えるが、関東顔の一つだ。少し変形では山崎バニラや海老名美どり姉妹なども関東顔だ。一方、美形の関東顔は高木美保、天海祐希などだろう。(「東男京女」で既述)

TVには、よく、似ている顔が現れる。単に美男美女のパターンだからということもあるが、タレント志望の性格もあるのだろう。

しかし、なんと言っても面白いのは地域性や人種で、平井堅は純粋な日本人だが、「ちがうだろう」と言いたくなる。でも、南洋系ならうなずける。大きい二重、色黒、毛だらけの濃い顔は、縄文系からメラネシアのあたりまで続いているし、太平洋海岸沿いにはよく見られる。実はよく見ると、毛を取って色白にすればイチローとも似ている。
輪郭は違うが、南方系ということでは高原直泰なども同系統だろう。

朝青龍とジンギスカンの肖像はさすがにそっくりだ。(文楽の「頭」にも似ている?)

だいたひかるは採れたところも違うが、松田聖子に似ている!?
いや、松田聖子はやっぱり、同郷の小柳ルミ子に似ている。
姫路の松浦亜弥は吉本の未知やすえに似ている。未知やすえはアイドル系???逆???

福岡の鳥越俊太郎と藤井フミヤなども同系統だ。
また、国利民福の会の平松重雄とさだまさしも似ていて、いずれも北九州には多い顔らしい。クールファイブにもこのタイプがいて、宇宙戦艦ヤマトの徳川機関長と佐渡艦医や、サザエさんの波平さんに似ている。
松本零士は福岡で、長谷川町子も佐賀の人だから、北九州「オヤジ像」の典型なのだろう。
柔道の井上康生は嫌でも麻原彰晃と似ているし、体操の冨田洋之も大阪生まれだがおそらく九州系だろう。

南関東系なのか、小雪と荒川静香も似ている。二人ともO型で12月生まれだ。

京都出身の坂下千里子や、佐々木蔵之介、マラソンの中村友梨香も似ている。

よく、悪人顔とかいうが、顔のタイプでは善悪に別けられない。人種も民族も国も、それだけで良いヤツ悪いヤツには別けられない。
ただ、悪人やアブナイ人というのは、表情に表れる。脳の働きが表れるからだ。

顔を造る環境と感性
輪郭と関係なく表情という点では、西に行くほど口をとがらせて喋る。
最もとがらせるのは朝鮮半島だが、近畿のあたりまでとがらせる。
近畿はとがらせると言うより、口を開く。

アメリカにいる日系人と日本人は、唇の薄さですぐわかる。英語を喋っていると唇が薄くなるが、関西人と比べれば関東人も唇が薄い。というより引き締まっている。関西には歯茎をむき出す人が多く、同じ系統の顔でも、環境で全く別顔に見える。明らかに日常会話の影響だ。

関西人でも、神戸あたりにはキッチュや勝谷誠彦のような中国的イラチ顔がいる。万能細胞の中山伸弥教授もこの系統で、見かけによらず、結構、冗談を言う。
松本人志にしても、もっそり喋るが実はこのタイプだ。

他の東洋人と日本人が違うのは、目つきだ。
日本人は能面の目をしている。海外の長期滞在から帰ってきた人なら解ると思う。極論すれば、瞑想しているか催眠術にかかっているような目つきで、眼が機敏に動いていない。
おそらく、世界でもこういう目つきの人々はいないのではなかろうか。

よく、「目を見てものを言え」と言うし、近頃ではほとんど無くなったが、日本文化では目を見るのは失礼だった。そういうことも影響しているのかもしれない。


大陸

2008年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

中国を尊敬していると言うと、怪訝な顔をされる。
占いを学んだ者なら、古代文明を尊敬するのは当然だろう。
そして、中国は良くも悪くもその体質を保ち続けていると思う。

ただし、
中国を尊敬していると言っても、現・中国軍事政府を尊敬しているわけではない。
そもそも、中国としてひとくくりにする国家像があるかどうかさえ疑わしい。
尊敬する中国とは、黄河、長江文明と、そこに関わる文明の総体であり、いわば東アジア・シルクロード文明とでも呼ぶようなものだ。

日本の文明・文化はこの恩恵なくして考えられない。
様々な知識だけではなく、民族移動そのものも含めて、今の日本がある。

ネット・ナショナリズム
恐ろしいことに、近頃のナショナリズムは、日本列島の人や文明が、天から降ったか地からわいたかのような論調にあふれている。
これではまるで、北の将軍様の出自や瑞兆を崇拝する親衛隊とかわりない。つまり、戦前のあの神国ゾンビが甦っているのだ。

これは、政治や教育、マスコミが、無責任にシステムや制度を食いつぶしてきた結果だ。
権威たるべきものの醜態に、ネット社会が反旗を翻しているのだ。

ネット社会は無秩序な原野に集う烏合の衆だ。
いつの世も、秩序が崩壊すると魑魅魍魎が跋扈する。いわば三国志前夜のような状況に、怪しげなリーダーが次々と現れ、ネット意識を導いていく。

ネットにはすべての情報が開示されている・・・という思い込みが、客観性のない、直情的な行動を生み出す。

中国で、反日や反仏不買運動が起こるのはネット操作されているからだと言われているが、中国でなくとも、一つの言語ネット集団の意識は偏った行動をうむ。
最たる例は盧武鉉政権の誕生だが、世界的にも、情報制限されていないにもかかわらず、他国から見れば互いに奇異な、ネット・コンセンサスが生まれている。オバマ、プーチン、イスラムテロ・・・
つまりは、外から見れば日本のそれも大差ないということだ。

共有言語内の意識は、どうしても内向きな独善に走る。
仮に完全な翻訳ネットが普及しても、「アホとバカ」のように、環境の違う感性は理解できないだろう。生い立ちの感性こそがナショナリズムの原点だからだ。

単純思考
多くの異邦人が出会えば、言葉は単純化する。
「オマエ、クウ、メシ?」で通じる  (お食事になさいますか)
異邦人同士の共通言語として成長した現代英語も中国語も、他言語と比べれば単純化している。
単純な言語にはジェスチャーを必要とする。英語は言うまでもないが、中国語の、愛想笑いと決め口調も一つの補助言語だ。

中国語の単純さ、行動の単純さだけ見ていると、あの偉大な文明がどこから生まれたのか理解できない。

叡智は、言葉の美しさ、論理の整合性に一致する・・・
そう考えていては決して見えてこない何かがある。

大通りの中国人へのインタビューは、見事に政府の見解に一致している。保身のためか本気でそう思っているのか、とにかく中間的な意見がない。
ただ、言えることは、どうも中国人は、常に単純な答えに振り分けて生きているようだ。
三峡で、反日感情の中、一人で展望台作りをしている日本人のオジサンの話を聞いて感動した中国人の娘が、突然「嫁にしてくれ」とやって来て結婚したそうだ。まるで聊斎志異のような話だ。

単純明快な「意志と感情」に生きることで、結果は「時」にゆだねる・・・中国人は、そんな生き方をしているように思える。
考えようによれば。一人の人間が何でも解ろうとするのは人間の「思い上がり」なのかもしれない。

巨大コンピューター
コンピューターは「0・1」の二進法で動き、あの複雑な振る舞いをする。膨大な「YES・NO」が集積して一つの結果を出す。人間の体も膨大な細胞によって一個の意志が生まれる。

中国文明という一つの生命体は、人海の集積として存在しているのではなかろうか。そうだとすれば、個々の意志や時々の行動は、単純な方が良い。人権などにかまっていられない。これがいわゆる「大陸的」ないい加減さなのではなかろうか。
海と山に閉ざされて、個の感性や技の道を求める日本人には計り知れない、荒技の原理なのかもしれない。

チベット問題には怒っている。
しかし、この問題は単純ではない。「国家とは何か」「果たして国家は必要か」という問題だからだ。
近代国家の多くは、成立の線引き段階に多くの矛盾を含んでいる。
日本政府は、日本人は、もしも、沖縄や北海道が独立すると言ったとしたら、どう考えどう行動するだろう。


♪魚座は続くよ

2008年04月18日 | 星の流れに

天王星→牡羊座が近づいているとは言え、まだ魚座の真っ最中だ。

ガス
硫化水素ガスによる新型のガス自殺の流行。

足先
五本指やスニーカーソックスなど靴下のニュータイプが流行するかと思えば地下足袋ファッション。
樹脂サンダルの流行とその事故。その名も「CROCS」でワニのマークだ。樹脂も魚座だし、会社自体も魚座時代に生まれた。おそらくこれで消えるだろう。時代の申し子は時代とともに消える。
介護派遣などの業界も魚座で、すでに色々あった。

一世風靡
世界を席巻しているのは、サブプライムローンだ。
「sub-prime」自体が魚座の言葉だ。つまり、「primeに対するsub」
まさに「主体と客体」という相対的関係であり魚座の「鏡=光と影」そのものだ。「アウトレット」も「主の影」が主になる現象と言える。
同様に「格差」という対立の言葉も、全く魚座時代の言葉であるということは前にも述べた。
奈良の「せんとくん」騒ぎも、「遷都」は「次の世界に移る」という魚座の言葉。

ブランド
ブランドは「のれんの信用」であり、魚座のモットーは「I believe」。ブランド価値が落ちたからとDOCOMOがロゴを変えた。
聞いた瞬間、思わず「ハアー」(だめだ、こりゃー)

なぜ成績が落ちたか全く解ってないし、解ろうともしていない。
ロゴなんか変える前に、まともな製品を出せよ!
何でもできる優位な状況に慢心し、何もしてこなかった。
いつも服だけ着替えて何かしたつもりになっていた。

「何でネットを活かす製品を出さなかったんだ!」

ブランドだけに甘えていた証拠に、ロゴを変えることしか思いつかない。まるで「売り家と唐様で書く三代目」のボンクラだ。
役人根性の経営陣は総退陣して、とっとと若者に替われ!
ユーザーとして声を大にして叫びたい。「大バカヤロー!!!!」

新ブランドは赤一色。まもなく「赤」の牡羊座時代が来る。花火が開いて消えるだろう。


新聞

2008年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム

4月6日は「新聞をヨム(46)日」だそうだ。すると、8月14日は廃止の日?

占いとは関係ないが、30年前に共同通信の取材をうけた。
今後のビジネストレンドは?と聞かれて、「電話です」と力説しながら「新聞はなくなるでしょう」と口を滑らせてしまったら、記者の目がギラッと光って「どういうことですか?」と怒ったようなバカにしたような雰囲気になった。
『しまった』と思って、「いや、紙ではなくなるということです」と言い訳をすると、安心したように「当然だ」という顔になった。
しかし、内心『新聞発想が無くなるんです』とつぶやいていた。

新聞社はまだ存在している。しかし、使命を権威と取り違えて仕事に就いた頭が、根本的に切り替わらない限り、そのうち消滅する。

これは予言話でも自慢でもない。
当てもの予言や、占いショーはどうでもいい。
生きていく上で大事なことは、将来予測だ。
桐一葉落ちて天下の秋を知る・・・
今起こっている事象から、将来を想像、予測し今の行動判断をする。
それは占いとは関係ない、想像力だ。

手塚治虫の予言的な発想は、決してゼロから生まれたものではない。
当時、散在した微細な話題や知識から、妄想して生まれたものだ。
ところが、同じ情報に接している同時代人は、今咲いている花しか花だと思えない。柿の種よりおにぎりに価値を感じる。

原子力発電ブームで東芝の株が上がった。武田薬品はアメリカのバイオ企業を9000億で買収するそうだが、いいのかな。
世の中は、「賢いハズ」の人が賢いことをするとは限らない。

自民党に至っては、選挙結果の意味がいまだに分かってないようだ。
与党も野党も、50年先すら考えていない。
政治家の考えることは、立て前だけでも「100年の計」だろう。
しかし、彼らにとって未来とは、現在の逃げ口上に過ぎない。

もっとも、100年先が見えたとしても、対応対処能力がなければ
ただの貧乏占い師だが。


火星カニ座 3

2008年04月10日 | 世相史観

牡羊座の時代
活動宮は、人気やカリスマ性で新境地を開く。
(活動宮:牡羊・カニ・天秤・山羊)
カニ座や山羊座の「好き嫌い」に対し、牡羊座や天秤座は「論理と納得」で導こうとする。
天秤が説得で共感を得ようとするのに対し、牡羊座は主張で率いていこうとする。
牡羊座と目されるEUは、ルール作りを武器とする。
国際法、FIFA、IOC、保険、植民地・・・今度は排出権取引の主導権をとろうとしている。
何も持たない者が、いつの間にか持つものに対して優位に立つ。
そのうち、世界相撲競技会ルールさえEUから生まれるかも知れない。

中国や中東が商売の達人なら、欧米はルールや付加価値の達人だ。
つまり、言いがかりで利得に有りついているわけだが、何もない北の国で苦労しただけに、抜け目ないリーダーシップを持っている。

なぜ世界は、欧米の独善を有り難がってついて行こうとするのだろう。
オリンピックはそんなに有り難いものだろうか。サッカーの審判は信用できるだろうか。柔道の勝敗とは何だろう。
著作権法に道理はあるのだろうか。保険は破綻しないものだろうか。
欧州の名画と、刷られた浮世絵の美的相違とは何だろう。
国際法の正義とは何だろう・・・

今、欧米の独善に、中東と東アジアが異を唱えているが、
どちらも正義とは言えない。いずれも今や時代遅れの原理だからだ。
駆け引きや、強権支配では世界統一はできない。

農業や牧畜が生んだ、マネーでは人類は幸福になれないことが解ってきた。しかしそれに替わる原理がない。

天秤座の日本
そこで思う、人類共存の原理は狩猟採取や縄文の心ではなかろうか。自然に従った地産地消、労働対価を根幹にして、過剰生産やマネーを排し、足るを知る哲学を広めることが大切だ。
オリンピックのような「原始力」の勝ち負け大会は止めて、文化芸能祭りの方がいい、情報化時代に一つの会場に集まる必要もない。

天秤座の日本は、縄文と弥生、実に様々な価値や原理が練り合わされている。黒船以前の島国日本の平安は、今後の小さな地球平和のモデルになるだろう。

とは言え、直近、天王星が牡羊座に入ると、EUはまた素早くルールを掲げようとするだろう。おそらく始めはリーダーシップが物を言うが、やがて破綻するだろう。
活動宮、山羊座に冥王星がいる間に、天王星が牡羊座に入り、土星が天秤座に入る。原理のぶつかり合いは必至だ。

火星カニ座 1火星カニ座 2


火星カニ座 2

2008年04月10日 | 世相史観

カニ座と言えば、中国、福田総理、ブッシュ大統領・・・

カニ座の支配星の月は「愛嬌と人気」を表す。
カニ座は人気者の星だ。自分は人気者だから、自分の考えや感性は誰でも賛成するものだと思っている。

自分の意志が通らないのは、相手が悪い奴だからだ。逆らうのは他人、外敵に決まっている。
だから先ず、相手が悪いことを家族や身内に解ってもらおうとする。
自分は悪者ではない。解ってくれないなら身内でも仲間でもない、という信念と甘えがある。

福田総理の「困りますねえ」「何を考えているか解りませんねえ」は、
『何しろ相手は、まともに話もできないバカですからねえ』と、周りに共感と同情をかおうとする態度だ。
同様に、中国は「外敵のダライラマによる策謀で、内部のチベット人が騙されているのだ」と外部のせいにして、内外に同情をかおうとした。(家族を囲い込むのもカニ座の習性、ナショナリズム)

だが、両者とも、身内の他に味方になる者はいない。
数字ではっきりと指示されていないと解った福田総理は態度を豹変させた。人気こそカニ座の行動原理だから、人気の取れる先頭に移動し、「始めから僕は人気者」と思いたい。
一方、中国は、国家支持率などはないので、思いこみで暴走を続け、転換のチャンスを失う。
もっとも、福田総理の方も手遅れのようだが。

いずれにせよ、中国も福田総理も、反省はできず、どんどん頑なになり、福田総理はひたすら同情をかおうとしている。
中国も、ダライラマが悪いチベット人が悪い、デモを放置している国が悪い。世界中が中国をいじめていると、ひがんで意地になる。

山羊座
カニ座の逆が、はじめからひがみ根性の山羊座だ。「好いた惚れた」は信用しない。人間は分かり合えないもの。だから「自分を好きにさせる努力」をする。出たがり目立って、強引に自分に引きつけようとする。
小泉純一郎元総理のように、内なる敵を強調し破壊者を演じて、強引に自分に賛同させた。

山羊座の恋愛は、二人の関係を醸成するより「好きにさせる」環境作りや策略が先行し、自然恋愛派にとっては「愛」を感じられない。
山羊座とカニ座の失恋理由は、思いこみで強引に形だけ成就した恋愛に相手が納得していないからだが、当人には理解できない。
(山羊座:毛沢東、ニクソン、スターリン、胡錦濤)

火星カニ座 1 、火星カニ座 3


天王星の影響

2008年04月07日 | 世相史観

天王星が入った星座の人や事柄は、先ず目立ち、問題視され、やがて変化する。

魚座の天王星も終盤に入り、変化の段階に入り始めた。
虚と実の事柄(ガソリン、酒、薬品、音楽、映画、写真・・・)も、落ち着く先が見え始めた。
まだまだ、大混乱だが、壊れたものは、取り替えるか、組み直すしかない。いずれにしても元には戻らない。

年金問題も、粉々になった器は、どんな天才が貼り合わせても、元の器には戻らないことが、だれにも解ってきた。
それでも政府は、欠けらを集めて袋に押し込み、元の器のラベルを貼ろうとしている。
どんな名器でも壊れていては水が飲めない。
社会保障制度は一からやり直す時が来た。この期に及んで日本は、家宝の桐箱を飾って渇き死ぬつもりだろうか。

変化の兆候
ここ数年、一世を風靡した人たち、亀、魚、海老、宮、船、洋・・・にも変わり目が近づいている。
海保や海自も魚座時代の職業だが、就航してハワイで成果を上げたばかりの「あたご」の「舩渡」艦長もあの通りだ。「渡海」文部科学大臣も初入閣おめでとうで終われば上出来だ。
目立っている魚座の有名人も、今後いかに巡航コースに落とすかが本当の勝負になる。

人や事柄の変化は、そう簡単に変わるものではない。
酒が覚めるのには時間が掛かる。
北海道のミートホープという水瓶座の会社は、天王星・水瓶時代にピークとなり、やり過ぎの結果「変化」は今頃出た。

良い方向、悪い方向、いずれの変化も結果が出るのは先のことで、
年金も、ガソリンも、酒タバコも、法律や一般認識が変わるのはまだ先だ。今は、その変化がいかにして起きるかを全員参加で見守っているわけだが、渦中の我々は、案外、将来に及ぼす今の状況というものは認識していないものだ。

天王星が魚座に入って以来。事件事故に「7」という数字がつきまとっているが、
(名前を変えれば運が変わる?)
木星が山羊座に来て「8」という数字もよく出てくる。八甲田山、八頭、8人乗り・・・

冥王星による効果は、天王星の事件のように顕著なものはないが、前の冥王星・射手座の期間中に、三洋証券が倒産したり、三洋電機や三菱自動車が実質的な死と再生をせまられた。
それでいくと、今後の「八」は生まれ変わる。現状が滅び、新しいものが生まれる。「八」のつくものなんだっけ?

ところで、6日は活動宮=牡羊座の月の新月だったが、スリランカのマラソン大会で自爆テロがあった。同じ日、佐賀のマラソン大会がミツバチに襲われた。
爆弾とミツバチでは次元が違うように思われるが、星の影響は人間にとっての事の大きさとは関係なく、何時も言うように、現象のイメージであり、金太郎アメの同じ顔と言える。


走馬燈

2008年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

死ぬ時は、人生の出来事が走馬燈のように浮かんでくると言うが、誰も証言した人がいないので、事実は分からない。

死ぬ瞬間ではなくても、老人は、昔のことはよく憶えていて、昔話が尽きない。頭の中はいつも、脈絡なく走馬燈のように情景が駆けめぐっているようだ。

昔の映画「野いちご」は老人の心象風景だったと思うし、黒澤明の「夢」も同じようなモチーフだった。

占いにハマってしまった理由の一つは、人間好きだからだと思う。
小説家や芸人、役者も、人間に対する好奇心が異常に強い。
自分ではない人に興味を持つということは、実は、自分好きの裏返しで、自分ではない人を体験して、自分の世界を広げようという欲望の表れだろう。

社会的動物である人間はもともと、感性を他人と共有したい願望を持っている。狼が狩りに出かける前に興奮を高めあうように、野球で円陣を組んだり、戦争の前には国中が感情的なルツボに巻き込まれたりする。
そういう興奮によらないで、知的に他人の感性を体験したい願望が、小説やドラマの創作や鑑賞であり、コスプレや女装趣味になる。
近頃のネット社会では、サイバーやなりすましという新分野も現れた。

もっと言えば、だいたい、人間の性的欲求の大半が、感性共有体験の願望にある。「ええか、ええか」の世界だ。
知的レベルの高い人にスケベが多いのもきっとこのためだ。

老境
同じ人間にもかかわらず、肉体的条件から理解する手がかりがないのが異性の心境だが、同じように、理解できないのが老人の気持ちだ。

十代の頃から、大人になることより、老人に興味があった。
世の中のたいがいの喜怒哀楽は大人と子供についての話だが、老人については、姥捨て山と浦島太郎ぐらいしかない。
老人の喜怒哀楽とは何だろう・・・いろいろに想像すれば興味が尽きない。こんなことに興味を持つのは変なヤツだろうか。そう思っていた。

10年ほど前だと思うが、小堺一機と宇崎竜堂の二人司会で新藤兼人と対談をしていた。
二人が「80歳ってどんな心境ですか。情けないことってどんなことですか?」とたずねると、新藤が「妻を喜ばせてやれなくなったこと」と答えたので、二人が「え、え、どんな気持ちのものですか」と本気で色めき立った。
これには、三人の知的人間性が現れている。「生」に対する率直な人間的好奇心の会話が愉快だった。
確か、狐狸庵閑話だと思うが、臨終の床の大作家に後輩の作家が
「死ぬのはどんな気持ちですか」とたずねると
「そりゃ、寂しいよ」と答えた話があった。

この話のように、人間への好奇心が強い人の会話は、世間のタブーや体裁を超えて、学者同士のように「本当の人間」が探求される。

40年ぐらい前。いつも行くお茶漬け屋が、たまたま漫画家の溜まり場で、ほとんど超下ネタ会話だった。あれも一つの人間探求なのかも知れない。

若い頃からの老境への好奇心は、実際その年になるまで興味が止むことがなかった。
こうして、脈絡もなく昔のことを思い出すのは、もう充分に老境なのだろう。


漫画家はサソリ座の職業で下ネタ漬けは当然と言える。
小堺一機、宇崎竜堂、新藤兼人はそれぞれ、山羊座、魚座、牡牛座で女性星座であり、肉体に基づく人生観を持つ人たちで、同じ人間性についても、年齢や性で話が展開するところが面白い。これが男性星座だと、精神論で話が展開しただろう。


\(祝)/

2008年04月02日 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、いつもなら爆睡中の時間に、『起きてニュースを見ろ』と告げられた様な気がして、寝込んでいる体を何度も覚醒させながら目を覚ました。
BSニュースはちょうど「インターネット新認証制度」のことを話していた。これも注目すべき話だが、次の項目で「寝ぼけた頭にババン、バアーン!」

遂に「風力発電ファンド」ができたのだ。
昨年8月「欲は地球を救う」で話したことが、提案になったのか、予言になったのかは知らない。
当然、全く同じではないが、とにかく「欲から善へ」の道が開かれた。
この動きがうまく進み、良い方向に発展することを祈りたい。
(なかなかむづかしい問題も多くあるが)

提案でも、予言でもいい。運命の共時性というやつなのだろう。何だか、ここで書いていることもムダではないような気がしてきた。


不幸の素 

2008年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

昔は書き順テストはうるさくなかったように記憶するが、
年々、書き順のようなものがうるさくなってきた。

こう書きなさいと言われ、点数に影響するから一生懸命おぼえる。
誰かが間違えると、「あ、それ違う!」と鬼の首を取ったように笑いものにする。

ところが、学校で教える書き順は、時代により学説により、変わってきている。

受験や塾は盛んだが、日本の教育が向上しないのは、こういうばかげたこと=「記憶術」の学習ばかりしているからだ。

「読み、書き、そろばん」・・・、日本の受験学習はこの技(ワザ)を際限なく拡大したものを「教育」だと思っている。
これはゲームの達人と同じ能力だ。

教育は「意味」を考える力を養うことにある。
知識をおぼえるえるのではなく、それはどのように知識として成立したのか。
そして、生きていく上にどのように使えるのか。それを考える力を養うことだ。辞書を開けばわかるようなことをおぼえることではない。

「こんなことが世の中に出て何の役に立つのか」と思わせるような教育は、苦役であって「育」ではない。

不幸な卒業生
与えられる新知識を一生懸命おぼえる訓練をされると、社会に出ても、流行や生き方を一生懸命学び、実践しようとする。
三種の神器をそろえなければならない。
流行に乗り遅れてはいけない。ブランドを知らなければ恥ずかしい。
一流校に進学し、一流会社に就職し、エリート美男美女と結婚し、子供を一流校に入れ・・・しなければ、落ちこぼれる、社会の劣等生、負け犬になる。

そして、それができなければ、焦り、悩み、落ち込み、争い、恨み、時には死に至る。
こうした、不幸の循環は、解決策を考える思考力が養われないからだ。

人生にどうしようもない悩みはあるが、創り出されたルールを満たせないからといって、不幸になることはない。
書き順テストが0点でも、ダメな子になる必要はないのだ。

自分に関わる不幸を、自分の知恵で抜け出せる。生きる知恵づくりこそが教育の仕事だ。

自分が好きなことは何か、したいことは何か。それはどうすればできるようになるのか。
できないとすればその理由は何か。その理由は乗り越えられることなのか、乗り越えられなければ、その動機を満たす他の方法はあるのか。

人生上の問題をこのように克服していく方法は、幼少年期の学習によって学ぶ「考え方」にある。
今の学校教育は、こうした考え方の訓練の場になり得ているだろうか。

ところで、ゆとり教育批判の急先鋒は40代。正確、論理、要領の良さ、を重んずる偏差値世代のように思うのだが、どうだろう。