民主党の動きを、何か大改革かのように喝采したり、細かな問題に懸命にケチを付けて抵抗している勢力もあるが、大津波が押し寄せている時に、コップの中の嵐のようなもめ事で、日本中が何となく納得している。
産革パラダイムの転換は、ある日突然起きるわけではない。何度もパニックを繰り返しながら、半世紀をかけて文明は生まれ変わる。
政治に必要なものはビジョンだが、今ほどビジョンが必要な時はない。
50年先、100年先を見据えた道を示さなければならないが、それには、現在を把握できていなければならない。
化石燃料の枯渇や、環境問題という、実際に目に見えることは誰でも解る。(それさえわかっていない連中もいるが)
しかし、もっと重要なことは、それが何を「意味」しているかだ。
「パラダイムシフト」は流行語になっていても、何がどうシフトするのか、どうも、ほとんどの人が解っていないようだ。
また、仮に、少数の人が賢明に説いても、それを理解できなければ、同じ事だ。
産革パラダイムの中からビジョンは生まれない
産革パラダイムが終わった時、どういう荒野に立っているのかを、イメージできなければ、今、何を目標にすべきか解るはずがない。
産革パラダイムが終わる時、全てが無くなるわけではない。人類の経験と知は残る。次の世界とは、それをどう再構成するかだ。
産革パラダイムの構成要素を切り捨て、再構成に必要な知と、何を再構成するのかという叡智のビジョンが求められている。
50年後の、産革パラダイム後の荒野に打ち立てる新たなパラダイムを目指して、今何をすべきなのか。
あらゆる施策は、その認識に立っていなければ、滅びの道になる。
100年のビジョン
先ず言えることは、大量生産が消滅した文明だ。
大量消費のために無理に需要を喚起するような、「景気」主体の経済から、「知足」の生き方へのシフトだ。
景気とは人間の欲と熱気のムードだから、欲と熱気ではない、知と納得をベースにした、安定生産、高等文化の社会を目指す。
これは、共産主義の計画経済のことではない。
欲は存在し、欲を原動力とするが、物を競い物を目的とするのではなく、学問・芸術やスポーツなどの、文化を競う社会だ。
食べるための生産競争は終わった。産革パラダイムも共産主義も、人類の「飢え」の恐怖から生まれた動きだ。人類は産革を通して飢えから脱出する技術を得たが、行きすぎた。
飢えを克服する技術を前提に、「礼節を知る」社会を築かなければならない。
そこに向けて、社会制度を考えなければ、つぎはぎシステムはいずれ破壊される。
極端な例えかも知れない
しかし、これぐらい考えなければ何も生まれない。
年金は廃止。70歳以上は全財産没収し、完全社会保障する。
ただし、それ以前の財産贈与は無税。また、70歳以降の労働による収入は認める。
(新姥捨て山)
そもそも、税そのものの取り立てを廃止する。(天引き)
通貨を廃止し、ポイントにする。労働価値によるポイント加算。
労働価値は投票評価により変動する。どういう労働は何ポイントとするかを、常時評価する。当然、多数派が高評価になるが、反比例変数を付けたり、成りたがる人の多い商売は低くても良い。
実際どう計算するかはその時考えればいい。
婚姻制度の廃止。男女は個々が独立し、家庭を経済の基本とせず、子供の養育は基本的に社会が担う。その上で、家庭という単位で暮らし子育てをしたい人は自由とする。
まだまだ、膨大な制度の創造が考えられるが、
パラダイムシフトとは、今の常識では考えられない世界が現れると言うことだ。