魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

キャッチ

2009年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

27日東京で、また子供が落下した。幸い、屈強な?女性に受け止められて事なきを得た。すごい傑女が話題になっている。
良かった!警察からもいずれ表彰されるだろう。

だが、まてよ???
立て前はそうだが」でも言ったのだが、ムチャをする子供は、案外それなりに「見通し」を持ってやっている。

興奮して走り回っている子供は、穴に落ちたり、車にぶつかったりするが、危険なところに進んで足を踏み入れる子供は、案外、災難に遭わない。それは、始めから自分でも「冒険」だと思っているからだ。

しかし、大人に「危ないッ!」と、声をかけられたら、むしろ、そのことで我を失い、コントロールを失う。
声をかける時には、先ず、子供を驚かさないことが大切だ。
声をかける前に安全対策を考える。声をかけるなら、大声を出さない。むしろ、子供と同じ気持ちになって、「オー、すごいな」ぐらいに、先ず、怒ってないと安心させる気遣いが必要だ。

今回の場合も、注意した直後に踏み外しているようだ。
とにかく、結果は、声をかけた女性のパワーで事なきを得たが、
そんな強力パワーの女性は、どんな声のかけ方をしたのだろう。


新姥捨て山

2009年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

22世紀の老人対策
新天地」で70歳以上の財産没収のことを書いたので、すこし補足したい。今すぐ始めても良いと思うのだが。

現在の問題として、内需不況の原因は消費意欲の縮小にある。
現在、日本の個人資産は極めて高いのに、消費に回らないのは、もともと金を使う欲望のない老人が握っているせいだ。
高齢化により、相続する側も高齢者で、やはり消費しない。

消費しない大きな理由は、老後と言うより、終末不安があるからだ。
核家族化により、子や孫が自分の面倒を見てくれることは期待できない。その上、年金は不安定であり、生活保護は人格無視だ。
頼れるのは金だけということになる。

そこで、
年金は廃止。70歳以上は全財産没収し、完全社会保障する。
ただし、それ以前の財産贈与は無税。また、70歳以降の労働による収入は認める。

老後の手厚い保護が保証され、その上、仕事も自由なら、財産は要らない。大金持ちも早めに子供に譲ってやればいい。
優しい子供なら、面倒みてくれるだろうし、見捨てられても手厚い社会保障がある。
財産のない老人なら、襲う泥棒や強盗もいなくなる。

老人にも、寝たい人も遊びたい人もいるだろうが、仕事をしたい人もいる。

早いうちに財産を譲られた、子供世代は楽になり、生活や子供の養育に使うことができ、社会に金が回る。

つまり、70になれば老人を捨てる。と言っても、昔で言う隠居で、現役社会から老人を解放する、新・楽隠居だ。
制度上、老人を切り捨ててしまい、なおかつ、参加したい老人は活用する。
ただし、後進に道を譲るために、同じ職場は離れ、別ビジネスをする。起業でも良いし、引退者だけで構成する別会社でも良いだろう。

江戸時代の隠居は、40歳ぐらいだったから、商家の隠居が妾を囲うこともあれば(当時は立派な雇用だった)、農家の隠居は新田を開拓した。

70歳で無一文と言えば聞こえは悪いが、完全な老後保障があるのだから、これが本当の人生の再出発になる。

今、政治家が、こういう事をやれば、あるいは語るだけでも、世の中は動く。パラダイムシフトを乗り越えるビジョンの一つとしてどうだろう。


新天地

2009年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

民主党の動きを、何か大改革かのように喝采したり、細かな問題に懸命にケチを付けて抵抗している勢力もあるが、大津波が押し寄せている時に、コップの中の嵐のようなもめ事で、日本中が何となく納得している。

産革パラダイムの転換は、ある日突然起きるわけではない。何度もパニックを繰り返しながら、半世紀をかけて文明は生まれ変わる。

政治に必要なものはビジョンだが、今ほどビジョンが必要な時はない。
50年先、100年先を見据えた道を示さなければならないが、それには、現在を把握できていなければならない。

化石燃料の枯渇や、環境問題という、実際に目に見えることは誰でも解る。(それさえわかっていない連中もいるが)

しかし、もっと重要なことは、それが何を「意味」しているかだ。
「パラダイムシフト」は流行語になっていても、何がどうシフトするのか、どうも、ほとんどの人が解っていないようだ。
また、仮に、少数の人が賢明に説いても、それを理解できなければ、同じ事だ。

産革パラダイムの中からビジョンは生まれない
産革パラダイムが終わった時、どういう荒野に立っているのかを、イメージできなければ、今、何を目標にすべきか解るはずがない。

産革パラダイムが終わる時、全てが無くなるわけではない。人類の経験と知は残る。次の世界とは、それをどう再構成するかだ。
産革パラダイムの構成要素を切り捨て、再構成に必要な知と、何を再構成するのかという叡智のビジョンが求められている。

50年後の、産革パラダイム後の荒野に打ち立てる新たなパラダイムを目指して、今何をすべきなのか。
あらゆる施策は、その認識に立っていなければ、滅びの道になる。

100年のビジョン
先ず言えることは、大量生産が消滅した文明だ。
大量消費のために無理に需要を喚起するような、「景気」主体の経済から、「知足」の生き方へのシフトだ。

景気とは人間の欲と熱気のムードだから、欲と熱気ではない、知と納得をベースにした、安定生産、高等文化の社会を目指す。
これは、共産主義の計画経済のことではない。
欲は存在し、欲を原動力とするが、物を競い物を目的とするのではなく、学問・芸術やスポーツなどの、文化を競う社会だ。

食べるための生産競争は終わった。産革パラダイムも共産主義も、人類の「飢え」の恐怖から生まれた動きだ。人類は産革を通して飢えから脱出する技術を得たが、行きすぎた。

飢えを克服する技術を前提に、「礼節を知る」社会を築かなければならない。

そこに向けて、社会制度を考えなければ、つぎはぎシステムはいずれ破壊される。

極端な例えかも知れない
しかし、これぐらい考えなければ何も生まれない。

年金は廃止。70歳以上は全財産没収し、完全社会保障する。
ただし、それ以前の財産贈与は無税。また、70歳以降の労働による収入は認める。
新姥捨て山
そもそも、税そのものの取り立てを廃止する。(天引き)

通貨を廃止し、ポイントにする。労働価値によるポイント加算。
労働価値は投票評価により変動する。どういう労働は何ポイントとするかを、常時評価する。当然、多数派が高評価になるが、反比例変数を付けたり、成りたがる人の多い商売は低くても良い。
実際どう計算するかはその時考えればいい。

婚姻制度の廃止。男女は個々が独立し、家庭を経済の基本とせず、子供の養育は基本的に社会が担う。その上で、家庭という単位で暮らし子育てをしたい人は自由とする。

まだまだ、膨大な制度の創造が考えられるが、
パラダイムシフトとは、今の常識では考えられない世界が現れると言うことだ。


続2012

2009年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

デフレ、二番底・・・と恐怖の言葉が飛び交う。
2012なんかより、よほど、「今、そこにある危機」だ。

しかし、そんなことより遙かに大きな、地球が水没するほどの「大転換」は、実際に起こると考えた方がいいだろう。
大陸が沈むのではない。文明が沈むのだ。

今われわれが信じて立つ大地が沈む、映画「2012」のように、
信じて疑わない世界のシステムが、大波に飲み込まれ一掃され、
新しき大地が現れる。
パラダイム大転換なら、地球沈没より確かな話だ。
「大転換」は、もう、天にも届く大きな津波が見えてきた。

250年の産業革命後パラダイムは、
化石エネルギーと大量生産、大量消費」の原理がすべてだった。
地球を変える人類というバクテリアは、資源を食い尽くせばやがて自滅する。
人類がバクテリアより優れているなら、自ら生き方を変えることができるのだが、どうもそうではない。
運命に翻弄され、たまたま、運良く生き延びたものが新時代を担う。

生産、流通、金融、教育、恋愛、結婚・・・
今起こっている、あらゆる「異変」が、過去の経済恐慌のサイクルとはわけが違うことを告げている。
過去の経済恐慌は、高きから低きへ流れる、パラダイムの発展過程における呼吸のようなサイクルだった。
しかし、今はもう、酸素が尽きている。

食う者と食われる者がいた世界が、食われる者が食いだしたのだ。
産革パラダイムがアジアにまで波及し、行き詰まって、今度はアフリカだとか言っているが、じゃあ、その次はどうするのだ。
アメリカと中国は、抱き合って心中しようとしている。
もう、パラダイムは破綻しているのだ。

人間というものは、たとえ、少数の目覚めた者がいたとしても、類としてまとまれば、結局は、バクテリアと変わらない行動を取る。
根本原理を変えることなく、過去の手法を繰り返し、大津波に飲み込まれる。

地球人口増加に「少子化対策」。金融バクチ経済の失敗を金融で補う。
大量生産流通の行き詰まりに「付加価値商品」
人類の存亡の掛かった地球規模の問題を考えない、経済学者のご託宣。
・・・・こんな有象無象の叫びを、大津波は一気に飲み込んでいく。

バブル崩壊当時。都会にはきらびやかなビル群が並んでいた。
それが、すべて、昭和20年の東京の焼け野原に見えた。

映画「2012」を観ながら、破壊され尽くす文明社会が見えた。


2012

2009年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム

映画「2012」が話題だが、その時は、星占いではどれほどの問題があるとは思えない。強いて恐怖要因を挙げるとすれば、海王星が魚座に入ることぐらいだろうか。
むしろ、それまでの3年の方が怖いぐらいだ。

要するに、巷間ささやかれるマヤ歴云々をネタに、「日本沈没」のリメイクで、一儲けを企んだ映画だろうが、
ある意味では、世間に大ボラをこいてみせて、『そんな、バカな』と思わせることで、怪しげなカルトもどきを吹き飛ばそうとする、
逆に、極めて健全な意図を持った、ファンタジーなのかも知れない。

明らかにバカげた映画だが、アカデミー科学技術賞をもらった坂口亮氏のVFXは面白そうなので、早速、観に行った。

案の定、徹底的に「バカげて」いた。「日本沈没」の方がまだ、可能性がありそうな設定だ。映画の細かいことは面倒くさいから、さわらないとして、視覚的には素晴らしかった。
「日本沈没」をハリウッドが作るとこうなる。と、やって見せてくれた。

しかし、同時に、近年の中身のないハリウッド映画、ここに極まれりの観がある。
テクニックにおぼれて、じっくり考えさせることのない、ジェットコースターで花火見物・・・のような、
映画黎明期の、見せ物小屋の原点に帰ったのかも知れない。

創造はここから始まるのかも


お知らせ

2009年11月25日 | 自動車人間学

発売! 自動車人間

ようやく、人づきあい術の本、「自動車人間」(←クリック)が出ました。

人間を自動車の5つの機能に別け、その性質による付き合い方を考察した、新人間学です。

実は、はじめて手を染めたのは20年前です。
何度か書き換えて、元の姿とはまったく違うものになりました。
はじめは、欲張っていたため、なかなか出版できなかったのですが、
今回は、思い切って核心にしぼりました。

なんで自動車?
自動車社会に異を唱える者が、人間を自動車に例えるのはおかしいと思われるかも知れません。

ほんとうは、自動車でなくても、ロボットでも飛行機でも良かったのですが、自動車なら、身近な家族のように、誰でも解ります。
自動車問題は、環境汚染や資源の浪費ですが、これは人間が考え直せば改まることです。

しかし、残念ながら、人間の性質は変えようがありません。
人間関係は、何とかこのまま付き合っていくしかないようです。

完璧な人間など一人もいません。世の中はお互い、割れ鍋に綴じ蓋。
うまく仲良くやりましょう

 


全国有名書店に無い場合は、ネット通販が便利です。

 


同じ事が

2009年11月24日 | 占いばなし

19日、ポルトガルのスパーで、泥棒に入ろうとした男が、小窓から上半身を突っ込んだ所で、抜き差しならなくなり、もがくうちにズボンも脱げて「頭隠して尻隠さず」状態で11時間。はづかしい逮捕になった。
日本では、21日、神戸のお好み焼き店の換気窓から出ようとした泥棒が、やっぱり、抜き差しならなくなって捕まった。

ポルトガルの場合、日本時間ではおそらく20日だろう。
ちょうど「毎日の運」でも上げたばかりだが、20、21日と言えば月がヤギ座なわけで、冥王星と同じ位置で、天秤座の土星に対して90度の凶角になる。

その前に、このところ、獅子座の火星-水瓶座の海王・木星にサソリ座の太陽・金星と、凶角で「羽交い締め」状態が続いていた。

爆発、放火、乱射と事件が続き、ようやく収まりかけていた所だが、ヤギ座の月が支配星の土星と90度になったことで、ヤギ座っぽい、おとぼけ事件まで絡んできた。(本人は必死だが)

ヤギ座は、鍵や逃亡、財産活用を表す。証券会社や税務署はもちろん、他人の上前をはねるという点では泥棒も同類だ。
「ヤギ座の災難」を表す配置で、泥棒が御難にあったのはご愛敬というものだ。おそらく世界の各地で、ニュースにならない似たような事件が起こったことだろう。

死と葬儀、博打と投機、倉庫と鍵や密室など、サソリ座とヤギ座はよく似ている。博打と投機は、獅子座のそれが娯楽であるのに対し、サソリ座・ヤギ座は命がけだ。

命がけと言えば、恋愛宮の獅子座の恋が華やかなラブロマンスであるのに対し、両者の恋はネクラで、秘密や嫉妬めいている。

何事もそうなのだが、
よく似ているからと言って同じではないし、
表面が違うからと言って別物とは限らない。

同じか違うかは、何の次元、定義においてかが重要で、同じ次元で同一のものは、同じ時に同じように反応し、見た目が同じでも、次元が違うものは同じようには反応しない。

例えば、恋の駆け引きでも、サソリ座が自分に引きつけようと、当て馬を使って嫉妬させようとすれば、獅子座は「そんなウッとうしいのはゴメンだ」と感じて逃げてしまう。

また、ヤギ座やカニ座は、恋テクとして、狙った相手を先ず社会的に囲いこんで料理をしようとする。先に、自分のものだという印象をばらまいてしまう。だから一見派手だが、獅子座の方は結果的にばれてもかまわないだけの話で、作戦として見せたいわけではない。

占い活用は、表面で考えず、原理で考えることが大切だ。


車のパーツ

2009年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

やはり、車は一挙に電気自動車に向けて走り始めた。
ハイブリッドで、もう一絞りしようと欲を出したり、燃料電池で本格パワーカーを造ろうと、大手メーカーがモタモタしているうちに、「商」の原理が先行すれば、手っ取り早い電気自動車があっという間に世界標準になってしまうだろう。

電気自動車は難しい仕組みが要らない。極端な話、アシスト自転車はバイクより構造が簡単だ。
自動車も、車輪を直接動かすモーターだけになれば、動力伝達のハード・システムが何も要らない。
相当な素人でも、ガチャガチャッと組み合わせれば、簡単にできあがる。

コンピューターも、IBMが威張っていた大型コンピューターの頃では考えられない、簡便な組み立てができるようになり、しかも、はるかに上回る性能で、今では誰でも、チョイチョイッと組み立てパソコンができるようになった。

20年も経たないうちに、車は取り寄せたパーツを、庭や玄関先で組み立てて走るようになるかも知れない。
(既にガソリン車でもあるし、ジェット機の通販もあった)
そうでなくとも、オーダーカーが当たり前になるだろう。
車社会が存在していて、法整備が整えばの話だが。


★毎日の運★

2009年11月22日 | 占いばなし

毎日の運は月に影響される
運と言うより、毎日の感情、気分と言った方が正しい。気分次第で行動が変わるから、結果も変わってくる。結果を運という。
一日の運が人生を狂わすこともある。人生は毎日の積み重ね。

月が同じ星座を運行するのは、2~3日だが、入宮する半日ぐらい前から影響が出始める。

月の影響とは、個人の太陽星座に対して吉角か凶角かによって、気分が変わることを指す。
例えば
牡羊座の太陽宮の人(牡羊座の人)にとって、獅子座や射手座に月が入れば、情緒が安定し気分が良く、何事にも能力を発揮できる。
逆に、天秤座やカニ座、山羊座、あるいは自分の牡羊座に月が来れば、情緒不安定になり、焦ったり興奮したりして、失敗やトラブルが多くなる。
ただし、同じ太陽宮でも、その星座の初めか後生まれかによって、影響の早い遅いがある。

◎活用:
情緒不安定な時(1.4.7.10.)には、落ち込んだり、焦ったり、面白くなかったり、カチンと来たりするので、不要不急の行動に出て失敗しやすい。
そういう時には『今日の月はどこだ?』と思い出し、気を静め、タアイないことをする。つまり、不要な行動によるトラブルを避ける。
また、他人がそれに該当する場合は、深く関わらないようにする。怒鳴られてもお茶を濁す。結論を先送りする。

誕生星座と、12星座に月が来た時の影響
自分の星座(太陽宮)を「1」として、何番目に当たるかを見る。
例:乙女座なら双子座は「10」番目(第10室)

牡羊→牡牛→双子→カニ→獅子→乙女→
天秤→サソリ→射手→山羊→水瓶→魚→

月が来た星座(自分の星座からの順)赤=吉 青=凶

1.エネルギー過剰で、やり過ぎに注意 (始、身体、自我)

2.お金の出入り、集金 (金、、欲望、所有、生活意欲)
3.身近なコミュニケーション、外出 (知識欲、近隣、教育)
4.情緒不安定、家庭問題 (家庭、父母、記憶)
5.楽しみ、娯楽、人間関係 (恋、子供、チャンス)
6.仕事を片づけ一休み、体調 (健康、職場、家事)
7.転換点、目標達成、 (対人→客、結婚、争い)
8.仕上げ、始末、証拠 (他人の財産、セックス)
9.発想の転換、精神向上 (精神、旅行、チャンス)
10.情緒不安定、社会的評価 (仕事、業績、父母)
11.予期せぬ幸福、無我の恵み (友人、社交、納得)
12.安息日、隠遁 (生涯、悩み、秘密、癒し)

11月と12月の月の入宮日時(日本時間)
11月
2日9:45 4日13:53 6日16:42 8日19:23 10日22:3 13日2:22 15日7:24 17日14:22 20日0:01 22日12:11 25日1:07 27日12:11 29日19:34

12月
1日23:23 4日1:01 6日2:07 8日4:05 10日7:47 12日13:31 14日21:25 17日7:32 19日19:39 22日8:42 24日20:39 27日5:26 29日10:13 31日11:45

毎日の方位は「お出かけは」で、見てください


AB型の国(2)

2009年11月21日 | 占いばなし

B型がまとまれないと言っても、徒党を組むことはできる。
A型が、一億火の玉のような「一致協力」をするのに対し、B型の「徒党」とは、それぞれが独立している。

日本の、中央集権の一元化は、大和朝廷の昔から始まり、今日でも、なんだかんだと言いながら、全てを東京に一極集中させてしまう。
国土が狭いことが、それを可能にし、日本人というAB型的複相の文化を生み出した。

ところが、広大な中国は常に一元支配をしようとして崩れてきた。
形としては統一国家であっても、事実上は隅々まで支配が行き渡らず、地方権力や官吏の腐敗が、常に中央権力を崩壊させた。

権力が崩れ、新権力が打ち立てられるのは、外敵を含め、各地域が徒党を組んだ時だ。中国の中央権力は石の塊を包む風呂敷のような存在で、徒党を組まない人々をかろうじて包み込んでいる。
中国の易姓革命の論理は、簡単に包みを取り替えるだけの政権交代を、後付で説明するための理屈だ。「天の意に従わなかったからだ」と

AB型日本の継続性に対し、中国は「やるときはやる」の政治だ。
政権が安定して存在している時は、事実上、政治の無い時であり、政権を覆すために、全土が徒党を組んで動く時こそ、政治の実態だ。
つまり、政権は外面を取り繕うだけで、その風呂敷政治がほころびると中の石がゴロゴロと動き始める。
もしかしたら、中国の政権と言うものは、歴史的に張り子の虎だったのかも知れない。政治外交と言われるものの中心は格式、形式の「面子」と、「覇権」主義の境界線争いばかりだ。

おそらく、中国の政治システムはアメリカのような形が望ましいのだろうが、古い国だけに、古代帝国の原理から抜け出せない。
中国共産党は、いまだに一党独裁を維持しようとする帝国であり、そうである限り、風呂敷は必ず破れる。

鄧小平が偉かったのは、中国人個人にフリーハンドを与えたことだ。
B型独特の個人的集中力で、個々が一斉に「蜂起」し、なりふり構わず、商売を始めた。
これが、一気に中国全体の活力を生んでいるが、その総合力を、共産帝国政府が利用しようとすれば、どうしても、易姓革命が起こる。

中国はB型の国だから、AB型に向かう。
日本はAB型の国だから、A型に向かう。
AB型は多元的で、A型は一元的だ。

中国が権力集中をしようとしても、国力が上がると空中分解する。
B型が徒党を組んで力を持ったとしても、A型の繋ぎが弱いから花火のように飛び散る。

おそらく、中国が成功するとすれば多元的国家で、少なくとも現在の所、アメリカが最高のモデルだろう。中国が連邦国家になる頃は、世界が連邦に動いている。
世界連邦の実験モデルとして、EUの展開に期待したい。

AB型の国1占い人類学


AB型の国(1)

2009年11月20日 | 占いばなし

文化が高度になれば多元的な物の見方ができるようになる。
日本は様々な歴史的背景から、狭い土地に異民族が共存し、長い時間をかけて調和的に融合した。
世界の異民族の交差点が、いまだに争っている事を考えれば、かなり特殊だ。

占い人類学2」では、日本の基本はAB型と見た。
A型とB型が混在融合した結果だろう。日本人は複雑思考が好きで得意であり、それが日本文化のAB型的特質になっている。

日本でも、乱世後の安定期には勧善懲悪のようなわかりやすさが好まれたが、幕末以降の乱世ではまた複雑化した。
複雑にしてパターン化する二重構造は、やはりAB型だ。
様式の裏に複雑さがあり、複雑にして統一されている。

血液型に限定して考えると、
おそらく、古代にはA型が住んでいて、大陸から、何度も何度も、B型がやってきた。
B型は個人主義で、集団は「ネットワーク」でつながっている。
これに対し、A型は「場」を大切にする融合一体型だ。

B型の基本は個人だから、個人で成し遂げることに長け、個人同士が、その時、意気投合すれば徒党を組み、意に沿わなければ、我慢せずに分裂する。
A型は一体集団だから、個人を殺してでも集団としてまとまり、結果を出そうとする。

個人を基本とするB型は、個人を活かす集中力があるが、A型の場合は集団のための忍耐力が能力となる。

スポーツのように、個人的に目に見える結果を出すことは、明らかにB型が有利だが、学問のように積み重ねと、認知共有してもらう努力という点ではA型が有利だ。

社会集団の突破口となる超人的な力は、B型がもっているが、それを集団全体に役立て、活かしていく力はA型が持っている。
B型的な大陸の風土と比べれば、日本には「積み重ねていくA型」の力がある。それが全体としての強みだ。

そんな日本から、中韓の行動を見ていると、一見、バカに見えるが、大人口の中には、恐るべきB型的超能力者が数多いる。
これが、なにかの拍子にまとまって動き出すと、「たいへんなこと」になるが、なかなかまとまれないのがA型力に欠ける悲しさだ。


占いの目

2009年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

占いの目は、森羅万象を等価値と考え、現象の動きを見つめる。
天地人の、天地から人を見る。人間の立場から天地を見るのではない。
物事の本質は、人間の価値観に左右されるものではなく、人間こそが、天地に従う。

こういう見方は、芸術家の目とまったく同じだ。
小説家は、人間の営みの背景にある天地の本質を描き出そうとする。
彫刻家は天地の恵みの素材から、人の形を描き出そうとする。
占術家は天地の動きと人が、連動すると考える。

いずれも、人を語る時、その目的は天地の本質の確認にあるから、
人間を語りながらも、人間を語ってはいない。
だから、営みの当事者である世間の常識からかけ離れている。

例え、勧善懲悪の小説を書く作家でも、善悪の規範から完全に外れた視点を持っている。だから、芸術家がなにか言うと、世間は受け付けないから、「芸術家は変わっている」ですませてしまう。

作家は、犯罪者の立場が見えるから小説が書ける。犯罪者を世間の人と一緒になって糾弾していては、何も見えない。
特に小説を書かない人でも、作家的な目を持つ人は、極悪非道な犯罪者に哀れを感じたりする。
実は、占い師も、世間の常識に従っていては、森羅万象の未来など考えられない。

一橋達也がつかまったことは、様々な意味で良かった。
被害者の家族もささやかながら気持ちに区切りがつき、日本と日本警察の面目もたち、治安の示しもつく。
当然のあるべき姿に落ち着いた。この上は、ズルズルと長い裁判で、引きずるべきではない。

これで良かった。良かったが、占い師の目で見ると、何とも哀れでしかたがない。
福田和子の場合もそうだが、山羊座ゆえに事を大きくしてしまったような気がする。
恐らくどちらも、ほとんど偶発的な殺人だったのではないだろうか。
どちらも、事件の後、とるものもとりあえず逃走している。

この殺人事件は、いわば、「ひき逃げ」だ。ひいたことより、逃げたことが問題なのだ。
誰でも「ひき逃げ」の卑怯さには憤慨し、許せない。しかし、憤慨する人が当事者になった場合。絶対に逃げないと言えるだろうか。
逃げた人たちは、自分が加害者になるなど考えたことがないから、どうして良いかわからず、逃走するのだ。

同様に、そのつもりはではなかったのに、「まさか」人を殺してしまった時のことなど、考えている人はいない。

計画的に殺したのなら、隠蔽をはかる。偶発的に殺したからどうして良いかわからないで、とりあえず隠そうとしている最中に「もうダメだ」と思って逃走した。

戦々恐々が常態の山羊座が、せっぱ詰まったら、意固地になる。
何とか自分の力で解決(=逃走)しようと考える。
素直になれないから、誰かに相談したり頼ったりしない。
山羊座はクリスマスキャロルのスクルージだと言われる。
何としてでも稼ぎを得て生活する。
一橋達也にしても、恐らく死ぬ気で働いていた。ただの労働ではない。

もし事件発生時、「私がやりました」と素直に名乗り出て、謝った「ふり」(そういう犯罪者は多い)でもしていれば、ここまで苦労することはなかっただろうが、
それができないのが、情にすがれない山羊座ということだろうか。
被害者については言うまでもないが、何とも哀れでしかたがない。


闇の闘争心

2009年11月18日 | 星の流れに

浜松の麻雀店で放火死亡事故が起こった。
韓国の新聞はいち早くこの事故を報道した。韓国だけじゃないんだと言いたかったのだろう。

問題が全く違うのだが、確かに、占い的には同じ現象だ。
賭場や遊技場はサソリ座だから、そこでの、爆発炎上死亡事故ということでは星の配置に一致する。

連鎖」で言ったような問題と、麻雀店の問題は、社会、世相の問題としてまったく次元を異にする。
しかし、現象の占い的に持つ意味という点では、サソリ座の性向として共通性がある。

サソリ座の武力については「連鎖」「占いと競馬2」でも話したが、ギャンブルの娯楽と闘争心もサソリ座だ。
サソリ座の、転換、逆転の意味にも符合する。ギャンブルは、他人の金を自分のものにする、奪い合いだ。ただし、「人類の運命を新技術に賭ける」などと言う場合は、バクチのことでは無い。

一般にバクチと言えば、生産を伴わない、勝ち負けによる奪い合いのことで、負ければ奪われる。
誰も、負けるつもりではやらない。始めから負けるとわかっていることに掛け金を出す人はいない。

だから、バクチの本質は闘争心であり、元来、しなくても良い闘争をすることは、自分が勝てるという「うぬぼれ」か、虫の良さだ。
勝つのが当然と思っているのに負けると、ただ金を失った以上に、プライドが傷ついたり、相手のためにやられた、と被害者意識を持つ。つまり、他人のせいにする。

勝つ時も負ける時もあることを、承知でギャンブルをする人は、負けは、運も含めて、自分の能力の問題だと思う。
ところが、虫の良い無自覚な人ほど、反省することなく他人を恨む。

だから、裏賭博には必ず、「たれ込む」人間が出てくる。
公営賭博場には放火がある。
そして、今回の麻雀店の放火のようなことが、日常的に起こる。


嫌な記憶

2009年11月17日 | 星の流れに

土星の天秤座で起こったことは、
1950年の朝鮮戦争はあまりにも大きいから、
1980~82年の近いところを見てみると、暗殺や突然死など、世相に影響を与えるようなトップに障害が起こっている。

-------- 土星→天秤座 ------------
●1980年
6月大平正芳首相の突然死(この時はまだ木星・土星とも乙女座)
12月ジョンレノン暗殺(天秤座)

●1981年
3月レーガン撃たれる
10月エジプト・サダト大統領暗殺

●1982年
2月8日、ホテル・ニュージャパンで火災事故
  9日、日本航空機長の逆噴射事故
(「日本=天秤座」の名前が立て続けに大事故)

4月~6月フォークランド戦争
イギリス=牡羊座の対人の宮、天秤座に土星が来たら、旧敵が出て来て、戦争せざるを得なかった。
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世界に影響するトップの死という点では、1953年の天秤座の土星の時、スターリンが死んで、スターリン・ショックがあった。

今から3年間に、超大物が死ぬ可能性は大だ。
誰だろう???


連鎖

2009年11月16日 | 日記・エッセイ・コラム

喧嘩」で、サソリ座の状態が悪いと言ったが、今度は射撃場で日本人を巻き込んだ爆発炎上事故。

銃火器も炎上も、火星のサソリ座。ついでに言えば、賭博や売春の裏社会は冥王星のサソリ座。
古代のサソリ座の支配星は火星で、表の火星が牡羊座なら、裏の火星はサソリ座だった。冥王星が発見されて、サソリの支配星になったが、現在でも基本は裏の火星だ。

射撃観光
以前、韓国で射撃してきたと得意そうに言う人がいて、何にもない国には、そういう客寄せがあるのかと、何か嫌なものを感じた。

売春や博打、酒や麻薬、興業やカルト・・・
古今東西、秩序維持のための禁止は、裏でそれを供給すれば、莫大な利益を生む。

禁酒法時代のアメリカ国内だけではない。
その昔は、アヘン戦争の英国のように、国策の商品にした。
他国が禁止するものを売って儲けるという、一昔前のモラル無き商法を、いまだにやっている国は、ブッシュの言う「ならず者国家」だ。

北朝鮮のように、偽札や覚醒剤から、核に至るまで、国策として裏の総合商社のように堂々とやるのは、変な言い方だが潔い。誰でも正面切って非難できるからだ。

しかし、表向きまともな看板を上げながら、ニッチな裏商売を裏部屋で商う店の方が取り締まりにくい。ここから先は、言うに言えない。

とにかく、
日本は、立て前にこだわり、禁酒法に似た御法度が多すぎる。そのスキをついた商売で、国内でさえ、好きなように儲けられている。

何でも、ただ禁止すれば、必ず、御法度破りが出てくる。
必要悪は、禁止するより制御すれば役に立つ。酒やたばこの税金は国家を潤す。

公営賭博を曜日限定の競輪競馬にしているから、街の手軽な、事実上の賭博場が繁盛する。ハッキリ賭博と公認すれば暴利はむさぼれないし、健全化する。

射撃観光にしても、そんなに銃にさわりたいのなら、自衛隊の体験入隊を積極的に広げれば、一石二鳥だ。

日本には軍隊経験のある一般人は少ない。それでいながら、憲法は専守防衛は認めているのだそうだ。

たしかに、戦争をしなくても防衛戦に巻き込まれることはある。
もし、どこかのならず者が上陸して攻め込んできたらどうするのか。
スイスのような皆兵でもないのに、一体誰が護るのか。自衛隊に金さえ出せば護れると思うなら、国民の士気として既に破れている。

日常、銃に接しなくても、兵器の使い方を知っていて悪いことはない。
徴兵でも、職業軍人でもなく、希望する一般人が、休暇を利用して訓練をするサービスがあれば、潜在兵力にもなる。

もし一切の暴力を禁じるなら、剣道場も空手道場も禁じるべきだ。
そして、敵が攻め込んできたら、「戦いません」と、全てを渡して、奴隷になり、虐げられながら媚びて、上層階級に入れてもらう努力をする。それも良いかもしれない。

まあ、こういう論議の是非は別として
わざわざ隣国に、射撃観光に行くのは情けない。向こうは国策として良い商売と認めているから、首相まで謝りに出てくる。

こんな、下心が丸見えの謝罪を受けるべきではないだろう。
事故処理をちゃんとやってもらえば良いだけで、事故は事故であり、観光客は自分の責任において行ったのだと、日本人のプライドを見せて欲しい。一番の責任者は、現地を知るはずの旅行代理店だ。

「謝罪の論理」の連鎖に巻き込まれては、日本として何一つ得なことはない。