魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

注射問題

2021年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ワクチン接種が始まった。打った方が良いのか、打たなければいけないのか、悩む高齢者がいる反面、まだかまだかと待ちかねている高齢者もいる。

注射の専門要員が足りないので、歯科医に加わってもらう話が出ると、アナフィラキシー対応はどうするのかと、またしても専門医の否定的談話があった。
世間の反応も「絶対、嫌やわ!」と言う人が多い。
これでは、英国のようなボランティア養成など、夢のまた夢だ。

先ず、「ダメ!」から入る日本の文化。全てがこうだ。海に閉ざされた「純」島国文化だからやむを得ないのかも知れないが、何で、ダメ元で「やってみよう!」と行かないのか。
「先ずやる」ことが前提にあれば、それにはどうするのかと、次の知恵が出る。
アナフィラキシーが問題なら、大接種会場で医師と合同でやれば良い。さらに問題があれば、その時はその時で、さらに、知恵を出せば良い。それにより、新たなノウハウも生まれる。
日本独特のほとんどの問題は、このネガティブ思考に起因している。
成るものも、成らなくなる。

注射器の保守性
ところで、何回用かと世界的に問題になっている注射器だが、それ以前に、何で注射器はあの形から進化しないんだろう。
記憶違いかも知れないが、確か半世紀ほど前に、圧力で瞬間的に注入する注射器が発明されたニュースを見たような気がするのだが、夢だったのだろうか???
夢だったとしても、可能な話だ。

仮に、どうしても針が必要だとしても、注射の映像を毎日見ていると、どうにもおぼつかない。針と身体との関係が不安定で、上手な人は二本指で固定しながらやっているが、見るからにモタモタやっている人もいる。

何で、ピストル型の注射器は無いんだろう。
平らな板状の先端を肌に押し付け、そこから、針が出てくる方式なら、ほとんどテクニックは要らない。少なくとも、ピストル型のアダプターに、注射器をセットすることは簡単だ。
こういうことを言うだけで、否定の嵐になるかも知れないが、何事もコロンブスの卵だ。希に、ガッテンする人がいれば、特許で大もうけするかも知れない。


美しい鶴

2021年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

何が評価されたのか、選挙で全敗した一方で、菅政権の支持率が上がった。
キャスター上がりの蓮舫に「言葉が伝わらない」と言語指導されていたが、だんだん「むっつり助平」の真価が見えてきたのかもしれない。
「イヤヨイヤヨも好きのうち」と言うから、黙って押し続けているうちに、良くなってきたのだろうか。
前政権の、おべんちゃら三昧のナンパ師の後は、不言実行のゴト師の出番だ。
ナンパ師は見栄えの良い口達者のチャラ男だが、色事師は女を没我の境地にさせるのが仕事だから、小さな声で、何を言っているのか分からないようなことを話し続ける。
「手が早い」男はこの両面を兼ね備え、大切なことは「意味のあることを言わない」ことだ。
意味のあることを言われると、頭が働くが、無意味なことを話し続けられると、何となく相手にされている、関心を持たれているという、雰囲気だけが出来上がり、自分の世界に耽溺し、体で考えるようになっていく。
何であんな男がモテるんだろうと、第三者は思うが、カラッポの「あんな男」だからこそモテるのだ。
男女にかかわらず、人間は自己中だ。自分を気持ち良くさせてくれる人を受け入れる。ペットにはまるのも、自分に共感していると思い込めるからだ。

民主主義がポピュリズムに落ち込みやすいのは、大衆がそれを求めるからであり、「言語明瞭、意味不明」が好まれる。理性的意見を考える苦痛より、日常の快楽の方が共感しやすい。
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
Ω\ζ°)チーン

今の民主主義政治は、腕の良いナンパ師か下手なナンパ師かの違いで、生涯の伴侶とは言い難い。結局は大衆の責任であり、やがて、カエルを全部食べてしまう鶴のような美しい専制君主が現れるだろう。習近平は確信している。


食と人間

2021年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

”飯”もの
先回の、「要するに」で言い忘れたが、五条のイオンには、流石にテーブルマークのアサリ飯があった。大きいだけのことはある。
ただ、ダイエーを吸収したイオンは、ダイエーの末期症状に似てきた。
その昔、ダイエーは「何でもあるが、買いたい物が何も無い」と言われた。この意味はよく解らないが、巨大チェーンの血流の悪さ、不活性化のことだろう。
社会的な生産流通システムと一体化した巨大スーパーは、流通の論理で商品が並び、客のニーズに鈍感になる。アサリ飯も冷凍食大手の商品だ。
今回のコロナで、大方のスーパーは黒字だったのに、イオンは大赤字を出した。巨大モール中心のビジネスモデルも災いしたのだろうが、これも、社会インフラ化の結果だろう。

ところで、アサリ飯だが、改めて食べると、意地になるほどのことでもなかったが、やはり美味い。だいたい、貝飯はどれでも美味い。松江の駅弁「赤貝飯」も美味かった。宍道湖七珍ではないものの、赤貝飯も神話出雲の名物だ。
居酒屋でホタテの貝焼きを食べながら、日頃まじめなカナダ人が、「これで一晩はいけるよ」と冗談を言った。
貝はタンパク質の塊みたいなもので、同様に、たこ飯やイカ飯もそれぞれの味わいがある。ただし、菌も繁殖しやすいので食べ残しの食中毒には要注意だ。

学生の頃、炊き込みご飯を作っていたら、江戸っ子に「田舎モンは何でも”飯”にするんだよな」と言われたが、白米と混ぜご飯は、ハンバーグとハンバーガーの違いみたいなものだろうか。
ハンバーガーと言えば、日本の伝統は「米」によって成り立っているが、戦後は米(国)によって変化して、米の消費量が減っている。一日中、米を口にしなくても平気な人が多くなった。
30年前、家族でマクドナルドに行ったお父さんが、それが夕食であることを知って、夕食くらい米が食べたいと癇癪を起こしたそうだ。その子ども達も既に40歳を超えている。

信頼と盲信
一汁三菜が頭にある米好きの人は、炊き込みご飯は、ちゃんとした食事ではないと思うらしい。解らないでもない。そこまでの米好きではないし、”飯”ものが好きだが、赤飯ではちゃんとした食事の気がしない。食習慣とはそんなものだ。
口にするものは危険が伴うから、誰でも基本的に保守的だ。だから、気持ちよく食べる人が好感を持たれるのは、食事を提供した人が信頼されているような気がするからだろう。
見知らぬ地で食事を提供されたら、何が何でも食べなければならない。まずくても美味しいと言わなければ、危ない。

食事を美味いと思うのは、多分に慣れと思い込みによる。珍味だグルメだと、食べたこともない物を食べるのは、社会的に信頼されている情報を信じるからで、乳離れの子どもが母親の与える食事を疑わずに食べるのと同じだ。日本食ブームも情報と信頼による。
これから、食糧需給が逼迫すれば、昆虫を食べるしかないと言われ、多くの人が顔をしかめるが、こんなものは、情報の流し方一つで、ブームさえ起こるだろう。
エビやカニは好んで食べられているが、今、大発生しているバッタなどは、そのうち天の恵みになるかも知れない。


要するに

2021年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

テレビで深川のアサリ飯が美味そうだった。
たまたま、大津京(西大津)のイオンで、テーブルマークの冷凍アサリ飯を見つけたので、試しに買ってみた。電子レンジだけでアサリが香り立ち、うまい!

その後、京都で探したが見当たらず、イオンに行けばあるだろうと、地下鉄で行かれる椥辻のイオンに行ったが、見当たらない。半分意地になって、このまま地下鉄で行かれる二条のイオンに行くことにした。
地下鉄三条駅で降りて、花見小路を北に700mほど歩けば良いと、気楽に三条駅を降り、東の一番出口を出た。ところが夜で、出たのが道の北か南か分からない。
何度か来たこともあるし、多分北だろうと思い、左の東に歩き始めたが、曲がるはずの道が見当たらない。引き換えすことにしたが、出口が南だったのかもしれないと思い、ちょうど変わった信号を渡り、南北の道を歩き始めたが確証がない。人気がない道をスマホを見ながら歩いて来る男性がいたので
「すみませ~ん、向こうは北ですかあ」
「キタ?ワカリマセン・・・ムコウハ、シジョウデス」
どうも東南アジアっぽい人だった
「ありがとうございま~す」
やっぱり反対だ。方角が決まれば、あとは確信を持って歩けた。

二条のイオンにも、やっぱりアサリ飯は無い。ますます意地になって、これはもっと大きい五条のイオンに行こう。そう決めたものの、もう一度三条駅まで帰るのと、東山通りでバスに乗るのと、どっちが歩きで近いんだろう。

「すみません、ここから三条駅に行くのと東山通りに出るのとどっちが近いですか?」
商品を並べている女性店員に、聞くと
「エ!ア、ア・・・ドコイキタイデスカ」
(あ、中国人だ)
「五条のイオンに行きたいんですが、地下鉄で五条に行くのと、東山通りでバスに乗るのとどっちが良いか、近い方にしようと思って・・・」
「アー、チョット、マッテクダサイ」
言いながら、スマホを素早く取り出すと集中している。
邪魔にならないように、はじに寄って待っていると、
「チョット、ツイテキテクダサイ」
と、どんどん入口のほうに歩いていく。
表に出て指さし、
「アソコニ、バステイガアリマス」
「え、東山に出るバスですか?」
「イエ、アレデ、ゴジョウノイオンニイキマス」
「??え、五条まで直接行くんですか!?」
「ハイ、モウスグキマス」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
と、何度もお礼を言いながらも、半信半疑で行ってみた。
暗くて分からなかったが、本当にバス停がある。スマホの明かりで時刻表を見ると、32番の京都外大行きだ。しかも2分で来た。二条通に、こんなバスがあったんだ。
キツネにつままれたような気分だった。

完璧の夢に耽溺する日本
結局、彼女はバスのあることを知っていて、時刻表を調べ、すぐ来なければ、東山か三条を答えるつもりだったのだろう。そして、たまたまバスがすぐ来る時間だったわけだ。
今日、口をきいた二人がどちらも外国人だったとは・・・日本も共生時代だ。
それにしても、外国人と日本人の思考の違いに、改めて心配になる。
外国人の多くは、「要するに・・・」の世界で生きているが、日本人は、事細かなつじつま合わせの完璧主義に耽溺している。

最初に「北」を訪ねた東南アジア人?は、直接の答えにならなくても、何らかの役に立ちそうな情報を提供してくれた。
駅を尋ねた中国人の店員は、尋ねる人の目的に一番沿うことは何かと考えた。
つまり、相手のニーズは何かを最初に考える姿勢が、徹底している。
これが日本人だと、まず、ミスをしないことを考える。相手の意図が分からなければ即答しない。意図が分かっても自分の答えがあいまいだと言葉を濁す。逆に、意図もわかり答えに自信がある場合は、くどくどと聞かれていないことまで話す。

日本人のこの習慣に、大方の日本人は気づいていない。一つの文化の中にいれば、その指向に忠実になるばかりで、他の方法や価値観を考えなくなる。
日本企業が陥っている衰退は、現実よりも、旧態を守ろうとする互いの牽制によるものであり、根本的な原因は「偏差値受験による異質排除」を、半世紀も続けてきたことにある。受験勉強という「与えられたテーマをこなす」能力だけが選別され、その秀才が産官のトップにある。
想定外の事態に、自分なりの判断で下す創意工夫がない。テーマを自分で創り出す勇気が無い。日本製品は完璧で美しいが、心を打たない。人の心を打つものは、形ではなく情熱だ。
ソニーがiPhoneに劣っていたわけではない。


痛々しい

2021年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

池袋暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さんが、
「高齢者に一方的に免許返納を迫るのは、地方の高齢者には違うと思う」のようなコメントをしていた。一方的に恨みを語る遺族とくらべ、冷静で知的な思考の出来る人だと感心し、それだけに気の毒でならない。
高齢者の利便に配慮し、自分の悲劇を交通行政の問題と捉えるのは、裏を返せば、交通の便の良い都心に住む裕福な高齢者が、無自覚な怠慢で起こした運転事故への怒りがあるからなのだろう。
ただ怒るのではなく、苦痛に向かい合い、自分の問題として苦しみながら分析する姿勢が痛々しい。

バイデン大統領も交通事故で妻子を亡くしているが、その後、再婚して今日に至っている。今は無理でも、どうか新しい人生を歩んで欲しいと思った。


カーキ色

2021年04月18日 | 星の流れに

火星は23日、再びカニ座入りするが、18日すでに双子座の27度だから、とっくに影響圏に入っている。
火星が入った星座はトラブルに見舞われ、怒りや混乱が増す。
3月から今まで、火星が入っていた双子座のアメリカでは、銃による誤射事件が再び市民を怒らせ、国としては中国に対する怒りが増幅した。

そして入れ替わると、今度はカニ座の中国が怒る。中国の国内では中国らしい事件が起こり、対外的には日米の姿勢にも激憤する。
ただ、木星も土星も180゚のやぎ座から水瓶座に移っているから、むしろ裏で動こうとするだろう。その上、木星は5月に魚座に移るから、中国が有利になり、アメリカは表向きは有利だが、内実は苦しくなる。

天秤座の日本にとって、火星がカニ座の6月までは中国に苦しめられるが、ガマンして長い目で見れば、徐々に良い状態になる。
それにしても、いくら何でもこの核時代に、武力外交など誰も考えていなかった。今でも信じられないが、中国共産党はどうも本気のようだ。貧乏人が急に大金を手にすると、ロクなことはない。
日米の共同宣言を、中国は「時代に逆行する」と叫んでいるが、どの口が言っているんだろう。
「中国の世界征服の時代」に、逆行すると言うならその通りだが。

天王星はだいたい昭和12~3年のあたりに還って来ているし、昭和12年は丑年だ。
昭和12年に日中戦争が始まり、13年はオリンピックを返上している。他の惑星の位置が異なるから、全く同じ事は起こらないが、世界を覆うカラーは同じと言えるだろう。

心の底から、世界の平和を祈る


風評被害 2

2021年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

風評被害」で、地下に埋めないのなら、国会で飲んで見せるべきだと言ったのだが、
麻生大臣が「飲めるそうだ」と言うと、中国の趙立堅報道官が「飲めると言うなら飲んでみろ」と、飲めないことを前提に揶揄した。
それに対し、麻生大臣は「だって、水道水以下だろ」と、あいまいな返答をした。

情けない。
麻生大臣は「当然、飲むよ」と、歯切れよく返事をし、放出水が調い次第、ぐいぐい飲んで、「うまい!もう一杯!」と笑って見せるべきだ。
国会議員は10代の青少年ではないのだから、例え、多少問題があったとしても、確実に、「どうってことはない」

また、家庭、園芸、洗車を始め、スーパー銭湯で「トリチュウム温泉」などとして使う人には無料提供することにすれば、あっという間に無くなり、海洋放出の必要さえないかもしれない。自販機に、「無料処理水」として入れておけば、飲料やうがいにも喜ばれるだろう。


神の啓示

2021年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

二階幹事長が、東京オリンピック中止の本音をポロリで、世界中に波紋。
どう考えてもどう見ても、東京オリンピックは「もう死んでいる」
やはり天王星の周期律は恐ろしい。初めから約束されていたことが顕現する。
東京オリンピックが決まった当時、懸念したことが現実になった。
→「東京五輪」(2013年9月) 
仮にこのまま強行しても、単なる記録会で、オリンピックの意味は無い。つまり消滅している。
オリンピックにすがった人々は言うまでもないが、昨日と同じ明日が来ると信じる人々にも、大転換というものがハッキリ見えるようになるのではなかろうか。
東京オリンピックは、偉大なる神の啓示だ。


喜び比較

2021年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

スマホに来たニュースは、「松山英樹がアジア人初のマスターズ優勝!」と告げていた。
よほど嬉しいのは解るが、ゴルフに興味の無い人間には、コンプレックスの方が強く伝わった。

アジア人というならタイガーウッズや大坂なおみは何人だろう。ネイサン・チェンやタイガーウッズをアメリカ人とするなら、松山英樹も大坂なおみもあくまで日本人で、あえてアジアを言いたいなら、「アジア人初」ではなく「アジア初」だろう。
アジアの国々に属する人が初めて優勝したと言いたいのだろうが、アジア系の人はアメリカにもいる。
さらに、すでに女子は優勝しているのに、これを忘れているのは、女性問題をも含んでいる。

移民の国のモンゴリアン
アジア人はアジアにいるという大前提は、200年以上昔の人種観だが、その固定概念が、アジア自身の差別とコンプレックスの一因でもある。
東アジアは、今でも大多数がモンゴリアンで、具体的な違いに慣れていないから外見だけで差別する。アメリカの差別を、それと同じ人種によるランク付けだと思っているようだが、人種の坩堝アメリカで起こっているアジア人差別は、違いに慣れている中での差別であり、外見より、むしろレッテルによる。

アメリカの黒人差別は、奴隷制によるアメリカ自身の根深い背景があるが、そのほかの人種について、白人社会には特段の概念がないようだ。同じ白人でも出自によって露骨に差別するし、黄色人種はわけの分からない不気味な存在として、遠ざける。
欧州人は黄色人種の先住民を駆逐してアメリカを建国したが、もともと欧州は高度文明の中華帝国と交易したこと、遊牧民に攻め込まれたことで、潜在的な怖れがある。
したがって、一度、敵意を持つと、単なる敵ではなく、悪魔や鬼と見なすようになる。
その最たるものが、日系人の収容所送りであり、原子爆弾の投下だ。
今起こっているアジア人差別は、差別されてきた人々の憂さ晴らしの側面もあるが、欧米文化のアジアに対する不可解さ不気味さが、「チャイナウイルス」のレッテルで突然、浮かび上がったのだろう。

差別は自分の中にある
もともと、差別は無知から始まる。自己防衛のために自他を分けようとする生物の習性は、誰にでもあるが、相手を知り、相手の視点に立てば、差別の必要を感じなくなる。
だから、中には差別感情を克服するために、対象を理解しようとして、返って妙に相手の側に立つ人が出てくる。それが知性の実践のような気がするのだろうが、実はそれも、単なる差別意識の裏返しに過ぎない。
ペットに贅沢をさせる人は、ペットが決して自分より上だとは思っていないから、贅沢を「させてあげたい」と思い、いつしかその自己投影の奴隷になる。

客観性が無く、生物の習性に忠実な人ほど排他的だから、他者との共存に不満があると「差別された」と感じる。相手の視点を考えられないから、自分の感情だけで判断をする。
他者と対等に共存した経験が無いと、上下関係の差別意識しか持てない。「差別されている」と思う上下意識の中にこそ、差別意識がある。

「世界初」は特記すべきニュースだが、「アジア初」は比較だ。世界との比較、アジアとの比較であり、アジア人は欧米人にかなわない、負けている、差別されていると思ってきたコンプレックスが何の疑いもなく表出されて、何ともやるせない悲しみが漂う。
何の能書きもなく、「松山英樹ついに制覇」と個人を讃えることはできないのだろうか。


風評被害

2021年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

ついに、原発処理水を海に流すそうだ。
必要が無くても、世界に対するパフォーマンスとして、地下に埋めて見せる方が良いと思っていたが、ずるずると無為の時間を過ごし、結局、そのまま捨てることにした。本当に真剣に考えたのだろうか。知恵も決断も無い政治家は日本国民の代表だ。オリンピックもそうだが、天地人の誰かが決めてくれるまで、ただ進む。とうとう黒船は来なかった。

処理水であれ汚染水であれ、政府や専門家が言う通り、気にするようなものではないと思う。知る知らないに関わらず、もともと人間は、諸々の有害無害の地球上で暮らしている。人間に合わせて環境が生まれたのではなく、環境に合わせて人間が生まれた。
酸素世界を生んだシアノバクテリアのように、人類もその営みでまた別世界を生み出すが、それは環境破壊ではなく、それ自体が地球の営みに過ぎない。新しい環境に適応する者のみが生き残る。

怒りによって大洪水を与える神は人間の神であり、地球や宇宙にとっては、どうでも良い神だ。人間を守ってくれる神だから、人間の身を滅ぼす行為に怒る。つまり、神が罰するときは手遅れだ。それは神が宇宙に変わる時だ。極地の氷は溶け始めている。果たして神は許してくれるのか。
そんな壮大な神話が展開する中で、いまさら、汚染水もないだろう。問題になっているのは「風評」であり、神の怒りはもっと大きな所にある。

地下に埋めないのなら、絶対に大丈夫な水であると、放出に賛成する国会議員は全員、飲んで見せるべきだ。さらに、国会で飲む水は、名水ではなく全て処理水にすべきだ。
また、賛成する国民が率先して飲めば、一気に減らすことが出来る。
処理水をペットで売れば、愛国者は進んで飲むだろう。処理水で造った酒も良さそうだ。
ラジウム温泉がずいぶん宣伝されたことがあるが、トリチュウム入りとして、逆に何らかの効果があると言い出す人も現れるかも知れない。
何にもしないで悩むから、よほど恐ろしい物に違いないと、噂が噂を呼ぶことになる。


義勇軍だ

2021年04月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ミャンマーはひどいことだ。国連の無能を証明している。
国連の生まれた経緯からしても、人類統合の高邁な理想ではなく、国益と戦勝の手段に過ぎず、今日に至るまで、改められていない。
それでも東西冷戦の間、何はともあれ、第三次大戦を防いできたのは、国連があったからなのかも知れないが、ソ連崩壊の段階で一度精算し、新しい枠組みを創り出すべきだった。結局、アメリカが冷戦勝利に浮かれている間に、国際機関は中国に食い潰されてしまった。まさに、冷戦の漁夫の利を得たのが中国であり、中国共産党のお家芸は、一貫して棚ぼた狙いだ。

その中国共産党が直接間接に引き起こした大虐殺史は、チベットやウイグル、天安門どころではない。ポルポトや朝鮮戦争など、明々白々な歴史の陰で、今起こっているミャンマー軍の虐殺も、中国が擁護した1988年の軍の成功体験からであり、今もまた、中国は露骨に軍を擁護している。中国共産党が引き起こした状況で、一体どれだけの人が死んだのか。単純に考えてもナチスを越えている。中国共産党は今も戦国マインドのままだ。

250年の産業革命パラダイムが生み出した大量消費と大戦争。そこで生まれた国連の役目が終わると、いつの間にか創設メンバーの地位に居座った古代ゾンビ、中国共産党が、その仕組みを利用して、世界の支配者になろうとしている。
産業革命パラダイムが終わる今、国連はそこに潜り込んだ中国共産党もろとも、冬の「コモ巻き」のように処分する時が来た。
大転換の時に、旧時代の遺物である国連は一度たたむべきだが、既存の巨体はそう簡単には無くせない。

この指止まれ
国連を舞台にした新冷戦で、米中の選択に悩むより、今や、どちらにもつかない、新しい国際秩序を提案するときだ。
TPPで見せたように、こんな日本でも、やればやれる。新国連と言うより、世界連邦の枠組みを提示し、そこに賛同者を募るべきだ。
国として夢のような話は出来ないというのなら、NGOの出番だ。
銃を構えて向かい合っている者に、「銃を捨てなさい」と言う核兵器禁止条約は非現実的な祈りだが、銃の無い茶室に「来ないか」と誘う事は、よほど現実的働きかけだろう。

世界連邦は夢のような話で、国家間パーティの国連とは全く次元の異なる話だ。
したがって、どのように構築するか、自由に語ることが出来る。
各国家の現実を全く考慮せず、理想のゴールを描き、そこにパズルのピースのように、各国が参加できるポイントで、少しずつ参加してもらう。
現在の国際機関は、国連の後ろ盾が前提だから、偏った価値観や利権が横行する、おかしな物になっている。

世界連邦を始めから実効性のない組織と割り切り、野党のシャドー内閣のように、「有って無い」世界機関として施政方針を出し、あらゆる事態に声明を出していく。また、希望者には架空の市民権を付与する。そして、国家同士が行き詰まったときに、徐々に動き出す。

立て! 現代の義勇軍!
ネット時代を活かし、バーチャルな世界連邦で試行錯誤しながら完成度を高め、徐々にリアル化していけば、案外、早く実現するかも知れない。
何よりも、今や、バーチャルがリアルに対し実力行使できる環境がある。
どの国家も軍から始まった。バーチャル世界連邦も、バーチャル独立義勇軍から始まる。
手始めに、ミャンマー軍の情報中枢を破壊してはどうか。もちろんその黒幕が最終目標だが。


押し付け

2021年04月04日 | 日記・エッセイ・コラム

ニューヨーク州は大麻を合法化した。既に15の州で認められており、合法化による税収が見込めるとのことだ。
酒もたばこも、必要だとは思わないし、ましてや、大麻のようなものを吸引したいとは思わないが、日本も、早急に合法化すべきだ。
税収も得られるかも知れないが、何よりも、麻の栽培や麻の実などの、日本古来の文化が解放される。

大麻の自然生息地である日本には、古来より麻文化がある。花を愛で実を味わい、身にまとってきた。
ところが戦前は欧米に歩調を合わせるだけだったものが、戦後、アメリカ占領下の大麻取締法で厳しい禁制にしたことで、日本の麻文化はほぼ壊滅した。
花を愛でるために、庭に植えていた人が検挙されたニュースを、子どもの頃よく聞いた。今でも、日本のどこかでは、大麻の群生に出会うにちがいない。
麻薬という麻由来の言葉が何時生まれたのか知らないが、漢方知識は古代より中国から入っていたようだ。しかし、日本人は文化として、阿片や大麻を吸うことはなかった。

近頃、若者が大麻所持でよく検挙されるが、流行にかぶれているだけで、脱法スリルを楽しんでいる側面があり、もし禁止でなければ、日本人の体質、文化から考えて、海外のように蔓延することはないだろう。酒やたばこを忌避する現代の若者の価値観を考えても、蔓延はあり得ない。嗜好品としての麻薬の類を抑え込もうと思うなら、ご禁制品としてではなく、自由選択の上で、恐怖を煽り、ダサさを煽る方がよほど効果がある。アメリカの禁酒法が最大の教訓だが、禁止すれば、裏商売として普及を煽る輩が必ず出現する。

日本の酒文化
現代の若者が酒を好まないのは、自分を失うからだろう。昔は「酒の上のことだから」が許される社会があり、周囲に甘えて身を委ね合うことが日本の酒文化だったが、現代のようにスキンシップを信頼できない社会では、酔っ払う事に恐怖感がある。酒造会社にはこのあたりの認識が欠けているように思える。
互いに甘え合う日本の酒文化に対し、個人の嗜好品と考える海外では、酒より強い忘我の境地になる麻薬が好まれるのだろう。この点でも、周囲の目を気にする日本人は、人間関係を失う「忘我の境地」を嫌うので、いわゆる薬物が蔓延することはない。

大麻を合法化する場合、日本では欧米のように薬物や嗜好品としての合法化ではなく、完全に自由化し、国際基準に準じて、営利目的の乾燥大麻の売買だけを禁じれば良い。
吸いたい人が個人的に栽培するのは自由とすれば、よほど物好きでもない限り、栽培する人はいないだろう。一度はやって見るかも知れないが、馬鹿らしくなるに違いない。
それより、自由化によって、日本中で美しい花が咲き、麻文化が復活し、新製品の開発も始まる。鳥が喜んで麻の実をついばみに来るような、日本の原風景がよみがえる。
占領軍によって押し付けられたから改憲するという人たちには、是非、この大麻取締法のことも、注目してもらいたいものだ。


ことだま

2021年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、「どくとるマンボウ航海記」を読んで、達観したようなマンボウという魚が好きになった。
近頃また、「マンボウ」が大流行だ。聞いた瞬間、蔓延防止と翻訳できたが、やめて欲しい。愛しのマンボウを、嫌悪すべき呼び名に使われると悲しくなる。
「三密」も、理想をおぞましいものに変え、ただの過剰接近を、怪しげな「濃厚接触」と呼ぶ。
「変異株」は、買うと儲かるのか損をするのか。
お笑い「第7世代」など、無理に意味づけしようとする言葉が流布されているが、感染の「第4波」もさして変わらない。
一方で、小学生が座っていそうな、「子ども庁」は微笑ましい。

非国民、敵性言語、玉砕・・・世の中が動く時は、新しい言葉が量産される。新語もあれば、既存の言葉が特別な意味を持つこともある。
いまや、「忖度」が流行語になるような、平和な時代が懐かしい。