魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

天の岩戸

2011年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

地震による経済の落ち込みは相当なものらしい。
何と言っても、自粛ムードが直撃しているが、鉱工業生産の実質的落ちに加え、原発による国内外の風評被害が直接間接に、先行きまで暗くしている。

鉱工業生産は、日本の実力をもってすれば、大きな問題ではないだろう。しかし、日本のイメージは、一度失墜すれば取り戻すのにまた半世紀かかる。
しかも、敗戦で失墜した時のように、中韓が日本叩きに熱中している。

彼らに言わせれば、当然の報いと言うことになるかも知れないが、
日頃、親戚づらする人ほど、信用できないものはない。
「遠くの親戚より近くの他人」と言うが、「近くの親戚より遠くの他人」(遠交近攻)らしい。

日本の失策は確かにあるが、日本からの放射能が検出されたと騒ぐ韓国や、「国民を守る義務がある」と輸入規制をして、あたかも自国がクリーンのような顔をする中国。
「開いた口がふさがらない」とはこのことだ。思わず吹き出した。

ゴビ砂漠の黄砂に放射能が含まれ、川にも食品にもミルクにも、何でも含有の中国。気流潮流からして先ずゴビ砂漠の黄砂を疑うべき韓国の放射能。
その上、韓国では「日本に土着するチャンス」などと公言する。

いざという時の態度こそが、本性だ。
ただ、あえて言えば、中国の場合は、単に、雑で無知な国民性によるところも大きく、本当のところが解れば、その場で考えを変える。
極めて現実的な中国人に対し、極めて情緒的な韓国人は現実を直視しない。

悪意ではないとしても、日頃の「親戚」が率先して日本叩きをしている。日本の周りが真っ暗に閉ざされ始めている。
それどころか、人心の落ち込む国内にも、外からの風が吹き込み、風評被害で薄ら寒く暗くなり、「近くの親戚」の、思惑通りになろうとしている。

自粛亡国」の、徳川家康の敗戦の智恵のように、日本には智恵と教えがあふれている。
太陽が隠れたら、自ら太陽のように振る舞えば、日はまた昇る。
「天の岩戸」のバカ騒ぎは、ただのおとぎ話ではない、日本人が神話として大切に伝えた智恵なのだ。

中韓がどういう態度を取ろうと、日本が実際に、元気で賑やかなら、やがて、他の国も寄ってくるだろうし、賑やかになれば、真っ先に親戚づらしたがる人達なのだ。


変わる?

2011年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

各社、節電のために輪番休業や、サマータイムを実施するそうだ。
この場合のサマータイムとは、いつも反対する、国全体の時計をずらす、元来の意味のサマータイムではない。
いわば、企業別フレックスタイムだ。

また、輪番休業は、景気浮揚策として、提示されていた「地域別休暇分散化」を、事実上実現してしまった。

いずれも企業が反対していたことが、恵まれた環境が失われることで、かえって、実現した。省エネ環境も本格的に進むだろう。

日本は財官の癒着した、巨大工場システムになっているから、そこにぬくぬくと巣くっていた企業は、制度変更には抵抗してきた。
だが、その温床が崩壊危機になると、本気を出して、対応しようとするし、実際「やれば出来る」のだ。

その結果、長年変わることの無かった旧弊が、アッサリ変化する。
だから、ショックがあるたびに、日本の社会も企業も改善される。
この、20年、起こらなかった変革が、この大災害ショックで、簡単に始まった。一括採用なども、変わらざるを得ないだろう。

当然、変わるのは企業だけではない、社会環境が変われば個人も変わる。さまざまな社会問題が、個人レベルでも変わるだろう。

終戦直後、鬱病が激減したという。みんな気合いが入って、それどころではなかったからだろう。
同様のことで、例えば、最近の子供の汗腺が少ないと言った、贅沢による進化?や、アレルギー、心的病気から、花粉症に至る迄、減少するかも知れない。食糧難時代にダイエットする人はいなかった。

本当に変わるのか
エネルギーの垂れ流しで成長してきた日本経済は、「省エネは絞るだけ絞った」と言うが、いまや、絞るより、別のタオルに替える時が来たのだ。
エネルギー政策そのものを抜本的に変える、ラストチャンスだ。

智恵もアイデアも技術も、いくらでもあったが、政財官がべったり癒着した、日本の状況を変えることはできなかった。
しかし、これだけの大ショックを受けたら、変わるかも知れない。

いまだに、「原発は大人の智恵」みたいに思っている人が、日本には6割もいる。一端、始めた戦争を止められない、日本人の習性だ。一度、洗脳されたら何があっても信じ込む。
しかし、良く考えれば、日本の原発依存は現在、たった3割だ。
まだ、方向転換ができる。原発でなければならない理由はない。

何度も言うが、脱原発の方が、将来性においてソロバンが合うのだ。有形無形の、この大損失を見れば議論の余地はないだろう。
日本が21世紀、成功するか否かは、
一極集中解体新エネルギー産業の創出文化学術の振興に懸かっている。


水菅措置

2011年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

自民党の石原幹事長が、個人的意見と言いながら、復興財源を先に論じるより、復興方針が先だ、と言っていたらしい。

全くその通りだと思う。だが、一言、言いたい。
これまで、「財源、財源」と言っていたのは、自民党ではないのか。
ノホホンと、「やりくり論」だけの官僚論理を、政治と勘違いしていた政治屋が、今になって初めて、政治に目覚めたようだ。それも、この土壇場で、しかも、野党の立場だから気づけたのだろう。
やはり人間、土壇場でなければ目覚めない。

これまで、政治というものに、どうにも納得がいかないのは、
「財源なくして政策無し」と、既成事実の踏襲だけの官僚思考や、
「政党は憲政の常道」などと、昭和初期か、平安貴族の、権力闘争や地位争いのような、「おまつりごと」で終始して来たからだ。

石原幹事長の言う復興方針「ヴィジョン」こそが、政治の仕事だ。
その後、この意見は広がって、復興会議でも「財源より復興方針が先だ」ということになったらしい。

帳簿を合わせられない非常時だからこそ、ヴィジョン先行が受け入れられるが、平時でも、本来それが政治の仕事だ。
予算に合わせて仕事が決まるのではなく、仕事に合わせて予算を考え、ひねりだし、双方の折り合いを付けるのが政治だ。

戦争が起こったら、予算など言っていられない。今の事態は、完全に戦争だ。
オッチョコチョイの菅総理は失敗だらけだが、今、首相をかえているような時ではない。選挙と政局を政治だと勘違いしてきた連中が、協力どころか足を引っ張って、自滅している。見限られるのも当然だ。首相の首をすげ替えることより、いかにバックアップするかだ。
野党の方が、よほど冷静だ。

菅総理のオッチョコチョイはエンジンだから?
自動車人間のエンジンについて、本には
「予定外の事態にもすぐ立ち向かおうとするので、しなくても良いことや、してはいけないことまでやってしまいます。これはビックリ屋のパニック行動です」
と書いてあるが、ヘリで現地に飛んだのも、まさにこれで、集中砲火を浴びた。ただし、これについては、事故当時、原子力安全委員会のメンバーはほとんど集まらなかったことが、後でわかった。

ともかく、人一倍、死にものぐるいで頑張っていることは間違いない。ただ、エンジンの欠点は、「何もしないことも行動の内」ということが理解できず、立ち止まって、事態を見極め判断し、方針を伝えることができない。だから、何でも自分がやろうとする。しかも、一端行動を起こすと、他人の言うことを聞かなくなる。

菅政権の命運は6月までと、中国の新聞にまで書かれたら、かえって辞めさせるわけには行かないではないか。
エンジンに必要なものはハンドルの智恵と、ブレーキだ。
与野党、民間、誰でもいい。菅総理をハンドルで固めて補佐してやって欲しい。ダダ漏れの原子力エンジン総理は水菅にして、他で発電するしかない。

ハンドル:優香、真鍋かおり、茉奈・佳奈、中井貴一、阿部寛、京本政樹・・・こんなんじゃダメか


善意の素

2011年04月27日 | 日記・エッセイ・コラム

刑務所の受刑者が震災の義援金を「使って下さい」と、出しているそうだ。これは、暴力団の炊き出しと同じ、純粋な気持ちによるものだ。
しかし、シャバにいて、ゆすりタカリを生業にしている立場と、刑務所で、名も告げずに寄付する行為とは結果が違う。例え同じ暴力団員であってもだ。

暴力団の炊き出しは、社会に直接参加しているから、その結果にしがらみが存在している。しかし、刑務所の受刑者の寄付は無名であり、直接に社会的影響がない。
後で、「オレが刑務所から出した金、受け取っただろう」と言うことはない。

そうしたしがらみを避けるために、関東の暴力団はこの度、姿を隠して炊き出しをしたそうだ。義侠心を大切にしたのだろう。

刑務所の受刑者のお金は、当初の所持金や、刑務所で働いたわずかな賃金だが、中には、全額出す人も相次いでるそうだ。
少しでも人の役に立ちたいと思う懺悔の気持ちや、「可哀相に、気の毒に」と率直な気持ちからの行動だろう。

大騒ぎをして寄付金を出すと言う人は要注意だが、後の災いも考慮した上で、受け取るしかない。と「ぼんぼん」で、書いた。
あえて誰とは言わないが、後で、「寄付をしたのに気に入らないことがある」と、集まった金を減らし、何のかんのとイチャ文を付け始めた。

ゆすりタカリを生業とする人の「好意」は、感情論で終始するから、ものすごく感じが良い時から、いきなり、毒づきに変わる。
だから、親切だからと言って、うかつに信じるわけには行かない。

感情論で生きている人は、そのことに自分では全く気づかない。
「それは感情論ですよ」と言うと、カーッとなる。
理性より、感情が上回るから、自分の感情を理性的に見つめられないからだ。

こういう人は、過去と現在が客観的につながらないから、現在の言い分を主張するためには、何でもありのデタラメを並べて、正当化する。
それがデタラメだと指摘すると、また感情論で上乗せする。
こういう人に、理を説こうとしては、デタラメの世界に取り込まれてしまう。
歌手や役者、そして無節操なマスコミの世界と同じ、扇情だけで生きている。

一切、反応しないことが一番良い。

刑務所の受刑者の義援金は、多分に感情論もあるだろうが、一度出された後は、後でそれが駆け引きのネタになることはない。
その時の純粋な気持ちが、そのまま被災地に届くだろう。


まだ若い

2011年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

キャンディーズのスーちゃん(田中好子)が死んだ。これも牡羊座現象と言えるかも知れない。4月8日で55歳になったばかりだ。
と言っても、美空ひばりは52歳だった。
近年ますます、「まだ若いのに」年齢が上昇している。

キャンディーズは、山羊座の二人と牡羊座の組み合わせで、天王星が天秤座にいた時にデビューし、活躍している。
さらに、キャンディーズとしてデビューした1972年は、木星が山羊座にいた年だから、二人の山羊座がいたことは多分に影響しているが、いずれにしても、活動宮のグループだ。

この後、天王星がサソリ座に移って現れた、ピンクレディーは魚座と乙女座で、天王星が極めてラッキーな作用をしている。
天王星に対し、90゜180゜の活動宮で活躍したキャンディーズは、かなり努力したと思われるが、120゜のピンクレディーは、波に乗ったと言える。
また、名前的には、キャンディーは金星だが、ピンクレディーは金星+海王星で、冥王星のセクシーさもある。

自動車人間では、
ラン(ボディー)→スー(シャーシ)→ミキ(ガソリン)で、
山羊座でO型同士のランとミキは、ボディーとガソリンの、微妙な関係だから、意外にシャーシでA型のスーで持っていたと考えられる。二人にとっては、本当に辛いだろう。

かねがね、東京出身の有名人には、嫌な人がいないと思っているが、このグループもそうだ。イヤミがない。
ご冥福を祈りたい。


死ありて

2011年04月25日 | 日記・エッセイ・コラム

大家族の名残があった昭和30年代、よく聞いた大人の世間話に
「おばあちゃんが死んで、孫の00君が真面目になった・・・」
など、家族の死と、子供の精神的成長の話があった。

子供のみならず、家族の死は人を成長させる。
家族だけではない。人は、死を考えることで、生きることに目覚める。
死に直面しない社会は、生をおろそかにする。

近年の日本の最大の病は、「死の無い社会」だろう。
高齢化と核家族化で、子供が家族の死に直面することが少なくなった。
日常接することがない祖父母が死んでも、実感がなく、死に直面したことにはならない。
昨日まで言葉を交わし、慕ったり恐れたりしていた「存在」が無くなることで、生のはかなさと、大切さを実感する。

大家族で暮らしていた戦前までは、誰でも、幼い頃からそうした経験を重ねたから、それが社会的常態になっていた。
誰もが、人は死ぬものであることを体感していたから、生きることに精一杯向かい合っていた。短い人生を燃焼させていた。

ところが、近年、子供が死に直面することが少なくなった。それどころか、その親も、死を知らないで親になるケースも増えた。
社会全体が、「死」を知らず、「死による成長」のない社会になった。

「死」を知らない人間は「生」をおろそかにする。反面、「死」を恐れ、生存に固執する。と言うより、「命がある」ことだけに固執して、本当に「生きる」ことを見失ってしまう。

近年の社会通念を見ていると、あらゆる世論や言動に、「死を直視し、受け入れる」ことが欠けている。心身の融合が忘れられている。
その表れは、心のケアや臓器移植、医療費拡大、就活や婚活・・・など、きりがないが、悪平等やペット社会は、その結果でもある。その一つ一つを解説しようにも、あまりにも「死」の無い社会になりすぎている。

今回の大災害は、そうした、日本社会に、頭から水を浴びせて目を覚まさせた。
少なくとも、被災地では、暴走族が解散宣言をしたり、被災した人々が、何とか、自ら笑顔で立ち上がろうとしている。

こうした、大きな現実が、被災してない地域の人々にも覚醒の教訓になるだろうし、原発被害は事実上、日本人全体に死を考えさせ、生に目覚めさせる契機にもなるだろう。

石原都知事が天罰だと言ったのは、ちょっとした言葉の選択ミスであって、おそらく、近年の日本人の自己喪失、生きる姿勢の喪失に対する、苛立ちがあったのではあるまいか。(我欲とは、心を失って命に固執することだろう)

率直な一言。
被災地に必要なのは、立派な仮設住宅や心のケアのようなシステムより、人のコミュニティーの復活だ。コミュニティーには癒しの力もある。


三者三様

2011年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災で被災した東北三県の知事は、それぞれに個性があって、復興計画への提言でも、全く意見が分かれた。

最もテキパキして、「切れ者」風なのは宮城県知事で、岩手県知事はどこか田中康夫に似ている。福島県知事は、古いタイプの政治屋風だ。

経歴を見ると、それぞれに、なるほどと、うなずかされる。
福島県知事は、縁故しがらみから、ズルズルと現在までたたき上げてきた、いわゆる調整型で、原発推進にも結局、荷担している。
そういう点で、結局、原発の営業もした菅首相と、通じるところがある。一つ違いの同世代だ。
復興に対しては、「まだ原発が解決していない」と、立場を明らかにしない。

宮城県知事が、復興税でお願いしますと言ったのに対し、岩手県知事は、復興税で西日本まで景気が悪くなったら、日本全体が立ち上がれなくなる、と反対した。

岩手県知事が、外務省で海外勤務の後、国会議員を経て岩手県知事になったのに対し、
宮城県知事は、自衛隊士官から、松下政経塾、地方議員の後に知事になった。

外務省出身の岩手県知事が、おだやかにムニャムニャ喋りながらも、大局観から考えるのに対し、宮城県知事は、いかにも軍人らしく、歯切れの良い言葉で、一切、よどみなく喋るが、「金がなければ復興税」と、地方の立場だけで「やっつける」ことしか考えない。いかにも「士官」あがりだ。

戦後間もない中学や、高校には、江田島帰りや、陸士帰りの教師が多く、みな、極めて歯切れの良いしゃべりをする、気持ちの良い人達だった。中には小野田さんと同じ中野学校帰りもいた。

中学の担任の数学教師は、江田島帰りで、成績の良い生徒に惚れ込むところがあった。
学年で一番だったクラスメイトが授業中に、ニヤけていると、前に呼び出し「歯を食いしばれ」と言うや、教室の後ろまで殴り飛ばしながら「かわいがって」いた。
今なら大変なことだろう。

今の自衛隊は昔の日本軍とは違うが、軍人の簡潔明瞭な思考は同じようだ。分かりやすく優秀だが、えてして、視野が狭い。

自動車人間で見ると
岩手県知事と福島県知事はハンドル。宮城県知事はガソリンだ。どちらも頭脳派だが、ハンドルは受け身で反応が遅いのに対し、ガソリンは極めて反応がいい。大阪府知事もガソリンだ。

ハンドルは最悪の事態から考え、なるべくそれを避けようとする。
ガソリンは、前へ前へと進むことを考えるから、アイデアと集中力は素晴らしいが、結論を急いで視野が狭くなる。


溜息吐息

2011年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

鳥の群は、西へ向かい、また、東に流れる
懸命に羽ばたく鳥は
ワケなど知らない

南に向かう迷い鳥は、はじき出されたが
大群は、滔々と闇の空を飛んで行く

イワシの群は、やがて、イルカの糧になる
病の渡り鳥は、飛びながら墜ちる

群に生き、群に滅ぶ

隕石の一撃で滅んだ、恐竜は
ワケなど知らない

神風を信じて、敗戦を迎えた
安全を信じて、汚名を得た

原発反対

どんな意見も、「時の勢い」には勝てない。
原発には一貫して反対だ。しかし、何でも止めろではない。
金や利権の道具としては、危険すぎるということだ。
急がば回れ。リスクを計れば、原発は最悪の効率だ。

結果を見なければ納得しないのは、普通の人だが、
結果を見ても考えを変えない人を、信者という。

思わず」、「うんざり」、「どこへ転換」、「掛違い」、「電気自動車
年寄りは踊れない」、「もういい加減にして欲しい」、「ヘリコプター

・・・この他にも、振り返ってみると、いかに執拗に原発反対を言ってきたか、自分でも驚く。


隠蔽疑惑

2011年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

カメムシ見たいと失礼なことを言ったが、原子力安全保安院の人。
その後、西山英彦とアナウンスされるようになり、西山審議官が有名になった。

その前に記者会見をしていた、中村幸一郎審議官は、会見の途中で、目に涙を浮かべていた。この人が「炉心溶融」の可能性を口にして、首をすげ替えられて出てきたのが、江沢民の孫・・・ではなかった、西山審議官だ。

この西山審議官は、始めから真実を隠していた。記者会見の場で、
「なんちゃって、なんちゃって」みたいな答弁に終始していたが、どうにも信用できない。

ワケのわからない曖昧な記者会見を続けている内に、海外からは、「日本は真実を隠蔽している」と、よけい疑われるようになった。

隠そうが隠すまいが、じっと聞いていれば、実態は解りそうなものだと、海外の隠蔽論には違和感があったが、
じっとテレビを観ている内に、隠蔽の事実がわかってきた。
西村審議官は、ヅラだ

20年以上も丸刈りにしている魯生など、わざわざ、うっとうしい事をする人の気が知れないのだが、丸刈りにも、白髪や薄毛はやって来る。
しかし、丸刈りのズラや、白髪染めはないので、このまま後光を放つ日を待つばかりだ。一切、隠蔽はない。
後光とともに、背中に羽でも生えればいいのだが。


傍観雑感

2011年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発で福島瑞穂議員が、すぐ原発を止めよと言っていた。
今や「FUKUSHIMA」は、世界一のキーワードだろう。

アマテラス」でも言ったが、核問題は日本人より世界の方が敏感に反応している。日本での悲惨な被害を心配してくれるとともに、それ以上に、自分たちが恐怖に駆られている。

思うに、世界の人々にとって、この「FUKUSIMA」は「HIROSIMA」のイメージが、直接浮かぶのではなかろうか。
知らない国の名前は、「00スキー」とか、「00ネンコ」のように、音の共通部分で、いかにもその国らしい印象を持つ。

世界で初めての原爆と言うことで、おそらく「NAGASAKI」より、「HIROSHIMA」の方が知られているだろう。
そこに今回の「FUKUSHIMA」で、世界中が「ワーッ!」と、きた。

「00SHIMA」と、聞いただけで・・・と言うやつだ。
案外、かくれた過剰反応要因かも知れない。

それにしても
何度も言いたくなるのだが、「ロボット大国日本」って、
何の幻聴だったんだろう?
鳴り物入りで派遣されて来た「ロボット」を見て、 Orz

外交配慮もあるのかも知れないが、なぜ日本のロボットが出てこないのか説明して欲しい。原発内部だけではない。行方不明者捜索でも、全くハイテクの話が聞こえてこない。

無いなら無いでいいのだが、他国に助けてもらわなければならないような「危険物」を、大きな顔をして日本に置くなよ。
しかも「絶対安全だ」と、教科書にまで書いてた。

この期に及んでも、(今や枕詞になってしまった)
日本では案外、原発反対が増えない。
見識家ぶって、原発反対に回れないのは、目覚められない人だ。
考えを変えると言うことは、信じた自分を否定しなければならないのだが、プライドの高い日本人には、これが非常に難しい。
何とか理屈を付けて、自分は間違っていなかったと思いたい。

AB型的国民性(外見はA型)は、理屈と感情が結びつくから、感情を論理づけしていることに気づかず、自分の判断を合理的だと「信じる」。

何も日本人だけではないが、一度洗脳されたカルト信者を目覚めさせるのは、非常に難しい。オウムも「優秀」な人が多かった。

どうも、やっぱり、原発「一億総懺悔」をして、
教科書に墨を塗らなければ、日本は変わらないないようだ。


家計簿屋

2011年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

消費税に賛成だ。しかし、今ここで、消費税を引っ張り出すか?
日本の政治は、やっぱり、母ちゃん思考だ。

平時なら、幅広く徴税をすることは効率が良いし、消費意欲に直接的な影響は少ない。
しかし、そうでなくても、みな、禁欲的になっているこんな時に、金が必要だからと、直接、「金を出せ」と言うのは、父ちゃんの給料だけでやりくりする、専業主婦の発想だ。

金が要る時には、稼ぐことが先だ。稼ぐには投資しなければならない。投資は魚釣りの餌だ、餌を付けなければ、釣れるわけがない。
びた一文出さずに、集金だけを考えるのは、役人の発想だ。
給料、手当、公用、天下り・・・自分は、びた一文出さない。

役人は優秀を自認する。母ちゃんは内助の功を主張する。
全くその通り、大変な仕事をしている。だが、金を稼ぐには金が要る、そういうことは理解できない。

政治家と官僚は、父ちゃんと母ちゃんだ。仕事がうまくいっている時は、母ちゃんの家計簿に合わせていることもできる。しかし、失業してしまったら、一度、家計簿停止だ。つじつまが合わなくても、父ちゃんの、仕事探しの軍資金を出してやらなければならない。
ところが、父ちゃん自身が、母ちゃんの尻に敷かれている。

金がないからと切りつめていては、やがて蓄えは底をつく。
「民のかまど」から煙が上がらない時には、年貢を止めるのが日本の知恵だ。
納税者が困窮している時には、民が立ち直るまで待ってやる。
それが、古代からの教訓なのだ。

だからと言って、バラマキはいけない。「アメをやるから金を出せ」では、民は糖尿病で死んでしまう。民が自由闊達にそれぞれのやり方で富まなければ、経済全体の活力は上がらない。

官僚のつじつま合わせが、政治の常識と考えられて来た今の日本では、絶対にできないことだが・・・

3年間、税金免除、高速も空港も無料、天下りの解雇、財務役人の報酬1/4・・・など、やってみれば、日本の経済は爆発的に元気になるだろう。それから徴税すれば、一気に取り戻せる。

日本経済の足かせは、結局、官僚ではないだろうか。


アマテラス(3)

2011年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

中国は、日本の「ウルトラ7」を、「プルトニューム製造に有利な旧型原発で行った核実験を隠蔽しているから、すぐに発表できなかったのではないか」と疑っている。
人間は、自分がすることを他人がすると考えるものだ。

また、教科書問題で、反発した香港誌が、二度も核にやられた日本は核恐怖症になっているから、「日本を核で脅してやれ」と書いた。
三重のバカだ。

一つには、香港的お笑い単細胞、国際感覚の欠如。
二つには、武力で威嚇という、中国の本音を漏らしたこと。
三つには、核に対する無知と、日本人の核認識を知らないこと。

アマテラス(2)で書いたように、日本人は世界で唯一、核を知っている。あるいは、麻痺している。
逆に、日本人には、世界の人が「核」と聞いただけでパニックになる感覚が分からない。(日本国内のそれとは比較にならない)

「核」を、程度問題と考える日本人にとっては、核兵器と核汚染は別問題だ。核汚染は程度と対策を考える対象になるが、核兵器は絶対容認できない。

もし、本気で日本に対する核使用をする国があるなら、日頃の日本らしくない国際外交に出るか、直ちに核武装して、もしかすると先制使用さえするかも知れない。

核兵器を持たない日本は、逆説的に、核兵器に対しては「YES、NO」だ。核兵器を抑止力としては考えられない。
「NO」でなければ、「いっそ」やけくそで「キレ」て使用する。

もし、香港誌のような日本に対する誤解や、甘い考えがあるなら、
この際、日本がキレて、核を持つようなことになれば冗談ではなくなるぞ、と、逆に本気で広報する(脅す)方がいい。

しかし、香港誌の認識は、笑えない。
核には無知でありながら、核兵器を通常兵器の延長で考えている。
これは、案外、世界の認識だろう。だからアメリカなども、限定核兵器と称して、何とか兵器として使おうとする。

とにかく、核に対して、誰も現実を見つめられない。

香港誌的発想を逆手にとって、日本が居直るなら、漁業問題や領土問題も解決するかも知れない。

核に無知な周辺国に対し、周囲を微弱核汚染にして、
「日本に近寄るな、魚も獲るな」と鎖国してしまえば

絶えて異国のなかりせば 四方の海はのどけからまし

と言うことになるかも知れない??? 

アマテラス(1) 、リメーク


薬ぎらい

2011年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、ずっと頭痛が続いている。
様々な痛さで、様々な位置が痛くなる。
前頭部、後頭部、頭のシン、眉間と、急に痛くなってきて、スッと抜けると、しばらくしてまた痛くなる。

頭痛が抜けると地震がある。
もう、ほぼ100%という感じなのだが、あまりにも地震が多すぎて、これが地震のせいなのか、単に、何らかの病気なのか、かえって分からない。ただ、先月のような、吐き気がするほどの頭痛ではない。

よく、頭痛に頭痛薬を飲む人がいる。だから頭痛薬もよく売れるのだろうが、個人的には、頭痛薬は半世紀以上飲んだことがない。
頭痛薬を飲まなくても、いつか収まるし、頭が痛いからと言って一々薬を飲んでいたのでは、薬物中毒になりかねない。それぐらい頻繁に頭痛になる。

だいたい、世間の頭痛持ちの人も、実は、磁気の影響を受けている人が多いのではなかろうか。

もし、そうだとすれば、薬を飲んで治ったと思っているのが、本当は、薬とは関係なく、地震発生で磁気が消え、「薬が効いた!」と信じ込んでいるだけなのかも知れない。


はじけた

2011年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

見識家を自認する人ほど、この期に及んでも、原発推進を進めるしかないと固く信じている。
そして、自然エネルギーを主張する人を、事情を知らない素人と決めつける。

確かに、「原発をすぐ止めてッ!」と、ヒステリックに主張する多くの人が、昨日までの「原発やむなし」から、急転直下、目の前の、太陽光や風力発電に飛びついているのも事実だ。

しかし、どちらも両極端だ。
これまで原発路線で来たから、今からの、自然エネルギーのハードルは高い。今日の電気をどうするのだ、と言えば、効率の悪い太陽光や風力は現実的ではない。不可能に決まっている。

だから、現在、働いている原発を改良するのが現実的な見識だ。と、言うことになるのだろうが、なぜ、第三の道を考えられないのだろう。

ネットワーク時代
くどいが、何度でも言いたい。電気を起こす方法は、小さなものから大きなものまで、あきれるほどある。

原子力は確かに手っ取り早いが、化石燃料を原子力に置き換えただけで、根本的な「大型蒸気発電」の発想は何も変わっていない。

ワットの蒸気機関以来の、産業革命パラダイムだ。
19世紀型の大型化の時代、すべてが大型化された。
子供の大集団で学校を造り、村から大都会に人を集め、大企業を動かし、大型消費地を求めて大戦争をする。

21世紀は、産革パラダイムで分断された人の繋がりを、ネットワークで再編し、教育も、情報も、産業活動も、均質化して、有機的にグローバル化する時代だ。

おそらく、日本のこの大災害が、ハッキリとその契機になるだろう。
これまで、新時代の条件は、過去の大型システムとせめぎ合ってきたが、これで「はじけた」。

産革パラダイムの先進国、日本がさらけ出した、過去の遺物の不都合な真実に、世界中が気づいた。

大都市一極集中、大型政府、大型発電所、大企業病・・・
「大型システムの不都合」が、さらけだされた。

これからは全てネットワーク化だ。地方の時代、NGO、ツイッター革命・・・・
電気も、あらゆる電気をかき集める「スマートグリッド」の勝者が、次の時代の勝者になる。

大型化から脱した者が、勝者になる。


安物買い

2011年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

原発のゴリ押し潮流については、とっくに諦めていたので、いまさら、「だから言ったじゃないか」などと、言う気にもならない。
北朝鮮のミサイルの前に、津波がやってきただけの話だ。

東電清水社長は、保証を口にできる目途が立ったら、謝罪に出てきた。
手みやげのない謝罪には出ないが、保証云々と、多少なりとも自分の顔が立つ部分のある場には出てきて、「謝罪」した。

責務としての対策表明や、ひたすら陳謝ではなく、やることをやっているような顔ができる「自己主張」の「ドヤ謝罪」だ。
シャーシには、自己否定ができない。
(自分を曲げない自殺も一つの自己主張。←この理解は難しい)

原発事故補償については、原発誘致で保証金を貰っていたわけでもないのに、立ち退きや風評被害を受けた自治体は、進んで誘致して恩恵を受けていた自治体にも、賠償を求めるべきだ。

もちろん、誘致した自治体は、これまでの恩恵どころではない被害を被っているから、とても保証などできないだろう。
しかし、目先の利害で、地域興しだと錯覚すれば、どういう事になるか、全国民への、戒めになるだろう。

ソロバンが合わない
今、原発事故によって、日本の受けた損害は、原発によって受けた利益とは比べものにならない、膨大な損失を出している。

日本からの食品輸入制限や、観光客どころの問題ではない。
日本国家、日本人の信用まで失いつつある。
全く関係のない、日本の工業製品まで、忌み嫌われ始めている。

福島から転校した子供が、「放射能がうつる」と、逃げられたことが問題になっているが、世界の人々の放射能に対する認識も、実際、この程度なのだ。

日本人の教養レベルと同じように、世界の人々が、ものごとをわきまえてくれると思ったら、大間違いだ。
いや世界の人々どころか、日本国内でさえ、退避地域から来た子が治療を拒否されたという、信じられないニュースもある。

日本の評判が上がった、ある意味で単純な理由と同じ理由で、簡単に失墜する。
国内での風評被害なら、同じ日本語で暮らしているから解決できる。

しかし、一度世界に広がったイメージは、20年や30年でぬぐい去れない。戦後65年経って、「ドラえもん」や「おしん」が愛されても、日本人は好戦的な民族だというイメージは、全く衰えていない。

原発によって失墜した日本の信用を、逆手にとって、日本にできる唯一のことは、
「日本は、完全に原発を放棄し、自然エネルギー国になる」
と、大々的に宣言することだ。 これこそ逆転の勝機になる。

戦後の出発「一億総懺悔」は、今また、原発に「一億総懺悔」だ。