NHK「所さん大変です」は、時代環境の変化の中で発生する意外な事態の話題で、面白い。
先日は、伝統文化が、価値観の変化で維持できなくなっている話だった。
秋田の「ナマハゲ」と同じ「アマノハギ」が、子供を脅すのは教育じゃないと思う移住者の考えで維持できなくなり、優しい鬼に変化した。また、全国的に、住人からの苦情で除夜の鐘が打てなくなっている話もあった。
近頃は、子供の声がうるさいという苦情で、公園や幼稚園が維持できなくなっているという話しも多い。新しく設置する動きに反対するのなら、まだ解らなくもないが、後から来た住人の苦情で、当たり前にあったものが維持できなくなるのは解せない。
郷に入れば郷に従いと言う。新参者が大きな顔をして地域環境、文化を破壊するのは、外来種が在来種を駆逐するのと全く同じだ。
もちろん、文化は住人のものだから、新参が増えればそれなりに変化していくのは当然だが、互いの慣れと話し合いの中で、融和的に変化していくべきもので、新参者が、当たり前のように自分たちの価値観で振る舞えば、オウムのサティアンでなくてもトラブルは起こる。
「アマノハギ」の場合は上手く変化した例だが、全国的な「除夜の鐘」拒否は、仏教文化の正月喪失の証明だろう。一年にたった一度の煩悩を払うため撞く除夜の鐘を、うるさいと思うのは、煩悩に囚われているからだ。明治新政府の廃仏毀釈が150年掛けて成就したわけだ。
謎が解けた
ところで、秋田といえば「ナマハゲ」で有名だが、同じものを「アマノハギ」と呼ぶ地区もあることを初めて知り、「ナマハゲ」の意味が解ったような気がする。「ナマ」は「アマ」のことで、天や海のことだ。遠い所や異界のイメージがある。神話の事物にはやたら「アマ」がつく。問題は「ハゲ」「ハギ」だが、ここから逆に、「追いはぎ」の意味が読める。
「追いはぎ」は「追い剥ぎ」の意味で、追っかけて持っている物を「剥ぎ取る」者かと思っていたが、そうではないようだ。
日本では新羅のことを「シラギ」と呼ぶが、朝鮮では「シルラ」だ。専門家の話によると、「ギ」は「あの野郎」とか、「あん畜生」の意味があるという。新羅に追われ、日本に逃れた百済や高句麗の難民が敵視して呼んだ言葉だという。「シルラギ」が「シラギ」になった。
すると、この「ギ」と「ハギ」の「ギ」は、同じ語源ではなかろうか。「アマノハギ」「オイハギ」や「シラギ」の「ギ」は「鬼(キ)」の意ではないか。
「アマノハギ」は遠いところからやって来る「天の鬼」で、「ナマハゲ」はそれが訛ったもの。「オイハギ」は「追い鬼」か、または突然現れる鬼のことで、「オイ」には、もっと他の意味もあるのかも知れない。とにかく、鬼のような奴のことだ。
もう一つ推察すると、「ゴマノハエ」は「鬼(ハギ)」ほどではない、「蠅(ハエ)」程度の奴、の意味から出たとも考えられる。(護摩の灰詐欺説もあるが、これは泥棒ではない)