魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

サソリ座

2018年01月30日 | 星の流れに

木星サソリ座で、内外ともに、相変わらず、レイプやセクハラ、出産にまつわる事件で賑わっている。

座間の殺人鬼「白石」について、サソリ座の名前と記したが詳しく書かなかった。サソリ座は血と炎の赤と、死の無彩色、白と黒の世界だ。したがって、サソリ座が影響する事柄には、「赤、白、黒」が現れる。
その方面には暗いので、乃木坂46の白石麻衣のことは知らないが、リニア談合で大林組の白石社長は辞任とのこと。

また、23日には草津白根山が突然、噴火した。「根」も「ルーツ」だからサソリ座。蔵王でも噴火の兆しがあり警戒レベルを上げた。(噴火の有無に関係なく、注目されることに意味がある)
座間(zama)の響はサソリ座で、漢字の意味は双子座と言ったが、蔵王(zaou)の響もサソリ座だ。また、「蔵」の意味はストレートにサソリ座の「蓄積」を意味する。座間を、人同士の関係と考えれば双子座だが、穿って考えれば「股間」と言えなくもない。それならサソリ座だ。
寒い季節

サソリ座の名前が目立つ中で、「赤」「黒」が出てこないなと思っていたら、噴火で困っている草津の町長が黒岩で、今日は、岡山の赤磐市で、車の多重衝突に集団下校の小学生が巻き込まれて亡くなった。何時も思うのだが、子供の登下校は、民家の庭や裏路地を通るなど、何とか自動車道を通らない方法はないものだろうか。

 


善人思考

2018年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

信越線の列車停止の対応、始めから不可解だったが、中に閉じ込められた人が、職員の対応に感謝している様子を見て、まあ、当事者が納得しているなら、部外者がとやかく言うことではないかと、何も言わないつもりでいた。
しかし、だんだん色々なことが明るみに出て、「やっぱり」と言う思いが込み上げてきた。

この事件は、誰も善意であり、懸命な努力をしたことを先ず認めなければならない。
そして、閉じ込められた人々、さらにはその声を聞いた人々が、感動したことは事実だ。
しかし、物事は「どうあるべきか」を、大局で考えなければならない。

昔から、賢い悪人より、バカな善人の方が恐ろしいと考えている。
JRの職員は、誠心誠意努力したと思う。しかし、ガンバルことよりも、より良い結果を出すことの方が重要であることを、知らなければならない。
今回の対応は、日本人が最も陥りやすい弱点、「努力とプロセス」に拘って、重大な過ちを犯す、精神主義から出たものだ。

この精神主義は、日本史の重大な局面で常に顔を出す。最たるものは戦時中の作戦の数々だが、ビジネスや技術開発におけるライバルとの駆け引きでも枚挙にいとまがない。今も、また、再生可能エネルギー分野で、これまでの経緯(努力の結果)にこだわり、ライバルに出し抜かれつつある。

JRの硬直化は、中国に新幹線技術を奪われた時に、既に相当、末期症状だったが、最近の大事故寸前の新幹線台車ひび割れ事件に見られるように、「先ず何が大事なのか」を考えようとする「意思」が失われている。
今回の信越線と共通していることは、自分の持ち場とその責任だけにこだわり、大局として「何をしなければならないのか」その持ち場と責任は何の為なのかが、全く飛んでしまっていることだ。
鉄道員は「人間を安全に運ぶ」ことが第一の使命であること、何よりも先に客の安全を考えることが、全く忘れられているのだ。

そして悲しくも恐ろしいのは、客の側も自分が「ガマンすること」を先ず考え、「何かおかしい」と考え直してみる習慣が失われていることだ。
停車そのもの、時間が掛かったことに文句を言う人は、ただ文句を言いたい人だ。しかし、「何かおかしい」と思った人が声を上げたことに、「現場の状況が解らないからだ」と職員の側に立つ人は、職員と同レベルの思考停止に陥っている。

信越線の停止は、駅から300mしか離れていないところで起こったと聞いている。客が閉じ込められている時にも、多くの家族の迎えの車が駅まで来ている。つまり、列車以外の世界では、普通のことができているのだ。
にもかかわらず、職員は、「一人でも、二人でも」乗客を救助することより、自分の責任、電車を動かすことばかりを考えていた。
何度も言うが、職員は自分の職務に忠実にガンバッた。しかし、これこそがバカな善人なのだ。それだけガンバルのなら、次々と具合の悪い人が出てきている最中、なぜ、「一人でも二人でも」救助しようとしないのか。
今回はたまたま、死者の出るような状況ではなかった。しかし、この思考方法は、一歩間違えば、乃木将軍の203高地やインパール作戦のように、膨大な死者を出す。
産業の場でもそうだ、日本人は真っ直ぐな努力より、「何が目的なのか」と、常に考え、目的のためには、時には手段や美しさを捨てる勇気を持たなければならないと知るべきだ。
JR側が市からのバスの提供をことわった事実を聞いて、思わず書いてしまった。


末期症状

2018年01月16日 | 日記・エッセイ・コラム

セクハラ魔女狩り事件で声を上げた、カトリーヌ・ドヌーブが謝罪をしたらしい。
セクハラだけではないが、現代ネット社会の「単細胞ヒステリー」はついにここまで来た。どんな意見も抹殺する。ネット社会の拡散とともに心配してきたことだ。

ネットの炎上は、多様で広い思考を遮断する。これが「ネット認識」だ。
ネットでは、短い文字や一次的な画像を瞬時に受け入れてしまう。早く結論を出すことが「わかった」ことと誤解され、反応が無ければ無視されたことになり、「いいね」のような、無意味な返事を欲しがり出したがる。

ネット時代がコンサート会場なら、ネットの無い時代は図書館や学校だ。
ネット出現以前は、先ず、個々がそれぞれの方法で情報を手に入れ、吟味してから、意見を交換した。したがって、同じ事柄でも出合う方法と時間が違い、認識の幅が大きく、伝える方法も様々だったので、互いに自己修正しながら考えを理解し合い、高めていった。
しかし、ネット社会は、一つの音に同じ反応をするコンサート会場で、瞬時に反応する。ああでもないこうでもないは許されない。
昔、阪神ファンが甲子園球場で観戦していたら、熱狂的なファンに、「チャンと応援せんかい!応援の仕方が悪いから負けてきたやないか!」と怒鳴られた。それ以来、甲子園には行かないことにしたそうだ。

コンサート会場も大体こんなムードで、多様性は認められない。ネット炎上も瞬時に情報が拡散するネット上の「熱狂会場」で、今や世界中が、「一元熱狂」でなければ、はじき飛ばされてしまう。
事の内容は、不倫やナショナリズムだけではない。平和や福祉など、本来、誰もが求める理想に関して、狂気が覆っている。
日本人から見れば異常な反捕鯨や、今回のようなセクハラ騒動、あるいは、猿のデザインに対する反差別。これらは一見、正義に見えて、多角的な考察に欠けるヒステリーヘイトだ。韓国の旭日旗反応など、世界のほとんどの人は理解できないが、あの異常な光景は、内部にいると正義のカタルシスになっている。

これらの異常な世界に、素朴に異議を唱えた人が、一気に炎上、謝罪に追い込まれる今の時代。
明らかに末期的症状だ。世界は今、「ハイルヒトラー」の狂気が、何時、爆発してもおかしくない。


件の話題

2018年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

色恋は粋でなくちゃ
セクハラ騒動に対し、カトリーヌ・ドヌーブらフランス映画界などから「魔女狩りだ」「不器用であっても女性を口説こうとするチャンスを閉ざしてはならない」との声明が出た。
流石 これでこそフランスだ。
文化後進国のハリウッドで、単細胞の正義を振りかざし、DNA情報を知っただけで乳房を切り落とすような過激派のセクハラ騒ぎが、フランスにまで波及してきたことに、奥深いフランス文化が抵抗を示したのだ。
「女性を口説こうとする気持ち」を封殺するなとは、「ああフランス」だ。
そうでなくとも、近年の日本男児の恋愛忌避には、セクハラや恋愛コストが影響していると考えられる。
人間は単細胞ではない。総合バランスだ。脳腫瘍DNAを発見したら頭を切り落とすのか。

被害を訴えている人の言い分に、納得できないでいたところだったので、溜飲が下がる思いがした。

ところで、日本の若者の恋愛忌避、もう一つの原因に、「告白」プロセスがあると思う。
付き合う前にわざわざ「付き合って下さい」と明言する。何かのテレビ番組が影響したのか、なぜか、当然のプロセスになっている。
男女の付き合いなど、「遠くて近きは男女の仲」ではないが、マニュアルのように決まっているものではない。「気がついたら」そうなっているものだ。
それを、「告白」「ゴメンなさい」で、入口から終わってしまっては何も始まらない。

85歳がまた自動車事故
しかもこのジイさん、チャンと正式の免許が出ていた。
もう、何度も何度も言うが、免許年齢の上限を60歳とすべきだ。それ以後どうしても乗らなければならないなら、特殊な高齢者試験を通った人に限定すべきだ。
60歳としておけば、それ以後も乗りたい人が、大体普通に対応できる年齢であり、続けようと思えば続けられるし、不必要と判断する動機付けになる年齢でもある。
そして、その後は更新ではなく、5年ごとに再試験を受けることで、運転を止めやすくなる。
何よりも、「60歳以降は、免許を持っていない」ことが当たり前になれば。年寄りが生きる権利を「奪われる」と感じなくてすむだろう。
世の中が全て自動運転になれば、免許そのものが要らなくなるのだが。


ヤラれた

2018年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

マスクが嫌いだ。自分がするのも、マスクした人を見るのも嫌いだ。病気でもないのにマスクをするのは、精神的虚弱体質だと思う。だから、何処に行くにもマスクはしない。
当然、インフル予防接種など考えたこともない。

先日、電車に乗って車内に向かいドア横に立っていた。比較的込んでいる中で、目の前でこちら向きに立っていた、マスクをしていない若者が、いきなり、「グヘッ、ゴホッ、ガホッ、ガホッ、ゲン、ゲン、ゲン」と、咳を始めた。とっさのことだったので、しばらくボーッとしていたが、「ヤバイ!」と気づいて、慌てて背を向けた。その後、スーパーで水を買いトイレでうがいをし、帰ってからも手洗いうがいをしつこい目にした。
だが、「ヤラれた」。

こんなに簡単にやられるものだろうかと思うのだが、翌朝から喉がおかしくなり、鼻水と寒気に変わり、2日間ぶっ通しで寝て、やや回復したものの、まだ頭が痛い。当分は、マスク無しで外出できなくなってしまった。
しかし、風邪かインフルか知らないが、どうも頭の痛さが極端すぎる。しかし、状況からして、頭痛は風邪のせいとしか言いようがない。

以前から言うように、何でもない時によく頭痛に襲われて、それが止むと不思議に地震が起こる。また、今回のような体調不良を伴う頭痛が1週間も続いた後、東日本大震災が起こった。
今の状態は、電車土産であることを疑う余地はない。それにしても、この頭痛は不自然だろう・・・そう思っていたら、スッと痛くなくなった。
1時間後、地震のテロップが出た。
今また、頭が痛くなってきた。何なんだろう。風邪が治りきってないのだろうか。じゃあ、スッと痛くなくなるのは何なんだろう。


生活文化

2018年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

中国で取り上げられる日本人観は、自分たちの固定概念との比較で、良くも悪くも、相当、とんちんかんな見方で決めつけている。
これは、他府県の人が、京都の文化や生活を見るのと、よく似ている。
そして、海外からの日本人評に、良く見られれば得意になり、悪く見られれば、「来てもらわなくて良い」と怒ることも、京都人の態度とよく似ている。

自分たちのことを解ってもらえないと嘆く人は、その人自身が解っていないことが多い。
静寂や清潔にこだわる日本人は、昔からそうだったわけではない。電車の中の沈黙も、ゴミの分別も、ここ2~30年のことだ。海外から来た人が日本人と同じようにできないのは当たり前のことだが、それを、民度が低いなどと蔑視する。
こういう人こそ、自他の文化とは何かが全く解っていない。確かに、日本人は古来、不浄を嫌い、結界意識も持っていたから、ゴミの分別や電車での沈黙を容易に行うことができたが、これは文化の問題であって、上下の問題ではない。

NHKの日本ヨイショ番組「COOLJAPAN」で先日、外国人が不思議がる日本女子の「内股」について、日本人が誰も説明できず、外国人が思う「可愛らしく見えるから」に同調し補足して、「可愛らしく見せたいのが日本の文化だから」と答えていた。
こんなことも説明できない日本人を出演させるべきではない。その場で思いつかなかったなら、せめてテロップで解説すべきだろう。
日本人の内股は、正座と着物での歩行から習慣づき、体型の変化にも及んだもので、「可愛らしく見せよう」としているものではない。結果的に可愛らしく見えるかどうかは、また別の話だ。

 


 


いよいよ

2018年01月04日 | 星の流れに

冬至からもう半月、明らかに日が長くなり、着々と夏至へと向かっている。
1年前、2017年は2018年の前の年だと書いたが、実際、イライラすることばかりで、500年後の年表に記録されるようなこともなかった。
だが、いよいよその年がやって来た。2018年は年表に記録される年になるだろう。

冥王星と土星が始めから山羊座に鎮座しているだけで、圧倒されるような年だ。
冥王星250年の大転換は人類の生き方を根底的に変える。プロメテウスの火が動物を人に変えた時から、人類を変えるのは常にエネルギーだった。
食料もエネルギーだが、道具としてのエネルギーも、今、化石燃料からの大転換が始まっている。
この時期を経て、人類はクリーンエネルギーとAIの、スマート社会にパラダイムシフトしていくだろう。250年前に馬や牛から駆動エンジンに変わったように。

原子力発電さえ、蒸気機関から何も進んではいない、過去の発想だ。来たるべき世界は、何かを燃やして生まれたエネルギーを間接的に力に変えるのではなく、電気のように、直接的な力が全てを動かすようになり、人工知能がそれをコントロールする。
こうした大転換の時には、必ず時代に取り残され淘汰されていく者達がいる。200年前に馬車から降りなかった人のように。
過去の発想、過去のシステムをいち早く捨てたものが次の時代を支配する。

化石燃料からの脱皮
日本のように、産業革命パラダイムで成功した国ほど、取り残される危険がある。裸の人間は新しい服を着られるが、古い衣服をまとった者は、先ずは脱がなければならない。原子力や火力発電にこだわり、新エネルギー活用を妨害しようとする勢力は、もはや、破り捨てられるべき古い皮だ。今は、一刻を争っている。
当然、脱皮した新しい身体はモロく弱々しいが、やがて以前より強く大きな身体となる。だがもし、脱皮できなければ、死ぬしかない。

日本が脱ぎ捨てるべき「産業革命パラダイムの古い衣」とは、原発だけではない。
学校、婚姻、仕事、税・・・など、今や国民誰もが信じ込んでいる、古いシステム概念だ。
これらは、産業革命とともに西欧先進国からもたらされた概念であり、日本はそれを成功させ過ぎた状態にある。一夫一婦制にしても、キリスト教にもとづく概念であり、婚姻を前提とする出産など、当の欧米がそれを捨てつつある。
産革パラダイムがもたらしたのは労働の変革であり、家族や地域からの開放、ジェンダーの解放、そして、キリスト教の呪縛からの解放でもある。日本はいつまで後生大事に、キリスト教の呪縛を守るのか。

携帯電話は先進国より、開発途上国の方が普及が早かった。架線のインフラが無かったからだ。同様に、太陽電池も開発途上国の方が普及が早い。中国や韓国が、一気に生産力を高めたのも、既存の経済環境が無い発展途上国だったからだ。
その中国では、クリーンエネルギーやキャッシュレス社会、シェア自転車のように、先進国のアイデアを果敢に取り入れ、一気に本家を出し抜こうとしている。

こうした未来型システムの場で、日本はどんどん取り残されている。中国が率先して世界を塗り替えるのなら、それ自体は素晴らしいことでどんどんやってもらいたいが、残念なことに中国共産党は、それを古代帝国の発想で進めている。
新しいパラダイムを古代帝国にゆだねるのか、産業革命の先進国が再び開拓できるのか、山羊座の冥王星と土星。さらに、2019年末には、木星まで加わって、大転換の扉が音を立てて開くだろう。今年はそのドアをノックする音が響く年だ。