近頃の国内外の状況は、明らかに周期律を反映している。占いの目からは、何も驚くことでもないし、どうにもならない。
しかし、個人の感情はひたすら焦る。暗黒の昭和初期1930年代の再来を恐れ、一つ一つの動きに最悪の結果が思い浮かぶ。
この所、北朝鮮に目を奪われているが、 中国でまた、日本人6人ががスパイ容疑で拘束された。中国では、CIA関係者が大量に殺害されたという情報も飛び交っている。
国連はワケの解らない声明を出すかと思えば、肝心な場面では、大国の野合の場と化している。第二次大戦前、世界は戦争ばかりしていたわけではない。国際連盟やエスペラント運動のような、平和の理想も存在していた。各国の民間では、ワシントンの桜のように、友好の動きも盛んだった。
ヒトラーの掲げた主張は、第一次大戦のリベンジだったが、中国の主張こそは、日本を筆頭とする、西欧列強へのリベンジだ。
周期律で、まったく同じ事が繰り返されるわけではない。舞台を替え、役者を替えて演じられるのが歴史ドラマだ。
日本でも
国内で、最も懸念すべき事は、いわゆる「共謀罪」だ。誰も、悪意で進めているのではない。それを当然のことと思える、現在の空気は、治安維持法を当然のことと考えた時代の空気に似ていると言うことだ。人は徐々に変化する空気に、死に至る毒物が混じっていても気づかず、火山や温泉の有毒ガスで大量死する。
この「共謀罪」制定の最中、首相が突然、憲法改正を言い出し、物議を呼んでいるが、意図するしないにかかわらず、「共謀罪」審議の、目眩ましだ。
憲法改正は、国民投票もあり、そう簡単にできることでもなければ、直接的に国民の行為を縛るものでもない。しかし、「共謀罪」のようなものは、一度できてしまうと、現場の人間によってどの様にも変化する。
後にそう呼ばれる、あらゆる「悪法」は、すべて、現場の運用判断の誤りでそうなった。どんな立派な理想で定められたとしても、使うのは、しょせん人間だ。
戦争法と騒がれた「平和安全法制」は、家に持ち込まれたやっかい物だが、気に入らなければ運び出せる。「共謀罪」は、それを運び出す手足を縛るロープになる可能性がある。ロープは見た目、何も危険を感じないが、こちらの方が根本的に危険だ。
テロを口実にしているが、実際のテロは、必ずしも集団で行われるわけではない。実際に、ネットで刺激された単独自爆テロは起こっている。
テロが、オリンピックがと、目先の名目で、重大なことを押し切り、それに惑わされて従ってしまうとすれば、韓国の、慰安婦や政治壟断騒ぎで動いていく光景と、何が違うというのだろう。