魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大きい事 1

2023年08月31日 | 日記・エッセイ・コラム

中国人は日本を「小日本」と罵る。日本だけではなく何事に対してもバカにする時は「小」を付ける。
中国には「大きいことは良いことだ」の価値観がある。「大は小を兼ねる」も中国由来の言葉だ。大きければ良いという感覚が「雑」につながり、「白髪三千丈」の途方もない言動が出てくる。根拠や裏付けなどどうでも良い、取りあえず手を広げて大きくしようと言うことになる。

今日、中国が「大国」を連呼するのも、侵略に走るのも、とにかく大きければ正義であると信じているからだ。
旧日本が大日本帝国や大東亜共栄圏と「大」を掲げたのは、中華文明の毒が抜けていなかったからで、大英帝国とは趣が異なる。
大英帝国は大きくなった自国を結果的に「Great」偉大と説明したまでだが、中華文明の「大」は「Big」であり、それ自体が目標になっている。英国は貿易覇権抗争による結果的侵略だが、中華文明は「大」への衝動が侵略を生む性質を持っている。

大日本帝国も占領地域をただ広げただけで、管理できなくなり、間単に失った。中華は張り子の虎と言われるように、国域を広げることばかりに傾注し、着実な内部管理が出来ないから、内外のちょっとした切っ掛けで間単な消滅を繰り返してきた。
英国の場合は、「大」そのものが目的ではないから、5アイズのように分散しながら実質の拡大につながり、今では英語が事実上の世界標準言語にまで拡大した。
中華文明の形から入る物質主義と、欧米の中身から積み上げる物理主義の違いなのだろう。

日本が、罵る時は「バカ」をつける。ここが中国とは少し違うところだろう。
大小よりも、質を問題にし、「大男総身に智恵が廻りかね」、「一寸の虫にも五分の魂」などと、知恵や精神を重視する。閉ざされた島国で、内面に目が向けられていったのは、英国などと通じるのかも知れない。ただ、日本の場合、弥生後は他民族支配を受けたことがなく、外敵に対する駆け引きノウハウを持ち合わせていない。占領軍との関係は結果的にそれが幸いしたのかも知れない。

日本の知恵は今、眠っている。しかし、何かの刺激でまた働き出す。一方、広げるだけ広げた中国は必然的に崩壊する。日本が心がけることは中国との対決ではなく、崩壊爆発の煽りを受けない備えだ。
アメリカに追随する防衛策より日本の自立が先で、自己完結型の食料、エネルギー、産業、防衛を確立し、事実上の鎖国中立を可能にする実力に専心することだ。
いつまでもアメリカに追随していると、また、米中国交樹立のようにハシゴを外される。
アメリカも中国に劣らぬやんちゃ坊主なのだから。


ホタテ祭

2023年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

中国が日本産水産物全面輸入禁止にしたからだろうか、NHKで、殻付きホタテの食べ方を紹介していた。殻のむき方の解説など今まで見たことがない。
ホタテ貝は殻のまま中国に輸出して、中国で殻むきをし、さらに海外に売られてきたそうだ。中国料理に多用される乾しホタテは、江戸時代からほとんど日本産だと聞いて驚いたことがある。

今回、中国がホタテを輸入しなければ何が困るかと言えば、日本には大がかりな殻むき設備が無いことだそうだ。北海道では殻の有効利用のため道に敷いたと聞いたことがあるが、その程度ではまだ足りないらしい。
だから、NHKが急遽、殻付きホタテの食べ方を講習したのだろう。ホタテが来なくなって一番困るのは中国だろうが、ホタテ業者ももちろん困る。
トリチュウムを生で中出ししてしまった以上、今更、中国にどうこう言っても始まらない。
こうなったら、日本全国海鮮祭りで国内消費しよう。若者の魚離れで消費量が減っていると言うが、調理、流通の無策もあるのではないか。回転寿司では皿を積み上げている。

肉食世代にも、イクラやサーモンは好まれる、イクラ、サーモン、ホタテは北海三兄弟だ。殻付きホタテもバーベキューでは人気らしい。かきフライはどこのスーパーにもあるが、ホタテフライはあまり見かけない。面白いことに、近頃ではすり身のカニの次は「ほぼホタテ」などと称して偽ホタテが売られ、スーパーはそれをフライにして売っている。
そう言ってはなんだが、かきフライとホタテフライが同じ値段ならホタテを買う。ホタテの方が美味いと思うのだが、かにのクリームコロッケとメンチカツはどちらが美味いかと同じで、好みの問題であることは抗えない。

ホタテフライをスーパーで見かけないのは、国内流通が少なかったからかも知れない。もしそうなら、こんな美味しいチャンスは無い。
先ず、全国スーパーでホタテフライを売り出すのは言うまでもないが、ビアガーデンや居酒屋で殻付きホタテパーティーメニューや、ホタテBBセットなどの販売。家庭用にも処理済み殻ホタテバター焼きなども良いかもしれない。
これで出る殻を使ったインテリアは言うに及ばず、殻で作る各種の料理なども色々あるし、それぞれアイデアコンテストもやったらいい。先ずは、SNSでホタテレシピ比べだ。
殻で作る料理と言えば、ズワイガニの甲羅で作るカニ味噌は絶品だが、青森でもホタテの殻で作るホタテ貝焼き味噌というのがあるらしい。いずれも殻から味が染み出て、鍋で作るのとは何故か味が違う。

ホタテに限らず、これを契機に国内の魚消費を盛り立て、日本で日本人が日本酒やビールで美味そうに海鮮を食べる様子をネットに上げよう。魚に合うのは日本酒だ。そして一切の海鮮を国内消費に回し、頼まれても輸出できませんとお断りしよう。
テレビで、毎日「肉が、肉を、肉で」と盛り上げるのは止めて欲しい。肉を買わされるようになってから、若者の舌が変わり魚や米や日本酒が消費されなくなった。食糧自給率が上がらない一因でもある。政府の食糧自給率向上は、百年河清を待つても始まらない。国民自ら変わるしかない。


頼むから

2023年08月28日 | 日記・エッセイ・コラム

農水相が中国の禁輸措置を想像していなかったと言って批判されている。
農水省だけの問題ではない。日本政府の寝言は今に始まったことではない。
では政府を取り替えたら日本は良くなるのかと言えば、そうでもないと民主党政権が証明した。
日本には、何もしない政府が一番良さそうだ。何かしてそれで良くなったことは滅多にない。
結局は、民間が自分の欲と善意で動くことが日本を栄えさせ、その要望に従った政府が、ヨクデキマシタと顕彰程度の「政策?」を施し、何かあると、とにかく国民の金を出し、さも自らの業績のような顔をする。知恵を出すのは見たことがない。
それでも日本は回っているのだから、日本人は偉い!

そんなことはない、と多くの人は思っているのかも知れないが、政治家と称する人の考える「国を動かす覚悟」と国民に必要なそれとは異なる例が、マイナンバーカードだ。
国民を説得し、断行して国民の判断を仰ぐ、捨て身の覚悟があれば、今回のようなゴタゴタは起こらないし、ミスがあったとしても国民は納得する。
始めから一本化なら、全ての準備をしてから取りかかるので、摺り合わせのミスは起こらないが、最初の言動と違うことを、国民の顔色を見ながら小出しするから小さなギャップが重なり、今日のような混乱を招いている。
保身しか考えない、覚悟の無い姑息な「政治家」が生き残るための政治システムなら、何もしない「死んだ政治家」が、日本では一番良い政治家だ。

政治は本来命がけだ。太古のヨーロッパでは、王は何か不幸があった時に、生け贄として殺されるために選ばれたという。幕末の混乱は政治闘争であり多くの死者を出した。
信念のために動き、敗れたら死ぬ。その情熱と覚悟が新しい日本を創った。
今の政治家は、敗れても立場を失うだけだから、命を賭ける覚悟は無い。それが姑息な「騙し」の技を次々と編み出し、主張や説得など全く念頭にない。
結局、彼らが立場を失う他の力が出現するまで、のうのうと生息する。それが黒船や敗戦であり、それが迫っていても、備えることもなく、見ようともしない。
だから、何もしない方がましなのだ。

今回の処理水にしても、アメリカに頼り、IAEAに頼り、口封じの保証金を出し、何も知恵を絞らず、腰砕けを指摘されると後ろ盾を頼りに、強気そうな発言だけする。
原発事故も、事後対策もただただ対処療法で、どこにもビジョンがない。
先を見据えた政治があれば、エネルギー政策、食糧政策によって、原発事故すらなかったかも知れないし、中国に振り回されたりすることもなかった。そして、その前にアメリカから独立も出来ただろう。
政治家の数はせいぜい今の1/10で十分だ。とにかく、何もしないでくれ。頼むから。


今の百円

2023年08月27日 | 日記・エッセイ・コラム

NHKのネット情報を有料にするらしいが、何かワケの解らない話だ。
ネットに信頼のおける情報を流すために、ネット配信をNHKの正規業務に定める。したがって有料化する・・・
ネットの浄化、信頼性の向上が目的なら、金を払わない者は不浄に沈めと言うのだろうか?
真に社会貢献のネット浄化なら、緊急情報を含むニュースだけは、誰でも観られる状態でなければ意味が無い。金を払った者だけが正しい情報で救われる???

百歩譲って、それで良いとしよう。では、NHKの情報はそれほど信頼できるのだろうか?
今は、様々なソースから情報が得られ、NHK情報に、明らかな恣意的選別があることが丸見えだ。それを、「お金を取るほどの」特別な価値のある情報であるかのような強弁は、正義コスプレ、詐欺宣伝ではないか。

小さな島の囚われ人
NHKのネット制約に限らず、海に閉ざされた島国日本には、常に束縛衝動があり、先ず、規制を掛けることから考える。何かを始める時、可能性より危険性から考え、束縛の方法から考える。
家の設計を学ぶ時、日本の学生は部屋割りから考える傾向があると言われる。暖房でも、日本人は火鉢や炬燵を考えた。江戸時代の改革も先ず緊縮に走った。
これに対する発想が、楽市楽座のような自由が可能性を生む考え方で、戦国時代ならではの例外だろう。あるいは、終戦直後の闇市なども無法時代の特殊例だ。

日本人は、枠を作ること規制を掛けることが建設的だと固く信じているから、いくら叫んでも、規制が雪だるま式に膨らみ、規制改革ができない。自由にすることが結果的に社会富を生み、個人を豊かにすることなど想像できない。
自由を活かすには、それなりの理解力と能力が必要になるが、
狭い四畳半で布団を上げ下ろしして、家族四人が食事し、川の字になって寝る原日本人は、広いスペースを与えられると先ず部屋を区切ろうとする。広大なワンルームを大きくフレキシブルに使うとなると困ってしまう。自分の権限で大きな裁量を持つより、枠の中で上手に生きることを考える。

スポーツでもルールを定められると、その範囲内で結果を出そうとし、ルールを定める側に回ることや、賄賂でルールを操ることなど思いもつかないし、その技も知らない。
政策は財源論で押しつぶすし、NHKも資金は聴取料しか考えない。
著作権を守るためのダビング10などにしても、食事の代わりにマズい栄養剤を飲むようなものだ。視聴離れで映像産業そのものを衰弱させる。
大きな目でトータルに考えた時、どっちが得か考えたこともないし、明日の千円より、今の100円にこだわる近視眼だ。

「タダほど高い物はない」という言葉は、日本人にとっては教訓だが、世界では当たり前過ぎて教訓にはならない。先ず相手に利益を与えて、後でガッポリかっさらう、撒き餌の魚釣りは世界の常識だが、日本人は撒き餌をするぐらいなら何で魚釣りに行くんだ、もし釣れなかったらどうするんだと、一発必中の釣り糸を垂れる。
NHKの有料ネット配信は、電網海の一本釣りだ。聴取料は払っているが、証明を求める上から目線の”せこい”管理意識が気に入らないので、NHKプラスは申し込まないし、BSも警告画面のまま観ている。


美味しい

2023年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

日本の処理水放出に、中国は嬉嬉として反対している。中国からすれば美味しい「敵失」だ。
今に始まったことではないとは言え、日本政府の無能は、またも全開だ。世界中に借りを重ねて弱り切ったところを、かさに掛かった中国に重点攻撃されている。
中国を恨んでも始まらない。日本政府の愚鈍が無ければ、1ミリも譲る必要はなかったはずだが、中国の大声に、徹底反撃など夢のまた夢だ。

漁業者の反対は風評被害への心配だが、地元民の反対そのものが「危険の事実」として中国に利用されている。つまり、風評被害の心配が風評被害を生んでいる。
一方、政府の方針を疑うことなく支持している人々は、処理水は安全だと固く信じている。
真実はどうかより、今や、どの立場に立つかが問題になっている。

この際、思うのだが、薄めた処理水をペットボトル詰めして、美味しい「福幸水」として売り出してはどうだろう。
飲むことも可能だという政府の科学を信じる愛国者なら、先を争って買い求め、アッと言う間に貯水槽が消えるに違いない。なぜ、これを早くしなかったのか不思議でならない???
無策処理」20230710
無策無為」20230721


モザイク

2023年08月20日 | 日記・エッセイ・コラム

多くの人は信じないだろうが、今は既に戦時中だ。戦争は、昔のように砲弾や爆弾による破壊だけではない。集団の激突は相手の集団を破壊することが目的だ。
物理的に破壊する時代から、情報戦や細菌戦など、相手集団を内部から破壊する時代に変わってきた。昔から、忍者やスパイによる噂の流布などの攪乱はあったが、通信や視聴覚の機器が発展すると、宣伝戦が重要になった。
それでもまだ、相手内部に直接入り込むのは難しかったが、インターネットの現代では自由に入り込める。

直接の破壊工作をするサイバー攻撃よりも重要なのは、相手集団の共通認識を破壊する「認知戦」で、これを破壊すれば、一滴の血も流さず「敵」を支配し、勝利する。
戦争は「信念と信念の衝突」だ。相手集団の「信念」が無くなるか、こちらの信念を信じさせれば戦争は起こらない。つまり、兵法の極致「戦わずして勝つ」であり、中国の目的とするところだ。
中国は当初から一貫してこの戦争を仕掛けている。先ず、SNS環境を国内産とし、国内の情報出入りを遮断し、自由主義国のオープンな環境で、鶏小屋に飛び込んだ虎のように、好き放題に食い散らかしている。
もちろんロシアの熊は早々にアメリカに飛び込み、やりたい放題だが、二番煎じの中国の場合はより周到だ。

アメリカだけではない、台湾や日本のような、中国の創り出した「敵国」には相当な「攪乱戦」が仕掛けられ、ネット上には膨大な偽情報、フェイクニュースや論陣が溢れている。
この危機から、日本社会を守る為に今、盛んにネットリテラシーが叫ばれている。
情報を遮断することが出来ない自由主義国では、個人の認識、識別能力だけが頼りだ。
ところが、そのキャンペーンの方法が「正しい情報の識別法」と、正に情報社会の弱点そのものなのだ。右足が浸かる前に左足を出して水上を歩くような話ばかりしている。

ネット取引の注意をメールで知らせてくる銀行の愚を、逆手に取ったフィッシング詐欺でネットが飽和状態になっているように、「情報」を「情報」で選別する思考自体が間違いだ。ネットでしかものを考えられなくなっている人は、ネット遮断など想像も出来ない。
ネット遮断とは、物理的に遮断することだけではない。ネット情報を意識の上で遮断する方法もある。
今こそ、「色即是空、空即是色」が役に立つ。

情報社会の現実は情報だ。全ての情報(色)は「空」であり、その無意味な(偽)情報の中に実情報「色」が眠っている。
これは、繰り返して言うように、「占い思考」に通じる。情報以前に一つの道理=尺度を体得し、それに照らして情報を取捨し、道理に照らして「実体」を再構築する。
ファクトやエビデンスを求めず、虚偽情報から実体をつかみ取る能力こそが重要だ。
モザイク動画を見る時、目を細めてみると何が映っているのか把握できる。これは映像を直視しないことで、あらかじめ持っている概念に照合するからであり、その、予めの概念を正しく磨くことこそが、究極のネットリテラシーになるだろう。


P.S.
これを上げた翌日、東洋経済オンラインで、齋藤 孝道氏が専門家として全く同じ記事を上げたので驚いた。


警笛依存

2023年08月19日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、自転車に子供を乗せて歩道を走行中のお母さんがベルを鳴らし、前を歩いていた男性が怒ってトラブルになった話があった。様々な意見があるだろうが、ポイントは男性が「何に怒ったか」だ。
ベルを鳴らす側とすれば、鳴らして怒られるのなら、何でベルは付いているのかになるが、男性は歩道を普通に歩いているのに、後ろからの突然の警告音に驚いた。

驚いた瞬間、何が起こったか整理しているうちに、『自分は何も悪くない』、『自転車が歩道にいる』、『分かっていればいくらでも譲るのに』・・・などの思いが一瞬に交錯し、驚きが怒りになったのだろう。つまり、人間としての自分を虚仮にされた。
問題はここだ。
自動車のクラクション殺人は、他人から見れば不可解だ。「そこまで怒るか!?」と思うが、聴覚敏感性の人ならあり得る。クラクションやベルには始めから、「尊大」な差別意識が存在するからだ。

クラクションの前身は、おそらく、馬や馬車の鈴や鐘だろう。馬は生きものだから不測の行動があり、それ自体が危険で、周りの人に存在を知らせる必要があった。
また、馬が主要な交通手段であった時代は、馬の所有者は地位の高い人であり、歩行者の安全より馬や乗り手を守るためだったろう。
直ぐには止まれない蒸気機関車が出現すると、万一の対向車に知らせるため、見通しの悪いところでは常に警笛を鳴らしながら走った。これは霧笛を鳴らす船舶も同様だ。
一方、自動車は馬車に替わるものとして、富と権力の象徴だったから、クラクションは、馬齢に代わる「どけ、どけ、どけーィ」の装置だった。自転車も始めはステイタスシンボルだったから、自転車ベルにも同じ意識が宿っている。

平等社会の今日、車がステータスシンボルになるのは後進国で、車であろうと自転車であろうと、道具に過ぎない。巷には先ず、人と人の関係がある。
歩行者同士が出合った場合、追い越したければ、「あの、ちょっとスミマセン」とか声を掛けるだろう。もし、常にベルやラッパを持って、黙って鳴らしたら、どう思うだろう。まあ、大抵は「アブナイ人」だと思ってよけるだろう。それは、人間関係が拒否されているからだ。

自動車の場合、一々顔を出して「スミマセン」とは言えないし、車道を走っている。しかし、自転車に乗って、しかも歩道を走っているなら、声を掛けるのが、人と人との関係だ。声を出せない事情があるなら、機関車のように人ではない物体に成り切って、ベルを鳴らし続けて走るべきだ。そうすれば、変な奴だと思われても、皆が危険物が来ることを予め知ることができる。
自動車のクラクションも、自転車のベルも、危険なら、先ず自分が止まるべきで、止まれない車は走るべきではない。乗り物の危険を自覚して走るなら警報器は不要だ。警告音は馬車の時代の「そこのけそこのけ、お馬が通る」の名残で、乗り物優先の思想だ。
安易に警報器を鳴らすのは、乗り物優位の時代錯誤で、自分が注意する運転義務を忘れ、警報器に依存している。先進地域ほど街は静かで、昔、車で東京に出張した関西人が、クラクションを鳴らして恥ずかしい思いをしたと話していた。最近では関西もずいぶん静かになったものの、未だに、ブレーキよりクラクションを先に押す人は少なくない。

昔、関西では市電の前を走りながら「電車来まっせ」と言いながら走る仕事の人がいたそうだが、クラクションやベルがどうしても必要なら、「ちょ~っと通してくだしゃんせ」と言わせてはどうだろう。


過ぎない

2023年08月16日 | 日記・エッセイ・コラム

なでしこは緒戦で「勝ち過ぎ」て、負けた。日本人は「過ぎる」を嫌う。
バランス感覚を重視する日本文化は、丸く収めることを良しとし、和を以て貴しとなすの昔から、和のためには、突出した人や事は取り除こうとする。
「和」は「輪」に通じ、「円」が尊ばれ、「円」はまた「縁」になり、人との繋がり絆の中に生きる。これが仏教の日本的受入方だ。

日本のこうした文化は、「そぎ落とし」となり、逆に丸める「混合」にもなる。白黒、紅白のような簡潔な美意識と同時に、外来の多様な感覚を織り込み複雑でもある。
また、日本人はビビッドカラーを好まない。古代は技術的なこともあり、結構、どぎつい色使いをしていたが、時間が経つにつれ中間色が好まれるようになった。街中で目の覚めるような色の服を着ているのは、先ず観光客と見てもいい。
教養が高いほど、原色を好まなくなると言われるが、そうであれば、日本文化の重厚さ、奥深さの表れと言えるだろう。中国人は、欧米で日本が東洋文化の代表として見られることが納得いかないようだが、日本文化の「質と完成度」は欧米人の理想にかなっているのだから仕方がない。

否定の褒め言葉
過ぎたるは及ばざるがごとし、足るを知る、腹八分、出る杭は打たれる、能ある鷹は爪を隠す、実るほど頭を垂れる稲穂かな、勝って兜の緒を締めよ・・・と伝来の思想も日本化して、「出過ぎたマネ」と突出を嫌う日本文化になっていった。終いには、良いことでも、「出来過ぎ」とか、「三成に過ぎたるもの」とか、否定の形で褒めるようになる。
近年では、「美人過ぎる」とか、「頭良すぎ」のような表現が、一般化しているが、これも、「そこそこ」や「えぐい」のような関西表現、つまりは関西感覚の浸透によるものだと思われる。

『君の瞳は10000ボルト』2番「まぶしすぎる朝に・・・」などの直接表現から、『神田川』の「やさしさが 怖かった」のように、やさし「過ぎる」ことを暗示するものまで、関西出身者の作詞の中に頻繁に見られたが、その後、普遍化していく。
関西は日本文化古来の発信地で、日本人の感覚の母体だ。
「お美しい」と褒められると、「ありがとうございます」ではなく、必ず「いえいえ」と言わなければならなくなったのは、関西人のさんまが「否定せえ!」と言ってからであり、先輩後輩の序列の厳格化や、何を言うにも「させていただく」のも、関西感覚の蔓延だ。

関西に来た頃、「イキる」とか、「イチびる」、「エエカッコ」のような自由を抑圧する言葉や、「キつうー」と、率直表現を拒否し、何か言うにも「どない言うたらええんやろ?」と用心する、東京にはない堅苦しさに、当時は、息苦しさより、滑稽さを感じたが、今では、日本中がこの重苦しさに包まれ、ものが言えなくなっている。

失われた30年の低迷期はある意味で安定期だった。現在日本の閉塞は不景気の意気消沈ではなく、大勝ちバブル後の冬眠で、関西的な古の夢を見ている。これが日本人の歴史的体質であり、出来過ぎると不安になり、自粛し、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなる。
しかし、何かにたたき起こされると突然、亀に遅れたウサギになって走り出す。
中国のような「野放図」と真逆で、トップになりかけるとブレーキを掛ける習性は、覇者にはなれないが、何となく良いポジションを保ち続けることができる。
飛び起きた日本は、息苦しい古の夢を捨てて、慌てて走り出すだろうが、トップの亀には追いつけない。


相手なり

2023年08月12日 | 日記・エッセイ・コラム

「なでしこ敗退」  やっぱり・・・
書くまいと思ったけれど、書かずにはいられない。
サッカーはルールも道具もシンプルで、最もその国の文化、「お里が知れる」スポーツだ。
本当は、命がけの戦争の方が曝け出すが、正体を見るために戦争をするわけには行かない。また、ボールひとつという平等さも、戦争より公平だ。

今回のなでしこの敗退は、太平洋戦争と同様の日本らしいパターンで、
「大勝ちの後・・・」
常々言うように日本は、「相手なりの戦い方をする」。2022男子Wのグループ戦でも、独西に勝ってコスタリカに負けた。戦争でも大国、清やロシアに勝って世界を驚かせた。
今回のなでしこは、誰も考えていなかったような大勝ちをして、世界はもとより、日本人をも驚かせた。
大勝ちをすると日本はどうなるか。長いスパンの場合、明治時代に想定外の大勝ちをした日本は、太平洋戦争で敗れた。戦後の高度成長で「JAPAN AS No.1」とまで言われた後、失われた30年を経験した。
男子Wでドイツに勝った後、コスタリカに負けた。すると、その後スペインに勝った。

今回のなでしこのスウェーデン戦は、男子Wのコスタリカ戦を観ているようだった。
何の策も無いまま、いつの間にか負けていた。「これが日本だ」としか言い様がない。
コスタリカに負けた日本は、スペインという強国に謙虚な気持ちで再「挑戦」し、勝つことができた。もし、コスタリカに圧勝していたら、スペインには勝てなかったかも知れない。

日本人は何事も起こらない泰平を求める。平安と江戸の泰平は、日本人の本音、縄文一万年の心が成ったものだ。安定が見えれば直ぐ眠ろうとする日本人だが、安定が破れると突然、強くなる。古墳と戦国、そして維新の混乱期、日本人は突然強くなった。そして、強くなると闘争心を失うのは前述の通りだ。
今回のなでしこは勝ち過ぎた。ノルウェー戦を心配したが、「強い日本」を警戒した相手が引いてくれたので偶々、勝つことができた。これは日清日露の次の、第一次大戦のようなボーナスだ。

スウェーデンはノルウェーのような国だが、アメリカに勝った自信と、日程不利の決死の覚悟で臨んでくる。多分ダメだろうと思いながら、淡い期待をし、同時に、もし勝ち進んでスペインと当たれば、必ず負けるだろうと確信した。それは、成功し過ぎたからだ。
太平洋戦争中、米軍が理解できなかったのは、日本軍は「一度成功した作戦を何度でも繰り返してくる」と言うことだった。一度やられたら、米軍は対策を立て次は通用しない。だが、日本は勝つと思考停止する。

なでしこの実力は、今回十分に優勝できたはずだが、不運だった。だから残念でたまらない。そして、何が不運かと言えば、真剣に臨んだGリーグて、2011と違い、あまりにも作戦が的中し過ぎたことだった。その上、ノルウェーにもあっけなく勝てた。スウェーデン戦には何の戦略も戦術も無かった。ただ、何となく勝てそうと臨んだように見える。これが勝負所と頭では解っていても、「ボーッと」していた。

日本の勝てば負け、相手なりに戦うは、天秤座日本のバランス感覚なのだろう。ちなみに、池田太監督も天秤座だ。

 


戦争最中

2023年08月10日 | 星の流れに

2020年、日本の防衛機密が中国のサイバー攻撃で重大な被害に遭っていると、米軍が指摘したが、日本側は米軍の介入を断った。この報道に、日本の防衛大臣は「被害を確認していない」と見得を切った。泥棒も捕まえていないし、何を盗まれたかも判っていないと言うことだ。情けなくて爆笑した。
「♪だまし続けて欲しかった・・・」の日本
だまし続ける中国に、友達の米軍が「アナタだまされているわよ、そんなんじゃ私、アナタにお金貸せないわ」
「ウルサいわねえ、私はそんなにバカじゃありません!」と日本
無能な人ほど、自負心が強く、人の忠告に耳を貸さない。

何度も言うように、天王星84年周期では現在。日中戦争の最中だ。2011年に既に始まっていたにもかかわらず、今も日本は勝てていない。
分が悪い時ほど虚勢を張る大本営は今も同じだ。変わっていることと言えば、侵略の攻守が逆転していることだろうか。
現代の戦争はウクライナのような、目に見える古い戦争ではない。サイバーこそが戦場であり、中露や北から激しい攻撃を受け、甚大な被害を被っていても。大本営発表にだまされていた当時の国民同様、国民は呑気に「心配」だけしている。
「敵」は、反撃されたら、「多大なる、ご迷惑とご心配をおかけしました」と言うだろうか。
→「電脳原人」20111027


街宣車国

2023年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

EVは中国の一帯一路、AIIB同様の巨大詐欺だ。
中国は、白髪三千丈の国と言われる、何事も気宇壮大、大風呂敷を広げたがる。おらが村の行事は世界の行事だと言い張る中華思想。世界の皇帝と信じる大酋長だ。
つまり、全て自分が基準の世間知らずであり、そんな物言いをする。
あまり自信を持って言われると、「?」と思うことでも、反論が間に合わず、何となく逆らえないから、しばらくは誰も異を唱えない。しかし、瓢箪から駒が出ることはなく、ランプから魔神が出てくることもない。だが、本人は一向に気にしない。なにしろ、スケールしか尺度の無い「珍劇の巨人」だ。

一帯一路も、AIIBもインチキぶりが際立ってきたが、EVに乗せられた世界は今、セッセと泥船づくりをしているから、今のところまだ「王様は裸だ!」と、誰も言い出さない。
中国自身はとっくに、この間に、水素技術を手に入れようと密かに動いている。このあたりが、雑でも生き抜く「前向き思考」だ。
とにかく、大風呂敷で目を眩ませ、そのスキに前進を図る。ブレーキとバックミラーの無い巨大トレーラー街宣車は、いかに前進するかしか無く、細かいハンドル操作より、「どけ、どけ、どけー」の大警笛と、アクセル調整しかできない。マズいことが起きると目標転換のため、外目には分からない程度のハンドル操作をしながら進む。

大音響で進む巨大街宣車は、無視すれば良いだけでは済まないこともある。だが、進行方向は大体解っているし、止めようとすれば轢かれてしまう。
周囲の歩行者や小型車は、黙々と自分の目的を果たし、サッサと引き上げることだ。
「EV、EV」と、がなり立てる街宣車に目を奪われて、EVのことばかり考えている間に、街宣車は水素の街に行ってしまうだろう。
とにかく、一刻も早く水素を手に入れ、サッサと立ち去ろう。

一人殺せば殺人者、100万人殺せば英雄になる
「世界を騙せば覇者になる」
「前進!前進!進!」


夏に思う

2023年08月03日 | 日記・エッセイ・コラム

涼しそうな夏のお菓子だが、残ったゼリーやプリンのプラ容器を見ると、思わず何か使えないか考えてしまうが、ほとんど使い道は無い。
今は滅多に見かけなくなったが、昔は容器入り食品は、ガラスか陶器が使われた。プリンなど今も売り出し当時からの器を使っているものもあって、食器や花瓶にリユースしている人も少なくない。
プラ容器を使用する業者は、使い捨てしか念頭にないので、デザインに愛情がなく、ユニバーサルデザインでもないから使い回しができないし、残したいとも思えない。

プラスチック以前のパッケージは紙を始め、「へぎ」の箱、「竹皮」の包み、竹籠入り果物、クッション材には鉋屑(木棉)や籾殻、ストローも本物の麦藁だった。駅弁と言えば必ず陶器の急須と猪口、醤油差しがついており、どこの家にもあった。中でも、横川の釜飯は有名だ。
木や紙が日常だった時代は、日本の林業も循環がよく、山は元気で花粉症もなく、建材を外国に頼ることもなかった。

ガスや石油に頼らない暮らし
二酸化炭素、海洋プラスチック・・・、欧米から次々入ってくる環境宗教に踊らされなくとも、日本自身の環境と営みのため、やるべきことは多くある。
相次ぐ世界の動揺で、食料や資源の海外依存がいかに危険か誰の目にも明らかだ。輸入は、先ず自前でまかなった上の、余裕の範囲に止めておきたい。
それでも、どうしても輸入しなければならない資源があると思いがちだが、それは輸出依存の後遺症だ。ガスや石油に頼った生活は、加工貿易時代の流れでそうなったので、いくらでも他の方法はある。

今や、日本には大きな海外資産もあるのだから、産業革命パラダイムの貿易立国から離れ、江戸以前の「独立生態系」経済に戻ろう。
本当に幸いなことに、あらゆるクリーンエネルギーは日本のためにあるようだ。新エネルギーと昔の生き方を融合させれば、日本列島が未来地球のモデル、テラリウムになる。
それには先ず、政治体制の変革だ。幕藩体制のような小さな政府と連邦制が地産地消の好循環で地域を活性化させる。

東京中心の政策は机上論と中央依存を生み、地域を抜け殻にした。実際、地方を代表する世襲議員はほとんど東京育ちで地元の空気を知らない。地元には地元の環境に根ざした経済があるべきで、基本的に独立の幕府と諸藩の関係は、やはり良くできていた。
情報と物流の発展した現代なら「参勤交代」が無くても、各地の「お国柄」を活かして共に発展できるだろう。

外国人観光客が最も喜ぶのは日本の田園風景であり、日本の高度な文化と技術が、アジアの田園と里山の中にあることに感動するのだろう。
しかし、日本の風景は観光客のために作られたのではない。日本人の営みの中で生まれたものだ。それが今、抜け殻になっている。今からでも遅くはない、田園に帰ろう。開国150年の成果を携え、人間らしさを取り戻すために。
日いずる島々に栄えあれ

→「五穀豊穣」20230712


ガンバレ

2023年08月01日 | 日記・エッセイ・コラム

なでしこスペインに大勝!
嬉しいが、それほど意外ではなかった。男子も女子も想定を覆して勝利と言われているが、いずれも4分6で勝てるような気がしていた。
サッカーの技術的なことは解らない。だから、一般論で、客観的に考えてそんな気がした。
スペインは超強豪国だ。日本のサッカーはその強豪を見習って、パスサッカーを取り入れ、それを磨いてきた。そして、かなりの領域に達している。

何事も、本家と二番煎じは二番煎じが有利だ。本家が苦労して編み出した方法にプラスアルファを加えることができるからだ。
例を挙げようと思ったが、学問、芸術、技術、商売の全てが、既存のものを発展させて進歩するものであり、却って特別な例がない。ただし、全く同じ事をやればパクリという。

日本がパスサッカーだけをやっていれば、体格やメンタルの面で、本家を超えることはできないが、日本はスペインを始めとする欧州とは体格も文化も違い、別の強みもある。
粘り強さや、空気を読む以心伝心と滅私奉公の一体感だ。
だから、日本がパスサッカーを完全習得していれば、パスでは本家に勝てないが、プラスアルファが活きてくる。それが、何となく勝てるような気がしていた理由だろう。
男女ともパスによるポゼッションを捨て、カウンターで一瞬のスキを突いて勝った。これは、それだけパスサッカーを会得しているということだ。

男子の場合は確かに大番狂わせだったが、女子の場合はいくら「あの」スペインとは言え準優勝さえしていない国であり、日本は仮にも優勝経験国だ。バロンドールやスペインの名前だけで番狂わせとは言えないだろう。
ところが、一方。
1位になったことで対戦する2位のノルウェーは、優勝も準優勝も経験している難敵だ。
男子のカタール大会で、1位通過した日本は、2位通過のクロアチアに勝ち切れなかった。クロアチアは前回準優勝国であり、ランキング12位だった。奇しくも、ノルウェー女子も12位だが、活路はこの際、正統パスサッカーかも知れない。
「強豪」スペインに大勝した日本は、一気に株を上げているが、むしろその期待がアダにならないことを祈りたい。
勝負は5分5分。ガンバレニッポン!

P.S.
結果は 3-1で日本の勝利!
なでしこの勢いを警戒したノルウェーが、引いてくれたので圧勝の感がある
相手は魔法に掛かったようにミスを連発した。まさに勢いだ
でも、やっぱり、五分五分だった
オウンゴールで、両者とも2ゴール!?