goo blog サービス終了のお知らせ 

魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

扉が開く

2022年04月12日 | 大転換

論旨は様々だが、ウクライナ侵略に喧嘩両成敗だという人は少なくないらしく、それに怒る人も少なくない。悲惨な被害者をつかまえて、「お前も悪い」はないだろう。
だが、戦っている以上、先ずは喧嘩は両成敗とみるべきだ。政治家は火事場で勇み肌を見せる前に、外交の知恵を絞る責任があったはずだ。

その上で、大局を観れば、始まってしまった以上、決してロシアに勝たせてはならない。これは、露軍が非道だからではない。
戦争の非道は、どの国でも犯す。ロシアがそれを常套戦術として用いているから特別というわけでもない。ロシアもレーニングラードで100万人の死者を出した。また、アメリカがベトナムでやったことを思い起こせば、ロシアへの怒りは、人類への嘆きに変わる。何であろうが、戦争は決して起こしてはならないのだ。
ロシアに勝たせてはならないのは、正義のためではない。凄惨な悲劇の陰に、世界のパワーバランスが直面する現実があるからだ。

外交は対処療法だが、戦争は外科手術だ。開けてみなければわからない。
100年越しの懸案が一気に解決することもあれば、死ぬこともある。外交ではできなかったEU加盟も、被害者としてなら可能になるかも知れない。
語弊はあるが、ゼレンスキーは世界史の狂言回しだ。もし、彼が極めて賢明な政治家だったなら、この悲劇は起きず、当面、中露の勢力拡大は続いていただろう。

ところが、今回、誰も想定していなかった、「代理戦争」が起こってしまった。もうごまかしは効かない。露軍のチェチェンでの残虐行為もウクライナで証明された。事実上のNATO対ロシア戦を、中国は試金石として虎視眈々と形勢を窺っている。。
これは同時に、対中国戦でもある。南京30万人大虐殺を叫び、ハリウッドで映画まで作って日本叩きする中国が、ロシアにどんな態度を示すのか。場合によっては、日本にとっても反撃のチャンスなのだが・・・

21世紀の幕開け
今起こっていることは、新しいことの始まりではない。既に起こっていたことの覆いが剥がれつつあるだけだ。
地政学的戦争や、大型兵器による戦争の時代から、情報と小型兵器による公開戦の時代に入り、「戦争が不可能な時代」に入りつつある。巨艦巨砲から飛行機戦へ転換した時のように、戦争は電子・情報戦の時代に移った。
戦車や空母が無意味になり、トップダウン型軍隊組織が機能せず、戦場の隠蔽が不可能になる。近い将来、ミサイルも機能しなくなるだろう。
全て電子機器で制御される以上、情報・電子次元の無力化で、先端兵器は使えなくなる。

それでも戦争をしたいなら、19世紀以前の戦争に帰るしかないが、国家そのものの存在理由も薄れている。情報の海の中で、世界同時認識によるコンセンサスが生まれ、地政学は無意味になり、結局は、世界政府への道が始まるだろう。

コロナ、チャイナ、ウクライナによって、いよいよ、新しい250年の扉が開こうとしている。


化石時代

2022年02月22日 | 大転換

土星が来ると、頭が固くなり、懐古、頑固、そして野心が出る。つまり、偏狭になる。あるいは閉じこもる。病気になったり死ぬ人も出る。身内の不幸もある。
土星はこの2~3年水瓶座にいる。
世界の器状況変化

ロシアは水瓶座の国だ。2014年、木星がピークの獅子座で、相棒(ロシア派住民)に引っ張られてクリミアを併合し、内外の賛否で大騒ぎになった。しばらくほとぼりが冷めていたが、土星、木星が水瓶座に帰って来ると再び動き始めた。
2020年のコロナ現象(水瓶座)と比例して、土星の「恐怖」と木星の「拡張」が同時に起こり、ロシアは「恐れ」から行動を起こした。世界はロシアの侵略とみるが、ロシアにとっては、恐怖に対する防衛戦だ。
木星の勢いで行動を起こしたのは良いが、木星が水瓶座から去ると、「恐怖」だけが残ってしまい、やっかい事の後始末に追われている。実は相当困っている。

一方、双子座のアメリカにとっては、水瓶座は精神的に好影響ををもたらす位置で、そこに萎縮の土星が入ると、「あきらめ」を知ることになる。
現在のロシア対応を観ていると、対中の両面作戦にコロナも重なり、明らかに力が及ばず、居直り策の情報公開に頼っている。アメリカももどかしいだろうが、ロシアも抜き差しならない。

22年2月22日、朝からロシアがウクライナのロシア住民の地域を国家承認したニュースが飛び交って、株がさらに下落した。前日まで天秤座の月だったので、天秤座のプーチンが「エイッ!」と、やったのだろう。サソリ座に入った今日は、ロシアは世界中から非難されている。欧州は憤慨しているが、巧妙なロシアの出方に、アメリカはある種の安心があり苦笑い状態だ。
1948年イスラエルの強引な独立宣言を、アメリカは直ちに承認した過去がある。
その後の、中東混乱は見ての通りだ。

もともと、ウクライナは、誰かの固定の国とは言いがたい、興亡を重ねてきた十字路地帯であり、今日でも、上半身と下半身が異なる射手座のような変容宮の国だ。
ロシアはウクライナを故郷と信じ、ウクライナ人は我らの大地だと誇りを持つ。
日韓問題や中台問題、中韓問題。前世紀には、チェコのズデーデン。古くはイベリアのレコンキスタ、さらには中国の戦国時代まで、
過去史を持ち出せば、必ず戦争になる。4000年前を根拠にするイスラエルなど、何でもありだが、中国の「領土」もまさにこれだ。
小さくなる地球の時代に、国や民族を争うことの愚を、コロナウイルスがあざ笑う。
産業革命パラダイムの枠組みは、もがきながら化石に変わりつつあるようだ


海の支配

2022年01月17日 | 大転換

トンガの海底火山爆発で日本でも少なからぬ津波被害を受けた。
このところ続いている太平洋全域の地震や噴火は、東日本大震災や小笠原西之島などを含め、地球の営みだが、占星術的には海王星・魚座時代と言える。
海王星は海洋や大災害を表す。ネプチューン(ポセイドン)は海底にいて日頃は見えないが、天変地異には、ヌッと海から現れる姿がよく描かれる。日頃気づかない巨大な力が現れるのが自然災害だ。

魚座の古典的支配星は木星だったが、海王星発見で入れ替わり、不思議なほどよく当てはまっている。魚座の影響圏に入った頃から、大津波が目立ち始め、東日本大震災はほぼ魚座入宮に当たる。「世界津波の日」の元になった「稲むらの火」の、安政海南地震の1854年も海王星が魚座にいた。まさに今は幕末の最中だ。
今の日本を洗濯するには、与党野党に関わらず既存の国政システムではできないということだ。
さらに、今は産業革命パラダイムの終焉が重なっている。全く新しい、世界の夜明けを目指す動乱の時だ。

動乱と言えば、火器戦争をイメージするのはもう古い。秩序が乱れるのが動乱なら、今の世界秩序では情報と経済が主戦場だ。この点、デジタルも経済も仮死状態の日本は、皮肉にも、大けがをしないで済むかも知れない。
しかし、動乱よりもっと大きな大転換の最中であることを見落とすと、全てを失うことになる。
15世紀、18世紀、そして21世紀の大転換は、それまでの状況から生まれた、ゲームチェンジャーによってもたらされる。
新大陸、内燃機関、そして???
色々考えられるが、300年にわたる時代を支配するものは、月と火星の開拓なのではなかろうか。技術も経済も、国際秩序も人類の常識も変えるのは宇宙開拓だ。
この点、日本はまんざらでもない位置取りにいるようだから、後は、駆け引きと勇気次第だろう。


別の時代

2021年03月20日 | 大転換

札幌地裁で「同性婚」が認められ、LGBTの人をはじめ各方面で大騒ぎだが、何かが違う。
人権社会を待ち望む者としては、否定する気はさらさらない。しかし、これが喜ぶべきことなのかと思うと、そこはかとなく寂しい気持ちになる。
文化的なレッテルがどうであろうと、人は様々な関係があって良いと思う。
ただ、情けないのは、「婚姻」を前提にしていることだ。
婚姻という仕組み自体が問題なのに、そこに「参加させてくれ」と主張し、それが認められる事が、喜ぶべきことなのだろうか。

婚姻は本来、子孫を残すための野獣の闘争をやめ、人類が生殖と養育を保障する知的ルールとして生み出したものだから、異性婚が大前提だった。
しかし、子孫養育をする一族家族を、国家が擁護するルールから、核家族を擁護するように変わったことで、婚姻は必ずしも生殖を目的とするものではなくなった。国家としては納税する者を擁護すれは良いことになった。
異性だろうが同性だろうが、納税者による共助体であれば当然、国は納税者を保護すべきことになる。
真に人権が尊重される社会では、国家と個人は、家族以前の関係であり、婚姻や職業などに関係なく、国家は個人を擁護する。

改めて言うと、一族の結びつきとしての婚姻から、個人の結びつきの結婚となり、さらに、純粋に個人の信頼による関係になれば、国家は共助や結婚の形とは関係なく個人を擁護しなければならない。当然、子供の養育、病老の介護は国家が全面的に保証する。
一族的家族が消えるということは、個人の相続財産は消えることになる。この前段階として、日本では既に、家督相続が消えている。相続財産については、過渡的に一族から法人に代わるだろう。

産業革命パラダイム250年が創出した環境によって、未来はそのような世界に進むことになる。仮説としての共産主義が、現実として現れる。多くの試行錯誤の後に、必然的にそこに至るだろう。
それがどのような過程を経て現れるかは分からない。大きな政府、小さな政府、グローバル企業、全体主義、特色ある共産主義・・・今あるものではないのが未来だ。
何であれ、テクノロジーが社会を変えてきたように、未来もまた、テクノロジー次第だが、少なくとも、人の関係、子孫養育は、婚姻などを前提とする現在の概念では、想像できないものになるだろう。

 


反転上昇

2021年02月21日 | 大転換

株価がバブル期以来の3万円を超えた。街の人々は「実感が無い」と言う。
強気の評論家は、大相場の始まりだと言うが、多くの人は崩壊を懸念している。
確かに、金余りに支えられた相場は、何時、破裂するかわからない風船の恐怖だ。
しかし、風船の中身はただの空気だろうか、実体経済はどうなるのだろう。

コロナショックの2020年、多くの企業が赤字を出したが、逆に、少なからぬ企業が大きな利益を出した。
ほとんどの人が、景気が良いと思えないのは、赤字を出した企業が古い時代の基幹産業であり、黒字を出した企業は新参で、あまり従業員を抱えないIT系の新産業だった。このため、ほとんどの人が直接、恩恵を受けていない。
敗戦の焼け野原で日本中があえいでいた時、闇市では闇成金が生まれた。時代の変わり目には、富の偏りが起こるが、社会全体にはそれが発展のたたき台になる。
今起こっているのは、産業の総入れ替えであり、世界的な格差も、時代の先を行く側と、取り残された側の、陽当たりの違いだ。
新産業には大海原が広がり、旧産業の多くは道を失う。そうなれば、やがて道を失った産業から大海原に移動が起こる。

現在の金余りによる株高は、旧産業にも余波はあるが、主軸は新産業が牽引している。
この先、業態を変えない旧企業は消え、業態を変える企業と、新産業企業が急成長し株価を上げるとすれば、差し引きは、結局プラスになる。
日本の企業は、世界的に後れをとっているから、既に敷かれたレールで先頭に追いつくには時間がかからない。新産業が成長する数年は、戦後の高度成長のような状態が現れる。となれば、現在の株価は、紆余曲折はあるが、ただのバブルではなくなる。
だが、勢いよく追いついたとしても、前にはGAFAのような巨大機関車が道を塞いでいるから、単なる連結車両になるしかない。日本経済が生き残るためには、走りながら別のレールを敷設しなければならない。

この脱皮が、今の日本にできるかといえば、残念ながら極めて先が暗い。
旧態維持だけに汲々とする政財界、内向き下向きの若者、イチャモンだけのマスコミ。どこにも、「ダメ元」、「やってみょう!」と言い出すスキが無い。
しかし、ここまで見事に委縮していると、かえって道が開けるような気がする。
明治維新で日本が爆発したのも、江戸の長い圧縮期間があったからだ。サイクルの早い現代では、バブル崩壊後の30年は十分な圧縮期間だ。二世代にわたる抑圧期間で、そろそろ外道や歌舞伎者が現れる。そう期待したい。
60年周期では今年は昭和36年。所得倍増!
日本は上昇に向かっているはずなのだから。


幕末現代

2020年10月27日 | 大転換
14年前、このブログを始めた時から心配していた幕末の再来が、顕現しているようだ。
現在、時代を動かす大周期惑星の海王星、天王星が、幕末とほぼ同じ配置にある。
大転換2
幕末維新は日本だけで起こったことではない。日本も激動の19世紀の一員だった。

今再び、幕末ドラマが、絶賛公演中だ。
違う役者が、同じ芝居をうつ時には当然、演出や意味づけの違いはあるが、テーマとあらすじは変わらない。
大英帝国が演じた役は米国が演じることになった。清朝が中国共産党に変わったのは同じ役者なのか襲名なのか、とにかく同じ配役だ。

19世紀、尊大な清朝は、英国を甘く見て、負ける喧嘩で権威を失った。そこから始まったアジアの混乱は、結局、ロシア革命、日本の敗戦、中国共産党政権の樹立まで続いた。
そして現在に至るまで、天王星は一周し、既に二周目を終えようとしている。一方、海王星は一周した、つまり、これは海王星周期の物語だ、

「幕末」公演、第二部
経済力を得た中国は再び尊大な帝国の姿を現し、周辺国を従わせようとしている。現代仕立ての舞台では国際協調を装いながら、都合悪くなれば、「こんなものは紙くずだ!」と、ルールを平然と無視する傲慢さだ。

「幕末」キャストの性格。血液型の国際関係。
中国が尊大なのは、デリカシーに欠ける文化ゆえだろう。
血液型のタイプで考えると、欧州のA型、インドや日本のAB型に対し、中国はB型の本家だ。
A型やAB型が、繋がりや滑らかさを重視する水のような感性なのに対し、B型は、構造やサイズに注目する金属のような感性だから、かみ合わない。
中国のやり方は露骨で、鉄柵や金網のように存在感があるが、欧米は水のように簡単にすり抜ける。欧米から見ると、立派な鉄柵の存在感は虎のように見えるが、ザルのように間抜けなところが張り子の虎に思える。
中国から見れば、欧米は氷にも雲にも変わる不思議をもたらす存在で、その実態のなさが、魅力的でもあり信用ならぬ存在でもある。

清朝の没落は、徳川幕府同様に体制の老化もあったが、中国の文化的弱点につけ込まれたと言えるだろう。着想や集中力はあるが価値観が雑で、何事にも一辺倒になり、関心のないものに対して注意力や気配りが無い。
欧米の緻密な観察でスキを見抜かれ、アヘンを注入され、弱点を衝かれて制御不能に陥った。
日本の場合、徳川幕府は一元的な帝国ではなく、連合政権のような幕藩体制が幸いした。これは、B型の中国と異なり、AB型の多元的な調和文化の幸運といえる。

A型とB型は互いに誤解するが、AB型はどちらも理解できる。強いて言えば、B型のことはやや見えない。
欧米は、中国の存在を過大評価したり蔑視したりして、真の理解をしないが、日本の感性には共感するところが多く、同じではないが、日欧は互いに尊重できる。
「法」のようなルールは、形のないA型の観念世界の産物であり、B型の中国にとっては利用価値の有無でしか理解できない。
AB型の日本は、「法」の精神を、生きるための方法として理解するのではなく、尊重と利用をする。スポーツのルールを変えられても、ひたすらそれに合わせて努力する。横断歩道で全く車が来なくても渡らない。「法」は信仰の対象で、生活道具としての理解が無い。

ドラマ「幕末」の幕は上がっている
「幕末」第二部の一幕は、既に終盤にさしかかっている。
傲慢な中華帝国の攻勢にかき乱された自由連合は、各地で抵抗のノロシを上げた。
自ら帝国の虜になった米国が、真っ先に危機を叫ぶ。米国に追随して虜になった日本は、「やっぱり!」と言いながらも、まだ帝国内に留まっている。帝国を敵とするのか味方とするのか、攘夷と開国、武士と商人の間で国論は割れている。
抵抗主力の米国も戦術論で手間取り、さらに、欧州勢との探り合いで、反撃の体制が定まらない。
このスキに、中華帝国の大攻勢が始まった。
(幕)
このシュミレーションゲームは、いかなる可能性、いかなる展開、結末を迎えるのか
後は、プレイヤーの腕次第???

次の時代

2020年10月18日 | 大転換
国勢調査の回答が半数にもならないという見出しを目にした。オーバーな気もするが、東京などを思えば、本当なのかもしれない。
日本はデジタル化に周回遅れだ。時代に付いて行くためには、時代の先を行くつもりでなければ追いつけない。オンライン投票などから始めても良いかも知れない。

今どき、庚午年籍でもあるまいに、全戸の国勢調査など、必要があるのだろうか。AIによるビッグデータ解析なら、ウソ申告よりもはるかに正確な行政資料になる。中国のような監視社会でなくても、あらゆる方法で実勢調査はできる。
デジタル化の第一歩は、ハンコやマイナンバーではなく、発想の転換だ。物ではなく、どういう社会をイメージするかの問題だ。
それとも、古代律令のように、共産党人民監視システムを、ありがたく導入したほうが良いのだろうか。

コロナは引き金
コロナは、病気そのものが怖いのではない。怖い病気はいくらでもある。
「コロナだッ!」の、叫びが引き起こしたパニックの方が怖いのだ。コロナパニックが、産業革命パラダイムの楼閣を打ち崩した。生産消費の伸びきった戦線が、コロナを引き金に、将棋崩しのように、一瞬で崩れてしまったのだ。
大転換の門は開かれた。今や、崩れたものを再び積み上げる時ではない。全てはゼロから始まる。
幸か不幸か、全世界が同じスタート地点に立った。習近平もこれをチャンスと見て先進国を出し抜こうとしている。デジタル化に周回遅れの日本も、千載一遇の挽回チャンスに恵まれたのだ。

全員が一から始めるなら、失うものの無い者が勝ちだが、
日本は、高度成長の遺産が足かせになり、大借金とデジタル化の遅れを招いた。今こそ、終戦直後の焼野原に立ち返り、前例や成功体験の夢から覚めなければならない。
先ず、政治に必要なのは、ビジョンの提示だ。
細かいことはどうでも良い。これから、どんな社会にするのか、可能性に満ちたイメージを映し出し、国民の意思統一を図れば、みなが前を向く。それが無いから混乱が起きる。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と、諭してもらったほうが良いのかもしれない。

新時代プロローグ
明治に生まれた19世紀の社会システムに固執する日本だが、その師である欧米は、既に変り始めている。
今や、「製造と消費」の産業革命パラダイム250年が終わり、「情報と納得」の時代が始まろうとしている。
ハンコ廃止騒動もその一つだ。日本のハンコ偏重は江戸の経済発展の名残で、明治政府もこれを廃止できず、印鑑証明制度まで生まれた。産業革命250年の、日本なりの歩みであり、時代の象徴でもあった。

ハンコが消える一方で、個人の認証技術はますます発達する。もしかすれば、認証の必要さえなくなるかもしれない。今後のデジタル発展で、あまりにもプライバシーが無くなれば、かえって、個を特定する必要が無くなる。
国家共同体にとって最も重要な徴税も、個々の所得から徴収する発想そのものが無くなるかもしれないからだ。
例えば、ベーシックインカムと消費税100%のようなシステムであれば、個別徴税の必要が無い。個々の儲けの上前ではなく、総生産の剰余から共同体運営を賄う社会なら、個人を特定する必要が無い。納税申告のような無駄な徒労も要らなくなる。

どんな未来であれ、郵便や印刷、学校や役所など、これまで当たり前と思い込んでいたものを、一度、無いものとして考えなければ始まらない。
投票所に行く選挙、郵便やハンコによる証明、人集めの式典・・・そして、通貨。こんなものは、すべて、「物」が前提になっている。
これからは、「在る」ことさえ認識できれば、それで良い時代になる。つまり、いかに「納得」できるかが重要になる。形で確認する前提を、捨てなければならない。
断捨離の流行も、シェアブームも、そのプロローグだ。「物」の世界との別れに、みな慣れようとしているのだ。

この半世紀、次の時代への舞台装置が次々と生まれてきた。DNAの発見、共生の認識、情報化社会・・・など、アイデンティティの根拠が大きく崩れていった。これは、進化論に匹敵する認識の革命だ。
われわれの存在理由が、個ではない、類やガイアの概念で捉えられるものであることが、高等教育とともに世界的に広まって、ジェンダーや、物質文明への批判が高まっていた。そこに起こったのが、コロナショックだ。
機は熟していた。小さな針の一突きで、250年の産業革命パラダイムの夢が吹き飛んだ。
幕が上がったのだ。

大統領選

2020年09月15日 | 大転換
「アメリカにはいくらでも、人材があるのに、何で選りに選って、74歳と78歳のジジイ対決なの?」と、誰でも不思議に思う。
これは、まさに大転換の最終ラウンドだ。
アメリカ建国の1776年から、冥王星250(248)年の周期が巡ってくる。つまり、産業革命と歩んできたアメリカの歴史も、大転換の時を迎えている。しかし、その最後の大統領は、産業革命パラダイムの戦争を知る人間が必要だからジジイ対決になる。

大統領が戦後生まれになってからも、親は戦争体験者の世代が続いてきた。
クリントン、ブッシュ、トランプは何れも1946年生まれで、親の世代の生々しい戦争経験を体験しながら育った。オバマだけが1961年で、親さえ戦争を知らない。
オバマの理想はこれからの世代のさきがけではあるが、戦争を背景とする現在には対応ができず、中国の軍国主義もことごとく野放しにしてしまった。
結局、餅は餅屋。蛇の道は蛇。産業革命パラダイムの現実を仕切るのは、戦争を知る世代しかいない。その結果、とうとうジジイ対決になってしまった。アメリカ民主主義の制度疲労だ。

250年の始まり
これから先、世界は大きく変わる。物量の産業革命パラダイムでは戦争が避けられなかったが、これからの時代は、戦争を考えなくてもいい時代が来るかも知れない。戦争のような馬鹿げた「消費」よりも、地球環境問題に対応した文明を創っていかなければならない。
もはや、大量生産大量消費に浮かれているような状況ではない。これからも人類が生き残ろうと思うなら、地球環境を改善するか、環境に合わせて生きる術を探るか、地球離脱しかない。
産業革命パラダイム250年の残した環境破壊は、川の水をきれいにする程度の努力では到底追いつかないだろう。次の250年を掛けて改善していくしかない。
最も現実的なのは、環境に合わせて生きていくことだろう。再生可能エネルギーによって、環境に寄り添った、静かな文明を創りだしていく。
情報による共感と認識が生まれれば、戦争、開発、観光と、地球を荒らし回る必要がなくなる。

今、アメリカ大統領を始め、世界は産業革命パラダイムの精算の時に入っている。
ネットですぐ盛り上がる、反核や環境、人種差別問題は、今の段階では空騒ぎだが、産業革命パラダイムの人間が去れば、地球文明の常識として根付いていくだろう。
原始時代は、氏族単位、村単位の争いをしていたが、この250年は、国家という共通認識に拡大して、大がかりな戦争を繰り返した。
しかし、この先は地政学的国家を超えた、情報による共通認識と一体感によって、人類全体の利害が考えられるようになり、戦争の必要がなくなる。

このトレンドに抵抗しているのが、中国共産党の情報管理だが、次世代技術で250年前の目的を果たそうとしているのだ。仮にもし、これが成功すれば、行き着く先は、AIによる人類管理だろう。国家は消滅するからだ。
しかし、この顛末は初めから見えているのだから、この流れを許すことはない。最悪の場合、「毒は毒をもって毒を制す」、中国共産党の情報管理が地球を覆う前に、AIによる社会管理技術を完成させることだ。
何れ人類は、AIの世話になって生きることになるが、共産党貴族のための人民搾取の道具を打ち砕くには、それよりも早く、民主主義的善意の方向性を持った、AI管理システムを完成させることが必要だ。
これこそが、世界を変える大戦争そのものになる。兵器による戦争など、次の時代から見れば、類人猿の棍棒にしか見えないだろう。

大変な年(3)

2020年09月11日 | 大転換
大恐慌や大戦争の有無にかかわらず、パラダイムシフトは起こる。
これからの250年は、生産よりも、知性と人間性によって自然との調和ができる時代に・・・なったらいいな。
もちろんその前に、産業革命パラダイムの吹き溜まり、中国共産党が破綻しなければならない。中国共産党は「民族の勃興」という原始的で偏狭な目的のために、手当たり次第に既存のノウハウを吸収し、駆使しているが、「人類の未来」のために犠牲を払ってでも努力しようという志が無い。中国共産党が滅びるとき、産業革命パラダイムの弊害が清算されるだろう。
気の毒だが、彼らは優秀な紙おむつのように産革の汚物を吸収している。おむつの交換は誰も喜んで手を付けないが、交換は必要だ。

産業革命パラダイムを精算し、おむつが取れた人類は、賢い排泄を覚える。がむしゃらな大量生産や消費を止め、必要最小限の生産と個人のネットワークによって、国家を超えた地球村が生まれる。
しかし、もし中国共産党のおむつをそのままにしていれば、場合によっては死に至る。

どういう意図か、米中対決を、米国の負けだと囃す人がいる。
確かに、現状を見れば、米国に勝ち目は無いが、だからと言って、目先の経済的利益だけに走れば、世界は古代ゾンビに取り込まれ、人類は人権の無い奴隷社会に埋没することになる。中国共産党、習近平の目指しているものは皇帝だ。

コロナは本来、自然災害だが、それを戦争にしたのは暴君、習近平だ。
太平洋戦争が始まった時、明らかに米国は劣勢だった。日本の占領地には、早々に利権を求めて、金の亡者が軍部に馳せ参じたが、日本の勝ち戦は半年も保たなかった。
今、中国が優勢なのは、アメリカを始めとする先進国の、寛容と怠惰の結果だ。
欧米がこぞって中国を見放せば、金と人脈を断たれる。放蕩三昧の若旦那も勘当されれば、ただの物乞いだ。たちどころに威勢を失う。

中国の人口は人類の1/5で、東京圏の日本の人口比率に匹敵する。
圧倒的経済力を持っているように見えるが、中国は地球の首都ではない。科学も文化も、経済も、発信の中心ではない。大阪や名古屋の影が薄いのは、発信の中心ではないからだ。逆に言えば、東京の一極集中を改めるのは、そう難しいことではない。
新しい時代が始まる時は、遺物はあってもその意味が変わる。
中国による新世界と、世界が求める新世界と、果たしてどちらが残るのか。
どちらにしても、新世界には産業革命パラダイムの物も技術も受け継がれるが、果たしてどちらの意味づけがなされるのか。
映画「華氏451」のような世界だけは想像したくない。

小さな国、日本は、元、清、ロシア、終いには世界中と戦った。勇敢と言うより、世間知らずの世渡り下手だからだ。この性質は変えられない。今更、物わかりの良いような顔をして中国に寛容になるとすれば、これもまた、世間知らずの訳知りだ。

大変な年(2)

2020年09月10日 | 大転換
旧世界から新世界へ
2020年、ついに大転換が始まった。
冥王星周期の、この250年は産業革命パラダイムであり、18世紀からの風景と常識が終わる。今年がまさにその年となった。
産業革命が創り出した風景と常識は、科学万能による工業生産と、人類の撹拌だった。
物質信仰の時代では、それを支える、国家、軍隊、企業、学校が、誰でも行かなければならない教会になった。
その中にいるとそれが当たり前に見えるが、産革パラダイムの人類は、他の時代の人から見ると、異様に見える。それは、オウムや韓国の新興教団の有様に似て、一つの目的と一つの方法を信じ、ひたすら努力し幸せを信じている光景だ。

産革パラダイム教団では、学校で科学信仰と技術を学び、企業や軍隊が国家というグループを支え、時に大戦争でグループの勢力争いをし、金という神を崇める。人類全体がこの宗教の信者だった。
それが、大きく宗旨替えをする時が来た。
信仰、特に一神教は、別の信仰を持つと、以前の信仰を徹底的に壊そうとする。しかし、八百万の神を崇める日本は、全てを残した。実は仏教も、様々な土着信仰を吸収しながら伝播してきたものであり、日本では居心地が良かった。

産革パラダイムは、一神教の進化形である科学の布教活動だったとも言える。
日本では一神教に対抗するために、王政復古による神道が現れ、廃仏毀釈が起こった。しかし、敗戦により神道が薄まると、八百万の神が復活し、産革パラダイムは欧米よりも多様な価値観で、こだわりのない経済活動を行うことができた。これにより成し遂げた高度成長だが、バブル崩壊で、再び、一神教と神道の偏狭な価値観に陥り、閉塞社会にはまり込んだ。平成後の日本が、融通の利かない社会になったのは、多様な価値観=八百万の神を失ったからだ。近年、天皇制が重大事として議論されたり、先輩後輩の上下関係やパワハラ問題、自粛、コロナ警察など、日本全体が不寛容な一元化に落ち込んでいる。

山羊座の木星によるコロナショックは、科学教会の信用を落とすことになる。
今起こっていることは、科学信仰狂想曲だ。産革パラダイムによる経済が、科学によって止められるという矛盾に直面している。
科学による物と人の膨張によって起こったコロナ拡散が、科学知識によって認識され、社会が止められている。これは言わば、成長期の肉切れのようなもので、成長が止まる時が来ている。
科学知識のない昔であれば、疫病は流行るにまかせ、一定の人が死ねば、また社会は動き始めた。歴史として俯瞰すれば、これは山火事のようなもので、新生に欠かせない自然の営みだ。この地球上に人類だけが異常に繁殖している事実がありながら、それでも人口減少を心配する経済。だから自然の摂理が作動する。

科学を科学で抑えられなければ、科学の信用は失墜する。早晩、コロナは収束するが、今のコロナパニックは、科学知識によって、むしろ増幅されたものであることが明らかになるだろう。祭りが終われば、敗戦で日本国民が受けた脱力感のように、信仰離れを引き起こす。
明らかな占領軍(大恐慌)が来ない限り、政治と科学は、コロナ勝利を糊塗するだろうが、それはGOTOトラベルのような気休めで、大転換を前にしては螳螂の鎌にもならない。

大変な年(1)

2020年09月09日 | 大転換
一年の様相を表すのは、星座を約一年で通過する木星で、歳星と呼ばれるが、一星座を2~3年で通過する土星の影響も大きい。
2020年は、木星が子年を意味するやぎ座を通過し-、土星は山羊座と水瓶座の境界を行ったり来たりする。年末には木星も水瓶座に入るから、2020年は山羊座から水瓶座傾向の強い年回りということになる。

山羊座はカニ座=中国のピークに当たり、中国にとっては、対人関係や結婚、つまり外交の分岐点を表し、目的の達成と同時に挫折に遭遇する。結婚はそれまでの人生の終わりであり、別の人生の始まりでもある。

その山羊座は本来、「時と運命」の星座で、骨や墓を意味する。人生を12星座に例えると、サソリ座は死、射手座は葬式、山羊座で墓に入れられる。水瓶座で昇天し、魚座で再び胎児として宿る。
人間として最後の場、人生の終わりを意味する山羊座は、世相としては一つの時代の終わりを表す。
その山羊座に、時代を表す冥王星が既に10年以上滞在し、ヤギ座本来の主=土星が帰っていたところに木星が来たのだから、ついに、壮大な大転換が起こる。
冥王星の銃に、土星の弾を込め、木星の引き金が引かれた。

中国にとってのピークが、世界の終わりを意味する山羊座であることは、中国史が常に世界に影響してきたことを意味する。今回もまた、世界が大きく動くことになりそうだ。
元々、カニ座は幼児期と晩年を表し、人類史の黎明期の価値観をそのまま保ち続けているのは中国だけと言っていいだろう。いまだに「大帝国」を目指そうとする。要は、それが通用する時代と、そうでない時代が、中国の横を行き過ぎるだけだ。
中国が、アメリカのような民主主義の連邦国家になったとしても、人民の中華思想は変わらないだろう。ただ、その場合、世界は中国の価値観を、容易に受け入れるようになり、世界が中華になるかも知れない。

ともあれ、一方で、こうした星の動きの影響は各方面に出ている。
山羊座→水瓶座は、天秤座のプーチン、ほぼ天秤の麻生、安倍を苦境から幸運に転じ、射手座の菅は、水瓶座の石破、獅子座の岸田によって、むしろ得をする。
水瓶座も獅子座も、相性の悪い牡牛座に天王星が居て、さらに、木星、土星が水瓶座にくる。こんな時は運の悪い方が当たり前で、運がいいようだと後でろくなことがない。
水瓶に土星が入った直後、空前の支持で圧勝した水瓶座の文大統領は、その後、人気が急落している。
大転換には直接関係ないが、2020年後半は、通常2か月で通過する火星が牡羊座に6月末から半年も滞在する。射手座の菅には好都合だが、牡羊座の人は病気怪我トラブルなどあまり良い時ではない。牡羊座の加山雄三が緊急入院した。牡羊座は頭なので首から上のトラブルが多い。真反対の天秤座も要注意だ。安倍・麻生はほぼ天秤座だ。

これから

2020年05月13日 | 大転換
近い将来1」で、日本は運が良いと言ったのだが、このコロナ騒ぎで、日本のアナログ行政の、構造的遅れが徹底的に洗い出されている。日本はこんな状態で、オリンピック後を迎えるところだったのだ。山ほどある様々な新技術が、全く使われていない。
自分が使わずに他人に売りつけようというのだから、日本製品が売れるわけがない。
オリンピックは、産業革命パラダイムのあだ花であり、土建屋視点で前世紀に関わっている間に、日本は「八丁」の後れを取っていた。(小便一丁屎八丁)
幸いにして、コロナは、日本をもう一度、世界と同じスタートラインに立たせてくれた。
もう、出遅れは許されない。
中韓に依存した観光の危険も証明された。中毒手前で麻薬を断たれて、苦しいかも知れないが、助かったのだ!ここで目を覚まし、バランスのとれた観光へ更生するチャンスだ。

日本の問題は、「やる気」だ。マスク二枚に象徴されるように、マニュアルの無い突然の非常事態に、世襲政治家は何もできず、何も語れない。そのうち何とかなるだろうとお茶を濁す、「気休め」を信じて、我慢して待っていても、コロナが消えることはない。
病を抱えながら進むしかないことを国民に告げ、覚悟とビジョンを示すのがリーダーだ。様子ばかり見て、ずるずると、金を出すだけで、何の政策もない。
元々が日銀の金融緩和頼りで、何の規制緩和も先取り政策もしてこなかった。ビジョンのない政治のツケが一気に来た。挙げ句の果てに、どさくさ紛れの法改正。
定年延長が悪いのではなく、手法が悪い。この政権は、この期に及んでも、状況を認識していない。もはや完全に、平常性バイアスに逃避している。
まさかとは思うが、この上、コロナ後のV字回復に、期間限定の消費税ゼロをやらないのだろうか。きっと、サプライズを隠しているのだと信じたい・・・が

これからは、終戦直後のように、全てをご破算にして出直さなければならない。
終戦直後、円の価値は無に帰し、学制が変わり、全ての価値が逆転した。
この頃、売り出されたタバコも「新生」と名付けられた。
9月入学に教育界が反対しているが、教育は既存を伝えるものだから基本的に保守だ。それを打ち破るのは社会動乱と政治であり、これまでも、そうして大きく変わった。
誰でも、コロナ後はこれまでと同じではないと言うものの、それがどんな世界か、今、社会の中心にいる、「まともな人」には、全くイメージできないだろう。

新しい時代
どんな競技にもルールがある。手を使わないのがサッカーであるように、新しい時代の基本ルールは、人を使わないことだ。人手によらない世界を極めることが、ゲームに勝利するカギになる。
通勤、通学、都会集中、人寄せ商売、箱物建設を止め、地方分散、産官学のオンライン化、情報と物流に対する発想転換・・・全く新しい世界をイメージしなければならない。過去二百年、もしかしたら、有史以来の「当たり前」を、脱ぎ捨てなければならないかもしれない。
場の共有ではなく、情報の共有によって社会が動く。

全国どこでも、全く差の無い情報環境になれば、人より物の移動が重要になる。
これまで、貨物は人の移動の陰にあったが、新幹線も貨物輸送を主体とし、長距離トラックは、鉄道+エリア輸送に変わる。
乗り物は、豪華客船、列車、バスなど、レジャーに特化し、通常の移動は、貨物移送に客室を付ける発想としなければ、鉄道も航空も採算が合わなくなるだろう。
学業も仕事も、どこにいても同じ環境で、大学なども、学校分けの入学試験は廃止し、一般教養はオンライン化で、専攻学部による試験だけで進学すれば、社会的ロスが減るし、生涯教育の道が広がる。
仕事は、それぞれの企業が考えることだから、業態によって最善のスタイルが生まれるだろう。
全てというわけには行かないが、基本的な情報と物流の環境を、ゼロから考え直す必要があることは確かだ。

ドンデン

2020年05月09日 | 大転換
アメリカの老舗デパートなど、コロナショックで、倒産する企業の中には、それ以前に既に苦しくなっていた企業も多い。これは既に死んでいた大木が台風で倒れるようなもので、伸び始めた若木が折れるのとは意味が違う。
大きな嵐の後、再建後の新しい景色はどうなるのかをよく見極めて、資金投入する必要がある。経済救急救済のトリアーシだ。
もちろん、個人の救済とは別問題であり、産業別の再建強化策の話だ。

今回の経済災害の後、世界はどう変わるか。これは第二次大戦の後、世界がどう変わったかを思い起こしてみるのがわかりやすい。一番大きな変化は国際基軸通貨のポンドからドルへの移行だが、環境は既に第一次大戦後に生まれていた。
今、既に起こっている環境変化といえば、仮想通貨の出現で、それを先取りした中国が元の仮想通貨化を目論んでいる矢先、コロナ災害を自ら起こした。
これは偶発事故だろうが、失うものがない中国は、大チャンスと捉えているだろう。
しかし、そう簡単な答えに結びつかないのが、今回の歴史的大災害だ。

大局的に見れば、いよいよ、産業革命パラダイム250年の大転換であり、もしかすれば、もっと大きな、大航海時代に始まった、グローバル化の大転換なのかも知れない。
産革パラダイムの終わりであれば、通貨概念の転換であり、グローバル世界への転換であれば、通貨の消失だ。
いずれにせよ、当面はドル体制の沈下であり、銀行時代(金融政策)の終わりだ。
仮想通貨が大きくなるに従い、基軸通貨の意味が薄れ、経済覇権の形が変わる。
中国の狙いは、アメリカのドルの力を削ぎ、製造、物流の実物経済で覇権を握ろうというものだろうが、チャンスが少し早すぎた。世界が、製造の中国依存から手を引けば、皮算用に終わってしまう。つまり、世界の出方次第だ。

何はともあれ、このドサクサを経て起こることは、社会の仮想化であり、Aİ、デジタル、ロボット、自動化と、「仮想パラダイム」が始まる。
安い労働力はロボットに代わり、通勤や旅行や物流も形が変わり、移動インフラ全体がガラリと変わる。
これらの運用のために、社会は、高度にAİ管理されることになるが、中国がやって見せている人民管理は、始まりの始まりで、デジタル社会に向かう試行における錯誤に過ぎない。包丁は殺人鬼が持てば凶器になり、料理人が持てば利器になる。

コロナ大恐慌時の、経済救急救済のトリアーシで、真っ先に救うべきは、デジタル関連のベンチャーで、これは実績に関係なく救い、逆に、最後にするのは、デパート、仲買、金融機関、不動産、イベント会場など、産革パラダイムの屋台骨だったような分野だ。
社会概念のドンデン返しが起きる時、通貨と同様、未来社会にはほとんど必要のない遺跡になるだろう。

明けぬ夜

2016年10月03日 | 大転換

デパート閉店が、ドミノ倒しのように続いているそうだ。
もう、10年ぐらい前に書いたことだが、いよいよ本格化してきた。
青息吐息で命脈を保っていたデパートは、中国人の爆買いのような現象が起こり、一気に燃え尽きるところが出てきた。死にかけている年寄りに若い子が群がったら、興奮して死んでしまう。まあ、そんな現象だ。
爆買いで、葬式費用ができて、閉店に踏み切ったのかも知れない。

最近、喫茶店も再ブームだそうだが、これも末期症状だ。喫茶文化は、中東のチャイハナ(ネ)がヨーロッパに持ち込まれたもので、大航海と産業革命の成果であり、タバコと、お茶と、コーヒー、そして砂糖が一世を風靡した。実は、麻薬もその一つなのだが、これは効果が強力すぎて、政治のコントロールが効かず、社会崩壊に繋がるので、拒否された。どの社会にも太古から存在する酒は、社会に根付いていたので、拒否されなかったが、本来は麻薬に劣らない破壊性があり、コーランはそれを拒否した。

一定の地域でしか生産できず、貿易格差の生ずる物品は輸入拒否されるはずだが、産業革命という生産のマジックによって、原料と加工品との交換が可能になり、喫茶文化が可能となった。それ以前は、中華とローマを仲介する商人の、中東だけが享受した文化をヨーロッパでも楽しめるようになったのだ。
豊かな交易と大量生産に裏打ちされた、デパートと喫茶文化の衰退は、産業革命パラダイムの転換を告げている。

もちろん、大転換は全ての分野に起こっている。  産革パラダイムの過程で生産と消費の場が逆転し、低賃金を求めて、資源国が生産の場に変わったり、エネルギー資源国が利益を得て世界を動かしたが、やがてまた、過剰生産とエネルギー転換で、加工生産国も資源国も覇権を握れなくなってきた。それが、大転換だ。
デパートのような陳腐化したビジネスモデルは、途上国に移転して命脈を保つが、それも時間の問題だ。

生命活動の本質
結局、当たり前の事ながら、世界はエネルギーによって動いている。
生命誕生から今日に至るまで、エネルギーを握った者が覇権を握る。
これも何度も繰り返し、言ってきたことだが、今後のエネルギー選択が、大転換後の勝者を決めるのだ。
唯一、ハッキリしていることは、原子力エネルギーでは覇者になれない。
原子力に固執するのは、地震予知と同じ、可能性に祈り続けるようなもので、襲ってくる大軍を前にして、祈祷しているぐらい暗愚であることを、悟らなければならない。
未練の布団を被り続けている暗愚に、夜明けは来ない。


海王の時

2016年02月22日 | 大転換

イラク、シリアの中東情勢は、もうグチャグチャだ。
蛇の尻尾をウワバミが呑み、ウワバミの尻尾を蛇が呑む。

EU、アメリカ、ロシア、シリア、IS、クルド、イラン、トルコが、それぞれの権益と死活をかけて、離合集散の大混乱。その横で、イスラエルや、サウジが、何時でも飛び出そうと構えている。関係ないような顔をして、中国や北朝鮮、韓国のような国が、何か得することはないかとウロウロしている。日本も何かお役に立てませんかと、首を突っ込もうとしている。

中東は世界情勢の縮図だ。世界経済は既に、これと同様の混乱が起こっており、そこに、ウクライナや南シナ海での、古典的な地政学問題が起こり、さらにまた、難民などの中東情勢が経済混乱に拍車をかける。

この状況こそが、まさに、幕末期1850年代の世界だ。
海王星と天王星の出会い、帰ってきた海王星だ。同じ事が起こるわけではないが、19世紀半ばの世界史年表は、見応えがある。30年間ぐらいを見てみると面白いだろう。

現代は、よりグローバルな展開になっているが、俯瞰しても接近しても、何もかもが東西南北対立だ。
解こうとすればするほど解けなくなるゴルディアスの結び目は、結局は太刀で切ることになる。一番良いのは、何もしないことかも知れない。
何事も、時が過ぎれば、自然に治まる


愚弄ばる2