東京モーターショーを前に、車の話題が相次いでいる。
個人的に一番価値がある話題は、いよいよ、超小型車が実用段階に入ったことだが、産業界では、PHVが一番注目を浴びている。
EVとHVの橋渡しとしては、現実路線なのだろう。
確かに、EVには暖房に問題があるし、充電施設の問題も考えれば、PHVのような形が当分続くのではないかと思う。
おそらく、50才以上の世代には最後の車になるのだろう。
一方、自動車業界は、何とか、若者を自動車離れから呼び戻そうと、「車の楽しさ」をアピールするため、こぞってスポーツカーに力を入れているのだそうだ。何とも涙ぐましい。
だが、気の毒だが、それが、車離れの原因であることが解ってない。
もちろん何時の時代にもマニアはいる。今の時代にも、鉄道マニアはいるが、鉄道を支えているのはマニアではなく、一般乗客であり、鉄道で旅行を盛り上げる観光業界だ。
自動車産業発展時代の若者が、感動を覚えた体験が自動車のスピードなら、今の若者が求める感動は、知的世界のスピード体験だ。
今の若者には、自動車のスピード体験など新鮮ではない。それならジェットコースターで充分だ。
今の若者が求める新体験は、物理世界の広がりではなく、情報世界の広がりだ。「こんなことができるんだ」という驚きを、知的世界に求めている。
車で出かけて行って人と知り合うより、情報を通して人と知り合う。
もはや、「前世紀の驚き」をいかに演出しても、今の若者の興味は誘わない。「こんなに面白いのになあ」と言っているのは、オヤジだけだ。
自動車産業のオヤジ達は、自分達の青春の夢を、若者に強いるより、時代が移ったことを直視し、生活道具としての自動車を発展させるべきだ。
自動車は道具だ
自動車は「運転する」為にあるのではない。自動車は「人間を解放する」為にある。自由に早く安全に「移動する」為にある。
この目的の原点を忘れて、やむを得ずしていた「運転」を目的にするなど、時代に囚われた、「時代の子」の発想だ。
高齢化社会で、自動車に乗る人が減る・・・アホか!
高齢化社会であればなおさら、高度な自動操縦の車が必要になるのだ。
IT技術が発展する社会で、いつまで人間をハンドルに縛り付けておくつもりだ。
日本人は技術改善能力があっても、発想転換能力に欠けている。
「車は運転しない物」「目的地までお茶して寝ていく物」
今の技術でも可能なはずなのに、いまだに「運転」に囚われている。
グダグダ言っている間に、技術パクリ国に、実用で先を越されるぜ!
先ずは、若者に免許を取らせよう??? あ~あ、泣けてくる