魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ゴミの山(2)

2012年02月29日 | 日記・エッセイ・コラム

昔買った、40Wの手元スタンドをLEDに替えた。使わなかった理由は、すぐ熱くなって触れないからだったが、LEDに替えたら全く熱くならないので、安心して使える。その上、電気代は1/10だ。

日本の家庭に電灯が普及したのは、やはり、84年を遡る昭和初期で、1927年には普及率87%とある。1928年生まれの小学校の先生の生家は山奥で、子供の頃に家に電灯が点いた時の感動を話してくれた。

昨年来の電力不足で、省エネ対策にLEDが奨励されている。先生が電気の話をしてくれたのも、白熱電球と蛍光灯の違いの話からだった。
その当時も、やはり、省エネ対策で蛍光灯に替えることが奨励された。それから、40年以上も経つだろうか。

社会を変えるような機器も、84年ぐらいで大きく変わる。
だから、特に早いわけでは無いのだろうが、IT機器の変化はめまぐるしくて、今や「もうだまされないぞ」が口癖になった。それでも、結局は、買い換えなければ、一般生活ができない。

30年前、マイコン時代の記憶装置、フロッピードライブは、5インチ2連で30万円だった。なんと、286kbyte
今、4GのSDは500円しないが、え-っと何倍だっけ???

歌にもなったポケベルが、あっという間に消え、カセット、CD、MDまで、だんだん見かけなくなった。
古いオープンリールのテープをダビングしたくて機器を探すのだが、録音スタジオにでも行かなければ、どこにも無い。

血族を越えて
戦国時代のように、父譲りの刀で初陣するようなことはなくなった。祖母の形見の着物を仕立て直して着ようにも職人が見つからない。親と子の暮らしがつながらなくなった。それどころか、人生で出会う物が、次々とガラクタに変わっていく。

ファッションに追われて、片付けができない女子でなくとも、油断をするとガラクタの山に囲まれる。
「断捨離」などと、大層な言い方をしなくても、物に未練を持ち続けることができなくなっている。捨て方が難しいだけだ。

大量生産大量消費の時代が、反って「生きること」と物との関係を希薄にし、お釈迦さんが説いた「こだわるな」執着するなを、実現させているのかも知れない。

結婚も子供もいらない。家も車も、葬式も墓もいらない。面倒な物は何もいらない。
親にとって大切だったものが、子供にも大切とは限らない。
そんな激しく変わる時代に、人は、何に生き、どこに向かうのだろう。

ミレニアムの今、人は情報に生きている。過渡期ではあるが、人間そのものが情報化している。
原始集団の一員になる成人儀礼のような感覚は、近年の徴兵検査にも生きていたし、今日の就活もその延長だろう。

しかし今や、身近な集団に参加する時代から、形の見えないSNSやBBSなどの情報集団に参加する時代に移りつつある。
グローバル化に国家は要らない。情報がつくる集団には、古代の「しがらみ」は、すべて無意味になる。

物からの離脱は、ヒッピー文化の時代に始まったが、情報化によって、ますます深化している。ブランドに狂奔した空しさの後で、大量生産大量消費が、物の価値を失わせるとすれば、皮肉なことだ。


ゴミの山(1)

2012年02月28日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃、若い娘が部屋を片付けられなくなっている話をよく聞く。
昔のような大家族で、住まいのスペースを共有している時代は、片づけずには暮らせないから、誰でも、毎日、片づけをしていた。
年末には大掃除があり、衣替えや虫干しも「年中行事」としてあった。

しかし、行事も消え、子供の時から自分の部屋を与えられるようになって、自分さえ気にしなければ、散らかることが問題でなくなると、片づけることを知らないで育つようになってしまった。

また、この逆に、マンションなど狭い空間で育った場合にも「片づけられない」場合がある。すべて、母親の掃除で事足りていて、大人になって突然、一人暮らしした場合も、片づけ方を知らない。

こうした、生い立ちや環境、躾の問題も確かにあるだろう。しかし、これにはもっと大きな問題が関わっているような気がする。

時代が変わった半世紀
ほんの少し前の、半世紀前には、衣類にせよ食事にせよ「物は自分が作る」ものだった。
ところが、大量生産社会になって、身の回りの一切の物を、買ってくるだけになった。佐藤春夫が「苦いかしょっぱいか」と噛み締めたサンマさえ、スーパーで焼いて売っている。

近頃、夕飯時に町を歩いても、夕食のニオイがしなくなった。
もしかしたら、「三丁目の夕陽」を製作した人達も、町に様々なニオイが溢れていたことなど知らないかも知れないし、観る人も想像していないだろう。

食事はすべて家で作り、日常の衣服も、大方は自家製で、リホームなどは当たり前のことだった。娘のために縫いながら歌った、ロシア民謡の「赤いサラファン」の世界は、日本にも確実にあった。

こういう時代は、当然、物を大切にした。一つの物を作り直し、手を加えて使っていたから、家に使わない物など無かった。
ところが、大量生産大量消費の中で、作り直すより、新品を買う方が簡単になった。日々成長し、生活を変えていく若者にとっては、成長のたび、心境の変化のたびに物が増えていき、始末がつかなくなる。

食べ物にしても、仕出し品、テイクアウトはもとより、スナック菓子に到るまで、それぞれに包装や梱包材が発生し、しかもゴミを出すには厳密に仕分けしなければならない。

年寄りとの生活を知らず、使い回しの発想がなく、掃除の仕方を知らない若い人の中には、ゴミの山に埋もれていく人がいてもおかしくない。それも、安価な女物が溢れているから、何でも追加する女子の方が多くなる。

昔は生理用品も自分で作っていた。以前、タンポンを二つ入れて忘れていた人の話を聞いて、昔なら、あり得ない話ではないかと思った。


情けない

2012年02月27日 | 日記・エッセイ・コラム

また、台湾メーカーが出してきた。(ASUS_PadFone
日本メーカは何を考えているのか解らない。
もう完全にダメだ。死んでしまった。

スマホが、タブレットとノートと一体になって、空母の戦闘機のように飛び出す日本製(ガラクタ)は出ないものか、と書いて5ヶ月。発想から開発にかけるには充分すぎる時間だ。
日本メーカに呼びかけたつもりだったのだが、結局、また、海外メーカーだ。

アイデアならいくらでもあります。
日本のメーカーさん、お問い合わせ下さいませんか?

これで声をかけて来るぐらいなら、とっくにiPadぐらい出せてるか、
未だに、ウォークマンとか言ってる日本企業だもんなあ・・・

一方で、エルピーダは会社更生法申請

心底、情けない


蝎に来た

2012年02月26日 | 星の流れに

サソリ座に土星が接近し、さっそく絵に描いたような問題児が出てきた。

土星が獅子座にあった時、柳沢厚労大臣は良かれと思って言った「子供を産む機械」発言で袋叩きにあった。土星が乙女座に移ると、魚座の農水大臣が自殺農水は乙女座)。天秤座の土星では、天秤座のプーチンは人気を落とし菅総理はあの通りだ。
土星が来れば、自分が良かれと思って、やればやるほど墓穴を掘る。

土星がほとんどサソリに影響している今。天秤座の日本はようやく円高、株安から解放されかけている。
一方で、サソリ座には土星の影が覆ってきた。
サソリ座の河村名古屋市長の発言で、大騒ぎになっている。

南京事件は無かったと言ったと報道され、おそらく本人は不本意な波紋に戸惑っているだろう。
戦禍による事件と、民族浄化の大虐殺との違いを言いたかったのだろうが、政治家としてのセンスを疑う。

土星は時の星、歴史の星だ。今回の、TPOを考えない唐突な歴史問題提起など、いかにも土星が来たサソリ座だが、由紀さおりも同じ年のサソリ座。生日の前後もあるが、分野による違いが明暗を分けている。共通していることは、歴史がらみで海外で有名になった。

なお、ちなみに、サソリ座に土星が来れば、カニ座の中国には、ほくそ笑みたくなるような地味なチャンスになる。(3年間)

土星は2月7日、サソリ座に最接近の後、また逆行。4月末、天秤座の25度、6月末に22度まで帰って、改めてサソリ座に向かい、8月末に25度を越えて10月6日、完全にサソリ座に移る。
天秤座にとっては、4月末~8月末に不幸の余波が来るが、この間に木星が双児座に入るので、むしろチャンスの方が大きくなる。しかし一方、4月中旬には火星も乙女座で順行を始める。何ごとも一筋縄ではいかない。

しかし、国家間外交から、都市間外交の時代を期待している観点からすれば、今回のような「世間知らず」トラブルを見ると、やっぱり無理なのかと思ったりするが、
もし、国家が存在していなかったら、今回のように中共政府が音頭を取ることもないだろうし、そもそも戦争もなければ、反日教育もなかっただろう。本当の意味で腹を割った話もできるのではなかろうか。
やっぱり国家は、究極のトラブルメーカーだ。


長子女房

2012年02月25日 | 兄弟関係

妻は夫より年下だが長子長女、弟が一人。夫は6人姉弟、姉5人の末っ子、長男。
妻は出会った時から夫を偉いと思い、尊敬して職場結婚した。
この経緯には、「尊敬できる人と結婚したい」という、妻の元々の価値観も大きく働いていた。

つまり、彼女は、尊敬できるから好きになったと思っているが、好きだから尊敬できると思ったとは、本人は自覚していない。
何であれ、人間は自分の願望に都合の良い解釈をするものだ。

結婚後、夫の姉達は皆嫁いでいたので、二人とも退職し、夫の家業を継いで何十年。夫婦で小さな店を営んできた。両親が亡くなり、人手が足りなくなってから、アルバイトを雇うようになった。

人を使うようになってから、妻は、徐々に夫が理解できなくなってきた。それまでは、夫が上だから、言われる通りにバックアップさえしていれば何も問題が起こらなかった。
ところが、従業員に対しては、経営者として同じ立場で接さなければならない。

従業員が、仕事が覚えられないような場合に、夫は我慢強く教えようとしない。「そんなことが解らんのか」「もういい、おれがやる」と言った調子で、妻から見れば、夫の考えが理解できない。
なぜ、解らせることに心を配り、辛抱強く待てないのか?

夫を尊敬している妻からすれば、夫はよく解っていて、教える力があるはずなのに、なぜそれを行わないのかと思う。
と言うのも、夫は昔から、講釈するのが好きで、何でも教えてくれたからだ。だから尊敬するようにもなった。

その後、従業員との様々なトラブルが続き、その都度、夫に説明を求めるが、終いには「うるさい」で、何も言えなくなる。老境の今では、すっかり夫に関わらないようになってしまった。

何でだろう?何でだろう?
夫を尊敬していた妻には、訳が解らない。だからどう接して良いか分からない。
これは、自ら築いた幻想が壊れた後も、それが幻想であったと認めたくないからだ。

まず、尊敬するようになった「何でも教えてくれる」講釈は、知識の受け売りの、自慢であり、何かの質問に答えてくれていた訳ではない。
しかし、長子長女の「母の目」で見ると、どんな自慢も、『まあ、この子ったら、賢いわねえ』と感心をして見ていた。それが年上の異性だから、「可愛いわねえ」と思ったことを、「尊敬できる人」と自己解釈した。
元々、長子には、誰かに何かを教えて貰おうという気はない。

その後、使用人を雇うまでは、自分が「尊敬して従」っているつもりで、実は、「浪花恋しぐれ」のお浜のように、面倒を見ていたのだが自覚はない。
ところが、他人の使用人はお浜のように、先回りしてまで面倒を見てくれないから、「もういい」になった。
そして問題発生の時、夫を尊敬している妻は、第三者のこととなると、夫を無視してまで問題解決ができない。何とかしようと説明を求めるが、元々、自覚ができない人だから、自分の行動を上手く説明できない。(それができるくらいなら従業員に教えられる)

年上と言えども、末っ子であることを認識していれば、こんな事は無かっただろうが、この年では。これこそ後の祭りというものだ。

末っ子は名選手。長子はコーチ、長女は監督
生まれた時から親兄弟に運命を握られている末っ子は、自分の評価は他人任せだ。他人のしていることを素早く真似て実行するのは得意だが、自己分析は念頭にない。

名選手、名監督ならずと言うように、監督やコーチの才は、むしろ、天才的とは言えない長子の方が向いている。
子供の時から下の子を扱ってきた長女には、下の子を観察する癖がある。だから、二人だけなら極めて上手くいく関係だが、第三者に対する考え方や態度は真反対だ。
長女が姉さん女房なら問題が無いが、関係が逆だと、この話のようなややこしいことになりやすい。


改革の旗

2012年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

キーワードによるTV自動録画で、何が引っかかったのか、国会中継が4時間も録画されていた。
中身をチェックしようとして、数十秒見たら、吐き気がしてきてすぐ削除した。思わず「もういいよ」と吐き捨てていた。

以前は、時間があれば、作業をしながらでも観ていたが、もう、どうしようもない。茶番にもならない。
政治に関心のある人なら、ほとんどの人が業を煮やしているのではなかろうか。おそらく政治家自身もこれで良いとは思っていないだろうが、じゃあどうすれば良いのかも、思いつかないのだろう。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
彼らに言ってやりたいことは、それだけだ。
仕組みそのものを改めるしかないところまで来ているのに、その仕組みの隅を突っつくような話ばかりしている。

人間は想像を絶する事態に置かれると、何もしなくなる。あえて、それまでと同じ行動をとり続けようとする。
子供は怖い時に、布団の中にもぐり込むとなぜか安心する。何も解決していないのに、尻隠さずのままジッとしている。
問題の核心を見ようともせず、無かったことにする。

今の既成政党の政治家達は、布団を飛び出し、家さえ投げ捨てて走り出さなければならない事態を、見ようともしない。
定数80人削減などと言う、猫だましでさえもめている。

こういう子供は、もう、維新の会のような「なまはげ」に、引っ張り出して貰って、どこかに捨てて貰うしかない。
歌を忘れたカナリヤなら、忘れた歌を思い出すこともあるが、自ら改革できない政治屋は、「後ろの山に棄てる」しかない。

大人なら、そうなる前に、布団から出て、身を捨てて、「抜本的な」日本改革の旗を揚げてみてはどうか。せめて、旗だけでも・・・


かたりべ

2012年02月23日 | 日記・エッセイ・コラム

由紀さおりの予想外のヒットは、誰もが理解できないようだ。
各業界から様々な反応があるが、みな戸惑っているから面白い。
ネットでは、ヒットに興奮してベタぼめの人、いんちきステマだと言う人、ピンク・マルティーニのヒットだという人・・・

NHKでは「日本語の持つ美しさ」を理由にしているが、これも的外れだ。
クローズアップ現代で話していたアメリカ人の詩人、アーサー・ビナード氏の意見「詩情を伝える歌唱だから」が、一番近いように思う。
常に詩情と対峙している詩人ならではの慧眼だ。

では、由紀さおりの表現している「詩情」とは何だろう。
大方の人が、由紀さおりのヒット理由が解らないのは、
『これだけヒットしているのだから、由紀さおりに、ずば抜けた魅力があるのだろう』という、思い込みで考えるからだ。

はっきり言って、由紀さおりという人は、「歌が上手い」以外に何の魅力もない人だ。と、言うと語弊がある。頭と勘が良い器用なマルチタレントであることは間違いない。

もっとも、デビュー当時、江戸っ子ナンパ師の友達は、痛くお気に入りで、「おっ、出たよ、スキさおり。たまんないなあ」と、テレビに釘付けになっていた。細い目がスキそうだと、勝手にそう呼んでいたから、それなりの魅力もあるのだろう。

ただ、70年頃のポップス界は強烈な個性が満開で、その中にあっては、決して目立つ存在ではなかった。だからこそ、当時を知る人達はヒットの理由が「♪今もわからない・・・」のだろうし、当時を知らない人にとっては、「おばさんの何が?」と、これも不思議なのだろう。
だから、的外れな評ばかりになる。

「由紀さおり現象」は、占い的には「1969」「毒も薬に」で述べた通りだが、もう一つ重要なのは、生き証人の「語り部」ということだ。

「白鯨」のイシュメール
70年頃を、「音楽大樹」の夏と考えれば、当時のポップスは百花繚乱、青葉が森のように繁って、辺りを鮮やかに染めていた。
ところが、時が経ち、青葉もすべて枯れ落ちた冬には、青葉を支えた太い幹と枝だけが、大樹の姿をとどめている。

70年当時、一世を風靡していたスター達の、若い青葉の勢いはすっかり消え失せたが、当時もそこに有りながら、スターの葉陰で目立つことのなかった、幹と枝、大樹の本体だけが残った。
つまり、個性は無いが、普遍的な上手さのある歌手だけが残った。

由紀さおりの魅力とは、70年当時の息吹を、そのまま伝えることができる、生き残りの「語り部」なのでは無かろうか。
実際、当時のスターで、今も当時のような、若さの「輝き」で活躍できている人はいない。もはや懐メロでしかない。

しかし、彼女の場合、今も当時と同じように、個性に頼らず歌い、さらに、年を重ねて歌の本質を会得し、時代の魅力をそのまま再現できる。
聞く人は、由紀さおりの歌を通して、70年当時の音楽の本質に出会っているのではなかろうか。

この意味で、由紀さおりに匹敵する歌手と言えば、ちあきなおみだろう。両者とも幼児期から歌手として活動し、上手さで70年頃を過ごし、役者としても独特の存在感を発揮した。

残念ながら、ちあきは歌手活動を止めてしまったが、由紀さおりの場合は童謡で、歌を磨き続けてきたし、原点には、西洋音楽を基礎にする合唱団出身という、欧米人にとっての音楽的な普遍性もあった。

どういう世界であれ、「その時」を伝えるのは、「白鯨」のイシュメールのような生き残りであり、決して中心ではなかった存在によって語られる。


同年月日

2012年02月21日 | 占いばなし

囲碁の井山裕太天元と女流将棋の室田伊織初段が結婚するという話題があり、奇しくも同生年月日と付け加えられていた。
棋士同士の結婚が珍しいのか、同生年月日が珍しいのかよく解らないが、結構なことだ。

早速観てみると、文字通り双子座で、自動車人間ではガソリン同士。
相性では「どう友」で、二人だけでは何も始まらないので、必ず第三者が関わっているはず。
棋士としての計算も、お金の方の計算も、優れた者同士。

生年月日が同じと言うことは、良い時と悪い時の振幅が激しくなる。
かなり難しい相性だが、互いにスペシャリスト。わかり合えるところも多いだろうし、第三者に頼めば何とかなるだろう。
若い二人の幸せを祈りたいところだ。


ウソが嘘

2012年02月20日 | 日記・エッセイ・コラム

球場などで、「この中に銃を持った殺人犯が紛れ込みました」と言ったら、パニックになるだろう。
宝石店で、偽の宝石が混ざっていたことが発覚すれば、その宝石店は倒産する。
どこか、一カ所から放射能が検出されれば、その地域全体が汚染されていると思われる。

これは、本当のことが分からないからだ。
こういう時は、球場なら「犯人が捕まりました」と言えば歓声の後、静まるし、宝石店なら混ざった経緯を明らかにし、すべて再鑑定したと言えば信頼を取り戻すだろう。

しかし、放射能や病原菌は、検出されない期間が、一定程度続かなければ、誰も安心しない。
「犯人」が微細で神出鬼没で、とらえどころが無いからだ。

正体が分からなければ、不安になる。
中途半端に正体が分かれば、その存在を除去する方法が分かる反面、相手が増大する可能性も分かるから、怖れが広がる。
災害時のデマは、半端な知識を刺激して、不安が拡大するから起こる。

早く不安を取り除きたい心理と、「対処できる」と思う自信が、「犯人出てこい」と焦るから、いい加減な情報に飛びついて行動を起こす。
とにかく、早く決めつけて、早く処理してしまいたいのだ。

そもそも「犯人(対処する敵)」が、自分の手に負えるとは限らない。
戦争の原因の一つは、「一か八か」と自覚しているつもりでも、『勝つか引き分けることができるだろう』という、胆の据わらない焦りがある。本当に、胆の据わった政治家や武人なら、トコトン堪えて戦争を避ける。

真偽より実態を見る
達人になるほど、「まだまだ」と思い始める。物事を知れば知るほど、分からないことが分かってくる。
逆に、半端な知識を持つと、全てがそれで解決するように錯覚する。

世の中に起こる、ブームやパニックは、良く知らない人が、何か一つの知識を与えられると、全てそれに当てはめれば解決するような錯覚をして、行動を起こす現象だ。
セクハラやパワハラ、格差やストーカー、PTSD、一つの現象が話題になると、一斉にその問題が起こってくる。何でもそれだと思い出す。

近頃、ステマと言われる、「たぶらかし商法(ステルスマーケティング)」が盛んなため、若者の間では、何を見てもステマに見えるらしい。
どんなものも偽物、たぶらかしに見える。本物を見ても『ウラがある』と思ってしまう。

確かに、あり得ないもの、聞いたこともない「大ヒット」を、疑ってかかるのは大切なことではあるが、「どうせ・・・」と思って、しっかり見ないことは、逆の「たぶらかし」に引っかかることになる。
「自分はだまされない」と思う人ほど、ダマされるからくりだ。

ものの真偽を見極める第一歩は、まず、素直で謙虚になることだ。

うそ」、「疑心暗鬼


1969(3)

2012年02月19日 | 世相史観

天王星周期の折り返し点42年の鮮やかな転結は、リアルタイムの記憶としてふり返られるが、一周期の84年になると、生きている人はいても、記憶がつながらない。もはや完全に歴史だ。
今起こっていることの、原点を考慮した行動は取れなくなる。

原子力船むつの進水後、1974むつ放射能漏れ事故、1979スリーマイル島事故、1986チェルノブイリ事故と、何度も考え直す機会を与えられながら、国策と利権の日本丸は、進路を変えることなく、ワッセ!ワッセ!と進んできた。つまり、42年後のフクシマ事故は必然だったというわけだ。

しかし、「むつ」の進水には、そこを遡る42年前に端緒はあったのだろうか。
そこで、1927年前後には何かあったのだろうかと、年表を繰ると、
1927年、ハイゼンベルク不確定性原理(32年ノーベル物理学賞)
何と、原子力利用の種が蒔かれている。

げに、恐るべしだが、そうであるならば、スリーマイルやチェルノブイリの種は何だったのか、と考えてみる必要もあるが、これは又の機会にしたい。

天王星の84年周期が来れば、同じ問題が、別の展開をしていく。
しかし、半分の42年では、事の始まりから成長に至って、行き過ぎてしまったことへの、反省と揺り戻しのきっかけになる。

原子力利用という点では、2011年はむしろ、1927年から84年後の別の展開の時であり、フクシマは、日本の原子力政策の始まりからの折り返し地点と考えられる。(一つの事柄は、いくつもの意味を持つ)

2012年1月に科学誌ネイチャーに実験記事が掲載された。これは、日本の小澤正直の不等式が、不確定性原理の測定の限界を越えた証明と言われる。これもまた、84年後の別の展開だろう。

様々な事柄における、84年周期の因縁は、年表を繰ってみると、 「あっ」と声を上げるようなことがある。
天王星の場合は、顕著で衝撃的だが、冥王星や海王星は、年表では掴めない。人類史を俯瞰して、始めて見えてくるようなことばかりだ。

冥王星の250年周期については「大転換」で、繰り返しているが、今現在の世界の動きを見ていても、ピンと来ないし、こんな話題は、テレビネタにはならない。
しかし、歴史を知る人なら解るだろうし、政治家には是非とも考えて貰いたい視点だ。

750年の大きな時代旅行は、三つ目の駅にさしかかっている。
あと250年はどんな風景の中を走って行くのか。その上で、諸問題の処理を考えて欲しい。
250年だけを考えていればコーナーで脱線するし、目先に囚われていれば止まってしまう。こんな難しい舵取りができる人などいないだろう。

結局、歴史というものは、解っていながら、捉えがたく流れてゆく。
それが、歴史なのだろう。


1969(2)

2012年02月18日 | 世相史観

1969年に始まったことは、2011年に一つの結論が出る。これは正確に42年目と言うより、その頃のことだから、2010~2012年と考えれば良い。歴史のアラフォーだ。

1969年の事象は、どういう結論(中間報告)になったのだろう。
前回、「1969(1)」で挙げた事象の、アラフォーの姿を見てみたい。

●安田講堂事件 →秋入学(「大学解体」は国際競争の波へ)

●中ソ国境紛争、中国初の核実験 →ソ連に替わり米国のライバル

●北朝鮮米偵察機撃墜 →金正日の死

●原子力船むつ進水 →原発事故(原子力政策転換)

●月面有人着陸 →月開発競争、アメリカの宇宙開拓再参入

●宇宙開発事業団(後JAXA)発足 →はやぶさ

●沖縄返還合意 →基地、負担軽減、自衛隊強化普通の国化

●衆院選自民党圧勝(小沢一郎初当選)→既成政党の信頼失墜

●東京都公営競技廃止 →大阪都構想、カジノ案

●三洋電機創業者死去 →三洋電機消滅

●東名全線開通、夜間高速バス運行開始 →高速無料化案消滅

●マツダルーチェ発売 →低燃費エンジン自動車デミオ発売

●セブンスター発売 →禁煙の普及、煙草値上げ

●NHKFM放送 →ネット放送

●すぐやる課(松本清市長)→マツモトキヨシ最高益

天王星は爆発の星
こうして、ざっと見てみても、42年後の帰結には驚くしかない。
しかも、現在のこの現象はさらに、42年後には大団円を迎えることになるし、逆に、今から出発と考えれば、むしろピークを迎えるとも考えられる。
例えば、三洋電気の創業者の死に始まる、三洋の消滅は、むしろ新たな出発として、42年後に別の花を咲かせるとも考えられる。

天王星による未来予測の方法と同じように、他の惑星も、それぞれの特質とスパンに応じて、歴史の現象と意味を暗示する。しかし、爆発の星の天王星の現象はインパクトが有り、最も分かりやすい。


1969(1)

2012年02月17日 | 世相史観

由紀さおりの「1969」がヒットしている背景は色々あるが、1969年が音楽的にどういう年であったかも重要だ。

音楽革命の世代とタイミング
芸術や音楽は、美の金星と、感覚の海王星が影響する。
海王星が天秤座にいた時に生まれた世代には、芸術センスが与えられる。これは、約165年に一度しかない。(滞在期間を換算すれば150年)

海王星が天秤座に入ったのは1942年だが、影響圏を考慮すれば、1940年~1956年ぐらいの生まれだ。この世代は、150年に一度の「芸術、ことに音楽の才」に恵まれる。
この世代は、1960~76年に成人し、1990~2006年に50才を過ぎ、
今年、72~55歳になっている。

海王星・天秤座の世代が、その才能を爆発させたのは、集中と爆発の天王星が、美の天秤座に来た時だ。天王星は1968~74年に天秤座に来る。これは、海王星・天秤座世代の青春時代とドンピシャで重なる。

これは、ビートルズ全盛の、世界的ロック勃興の時代で、サイケデリックなど、美的価値観を変える一大潮流を生んだ。

これに刺激された日本でも、GSやフォークのグループが生まれ、後に、80年代の音楽シーンでは、彼らが陰の立役者となっていく。
今日でも、80年代に青春を迎えた人が、ビートルズは自分達の音楽だと思っているぐらい、70年前後のインパクトは大きく尾を引いた。

70年前後の「自発的な衝動」から比べれば、その後の多様な音楽シーンもビジネス展開の一環に過ぎず、音楽としては大なり小なり、余韻、余波と言っても過言ではないだろう。
コンサートシーンも、ウッドストックを頂点とする当時のコンサートスタイルから、基本的にはほとんど変わっていない。

ウッドストックの1969年は、日本でもグループサウンズやフォークソング、戦前からのプロ製作方式が混在し、若者人口の増大とも相まって、ポップスは百花繚乱のピークを迎えていた。

1969年からの厄年
1969年は、冥王星が天秤座に影響し始めている時で、そこに天王星が入った上、さらに1969年、木星が入る。しかも、牡羊座に土星がいた。

この星の配置は、昨年、天王星と木星が牡羊座に入って、土星が天秤座にいたのと、ちょうど真反対だ。

天王星84年周期の半分の42年目は折り返し地点として、その事柄が再び、現れてくる。2011年は1969年からちょうど42年目の、厄年だ。
1969年が再び見直されるのは当然のことであり、それは過去を反省し原点回帰を促している。音楽にも回帰が求められているのだろう。

ちなみに、1969年が今日に何を告げているのか、参考に挙げてみる。

安田講堂事件、中ソ国境紛争、中国初の核実験、北朝鮮米偵察機撃墜、原子力船むつ進水、月面有人着陸、宇宙開発事業団(後JAXA)発足、沖縄返還合意、衆院選自民党圧勝(小沢一郎・森喜朗初当選)

こんなことも
東京都公営競技廃止、三洋電機創業者死去、東名全線開通、夜間高速バス運行開始、マツダルーチェ発売、セブンスター発売、NHKFM放送、すぐやる課


バッタ物

2012年02月16日 | 日記・エッセイ・コラム

ほんとうに、何かにつけて思うのだが、人は自分の目を通してしか、他人を理解することができない。

中国メディアは、日本の文化産業の世界的影響を評価する形で、日本政府がバックアップしてきたからだとし、暗に、中国政府の文化輸出を奨励していた。
先頃、共産党で、文化大国を言い出したから、その指針のアピールなのだろうが、勘違いも甚だしい。

日本のアニメなどの世界進出は、作家と民間が、政府の無理解にもかかわらず営々と努力を重ねてきたもので、その結果、世界に広まった日本ブームに便乗して、政府が「いいとこ取り」を目論んでいるものだ。

その便乗風景を見て、独裁国家の中国は、日本政府の後押しがあったからだと思い、商売上手の韓国はその前に、政府ぐるみで要領よく「韓流」ビジネスを打ち出している。

日本のアニメが、結果的に、日本の宣伝をしているのは事実だが、中国や韓国のように、日本政府は民間の努力を、国家宣伝や金儲けに利用できていない。むしろ、この先、足を引っ張る可能性すらある。

花鳥風月の日本
福島原発事故の時、アメリカから持ってきたロボットは、子供の工作模型のようなものだったが、ロボット大国と自負する日本には、事故に当たるロボットが一台も無かった。これがすべてを物語っている。

日本人は、テーマを与えられると完璧に仕事をするが、それ以外は、花鳥風月の世界にいる。
アメリカのロボットは、原発事故の対応や月・火星の探査など、現実目的のために開発される。韓国のロボット開発は金儲けのためであり、中国は国威発揚だ。

日本のロボット開発は、「あそびごころ」からであり、どんなことであれ、日本人は無駄な夢のために壮大な努力をする。これは、日本人以外には理解できないことで、外国人はそこに驚き、魅せられる。

ゲームも、アニメも、漫画も、政府は抑制こそすれ、一度だって奨励したことはなかった、それぞれの作家は貧乏を堪え忍びながら、壮大な無駄に立ち向かってきた。ロボットだって政府の奨励で始まったものではない。原発ロボットが無かったのが何よりの証拠だ。

小学校に、漫画やアニメの時間はなかったし、公立の漫画図書館などどこにもなかった。遡れば、浮世絵も歌舞伎も、幕府は何かにつけて押さえる側だった。
日本の政治が、文化発展に寄与したことなど一度も無い。すべて、日本の風土と、日本人のエネルギーが生み出したものだ。

どこの国であれ、無粋な政治家が関わっても文化は発展しない。
政治のできることは、国民を自由で豊かにすることであり、豊になれば文化は自然に発展するし、規制がなければ産業としても拡大する。

日本は韓流に焦ることはない。金儲け目的の土産物がオークションで値が付くことはない。バッタ物はそれ以上には発展しない。
日本が貧乏芸術家なら、韓国は夜店の香具師、中国はテキ屋の親分だ。


ナンバー

2012年02月15日 | 日記・エッセイ・コラム

車のナンバーが気になって仕方がない。見た途端、何でもかんでも語呂合わせしてしまう。できないナンバーだと、イライラする。
時には、次々と同じナンバーに出会い、喜んだり驚いたりする。

ロッカーを選ぶ時には、なるべくラッキーナンバーを選ぼうとする。
ラッキーナンバーは、全部足して一桁にしたものが何になるかだが(例:12345=6)、  相性の良いナンバーがないとガッカリする。

昔、携帯電話ができた頃、電話局で、「もっとええナンバー出せえ」とゴネている人がいた。担当者がどんなナンバーを持ってきても気に入らない。「もっとええのは無いんかい
横で聞いていると、語呂も良いし「数」も吉なのだが、どうも、「0001」とか「7777」とかが「良いナンバー」らしいが、あいにく、そういうナンバーが無い。

途中で帰ったから、その後は知らないが、電話番号の揃い目は不便だろうにと思う。押しているうちに、何回押したか分からなくなる。
それに、下四桁が良くても全体数は避けられない。

また、同じ頃だが、固定電話のナンバーを貰いに行ったら、(その頃は基本的に選べなかった)「4864」を持ってきてくれたので、「弱虫ですか」と言ったら、「あ、ホントですね、替えましょうか」と言ってくれたが、局番とのトータル数も、良かったし、絶対忘れないから、そのまま貰った。今は使っていない。

いよいよ、国民総背番号になるそうだ。
「マイナンバー」とか名付けて、当たり良くしているから笑った。
野球の背番号だったら、実力のある人は「18」とか貰えるようだが、「マイナンバー」は問答無用で、ある日、突然、支給されるのだろう。

突然貰ったナンバーが、相性の悪い数だったら最悪だ。
「相性が悪いから」などと言っても、相手にされないことは確実で、死ぬまで付き合うしかない。それでも、語呂合わせが良ければ愛嬌で、楽しめるが、木で鼻をくくったような、どうにもならないナンバーだと、一巻の終わり。残り少ない人生も、本当にここまでだ、と思ってしまいそうだ。

「ええナンバー出せえ」の人は、どうするんだろう


世界の風

2012年02月14日 | 日記・エッセイ・コラム

橋下維新の会の「維新八策」なるものが出たが、これまでこのブログで言ってきたこととも一致している。
誰かに読んでもらったのだろうかと思うぐらいだが、日本の現状を見ていれば、誰でも至る、必然的な結論なのだろう。

ただ、心配するのは、歴史が語るように、世の中を動かす力というものは、「一筋縄では行かない」ということだ。
世の中は、多様な人、多様な歴史が綾なして動いていく。

ゆく河の流れは、岩に砕け、瀬に返り、時に止まり、時に速く、思いがけない水面に浮かびながら、すべてをのみ込んで流れてゆく。

幕末の歴史は、昨日のことのように振り返ることができるが、
黒船来航1853年~明治維新1868年までの、わずか15年間の動きは正に激動で、一寸先が読めない。主流が突然、逆流に消え、支流が本流になり、官賊がめまぐるしく替わった。
これこそが、三国志の昔から変わらぬ権力抗争の姿だ。

鳩山の「攘夷論」から、安政大地震ならぬ東日本大震災を経て、今はドジョウの大獄だろうか。今度は幕府対、雄藩の対決に流れていくようだ。先は全く読めない。

「維新八策」に、政治家や評論家は口を揃えて、憲法改正など、そんなに簡単にできるわけが無い。と言っている。
船中八策の大政奉還と、現代の憲法改正。一体どちらが、途方もないことだろうか。

憲法改正に走ることは非常に危険なことだ。
しかし、「簡単にできるわけがない」と考えて、憲法改正どころか、何も行動を起こさない政治の世界に、既に国民はウンザリしている。

「支持政党無し」が、ほぼ50%に達しているにもかかわらず、相変わらず、「政権奪取」などと寝言を言っている人々に対し、国民は「もう総替えしかない」と爆発寸前だ。  議会制民主主義が機能していないのだ。

三年前の、最後の望み「政権交代」に裏切られた国民は、このまま行けば、なんでもいいから「ぶっこわせ」を選ぶだろう。平成の「ええじゃないか」だ。

もし、天下がひっくり返るようなことがあったら。その時、誰が最後の官軍になっているかは知らないが、誰でも良い。
たった一つ重要なことは、政治は世界的視野を持った人間で行って欲しい。閉鎖的になりがちな日本の政治は、最低、一年以上の長期海外滞在の経験者によって判断される必要がある。

明治維新の成功は、海外組を尊重したことだったが、大成功の陰で後の朝鮮併合などの失策は、世界的視野に欠ける大勢があったからだ。
現代では、ネット情報などで他国を解ったようなつもりになるから、なお始末が悪い。

世界化していくこれからの世界的視野は、むしろ現地で、他国の感覚や思考法を体得した、「世界の風」を知る人でなければならない。
情報スピードに合わせた、同時理解がなければ、異文化とは正しく渡り合えないし、日本の国の立つ瀬を失うことになる。