魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

凜と日本

2024年06月11日 | 京都&ケンミン文化

またも世界遺産でグダグダが始まった。日本は軍艦島に懲りず、佐渡金山を「果敢に」願い出ている。
政治が絡む文化遺産組織などに、不様な媚びを売る卑しさは捨てるべきだ。どうしてもお墨付きがほしいなら、UNESCOやICOMOSの実態をただす努力の方が先だろう。

何度も繰り返すが、日本は自ら世界の権威づけの中核になれないのなら、潔く一切の権威付けに距離を置いて、暗黙の抗議を示すとともに、モンドコレクションと大差ない安っぽい遺産ショーとは無縁の、世界の遺産「日本」として孤高の姿を示すべきだ。
世界遺産に媚びることで、日本の価値を劣化させていることに気づかないのだろうか。
善し悪しは別にして、どう見られようと、日本は確実にスペシャルな国だ。
その特殊な国が権威に媚びを売ることで、貴重な特殊性が汚れそのものになっていく。

元々、世界遺産なるものは人類の歴史と営みの中で、結果的に偶々あったものに乗っかって権威になろうとする、ハゲタカのような欲と偽善の「魂胆」の塊だ。政治家が自らの存在理由を誇示するために、他人の業績に乗っかって国民栄誉賞などを授けて見せる、えげつないでショーだ。
世界遺産委員会なるものが何時どの様に生まれ、そして消えていくのか。大局的、客観的に考えれば、いかに儚いものか誰でも気づくはずだ。このうたかたの夢に翻弄され、刹那の時代の間でさえ、自ら価値を落とすことになる世界遺産委員会巡礼など、どう考えても愚かしい。

世界遺産として守らなければ消えてしまうと考えるのは、それこそ人間の傲慢だ。何千年の遺産なるものは残るべくして残り、消えるべくして消えた。まして、数十年や数百年の遺産など、つかのまの祭りそのものだ。消えるか残るかは土地の人間の選択であり、日本に多く残る文物も中韓では消えている。爆破されたバーミヤン大仏のように、武力の前には何の歯止めにもならなかった。

日本人が本当に歴史や自然を守ろうと思うなら、それは日本人が決めることであり、そのためにも、怪しげな世界の魑魅魍魎に惑わされず、自らの価値を理解し、凜として孤高な日本であり続けるべきだろう。
それでも、どうしても世界遺産がほしいなら、天皇制を申請する事を考えてみてはどうか。
→「日本遺産」20150708 「家元本山」20240522


里山の都

2024年04月17日 | 京都&ケンミン文化

4月14日、京都の植物園に鹿が二頭舞い込み、臨時休園になった。15日もいたのでまた休園になったがそのうち勝手に出て行ったそうだ。地下鉄北大路駅に近く、街中なのでどこから来たのかと思ったが、賀茂川の並びだから、山から賀茂川沿いに降りてきたのだろう。
山にかこまれた京都は今でも自然の中にある。大雨が降ると鴨川に山から大サンショウウオが流されてくる。何年か前には鞍馬寺に行く叡電にクマがぶつかったこともあった。
鹿と言えば、先日、京都大津を繋ぐコースの一つ比叡山の山中越え(呼称)で肝を冷やした。
暗くなった峠をバイクで下りながらカーブを曲がると、突然鹿がいた。それも二頭、10メートルほどの正面を横切るところだった。以前にも鹿に遭遇したことがあるので、用心はしていたが、前回はボーッと立っていたのに、今回は走っている。しかも一瞬、立ち止まって逆に動くそぶりを見せた。こちらが反対に切ろうとした方向に動きそうなので、ブレーキを強くにぎると、軽いスリップ状態になり、ぶつかるのを覚悟で立て直した。鹿が再び前に走り出したので、かろうじてすれ違うと、鹿の臭いがした。この間、0.5秒以下だろう。フ、ファーッ!!! 声の出ない悲鳴を上げた。
昼間でも、ウサギが道の真ん中をのんびり、ピョンピョンと言うより、ペッタンペッタン歩いていた。鹿やサルは景色の一つだ。

大谷大学南の賀茂川から続く紫明通りの分離帯には、近年、小さな公園が造られた。偶々通りがかったので覗いてみると、人工の川の岸辺に備え付けたようにつがいの鴨がジッと佇んでいる。賀茂川に近いのだから鴨がいて不思議ではないのだが、わざわざ人工の川でデートしているのが、微笑ましくもいじらしく、疎水の水が流れるこの人工川にも、既に何か食べ物があるのだろうかと感心もした。


真夏の祭

2023年07月17日 | 京都&ケンミン文化

今日は祇園祭。昔から、うだるような暑さの祇園祭と言われるが、それでも昔は32、3度だった。今日は37度、恒例の通り雨もない。もはや、命がけの祇園祭だ。
昨日は宵山に出かける女の子達の浴衣が電車に溢れていた。近頃の自由な着こなしの着物ブームはそれなりに楽しいが、さすが、京都の浴衣は伝統的でシックな柄いきが多く、キッチリ帯を締めて清々しい。レンタル浴衣とは別物だ。
半世紀前の宵山には、申し合わせたように帯の後ろに内輪を挿した浴衣のカップルがいた。
観光客で人出は増えたが、若い浴衣姿は減った。もっとも、祭りの浴衣はせいぜい2、3百年だろうから、千年の古都がこだわることでもない。

襟もとにいにしえ薫るコンチキチン


大和残照

2022年07月20日 | 京都&ケンミン文化

3年ぶりの祇園祭の山鉾巡行で、京の街に華やぎが帰ってきた。
この季節は気候が不順で、祇園祭と言えば雨を思い出す。今年も降ったが、幸い山鉾巡行は晴れていた。気まぐれな雨もこの祭りの彩りなのかも知れない。

京都三大祭りの中でも、真夏の祇園祭は町衆文化の象徴として、京都の顔のような存在だが、その鏡となった葵祭は、王朝文化が醸す気品なのか、やや地味な感がある。
古の息吹を映し出すこの祭りも、今では町衆によって支えられている。
しかし、千年の古都の祭りと言えばやはり、山城国一宮・賀茂神社の葵祭だろう。都を都たらしめた王朝時代の魂の祭りだ。

賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代に徳川幕府によって再興されて以来で、人も牛馬も、行事関連の全てを葵の葉で飾るようになった。賀茂神社の双葉葵の神紋や、松平との関わりと言われている。
双葉葵であれ三つ葉葵であれ、植物を頭に飾ることは、自然の力、神の力を身につけることを意味する。古代オリンピックのオリーブの冠は、黄金の冠より意味があった。

野辺の花を手折り髪に挿すのは、初めて草花に触れたこども心と同じであり、原始のピュアな感情とそこから生まれる自然への信仰がある。
江戸時代に葵の葉で飾ったのは古式を再現したまでで、賀茂神社だから葵だが、何よりも、草木を頭に飾り神と一体になることに意味があった。

ヤマトタケルが力尽きて、大和を懐かしみ、最後に詠んだ歌の一つに
「命の 全けむ人は たたみこも 平群の山の 熊白梼が葉を 髻華に挿せ その子」
(わたしはもう帰れないが、生きて帰れた人は、大和の平群の山の樫の葉を髪に挿して命を謳歌してくれ 頼むぞ)
・・・の歌がある。
ヤマトタケルの薄れゆく意識の中に、命輝く祭りの姿が去来していたのではなかろうか。
草木を飾り用いる祭儀は多いが、葵祭の双葉葵には、萬葉の心、日本人の思いがまぶしく輝いている。


破綻再生

2022年05月14日 | 京都&ケンミン文化

イーロン・マスクが、「このまま人口減少すれば、日本は消えてしまう」と、心配してくれたそうで、有り難いことだが、自分のロボット事業の宣伝らしい。
ともあれ、心配ご無用!
日本の人口は明治まで一万年間、4000万人を超えたことはなく、現在の方が異常なのだ。食料事情から考えても、現在の半分になれば、自然増加に転ずるだろう。
そもそもマスクが着目した死亡率は、現在、ベビーブーマーの高齢化社会だから当然だ。今後もっと上昇する。

日本の将来の適正人口がどれくらいか分からないが、多くても、明治以前の倍8000万人ぐらいだろう。独仏英も7000万前後だから、それぐらいで十分だ。
生産工場としての労働力は既に中国に譲っており、人口に頼る世界の工場から、学芸立国による知的国家に生まれ変わるべきだ。

日本の縮図
日本の縮図と言えば京都だろう。京都は伝統の街と思われているが、大学の街であり、ハイテクの街でもある。伝統は芸能娯楽のみならず、学術技術の方がより深い。
つまり、日本全体が世界の中の京都化することで、人口と関係なく存在価値を高めることができるはずだ。
しかし問題は現在、京都は財政破綻寸前だ。これも日本の財政と同じで、既得権者が強いために何をするにも時間がかかり、抜本対策が打てないままジリ貧の極に達している。お体裁に囚われ「斜陽」の世界に埋没している。京都はこれも伝統的に、連鎖倒産が多い。

面白いことに、京都では共産党や自民党が強く、維新が毛嫌いされている。歴史の長い自共は政治手法に格式があるが、合理主義一辺倒の維新には雅さがない。維新は木曽義仲のように品性が嫌われているようだ。そして日本全体でも、やはり維新が伸び悩むのは、同じ理由だ。目的より形式に囚われる日本は、なりふり構わず出直せない。
世界一の借金大国日本は、このままでは終戦から84年目に、やはり、破綻するのだろうか。まあ、一から出直すのも良いことかもしれない。そうでなければ、どんなことをしても既得権者を自らの手で駆逐できないのだから。

日本再生の絶対的な特効薬は、「新しい資本主義」や人口回復より、規制撤廃だ。


言葉拾い

2022年04月26日 | 京都&ケンミン文化

京言葉と言えば「どす」が浮かぶかも知れないが、今、日常で聞くことは、まず無い。滋賀県の農村の年寄りが話しているのを近年、TVで聞いたことがある。この場合、「どす」ではなく、「どふ」に近かった。
半世紀前に、京都市内のお婆さんが、近所に孫を迎えに行き「おやかまっさんどふ」と挨拶していた。この「お騒がせしました」も、「どふ」だった。
発音は時とともに変化していくそうだから。「どす」の原型はやはり「どふ」で、それも近江が発祥だったのかも知れない。あるいは逆に、京言葉が残ったのかも知れない。
大阪弁の「だす」も、今では漫才のギャグぐらいだが、いずれも、現代では「です」に統一されている。近頃は「す」だけで、「そうすか」などと言うが、これも無くなり、丁寧語は消えることになりそうだ。

「むっくり」
近頃、有名な京言葉と言えば「はんなり」だが、こうした形容詞の一つに、「むっくり」がある。しかし、この言葉は解りそうでよく解らない。
単純に聞けば「太っている」ことだろうと思うが、実際に聞いたのは、ほめ言葉としてだった。
「むっくり」は、「もっこり」を連想し、「むくつけき」のように否定的な印象は無いが、「M」音が男性音なので、存在感を表す言葉なのだろう。おっとり上品な感じも含んでいる。
「おたくの坊ちゃん、むっくりとええ感じで、ようモテはるやろ」みたいな使い方をする。とくに太っているわけではないが、赤ちゃんのふっくらした魅力をいうのかもしれない。現代の男優には見られないが、往年の高島忠夫などが思い浮かぶ。

「むっくり」は、欧米風のハンサムが入ってくる以前の、日本的男前の一つかもしれない。
男の和服は帯を下に落として、腹をおし出し気味にするのがカッコ良いとされる。
どうも、昔の日本では、太っているのはステータスで、お金持ちとしてモテたようだ。

世界でも日本人は痩せていることで知られ、スシ・和食ブームも健康食のイメージが寄与した。飽食の現代でも「日本人は痩せている」のだから、昔は太っている人は特殊な人で目立ったはずだ。
「源氏物語絵巻」の光源氏も、高松塚の美女も、あきれるほど太っている。
七福神もモッコリ腹だ。中国人の健康指南の大先生と称する人がアメリカ人に健康法を指南していると、白人女性に「健康そうには見えないけど!」と突っ込まれていた。その先生は相撲取りのように太っていた。また、相撲の英国遠征を見たイギリス女性は「ちっともセクシーじゃない!」と顔をしかめていた。
太っているのが良いとされるのは、ギリシャ文明から遠い極東のパワー信仰かも知れない。ジンギスカンや、フビライに憧れてか、北朝鮮の金一族は太り過ぎで健康まで壊し、超人のイメージのために命までかけている。中国共産党の独裁的リーダーは、毛沢東、江沢民、習近平といずれも太っている。

極東のデブ信仰は、日本にも伝搬したものの、極寒の大陸と違い、温帯の日本は太って暮らすには暑すぎる。平安時代もそうとう暑かったようで、宮廷など壁の無い家が主流で、冬はかえって寒く、十二単はその結果だ。常時寒ければむしろ分厚い服になっただろう。
太ることが苦痛となる日本でも、王朝文化の関西では、やはり魅力の一つとして「ふくよか」が残ったのではなかろうか。
関西人のイメージは、関東人に比べれば明らかに「太い」

「もうし」
もう一つ、面白い京言葉に、「もうし」がある。
これは、子供にシッカロールを塗るような時に、「四つんばいになりなさい」と言う意味だが、「もう」は「モー」と鳴く牛のことで、「モーしなさい」=「牛さんになりなさい」ということだ。
都では牛車が街を行き交っていたでもあろうし、周辺は農地に囲まれているので、どこでも牛を見かけただろう。象もライオンも見たことがないのだから、牛は迫力だった。馬は動き回るので、子供を大人しくさせるには向かない。


有り難う

2022年03月27日 | 京都&ケンミン文化

大阪で、「オンデマンドバス」がエリアを拡大する。これも15年前に書いたことの実現だが、誰かに読んで貰ったのか、未来予測だったのか、とにかく、
前後二人乗り超小型車など、提案したことが、次々と実現していくのは嬉しい。
昨年から試験的に走り始めた「オンデマンドバス」は、一回300円均一で小型と、書いた通りのことが実現している。
何であれ、「ありがとう!」

詳しい仕組みは知らないが、一つ気になるのは、
スマホを自在に使えない年寄りでも、ワンタッチで常用コースを設定できるようになっているのだろうか。できれば、専用発信器があれば良いかもしれない。
高齢パスの値上げをする京都だが、大阪を見習うべきだろう。無料で乗れても乗りたいものが無ければ意味がない。「オンデマンドバス」は利用者に便利で、利益も確実に上げられる。早く全国に広まって欲しい。
バスシステム」20071002


ザ・京都

2021年08月30日 | 京都&ケンミン文化

先日、西陣の狭い道を自転車で走りながら、リュックからスマホを出そうと道に面した家の格子際に止めた。格子下の側溝沿いの敷石が10㎝ほど高く、またがったまま足を乗せると安定するからだったが、リュックを外そうとしていると、目の前の玄関ドアが少し開き、中から大型犬が口を突き出して、猛烈な勢いで吠え始めた。
状況と意味は解ったので、すぐその場を移動した。その間、30秒も経っていない。

京都に何十年も暮らし、京都人の良さも理解しているつもりで、折に触れ、京都人は意地悪ではありませんよと喧伝に務めているのだが、こういう時には、『ああ、これじゃあしょうがないなあ』と、情けなくなる。
近頃は、祇園でも、一見さんお断りとは言っていられなくなったそうだが、その心は広く京都に根付いているようだ。

千年の都、京都は利権の中央だ。ここから公家や社寺が全国の領地を支配し、領地と権利でせめぎ合ってきた。そういう土地柄は庶民に至るまで浸透し、土地に対する権利意識が強い。
土地に対する所有意識は特に京都でなくても強いが、地方豪族や武士集団が自らの血肉として一所懸命に守るのとは色合いが異なる。お上から与えられた土地、継承によって得られた土地に対する権利意識は、自分自身の「物」である前に、自分に与えられた「権利」そのものを所有物と考えている。

自分の物であれば、多少汚されても自分の裁量で寛容になれるが、形のない権利は主張しなければ消えてしまうし、賜った物を汚されることは、自分が勝手に容認するわけにはいかない。権利を守るのは使命だ。
京都で遭遇する私有地の権利主張は、誰も表だっては口にしないがしぶとく、ただの所有欲以上の敏感さを感じる。京都に来て初めて感じた自慢話は、「借家がある」と言う会話で、これがステータスを表す。
自分に権利のある土地を守るためには、何でも許される感覚があり、文句があるなら出るとこに出てもらえば良いと言うことだろう。
実際、権利に「お互い様」は無い。狭い曲がり角に置く「いけず石」や、「駒寄せ(除け)」など、いちいち自分の口で、「ここに入るな」とは言わないが、掃き清めた門前とともに、暗黙の威嚇になっている。

京都人は争うことを好まない。しかし、権利と秩序を守る「使命感」は強い。この矛盾を解決しようとする多様な手段が、「意地悪」になってしまう。
力によらないで秩序を保つためには、流儀を知らずに「なんでやねん!」と言い出しそうな、心得ない「一見さん」は初めから避けたい。

窓の格子に人影が見えた瞬間、『うちの前で何やろ!』と、恐怖心と権利意識が働き、かといって、何者か解らないし、自分が出て角を立てたくない。そっとドアを押して、この日のために飼ってある犬を覗かせて、一見さんお断り。
用意周到なのが京都人だ。

ただ、こんな家の人でも、知り合いなら極めて好意的で、全く違う顔を見せる。犬なら知り合いと他人をよく心得ているから、先ず犬に様子を見させたというわけだ。
そもそも知り合いは、自ら先に声をかけ、驚かせないようにする。
大阪人が京都人を嫌うのは、いきなり入りこんでくる大阪人に、小心な京都人が繰り出す様々なバリアを、「得体が知れない、腹黒い」と思ってしまうことが大きいのだろう。


凄い凄い

2020年03月20日 | 京都&ケンミン文化

19日、政府の専門家会議の提言が出た。
強い警戒を訴えながらも、「とりあえず、持ちこたえている」と評価した。
安倍政権は、防疫失敗の巻き返しを国民に丸投げしたが、かなり成功している。
これは日本人の手柄だ。
安倍総理が、「水際、水際」と言っていた時には、とっくにコロナは上陸していた。
政府の取った作戦は、日本人の民度に賭けたものだったが、これが当たった!
このまま、新型コロナを季節風邪にしてしまえば、おそらく、世界で唯一、パニックを逃れた国になるだろう。何れ、世界で当たり前の風邪の一つになるだろうが、ここまで冷静に受け入れることができるのは、日本だけだ。

いつも言うように、世界から見た日本の印象は、日本全国から見た京都のようなものだ。
京都は遠くからは夢の対象だが、近くの大阪からは妬まれる。日本は欧米からは夢のジパングだが、中韓からは妬まれる。
京女が芯の強いことで知られるように、母系社会の日本人は辛抱強く簡単には動揺しない。外国人は日本人と比べれば、想像以上に興奮性だ。しかも、日本社会は総体的に教養レベルが高く、多元的な見方ができるので、簡単には思い込まない(あくまで傾向比較だが)。

中国のように、国民を家畜にしなくても、日本人は静かに伝えるだけで理解する。そして、マスクだけではない、日本中至る所で一人一人が熱心に、手洗いうがいをする。誰も大騒ぎをしない。
その結果が、今の日本の状況だ。
世界の人は、おそらく、この状況を信じられない。理解できないからだ。
そして、やがて事実を認めるようになれば、日本人のありようは、世界の手本として認められることになるだろう。
ガンバレ、ニッポン!


京都の人

2019年10月21日 | 京都&ケンミン文化

京都の人は意地が悪いと言われているが、これは、大阪を中心とする京都周辺の近畿の人が吹聴していることだ。
京都人もこれを気にして、「京都人は・・・」と聞いただけで、「(ハイ、ハイ)そうですねえ、京都のぶぶ漬け言いまして・・・」と、言われる前に自分から話して、その話題をスルーしようとする。

京都人ではないが、京都に半世紀暮らして、わかることがある。京都人は言われるような意地悪ではない。その上、やはり、千年の都の都会人だ。
大阪は人口や経済から言えば大都会だが、歴史的にも文化的にも、京都との関係は都心と周辺都市の関係になる。
現在の東京都心と周辺都市のようなもので、生活サイクルも価値観も違う。ことに、昔は交通圏も狭く、東京圏のように通勤するような空間ではなかったから、より文化の差が際立っていた。

大阪から見ると、京は現在の東京ぐらいの感覚で、良く解るような気のするライバルで、実はさっぱり理解できない人々だったのだろう。
京都人からすれば、昔から大阪人の吹聴する、京都腹黒説は、韓国の日本腹黒説と同じで、もう勝手に言ってくれの、日本人の諦めに近い。

近頃は、中国人観光客が激増し、日本人から見ると、戸惑うばかりだが、中国では、日本のことをべた褒めする話が多い。これは、東京発信のTV、雑誌で、やたら京都を持ち上げるのと同じだ。観光客というものは、せっかく行くのだから、観光地に特別な夢や伝説を求めている。しかし観光地は、そこに住む人にとっては日常だ。
ところが、そんな夢の地でも、実際に関わりが深くなると、夢の反動として、自分の勝手な思いが裏切られたと、かえって怒りを生む。

日本との関わりが深い韓国が日本に対して、異常なまでに敵意を持つのは、日本が良いこと「だけ」をしてくれなかったからであり、今でも日本から利益を上げながら、日本から搾り取られていると思い込んでいる。
近場で関わりが深いと、良いことも悪いこともあるのは当然で、自分の思いと違えば、相手に与えたストレスや損害を顧みず、相手の欠点だけを非難する。
これが、大阪人の京都腹黒説の本質だろう。韓国人が日本を非難している内容と、大阪人が京都人を非難している内容は、とてもよく似ている。

京のお茶漬け
京都人の腹黒を象徴する話として、帰ろうとすると、
「まあそんなことを言わんと、ぶぶ漬けでもどうどす」と言われて、せっかく勧めてくれるのだから、急いでいたけど食べて帰ったら、後で、礼儀を知らん人やと陰口をたたかれた・・・が有名で、落語まである。
これは、礼儀作法のルールを心得た都会と、そうでない人とのギャップで、単純に、絶対、食べてはいけないというわけではない。
基本のルールは、相手に迷惑をかけない、気遣いをするということだ。
人に迷惑をかけないのが、日本の都会ルールだが、中国では互いに迷惑を掛け合うのが親しさの尺度だ。日本でも一昔前の田舎では大体これだった。
おそらく昔の大阪人も、親しくしてくれたと、お茶漬けを喜んで食べたのだろう。

中国人が日本人に嫌われる、無神経や図々しさは、外から来た人が誰でも、知らずに「やってしまう」ことだ。これは文化の違いで仕方ないことなのだが、日本人が自分の文化を基準にして、「中国人は」と、陰口をたたく。
大阪人と京都人の溝は、昔、この様にして始まったのだろう。
江戸っ子の原点は、家康による大阪人の移住によると言われている。言葉は違うが、非常によく似た素直さがある。また、大阪は中国ともよく似ていると中国人は言う。大阪弁は遠くで聞いていると中国語に似た抑揚がある。ちなみに、東北から関東の抑揚は朝鮮語やモンゴル語に近い。

京都は関西弁ではあるが、京都の公家文化はモンゴル系の家父長文化であり、部族的な閉鎖性がある。内輪は大切にするが、族外を受け入れない。しかし、大阪は海を通じてどこからでも人が集まり、組織秩序にはあまり関心が無い。
こうしたことも、大阪と京都の軋轢を生んだのだろう。これも、大陸と日本の軋轢、葛藤と同じ構図だ。

大陸から日本に来て溶け込もうとするなら、郷に従う、つまり、土地の人、土地の価値観、やり方を尊重することから始まる。華僑を文化とする中国人は、その原理をよく心得ているが、韓国人はほぼ自分の目線でしか状況を見ない。過剰な期待や利害対象の駆け引きが先行する。
したがって、中国人は時間をかけるほど大きなトラブルは起こらないが、韓国人とは時間をかけるほど軋轢を生む。

京都と他地域の関係はこれに似ている。大阪人は自分たちの価値観を曲げることを考えていないから、京都に溶け込めない。東京人は他人に迷惑をかけない都会ルールがあるし、京都を異文化として尊重するから入り込めるが、最後まで住人として同じ目線には立てない。
これに比べ、地方出身者はかなり京都に溶け込める。東京が地方出身者で成り立っているように、京都も、歴史的に地方出身者を受け入れて息づいてきた。
地方から首都に出る者は、そこに溶け込むつもりで生活を始める。首都文化に対抗するものを持ち出さない。しかし、自分の出身地が一つの秩序原則を持っている土地から来た者は、その土地のルールを認めない。日本に対する中韓であり、京都に対する東京大阪だ。中国と東京には中心意識のゆとりがあるが、大阪と韓国には中心ではないコンプレックスがある。京都を嫌う大阪は、明治以降は東京を目の敵にし始めた。

ところで、京都で「お茶漬けでもどうです」と言われて、震え上がる必要はない。
大切なことは、お茶漬けより、その場の状況をよく判断することだろう。
時間は?場所は?それまでの経緯は?相手はこれから何をするのか?・・・そういうことをよくよく考えてみれば解る。京都人はたがいの尊重、気遣いを愉しんでいる。


さんまが

2018年05月03日 | 京都&ケンミン文化

かおさす」を、京都弁として書いたばかりの先日、さんま御殿で、さんまがこれを使った。奈良は、京都以上に古い土地だから解るが、当然のことながら、大阪にも残っているかも知れないし、一度消えたとしても改めて、都言葉として入っているかも知れない。
たまたま、奈良、大阪の人から聞いた事がなかったので、京言葉と信じ込んでいた。書く前に確かめるべきだったが、不明を恥じるほかない。顔さすわ
それにしても、書いた直後に、全国放送で聞けるとは。

この時の、さんま御殿では、流行り言葉のジェネレーションギャップも話題になった。流行語と若者言葉は異なる。若ぶって何でも若者に媚びると変な事になる。
若者言葉はグループ内の隠語のように、目まぐるしく変化する実験場だ。安定社会を支える世代は、理解する必要も使う必要もない。若者が、社会に大きなインパクトを与えれば、言葉は自ずと広がり、世代を超えた共通語になる。使うのはそれからでいい。
逆に、この放送の中で、美空ひばりファンのデヴィ夫人は、出川が他の人を「お嬢」と呼ぶ事に抗議していたが、これも逆の意味での世代によるグループ排斥だ。同じ言葉が違うものを意味するのは、どこでも起こる言葉の基本であり、それを察し合うのが相互理解の楽しさとなる。


かおさす

2018年03月12日 | 京都&ケンミン文化

言葉は学校で覚えるものではない。状況から体得していくものだ。
近代以降は学校で言葉を整理され、国全体で、共通の認識をするようになったものの、文明以前の言葉の原点は、親子や家族の、身近な仲間でコミュニケーションが取れれば良かった。始めに事柄の共通認識があり、言葉はそれを補足するものだったのだろう。
大きな集団社会で生きる現代人も、基本は同じだ。学校を離れれば、言葉を覚え始めた子供と同じで、初めて聞く言葉は、状況から理解し体得している。一々、辞書を引く人は少ない。
NHKなどで言葉の調査をすると、本来の意味と違う認識で使われてる例がどんどん増えている。言葉はそうして変わっていく。

京都弁では、恥ずかしいことを「顔がさす」と言う。これは初めて聞いた時、その場の状況から、そのまま意味が解った。
その時は、多分、光が差して顔が明るみにさらされるように、人目に立って恥ずかしい意味だろうと思い、その後、深く考えないまま過ごし、普通に「お顔がさしますなあ」と聞き流していた。「お顔のささないホテル」の広告に、なおさらそう思った。

ある時、突然、ハタと気がついた。「違うがな!自分がさすんだ!」と、膝を打った。
「さす」と言う言葉自体、「刺す」や「指す」、「射す」だと思っていたが、「点す」に類似するニュアンスだ。
「紅をさす」と言えば、指や筆で、唇や頬に差し込むように塗ることだと思い、「陽がさす」とは、一条の光が差し込むように、方向性を持った光が入り込んでくることだとイメージしていた。
そうではない。光や紅が「さす」とは、一様に広がることだ。
「あかねさすむらさきのゆきしめのゆき・・・」の「あかねさす」も「紫」の枕詞であり、茜で染めたような紫をイメージさせる言葉なのだろう。「さす」は染めるだ。

古来の言葉が残る京都弁ならではの「顔さす」が、「顔射す」ではなく「顔点す」であり、顔が染まる=紅くなる・・・であることに、40年経って、初めて気がついた。
本当に、「おかおがさします」
でも、長生きはするものだ。死ぬ前に間に合った。


独裁序曲

2017年09月09日 | 京都&ケンミン文化

近頃、芸人が、「こわい、こわい、こわい」を、流行らせているようだ。
極めて不愉快であり、極めて不安になる。

京都人の意地の悪さと賢さを象徴するような言葉に、「おー、こわ」がある。
これは、あからさまに非難できない相手に対し、怖がってみせることで、周囲の人を拒否の共感に引き込み、相手を孤立化させて、排除しようとする言葉だ。衆を頼んで、出る杭を打ち、鳴くキジを締め上げる、無手勝流の反撃だ。
これが、汚いのか賢いのか、立場や見方で別れるが、少なくとも、事に立ち向かおうとする意思がある。

しかし、今流行っている、「こわい、こわい」は、ただ怖がるだけの言葉だ。
使われる場面を見ていると、ある現象の「背景」を怖がっている。
誰かの言葉の裏にある、ワナや強迫を恐れ、目の前の事象がもたらす後の災難を恐れる言葉だ。しかも、それには何の根拠も確認も無く、ただ、印象だけで恐れている。
一見、京言葉の「おー、こわ」と、似たような使われ方だが、「おー、こわ」は、少しも怖がっていないからこそ、相手をバカにして出る言葉だが、「こわい、こわい」は、ひたすら、怖さの共感を求める言葉であり、「おー、こわ」とは真逆だ。
いわば、「おー、こわ」と言って反撃する京都人を、「こわい、こわい」と恐れる、反撃の反撃のような言葉とも言えなくもない。

しかし、「おー、こわ」が、相手を見極めて反撃するのに対し、「こわい、こわい」は、恐怖の背景を確かめもせずに怖がる、盲動扇動だ。
確認もせず怖がるのは、感情論の習慣化であり、喜怒哀楽が支配する愚民社会を招く。
南京「30万人」大虐殺や、慰安婦「略奪」説を信じる人達は、自分で確かめることなく、「伝聞」、「風聞」、学校、創作映画や創作像を、事実と信じ込んでいる。
実物を見たことが無くても、ドラゴンや麒麟の絵を信じる人達を、今の日本人は到底理解できないが、それは、日本の思考教育のたまものであって、少し前まで、日本人も「地獄絵図」を素直に怖がっていた。

極端から極端へ
戦後、一億総懺悔のムードの中で育った、現在の高齢者は、日本の非道を陰に日向に聞かされて育ち、子供だから当然、その事実を自ら確かめること無く、日本は悪いと思ってきた。その反動で、近年は、日本は悪くなかったという話が蔓延している。
どちらも、まことしやかな「お話」だ。
真実というものは、誰にもわからない。現場にいた人さえ、正しく事実を把握できないことは昔から、「灯台もと暗し」「目明き千人目暗千人」と、看破されている。
ただ、同時に留意すべきは、「火のない所に煙は立たぬ」と言うことだ。

知ったこと、聞かされたことで、いきなり、感情を動かされたり、言動を起こしたりすべきではない。この点、現代の日本人は、相当、醒めている。
「こわい、こわい」は、その日本人の思慮深い見識を、たちまち腐らせてしまう毒薬だ。こんな言葉や、こんな感覚が蔓延すれば、何事も、冷静に見極める前に、感情的な反応が社会を引き回すようになる。

何事も怖がる理由など無い。世の中は始めから、勝てないもの太刀打ちできないものだらけだ。
しかし、正体を知れば対策は考えることができる。どうにもならないなら、覚悟を決めることができる。自ら対処する意思さえあれば、怖がることなど無いはずだ。
闇雲に怖がる態度は、考えることを止め、自分を捨てることだ。つまり、自由と人権を自ら放棄することであり、こんな人が溢れることで、恐怖の独裁国家が始まる。


五分咲き

2017年04月05日 | 京都&ケンミン文化

4日は、京都の上空をヘリコプターが飛び交っていた。京都は日頃からヘリコプターが飛び回っている。訪日賓客や遺跡・名所など、ひっきりなしに取材ネタがあるので、京都市民はほとんど麻痺しているだろうが、やっぱり、うるさい。
これだけ飛ばなければならないのなら、静かな飛行船にして欲しい。そうでなければ、これからはドローンで取材すべきだ。

京都市民は、ヘリコプターがうるさいと、「今日は、誰が来てはるんや?」と、話し合う。
しかし、4日は、「桜写しに来てるんなやな、まだ咲いてへんで」と、言う人が多かった。
本当に今年の桜は遅い。
5日。例年なら、もう花吹雪が舞っていてもおかしくないのに、希に日当たりの良いところに、八分咲きが一本ある程度で、天気続きなのに、ほとんどが二、三分で、寒々しい。
何だか、観光客に申し訳ないような気がする。
早咲きのしだれ桜が咲いている寺などには、観光客が押しかけているが、ソメイヨシノはまだ眠っている。

十年ぐらい前にも、ずいぶん遅れたことがあって、その時は、遅咲きも早咲きも、小手毬も菜ノ花もまとまって咲いたから、京都中が都踊りの舞台のように花盛りになった。
今年もそうなるのかも知れないが、外国人観光客には喜ばれても、「満開」は日本人には、何とも味気ない。



P.S.
6日、今にも降りそうな雲の下ながら、京の桜も、ほぼ満開になった。明日は雨だろう
世の中にたえて桜のなかりせば・・・かな


カーテン

2016年08月28日 | 京都&ケンミン文化

近年、古都観光の仕掛け「きもので街歩き」が、大人気で、日本人外国人を問わず観光客が楽しそうに、街をレンタル着物で歩いている。
しかし、和服の街、京都の人々は顔をしかめている。和服振興を呼びかけている京都の人がなぜと言うことになるが、トラディショナルな和服を知る人々にとっては、全くの常識外れだからだ。

およそ、和服の雅やシックの概念から外れた、柄行きと、着こなしで、和服のイメージを壊していると感じている。
日本の伝統衣装の和服だが、高度成長期を境に、この半世紀ほどの間に、徐々に着る人がいなくなり、和服産業は、ほぼ壊滅状態にまでなった。和服産業は裾野の広い産業で、一度途絶えると、復活は難しい。

日本人が和服で暮らしていた時代は、当たり前の事ながら、誰でも自分で着ていた。ところが、洋服で育った人が増えるにしたがい、和服の種類、TPO、小物の使い分けに至るまで、知る人がいなくなっていった。
着物を売ることは、一つの文化教室のような仕事となり、取り合わせから着付けまで、すべて呉服屋の仕事に変わっていき、ますます、日本人の生活から、和服が遠ざかっていった。高度成長期の着物バブルで値段のつり上がった着物は、バブル崩壊の1990年代にほぼ壊滅した。

なお、きもの、着物、和服、呉服は、同じものだが、呼び方を変えたのは、着物は広くは洋服も含む「用途」を表すが、和服は褌からはっぴまで含む日本の伝統衣類だ。現代人が通常意識する和服は、呉服屋で売っているおしゃれ着であり、これを敢えて「きもの」と呼ぶことにした。しかし、ひらがなで書くと読みにくいので着物と書いている。呉服屋で売っているおしゃれ「きもの」は、呉服でもある。本来、呉服は中国の呉から伝わった、絹織物のことを指していたと思われる。したがって、呉服は、厳密には着物になる前の生地、反物で、それを売るのが呉服屋だ。

ニューウェーブ
21世紀になり、高度成長からバブル崩壊と、熱気から覚めた日本では、伝統への回帰志向が強くなり、若者を中心に伝統衣装に目が向けられたが、価格的に手が届いたのは浴衣だった。この結果、浴衣が和服として広まり、文字通りのホームウエアが外出着として着られるようになった。いわば、街にジャージやパジャマが広がったようなものだ。

そうして、「きもの」としての浴衣が広まるにつれ、浴衣の自由な柄行きと洋服に慣れた現代の若者センスが融合し、浴衣といえども、派手な色合いや自由な帯使い、洋物との取り合わせによって、徐々に、新しい着物文化が芽生え始めた。古い形にとらわれない着物文化は、着物の歴史の中で幾度も大きな波を経験しているから、これはこれで素晴らしい伝統文化の創造だと思う。問題は、今流行の、きもの観光だ。

レンタル着物屋で着せてもらって街を歩く若者や、外国人は、伝統的な着物がどんなものであるかは、全く知らない。しかし、彼らが求めているのは、日本の伝統文化の体験であり、伝統文化の創造ではない。
観光客は、伝統の何たるかを知らないから、レンタル屋の勧めるままに着るのだろうが、その着物は、およそ伝統文化から逸脱している。
伝統産業としての着物は、生地も染色も自然素材だから、どぎつい色になりにくく、江戸時代の贅沢禁止令の影響もあって、全体的に、渋さが基調になる。

ところが、大正期のバブルと大正ロマンの開花で、着物もファッションが多様化したのか、銘仙のように安価な薄絹で、斬新なデザインとリバーシブルで、色柄を楽しむ時代があった。その後、戦争でファッションを諦めた世代の、和服への憧れから、高度成長期に入ると、一気に着物ブームが起こり、それも伝統的で高価な着物バブルとなった。
現在の着物の常識は、この着物バブルの頃の伝統的な江戸様式になっている。

チンドン屋でも着ない
その伝統的常識で見れば、観光客が着せられているレンタル着物は、異様な代物だ。派手な色合いばかりで、そのカラフルさは、銘仙の斬新なデザインとも違い、和服の自然な色合いが無く、まるで、カーテン地を着て歩いているようだ。
何であんな物を着ているのか理解に苦しむが、聞くところによると、やはり、あの手の生地で、大量に仕立てさせた業者がいたそうだ。

おそらくは、若者の浴衣感覚と、外国人の色センスから、レンタル屋で人気するのが派手な物ばかりであることに目を付けたレンタル業者が、「それなら」と、その好みに迎合して、しかも、安価な物を大量生産したのだろう。
客が喜ぶのならそれで良いかもしれない。しかし、それは「騙し」だ。これが日本の伝統だと思われたら、観光客も不幸だが、着物文化そのものが貶められる。

何も知らないで伝統を求める観光客には、「これが伝統和服です」と、半強制的にでも、和服らしい物を着せるべきだ。化繊でも何でも良い。色合い柄行きだけは、和の自然色、伝統的な和柄を基調にして欲しい。
着物姿の観光客が、古都らしさを引き立てるか、古都の景観をぶち壊しにするか、これは意外に重大問題であることに、京都市は注力すべきだ。レンタル業を着物業界が直接行う方法もあるし、京都市も景観条例の一環として、レンタル着物業者を認可制にすべきかも知れない。