「大谷」の活躍で、96歳のおばあちゃんまで毎日、メジャーリーグ中継を楽しみにしている。江川卓を始めとする、日本の球界の大先輩まで「大谷さん」と呼びだした。おそらく、メジャーの実況が「OHTANI-SAN!」と絶叫するからだろう。もはや「大谷」は「大谷さん」という名前になった。
メジャーを観始めると、なぜか日本の野球がつまらない。これは、実力が劣るからではない。実際、日本選手がメジャーに行けば同等以上の活躍をするのだから、選手の問題ではない。
日本野球のつまらなさは結局、観客を含めた風景、文化の問題かもしれない。
以前、阪神ファンの人が甲子園に巨人阪神戦の観戦に行った。阪神の応援エネルギーは凄まじく、阪神が負けそうになると、みな総立ちになって絶叫する。テレビで応援している気分で観ていると、後ろから、「おい!お前も立って応援せんかい!」と怒鳴られた。
その人は、もう二度と観戦には行かないそうだ。
アメリカの観客も一斉に応援するが、強制されて声を出しているわけではない。自由気ままに応援する中で、たまたま一致したムードになれば、同じ声を上げているだけだ。選手も日本のチームには上下の秩序があって、メジャーのような自由な雰囲気がなく、妙に静かだ。
そうでなくても、野球は細かいルールでがんじがらめのスポーツなのに、日本野球は選手もファンも暗黙の秩序の中でプレイしている。それが、日本野球がつまらなく映る背景かも知れない。選手の勝手気ままな行動の面白さ、野球に開放感がない。
日本にいると、ことに組織内にいると、誰も気づかないのだろうが、暗黙の秩序の「水」に生きている。自粛やマスク警察がすぐ現れるのも、戦前の「非国民!」と同じで、秩序の「水」の世界だからだ。
内向きで安心したい日本
血液型「A型」の基本パターンとして、家族の愚痴をよく話すが、うかつに同調してけなすと、「他人のお前に言われたくない!」と怒り出す・・・というのがある。
日本の町や村、会社や組織内では日夜、愚痴が交わされるが、部外者が来て同じ事を言うと不機嫌になる。外国人や外国帰りの人が日本を批判すると、「嫌なら帰れ」、「日本から出て行け」と即座に拒否する。
これは、日本人の「A型体質」なのかどうかは解らないが、とにかく内向き志向だ。
親に反抗する子供、互いに相手の悪口を言う夫婦、兄弟、それでいて離れないのは、相手に依存し、安心しているからだ。離れる不安があれば、常に相手を褒め感謝する。
欧米人の夫婦が互いにちやほやするのは、個が独立しているからであり、逆に日本人が、むしろ愚痴を言うのは、「場」の堅固さを確認するためだ。つまり、愚痴を言える安心を求めている。恋の悩みを聞く時も、そこを忘れると大変なことになる。
日本人が依存し安心する秩序の「水」は、驚き=可能性を閉ざす。日本人が求めるのは安心であって、サプライズではない。物が売れるのは信頼性や安心だけではない。消費者が新商品に期待するのは「新しい!」「驚き」だ。日本人が自己満足の安心で、驚きの無い「ものづくり」をしているうちに、販売競争に大きく立ち後れた。
同じ野球選手が、アメリカで輝くのは、皆が「驚き」を求める文化の中に解き放たれるからだ。
「変わってる」を嫌う日本で、小さく島嶼化させられているあらゆる分野の「大谷」は、アメリカに行って「大谷さん」になろう。ただし、アメリカに居心地の良い「安心の水」は無い。Boys be American