魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

伝統の志

2023年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

夏の甲子園、各地の代表も続々決まり、盛り上がってきているが、この暑さで従来通り続けて良いものだろうか、疑問に思う。
予選では、選手も審判も、こむら返りで痙攣を起こす試合まであった。鍛錬や根性の問題ではすまされない。季節をずらしたり、ドームにするなど、根本的な変更を考えても良いのではないか、というより、一刻も早くそうすべきだ。
国連事務総長も「地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た」と警告している。

「♪雲はわき光あふれて・・・」涙ぐむほどの名曲だが、もうあの日は帰らない。
全国球児の夢を壊さないためにも、甲子園の始まった大正や終戦直後とは、気象環境が完全に変わったことを真剣に受け止めるべきだ。
伝統とは、全く同じ「事や形」を続けることではない、「志」を続けることだ。志のために姿を変える事こそ伝統を守ることだ。賢明な大会主催者の英断を信じたい。死人が出てからでは遅い。

思うのだが、何時も県大会の決勝は接戦が多く、敗れたチームが弱かったとはとても思えない。準優勝チームの裏大会をやって、その裏優勝チームと甲子園優勝チームの、日本シリーズをやったら面白そうだ。敗者も納得できる。ショー的には面白いと思うが、やっぱり、日本人の感性には合わないかも知れない。


デジャブ

2023年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

NATOの東京事務所設置にマクロンのフランスが反対した。北大西洋条約機構(NATO)は太平洋とは関係ないじゃないかというのが理由らしい。理屈はその通りなのだが、これをマクロンに吹き込んだのは明らかに習近平だ。
中国の行状は今や世界的脅威であり、単に地域の問題ではない。地域の問題に矮小化したいのは中国であって、「北大西洋」の名前を取り上げて言いがかりを付けるのは、いかにも名称にこだわる中国らしい。そして、馬の合うマカロンちゃんを抱き込んだ。
→「マカロン」20230413

天王星84年周期でいえば、今年は1939~40年頃に当たる。
1939年ナチスの侵攻に対抗する連合軍が生まれ、それが後に国際連合になった。同じパターンの再現なら、NATOが名前も変えて世界連合に変わることになる。既に、第三期「国連」の胎動が始まっているのかも知れない。
84年前の再現なら、マクロンはビシー政権のペタン元帥のようなものだ。ナチスの傀儡ならぬ、中共の傀儡だ。そうなると当然、自由フランスも動くだろう。
マクロンがビシー政権に似ているのは、その場その場を誰かに頼って切り抜けようとする、覚悟の無い現金さだ。常に100点を欲しがる、オバマと同じ修羅場を知らない優等生だ。中国に「いける!」と思わせ、暴挙を許したのもオバマだった。
→「まもなく」20220715

体験者が生きていない明治維新は、物語になるが、第二次世界大戦はまだ生きている人がいる。馬鹿な人類も、少しは賢くなって良いはずだ。
NATO加盟には反対だが、新規国際連合は良いかもしれない。
理想だけの国際連盟、現実だけの国際連合、第三期世界連合には常任理事国のような愚を繰り返さないことを祈るのみだ。


イワザル

2023年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

ホリエモンが、「暑いのに未だにマスクしている人は鬱陶しい」と言ったらしいが、同感だ。
しかし、これは「そいつを言っちゃあ、お終いよ」発言だ。
単に言論の自由と言うより、今流の問題発言に抵触する。
世界のパニック、コロナ禍が過ぎ、国も開放し、夏の熱中症防止のため、暗にマスクを止めていても、コロナが怖くてマスクを外せないのは、PTSDであり、それ自体が病気だ。
病人の態度や姿を忌避したり揶揄するのは、今時世間で敏感な「差別」イシューということになり、攻撃の的にされる。
言わ猿にマスク


安心の水

2023年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

「大谷」の活躍で、96歳のおばあちゃんまで毎日、メジャーリーグ中継を楽しみにしている。江川卓を始めとする、日本の球界の大先輩まで「大谷さん」と呼びだした。おそらく、メジャーの実況が「OHTANI-SAN!」と絶叫するからだろう。もはや「大谷」は「大谷さん」という名前になった。
メジャーを観始めると、なぜか日本の野球がつまらない。これは、実力が劣るからではない。実際、日本選手がメジャーに行けば同等以上の活躍をするのだから、選手の問題ではない。

日本野球のつまらなさは結局、観客を含めた風景、文化の問題かもしれない。
以前、阪神ファンの人が甲子園に巨人阪神戦の観戦に行った。阪神の応援エネルギーは凄まじく、阪神が負けそうになると、みな総立ちになって絶叫する。テレビで応援している気分で観ていると、後ろから、「おい!お前も立って応援せんかい!」と怒鳴られた。
その人は、もう二度と観戦には行かないそうだ。
アメリカの観客も一斉に応援するが、強制されて声を出しているわけではない。自由気ままに応援する中で、たまたま一致したムードになれば、同じ声を上げているだけだ。選手も日本のチームには上下の秩序があって、メジャーのような自由な雰囲気がなく、妙に静かだ。

そうでなくても、野球は細かいルールでがんじがらめのスポーツなのに、日本野球は選手もファンも暗黙の秩序の中でプレイしている。それが、日本野球がつまらなく映る背景かも知れない。選手の勝手気ままな行動の面白さ、野球に開放感がない。
日本にいると、ことに組織内にいると、誰も気づかないのだろうが、暗黙の秩序の「水」に生きている。自粛やマスク警察がすぐ現れるのも、戦前の「非国民!」と同じで、秩序の「水」の世界だからだ。

内向きで安心したい日本
血液型「A型」の基本パターンとして、家族の愚痴をよく話すが、うかつに同調してけなすと、「他人のお前に言われたくない!」と怒り出す・・・というのがある。
日本の町や村、会社や組織内では日夜、愚痴が交わされるが、部外者が来て同じ事を言うと不機嫌になる。外国人や外国帰りの人が日本を批判すると、「嫌なら帰れ」、「日本から出て行け」と即座に拒否する。
これは、日本人の「A型体質」なのかどうかは解らないが、とにかく内向き志向だ。

親に反抗する子供、互いに相手の悪口を言う夫婦、兄弟、それでいて離れないのは、相手に依存し、安心しているからだ。離れる不安があれば、常に相手を褒め感謝する。
欧米人の夫婦が互いにちやほやするのは、個が独立しているからであり、逆に日本人が、むしろ愚痴を言うのは、「場」の堅固さを確認するためだ。つまり、愚痴を言える安心を求めている。恋の悩みを聞く時も、そこを忘れると大変なことになる。

日本人が依存し安心する秩序の「水」は、驚き=可能性を閉ざす。日本人が求めるのは安心であって、サプライズではない。物が売れるのは信頼性や安心だけではない。消費者が新商品に期待するのは「新しい!」「驚き」だ。日本人が自己満足の安心で、驚きの無い「ものづくり」をしているうちに、販売競争に大きく立ち後れた。

同じ野球選手が、アメリカで輝くのは、皆が「驚き」を求める文化の中に解き放たれるからだ。
「変わってる」を嫌う日本で、小さく島嶼化させられているあらゆる分野の「大谷」は、アメリカに行って「大谷さん」になろう。ただし、アメリカに居心地の良い「安心の水」は無い。Boys be American


無策無為

2023年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発処理水放流に反対する中国が、日本の水産物輸入を禁止し、日本は措置を止めるように努力するそうだ。
日本政府は本気で言っているのだろうか。成り行きから言えば、中国は当然こう出る。
何をしようが、思惑によって中国がどう出るかは解っているのだから、強行するならそれなりの覚悟と手配があってしかるべきだろう。一体、日本政府には知恵というものがあるのだろうか。

予測されるあらゆることに気配りして事を起こすなら、これまで中国に輸出していた物を全面、欧米やオセアニアに振り分けるぐらいの覚悟と努力があるべきで、中国が輸入禁止するなら、逆に、中国への全面禁輸に踏み込むぐらいの覚悟をして掛かるのが当然だ。日本と北米からのホタテ貝が無くなれ中華料理は成り立たない。
それもなく、世界に甘えた垂れ流しをする日本政府は中国の強圧にも甘え媚びる。あまりの無能に震撼する。


政治死語

2023年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

昔バブルの頃、ある地方の人から、世間話として地元の選挙を聞かれた。星の配置を見ると、革新を意味していたので、これまでの情況を聞くと、ずっと革新系が強く、現在も革新系だという。単純には革新系が勝つことになるが、「革新」とは情況の革新が起こることだからこれまでと違って、保守系かも知れないと話した。結果は保守系だった。

これは、占星術的にも政治の見方にも大きな示唆となった。
その後、いわゆる55年体制が崩れ、政治を右派左派では語れないという見方が主流になったが、いまだに、政治用語として革新系とか左派、左翼とか当たり前に使われている。
この場合、革新や左派の定義はイデオロギーを背景にすることらしいが、100年以上も前のイデオロギーを謳い、実際には古代帝国を再現する体制まで革新、左翼と呼んでいいのだろうか。そうなると逆に、保守や右翼とは何なのかよく解らなくなる。

先日、中国共産党の王毅委員が「髪を染め鼻を高くしても西洋人にはなれない」と発言し、人種問題として注目された。脈絡が解らないので、後に言い訳したように、日中韓の結束を言いたかったのだろうと思う。
ただ今更、ここで言葉尻を捉えて中国共産党の人種問題を云々しても始まらない。チベット、ウイグル・・・と、次々と同化政策を進める共産党の「共」は、「共存」ではなく「共通」を意味し、言語や慣習の一元化によって平等社会が可能になると固く信じている。
これは、占領地で日本式教育をし、宮城遙拝を強いた戦前の日本の軍国主義と同じで、他人に自分の好物料理を食べさせて、幸せにしてやったと信じている未開人の無知蒙昧だ。

日本の軍部がそうであったように、共産党のルーツは「田舎者」であり、教育によって博識ではあっても、根底に流れる価値観は因習的な差別世界だ。だから、善意で情熱的であるほど、他人を傷つける。
中国共産党の「蛮行」は、情熱と善意に始まっている。だから同化政策の何が問題なのか全く解っていない。旧ソ連もそうだが、欧米の人間解放による多様性の共存が全く理解できないから、音楽や芸術文化を無秩序な退廃としか見ることができず、苦々しく思い蔑視している。
「髪を染め鼻を高くする」自由を、自分自身が持っている欧米コンプレックスだと思い、嫌悪している。王毅委員の言葉は、共産党の「清らか」な本音が漏れたに過ぎない。

今、マスコミやSNS上で飛び交う「左翼」という言葉は、こんな中国共産党や北朝鮮王朝を指して使われるようだ。中共や北の何がいったい「革新思想」なのだろう。
逆に、保守とは一体どんなことを言うのだろう。有権者の顔色ばかり見て、ごまかしや騙しを積み重ねるポピュリズム政治を「保守」と言うのだろうか。
右翼左翼で政治を語れないと言われ始めてから、まもなく半世紀が経とうとしている。
「死語」で考えるから政治も死ぬ。目を研ぎ澄まし、的確な定義と形容をしないから、何も生まれてこない。


真夏の祭

2023年07月17日 | 京都&ケンミン文化

今日は祇園祭。昔から、うだるような暑さの祇園祭と言われるが、それでも昔は32、3度だった。今日は37度、恒例の通り雨もない。もはや、命がけの祇園祭だ。
昨日は宵山に出かける女の子達の浴衣が電車に溢れていた。近頃の自由な着こなしの着物ブームはそれなりに楽しいが、さすが、京都の浴衣は伝統的でシックな柄いきが多く、キッチリ帯を締めて清々しい。レンタル浴衣とは別物だ。
半世紀前の宵山には、申し合わせたように帯の後ろに内輪を挿した浴衣のカップルがいた。
観光客で人出は増えたが、若い浴衣姿は減った。もっとも、祭りの浴衣はせいぜい2、3百年だろうから、千年の古都がこだわることでもない。

襟もとにいにしえ薫るコンチキチン


採用面接

2023年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

国策なのか、ChatGPTの接し方をテレビでアドバイスしている。結構なことだが、ネット中傷対策の方がよほど急がれる。
ChatGPTが何者か、どういう付き合いかたをすべきかは、自分の一番得意な分野を訊いてみるとよく解る。それをどう表現するかでレベルと気質が解る。時には、子供の無垢な言葉のように、気づかされることもある。

ChatGPTを使う際の採用面接かテストマッチのようなもので、どんな奴か、どんな間合いで付き合うかを知り、同時に自分のレベルも知ることができる。
その上で、自分の秘書のつもりで付き合うと実に面白い。
一流校を成績優秀で卒業しましたと言っているが、世間知らずで、無責任。絶対に知らないとは言わないで、言い訳をする。こちらが甘く出ると、適当なことを言ってごまかし、優等生づらのすまし顔だ。
しかし、どんなフェイクも偽情報もプロパガンダも、表現には何一つ無駄なものは無い。ウソの中にも真実が隠れている。注意深く聞けば、被害や恨みをまくし立てる人の言葉の中からも、「本当のところ」が浮かび上がってくる。
そんなゴミから金を抽出するような難物と比べれば、ChatGPTは素直で付き合いやすく面白い、いい奴だ。
もしかすると、感情抜きで相手の話を聞く性質は今後、詐欺やフェイクを見破るツールになるかも知れないが、一方で、巧妙な詐欺師にも変身するかも知れない。


五穀豊穣

2023年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

NHKの「プロフェッショナル」。あまり観たことはないが、たまたま、始まった養蜂家の話を観た。祖父が若い頃、大正時代だと思うが、養蜂も試みて庭に巣箱を並べていたと聞いたこともあって、養蜂の話と聞くと思わず観てしまう。
近頃は大都市の屋上でも植樹と合わせて養蜂が奨励されているが、生業としての養蜂は全く趣が異なる。
プロの養蜂家は花から花へ、全国を旅しながら営む仕事で、ロマン溢れる話に聞こえるが、相当、過酷な仕事だ。

養蜂家の家に生まれ、養蜂家人生を送ったその人の話は、時代に翻弄された物語だった。昔から養蜂家は毎年、農業によって広がる花畑から蜜を集め季節と共に次の花畑に移動する。
ところが、肥料にするためのレンゲは化学肥料に替わり蒔かれなくなり、海外の安い輸入油に押され、菜の花畑も消えていった。一方で、農薬による全国的な昆虫減少でリンゴの受粉ができなくなり、青森のリンゴ農家に蜜蜂が歓迎されるようになった。
戦後の日本列島の変貌に加え、今では温暖化の影響で開花の時期が読めなくなり、計画通りに移動できなくなりつつあるそうだ。

♪菜の花畑に入り日薄れ・・・「朧月夜」大正3年
そう言えば、いつの間にか見られなくなったレンゲ畑や菜の花畑だが、その花畑と共に生きてきた人の目を通してみると、戦後の日本列島の荒廃が、ただの郷愁や嘆きを超えて、ゆゆしき事態を突きつけてくる。

温暖化による環境変化によって、サンマもイカも獲れなくなり、毛ガニの北海道でズワイガニが大漁だ。美味い米は東北から今や北海道に移り、フランスのワイナリーが気候変動でブドウ栽培地を求めて北海道にやって来た。(曲がり角20200901
政策無き農業は、いかにして自給率を高めるかより、一つ覚えの輸出に走る。農業振興を刺激する側面は理解できるが、食料戦争になった時、リンゴやイチゴで命を繋げるだろうか。工業生産で犠牲にしてきた農業を見直し、畜産用飼料としてでも、主食の五穀を国内で充たせる農業政策を考えるべきだ。

気候変動は今後も進む。日本が亜熱帯化する中で、五穀も変わってくるかも知れない。バナナや芋の栽培、米の二毛作、コーヒーやチョコレートの国産化など、田園の風景さえ変えることをいとわず、新環境に挑戦しなければならなくなっている。嘆くより可能性が広がったと考えるべきだろう。
何が何でも、全ては食糧自給からだ。


高所注意

2023年07月11日 | 星の流れに

7月6日、静岡市で工事中の橋桁が落下した。同じ日、中国ではマンション外壁が落下した。
この日は月が水瓶座で、「落下」「落ちる」は水瓶座現象の一つだ。
天王星の水瓶座は、ハプニング、突然や意外や非常識な現象を表す。人間技を超越する「飛行」も水瓶座だから、当然、「落下」と表裏になる。高度な技術という点でも、静岡の場合は巨大架橋、中国の場合は高層ビルだった。
今回の場合は主に、水瓶座の冥王星と、牡牛座の天王星&木星の長期的凶配置の環境に月が来た現象だが、水瓶座にもっと顕著な火、木、土、天などがいる時なら、飛行機の墜落やビル崩壊など、もっとセンセーショナルな事件が起きていただろう。ともあれ、当分、飛んだり高いところは気をつけた方が良さそうだ。特に月が水瓶座の日は。
冥王星の効果は「いつの間にか」生まれ変わったといった現れ方をするから、水瓶座のロシアはそれが今進行している。なお、水瓶座の人も、吉凶に関係なく、人生や人格がいつの間にか変わっていく。


無策処理

2023年07月10日 | 日記・エッセイ・コラム

福島原発処理水に全く不安を持っていない。みんなで処理水を飲む会があれば、わざわざ出かけては行かないまでも、送ってもらえればコーヒーを煎れて飲む。
しかし、海に放水は反対だ。
日本政府はなぜ、こんなバカげたことをするのだろう。世界中に借りを作り、反日勢力の格好の標的にされている。ウソでも良いから4~5000mの深層地底に流すとか、日本アルプスに散布して伏流水にするとか、火山火口に流すとか、いかにも国内処理のようなことをして見せるべきだ。
こういう手法や技術が日本に無いとは思えない。もしかしたら、原発廃棄物処理場のような、国内での反発を恐れているのだろうか。とすれば、この処理水は本当に危険ということになる。
こうした他の手段について何の説明もすることなく、唯一無二の方策のようにゴリ押しすることは、優しい日本国民には通用しても、地球村には通用しない。容認している国々も決して花火を上げて歓迎しているわけではない。
政府の愚策で、肩身の狭い思いをするのは日本国民だ。


一年の喪

2023年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

喪に服す意味で、一年間触れないでいたが、当初から抱いた疑問がある。
山上徹也被告について何の思い入れも無いが、被告には真の殺意は無かったのではないか。当初から「安倍元首相の政治信条に対する恨みではない」と供述していることや、教団・教祖を直接狙う機会が無かったことで、ターゲットをよりインパクトの大きい元首相に変えたこと。
そして最大の根拠は、前日に教団の建物に発砲し、安倍首相演説現場で全くジャマが無いにもかかわらず一発目を外し、二発目までに8秒もの時間を掛けた。手作りとは言え火縄銃ではなかったはずだ。

8秒は決して短い時間ではない。中学生でも50m走る。CMは15秒。真剣なSPがいれば確実に要人をかばい、警備の人間が本気なら犯人を取り押さえられる時間だ。
8秒経っても誰も取り押さえに来ないし、元首相をかばわない。暗殺しようとしているはずの自分を偽らないために、自分を叱咤して2発目を発砲した。
当初から、どうにも、そうとしか思えない。

被告の目的は自分の惨状を知ってもらいたいことであり、殺人が第一目的ではない。事件を起こして取り押さえられれば、世間に教会問題を知らせることができる。事件を起こすことが目的という意味で、政治目的の暗殺とは異なり、テロ批判は意味が無い。
前日の教会への発砲が、事件として報道されれば、それだけで充分だったかも知れない。だが、全く明るみに出なかった。
そこで追い詰められ、かねて計画した最後の広報手段「元総理暗殺」に進んだ。自分自身が暗殺犯になる構図を、着々と進めていったが、現場でも全く相手にされない。そして、予定通り発砲した。ここで取り押さえられれば、充分に事件化し、自分の意志表明の機会が得られるのだが、誰も取り押さえに来ない。続けて第二弾を発砲しなければ、「暗殺事件」の構図が成り立たない。自分の意志が本気であることの証明のために本当で撃たなければならなくなった。

もし、緊張感を持ったSPや警官がいたら、被告が暗に願っていた暗殺「未遂」事件が成立しただろう。もしそうだとすれば、被告もある意味で被害者とも言える。
従って、この事件の真の加害者は教団と、そして警察ということになるが、着任したばかりの奈良県警本部長は、安倍政権時代に引き立てられた公安関係者だと言うから、宿命的で皮肉な話としか言いようがない。


ほころび

2023年07月07日 | 日記・エッセイ・コラム

マイナンバーカードトラブルは姑息政治の象徴だ。騒ぎになっているマイナカードの個々の問題などどうでも良い。河野大臣の責任でもない。
マイナンバー、あるいはマイナンバーカードを制定する時、抵抗をかわすために取った手法が、この混乱を招いている。
改めて言うまでもないが、マイナンバーに関わる魂胆を隠し、小出しにしながら徐々に慣らし、正体を既成事実化する、国民を愚弄した「騙し」の政治を、この重大な問題に用いたことにある。

日本の歴史で、庚午年籍や太閤検地、明治の戸籍法に匹敵する、憲法改正どころではない大改革を、正面切っての説明も、議論も無く、国民を騙して「いてこまそう」とする、卑怯で悪辣な魂胆が、ほころびを見せるのは当然の事だ。
国民総背番号制に特に反対はしないが、こうした姑息な手法を用いること自体に悪意の後ろめたさがある。同じ事をするにも、悪意をもってすれば、必ずどこかで厄災となる。
つまり、正に、国民を管理、家畜化しようとする意図が破綻したと言うことだ。

もし、悪意が無いのなら、どんなに反対されようと、正々堂々、趣旨と理由を真剣に説明し、「私は嘘は申しません!」と、強行すれば良い。国民が本当に拒否するなら選挙で亡ぶまでだ。現代の政治屋にはその気概と覚悟が無い。
ETCぐらいなら通用する詐欺手法も、国民の全ての営みに関わるような大改革までは通用しない。
長年続いた、小手先政治が終わるなら吉事だが、野党も野党で、目先のことばかり挙げている。ここまで来れば、マイナンバーカードのそもそも論から始めて、ことの始まりからの経緯を桃太郎侍になって列挙し、バッサリ切り捨ててはどうか。でなければ、ネットで寄付を募り、桃太郎侍のCMを流したら痛快だろう。


自粛権力

2023年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、ある名優を大嫌いだという人がいたので、理由を聞くと、ドラマで演じた悪役で嫌いになっていた。近頃はネットで、ドラマ鑑賞の相対智が上がり、悪役が好まれたりするようになった。
ドラマとキャストの関係には様々な側面があり、視聴者の受け止め方も様々だが、そうした多様なものを含有したものが作品だ。

政治状況が変われば、国策映画はお蔵入りになり、一切が封印されるが、プロパガンダに洗脳される人々がいるからと言って、作品そのものが無価値なわけではない。もともと、あらゆる作品は時代状況の中で生まれる時代の声だが、名作は、むしろそうした時代を超えても輝きを持つ。時代の価値観が変わっても、自由に鑑賞できるなら、真価は視聴者が決める。
戦争賛歌の映画しか作れない時代でも「陸軍」のような抵抗映画もあるし、ナチスの中で作られた「オリンピア」のように、普遍の芸術性を持つものもある。

どういう経緯でどういう人が作ろうと、生み出された作品は独立している。
登場人物を演じる役者は、役者本人ではなく、作中人物だ。映画で百人切りをする役者が殺人に問われることはなく、現実にはセクハラ性犯罪プロデューサーの映画がお蔵入りすることもない。
作品を評価するのは鑑賞者だ。

権力の乱用
市川猿之助の事件で、出演作品そのものが配信停止になりそうだと、多くの人が嘆いている。猿之助がどうであろうと、事件がらみだからと忌避するのは、高校野球の不祥事出場停止と同じ、「臭い物に蓋」の無責任根性だ。
好意的に百歩譲っても、決定権を握っている者の過剰な責任感であって、多くの可能性を封殺する暴挙であり、一方では「保身」だ。

中国では治安要員の「城管」が横暴な権力を振るっている。戦前の日本では特高が権力を振るった。権力の仕組みを考えた意図とかけ離れ、末端の官吏や、形骸化した組織の管理者は、歯止めのない権力を振り回す、本末転倒の抜き身の刀になる。
入国管理や刑務所、おざなりの警察や児童福祉機関で起こる事件も、理念無き末端だ。

放送機関が配信停止にするのも、保身のための権力乱用の一面であり、そもそも猿之助の事件も、報道機関の言論「権力」乱用の側面を否定できないのではないか。
マスコミの餌食になっている、あらゆる表現者は、そろそろ大同団結して、抗議声明を出しても良い頃だ。作品と出演者個人は無縁である認識が広がることは、社会の認識レベルの質を高めることにも繋がるだろう。