魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

火事泥棒

2020年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム
中国の国家安全法は、コロナ失敗時から動き出していた事が、ハッキリ解った。
このドサクサの中、南シナ海のみならず、尖閣の東シナ海にも軍事的強攻策に出ているのは、香港、台湾を睨んだ、居直りだ。
習近平は、もう完全に、ピンチをチャンスに転換しようと居直っている。
おそらく現在、世界は習近平の読み通りになっているのだろう。
初めから、アメリカと、イギリス連邦主要国の抵抗を想定し、米英グループ外の国と分断するために、周辺海域に武力の布石を打っておいたのだ。

欧米がコロナで大火事の最中、火付けの罪をもみ消すために、もっと大きな爆弾を投げ込み、ビビって狼狽する国を英米から弾き飛ばし、世界との対決構図を退けて、中国と英米勢力の、極地対決に持ち込もうとしているのだ。
日本も尖閣で、「もし英米に付くなら、軍事対決を覚悟しろ!」と脅され、牽制されているのだ。つまり、現代日本人の平和ボケの足下を読んでいる。
こういう発想、こういう行為は、まさに暴力団の火事場泥棒であり、ここで日本がどう出るかは、実は、中国の計算、行動に、極めて大きな影響力を持っている。

大勢と喧嘩をする時は一番強い奴を叩く。強い奴の形勢が悪そうだと、弱い取り巻きは手を出せない。その弱い、ただの取り巻きと思っていた日本が、毅然とした態度を取れば、中国は計算が狂う。

今日の香港は台湾問題であり、明日の沖縄、日本だ。日本がどんなに平和を望んでいても、中国共産党が掲げる核心利益は明白な侵略であり、チベット、内モンゴル、ウイグルに飽き足りず、次なる「核心利益」へ、実際に動き出しているのだ。
この事態でも、まだ、習近平を国賓に招こうと日本政府が曖昧な態度を取るなら、それは平和外交ではなく、中国の侵略主義の承認に他ならない。それこそ、1000年の禍根を残す事になるだろう。
今は、様子を見る時ではない。独立国として毅然とした態度を示せるかどうかの正念場だ。少なくとも、洞ヶ峠を決め込むEUの日和見を説得に出なければ、国としての存在理由を失う。→「天下分目

毒をもって毒を制す
この事態を招いたのは、アメリカだ。対ソ戦略に中国を利用したつもりが、アンゴルモアの大王を蘇らせてしまった。張本人であるキッシンジャーが、長生きの果てに、そう匂わせていたのは皮肉なことだ。(失敗とは言えない立場だろう)
今、キッシンジャーが現役なら、今度はロシアを抱き込むのだろうが、冷戦50年はアメリカ人の頭を壊死させている。とてもロシアと組む雰囲気ではない。
それでも、アメリカ人が孤立感を抱けば、可能性はある。後はリーダー次第だ。
面白い事に、アメリカの進歩派はロシア革命に加勢し、次には中国になびいた。第二次大戦にソ連と組んだのも、米中国交樹立も、リアリストが、この理想主義を利用したから可能になった。アメリカ人の中国への怒りを活用するリアリスト、新しい軍師は出るだろうか。世界の敵は中国ではない、中国共産党、習近平だ。

常套手段

2020年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム
トランプが中国攻撃をすると、マスコミは選挙戦術だと決めつけていた。
単純におかしな話だ。もしそれが選挙に有利に働くなら、つまり、それだけ米国民が中国に怒っているという事になる。マスコミはただトランプを揶揄するだけで、本質を黙殺している。あるいは、米国民が怒るのがトランプのせいのようにねじ曲げている。
滑稽なぐらい習近平と中国にカンカンに怒っている人がいた。聞くと、アメリカの年金を貰っている人だった。

アメリカ的視点でなくとも、ほとんどの人が中国の傲岸無礼には首をかしげている。
「あろうことか!」とは、こういう事だ。コロナに悪びれるどころか、超高飛車の、押しつけ友好と、軍事侵攻で暴れまくっている。
「逆ギレ」の解説には今後、「コロナ時の中国外交のような行動」と書けば、解りやすい。
中国式の、「どんな事があっても絶対に謝らない」文化を理解するなら、今、いかに中国が、「まずい!」と思っているかよく解る。「悪い」ではなく「まずい」のだ。
こういう場合、周囲は黙って無関心を装えば、当人は「メンツ」が立ったと思い、静かになるが、馬鹿正直なアメリカ人を怒らせた。こうなると落としどころがない。

当初、責任を逃れようとする中国は、クルーズ船のドサクサに乗じて、日本起源にすり替えようとしたが、欧米で火の手が大きくなると、乗り換えてアメリカのせいにした。これが失敗だ。
何でも反省する日本人とちがい、卑怯者を毛嫌いするアメリカ人の苦しんでいる最中に、アメリカのせいにした。これは世界知らずの習近平ならではの、ミスの上塗りだ。

実は中国の魂胆か
しかし、考え方によれば、アメリカを怒らせてわざと断絶状態をつくり、戦時下でなければできないような狼藉で、盗るものを盗り、後で(百年後でも)適当に手打ちに持ち込むというシナリオなのかも知れない。リーダーがコロコロ変わる民主主義の足下を見た、北朝鮮の親玉としての瀬戸際戦略だ。中国のしたたかとはこういう事を言うのだろう。

こうなると、日本は態度を曖昧にして無難に過ごす事はできなくなる。中共は「長」が好きだから、冷戦に持ち込むのが習近平の目的だ。日本は中共に隷属するか、民主主義勢力の最前線に立つか、はっきりした態度を迫られる事になるだろう。
WHOのテドロスは、日本が防疫に成功したと絶賛しているが、これは、日本の金が目当てではなく、習近平の代弁者として、日本の抱き込みを狙った甘言だ。アジア圏の幸運な防疫成功をチャンスとみて、グループ化しようとしているのだ。
毎日、日中友好を訴えている金に目のくらんだ企業人は、果たして、どこに利を見いだすのだろう。

これまた

2020年05月26日 | 占いばなし
持論なのだが、おそらく誰にも解ってもらえないだろうと思っている事がある。
これは、人相を観る時の感覚に似ている。
それは、「顔はその人の職業が憑依する」という事なのだが、
見れば見るほど、WHOのテドロスの顔は、コロナウイルスだ。
→「その顔

失うもの

2020年05月23日 | 日記・エッセイ・コラム
ついに夏の高校野球も中止となった。地方予選や、多人数での移動を考えればやむを得ないのかも知れないが、球児のみならず、ほとんどの国民がショックだろう。
まさに戦時だが、戦時中のように、戦死する球児が出ないだけ、不幸中の幸いと言うべきなのだろうか。何ともはや・・・

それにしても、何か納得がいかない事ばかりだ。
ブラジルの大統領のように、「ただの風邪」とは言わないが、「角を矯めて牛を殺」しているような気がする。
会う人会う人、異常にコロナを恐れている。朝から晩まで、「何人感染!」と言われては、怖くなるのは人情だが、感染=死ではない。ことに日本の死者数は圧倒的に少ない。
初めから疑問に思っていることだが、他の病と比べてどれぐらいの致死率、どれぐらいの病気なのかと考えれば、このコロナに集中、注目する事の危険の方が、よほど危ないと思う。
アメリカで感染が爆発している最中、おびえた夫婦が心中?した。「水鳥の音」や「柳に風邪」で、狂い死にや人雪崩(パニック死)を心配したばかりだった。

接触を避けるのは合理的だが、TVで「自粛最中に、こんな状態だ」と、水上スクーターで遊んでいる人を映していた。他府県から越境して来れば感染拡散のリスクはあるが、水上は密集から相当ズレており、報道の「自粛警察」意識が表れていた。
マスコミは火が大きくなるほど飯が食える。のみならず、自らが正義の権力意識で煽り立てているのだ。
この結果、誰もいないところに出かけることもできず、自転車やバイクに乗っている人までマスクをしている。自転車に乗る事の意味は、バスや電車の密室を避け、他人との接近を避けられるからだが、それでもマスクをしなければならないのは、マスコミの煽りで、いかなる場合もマスクをしないのは「非国民!」のムードが出来上がっているからだ。マスコミに少しでも見識があるなら、マスクをする事ばかり煽らないで、どういう場合は不要なのかも、解説すべきだろう。

金持ちの気持ち
今回のコロナをこうも恐れるのは、現れたばかりで、正体が良く解らない事と、ワクチンや治療薬の救済策がない事だ。
しかし、もっと根本的な理由は、現代人の驕りにある。科学万能を信じ、病は必ず克服できるものだと決め込んでいる。治療さえすれば病気は治り、サプリを飲めば健康になる。
こうした思い込みが、ハナから病院に頼り、保健財政の困窮を招き、治療が思う結果にならないと医師を恨み、医療ミスを追求する。
科学も医学も万能ではない。それを扱うのは人間であり、技術に頼る前に、個々が持ち合わすべきは、死生観だ。科学という免罪符によって、現代人は心の構えを失っている。
コロナに慌てる様は、まるで貝から引き抜かれたヤドカリだ。

科学も医学もなかった時代。人はバタバタと死に、それを当たり前の事と解っていた。
貧乏人は金が無くても怖くないが、金持ちほど失う事を恐れる。現代人は健康の大金持ちだ。失うまいとすれば、もっと大きな何かを失う。

今も昔も

2020年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム
日本の特殊性
日本は、強制措置によらず、とりあえず一山越えたようだ。日本人の文化的勝利だ。
一方で、自粛警察が話題になっている。日本人が自粛に走るのは人の目を恐れるからであり、他人の圧力に我慢した不満を、そうではない人に向ける人もいる。
「オレは我慢しているのに、あいつは何だ!」
被害者が同時に加害者となるのが、従順とイジメの日本的連携システムだ。
戦時中のように究極の抑圧の元では、規制されることに反発するのではなく、他人を規制することで不満を他人に肩代わりさせる。苦痛を自分で抱えられない人はいつの時代にもいる。
「非国民!」の時代は、あっけなくやって来る。

つつがなきや

医学的知識の無かった古代は、病の原因を、鬼か妖怪の仕業として恐れた。知見の発達した現代では、病の仕組みは解明され、ウイルスを知り、それを避けるための様々な方法も考えられている。しかし、ウイルスを知っていても、それがどんなものであるか、ほとんどの人は解っていないし、専門家でさえ、一部しか解っていない。知識というものは、知れば知るほど奥が深い。

平安貴族が、鬼や妖怪を恐れる様は滑稽だが、それは、現代人が本当のことを知っていると思い込んでいる驕りだ。
鬼を恐れた古代人と、ウイルスを恐れる現代人。解らないものを「ただ恐れ」て、パニックに陥ることは、何も変わっていない。
孔子が「鬼神を敬して之を遠ざく」と言ったのは、鬼であろうがウイルスであろうが、正しく恐れて、全てを止めるような事があってはならないと言うことだろう。
鬼神もウイルスも、怖い存在かも知れないが、「されど我らが日々」、「でも、そんなの関係ねえ!」、どんなに怖くても、営みを止めるわけにはいかない。

マスコミは、新しい飯の種ができたと、大はしゃぎだが、欺されてはいけない。
死者が何万人!と叫ぶ陰で、他の死因との比較をしているわけではない。伝聞だが、今年前半の日本の総死者数は、むしろ、昨年より少ないそうだ。
子供の頃、耳鼻科から帰って、「鼻の悪い人ってものすごい多い」と話すと、父が、「外科に行ったらケガ人だらけだ」と、大笑いをした。
コロナ、コロナ。検査、検査と騒いでいる人のほとんどが、マスコミが描き出した鬼に捉まっている人だ。
病はコロナだけではない。死ぬのも病気だけとは限らない。
黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)で、イザナミは毎日1000人殺すと言い、イザナギは毎日1500人生まれると言った。聖書の神は、産めよ増えよ地に満ちよと言った。
そのせいか、人類は地球上に100億人になんなんとしている。
ええかいな!?(←関西弁で)

逆行の間 1

2020年05月14日 | 星の流れに
5月11日、水瓶座の土星が逆行を始め、12日は水星が双子座入り、13日には火星が魚座に移り、14日にはヤギ座の木星も逆行を始める。一連の動きで、世界動向は一時的に風向きが変わる。
3月中旬以降の2ヶ月の現象は、緊急事態宣言、金正恩死亡説など、今後の予告編として、記憶にとどめ、当面、回復したような空気になる。魚座の火星は魚座の人には障害になるが、カニ座の中国、サソリ座の朝韓、そしてカニ座の大阪に活気をもたらし、双子座の水星は双子座・米国の動きを加速させる。

土星、木星の逆行は、過去数ヶ月の動きに雲がかかったような状態で、しばらくは静かになるが、順行を始める少し前には、今までの現象が再燃する。木星、土星の順行は9月から。したがって、再来に備えるには、今から3か月が勝負だが、戦争中に政変を起こすわけには行かない。有り合わせの力での立て直しが先だ。
年末には、土星の水瓶座再入宮があるが、木星の水瓶座入宮もあり、不幸中の幸いになるだろう。

これから

2020年05月13日 | 大転換
近い将来1」で、日本は運が良いと言ったのだが、このコロナ騒ぎで、日本のアナログ行政の、構造的遅れが徹底的に洗い出されている。日本はこんな状態で、オリンピック後を迎えるところだったのだ。山ほどある様々な新技術が、全く使われていない。
自分が使わずに他人に売りつけようというのだから、日本製品が売れるわけがない。
オリンピックは、産業革命パラダイムのあだ花であり、土建屋視点で前世紀に関わっている間に、日本は「八丁」の後れを取っていた。(小便一丁屎八丁)
幸いにして、コロナは、日本をもう一度、世界と同じスタートラインに立たせてくれた。
もう、出遅れは許されない。
中韓に依存した観光の危険も証明された。中毒手前で麻薬を断たれて、苦しいかも知れないが、助かったのだ!ここで目を覚まし、バランスのとれた観光へ更生するチャンスだ。

日本の問題は、「やる気」だ。マスク二枚に象徴されるように、マニュアルの無い突然の非常事態に、世襲政治家は何もできず、何も語れない。そのうち何とかなるだろうとお茶を濁す、「気休め」を信じて、我慢して待っていても、コロナが消えることはない。
病を抱えながら進むしかないことを国民に告げ、覚悟とビジョンを示すのがリーダーだ。様子ばかり見て、ずるずると、金を出すだけで、何の政策もない。
元々が日銀の金融緩和頼りで、何の規制緩和も先取り政策もしてこなかった。ビジョンのない政治のツケが一気に来た。挙げ句の果てに、どさくさ紛れの法改正。
定年延長が悪いのではなく、手法が悪い。この政権は、この期に及んでも、状況を認識していない。もはや完全に、平常性バイアスに逃避している。
まさかとは思うが、この上、コロナ後のV字回復に、期間限定の消費税ゼロをやらないのだろうか。きっと、サプライズを隠しているのだと信じたい・・・が

これからは、終戦直後のように、全てをご破算にして出直さなければならない。
終戦直後、円の価値は無に帰し、学制が変わり、全ての価値が逆転した。
この頃、売り出されたタバコも「新生」と名付けられた。
9月入学に教育界が反対しているが、教育は既存を伝えるものだから基本的に保守だ。それを打ち破るのは社会動乱と政治であり、これまでも、そうして大きく変わった。
誰でも、コロナ後はこれまでと同じではないと言うものの、それがどんな世界か、今、社会の中心にいる、「まともな人」には、全くイメージできないだろう。

新しい時代
どんな競技にもルールがある。手を使わないのがサッカーであるように、新しい時代の基本ルールは、人を使わないことだ。人手によらない世界を極めることが、ゲームに勝利するカギになる。
通勤、通学、都会集中、人寄せ商売、箱物建設を止め、地方分散、産官学のオンライン化、情報と物流に対する発想転換・・・全く新しい世界をイメージしなければならない。過去二百年、もしかしたら、有史以来の「当たり前」を、脱ぎ捨てなければならないかもしれない。
場の共有ではなく、情報の共有によって社会が動く。

全国どこでも、全く差の無い情報環境になれば、人より物の移動が重要になる。
これまで、貨物は人の移動の陰にあったが、新幹線も貨物輸送を主体とし、長距離トラックは、鉄道+エリア輸送に変わる。
乗り物は、豪華客船、列車、バスなど、レジャーに特化し、通常の移動は、貨物移送に客室を付ける発想としなければ、鉄道も航空も採算が合わなくなるだろう。
学業も仕事も、どこにいても同じ環境で、大学なども、学校分けの入学試験は廃止し、一般教養はオンライン化で、専攻学部による試験だけで進学すれば、社会的ロスが減るし、生涯教育の道が広がる。
仕事は、それぞれの企業が考えることだから、業態によって最善のスタイルが生まれるだろう。
全てというわけには行かないが、基本的な情報と物流の環境を、ゼロから考え直す必要があることは確かだ。

ドンデン

2020年05月09日 | 大転換
アメリカの老舗デパートなど、コロナショックで、倒産する企業の中には、それ以前に既に苦しくなっていた企業も多い。これは既に死んでいた大木が台風で倒れるようなもので、伸び始めた若木が折れるのとは意味が違う。
大きな嵐の後、再建後の新しい景色はどうなるのかをよく見極めて、資金投入する必要がある。経済救急救済のトリアーシだ。
もちろん、個人の救済とは別問題であり、産業別の再建強化策の話だ。

今回の経済災害の後、世界はどう変わるか。これは第二次大戦の後、世界がどう変わったかを思い起こしてみるのがわかりやすい。一番大きな変化は国際基軸通貨のポンドからドルへの移行だが、環境は既に第一次大戦後に生まれていた。
今、既に起こっている環境変化といえば、仮想通貨の出現で、それを先取りした中国が元の仮想通貨化を目論んでいる矢先、コロナ災害を自ら起こした。
これは偶発事故だろうが、失うものがない中国は、大チャンスと捉えているだろう。
しかし、そう簡単な答えに結びつかないのが、今回の歴史的大災害だ。

大局的に見れば、いよいよ、産業革命パラダイム250年の大転換であり、もしかすれば、もっと大きな、大航海時代に始まった、グローバル化の大転換なのかも知れない。
産革パラダイムの終わりであれば、通貨概念の転換であり、グローバル世界への転換であれば、通貨の消失だ。
いずれにせよ、当面はドル体制の沈下であり、銀行時代(金融政策)の終わりだ。
仮想通貨が大きくなるに従い、基軸通貨の意味が薄れ、経済覇権の形が変わる。
中国の狙いは、アメリカのドルの力を削ぎ、製造、物流の実物経済で覇権を握ろうというものだろうが、チャンスが少し早すぎた。世界が、製造の中国依存から手を引けば、皮算用に終わってしまう。つまり、世界の出方次第だ。

何はともあれ、このドサクサを経て起こることは、社会の仮想化であり、Aİ、デジタル、ロボット、自動化と、「仮想パラダイム」が始まる。
安い労働力はロボットに代わり、通勤や旅行や物流も形が変わり、移動インフラ全体がガラリと変わる。
これらの運用のために、社会は、高度にAİ管理されることになるが、中国がやって見せている人民管理は、始まりの始まりで、デジタル社会に向かう試行における錯誤に過ぎない。包丁は殺人鬼が持てば凶器になり、料理人が持てば利器になる。

コロナ大恐慌時の、経済救急救済のトリアーシで、真っ先に救うべきは、デジタル関連のベンチャーで、これは実績に関係なく救い、逆に、最後にするのは、デパート、仲買、金融機関、不動産、イベント会場など、産革パラダイムの屋台骨だったような分野だ。
社会概念のドンデン返しが起きる時、通貨と同様、未来社会にはほとんど必要のない遺跡になるだろう。

ドサクサ

2020年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム
やっぱり
新コロナで大被害を受けたイタリアの研究チームから、男性ホルモンが重症化を助長するのではないかとの説が出た(ジジコム)。男性の重症化や死亡率の裏付けにもなりそうだ。
また、日頃、頑強そうな人の方が死亡率が高いように見えたのは、思い過ごしでもなさそうだ。

困ったものだ
日本の政権は、ダラダラと持ち込んだ緊急事態宣言を、また一ヶ月延長したものの、各国が経済活動再開を始めると、慌てて、中断を言い出した。本当に、困ったものだ。
野党が言う朝令暮改は当たらない。状況が変化すれば、改めるのは当然だ。肝心なことは、定見と信念が無いことが問題なのだ。
繰り返すが、犠牲を払ってでも前進しなければならない事態を見極める定見と、批判や悪役を被る信念と覚悟が、全く見当たらない。こんな政権が憲法を改正して、戦争ができる国にしようなど、無責任の極みだ。目の前のコロナ戦争から逃げまくっている。

戦術ミス
トランプは中国との舌戦に、「武漢研究所」を持ち出して、中国を有利にしてしまった。
アメリカの怒りはよく解るし、中国の責任は大きい。
しかし、中国の「証拠を見せろ」に引っかかって、具体性を示そうと、うかつに「武漢研究所」に絞ってしまった。問題は、出所ではなく、発生時の中国の行為だから、争点を場所に絞ったことで、中国は「武漢研究所」の潔白さえ証明すれば勝ちになる。
したがって、中国は素早く、手下のWHOが調査団を武漢に派遣すると言い出した。
このまま行けば、中国の思うつぼだ。
こうなると、トランプとしては、ゴチャゴチャ言うな!で、論争から感情論に持ち込むしかない。どっちみち、米国の言い分が通れば、逆に中国がそう出ただろう。何しろ国際審判を「こんなもの、ただの紙だ」と言った国だ。
結局は、何らかの力勝負になる。

黒船の力

2020年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム
世界大コロナ時代。日本にリーダーは存在せず、後手後手に回っている。
今回に限らず、日本は何事も遅く、黒船の時も、政権は常道を守ることにおいては、決して間違ったことをしていたわけではないが、結局は、政権ではない力で、事は動いた。
日本の政権とは、リーダーシップ無用の、旧態維持の神官だ。つまり日本人がそれを求めるからだ。
そして、社会や歴史が動くのは「黒船」によってであり、「黒船」とは、必ずしも外部勢力ではなく、自分たちの力の及ばぬもの全てだ。

他動的力で動く日まで、動かないことを願うのは、日本が災害列島だからだろう。
自分たちで動き出さなくても、必ず天変地異が起こり、全てが変わってしまう。
住人である日本人は、異変に対応して生きることには強いが、それ以外の時はひたすら、常軌を守ろうとする、習性が身についている。

今回のコロナも、リーダーシップによる即時対応は皆無で、「様子を見て」、被害状況に応じてでなければ、対策がとれない。
そして、その衝撃があまりに大きく、生き方、社会を変えるほどのものであれば、政権も旧社会と共に消滅する。

このところ地震続きで、ずっと偏頭痛に悩まされている。関東東北あたりは、以前は左中頂頭部だったが、このところは左下後頭部で、以前なら遙か遠隔地に合致していた、いわゆる「風池」あたりが関東東北に合致している。今回は長野の時が左中頂頭部だった。
頭痛と地震の関係は、全く個人的な感覚で、どうこう言うような話ではないが、
この連続地震に、気象庁が少しコメントを出した程度で、いつものように政権筋は沈黙している。むしろ押さえ込んでいるのではないかと疑うほど、何も言わない。
自粛の最中、誰でも不安になっていることだろうが、相変わらず「沈黙は金」らしい。
「何かありましたか?あったら言って下さい」

天下分目

2020年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム
中国は面白い国だ。シンプル・イズ・ベストを体現している。
言うこと為すこと、実に単純明快でわかりやすい。以前は米ソに対して「覇権主義だ!」と罵りまくっていたが、今は、「冷戦思考だ!」を枕詞に、気に入らない国を罵る。
中国が「覇権主義」を持ち出す時、まさにそれが自身の思考方法の本音であり、「冷戦思考」を持ち出す時、これまた、自らが目標とする「米中冷戦」だ。
本音は世界制覇だが、アメリカの存在が大きいので、先ずは米中対等の冷戦に持ち込み、世界の半分の覇権を目指そうと割り切っている。
極めて現実的な目的意識と、本音を隠せない「語るに落ちる」単細胞こそが、中国流だ。

中国は、プロセスを無視し、結果のみを重視する単純思考だが、極めて強力な現実戦略であり、決してバカにできない。日本には絶対にマネできない生き方だ。
今回のコロナ戦争にしても、最初の失敗は無かったことにし、「ウイルス勝利」、「善徳中国」、「世界覇権奪取」を目標にして、徹底的に「突撃」をしている。
形振り構わぬ中国は、WHOなどの国際機関を利用するためには、裏金を惜しみなく投入し、弱小国には、おだて、脅し。少しでも油断している国は、勝手に味方に仕上げる。そうして得た様々な力を、最前列の敵(米国)に集中的にぶつける。徹底的な「戦争戦術」だ。

関ヶ原
今、米中は経済覇権の「コロナヶ原」の戦場にいる。「自由主義」の大義を掲げる西軍の総大将・米国三成と、覇権を奪おうとする東軍の総大将・中国家康だ。
状況は一見、明らかに西軍に歩があるが、どちらに付くのか、怪しげな勢力が周りを取り囲んでいる。米国三成が当てにしている欧州秀秋は、中国家康の根回しにはっきりした態度がとれない。背後で中国家康に加勢しているはずの露国政宗も本音がわからない。
西側の日本景勝は、中国家康と露国政宗の牽制で動くに動けない。西側にいるが心は東軍の韓国広家・・・
「コロナヶ原」の合戦、誰が裏切るかがこの先の世界を決める。勝者になるには、先ず露国政宗に、中国家康を裏切らせることだろうが、日本景勝は露国政宗と和議を結べない。米国三成は筋道論ばかりで度量に欠ける。最後まで頼りになるのは、英国刑部だけかもしれない。

不浄不潔

2020年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム
実は子供の頃、教育用スライド幻灯・・・と言っても解らないかも知れない。今ならプロジェクターで動画、あるいはタブレットでチェックだろうが、昭和30年頃の学校は幻灯機でスライド写真だった。
暗室で見た、「手を洗う」話に、大きなショックを受けた。
先ず、手はいかに汚いか、どれだけバイ菌が付いているか、身の回りはいかにバイ菌だらけかを見せられ、「手を洗いましょう」で、手の洗い方を説明。
石けんの有無、水流の強弱で、手のバイ菌の落ち方がどれだけ違うかを、丹念に比較する写真のインパクトが、心の奥深く焼き付き、朝から晩まで手を洗うようになった。
これが習性になり、アライグマとして大人になると、手の温かみが汚れの手袋のような気がして、すぐ手を洗いに行く。

元々、脂性ではない上、これだけ手を洗うと手はガサガサだ。「指パッチン」がどうしても鳴らない。ハンドクリームも、塗った触感そのものが手を洗いたくなる。
買物には、袋詰めビニールを開くため、小さな水スポンジケースを持って行く。

これだけ手を洗うのに、30代には、食中毒にやられた。
食中毒は、自分が気をつけても、食事提供者のミスがあれば、「一服盛られた」ようなもので不可抗力だが、一緒に食事した人の中で自分だけ「当」たった。そもそもが虚弱体質なのか、手の洗い過ぎによる抵抗力の退化なのか、菌に弱いようだ。手を洗い出してから後の少年期も、自慢したいほど様々な病気に罹った。

この手洗いは、強迫性障害だと言われるだろうが、自分ではそうではないと思っている。
洗うには一応、理屈があって、汚れが想定される物に触れたときや、食品などに触る前に洗う。この条件がなければ、手の温かみを感じても、すぐ洗うわけではない。
また、手を洗える環境が無いところに行った時は、頭を切り替え、『もう、自分は外の環境と同じ、全て汚れた人間で、手だけ洗っても意味が無い』と言い聞かせて過ごす。
しかし、清潔に保てるところなら、やはり執拗に洗う。洗わずにはいられない。つまり、ある程度、理性的に制御できている。

大人になり、手を洗うだけが万能ではないことも解ったし、この習性は自分でも鬱陶しいので、意図して、汚いことを心がけることにした。
観念的な不浄と、物理的な不潔を峻別し、「汚い」と思われることも避けない。「きれい」に見えることでも、不潔であれば避ける。
日本人的常識では不潔なことでも、欧米人は無頓着で、それでも病気に罹らないのを見ていると、むしろ抵抗力が付くのではないかと、乾いたテーブルに落ちた程度のものは、積極的に食べることにした。(ただし、人前では気分を害するかも知れないし、公衆の場は不潔が成立している。他人の不浄と不潔は配慮する)

コロナが残すもの
子供の時に焼き付いた「手洗い」を克服するために、わざわざ、こんな努力もしてきたわけだが、今回のコロナショックは、子供たちに大きなトラウマにならないか心配だ。
手洗いうがいは絶対的に良いことだが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、抵抗力が低下するかも知れない。
子供はどこにでも入り込み、何でも手にして、汚さかのなかで抵抗力を育んでいく。これも重要な成長プロセスだ。
子供だけではない、近年、「除菌、除菌」と、不浄と不潔を取り違えた「清潔信仰」が広まっていたところに起こったこ大異変で、社会全体が中世のように忌避化しないだろうか。
マスクしない人を白い目で見るように、不潔と「信じる」不浄で、差別が生まれたり、職業差別が生まれたりしないだろうか。

差別は、無知、無理解から起こる。自分は特別だと思い、特別な自分を侵されないために、自分の知らないもの、理解できないものを差別し、拒絶する。差別する人の知的レベルとは、自ら差別されるべき無知蒙昧なのだ。
今起こっている医療従事者への差別は、まさに、無知蒙昧、想像力の欠如であり、差別する人こそが差別され、教育されるべき人なのだが、この先の社会は、この種の偏見が次々と起こり、戦時中のように、寛容さの無い不浄ヒステリーが横行しないか心配だ。
逆に、戦時中に育った戦後の若者のような、反動になるのかも知れないが。

深慮遠謀

2020年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム
コロナの中、各国は経済活動再開を始めた。
再開にあたり、フランスのフィリプ首相は、「我々は、ウイルスと一緒に暮らしていかなければならないと知って欲しい」と、呼びかけた。
こういう、国民をごまかさず、覚悟を求める呼びかけこそが、政治家にもとめられるものだ。何があっても、これまでの生活を捨ててでも、前に進まなければならない。
今こそ政治の正念場だ。いつか完全勝利して、昔が帰るような甘いことを言い、良い子に成りたいだけの政治家は、もう要らない。

学芸会の役者では、残念ながら、いざという時には役に立たない。世襲政治の限界だ。
これまで、口が悪い、柄が悪いと叩かれていたような人物の中に、チャーチルがいるかも知れない。今必要な政治家は、人気を気にせず情に流されず、信念に基づいて行動する、アイデアの豊かな人間だ。(信念の権化と言えば八白だが、今、目立つ八白のリーダーと言えば台湾の蔡英文だ)

これを機会に、秋入学と言わず、政治の仕組みを大きく変える時が来た。
政府が全てを丸投げしたため、地方自治体が存在感を増している。
民主主義の基本である、地方自治を前提とする国家が、明治維新以降の日本で、初めて現実味を帯びてきた。本当に地方の時代がやって来た。小さな政府が実現するかも知れない。こんな重大な局面で、自ら存在を消している安倍首相は、連邦制を仕掛けようという、深慮遠謀が有るのかも知れない。やはり、偉大な政治家だ!?

勇気と決断
先週、ニューヨークでの抗体検査の結果、抗体ありが14%で、推定感染者270万人となった。一方で、実際の死者は1万5千人だった。この結果、新コロナの推定死亡率は0.55%という事になる。
となると、3月14日の「水鳥の音」で推測した死亡率0.6%は、ほぼ妥当だったようだ。
つまり、マスコミが煽るような恐怖に、縮み上がってはいけないし、こんなことで、経済活動を自滅させるようなことはしてはいけないと言うことだ。

新コロナという、新手の悪性風邪が流行っていると考え、世の中全体で清潔を心がけ、不摂生に気をつけて生活しなければならないが、社会を止めるべきではない。これまでこんなことで止めたこともない。仮に収まっても2波、3波は必ず来る。
医療専門家の指図通りに動いていると、完全制圧はできるのかもしれないが、
「手術は成功した、だが患者は死んだ」という事になりかねない。
ここでどう生きるべきかを決めるのが、政治家だ。

病気には罹るかもしれない、死ぬかも知れない。しかし、敵が侵入してきた時、我々は寝ているわけには行かない。荒野に飛び出そう!
現実を知らせ、勇気を奮い立たせる演説をするのが、真のリーダーではないのか。