魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

前進前進

2020年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム
デンマーク紙が、中国発の新型コロナウイルスを風刺して、中国国旗の星をウイルスに置き換えて掲載したことに対し、中国大使館が「中国人民の感情を著しく傷つけた」として、公式謝罪を要求したが、デンマークは国を挙げて拒否した。
これこそが、中国の隠蔽体質の原点だ。

客観的事実よりも、体裁やメンツを重視して行動することが、本質を見失わせることになる。これはメンツを失えば実際の立場を失い、生存の危機さえ招くことになるような社会だからだ。
今回の新型肺炎の拡散は、体裁を気にし、上層部からの叱責を恐れた湖北省が状況を公表せず、さらには中国政府もメンツを気にして国際社会に公表せず、救援を依頼しなかったことが大きいだろう。
何とか、バレないうちに押さえ込めると思ったのだろうが、手に負えなくなり、やむなく公表したが手遅れだった。
中国政府が最も痛いと思うことは、真っ先に対面であり、拡散に対する責任ではない。

そういう態度を皮肉られていることに、気づかず、逆に抗議する。
その上、明らかにWHOを懐柔して、中国のメンツだけを保とうとしている。
WHOは緊急事態宣言は出さず、中国を訪問した事務局長は仰々しく習近平と会談した後で、避難の必要は無いと見解を述べた。
どんな手回しをしたのかは、見ていないから知らないが、世界に冠たる○○○大国。推して知るべしだろう。

こんな危なっかしい国が、金を持ったことで起こっている様々な方面での「進出」。
実に危なっかしい。
問題は中国文化ではない。中国共産党という山賊のような集団が独裁していることだ。
中国がもし民主化すれば、ここまでみっともない国にはならないだろう。
このまま一党独裁で、Aİを駆使して人民を管理し、支配していくなら、中国のみならず、人類にとっての大災難となる。
毒をもって毒を制す。中国を太らせた潮流の中で、トランプのような人物が現れたのは、荒療治ではあるが、人類の自己治癒力の発露、バランス効果なのかも知れない。

ただ、今回の新型肺炎はマスコミが騒ぐほど大したものではないだろう。平たく考えれば、悪性の風邪のようなもので、今ほど、医学が発達していない時代なら、「ふとした風邪がもとで」死ぬ人もでるのは当たり前だったのだから。中国共産党幹部はその程度の認識だろう。
福島原発事故の時、多くの国が避難指示を出したことに、日本人としては納得がいかなかったのと似たようなことなのだろう。

ところで、デンマーク紙のウイルス国旗を見た時には、思わず声を上げて笑ってしまった。ウイルスのイラストが、まるで走っているカモの親子のように見えたからだ。
中国国歌の「前進、前進」が聞こえてきた。

やっぱり

2020年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム
新型肺炎、感染源は野生動物と言われているが、正確な発生源は判っていない。
蛇かネズミではないかと言われているが、おそらくネズミだろう。
野生動物と聞いた時、きっとネズミだ!と思った。やっぱり、ねずみ年にはネズミだ。
昨10月、「木星移動」で、子年のネズミの災いの話を書いたが,最有力候補として「話題」になっている。蛇説はネズミを食べた蛇からとも考えられる。
タケネズミという種類だそうだが、ネズミ算で増えるということは、ネズミがそれだけ色々な動物の餌になっていると言うことだ。捕食者がいないければ、あっという間に増えてしまう。

イースター島に渡った人たちは、あてもない航海に出る時、ネズミを食用として積んでいったそうだ。世界に広がったモンゴリアン。今でもネズミを食べている中国人は、決して滅びないだろう。

やぎ座の木星を迎えた中国。対応に大わらわだが、隠蔽があだになったSARSに懲りて、今回は精一杯、公開を演じているが、高速鉄道事故で電車ごと埋めてしまおうとした現場担当者のように、隠蔽体質は治らない。今回も初動の遅れは明らかだ。
失点を挽回しようと、片っ端から都市封鎖に動いたり、一夜城のような病院建設ショーをやってみたり、一種のパニックになっている。
それぞれ一長一短ながら、何かにつけて日本とは真反対だ。

この新型肺炎の動向によっては、オリンピックが怪しくなる。
今回の東京オリンピックは周期上、1964年の再来ではなく、戦前の幻の東京オリンピックに当たる。64年のような完璧なオリンピックは難しいだろうと思っていたが、すでにマラソンの札幌移転など、ほころびが始まっている。
ロシアも正式出場できないし、この上、WHOの緊急事態宣言が出たり、どこかで戦争が始まったりすれば、どうしようもない。

オリンピックには反対だが、拒否しているわけではない。2020の成功を祈っている。

時の記憶

2020年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
阪神・淡路大震災から25年目の番組が多く組まれていた。東日本大震災10年後は政府としての追悼は行わないとの発表に、複雑な反応があった。
阪神当時生まれた人はもう25歳になる。実際に体験した人は昨日のことのように憶えているが、その後に生まれた人たちの感覚がどのようなものか、体験者には逆に、解らないだろう。

後に生まれた人の感覚がどのようなものか、体験談から考えると、理解できるかも知れない。
生地で、大きな地震があった。この時、18歳だった叔母が亡くなったのだが、その4年後に生まれたので何も知らない。東日本大震災なら、2015年に生まれたことになり、今年5歳になる。
物心ついた時から、母を始め、周りの大人も事あるごとに震災の話をしていたが、戦後のことでもあり、戦争の悲惨な話も日常を埋め尽くしていたので、震災だけが特別な話のようには思えなかった。今なら、相次ぐ自然災害のようなものだ。

ただ、地震というものに対する心構えは、心に深く刻み込まれたように思う。また、情報番組では伝えないであろう、下敷きになった人を火災から救うために、麻酔もなく足を切断した様な生々しい話は、心に深く刻み込まれている。

その後の人生においても、地震に関する報道となると常に目が離せない。NHKは年がら年中、地震の番組ばかりやっているような気がするくらいだ。
だから、東日本大震災の時は、誰もが津波から避難し、途上国のスマトラ地震のような被害者は出ないと信じていた。被害者数が明らかになるにつれ、逆に怒りのようなものさえこみ上げてきた。
地震そのものの被害はどうしようもない。しかし、津波は避けられる。そしてどうしようもなく腹が立ったのは原発だ。

もし、原発関係者が、地震体験をしていれば、あるいは、身近な人の追体験をしていれば、あんな馬鹿げた建設、管理はしなかっただろう。
戦争や災害の恐怖は、体験でなければ理解できない。知識を学校だけで身につけていると、全てが仮想世界であり、現実的な判断ができなくなる。優秀な学生であればあるほどそうだ。原発関係者はまさに優秀な人々であり、あの大災害をイメージできなかった。
原発関係者だけではない。今日の日本を動かしている「優秀な人々」はゴーンにあざ笑われ、悔しがっているが、ゴーンのような現実に生きる「無国籍(多国籍)」人は、法やルールのような仮想知識は道具としてしか見ていない。先ず何を相手にするべきかを知っている。

震災後に生まれた人たちは、直接語り継ぐ人たちの実感を受け継ぐが、その次の世代は仮想知識になる。しかし、現代には映像記録がある。直接体験した人には見たくない映像だが、第三世代には大いなる遺産として、体験証言録と併せ、子供の時から必ず視聴して、追体験すべきだろう。

何か変だ 2

2020年01月17日 | 日記・エッセイ・コラム
少子化
少子化で大変だと騒がしい。一昔前は経済成長の鈍化が騒がれた。
成金で贅沢をしていた人が左前になり、「困った困った」と言うので、金策は金策として、取りあえず、無駄な浪費は止めたらどうですかと言うと、
「今更、昔の生活には戻れない」と怒りだした。

ぬるま湯や、朝の布団は出られなくなる。人間というものは、たまたま得た幸福を当然のものだと思うから、それが無くなると異常事態だと、嘆く。
嘆いて焦れば、なおさら解決法が見えなくなる。いつまでも同じ状態を保とうとするより、違う世界をイメージし、腹を決めて飛び出すことが大切だ。早ければ早いほど良い。

少子化を叫ぶ一方で、日本の保守党は家族について、「日本の国柄」と、さも普遍の真理のように唱えるが、これは古都の町並み保存のように、守るべきものを間違えている。古都は絶え間なく姿を変え、今残っている町並みはせいぜい江戸以降のものだ。外見だけ同じ形を保とうとすれば、暮らしが失われ、見世物のテーマパークに化す。
人は時代に生き、その時々のニーズに合わせて変わってゆく。残すべき伝統とは、形ではなくその生活の息吹や、人々の心意気だ。

「日本の国柄」とは、武士や忍者や、忠義や家ではない。権力構造や社会モラルは、時代と環境によって変わる。日本人は、努力と工夫を重ね環境に適応しながら1万年余を生き抜いてきた。日本は渡来人だけの国ではない。適応と和を求める心こそが日本の本当の国柄だ。
人口のあり方も、戸籍や権威を超越し、「今来=新渡来人」を呑み込む大きな視野に立たなければ、逆に「外人」に呑み込まれてしまう。純血主義は滅びの始まりだ。

世界環境が大きく変わる中で、国柄としてこだわっているのは、たかだか5~6百年、もっと言えば、明治以来の家族制度であり、それで子供だけを増やそうとするのは、世界の趨勢を無視した単なる時代錯誤だ。残念ながら、大日本帝国は滅んだはずだ。「日本の国柄」という朝の布団から出ない人たちは、布団に入った時代を忘れている。
日本列島に次々とやって来た、我々日本人の生命力と叡智を、信じるべきだろう。

適正人口
いったい、日本列島の人口はどれほどが適切なのか。
Wikipediaによると、km2あたりの世界の人口密度は、20,000人を超えるマカオや5,000人を超える香港などは例外として、日本は336人の34位、140人76位の中国よりも倍以上も多く、32.7人173位の米国に至っては10倍多い。産業構造や地理的条件から一概には言えないが、経済力と人口は直接関係ない。
日本の人口は、明治の開国以前に4千万人を超えたことはなく、あの大戦争を始めた年でさえ、8千万人を下回っている。

日本人がこの日本列島で心地よく暮らすのに、これ以上の人口は要らないはずだ。
今、人口減少を騒ぐのは、福祉を支える目先の経済構造に問題があるからだ。
高度成長期に大盤振る舞いをした、無責任政治を反省して、国のありようを転換する国士がいない。国民の嫌なことを言い出せないポピュリスト政治家が、人口をスケープゴートにしている。

それでも、どうしても人口を増やしたいのであれば、婚姻制度から改め、出産から結婚の縛りを解くべきだ。
核家族社会の現実を見ず、「日本の国柄」と大日本帝国の残像を夢見ても、人口が増えるはずがない。
核家族の向こうにあるものは個人であり、その中で人口を増やしたいのであれば、先ず、婚姻を前提としない出産と、子供を社会で養育する環境を整えなければ、子供はもとより、社会全体が不幸になる。
現代でも、婚姻は「家」の概念を引きずっている。子供を産むためだけに結婚してすぐ離婚が、年々増えている。このまま行くと離婚社会になり、居直る人はいても、決して清々しい社会にはならないだろう。
日本が本当に守るべき国柄とは何か、深く考えて欲しい。

怒らせる

2020年01月09日 | 星の流れに
第七室は、対人や結婚を表す。ここに来る惑星の意味が、目の前に現れる人のタイプを表す。火星が来れば、闘争心を持った人、若者、軍人、荒くれ者が現れる。
しかし、実は、相手を選ぶのは自分自身でもある。日頃から注意深く過ごしていれば、相手が闘争を仕掛けてきたり、粗野な態度を取る人と関わることもない。
だから、火星が7室に来ると、目の前の人が怒り出す・・・のではなく、怒らせるとも言える。

1月3日、火星が射手座に入った日、射手座を第7室とする双子座のアメリカ、およびトランプはイランのソレイマニ司令官を暗殺した。イラン国民とシーア派はもとより、自国で勝手なことをされたイラクも怒っている。
双子座と言えば、習近平もトランプと1日違いの双子座だ。どこまで習主席の意思が働いているのか解らないが、中国は4日に、早々の尖閣年始に現れた。

国賓訪問の話が進んでいる中で、こうした、相手を従わせようと試すのは、中華圏の作法らしい。朝鮮半島も同じ事をやる。こちらが「和」を求めると、わざわざ無理な要求をして負荷を負わせ、相手の立場を下げて自分が上位に立とうとする。
上下を前提とする儒教思想は、人権・平等を前提とする現代の潮流に、全く相反するものだということが理解できないらしい。これも一つの宗教戦争だ。

しかし、取引の前に、大きくふっかける「掛け値」は、世界的にも常識だ。だから、客側も値切る。トランプは、すっかりこれにハマっているが、米中貿易戦争でも繰り返し仕掛けるだろう。イスラム圏や中華圏は駆け引きが文化で、これを相手にできるのは、トランプのような商売人しかいない。蛇の道は蛇だ。
日本でも掛け値が常識だったし、それ故に、武士は商人を卑しいものと見下げていたが、近頃の日本人は、サラリーマン社会で皆武士気分になり、「掛け値無し」を信じるようになった。世界の観光地で、言い値通りに買うのは、日本人くらいかも知れない。

イスラム圏を相手にも、トランプの駆け引きは仕掛けられている。イラン核合意から離脱したのは、老人が昔の恨みに囚われていただけではない。トランプの目で見れば、欧米諸国が、イランの核ビジネスにしてやられていると映ったのだろう。
司令官暗殺という「掛け値」は、トランプの勝負だ。
文化施設破壊など、次々と、脅し文句を並べ、世界中の常識人が騒然としているが、トランプの差引勘定では、落としどころが念頭にある。
イラクは立場上、アメリカに中東から出ていけと宣言した。イランも他の反米アラブ諸国もアメリカが出て行くことは大勝利と思うだろう。

アメリカは、欧州の植民地政策の尻拭いで、恨まれるだけ恨まれ、暴れるだけ暴れて、今更引っ込みが付かなくなっている。トランプは始めから、世界の警察は辞めると言っているし、中東からうまく引き揚げると言っている。
今、イラクの要請で撤収するのなら、無責任とは言いたくても言えないし、反米諸国も大喜び。その上、アメリカはやっかい事から手を引ける。
トランプは本心、「All is well! 」だろう。終いまで、トランプの計算通りに行くかは別にしても、アラブとトランプも相性が良い。互いにあうんの呼吸だろう。

水や空気

2020年01月07日 | 占いばなし
IR汚職事件。当たり前の話だ。お金でお金を釣ろうという賭博の世界に、汚職文化の中国とくれば、便所でうんこが付くより当然だ。
昔、男社会で宿舎暮らしをしている友人と久々に会って、話していると、
「トイレで、屁を笑うのは反則だろ。トイレ以外のどこでしたらいいんだ」
と、笑い話のつもりで話してくれたが、何となくズレているような気がした。
「屁をひって面白くもなし独り者」の川柳もある。男どもが集まって、屁で盛り上がっている様子が目に浮かんだ。

政治家の世界、商売人の世界、それぞれに空気がある。水とも言う。
空気は、その中にいると何も違和感を感じなくなる。匂いや音に敏感な人でも、すぐ慣れてわからなくなる。不正も、それを当たり前のようにやられると、「こんなものか」と馴れてしまう。
口説きのテクニックの一つに、既に二人は認め合った仲と、堂々と振る舞えば、抵抗感がなくなる。中国は世界中の政治家を汚職に引き込んでいるが、中国ではごく当たり前の作法だから、堂々と汚職を働きかけ、容易に相手を巻き込んでしまうのだろう。

一白の安倍長期政権には、イケイケ、なあなあの空気が蔓延しているようだ。
一白は水だ。二黒、五黄、八白のような、融通の利かない土性の「実質」と違い、風の四緑や雷の三碧と同類の水は、融通無碍で形がない。形がないから、何の裏付けもないことでも「素早く」「自在」にやってのける。
今回、日本を脱出した、カルロス・ゴーンも安倍総理と同い年の一白だ。
やはり一白の田中角栄が、終戦間際に建設を請け負って朝鮮に渡り、ロシアの参戦を知るや、前渡し金の軍票を円に換金して日本に引き揚げたと言うエピソードは有名だ。真偽はわからないが、それほど素早かったと言うことだろう。軍票は日本が負ければ紙くずだから、仕事をせずに大金を手に入れたわけだ。戦況をにらんでこの展開を読んでいた可能性もある。一白「水」は智の星でもある。筋書きさえ浮かべば道理や常識にこだわらない。こんな芸当は、実体や裏付けにこだわる土性にはできない。

しかし、この素早さが常に成功するとは限らない。「策士策におぼれる」。イケイケで走っている最中の田中はロッキードで墜落した。
長期政権で、すっかり一白ムードに覆われた安倍政権のイケイケは、金融のアベノミクスに始まり、やはり産業の実体のない、IRのような「徒手空拳」を好む。消費税の軽減対策でも、コネコネと手品師の様なネコ欺しをやる。
田中角栄の日本列島改造論、中曽根政権のバブル景気、一白の、ムードだけの景気が去ると、国民は膨大な借金に苦しむことになった。
賑やかなアベノミクスだが、対処療法が次々と打ち出される割に、日本がどこに向かっているのかさっぱり解らない。
ただ、田中、中曽根政権と違うのは、麻生との二人三脚という点だろう。金性六白の麻生こそが本体で、天の六白は国際的に大きな絵が描けるが、大きくなり過ぎるとパンクする。歴史上の典型的人物には、白村江で大敗北をした天智天皇がいる。

何か変だ

2020年01月01日 | 結婚コン
2019年のジェンダーギャップ指数が、日本は153カ国中の121位で、去年110位よりさらに下げた。最大の理由は政界、ことに閣僚の女性比率が少ないことが大きく足を引っ張ったそうだ。
おそらく、夫婦別姓さえも認めない長期保守政権の、男系天皇の国としては必然的な結果なのだろう。
保守党の家族観、父系をベースにする日本の婚姻制度には反対だが、この男女格差ランキングには全く賛同できない。
男女が対等であることと、機会均等に男女が同じ職業に就くことは全く別の問題だ。

男女は人権において対等だが、同じものではない。例えば、一部の例外を除けば、筋肉仕事は男性に向いているし、自然発生的には男性は子供を産めない。あるいは、女性の権利が叫ばれる現代で、逆に注目されるようになった、男性脳、女性脳のような適正の違いもある。
同等の人権のもと、違う両者が協力し合うことで、社会は良くなるが、その協力の形や度合いは、集団のベースになる歴史や文化で異なってくる。
男女の平等とは、一つの文化集団の価値観でランクをつけるようなものではない。こんなものに上下をつけること自体、独善的自己肯定、つまり、文化差別だ。

戦前、優生保護などと言う西欧の価値観が、当たり前のように基準視されたが、時が経てば、とんでもないことだった。
女性が政治に向いているかどうかは解らない。そもそも、政治とは何かの問題がある。ただ、男性脳、女性脳のような観点で見ると、仮に、女性だけで政治が行われれば、おそらく、平和で和やかな社会になるだろうが、変化には弱くなるのではなかろうか。
だからこそ、男女が協力して政治を行うべきとなるのだが、それが可能なのは、牧畜文化から生まれた、父系の一神教を背景とする欧米文化だからだ。
根本的に男尊女卑の文化だからこそ、協力が必要となり可能となる。

日本は、根本的には母系の海洋文化に、男女対等の農耕文化が重なり、その上に役割分担として、表面的には、男尊女卑の中華形式が出来上がっている。
政経分野で女性が少ないのは、こう言えば色々反論があるのは知っているが、女性自身が成りたがらないからだ。闘争の政治世界は、角を立てて張り合い、リスクとストレスが多い割には、女性としての幸福感が少ない。女性としての幸福感とは、ジェンダー由来のものではなく、女性脳を満足させる「なあなあ感覚」の世界、安定と平和だ。
役割分担として、闘争から遠ざかってきた日本の女性は、責任の無い場で文句を言うことに慣れきっている。しかも、表向きは支配されているようで、欧米とは違い、実質は男性を支配している。わざわざ、男性を押しのけて、責任を引き受けるようなバカを好まない。

日本の政財界で役職に就いている女性は、そう言っては語弊があるが、大方が、男社会に利用されている人ばかりで、女性で賢い人は表に出ず、日本のしくみを不服そうな顔で利用している。

事実、日本では欧米のように、命をかけて女性の権利を主張した人たちはいない。欧米はそれほど厳しい男性社会という事だろう。
しかし、日本人女性が欧米女性より弱いわけではない。むしろ、シンの強さは群を抜いている。スポーツなど、女性の戦いでは体力差があるにもかかわらず、常に上位にいるし、緒方貞子のように、日本の仕組みを離れた場では、任された仕事をやり通す。
日本女性は、欧米社会で這い上る女性のように、権力への闘争心を持たないだけで、むしろ行政管理能力は圧倒的に優れている。それは日本社会の底流が女性によって成り立っているからだ。欧米では、あまり内助の功の話を聞かないが、日本の権力者にまつわる話には、ほとんど妻の話が付きまとう。
欧米では、ファーストレディーはおまけ的存在だが、日本の権力者の妻は、夫を操る傀儡師と言って良い存在だ。

日本社会が女性に操られる表面上の男社会であることを理解できない、男尊女卑の欧米社会が、日本の現象を批判するのはやむを得ない。しかし、それをステレオタイプに受け継いだ日本の女性解放家が社会批判をしても、全く見当違いな漫談にしかならない。
日本の女性解放を主張する運動家は、女性中心で起業し、日本産業を支え、支配することを心がけることが先だろう。男性であっても、起業家は皆苦しんで起業してきた。
日本企業の多数が女性の起業になってこそ、真に対等の社会が訪れる。

余談だが、日本よりランクが上となった中国では、日本のことを馬鹿にする意見が多いが、中国こそ男尊女卑の本山だ。共産党中央の幹部には女性はいないし、偉くなると芸能人を妻とし、毛沢東のように、その妻が権力を振るうと政治混乱を引き起こした。また、現在の共産党の息で据えられた香港行政長官は、香港の混乱を自ら演出したと言って良い暗愚だ。つまり、選挙のない中国では絶対的に女性がトップに立つことがない。女性はただのお飾りと考えていることが明白だ。
これに引き換え、選挙のある台湾では女性が総統となり、果敢に中国に立ち向かっている。