「おじいちゃん」や「お年寄り」がNGなら、どう呼べばいいのだと思う人がいるかも知れない。
あえて例を挙げれば、「OOさん」と名前を呼ぶか、普通の大人の呼称「おじさん」でもいい。「お年寄り」は「高齢者」や「先輩」と呼び替えてもいいだろう。
なぜ、「おじいちゃん」や「お年寄り」がNGなのか。この説明は、一筋縄ではいかない。
何よりも、日本社会が大きく変質してしまったことがある。
江戸時代のように、年寄りが尊敬される社会では、「年寄り」は敬語だった。
「年寄り=偉い人」と、誰でも思っていた。大老、老中など、大臣や賢人会のような敬称としても使われていた。
そういう時代の「お年寄り」や「おじいちゃん」を、現代も敬語のつもりで使うと、逆効果になる。
今や、経験や知恵より、若者パワーだ。戦後のアメリカナイズで、年寄りの価値は地に落ちた。成果主義、実力主義の時代だ。
衰えた、ひ弱い年寄りと思われては、のけ者にされる。ヤバイ!
シワだらけの、小汚い年寄りと思われては、嫌われる。ヤバイ!
元気そうに飛び回り、体の構造を変え、若者に色目を使い、喧嘩を売る。まだまだ負けんぞ、と、金をばらまき、昔の自慢をする。
そんな、現代の年寄りに「お年寄り」などと気を遣おうものなら
「誰が、年寄りだって!?」
と、優先席で逆上されることさえある。
若者社会で、立て前の敬老は成り立たない。
封建時代のように、タテ社会の頂点に、長老が居たような時代ではない。
妙に「先輩・後輩」の序列にこだわったり、「お年寄りを大切に」と言ってみたところで、ますます、実力との差が強調されるだけだ。
その本音が、後期高齢者や、若者の年金への不満となって現れる。
(実力もないお荷物のくせに、と)
もう、立て前の「偉い年寄り」など存在しない。
「わかぞう」とか「おいぼれ」のように、人を年齢などの社会的な立場で呼ぶ時代は終わった。現代は、個人の人格で付き合う時代になった。
だから、歳にかかわらず、その人の固有名詞で呼ぶのが、良いのだろう。要するに、欧米化したのだ。
その個人を特定する「課長」や「部長」はアリだが、「先生」や「おじいちゃん」のように、社会的立場を表す呼称は人格無視につながるのだろう。気分を害する人がいる。
「おまえに、立場を決めてもらわなくていい!」 という気がするのかも知れない。
先日、90歳の「隣のオトウサン」のことを話した。これは、関西的な呼称だと思うが、なかなか、うまい呼び方だ。
名前がわからない時に、年寄り扱いではなく敬意を払った、個人を特定する呼び方だ。「ご主人」では親しみが薄い。
「オトウサン」は実力があり、「オジイチャン」に代わる社会的存在にもなるかも知れない。