魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

希少体験

2024年04月30日 | 日記・エッセイ・コラム

バスが遅れて、高架駅に見えている電車が出てしまった。次の電車まで20分はある。
お腹がすいているわけでもなかったが、駅のコンビニでジュースとパンを買った。甘食風と書いてあるが一個包みで、ヤマザキとは見た目も大きさも微妙に違う。で、試してみることにした。
琵琶湖に面した湖西線のホームは見晴らしが良い。小雨気味なので、屋根の下の背中合わせ二席四人がけになっているベンチの一番端の外側に座った。反対側にはすでに岩尾の親戚みたいな人が座っている。
コンビニでおしぼりまで付けてくれたが、袋の端を開いて食べれば素手で食べられる。ミックスジュースを一口飲み、「甘食風」をかじると、確かにヤマザキの甘食とは違い、カステラ風ではなく、「しっとりケーキ」の名前の通り、少しもっちりしたケーキだった。
思いのほか美味いなと、もう一口食べてみようと口に運ぶ瞬間、「バッ」と音がして、手に何も無くなった。
『えっ、え、ええ???』
一瞬、何が起こったかわからず、頭を上げると、5~6m先で、トンビが袋をぶら下げたまま右旋回するところだった。

「不覚!」。チコちゃんに叱られそうだが、あまりの見事なワザに笑ってしまった。
口元まで持って来ているのに、全く接触がなく、セロファン袋の「バッ」という音のほか、ほぼ何の感触も無かった。音に注意を取られたのか風さえ無かった。
おそらく、目一杯足を伸ばして掴んだのだろう。スローモーションが目に浮かぶ
「鳶に油揚げをさらわれる」を本当に体験した。世間ではハンバーガーをとられたり、小型ペットがサラわれたりする話を聞くが、逆に、こんなことは仕掛けてもなかなか起こらない。希少な体験は怪我も無く、ラッキーと言うべきだろう。もちろん生まれて初めてだ。長生きはするものだ。

しかし、返す返すも感心する。小雨交じりで周囲にトンビが飛んでいる気配さえなく、どこから来たのだろう。後で見渡しても、どこにもトンビなんか飛んでいない。後ろから来るのは当然だとしても、一応、屋根の下だ。しかも、周囲にいる人が誰も気づかない早業だ。お節介な関西人がこれを見て声をかけないわけがない。後ろにいた岩尾の親戚も何事も無かったように電車を待っていた。


法令遵守

2024年04月25日 | 占いばなし

10代の頃、人相の本を読んで「早く自分も法令線ができるといいなあ」と憧れた。
ところが、近年、「ほうれい線をすっきり解消!」とか、「ほうれい線を作らない秘訣」とか、人相の観点からは想像もつかないフレーズが飛び交っている。
先日、口腔医療の専門家が、近年は堅いものを噛まなくなったために、身体全体に悪影響が起こっている。「食レポで、『柔らかくておいしい』などと言うから、柔らかいのが美味しいとスリ込まれている」と、笑いながら怒っていた。

産業革命パラダイムの中で、現代人は「売らんかな」に身も心も毒されている。身体中の毛を剃るかと思えば植毛する。日焼けクリームを売っていたかと思えば、日焼け止めクリームを売り始める。
派手な恋愛ルールや結婚式、葬式は、結果的に恋愛忌避や結婚減少、葬儀の簡素化を生んだ。すると今度は、長生き健康サプリであたかも死なないような宣伝をする。
枚挙にいとまが・・・と言うより、世の中この時代、すべてこの水の中で暮らしている。だから、みな本来あるべき姿に気づかない。「自分探し」と思ってみても、水の中では見つからない。

法令線
「深いしわが刻まれる」と言えば、苦労や試練を経験した表現だ。40を過ぎたら自分の顔に責任を持てとは、行状が悪いと悪いシワの配置になり、人相が悪くなるからだ。
法令線は、人生経験によって築かれた人格の深さに比例する。むっと歯をかみしめて、耐えて考え、そして笑っていると自然に生まれる。
法令線があっても人格者とは限らないが、善悪にかかわらず、確固たる自分を持っている印になる。
その法令線を、有ってはならないものと認識する社会は、自分を持たない人、覚悟を持たない人が望まれる社会ということだ。
これでは、いくら「自分探し」をしても、どこにも見つからない。

昔の人は、今のように学校でたたき込まれる知識や、絶えずささやき続ける誘惑の言葉がなく、各々が毎日、経験の学校で学び、シワを刻み込んでいった。
そうして生まれる憧れの法令線を遂に得たが、もう、顔中がぐちゃぐちゃになっていた。


ゆく春に

2024年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

薄雲に君忘れじの花一つ

ひさかたの薄雲かおる葉桜に春をとどめん一輪の花

街に出ると、桜はもう葉桜になって初夏の陽が差し始めていた。

・・・・・・
『港が見える丘』
あなたと二人で来た丘は
港が見える丘
色褪せた桜唯一つ
寂しく咲いていた
船の汽笛咽 (むせ)び泣けば
チラリホラリと花片 (はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした

あなたと別れたあの夜は
港が暗い夜
青白い灯り唯一つ
桜を照らしてた
船の汽笛消えてゆけば
チラリチラリと花片
泪の雫できらめいた
霧の夜でした

あなたを想うて来る丘は
港が見える丘
葉桜をそよろ訪れる
潮風浜の風
船の汽笛遠く聞いて
ウツラトロリと見る夢
あなたの口許あの笑顔
淡い夢でした
・・・・・・

近年、桜歌が洪水のように生まれたが、戦後育ちにはなんと言ってもこの『港が見える丘』が一番だ。それまで「貴様と俺とは同期の桜・・・見事散りましょ国のため」と歌っていたのだから、このスイング歌謡で、世の中は変わった。『東京ブギウギ』の3ヶ月後、桜に合わせて出したのだろう。4月発売だから、始めから葉桜を狙っていたものと思われる。
同じくこの1947年、坂口安吾の『桜の森の満開の下』も発表され、全きものへの拒否感が語られているから、葉桜に見る哀愁や郷愁、そして安心感が、日本人のわびさびに沁みたのだろう。
美しき皇国史観の夢破れた思いを断ち切る『東京ブギウギ』の一方で、心のやり場を与えてくれた歌『港が見える丘』の最後は、「淡い夢でした」と嘆息する。

これから4年後の『上海帰りのリル』は、まだ、一日中「尋ね人」が放送される中で、断ち切りがたい過ぎ去りし日への思いを歌い、
翌1952年のNHK連続ドラマ『君の名は』の冒頭では、「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」と語りかける。
敗戦、占領下の日本人の心の葛藤を最も慰めてくれた歌は、『港が見える丘』ではなかろうか。


里山の都

2024年04月17日 | 京都&ケンミン文化

4月14日、京都の植物園に鹿が二頭舞い込み、臨時休園になった。15日もいたのでまた休園になったがそのうち勝手に出て行ったそうだ。地下鉄北大路駅に近く、街中なのでどこから来たのかと思ったが、賀茂川の並びだから、山から賀茂川沿いに降りてきたのだろう。
山にかこまれた京都は今でも自然の中にある。大雨が降ると鴨川に山から大サンショウウオが流されてくる。何年か前には鞍馬寺に行く叡電にクマがぶつかったこともあった。
鹿と言えば、先日、京都大津を繋ぐコースの一つ比叡山の山中越え(呼称)で肝を冷やした。
暗くなった峠をバイクで下りながらカーブを曲がると、突然鹿がいた。それも二頭、10メートルほどの正面を横切るところだった。以前にも鹿に遭遇したことがあるので、用心はしていたが、前回はボーッと立っていたのに、今回は走っている。しかも一瞬、立ち止まって逆に動くそぶりを見せた。こちらが反対に切ろうとした方向に動きそうなので、ブレーキを強くにぎると、軽いスリップ状態になり、ぶつかるのを覚悟で立て直した。鹿が再び前に走り出したので、かろうじてすれ違うと、鹿の臭いがした。この間、0.5秒以下だろう。フ、ファーッ!!! 声の出ない悲鳴を上げた。
昼間でも、ウサギが道の真ん中をのんびり、ピョンピョンと言うより、ペッタンペッタン歩いていた。鹿やサルは景色の一つだ。

大谷大学南の賀茂川から続く紫明通りの分離帯には、近年、小さな公園が造られた。偶々通りがかったので覗いてみると、人工の川の岸辺に備え付けたようにつがいの鴨がジッと佇んでいる。賀茂川に近いのだから鴨がいて不思議ではないのだが、わざわざ人工の川でデートしているのが、微笑ましくもいじらしく、疎水の水が流れるこの人工川にも、既に何か食べ物があるのだろうかと感心もした。


無為無策

2024年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム

語弊を承知で言えば、ぶっちゃけ、多少の政治モラルなどどうでも良い、国民を元気にする政治に命を賭けて欲しい。
与党も野党も愚にも付かない不毛なカラ騒ぎを繰り返すだけで、国民を考えているとは到底、思えない。彼らにビジョンや情熱は無く、政治を飯の種にしている。政治は私財も命をも投げうつ戦いだ。きれい事の伝説だけが残る戦国武将や維新の志士の日常は、品や美しさとはほど遠い、極論すれば盗賊集団やヤクザのような凄まじい熱気で動いていた。当然、金や色や言動はデタラメだ。

災害、エネルギー、外圧、農業、過疎、人材・・・解決しなければならない問題の山の前で、手違いレベルの不正で大騒ぎし、政争を戦いだと思い込んでいる。野党がだらしないから自民党政権が続くと言われるが、無能与党の野党なら、それ以上に無能なわけで、ミスを荒立てて騒ぐほかにすることもなく、しかも、それがまかり通る泰平の日本なのだから、どこにも希望がない。
政治を政争儀式と考える平安朝の王権が、選挙の得票率になっただけの「政(まつりごと)」を目的化した連中が、お祭り騒ぎをしているだけの茶番に、国民は慣らされ、怒り、喜び、失望し、それでも納税している。
ドラマや舞台を観ているだけが政治だと思わされているから、選挙という拍手やブーイングで参加している気になっている。面白くなければ棄権して出て行くが、会場から出ても、自分たちでもっと面白い見世物を始めようとも思わない。

結局、アメリカの冊封国に埋没し、役者も観客も、独立国とは何かを忘れてしまっているから、誰も芝居小屋をたたき壊さない。いや、たたき壊す必要はない。芝居小屋の前で、新しい芝居を始めて客を集め、最終的に芝居小屋を乗っ取れば良いのだ。

新しいビジョン、新しい政策、新しい公約を掲げ、ネット上で選挙をし、サイバーシャドー政権を起て、常に代替案を打ち出す。
未だに「ネット投票」もせずに、国民の税金を湯水のように使いながら、政治には金が掛かるなどと本気で妄言を繰り返し、どちらが正しく使っているかを論う政治寄生虫に対し、若い世代が中心になって、金とは一切関係ないサイバー政治を提示して、政治家の無能を白日の下にさらせば良い。これはおもしろ半分でも充分意味がある。

批判し甲斐のない今の政治には、もううんざりだ。ネットの世界に生きている若者が中心になって、サイバーから始め、リアル民主独立国を建国する日は来ないものだろうか。


別の次元

2024年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

4月3日、台湾でM7.7の大きな地震があった。2時間後、正月のM7.6から余震が続く能登でもM3.4があった。
プレートの交差する日本や台湾は、同じ環境に置かれている。一方で、中国共産党は、放っておけば、ユーラシアプレートは自国領とまで言い出しかねない勢いだ。恐らく、彼らの適当な感覚では、日本も中国領だろう。
中国の言う台湾は歴史時代の話だとしても、せいぜい大航海時代以降だ。それまでは環太平洋の黒潮文化圏として、台湾は中国よりはるかに日本と縁が深い。

沖縄の言葉は日本語の古語であり、その沖縄と台湾は至近距離で自由に行き来していた。近代、清によって支配されてから中国語が主言語になっているが、それ以前は違う言語を話していたはずだ。中国は日清戦争で台湾を日本に奪われたと思っているが、そもそも台湾は彼らが奪ったもので、それまで中国は周辺の島国には関心がなく、邪馬台国論争もその無関心が一因だ。
日本や台湾を含め、近代国家以前の環太平洋は、大陸とは別の大きな海洋文化圏を成しており、言語、食べ物、衣服、漁、航海術、交易・・・と、日本文化の隠れたバックボーンには、海洋がある。

アメリカに併合される前、日本を頼ったハワイの王に、日本は何もできなかった。今、台湾を自国と主張する中国共産党の札束攻勢によって、太平洋の島国は浸食されつつある。日本もそうであるように、環太平洋の島々は渡来者に寛容だ。海を越えてきた希人を歓迎し、新しい文化やDNAを取り入れた。ただ、それは少人数の場合で、大量に押し寄せられると、間単に亡んでしまう。環太平洋アメリカ大陸のピュアーな先住文化は一瞬で亡んだ。弥生時代の渡来人は恐らく、時間を掛けて五月雨的に来たことで、日本はどうにか融合できたのだろう。

ローカル連合
大量に押し寄せる大陸族の前に、太平洋上の海洋民はもろいが、海洋には海洋の暮らし向きがある。環太平洋の結束を高めなければ、海洋文化は亡んでしまう。「大航海時代」とは大陸側の視点であり、現代の国家や国連はその結果だ。
環太平洋の民族文化を守る為には、国家の枠組みを超えて、ハワイや台湾、欧米領の島々などが連携し、島単位の環太平洋広域文化連合が必要だ。もちろん日本列島もそれに属する。

単なるフォーラムやカンファレンスではなく、ASEANのような国家連合でもない地域連携だ。野心に穢れた国連の承認争いから離れた、海洋文化圏の超国家組織によって、海洋の強固な経済共同体を形成し、ゆくゆくは海洋治安協力から、EUのようなPIU(The Pacific Islanders Union)にまで進化させてはどうか。
始まりが島嶼ローカル連合であれば、ハワイや台湾も、アメリカや中国に遠慮することはない。日本も知事会などの立場で参加し、国連に対する地方分権を推し進める。
ネットワーク化する世界に、近現代国家は無用の長物であり、戦争以外にすることがない。グローバル企業の存在の中で、個人や地域の連携が新しい時代を画していく。
近代以後、欧米も日本も中世的な地元である「お国」が無くなったが、暴力組織の近代国家が崩れつつある今、個を基本とするネットワーク組織、新時代のローカルが生まれてくれば、やがて、国家による愚かな戦争が消えていく。

ベトナム戦争時の徴兵拒否から、ウクライナ戦争の国外逃亡、そしてイスラエルに対するアメリカからの批判・・・若者の目は、暴力国家の論理から人類、ガイアの視点に移りつつある。現在のロシアや中国共産党の極端な時代錯誤は、必然的に自滅する。
その過程の大きな座屈衝撃を緩和する為にも、個人や地域、テーマ別の連携が迫られている。
→「小さな舟」20111007


若者万歳

2024年04月03日 | 日記・エッセイ・コラム

PCが不調なので大型家電に見に行った。パソコン売り場で見ていると、後ろから若い店員が声を掛けてきたので、AMDとIntelの性能比較を訊いたら、適当なことを言いながら「一度もパソコンは使ったことはないですけどね」と言う。言葉を失い、「スマホ世代ですか」と、訊くともなくつぶやいた。
声を掛けてきてそれは無いだろう!?

店舗で声を掛けられるのが嫌いで、普通は店員の近づく気配を感じたらサッと逃げる。訊きたい時は自分から声を掛けるのだから放っておいて欲しい。
後ろから来られたので不覚を取ったが、声を掛けた上に、自分では言い訳のつもりなのだろうが、「今時パソコンなんか使っているの?」と言わんばかりの、客を愚弄する態度。
空気や立場を知らない。これがZ世代だ!と感動し、店を出ながら思わず笑い声を漏らしそうになった。日本の未来は明るい、ガラスの床も抜けるかも知れない。
Z世代。大好きです