魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ドッカーン

2013年12月30日 | 星の流れに

天秤座に火星が入って、3週間。陰に日向に、問題が吹き出している。
安倍首相は9月21日生まれだから、厳密には乙女座だが、ほとんど天秤と見なしても良いし、その安倍首相の乙女座27゜に対し、火星は11月後半から影響を及ぼし始めている。
もちろん、天秤座の日本にも同時に影響が現れる。

火星が影響し始めた11月23日。中国が突然、防空識別圏を発表したのも、中国にとっての第4室、天秤座の国境領域問題での攻撃的な火星の影響だ。

同時に、天秤座の日本、及び安倍首相の焦りや怒りを引き起こす。
11月26日に衆院、12月5日の参院で「特定秘密保護法」を強行採決。
11月27日に日本版NSC「安全保障会議設置法」改正参院で成立。
12月17日には「防衛大綱」の大幅な変更がなされた。
そして、12月26日には、安倍総理の靖国参拝と続く。

ドッカーン ドッカーン

もう、日本は完全に、「キレた」

火星が天秤座に入ることで、心配していた遥か南海の国境より、日本の中枢が先に発火した。

真珠湾攻撃の時、大本営発表を聞いた日本人は、賢愚保革を越えて、ほぼ全国民が、「清清した」と喜んだ。

安倍総理の靖国参拝に関して、中韓との軋轢を危惧する、欧米からの批判が上がったことで、国内でも批判的な意見が広がったが、
実際には、靖国神社の根本的な意味や成り立ちなど、関係なく、
「7年間、中韓に配慮して、何か良いことがあったか」の思いで、アンケートの数値以上に、支持がわき上がった。
批判に回っている人の中にも、心のどこかに「清清した」と思った人は少なくないのではなかろうか。

火星が来て、一番心配されることは、まさにこういうことだ。
火星は、がさつな若者の怒りを表す。衝動的で配慮のない言動は、若気の至りなら大目に見られるが、しかるべき年、しかるべき立場の人間が行えば、非難の的になる。

土星が入った星座の人間は、モウロク言動で非難される。
今回の猪瀬知事や、「子供を産む機械」事件の柳沢厚労大臣の例だ。「蝎に来た

一方、火星が入ると、異常行動でヒンシュクを買う。「火星通過
オセロの中島など、いわば個人的問題だと思うのだが、有名人であることで、集中砲火を浴びた。
日本は、世界の中の有名人だ。個人の問題だから放っといてくれと言っても通用しない。火星は、注目を浴びる「有名」の星でもある。

オヒツジ座、カニ座、天秤座、山羊座の、全「活動宮」に、それぞれ、天王星、木星、火星、冥王星が揃い踏みし、12月末には山羊座に、金、水、太陽が鎮座する完璧な大十字となり、活動宮は大ピンチだ。
そして、月が天秤の火星に重なった26日、
ついに、安倍総理の靖国参拝。

 じぇじぇじぇ 

世界の反応も、予想外と言えるだろう。
それぐらい、インパクトのある惑星環境だったと言うことだ。


立場違い

2013年12月28日 | 兄弟関係

混雑する歳末のスーパーで、小学校6年生ぐらいの男の子が4年生ぐらいの男の子の襟首を掴んだまま歩いていた。
おそらく兄は、弟が勝手なことをしないように捕まえているのだろう。

既に何かしでかしたのか、親から言われたのか、とにかく、兄としては面倒くさいが、監督役としての責任を果たしているのだろう。襟首を掴んだまま普通に歩いている。弟も、捕まれていることを嫌がる様子でもなく、二人で話をしながら淡々と歩いている。

この際、弟は自分が勝手な動きをしようとした時に、兄の手の存在に気づき、うっとうしいと思い、腹を立てる。兄の方は習慣的にだろうが、掴み続け、終始、弟の監督に気を遣っている。

この両者の立場の違いは、どちらも無自覚のうちに、当たり前の環境になっている。これが互いに向ける視線の原点となり、性格の形成、認識の違い、そして、やがては争いのタネになる。

弟妹には、長子的視点がどうしても理解できない。
一人っ子だった長子は、人間関係に気を遣うことは、基本的に疲れることであり、それでも持たなければならない関わりなら、何らかの興味の対象にしようとする。

双方の視点
長子にとって弟妹は基本的には玩具であり、自分の邪魔になり始めると、何とか避けようとし、避けられなければ理解しようとする。
何ごとも初めてで、手本の無い長子が事に当たる時には、その対象を観察、理解し、原理を知って対処法を考えようとする。

原理とはそう簡単に把握できるものでもないし、また、一度確立したらそう簡単に改められない。
したがって、長子は事に当たり、反応が遅い。

弟妹にとって長子は、親の代理であり、同時に先輩でありライバルだ。自分の行動の手本であり、行動の基準となる。長子が白紙に絵を描く行動を考えるのに対し、弟妹は既に描かれた「ぬり絵」の縁にどう書き加えるか、から始まる。だから、何か問題が起こると、基準となる長子に批判が向けられる。

また、世の中に出ても、長子が様々な人や事象から適当に学んで、自分のものにしようとするのに対し、弟妹は先輩や師に全面的に付き従って見習い、学ぼうとする。
長子は人の付き合いと、学ぶことは別問題と捉えているから、人との関係は,その人が厄介な存在になっても遠くに行っても、付き合おうとするが、弟妹は自分の役に立たなくなったら、あるいはその場にいなくなったら、行動の指針とならない無意味な存在と見なす。

だから、何十年ぶりかに会った時、長子は昔の延長で考えるが、弟妹は昔の縁は記憶していても、今ここに現れた新しい存在として見る。
同窓会などでも、今の立場比べをするのは弟妹型で、昔会ったままの立場で話すのは長子型だ。ただし、長子がそのつもりでも、弟妹は自慢しているとか、落ちぶれたと受け止める。

誰か居るのが当たり前の弟妹
一人っ子を見て、一人では可愛そうだと思うのは弟妹型だ。長子もそう思わない訳ではないが、兄弟の無い気楽さも理解する。
弟妹にとっては、兄弟でモメることも生きがいの一つだが、長子にとってはモメるような人間関係は、無い方が良いと思う。

長子は生来孤独だから、独り言が多い。あまり誰かに聞かれることや聞かせることを意識していないから、話す時も独演会になりやすい。

日常生活の中で、長子の中には、「疲れた」とか、「痛い」「苦しい」などの口癖を連発する人がいるが、これを聞く弟妹の妻や夫は「ウルサイ!」と感じる。これは、弟妹が何か言う時は、他人の反応を期待しているからであり、逆に、これを聞くと何かしなければいけないと思うからだ。

しかし、長子は自分に対する励まし効果の為に発しているので、突然、「ウルサイ!」と叱られてワケが解らなくなり、面食らう。
長子の場合は、これを聞いてもほとんど気にしない。逆に、「何も気にしてくれない」と、恨まれるようなハメになる。

誰かを介護する時でも、弟妹はチョットしたアクションに一々反応するが、長子は聞いているのかいないのか解らないような顔をしている。これは、そのアクションが、訴えなのか、自分の為か解らないと思うからだ。


親が撮る 補足

2013年12月25日 | 兄弟関係

♪ あわてんぼうの兄弟話し
  少し補足が要るようだ
  

弟妹は、親の面倒を見る時、なぜ、ボケや寝たきりと見なしたがるか

長子が、親と距離を置き、友達のように考えるのは、保護者で目上の親が、弟妹に興味を示すようになると、長子としての責任ばかりを要求するようになるからだ。
弟妹の手本となり、監督を要求する親は、結果的に対等であることを要求し、同時に、責任を追及する「うるさい」厄介な存在になる。
保護者としての存在ではなく、付き合う相手、友達になってしまう。

ところが、弟妹は親と対等になれることはない。
下の子ができた中間児も、相変わらず兄姉という上の存在があり、長子のようには責任を問われない。責任は上下に振り替えることもできる。そして、下の子と親の愛情を競う立場のままでいる。

無自覚のうちに、親の保護と愛情を競い合っている弟妹は、
長子が、親の呪縛から逃れようとしていることを理解できないから、長子をライバルと見なすとともに、親代わりとしての依存や尊敬をする。だから、それが期待外れだと、今度は極端にバカにする。

弟妹は、長子を親の愛情を争っている競争相手だと思うが、長子はそんなものは期待していないし、家族のしがらみから逃れたがってもいる。

だから、家や親の面倒を見ることから、精一杯逃れようとする。
責任意識が強いから、かえって拒否をする。

しかし、弟妹は親からの保護や愛情意識だけで考えるから、親の面倒を見ること、則ち、愛情獲得競争の必然だと思う。つまり、競って親に近づこうとする。
ところが、実は、親の面倒を見ることとは何かを、長子のようには考えたことがない。親は、常に保護や監督、愛情をくれるだけの存在だったからだ。

親の愛情獲得競争として親の面倒を見ようと思っても、自分にとって大きな親の存在は、面倒を見るような相手ではない。
だから、痴呆で人格を失った存在、寝たきりで一人前のことが出来ない存在と思うことで、「手を下せる」ようになる。上でなければ下と見なすことで付き合える。競争原理の弟妹型の理解法だ。

一方、長子にとっては、親は始めから対等だから、ボケても寝たきりでも下と見なすことはなく、あくまで、人格は対等だ。
友達のように気を遣い、同時に、甘えた態度に強く言ったりもする。
老いた親との付き合い方で、弟妹型が、あれこれ話しかけるのに対し、長子はめんどくさそうにしながら、黙っていることが多い。これは、友達として、相手の心情に気を遣っているからだ。

介護兄弟


親が撮る

2013年12月24日 | 兄弟関係

何年か前、「あわてんぼうのサンタクロース」を一生懸命歌う女の子をYouTubeで見て、可愛らしく、この歌が好きになった。
ビデオを撮りながら、小さな娘に何とか歌わせようとするお母さんの愛情(?)も伝わって、見ている方も思わず応援してしまう。

同じ家族の他のビデオでは、既に、弟が居て、その長女は自転車に乗り出していた。今度は、弟が主役で、お姉ちゃんは自転車にまたがって、画面の外に行ってしまった。

映像を見た時、既に何年か経っていたし、それからまた何年も経つ。
ふと思い出して探したが、すぐ出てこなかったので、お姉ちゃんが大きくなって削除したかな・・・と、思ったが、やっぱりあった。
一度上げると、簡単には消せないのだろう。

本人はどう思っているか知らないが、可愛いから、公共財として残しておいてもいいと思う。

「あわてんぼうのサンタクロース」が世に出た時は、自分の人生上のタイミングとちょうどずれた狭間の頃だったので、知らなかった。
たぶん、聞いてはいたと思うが、なにしろ、クリスマスソングは、桜の歌と並んで数が多い、記憶に残っていなかった。

今も、クリスマスになると、街のあちこちで、子供達が「あわてんぼーの」と、歌っている。子供にとっては、叫ぶように歌えて、「リンリンリン、ドンドンドン」と発散できるから、楽しいのだろう。

垣間見える兄弟関係
それにしても、このYouTubeでも、兄弟関係を垣間見られて、面白い。親は、オモチャとして思う通りになる幼児期の子供に関心が行くから、自立して勝手にどこかに行くようになると、興味が無い。
むしろ、勝手なことをしでかさないか怒ってばかりになるし、長子もなるべく怒られないように親の機嫌を取りながら、親を避けるようになる。

末っ子は、最後まで親の関心の的になりながら成長する。
親に関心を持たれる末っ子、親に関心を持ってもらいたい中間児に対し、なるべく親に関心を持たれたくない、近づきたくない長子。
この関係が、相互の不理解、スタンスの違いになり、後に、介護問題などで揉めることになる。

長子は親に対し、君子の交わりと割り切り、弟妹は面倒を見てもらった親には、面倒を見なくてはと、依存関係で考える。だから、面倒を見る時には、親を、ボケや寝たきりと見なしたがる。


秩序の美

2013年12月23日 | 日記・エッセイ・コラム

言いたいこと書くべきことが一杯ある・・・と、いつも思うのだが、
いざ、書いてみると、どーでも良いことばかり・・・
そう、思える。

いやいや、年寄りはこれがイカンのだ。
年寄りの一年が早いのも、物事が解ったような気になるからだ。
不条理に怒る若者や、何でも新体験の子供の心を失えば、生きる意味がなくなる。
やっぱり、年寄りも怒らなければならない。

怒り、驚き、喜びながら生き、それ故に、悩み争う。それを押さえ、消すことが人生の目的、悟りの境地であるならば、人類など始めから居ない方が良いはずだ。

地球のガン細胞と言われる人類は、確かに地球の姿を変えている。
しかし、酸素という毒を地球上に充満させたシアノバクテリアがいたから、今の動物世界がある。人類存在も地球の生命活動の一環だ。
人類は最後まで、自分に不都合な愚かな営みを続け、地球を変え、そして、滅びる為に生きている。

そのためには、あらゆる欲望に素直に従うことだ。憎み、争い、殺し合い、化石燃料を燃やし、CO2を充満させ、オゾン層を破壊し、酸素で生きる動物を滅ぼし尽くし、自らも滅びる。それが地球からの使命だ。

保守は地球派、革新は人類派
だとすれば、それの生き方を守るのが、地球に忠実な善玉菌であり、地球に逆らって人類に都合の良い地球環境を造ることこそ、地球に不都合な悪玉ガン細胞だ。
昔ながらの生き方を守ろうとする保守は地球の申し子であり、人類に都合良く、生き方を変えようとする革新こそ、地球にとっての悪玉細胞だ。

今まで通り、秩序正しく自分達の集団形体を守り、他集団と争ってでも、生産活動を守り続けようとする、保守こそが、美しい秩序によって滅びの道を真っ直ぐ歩く者であり、
伝統と秩序を破壊し、これまでとは違った生き方をしようとする者こそ、地球の仕組んだ滅びの道から逃避しようとする者だ。

生産形体が変わっても、それ以前のしきたり、婚姻、秩序、モラルの伝統を守れば、生産と消費に歪みが生じ、集団の破壊が自然に起こる。
通貨や財産権、労働形態、それらを繋ぐモラルなどは、技術革新、環境変化によって自然に変わっていくべきものだが、性差や婚姻形態を、古い固定概念の美しさで守ろうとすれば、必ず歪みができる。

戦前の日本、現在の中国は言うに及ばず、欧米列強の求めた戦争がそれを物語っている。古式を改めないままの強欲な生産に歪みが起こると、そのしわ寄せが生まれ、外部との争いが自然に起こる。
モラルを守ることと、社会環境を変える増産は、矛盾するからだ。

生産方式が変わるなら、生き方も変えなければ人類は生き残れない。毎日細胞が入れ替わるように、もともと、地球は人類の活動と自滅を求めている。人類が滅びれば、地球に新しい時代が来るのだ。
人類は地球のために生きるのか、人類自身のために生きるのか、
そこが問題だ


即断即決

2013年12月20日 | 占いばなし

何でも即座に、断定的に結論を出す人がいる。自動者人間や兄弟関係で言えばどのタイプかすぐ思い浮かぶと思うが、今はその話ではない。何ごとも、真逆のタイプがそう見えることもある。特にこの即断即決タイプの人自身は、よく考えてみる必要がある。

ちなみに、兄弟関係で言えば、長子か末っ子だが、言い出したことを譲らないのが長子で、最初の勢いの割にあっさり投げてしまうのが末っ子だ。生い立ちから、即答の必要の無い一人っ子は、優柔不断だ。

さて、言いたいのはこのことではない。こういう断定型の人にとって世界がどう見えるかという話だ。
即座に断定する人には、自分の知識に当てはめて、四択のように答えを出すか、始めから自分の思惑があって、「やっぱりそうだ」と強引に自分の結論に一致させるタイプがある。
いずれも共通するのは、自分の知識を疑わないことだ。

特に、「やっぱりそうだ」の思い込み型は、選択肢の無い「感情」に基づいているから、「我」が無くならない限り、決して考えを変えることはない。時間が感情を風化させるか、強圧で叩きのめされる以外、考えを改めない。

四択型は、選んだ答えに固執しながらも、内心「まてよ」と考える。
それは、元々は恣意的な答えがあるわけではなく、目につく現実から選択したからであり、もしかしたら見えなかった事実もあるかも知れない、と考える余地が残っているからだ。

しかし仮に、自分の判断に疑問を感じても、強く主張して、それが通るのなら、すなわちそれが正解でもある。とも考える。自分の答えが正解でないならば、その他の答えだって正解とは限らないからだ。
半信半疑であるだけに、余計に強く主張する。

いずれにしても、自分の判断を強く主張する時には、それを否定する意見や態度が、自分に攻撃してくるように見える。自分が進もうとする方向に立ちはだかっている杭は、流れに逆らっているように見えるからだ。自分が強引に押すから、相手が押しているように見える。

では、逆に、このような強引な押しには、どう対処すべきだろう。
いきなり反論すれば、相手は、こちらに喧嘩を売られたと感じる。
いずれにしても、即答しないことが肝心だ。相手の勢いを真正面で受け止めない。

その上で、
思い込み型が押してくる場合は、無視をして、話題を変える。
さもなければ、相手以上の勢いで、力任せに断固否定する。悪人と言われようと、恨まれようと、全く気にしない覚悟をする。
ただし、相手が客や目上の場合は、とりあえず、ご無理ご尤もと言うしかない。そして別な場所で、相手を排除する工作をする。つまり、トラブルになった場合の用意として、相手の弱点収集と周囲とのコンセンサス固めだ。

四択型が押してくる場合は、相手の言い分には逆らわず、時間をかけて、次元の違う答えがあることを説明する。そのためには、自分にも知恵が無ければならない。相手の言い分をよく聞いて、自分の答えにこだわらず、相手と納得し合える第三の道を探ることだ。
四択型も、第三の道が無い限り、強引な主張を続けるが、思い込みでは無いから、より良い答えがあるなら、アッサリ考えを変える。

結局、人を見て法を説けで、同じように無茶なことを言って来る人でも、相手の見極めを誤らなければ、対処法は必ずある。
大切なことは、いかに、とっかかりの時間稼ぎをするか、と言うことだろうか。
こういうことは、人も外交も同じことだ。


長寿環境

2013年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

全国で一番歩かないと言われる県で、郊外のショッピングモールにバスで行こうとした。店に電話をして、路線とバス停を聞いたが、バス停は無い、と面食らっている様子。
それでも、最寄りのバス停を、電話の向こうで相談して教えてくれた。

駅前のバスセンターで、該当の路線バスを20分待って乗り込み、運転手に「○○モールに行きますか?」と尋ねると、
にべもなく「いきません」と、言い捨てられた。怒ったような顔をしている。
そこで諦めず、重ねて、「○○バス停には行きますか?」
「○○なら行きます」といやそうな顔をする。
「そこがモールに一番近いですね?」
「わかりません!」
ついに、キレたようだ。

一番前の運転手の横に座り、外の景色と運転手の様子を見ていた。
目的のバス停が近づいてくると、バスの斜め前方に、目的のモールの看板が小さく見えてきた。
ようやく理解できたのは、このバスは、モールの道と川を挟んで平行に走る道を走っていると言うことだった。

おそらくバスの運転手としては、川向こうの全然違う土地としか、考えられなかったのだろう。
『何を言う、おちょくってるのか』と、思ったのかも知れない。
降車ボタンを押して「ありがとうございました」と言いながら降りると、『ほんとうに降りるんだな』と、少し馬鹿にしたような声が、
「はあ~い」

バス停から、さっき見えていた看板に向かって引き返し、橋を渡って行くと、だいたい600mぐらいだろうか、すぐ着いた。
これぐらいの距離は、都会の大きな駅や、乗り換えの時には普通に歩く。しかし、この地の人々にとっては、とんでもない距離らしい。

東京のような大都会は、普通に生活するだけで、毎日相当歩く。駅まで、駅から、乗り換え、会社・・・と、多くの人が一日10kmぐらいは歩いている。
ところが、地方の生活は、エリアが小さい上、交通機関が発達していないから、自家用車に頼る。昔と逆転して、今は地方の人の方が歩かなくなった。

環境の善し悪しと、運動量を秤に掛けたら、長寿環境は、結局、とんとんなのかも知れない。


闇の王宮

2013年12月16日 | 占いばなし

朝鮮の粛正は、現代感覚では理解できない人が多いのかも知れない。
チラ見だから、多分「世界不思議発見」だったと思うが、アフリカの奴隷留置場に行ったレポーターが(もちろん若い)
「人が人を売るなんて、平和惚けのせいかショックです~」と言っていた。この人達にとって、歴史で習うことは何なのだろう。

このジジイも、奴隷制のあった時代に生きていたわけではないが、少なくとも、キング牧師の暗殺や、マンデラ大統領に至る迄のアパルトヘイトの時代、歴史の片鱗は見てきた。
アメリカ大統領が黒人となるような、その後の世界で育った人とは、歴史の意味、イメージする風景が違うのかも知れない。

しかし逆に、人類の大きな歴史の流れの中では、奴隷制も、数々の革命も、世界大戦も、全く同時代のことだ。
次から次に、やってくれる朝鮮の行状は、まるでオーム真理教だが、いずれも、「子は親の鏡」。人類、社会の愚かしさの実体を、そのまま反映しているに過ぎない。

子供のように原始的な人々は、バカを露骨にやるだけで、法治の何のと、体裁は良くても、やっている中身は同じ事だ。
現在進行形の戦闘の悲劇も、どこかで体裁良く暮らす文明国の、メシの種のしわ寄せであり、クリスマスの玩具が一つ売れることで、遠く離れた地で、資源争奪の争いに巻き込まれた一家が、死んでいるのかも知れないのだ。

だから、朝鮮が野蛮かどうかは、一概に問えまい。
むしろここでは、まるで、記紀の古代権力闘争のような、素朴な社会の人間関係が、どういうものだったのか、少し想像してみたい。

朝鮮王宮で何が
自動車人間で言えば、金正日も金正恩もハンドルだ。処刑された張成沢はボディーであり、ボディーはハンドルのお陰でいい顔ができる。それでいて、ハンドルのことを甘く見る。
金正日時代、数々の失敗をしながら、妹婿として取り立てられてきた。おそらく金正恩は、その叔父のことを「困ったヤツ」という印象を持って育って来ただろう。

そして自分の代になって、ノホホンと上から目線でものを言うボディーの叔父に対して、キレたに違いない。
普通、ハンドルは調子の良いボディーに惹かれるが、覚めた目のハンドルからすると、ボディーは、いいとこ取りする虫の良い奴として映る。

若いスジ道論者のハンドル、金正恩にとっては、子供の時から聞かされてきた叔父の印象は、獅子身中の虫、まるで仇のように見える。
親の兄弟評というものは、親としてはほんのグチ程度に言っているつもりでも、子供は「けしからん」人物と受け止める。

しかも、張成沢は、中国とのパイプ役として、中国にとって都合が良い人物であり、見れば、中国に北朝鮮の利権を売り渡している。若い金正恩にとっては、愛国においてスジの通らない売国奴だ。
ボディーは、都合の良い方に、脈絡無く乗る傾向があり、鳩山由紀夫元総理のような極端な例もある。

また、張成沢は星座で見れば水瓶座で、サソリの土星は、水瓶座にとっては第10室で、失業や重大責任を表す。大人しく失業していれば良かったのだろうが、責任を感じて言うこと為すことが金正恩のかんに障った。
むろん、そこに、金正恩をそそのかす人物がいただろう。

ちなみに、韓国の朴槿恵大統領も水瓶座だ。


禍福去来

2013年12月14日 | 星の流れに

中国の防空識別圏。朝鮮の粛正。韓国の惑乱・・・どうなっているんだと言いたくなるぐらいだが、星の動きから観ると順当だ。

天王星、オヒツジ座時代に、180゜天秤座の火星とくれば、「軍人の興奮」火器炸裂だ。
中国も朝鮮も、明らかに軍部の強硬が見て取れる。それをうかがわせるのが、一連の現象の「粗雑さ」だ。

これは、特に中朝だけではない。シリアでは、反政府勢力同士が戦闘を始めたし、何が原因かは別として(まあ、中国だが)、アジア各国が軍備増強を始め、アメリカも方針転換し、軍事産業は大喜びだ。

火星はオヒツジ座と同義の、戦争や火器、工事現場など、雑で荒いものを表すし、天秤座は、反対の平和や快適、調和、そして法の支配を表す。その天秤座に火星が入れば、当然、平和秩序と反対のことが起こる。

中朝の行状は、火星という無法な荒くれ者の行為であり、明らかに軍部がゴリ押ししている。火星は男性ホルモン、セックスの星でもあるが、確かに、法秩序や調和とは無縁のものだ。

朝鮮半島の、指導者の死や失墜、判断ミスは、サソリ座の土星がそのまま出ている。
サソリ座の猪瀬知事の窮地は、土星という「野心」の星がサソリ座に入った時から始まっていたが、土星が来ていなければ、普通にスンナリと都知事になっていただろうし、今のようなことにはならなかった。やる気になり過ぎたということだ。

猪瀬知事は、11月20日生まれで、サソリ座と言っても終わりに近く、土星がサソリの15゜を過ぎた頃から災いが始まった。何よりも対応のミスが重なって、事をどんどん大きくしている観がある。
土星が来ている時は、自力を信じれば信じるほど、アダになる。

来て地獄、去って地獄
星が来ての異常行動の例を挙げたが、星が去ったことで問題が起こるのは、吉星が去った後だ。
アメリカも、習近平も双子座だ。アメリカは木星が去り、金融引き締めをしようとして反動が出た。慌てて引っ込めて、経済は持ち直し始めているが、中国や朝鮮の出方に驚き、慌てている。足下を見られてしまったのだ。

一方、習近平は権力は手にしたものの、それで安心した途端、軍部に好き放題にされている。木星が去った後の脱力状態は、サッカーで押しまくられ、ようやくコーナーキックに逃れ、ホッとして水を取っている間に、素早いリスタートで、直接入れられるようなものだ。

これを書いている最中。今のニュースで、12月5日、南シナ海で中国の艦船がアメリカ巡洋艦を強引に停止させたと告げていた。
海南島事件(火星通過)の再来だ。中国軍は最早、戦前の関東軍状態だ。
・・・てか、始めから軍事政権だった。


咬まれる

2013年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

北朝鮮のNo2張成沢(金正恩の義理叔父)が12月12日、国家転覆罪とやらで処刑された。石川五右衛門が釜茹でになった日だ。

相変わらず原始的な生態だが、だからと言って、朝鮮はこれだからと、あきれるようなことでもない。
フランス革命、ロシア革命は言うに及ばず、近くは天安門、アフガン、イラク、シリアの現状まで、法秩序が失われれば、人間はただの獣になる。近頃は、日本の神兵はそんなことはなかった、と信じる人達が現れたが、日本の60年余は、それだけ幸せだったということかもしれない。

朝鮮の異常は、法秩序で成り立つはずの国家が、無法を行うことであり、近代の民主主義とは違う世界が、そこにあるということだ。
そして、それを擁護する国も、本質は同じ原始社会であることを物語っている。

アジア大陸は未だ権力プロセスが不明であり、ボスザルと、その地位を狙うサルの動向を、檻の外から観察するしかない。
欧米は、このアジア動物園を離れて観ていることができるが、
「檻に近寄らないで下さい」と書いてあっても、日本のように檻に近すぎると、咬まれるかもしれない。

檻の中を恐れることはないと、動物を愛する飼育係は何も気にせず、心得ているつもりで出入りしているが、飼育係が突然、動物に殺された例は珍しくない。

このところ、また、中国での日本製品の売上げが急回復と、はしゃぐ人々もいるが、虎穴は虎穴であることを、飼育係は片時も忘れるべきではないはずだ。

日本は、歴史的に大陸からの恩恵は大きいが、あくまで、知識文物によってであり、直接的な集団接触の歴史が上手く行った試しはない。
日本は元々、大陸の避難先であり、日本人の多くは大陸から逃れてきた難民の末裔だ。

そのトラウマが、大陸への郷愁となり、レコンキスタ(再征服)願望となっているのかも知れないが、「触らぬ神に祟りなし」
蓬莱の島、ひょうたん島日本は、東に向かって、「進めー」


午午しい

2013年12月11日 | 星の流れに

毎年この頃になると、「一年が早すぎる~」と、嫌になる。
クリスマスだ正月だと、せき立てる世間がいまいましい。

今年も終わり、新しい年が来る、と世間は言うが、それは世間がそう決めていることであり、夏至や春分を一年の初めに決めても、それはそれで何の不都合もない。

地球の公転が一年であることには変わりなく、同じ地点を巡ることを新しいというなら、日々刻々が新しい。
気ぜわしく、一年が終わると騒ぐなら、夏の方が気楽でいい。

生まれ育っていないから解らないが、南半球や赤道地帯の人にとっては、一年の終わりに、この世の終わりのような悲壮感は無いだろう。

それが良いか悪いかは解らないが、寒い時期を一年の区切りとしたのは、最も暗く、陰鬱になる季節を振り払い、「新しい年」に希望を託したからだろう。それぐらい嫌な季節にもかかわらず、人はまた、忙しく自らを追い込んでいく。

そう、ぼやいているうちに、時は巡り、また干支が替わる。
干支の始めは、2月の立春だが、世間一般では1月1日から、次の干支がのさばり始める。まあ、気持ちを慣らすには悪くないことかも知れない。

さて、その来年は甲午の年だ。
1954、昭和29年に生まれた人は満で60歳になる。その一回り下の午年は丙午で、出産が激減するほど世間に恐れられた。しかし、丙午の女の災いとは、男尊女卑の封建時代にあってのことで、実はこれほど強運はない。この年生まれの人は、因習に抗って産んでくれた親に感謝すべきだろう。実際、競争相手が少ないだけでも恵まれている。

午は、星座で言えばカニ座に当たるから、陽気盛んな夏至で、最もエネルギッシュな時だ。世の動きも午年がピ-クとなる。
しかし、相場の格言でも「辰巳天上、午尻下がり」という。午はピ-クであると同時に、エネルギーが衰え始める時でもある。これは、子の、陽気が芽生える一陽来復の逆でもある。

既に木星はカニ座にいるが、カニ座を意味する午年の現象は、カニ座と同じような意味になる。
60年周期の甲午に何があったか、チョット拾ってみた。天王星の84年周期と合わせて考えてみると、何となく見えるだろう。

1834年天保5年   1840年の阿片戦争への動き
1894年明治27年  日清戦争 東京地震M7、ハワイ共和国
1954年昭和29年  自衛隊創設、第五福竜丸
                        なお、前年、朝鮮戦争休戦

甲午前後は、どう見ても、中国が興奮混乱していた時期と重なる
ちなみに、1594年甲午は、秀吉の朝鮮出兵の最中(1592~98)


チクタク

2013年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

「日本、七刀す
という見出しを、どう読むのか、考えているうちに、目が覚めた。

イメージから「しちしとうする」(七支刀)と読むのだろうか?だとすれば、どういう意味だろう?日本が何かのパワーを得たのだろうか?
それとも、「切」という字の分解だろうか?とすれば、「せつす」とは何のことだ。「日本、切羽詰まる!」と言いたいのだろうか?

第一、何でこんな夢を見たのか、目が覚めたら、さらに不可解だ。

伊武雅刀が、先日テレビに出ていたので、改めて変な名前だと思ったからだろうか。
ワールドカップの抽選が決まって、マスコミがまた、オーバーな表現をするぞ、と思ったからだろうか。
日中関係が心配だからだろうか。

それにしても、マスコミの見出しは何時もオーバーだ。その上、目立つために、常に「何だろう」と思わせる。

そうでなくても、新聞はややこしい。
「米朝探り合い」って、どんな落語だろう?
「米子会社に不正送金」、米子にそんな大きな会社あったかなあ?
「日中の危機」、出かければ交通事故に遭いやすい?
中韓の新聞には、「中日」がやたら出て来るが、落合や谷繁の話がない。

マスコミが、売らんかなと、大げさな表現で、どうでも良いことを煽り続けているうちに、自分達でも、事の軽重が解らなくなり、狼少年、千三つに成り下がり、世間から嫌悪され、攻撃の対象にまで成った時点で、秘密保護法が登場した。

マスコミが取り上げて、反対を騒ぎ立て、自分達の取材の権利ばかり言ったところで、世間は聞く耳を持たなくなっていた。
途中で、だんだん事の重大性に気づいて、自由や人権を持ち出しても、後の祭り。自分達の既得権を守るために、そんなことまで言い出したか、ぐらいにしか受け止められず。法律はアッサリ成立した。

占いという歴史の傍観者としては、歴史の針が滞りなく進んだとしか思えない。
歴史の時系列は一直線に積み重ねられていくが、世相史観という時計の針は、グルグルと回るのみだ。
12時を過ぎても、時が経てばまた同じ所に戻ってくる。

♪ 大きなノッポの古時計おじいさんの時計
  百年まえも動いていた ご自慢の時計さ
  今もずっと動いてる その時計 
   嬉しいことも悲しいことも みな知ってる時計さ

さっき鳴ったベルは、9時だろうか


失得勿恤

2013年12月07日 | 占いばなし

恥ずかしながら・・・携帯を落とした。

三つの交通機関を乗り継いで帰って、荷物を置いて服を着替えようとして、無いことに気がついた。
物を無くした時というものは、無くしたこと自体が受け入れがたく、「うそだろ」と思うものだが、この時は、素直に落としたと思えた。

携帯を時計代わりにしているから、乗換の度毎に、携帯を出して時間を確かめていたからだ。最後に確認した時のことを憶えていた。
落としたとすれば、電車の中か駅の可能性が高い。夜道であれば、落とした音に気づいただろう。

別の携帯から掛けてみたが、「電波の届かないところか電源が切ってあります」と言っている。
迷わず即刻、電話を停止してもらったが、それでも不安は残る。
一番、嫌なのは、悪意のある人に拾われた場合で、例え、停止しても携帯そのものも幾らかにはなるだろうし、何より、SDカードに何か録画が残っているかも知れない。むしろ、壊れていることを祈った。

すぐ易の卦(梅花易)を立ててみた。
「火地晋」の五爻。
現在まだ、移動中だ。
晋は「すすむ」であり、人を待っている場合、相手が来る途中によく出る卦だ。問題は、電車の中で進んでいるのか、誰かが持って進んでいるのかだが、とにかく明るいところで、箱状のものかも知れない。

五爻というのが面白い。

晋の五爻は
悔亡。失得勿恤。往吉无不利。
象曰、失得勿恤、往有慶也。

どう見ても、良さそうな卦だ。
特に、失せ物を占って「失得勿恤」(失得憂うるなかれ)には笑った。
例え出なかったとしても、様々な不安は案ずるに及ばないということで、気が楽になった。ただし、急がないと、天地「否」に変わるかも。

JR西日本に問い合わせると、携帯は来てないが、京都駅で乗り換えたのなら、JR東海さんにも訊いてみて下さいとのこと。JR東海に訊くと、京都駅にも訊いてみて下さいとのこと。あいにく、京都駅も他の交通機関も、忘れ物センターは営業時間外で、翌日訊くことにした。

結局、5箇所に問い合わせなければならないことになった。
五爻で、「失得勿恤」だから、まあ、ほぼ大丈夫だろう。

翌日、問い合わせると、京都駅の忘れ物センターに届いていた。
貰いに行って、どこにありましたかと聞くと、ここではよく解らないが、発見場所は電車の中とのこと。(明るい箱の中)
おそらく、座っている時に、ポケットから滑り落ちたのだろう。

ああ、日本で本当によかった。 ありがとうございます


優しい人

2013年12月05日 | 兄弟関係

弟妹には、末っ子と中間児があるわけだが、長子が必ず、一度は一人っ子だったように、中間児は必ず、一度は末っ子だった。
兄弟関係の基本は、「一人っ子と末っ子」だ。
そして、世間では絶えず、一人っ子と末っ子は、どっちがダメ人間かの話題が上がる。

両者のダメ度は、普通は甘やかされ度の話しだが、これは親次第だ。
賢明な親や、事情により面倒を見られない親は、甘やかさない。
だから、両者の本当の問題は、下の者に対する、寛容、忍耐、思い遣り、責任等の訓練が出来ていないことにある。

一人っ子に弟妹が出来れば、兄姉になり、寛容性や包容力ができる。
しかし、末っ子に弟妹が出来ると、一人っ子のように、自分さえ鍛錬すれば良い兄姉に成れる、わけではない。相変わらず、兄姉の圧力に気を配らなければならない。今までのように、泣き叫べば誰かが助けてくれるわけでもない。

ことに、上と同性の中間児は存在価値が薄まる。考えようによれば、自由になるのだが、それまで末っ子として注目され、愛嬌や泣き言で自己主張してきた方法が通用しなくなる。
するとどうして良いか解らなくなるから、黙って様子を見ることになる。

黙って様子を見ていると、人の言動の機微が見えてくる。だから、最も良く人の心を知るのは中間児だ。
そして、自分の思いを遂げるのは、発言権を持つ人(長子と末っ子)に便乗することが、最も有効だと知る。

人に便乗するには、便乗する人に嫌われないことが大切だから、誰に対しても悪い人にならないように日頃から気を配り、個別によしみを通じておく。そのためには、なるべく、人前では大きな声を出さないようにし、自分から進んで意見を言わない。小さく誘い水を出し、様子を見て相手の後ろ押しをする。

人の不平不満を察知し、密かに、その人の気の済むようなこと、喜ぶようなことを言って、優しい人になる。
こういうことは無自覚に行われるから、実際、自分でも、自分は優しい人だと思う人の方が多い。

また、多くの中間児は、兄姉より末っ子に敵意を持つ。兄姉は尊敬すべき怖い人だが、自分の後で現れた末っ子は、自分の処世術を奪った人間であり、自分が耐えていることを平気で行い、勝手な行動が許されていることに腹が立つ。

だから、大人になってからも、末っ子的な言動や、時には一人っ子的な苦労知らずのノーテンキな言動を行う人に、腹を立てる。
その結果、表面は良い人だが、ノーテンキな人間を見ると、思わずいじめて、思い知らせてやりたくなる。もちろん自分の手は汚さない。

サザエさんの長谷川町子も、三姉妹の中間児だが、中間児の自由な立場と、人の言動を皮肉な目で眺める、中間児の才能が、ツボにハマった例だろう。


状況判断

2013年12月02日 | 兄弟関係

日中韓の関係を兄弟関係に例えてきたが、これは、国際情勢とは関係ない。歴史的「生い立ち」による、各々のお国柄が、そっくり個人の兄弟関係に当てはまることが、あまりにも面白いから、ことある毎に、取り上げたくなる。

立ち位置の違う長子と弟妹は、互いに理解できない。
どちらかと言えば、自分で考えて動く長子の方が、いくぶん相手の立場も理解することができる。弟妹は、生まれた時から、他者の言動に対処しなければならないから、相手の立場に立って考えるゆとりがない。弟妹は、状況を見るか、揺さぶった反応を見て、態度を決める。

相手の立場を理解できない兄弟は、互いに、「困ったヤツだ」と思う。
これは仲が良い兄弟でも、根底にはそれがある。
日本は隣の家の一人っ子で、兄弟関係の悩みを知らないから、隣の兄弟の態度、「もの言い」が不可解に見える。

しかし、この中韓の態度こそが、兄弟が互いに見る相手の姿だ。
中国の態度は、弟妹から見た長子の態度であり、韓国の態度は長子から見た弟妹の態度だ。
第三者の一人っ子、日本から見れば、どちらも不可解な言動だが、兄弟の間では、互いに、相手があの中韓のように見える。

弟妹から見ると長子は、思いつきと気ままで空気を読まず、力ずくの横暴で自分の権利、権力だけを振り回し、気を遣わせ、挙げ句の果てには、勝手にどこかに行ってしまう。

長子から見ると弟妹は、道理も聞き分けもなく、負けん気ばかりで、ギャアギャアわめき、結局いいとこ取りする。そのくせ困ると、憐れそうに相談に来て、喉元過ぎれば、自分の手柄だと自慢する。

中国は勝手な思い込みで、周辺国を無視した行動を取り、韓国は日頃、あたかも自分が主導権を握っているかのような論調だが、いざとなると誰に付こうかとオロオロする。

長子の国、日本と中国は似てないようで、よく似ている。
何かの行動を起こす時、基本的に誰にも相談しない。相談するとしても、直接の関係者に一応の打診程度だ。

長子は、問題解決をするのは、究極的に自分しかいないと思っている。
他人の観察はするが、思いを尋ねたり、相談をしたりする習慣が無い。勝手に決めて、行動を起こし、周りを困らせる。

中国の防空識別圏も、中国としてはオバマ大統領にも会ったし、「大国」同士の良い関係になったと思い込んでいる。
日本が無謀な戦争を起こしたのも、状況の把握を誤り、他者と話し合うということをしなかったからだ。
いずれも、よく調べてよく考えたかも知れないが、他者の思いを知る努力が無かった。

弟妹大国アメリカは、「良くも悪くも」先ず、他人の思いを知ろうとする。その上で、損得を量り行動する。
中国との論戦駆け引きに、B52を飛ばし、民間機には中国に従わせるのは、論理を正し、論破するための布石であり、日本のように独善的な押し合いに持ち込むのは、中国の力の論理と何も変わらない。
ただし、韓国の場合は、日中とも違い、米中日のどこに乗るかの狼狽に過ぎない。これはこれで、弱小弟妹国の、「状況判断」と言えるだろう。