魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

占い人類学

2007年08月09日 | 兄弟関係

世界の国や民族、日本各地の地域性や県民性は、いろいろな角度から研究されているが、案外、それほど確かというわけではない。
文化人類学や、民俗学、社会学などは、学として成立しているが、学以前の、いわゆる風聞や偏見にも、まとを射たものもある。
外国とつきあう場合、その国の歴史や主張を正面から聞くより、文化や行動様式の方が、本音が分かり、対処法がよく分かる。

そこで、占いの立場からも、こういうことについて考えてみたい。
お遊びの域から出るものではないから、笑い飛ばしてもらえばいい。

国や民族は、お互い誤解しあっているが、双方の言い分を客観的に見比べると、本質が見えてくる。

西洋人から見ると東洋人は区別がつかないが、東洋人同士はだいたい分かる。西洋人に聞くと西洋人同士もハッキリと分かるのだそうだ。
結局、ファッションセンスや歩き方、話し方、顔の表情などで区別がつく。国民性や民族性は文化だからだ。
顔の輪郭や体格の大小などで区別しようとする人は、無知で偏狭な人種差別主義者になりやすい。

余談だが、日本育ちの日本語しか話せない白人に欧米人が会うと、日本人だと思うが、日本人は白人だと思う。そして白人と見れば英語で話しかける。フランスの競馬騎手が片言の英語で話し、それを通訳が日本語にしていたのを見て、英米人はいないのに何でフランス語の通訳を呼ばないんだと思った。

>1.国を、兄弟関係による性格で考える
     (兄弟関係の逆参考にもなる)
もしも世界が兄弟なら
世界の長子はやっぱり中国だろう。古代文明はいろいろあるが、曲がりなりにも今日まで命脈を保ち続けたのは、中国だけと言っていい。インドやエジプトもそれなりに姿を保ってきたかも知れないが、侵略民族の吸収同化ができなかった。
さらに、中国が長子的なのは覇権主義だ。周辺諸国に介入しないが、常に自分が支配指導するものと思い込んでいる。中華思想と言われる長子の唯我独尊だ。強権的ではあるが、基本的には折り合おうと思っている。とりあえず、兄としての面子を立ててくれさえすれば無理な争いは好まない。冊封感覚だ。

第二子は中国と因縁の深いモンゴル(ロシア)だ。人の寄りつかぬ北の草原で気ままに暮らし、中国の隙をついては油揚げをさらう。長子が病床にあれば、支配権まで握る。そして、長子の座に座っているうちにだんだん、長子の自覚を持ち、また同じように覇権支配になっていく。

西欧の長子は早死にしたので、一神教という家訓を頼りに兄弟それぞれの生き方をすることになった。つまり、西欧諸国(ラテン、ゲルマン)は第二子の長子代行だ。だから、基本はモンゴルと同じ掠奪体質だ。
モンゴルが、長子の心得を学んだのに対し、西欧の長子代行は家訓の解釈論ばかりしてきたから、本当の意味の長子的「寛容」の帝王学は持ち合わせていない。相手のスキをうかがい、スキさえあれば上に立ち、実権を奪おうとする。相手の立場や面子は理解しない。力関係に敏感だ。
ピラミッドは奴隷酷使で建設されたと考えたのは西欧人だが、「アホ言うもんがアホ」で、彼ら自身が残酷な奴隷使いだ。早死にした長子エジプトは実はもっと寛容だった。

末っ子は、大国の狭間で常に国を奪われたり追われたりしていた国や民族だろう。ヨーロッパではポーランドやチェコなど、中欧のスラブ系やフィンランドのような国で、東アジアでは朝鮮半島が典型だ。

同じ末っ子や中間児でも、東南アジアは、中国やインドの影響を受けても、大国には距離があった。大家族の4、5番目はあまり束縛されず、結構勝手にやっているものだ。

中欧諸国と朝鮮半島の違いは、強権の長子の存在だ。
西欧は、家族兄弟と言うより学校のような集団生活の場で、教会という先生の指導を受けながら切磋琢磨していた。
つまり、いじめたりいじめられたり先生と喧嘩したり。しながらも、絶対強権の存在はなかった。神以外は。

これと比べ、中国やモンゴルという長男次男に翻弄された朝鮮半島は兄たちの顔色をうかがうしか居場所のない惨めな末っ子だった。

ここで、兄弟関係の末っ子についてもう一度、要約
  (兄姉を強大国とすれば、国にも当てはまる)
・兄姉の強圧で支配され続け自省できず、結果的に被害者意識を持つ。
・ひょうきんで、愛想が良いが、すぐ人を恨む。
・身を守るために、兄姉(周囲)の力関係に敏感。勝ち馬に乗る。
・兄姉に憧れ、兄姉に勝つことを目標とする。(比較したがる)
・兄姉が自分にしたように他人を指導したがる。
・上に立つと威張りたがる。オリジナルを主張し自分の手柄にする。
 (何事も無自覚で、自分がマネしていることに全く無自覚)
・自分の行動を誰かに見て制御してもらいたいので大騒ぎする。
・無鉄砲で後始末ができない。竜頭蛇尾になりやすい。
・壁にぶち当たるまでトコトン主張する。失敗は忘れる。

新大陸
移民の国は、いわゆる農家の次三男が出稼ぎに出た国で、その中でアメリカは一旗揚げた国だ。
だから、基本の性格は末っ子、中間児で、支配欲は無いが、自制心もない。帝王学を持ち合わせず、支配より実利主義だが、世界中が困っていると、長子代行をしようとする。
しかし、中国のような生来の長子と違い、権力行使が中途半端になる。そのくせ、長子のようにずるさと寛容さがないから、寸止めができず、やりすぎてしまう。

生来の長子は基本的には他人に関心がない。自分の目的だけのために動き、邪魔者がいたら、相手が強ければ引き、弱ければ押さえ込む。
つまり、良くも悪くも自制心がある。
ところが、ポッと出の長子代行は成り行き任せ、勢い任せだから、後始末ができない。末っ子の無鉄砲や、中間児の現金さで走り回ると、結局、周りが後始末をすることになる。

島国日本は一人っ子
兄弟関係で切磋琢磨せず、おっとり育っているから、ケンカの仕方を知らない。場の空気を読めない。裏取引や力の怖さを知らない。
一対一で話をすると好かれるが、会議で討論すると浮き上がって取り残される。ユニークな考えや能力で、皆に一目置かれるが、集団の中ではイジメの対象になりやすい。
イジメられると、ケンカに強くなろうと空手の教習本を読んだり、竹刀を振り回したりする。たまたま、ケガや病気の往年の達人を相手に足蹴りを食わせて得意になり、番長グループにケンカをふっかけて大ケガをしてしまった。

日本の生き方
一人っ子は長子と相通じるところがある。お互いの領域を侵さない限り、君子の交わりができる。ところが、愛想良く近寄ってくる末っ子や中間児の本音を知らないし、対処の仕方も知らない。

末っ子、中間児は状況主義で、原理原則を持っていない。一人っ子から見ると、ものすごく仲良くしていたのに、ある日突然、敵になる。
原因は、向こうの損得の都合だが、原則や筋道論の第一子には理解できない。

考えてみよう。
中国にはあれだけの迷惑をかけたにもかかわらず、中国は国交回復の時、恨み言より寛容を優先した。(もちろん実利のためだが)
ところが、朝鮮半島はどうだっただろう。
アメリカはそもそも、何をしに黒船で来たか。その後のアメリカとのつきあいに原則があっただろうか。

兄弟関係の性質と、今の身なりとは関係ない。相手が貧乏であれ金持ちであれ、本質を考慮して、つきあい方を考える方が良いだろう。
そして、日本は家を出て行かない方が良い。みんなを呼んで、家を会場にして遊ぶ方が喜ばれる。

占い人類学2

インド、エジプトは今日でも、やはり長子の性質があるようだ