魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

観音信仰 2

2019年07月01日 | 探訪・紀行

突然の雨で、道は渋滞していたが、雨をしのげることがありがたかった。バス代400円は雨宿り代にしては安い。
橿原神宮東口に着くと、ちょうど雨雲が追いついて来た。
待合所の屋根の下に降りると、風と雨が激しさを増し、わずか4~50m先の駅舎まで駆け込めない。バス停の屋根も役に立たないから、目の前のビルの軒下に飛び込んだ。
自転車が並ぶ中央部は滝のように吹き込んでいる。角に寄るとかろうじて濡れない。
バスを乗り継ぐために降りたのだろう。80歳ぐらいの女の人も慌てて傘を持って軒下に飛び込んだが、中央部は土砂降りだ。
「こっちはマシですよ!」と、声をかけると、
「ありがとうございます」と近くに来た。
しばらくすると、
「ありがとうございました。バスが来ましたので」と、さっきから停まっているバスに乗りに行った。
バスが来た時、すぐに乗りに行かなかったのは、小康状態を待っていたのか、すぐ行くのは失礼だと思ったのだろうか、奈良の人ならそれもありそうだ。土砂降りは続いている。

断続的に、ガシャーン、ギシャーンと、雷が落ちる。稲妻が波打つ雨を照らし出し、時折、傘を差した人が走って行く。どう見ても、傘の意味がない。
ようやく、雨がまっすぐ落ちるようになり、幾分、収まってきたので、駅舎まで走ることにした。
駅は、風呂上がりのように髪を濡らした人であふれ、携帯をのぞき込む人や電話をする人、空を見上げる人など、ザワついている。
この狭い改札から、駅中商店街に行くには、線路を越えて、雨を突ききらなければならないので、人がどんどん溜まる、
もう、ここまで走って来た勢いで、駆け抜けるしかない。

駅中商店街もザワついているが、幾分、人口密度に余裕がある。
ちょうど、京都行急行が来たので乗り込むと、席は空いているのに座らない人が何人もいる。見るからに全身ずぶ濡れだ。みな、傘を持った若い人で、傘を頼りに来たのだろう。
「落雷で遅れております・・・」と、アナウンスが入る。

ほとんどの人が濡れているが、ずぶ濡れは傘のある人だけだ。きっと傘が災いしたのだろう。傘が無ければ、ドラマのようには飛び出さない。
傘は防備の象徴だが、最悪の事態には役立たない。豪雨や台風には避難だ。夕立も、小雨を待つのが良策だが、若者は、傘があれば待つより、進む。

防備の為の軍事力も同じだ。どんなに武装しても、戦争が始まれば無傷では済まない。
軍備が役立つのは戦争をするまでだ。いざというときの心理的安心感と、狼藉者に対する警告に意味がある。戦争をするためではない。

ところが、軍備は傘のようなもので、あれば、使いたくなる。傘や長靴を買って貰った子供は、雨が待ち遠しくてたまらない。
年寄りは傘があってもよほどの用事がなければ出かけないが、若者は傘さえあれば、雨でも出かける。そして、土砂降りでずぶ濡れになる。
自称、発展途上国の若い中国は、次々と傘や長靴を買いそろえ、雨も降っていないのに、南シナ海で傘を差し、長靴でジャブジャブとやる。自分がずぶ濡れになるのは勝手だが、周りまで水浸しにされてはたまらない。

傘が無ければずぶ濡れにならなかったであろう日本のワカモノは、迷惑を考えて座席に座らないが、武器を持ったバカモノは周りの迷惑を考えない。

何はともあれ観音力
観音様のおかげで、ずぶ濡れを免れた壺坂参りだったが、経緯を思い返しながら、時刻表を、もう一度確認してみた。どこへ行くにも、ふらりと無計画に出かけるから、正確な時刻表など確認していなかった。

改めて行程を振り返ると、「壺阪寺前」に着いたとき、時間待ちをしていた「壺阪山駅行」のバスは、13:30であることが分かった。
寺の受付の人は、「次は、4:05(16:05)です」と教えてくれたが、その間に、14:35と、15:35がある。これは3月~11月の季節限定だが、運休期間の方が短く、今は運行中だ。
何で「14:05」しか言わなかったのかは、色々に考えられるのだが、「最終は14:05」だけが念頭にあったのだろう。日頃、自分が乗ることはないのかも知れない。

坂を登り切って、ようやく着いたばかりで、時刻表まで確かめに行く気力がなく、横着をして、人に頼ったことが、そもそもの間違いだった。
その上、嬉しそうに教えてくれた「近道」を使わないのも、申し訳ないような気がして、何も考えずに、「近道」に直行した。これもうかつだった。近道の入口の横にバス停があるのだから、自分の目で時刻表を再確認すべきだった。

「近道」を下りて、「壺阪寺口」で30分待って乗った件のバスは、15:36だったから、寺前のバス停の15:35には確実に乗れているし、もしかしたら、14:35にさえ、乗れていたかも知れない。
仮に、15:35だとして雨が降ったとしても、その前から時間待ちをするバスに乗っていられるから、濡れることはない。
そして雨の中、壺阪山駅に着けば、バス停は駅舎の真ん前にある。そこから、電車で橿原神宮に行き、京都行きに乗り換える場合、全く雨には濡れなかったことになる。

こんな、うかつな勝手をしても、ずぶ濡れにならなかったのは、やっぱり観音様のおかげだろうか???


観音信仰

2019年06月29日 | 探訪・紀行

壷阪寺に行った。西国三十三か所、六番札所の南法華寺だ。
以前、飛鳥で時間が余ったので行こうとしたら、考えが甘いことを思い知らされた。
近鉄の壺阪山駅に行ってみると、「壷阪寺前」行きバスの最終が15:50で、すでに終わっていた。せっかく来たので、営業5時までだから、歩けば行けるかもと、ダッシュで歩き始めたが、2キロほど歩いて、思いとどまった。この先、坂なのに、到底無理だ。
・・・で、虚しく敗退した。

今回は、比較的早めに西大寺から橿原神宮前行きに乗った。雨の予報にもかかわらず、朝から快晴だ。奈良で鹿の顔を見て、「にゅう麺」を食べ、飛鳥方面に向かった。
調べると、乗り継いで壺阪山寺駅まで行かなくても、橿原神宮駅東口から、一時間おきに「壺阪寺口」を通る51番のバスが出ているではないか。しかも遅くまで走っている。「今日はこれで行こう」と決めた。
幸い、東口では15分ほどでバスが来た。バスは、壺阪山駅前を通り過ぎると、ちょうど壺阪山駅から出てきた「壷阪寺前」行きのバスが前を走っている。電車を乗り継いで来た場合と、時間は同じということか。

二台のバスは、以前、歩いて断念した道をアッという間に通り過ぎ、「壷阪寺」の大きな看板が見えてきた。 前のバスはその看板を左手に曲がって行った。『ああ、あの方向に行くんだな』とは解ったが、「がんばるぞ!」と、速度を上げて見えなくなった。こちらのバスが少し早ければ乗り継げたのかもしれない。
少し先の「壺阪寺口」で降りると、今消えたバスを追って歩き始めたが、たちまち坂道になった。
スマホでは、ここから壷阪寺まで2.4km、高低差167mの登り、50分かかるそうだ。
『聞いてないよー!』

コンクリートの自動車道を登って行くと、60代の男女3人が  ウォーキング・ステッキを突き、歓談しながら降りてくる。完全装備だ。接近すると、三人とも沈黙したので、「こんにちわー」と声をかけると、「こんにちわー」と三重奏ですれ違った。
しばらく行くと「壺阪寺ハイキングコース」と書かれた細い脇道があったが、そんなつもりではない。自動車道の日陰を選びながら、そのまま登って行った。
どれぐらい歩いたのか、ようやくさっきのバスが停まっている駐車場が見えてきた。
その駐車場を抜けると、まだ坂が続いている。停まっていたバスが、後ろから追い抜いて行った。ようやく、壷阪寺が見えたところで、バスが停まって時間待ちをしている。

寺の受付で聞くと、次のバスは最終の16:05だと言うので、思わず「うわー、相当待つなあ」ともらすと、「大丈夫、近道を教えてあげます」と、用意してある周辺マップに道筋を描き込んでくれた。
1時間ほどで拝観を済ませると、まっすぐ、バス停横の「近道」を下り始めたのだが、『ほんとにここか!?』と思うぐらい細く、草が生い茂っている。草をかき分けて進むと、行者道のような木の階段があるから、間違いではないようだ。
どんどん下っていくと、まさに山道で、川か道か区別がつかないほど流れの跡があり、水で足元が悪い。
まあ、散策と考えれば、楽しい道なのだが、こちとら急いでいる。空模様が怪しくなり、どうやら天気予報が当たりそうだ。
結局、出たところは、案の定、登りに見かけた、「壺阪寺ハイキングコース」だった。降りてきた三人組も、おそらくここを通ったのだろう。ハイヒールではないものの、溝の無いスニーカーでは苦行だった。

だが、話はこれからだ。
「壷阪寺口」のバス停に行くと、反対方向の橿原神宮方面のバス停は相当離れたところにあった。次のバスまで30分ぐらいあるが、1時間置きならましな方だ。
誰かが置いた古椅子に座って待っていると、陽射しが無くなり、あたりが暗くなってきた。明らかに夕立の気配だが、あと10分。もつだろうか。
そのうち、山間が霞み始め、その上の黒雲がこちらに迫ってくるのがわかる。
バスの定時まで、あと3分。体に少し霧のようなものがかかり始め、完全に真っ暗になった。雷鳴が響く。あと1分。
第一、バスは定時に来るのだろうか。周りに雨宿りするようなものは何もない。傘もカッパも持っていない。
道の反対側に背を向けた建物、「ベアーズベアーズ」とラブホらしきものがある。いざとなればあそこの駐車場にでも飛び込むしかない。
時間は来たが、バスは来ない。 風が吹き、霧雨が雨粒に変わり始めた。その時、峠の上に四角い車の灯りが見えた。 まだ、トラックかバスかわからないが、ゆっくりと下って来る。
小型バスであることは分かったが、何のバスかは分からない。雨は、大粒に変わり、バラバラと音がする。
まばらな雨粒の中を、バスが道のわきに寄り始めた。「キター!」
早くドアを開けてくれーッ! 早く!早く!
半開きのドアを押し開けるように乗り込むのと、ほとんど同時に、ダーッと雨の音がして、何も聞こえなくなった。窓の景色も見えない。
まるで、サイゴン陥落の難民が、最後の飛行機に飛び乗れたような、喜びと安堵感で、しばらくボー然としていた。

間一髪で助かったのは観音様にお参りしたおかげに違いない。観音経は観音様をひたすら信じれば救われると教えているが、まさに、壺坂霊験記だ。
雲雷鼓掣電
降雹濡大雨
念彼観音力
応時得消散


電車祭り

2016年07月18日 | 探訪・紀行

また、奈良1dayチケットで奈良に行ってきた。京都市地下鉄から1630円、大阪市交通局から1650円など、圧倒的にお得だ。
奈良に行くという人がいたので、1dayチケットをアピールしたところ、喜ばれたが、その相棒の人は奈良までの往復の方が1630円より安いから、1dayは要らないと頑なに拒否。結局、一人だけが1dayチケットを買って行った。

後で聞いたところでは、1dayを買わなかった人は、口には出さないものの後悔していたそうだ。何しろ、奈良市内のバスも乗り放題だし、様々な施設の割引も付いている。京都に帰ってきてからも、地下鉄全線が乗り放題になるから、相当使える。

今回は、これまで行ったことのない生駒山に登ったが、このケーブル料金も無料だ。見晴らしは良かったが、遊園地の他、特に観るものも無かったので、次の下りで降り、これも行ったことがなかった、隣駅の石切神社に行ってみた。近鉄の石切を降りると、話しに聞いていた門前町の下り坂をドンドン下りることになったが、下りの坂道は案外応えて、ふくらはぎが痙りそうになった。
面白いことに、心配していた帰りの登りは、かえって気持ちが良いくらい、全く応えなかった。

1日で、京都、奈良、大阪と行って帰ってくると、各地の人の顔の違いが歴然だ。
ファッションの違いもあるが、顔の表情がまるで違う。大阪は中身が丸出しになっている感じで、何事にも反応が早そうだ。奈良は同じように中身を晒しているが、正直そうでちょっと受け身、大阪のように反応が早くない感じがする。京都は何か見えないベールを被ったように、本音が見えない感じで、良く言えば、はんなりだ。

京都人のこの見えないベールは、海外から帰ってきた時に感じる日本人の表情と同じで、何か仏像の表情のような得体の知れない取り付きにくさがある。
おそらく、海外から来日した観光客も、日本人に対してこの印象を持つのだろうが、実際に接した時の当たりの良さで、仏様のような印象を受けるのかも知れない。

宵山ラッシュ
京都に向かう帰りの電車は、通勤客と祇園祭の宵山に出かける人で、かなり込んでいた。奈良の始発から乗ったので、座れていたが、乗換駅で乗り込んで来て前に立った26、7の小柄なお姉さんがハイテンションで、連れと話している。最初にチラッと顔が見えたが、後は下を向いていたので、表情は見えない。
「おかんにな、○○ちゃんところで晩ご飯食べる言うて出てきたんや。でも、格好見たらわかってるかもな。バッチリ決めてきたんや。ハハハハハ」
黒のサルエルパンツの上の方から早口が聞こえてくる。
パンツの名前は、本人がファッション解説をしているので分かった。
「しゃあけど、宿題でけへんなあ。賢い組は数学の宿題は無いらしいで」
ここで、思わず頭を上げて顔を見てしまった。
『何歳や?!』
顔を見ると、顔の面積の割に、妙にくっきり小ぢんまりした目鼻立ちに、ガムランダンス並の厚化粧だ。やっぱりどう見ても26、7に見えるのだが、話していることは中学生だ。相棒の子はモロ中学生で、親子だと言われれば納得してしまうところだ。
「今日はな、□□ちゃんが屋台に出てるから、ついでに会いに行くんや。テキ屋のフェイスブックで、全国の屋台の出る日と場所が分かるんや、便利やで・・・」
確かに、江戸時代なら15、6は適齢期だ。
♪ 祭りだ祭りだ祭りだ豊年祭り


古来難所

2013年05月03日 | 探訪・紀行

今日は、連休の渋滞で、先日、「大関越え」で書いたばかりの「蝉丸神社」の裏の、名神大津トンネルで事故が起こった。
大きな怪我人が出なくて、とりあえず良かったが、この大渋滞に巻き込まれた人は災難だ。

Photo
蝉丸神社の裏、名神高速道路京都方面を望む
この下が大津トンネル。トンネル上の道から
(同じ時の写真)

高速道路のトンネルは数多くあるが、これまでも大きい事故が起こっているのは、昔からの交通の要所である場合が多い。
例え高速道路になっても、やはり、高度や距離、周囲の景色など、複合的に影響し合う「難所」なのかもしれない。


大関越え 付録

2013年04月28日 | 探訪・紀行

自転車で京都-滋賀を往来するには、結局、急がば回れ、東海道が王道のようだ。コースさえ分かれば、一応、歩道も整っている。

藤尾交番
ところで、追分の「藤尾交番」だが、旧道への分岐点だから、旧道からの合流も多く、出会い頭の事故が、相当あるようだ。
以前、夜10時頃、目の前で事故が起こった。
すると、交番からおまわりさんがフィギア・スケーターのように飛び出してきて、踊るように交通整理を始めた。驚くほどの手際の良さに、見惚れていたが、整理されて、あっと言う間に立ち去らされた。
男子フィギア選手は誰か、「交通整理」のテーマではどうだろう。

Photo_2
藤尾交番前の東海道分岐点 信号も無い
滋賀方面からの路面に青字で「出合頭注意」とある
読み終わったら、ぶつかる

ここはまた、「井筒八つ橋」に行く観光バスの折り返し点でもある。
「井筒八つ橋」のガードマンも常に待機していて、京都方面から来る観光バスをUターンさせるため、対向車を止める。このガードマンも手際が良いが、あの警官の比ではない。

Photo
待機している井筒八つ橋のガードマン?左下

そんなわけで、「藤尾交番」フアンとしては、一度行ってみたかったので、周辺の案内図が無いか訪ねて行った。

ちょうど、パトロールに出かけるのか、40代と20代のおまわりさんが防弾チョッキを着ているところだった。
「この辺の、案内図のような物はありますか」
二人とも怪訝な顔なので、
「この間、自転車で来たんですが、旧東海道に渡る自転車道が分からなくて・・・」
そう言うと、
「こんなんで良いですか」と若い方がプリントを渡してくれた。
周辺の道が分かりにくい話をするのだが、何も答えない。後ろでベテランはニコニコ聞きながら仕度をしているが、急いでいるのか、若い方はぎこちない。
もしかしたら、突然入って来た、怪しいオッサンに警戒したのかもしれない。

この時貰ったのがこの図だが、誰が画いたのか、親切で面白い図なので上げさせて貰うことにした。

Photo
(クリック拡大)

(完)

 


大関越え(4)

2013年04月27日 | 探訪・紀行

京都-大津の往来は、昔は徒歩だった。今でも、歩いて越えることはさほど困難ではない。12km3時間ぐらいで、全線歩道がある。
ところが、自転車には意外な難関だ。

先ず、自転車は車道を走るのか歩道を走るのか。
もし、自転車は絶対に車道というのなら、何も迷うことはない。
しかし、前回の写真を見てもらえば分かるように、ロードレースのトレーニングをしている人でもない限り、普通の人が走れるような道ではない。第一、車の迷惑だ。

そこで、基本的に歩道を走るつもりで行くと、大合流点、四宮ジャンクションで道を失う。
自動車道を走らないで、横切る道が、さっぱり分からない。現場に行くと、何の道標も無いのだ。

実際、現地を見に行った時にも、何台もの自転車が途方に暮れたり、意を決して自動車道に飛び込んで行った。
軽量の自転車なら、歩道橋を担いで渡ることもできるだろうが。

たまたま写真が撮れたケース

Photo_12
長い間見渡し、意を決して飛び込んで行った


Photo_2
向こう側から自転車を抱えて渡って来た女の子
ちょうど渡って来たので、思わず、「いつも渡っているの?」と聞いたら、20歳前後の女の子が興奮で顔を真っ赤にして
「いえ、渡ってません! 道を間違えて・・・」
と、恥ずかしそうにしてガソリンスタンドに尋ねに行った。
おそらく新三条通りからそのまま上がって、車線のど真ん中にいることに驚き、慌てて渡って出て来たのだろう、独りで冒険ツーリングを試みているらしい。怖い物知らずというか、可愛らしいというか、勇気には感心した。

自転車用のトンネルは、ここだよって知らせて
自動車道をツーリングしている人達は、ほとんど通い慣れている感じで、道に迷いは無いようだが、歩道中心で走る人が初めてここに来れば、必ず迷うだろう。
トンネルの存在を、大きな標識で案内してもらいたいものだ。それも何カ所にも揚げてもらいたい。

こういうことは、役所まかせだとラチがあかない。金もあって手続きに慣れている、OOクラブのような所にやってもらうと良さそうだ。
是非、お願いします。

このトンネルが分かった後で気づいたのだが、旧東海道に出るには、もっと別の方法もあった。
国道1号線と旧東海道が交わる「藤尾交番」の歩道橋は自転車を押して上がるためのスロープが付いている。ここで北側に渡り、京阪の踏切を渡って、「摂取院」門前から京阪沿いに「追分駅」の前を通っていけば、やはり、ENEOSの前を通って三条通りに出る。(もちろん逆も)

この方法にしても、よほど通い慣れているか、下調べをして行かなければ分からない。やっぱり、標識は必要だ。
お願いしますだ。
滋賀県警さん、滋賀自転車協会さん、OOクラブさん

付録


大関越え(3)

2013年04月26日 | 探訪・紀行

五条通と新三条通が合流して、湖西方面の161号線と湖東方面の1号線に別れる「四宮の合流点」は、名神の出入口でもある。
この大合流点が旧東海道を分断している。
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(クリック拡大 googleから)

地図で見る限り、旧東海道は東西双方で途絶えている。1963年開通だから、まさに高度成長期の突貫工事で、旧街道のことなど無視されている。
それでも、何らかの配慮はあるだろうと信じて、来てみたが、やはり迂回路が見当たらない。

結局この日は、旧東海道の分断点から、名神沿いに坂を下って、名神下の通路をくぐり、五条1号線の下をくぐり、グルーっと大回りをして、新三条通の四宮交番にたどり着き、そこから旧東海道(旧三条)に入って京都までたどり着いた。体力より、精神的に疲れた。

再調査
しかし、旧東海道は、本当にそんなに無視されているのだろうか。
そんなはずは無い。きっと見落としだ。
そう思い、今度は電車で行き、歩いて確かめることにした。

山科駅から東に歩いて、旧東海道が途切れる地点まで来ると、四宮の合流点の上に歩道橋があるがやはり、トンネルは無い。
歩道橋を渡って東側に降りると、当たり前だが、旧東海道がある。
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歩道橋の上から、西向き京都方向

そこから人気の無い街道を東に上り始めると、70代の男の人が道端で煙草を吹かしている。猿回しのサル(失礼)のようなカラフルな柄のニットの上着を着て、やはりカラフルな帽子を被っている。

「すみません、この東海道は自転車ではどう渡るんですか?」
と、声を掛けると、煙草で忘我の境地だったらしく、「ワッ」と驚いて、
「あ、あ、そこに歩道橋があります」
「はあ、そこから来たんですが、自転車はどうするんですか?」

すると、満面の笑みになって、めちゃくちゃ優しそうな猫なで声で、
「あ、自転車でも渡れますよ~。そこ、行ったところにトンネルがあります。自転車担いで歩道橋渡る人も、よう、いてはりますよ~」

ほんの少し歩くと、民家の私道のような脇道があり、どうもこれがトンネルの降り口らしい。見渡しても、何の標識も出ていない。
「自転車は降りて通行しましょう」と書いてあるところを見ると、おそらくこれがトンネルに続くのだろう。
結局、知る人ぞ知るで、地元の人のためだけにあるトンネルだ。
初めて来た人には、先ず、分からない。前回、見落としたわけだ。

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トンネルへの入口だろうか?

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確かにトンネルがあった、黄色の看板の小さな入口

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歩道橋から東向きに見た、トンネルの位置

つづく


大関越え(2)

2013年04月25日 | 探訪・紀行

合流点の「逢坂一丁目」を過ぎると、道は国道1号線の東海道の逢坂山を、ひたすら登って行く。と言っても、登り切るまでⅠ㎞もない。蝉丸の昔は本当に険しい峠だったらしいが、江戸期に掘り下げられ、今日の姿になったのだそうだ。

峠を登り切ったところが、大谷駅手前の有名なうなぎ屋だ。ここには関蝉丸神社とは別に、蝉丸神社がある。大谷駅から後は、なだらかな坂道が追分まで続き、その後も、四宮、山科まで、ほとんど下り坂だ。
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蝉丸神社
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蝉丸神社から、大谷町、東海道を見下ろす

昔は三条、今は五条
東海道は京都の三条に続くので、昔から三条通と呼ばれてきた。
しかし、国道1号線は、四宮の合流点で五条方面に別れて五条通りに続くことになる。京都で国道1号線とは五条通を指す。
ここからが、「わけわからん???」の始まりだ。

昔の東海道は弥次喜多の像がある三条大橋が京都の入口だが、自動車時代の現代は、五条大橋が京都の入口で、鉄道JR京都駅は八条だ。
なお、京阪鉄道は昔ながらの三条通に沿って三条駅に抜けている。
現在の東海道線ができるまで、京阪のコースが当初の東海道線で、大津港から長浜までは船で渡していた。しかも、琵琶湖が東海道線最後の分断点だった。

三条大橋への旧東海道は、大谷駅から山科を抜け御陵のJR高架下で、新三条通と合流するまで4㎞下りだが、そこから南禅寺や都ホテルのある蹴上げまで登って行く。徒歩や自転車にはこの道がふさわしい。

大谷駅から、東海道を下っていく
追分駅の手前、大谷駅寄りに国道1号線から旧東海道に別れる道があり、歩道橋の下に仏立寺と藤尾交番が建っている。
地図で見る限り、国道1号線をこのまま行くと、三条・山科側に渡る方法が無いし、自転車なら旧東海道だと思うので、藤尾交番の前で、旧街道に斜めに左折し、下って行った。
Photo_6
左手が藤尾交番、旧東海道方面

「追分」の地名となった、東海道から伏見方面に分かれる髭茶屋追分の分岐点を通り過ぎ「京都方面」に向かう。

地図では見当たらないが、突き当たれば、きっと自動車道をくぐるトンネルがあるはずだと、突き当たったら、再び自動車道の大河、四宮の合流点に出てしまった。対岸に渡るには、そこの歩道橋しか無い。

自転車道が無い そんなわけ無いだろうと、もう一度、来た道に引き返して、自動車道の壁沿いを更に下って行った。
坂道を勢いよく下って行くが、行けども行けども、抜け道が無い
グルーっと回って、竹中電子を通り過ぎた頃には、向きは完全に180゜変わった。

ようやく、十字路のトンネルが有った。しかし、このトンネルを抜けても、三条山科方面に引き返すには、相当離れて、方向も解らない。

『まてよ、まてよ、どう行きゃいいんだ?』と、スマホを出して地図確認をするが、それでもよく解らない。
ふと後ろを見ると、佐川急便のお兄さんが、停車した運転席で眉間にしわを寄せて、やはりスマホをいじっていた。

つづく


大関越え(1)

2013年04月24日 | 探訪・紀行

京滋(京都滋賀)を自転車で往来するため、「小関越え」を調べた。
ハイキングには良いが、自転車には傾斜が少しきつい。これは結局、「大関越え」と呼ばれる東海道が、一番妥当なのかも知れない。

どちらが良いか、実際に走ってみることにした。
3月。京都方面から、山科→小関を越え、大津から東海道を回って京都に帰るコースだ。桜はまだ咲いていないが、陽気がたち始めている。
自転車はごく普通の、日常使用しているオートライト付き6段変速で、いわば、買い物自転車だ。

山科からの「小関越え」は、旧道を、自転車を押して上がった。どうせ急勾配なら、少しでも近い方が良いと思ったからだが、車が来ない気楽さもある。(熊やイノシシはいるかも知れない)
登り切れば後は楽々で、あっと言う間に大津に降りたから、近頃、「大津京駅」と名前を変えた西大津まで行き、イオンで一休みする。

もう一度、皇子山運動場に沿って2kmほど引き返し、北国橋から日赤の前を通って、京阪電車が走る161号線「京町一丁目」に出た。
ここには、「札の辻」「逢坂」などの地名があり、いかにも、さあ、京に向かうぞという気にさせる。
しばらく行くと、百人一首「知るも知らぬも逢坂の関」の、蝉丸を祀った関蝉丸神社がある。

その先には、京阪の路面電車が回り込み、鉄道に変身した踏切がある。踏切を渡ると、いよいよ国道1号線の東海道に合流する。
車で走っていると、ここを徒歩で合流する方法がよく解らなかったが、実際に歩道をたどって、初めて解った。

ところで、京阪電車は、京都方面から浜大津に向かうと、地下鉄から、地上に出て、鉄道として走って来るが、上栄町から突然、終点・浜大津まで、昔ながらの路面電車に変わる。
以前、子供連れのお母さんが、いつの間にか路面電車になっていると、子供に教えているのだが、自分の方が大興奮していた。若いお母さんには、初めての路面電車だったようだ。

1号線と161号線の合流
大津港の浜大津から来る161号線・西近江路と、石山、草津方面から来る国道1号線の東海道が交わるのが、「逢坂一丁目」の信号だ。
双方から車が合流するには、歴史の道は古過ぎて狭く、車を交互に入れるしかないのだろう。いまだに信号で止めて振り分けている。

歩行者や自転車は、1号線が止まっている間に、双方の歩道から1号線を渡るのだが、車道を走る覚悟の自転車は、自動車と一緒に1号線に合流して行く。
この辺りの国道1号線は、対抗二車線で、合流や信号も街中の脇道のようだ。知識が無ければ、標識を見ても国道1号線とは思えない。

車道が狭いと、狭い歩道さえ、広々と余裕に思える。しかし、車道だろうが歩道だろうが、坂道は同じだから、それなりの急勾配を登って行かなければならない。
それでも、「小関越え」や「山中越え」のことを思えば天国だ。

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知るも知らぬも 逢坂を登る

つづく) 


大関小関(3)

2011年12月06日 | 探訪・紀行

「トンネル上のローソン」の三叉路に、朽ちかけた道標が立っている。

<小関越・三井寺7km《京阪四宮駅1.3km》京阪追分駅1km>
(自然の道・歴史の道 大津市)

近年、大津市が立てたらしいが、木製で既に古ぼけ、味がある。

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いよいよ、山に向かう。最初の目標「寂光寺」まで来ると、向こうから、バックパックで、明らかに「道中」と見受けられる60代の男性が二人、黙々と歩いてくる。観光地ですれ違う人とは違い、前を見据え、何か声を掛ける雰囲気ではない。どちらかと言えば、巡礼だ。

後で分かったのだが、分岐点の石柱に刻んであったように、ここはやはり、「三井寺観音道」だ。
西国三十三カ所巡りの十四番札所三井寺から、十五番の京都今熊野に向かう巡礼道で、すれ違った二人は、間違いなく巡礼者だ。
白装束や杖など突いていないところに、かえって本気がある。
ふらふら歩きながら、ノー天気に声を掛けられなかったわけだ。

小川沿いに歩くと、すぐに普門寺が見えてきたが、「西大津バイパス」の高架が巨大過ぎて、小関越の分岐附近が「路地」のようだ。
それでも、頭の中から高架を消すと、川沿いに、のどかな昔の道がそのまま見える。

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※「普門寺の分岐点」右下に拡大

 

11月末とは言え、陽ざしに恵まれた坂道を登って行くと、たちまち汗ばんでくる。散在する資材置き場や作業所は、つや消しではあるが、観光地でもないのだからやむを得ない。

少し開けた谷間まで来ると、一眼を首に下げた70代の男の人がいる。
「こんにちは」と挨拶を交わすと、
「カメラお持ちですか、あれは収めといた方が良いですよ」
と、谷間の円筒状の構造物を指し、たたみかけて
「あれは、立坑ですわ」
「ああ、琵琶湖疎水の? へー、これですか!」
むしょうに解説したそうだったが、見ると横に案内板もある。

「上まで、行かはるんですか?」
「ええ、行けるところまで行ってみようと思って・・・熊でも出ませんか?」
「なんぞ、鳴るもんでもありますか?」
「歌でも歌いながら行きますわ」

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さらに、登って行くと、道は、金網に囲われた施設の脇で、申し訳程度に、肩身の狭い姿になる。最近の建造物だが何か分からない。
そこを曲がると、すぐ、峠の地蔵がある自動車道に出た。

行けるところまでと思っていたが、案外、簡単に来てしまったから、大津側に下ることにした。
とは言え、もう汗だくだ。上着を脱ぎ長袖をまくり上げて、下っていくと、道の脇に、また道標がある。バイクでは気づかなかった。
乗物でもよく見ているようだが、やはり、徒歩ならではの発見がある。

山路の手前に「神出開町・小関越えハイキングコース入口」として、
「↑三井寺(観音堂)1.2km」とあり、手書きで500円と書き添えてある。
このまま山路を進めば、観音堂に出るのだろうが、500円取られた人の「心外」が、にじみ出ているようだ。

昼なお暗き、森の自動車道を下っていくと、グレープ色のレインスーツにバックパックの、40代の女の人が登ってくる。
「こんにちは」と挨拶はしたが、峠の地蔵以来、初めて遭った人だ。
小関越のハイキングだろうか、観音巡礼だろうか。いまだに解からないが、『ええかいな』の思いがする。

もちろん男女平等の時代だが、京都には昔、迷宮入りした「蕨採り殺人」や「ジョギング失踪」事件があったし、最近も、九州で温泉旅行の女の人が殺された。海外一人旅の女性失踪は常時あるが、日本でも、女性の解放ムードで、事件はむしろ増えている。

男が女に襲われて暴行されて殺されたという事件はあまり聞かないが、女性の解放には、女性自らの自覚と防衛も必要だ。
昔から観光地には、暴行目的で女性や男女のカップルを狙う輩が徘徊している。自由平等の「立前」だけでは、身を守ってくれない。

小関町まで下りて、長等公園に行くと、何のことはない
「いにしえの旅をしのぶ・小関越え・旧東海道」の、解りやすい案内板が立っていた。

そのまま、浜大津まで歩いて、13000歩、のんびり歩いて3時間程度だった。

やっぱり、自転車は無理だろう

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長等公園案内板(ダブルクリック)

大関小関(1)へ

続編:大関越え(東海道回り)へ


大関小関(2)

2011年12月05日 | 探訪・紀行

うっそうとした森の中を、登りながら『こりゃ、自転車は無理かもな』と弱気になる。思ったより急峻だ。

頂上付近に来ると、陽が差してきた。小さな祠(ホコラ)が見えて、道の反対に、わき水がある。
「飲用」とも「飲めません」とも書いてないが、歌らしきものが書いてあるから飲めるのだろう。

その先の下り坂で道が二手に分かれ、道標が立っている。
「小関越えの道分岐点」として、左手が「琵琶湖疎水1.6km」右手が「西大津バイバス藤尾I.C.0.8km」と記され、右手のバイパス方面は広いが、左手の疎水方面は1mほどの遊歩道だ。

バイクだからとりあえず、バイパス方面に向かうが、寂しげな道にもかかわらず、意外と追い越して行くバイクや車がある。
急勾配を下っていくと、突然開けて、眼下に高速道路を行き交う車が見えた。湖西道路に続く161号線「西大津バイパス」だ。

坂を下りきって、161号の下をくぐり抜け、反対方向に思える「京都方面」に従うと、また、曲がって小川沿いに下っていく。
高架の下をくぐると、寺があり、そこにも道標「藤尾奥町・普門寺前」があった。

普門寺に向って、右手に細道があり、地蔵の祠がある。
『あ、こっちが本来の小関越えの道だ
人が歩く道だから、バイクも行けるだろう。行ける所まで行ってみようと登って行くと、案外、あっけなく、さっきの、わき水と祠の分岐点に出た。

歩いてみる
日を改めて、歩いてみることにした。(自転車の自信はなかった)
勝手が分かった今回は、山科駅前の旧東海道を東に進み、小関に折れて普門寺に向かう。

すっかり脇道のようになった旧東海道だが、古めかしいお店や、街道の厄除け「山科地蔵」などがあり、往時がしのべる。
京阪四宮駅前を過ぎると、「三井寺観音道・小関越」の大きな石柱が立っている。ここから小関越が始まる。

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京阪の藤尾道踏切を渡り、線路の先「追分」方面を見ると、ガソリンスタンドが見える。あそこが、ややこしい「京都東I.C.周辺」だ。

倉庫や工場で雑然としているが、小川沿いに進む道は、昔の街道を彷彿とさせる。藤尾小学校を過ぎると、大鉄道パノラマが開けた。
『ああ、ここが電車で見る、山科の家並か』と、驚いていると、
トンネルから電車が出てきた。

東海道線と湖西線が、それぞれ別れてトンネルに入る。道はその入り口の上に続き、ローソンが建っている。何時も通り過ぎるトンネルの上にも、ちゃんとローソンがあったのだ。その周辺に多くの人が住んでいたことに、今頃気づいた自分が、妙に滑稽で、顔がほころぶ。

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つづく


大関小関(1)

2011年12月04日 | 探訪・紀行

滋賀と京都は極めて近く、京都市庁と大津市庁の直線距離は10kmもない。県庁が最も近い府県だ。

にもかかわらず、相互に往来するのは容易ではない。
足で歩くしかない昔なら、むしろ「近い」と思える距離だが、
自動車にしては時間がかかり過ぎる。道の広さや交通量の関係で、どの道も激しく渋滞し、時間距離が大幅に伸びるからだ。

鉄道なら、京都-大津間は、僅か10分。驚愕の近さだが、京都府庁から、大津県庁までの実時間は、乗換、徒歩、待ち時間などを含めれば、やはり、1時間は見ておかなければならない。

それとくらべれば、琵琶湖から鴨川に、毎日通うユリカモメにとっては、実にチョロい距離だ。通勤に片道1時間もかからない。
何と言っても、直線距離は10kmだ。

真っ直ぐなら近いのだから、渋滞や待ち時間がない自転車やバイクの方が、むしろ近いんじゃないか。そう思って地図を見た。
見れば見るほど、滋賀と京都には、まともな道が無い。

「まともな道」とは、2車線以上で歩道を加えた、都市と都市をつなぐ幹線道路のことだが、古道や旧街道をそのまま使っているため、道幅が狭く、国道1号線でさえ一車線が多い。
もちろん、遠回りをすれば、名神や京滋道の高速道があるが、そこに行くまでの時間がかかるから、結局、旧道が自動車の幹線道路となり、自転車の入る余地はない。

京滋をつなぐ一般道は、北は大原から途中を通り堅田に抜ける「途中周り」か、下鴨から比叡山を越える「山中越え」。
南は、三条から蹴上げ山科か、五条の国道一号線を山科に抜ける。

中でも、南ルートは、高速道路I.C.の繋ぎ線と化して、常に渋滞するから、自転車は走れないし、バイクすら肩身が狭い。
一方、「途中周り」も「山中越え」も、険しい坂道で、しかも狭いから、自転車道とは言えない。(自転車のトレーニングコースだが)

「大関小関」
何とか自動車におびえずに走れる道はないものかと探していると、
「おや~っ」と、発見したのが、三井寺から、山科に抜ける道だ。
その入口の地名が「小関」。『こりゃ、きっと裏街道だ

そこで調べてみると、東海道の逢坂の関を「大関越」と呼ぶのに対し、この裏道を「小関越」と呼んで、昔は頻繁に利用されていたのだという。峠ほど険しくない坂を「越え」と呼ぶ。(ハ天城越~え~)

で、さっそくバイクで現地調査に出かけた。(寒い日だった)
分かりやすい大津側の「小関町」から行くと、昔の街道らしい狭い道が上へ上へと続いている。自動車も通れる舗装道だが、相当古い。

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小関越登口
つづく


リベンジ(2)

2011年11月07日 | 探訪・紀行

再挑戦の山辺の道は、平日にもかかわらず、行く道行く道に、グループや団体のハイカーが歩いている。
秋の陽ざしに輝く柿が、美味しそうだ。

一人で歩く若い人も、「こんにちは」「こんにちは」と挨拶を交わしながら、すれ違っていく。天理から来た人達だろう。

桜井駅から、100mぐらい先を歩いていた、中年のカップルが、いなくなったと思うと、また前を歩いている。こっちも色々、寄り道をするので、結局、同じペースで歩いているようだ。

それにしても、世の中には、こんなにもハイキング好きの人がいるんだと、改めて感心する。老若男女、思い思いに歩いている。
日頃、1㎞も歩かない生活をしている横着者には、異次元の世界だ。

熊野古道には行ったことはないが、昔でも「蟻の熊野詣で」と言われるぐらいだから、この山辺の道も、休日にはごった返すのだろう。

大方の人は、萬葉ファンだろうが、歩いている内に別の快感が湧いてくる。
こういうのが高じて、中には、トムラウシのような所まで行く人が出るんだろうなあと、少し分かるような気もする。

夕陽に追われて歩いた去年は、さんざん迷って、足の裏の皮がめくれても、半分しか歩けなかった。今年は、あの日が暮れた崇神天皇陵まで来ても、足に余裕がある。まだ陽も高い。
ほんとうに、何事も、備えとゆとりが大切だ。

崇神天皇陵で、団体を引率して解説を始めた70代の先生の声が、ハンドマイクから、あえいでいるのが、何とも気の毒だ。
秋とは思えぬ陽気で、とうとう上着を腰に巻いて半袖だ。行き交う人のシャツにも、汗がにじんでいる。

次は石上神社だと、坂を登っていくと、ロッジ風の茶店がある。
中で、柿を売っているが、メニューには「柿」が無い。しょうがないから、ソフトクリームを頼んだ。
昔は、夏は何処の飲食店にも「すいか」と言うメニューがあったが、近頃は見かけない。せいぜい「メロン」ぐらいで、「柿」など思いも寄らないのだろう。

山辺の道すがら、いたるところに美味しそうな柿が実っているし、道には、無人販売所に柿が並んでいるのだが、重くなるから、買う気にもならないし、ナイフを持つほど周到でもない。

柿を一口食べたいなあと思いながら来ると、せめて、茶店で食べさせてもらえないものかと、うらめしい。

柿どころの奈良なのだから、「むき柿」のメニュー、是非、お頼もうします。

ついに、天理まで歩いた。さすがにくたびれたが、何とも気持ちイー!
意外と疲れないのは、柔らかい土道だからだろうか。
去年、柳本まで2万6000歩だったのに、今年は天理まで歩いて、2万7300だった。去年、いかに無駄足を使ったかが分かる。

今度は、天理から桜井まで歩くか、それとも奈良までかな、
いや、熊野古道にも、まだ行ってないじゃないか・・・


リベンジ(1)

2011年11月06日 | 探訪・紀行

昨2010年初夏、ふとした気まぐれで、山辺の道に行った。
先達も無く、ガイドブックさえ持たず、観光パンフレットだけで歩き始めるという「いい加減」で、大失敗をした。

しかも、陽も傾き始めた、2時過ぎに桜井の駅を出るような、不届き者だから、食事さえしていなかった。
駅でもらった「てくてくまっぷ」を頼りに、目印の空き地に向かって歩いて行くと、大型スーパー「オークワ」があったので、立ち寄って水を買い、総菜弁当で腹ごしらえをして、急いで前進した。

ところが、行けども行けども、空き地がない。とうとう橋まで歩いて、『こんなはずはない。間違えたぞ』と思ったが、第一目的地「仏教伝来の地」が面する川と、この川が続いているのかが分からない。
『とにかく、行き過ぎているのだから引き返そう』

再び、「オークワ」が、見えてきた時、
『ええ?!もしかして、マップの空き地はオークワか!』
と、気がついた。確かに、信号を曲がると、「山辺の道の案内板」があった。思わず、「可愛い過ぎないか」と、独り言。

後で見ると、探しながら余分に歩いた距離が1.7㎞。桜井から「仏教伝来の地」までが1.8㎞だから、倍歩いたことになるが、3倍歩いたぐらいの、先制パンチだった。

リベンジ
残した天理まで、絶対、歩きに行くぞと、心に決めていたが、年寄りの時間は早い。一年どころか、もうすぐ冬が来る。
10月末、今度はしっかり地図を確かめ、朝から行くことにした。

去年の記憶をたぐりながら、地図を見ている内に、
『これなら、天理まで踏破できるぞ』と、何の根拠もなく妙な自信が湧いてきたので、改めて、桜井からスタート。

例の「オークワ」まで行き、水とおにぎりを買って、
『今度は見落とさないぞ』と出てみると、去年は見落とした案内板だったが、『な、な、何と!』
見落とすも何も、隠してあるではないか!  (下に写真)

押っ取り刀の去年は、隠して無くても見落としたのに、もし、初めて来たら、どうなるのだろう。
このポイントは、街中からハイキングコースに入る、「山辺別れ」とでも呼ぶべき、いわば要所だ。

もっと大きい、遠目にも分かる案内板にして欲しいと、思ったくらいだったのに、その重要な手がかりを、選挙の「レッドカード」が、隠している。
みんなが通る道だから、目立って良いと考えたのかも知れないが、それなら、せめて、横に設置すべきだ。

どういう人か知らないし、もちろん本人の仕業ではないだろうが、いわば連座責任がある。とても地元のことを考えている人とは思えない。

「これは、アカンやろう」の看板に驚き、大笑いをさせてもらったお陰か、前回とは違い、のんびり余裕を持って歩くことができた。

Photo

 ↑ [これはアカンやろう] (看板の後ろが道標)

→つづき リベンジ(2)


まほろば(1)ふるさと

2010年09月03日 | 探訪・紀行

奈良が好きでよく行く。今年は遷都1300年で、観光客が多いから、奈良市を避けて、なるべく周辺に行くことにした。

奈良がいいのは、何も無いからだ。
京都は幾度も街の姿を変えて来たが、同じ名前の建物が、形や位置を移しながらも、そのまま在るので、想像の余地がない。
そこに行くと、奈良は昔のままに残っているか、姿を失っているだけで、何も隠されていない。

地図を持たないで歩いていても、小川や丘にであうたびに、万葉や記紀で聞いたような名前が記されている。そのたびに、古代の人がそこにいるような気がして、一瞬でタイムスリップする。

以前、明日香に行った時、リュックをしょった80歳ぐらいの女の人が、ステッキを突きながら、独りで甘樫丘を降りてきた。
女学生の青春が、万葉集一色だった頃の人だろうかと思いながらすれ違った。

萬葉の人々の寿命は短く、女学生の胸をときめかせた歌は、まさに青春物語だっただろうが、80歳になっても、やはり心ときめいて訪ねさせる魅力が、大和にはある。
人それぞれに、自由な思いを映し出すロマンの地だ。

初夏、ふと思い立って、「山辺の道」に出かけた。思い立ったのが、昼だったので、桜井駅に着いたのが午後2時過ぎ。
駅の観光案内で、『今から?』と怪訝そうな顔をされながら、地図をもらい、それから何度も迷いながら、結局、2万6000歩。
柳本の崇神天皇陵まで歩いて、日が暮れた。

薄暮の中、道を間違えて引き返してくると、地元の70歳ぐらいの男の人が、笑いながら、
「道、間違えはった? さっき、そうかなと思ったけど、えらい慣れた顔して歩いてはったもんで・・・」
「いやあ、間違っても、覚悟の顔ですわ」
「天理までですか ? ここがちょうど半分ですわ、残りは今度にしなはれ、そこ、降りて行ったら、柳本の駅ですわ」

根っからのハイキング嫌いなので、これまで訪ねることがなかったが、
思い立ったが吉日。ふとした衝動のおかげで、初めて来ることができた。

日本最古の官道とは言え、失われた道を、強引に再現している。
けもの道のような山道や、田畑の畦のような頼りない道、民家の軒下を通り抜けながら、旧跡を辿って行くと、大和盆地の西に二上山が見え隠れして、やがて、後ろの空に三輪山が大きく姿を現した。

近江遷都に向かう道すがら、雲で三輪山が見えないと嘆いた萬葉人の、大和への思いがわかるような気がした。

  →「リベンジ