魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

流されて

2015年04月29日 | 星の流れに

ポール・マッカートニーが来日し、武道館で半世紀ぶりに公演。
大阪公演を観に行った知人も大感激、行く前から大興奮していた。
双子座のポール自身も、感慨深かったであろう。射手座の土星で、「昔」や「年寄り」が、やって来る。とっくに、64歳を超えた今。

同じく双子座のアメリカも、半世紀ぶりにキューバとご対面。

一方、牡羊座の天王星を相手にしている日本は、ドアを開ける度に、表に立っている人に驚かされる。
韓国や中国の取り立て屋が凄んで立っているかと思えば、EUが後ろ向きに立っている。
しばらく来なかった、アメリカ町内会長が、「最近、体力も金も余裕がないから、少しは手伝ってくださいよ」と、もみ手で立っている。すると、その後ろで、中国親分が、「借金はしばらく待ってやるから、うちの掃除を手伝わせてやろうか?」と、ワケの分からない愛想らしきことを言っている。

牡羊座に天王星が入って以来、4、5年経つが、地震、津波、原発に円高、中韓の日本叩き、欧米の動揺・・・と、もう、何がなにやらサッパリわからん、わてほんまによういわんわ状態で、

♪ 日本はすっかり疲れてしまい、謝ることさえ嫌だと泣いた
 こわれた金庫で想い出の艦(ふね)並べて見せてはため息ついた
 時の過ぎゆくままに国運まかせ
 金融緩和にただよいながら
 おちて行くのも幸せだよと
 二国つめたい身体合わせる

これだけ、ひどい目に遭って、日本はまだ、よく持ちこたえていると思う。
日本の場合、土星と天王星の揃い踏みで、前から後ろから、同時に攻められたが、
遅れて土星の入ったサソリ座、朝鮮半島は、土星だけで相当影響した。まもなく天王星が牡牛座に来れば、今度は外からの揺さぶりが起こる。今の日本と同じ事になるのだが、果たしてどんなことになるのだろう。口には出せないが想像はつく。


有効活用

2015年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム

ネパール地震の被災地に向かう緊急援助隊が、空港混雑でなかなかたどり着けず、支援物資も遅れている。こんな時こそ、オスプレイが使えそうなのだが、一体どうなっているんだろう。

自衛隊が購入する話が有ったが、日本としては、常設災害援助隊にオスプレイを所有し、何時でもどこでも駆けつけられるようにしておいてはどうだろう。災害先進国として頼られる国であって欲しい。もちろん、先ずは国内から。

 


非情の星

2015年04月27日 | 占いばなし

このところ、イルカが大量に打ち上げられるような異変が続き、世間でも色々噂があったようだが、前兆となる地震もあった。
後頭部の頭痛も続いていたので、遠いところで地震があるなと思っていたら、沖縄で起こったがその後も頭痛が続いていた。それでも、ネパールの地震まで体調に影響するとは思わなかった。

遠くの地震と頭痛が伝導することが多々あるが、これは、直接の影響ではなく、エネルギーが反対にかかって、近くで影響しているのではないかと思う。
とにかく、この地震と頭痛の関係は不思議で、よく解らない。

ネパールの地震は、カニ座の月の日に起こった。山羊座の冥王星に対し180゜だ。
しかし、もし太陽と月の引力が関係するのであれば、90゜の方が大きい。
メカニズムのことはよく解らないが、占い的には、山羊座の冥王星が、山岳地帯や登山ブームに変化を迫る。冥王星は死と再生、別な生き方の始まりと、大量死を意味する。

日本のように、常に地震がある国では、家は壊れることを前提に建築するし、森林に恵まれていることもあり、もともと石や煉瓦の家は造らないが、森林に恵まれない地域は、何度大地震に遭っても、地震に弱い建築で多くの死者が出る。また、「三匹の子豚」の話のように、石や煉瓦の家が一番優れていると思われていることもあるのだろう。

日本で地震による死者が多く出る時は、今回の津波もそうだが、何より、火災など二次災害が被害を広げる。
いずれにしても、人間は自然災害には勝てない。出来るだけ減災を心がけるしかない。
災害が起こる度に、逆に、地球の偉大さを思い知る。

山羊座の冥王星は目に見えない変化を意味するから、地震には直接関係しない。しかし、今回の地震も、変化のきっかけになるだろう。ネパールのような山岳地帯やインドそのもの、また、イスラエルを始めとするユダヤ社会などの、生き方やイメージが変わっていく。
少なくとも120年はかかる話だから、どうなるこうなるという話ではない。

多くの死者が出ている時に、こんな話をしていることは気が引けるのだが、占いは土星。何が起こっても、個人の情とは別に、非情の見方をするのが占いの立場だ。


巡る巡る

2015年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

「歳を取ったなあ」と思う、最大のことは、ミレニアムを聞いた日から、もう15年も経ったことだ。
21世紀など、迎えてはいけない。そんな日が本当に来るだろうかと思っていたのに、それが簡単に来てしまって、気づけば既に15年も過ぎているのだ。ぞっとする。

むかし、「30になったら私死にます」と歌う歌があった。将来のある時を超える恐怖を、自ら創り出す。何か滑稽で、それでいて、ふと息苦しさに気づく。何とも言えない歌だった。結構、嫌いではなかったが。

30歳は過ぎてしまえば、何と言うか、死ぬことはない歳だ。むかし、男盛りは40代、女盛りは30代と言われたものだが、人生80歳時代ではその倍、プラス10歳ぐらいの幅ができたようだ。女盛りは30~50代、男盛りは・・・消えてしまった。

昔の男盛りは、世の中で活躍し、女房子供を養い、妾の一人や二人を囲う甲斐性を持てた。今は男盛りどころか、セクハラにおびえ、女におびえ、結婚するだけの稼ぎも手にできず、恋から結婚から逃避し、目立たぬように盛らぬように、かろうじて生きている。

願わくはスマホの中にて春死なん そのツイートとゲームのままに 難行

今年、50歳の男は、1965年生まれ昭和40年の巳年だが、当然のことながら、バブル真っ盛りに成人した。売り手市場の楽々就職をしたら、突然、冬が来た。それでもまだ、原体験が幸せだったから、おそらく、くじける人は少なかっただろう。
しかし、それより10年後に生まれた世代は冬生まれだ。物心ついた時には雪が降っていた。世の中はどうせこんなものだと、身を縮めて生きることに慣れている。

冬生まれの世代は男盛りが消えてしまったが、バブルジュニアの世代にはこれから夏が来る。やはり、世代は遺伝する。四季折々、良いところがあるように、どの世代にもそれなりの長短があるのだが、貧乏世代は不幸にめげないとは言え、気の毒だ。
観てしまった

男盛りが消えても、女盛りがどんどん盛り上がっているのは、不況の時代も影響している。男の稼ぎだけで生活できなくなることで、女の社会進出が広がり、完璧ではないが地位の向上も進んだ。貧乏世代の繰り返し論で言えば、戦時中の女手に頼った社会の再来だ。

これからの高齢化でますます、女は盛りそうだが、ある程度進むと、必ず反動が起こる。バブル時代の、女の欲望が再来する。男に貢がせるのが当たり前になったことで、その後の不況期に、男の女離れが起こった。物事は何から何まで「因果は巡る」だ。

それにしても、もう2015年とは


見境無し

2015年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

中国で、ヒトの受精卵のゲノム編集実験が行われ、世界から、倫理的な驚きと批判が起こっている。
新しい技術が現れると、常に倫理問題が起こる。月に行く時も、クローン出現も大騒ぎになった。

倫理は、慣習の保守のためにあるのだから、新しい概念には必ず反対の立場に立つ。
慣習に基づいて、生き方を定めるのが宗教だから、倫理は宗教と一体だ。もちろん宗教は既存の宗教の改革者として新しい生き方を提案することで、慣習の中にある人々を引きつけるが、必ずまた、慣習そのものに変わる。

この宗教世界の倫理は、どうすれば、人は平和で幸せになれるかを追求するものだが、既存環境を前提とするものであり、新技術出現のような、環境変化は計算に入っていない。
また、自分たちの方式で幸せになれると考えるから、他の方式を排除しようとする。一神教の争いは、あまりにも論理的で、その論理以外を受け付けないことで、起こる。

一方、仏教のように融通無碍で、拘らないことを方法とする宗教は、新環境に対して鷹揚だ。仏教界から人間が月に行って良いのか、などという発想は出てこない。どういう世界にあっても幸せになるのは、一人一人の自己研鑽にかかっている。鍛錬、修行、求道だ。
みなが、さとりへの道を歩けば、世の中は平和になり、幸せになる。

新技術をどう使うかは、過去の基準に照らして可否を定めるのではなく、「人として」どうかと考える。この「人として」とは、漠然と、みなが納得できる範囲かと言うことだ。
仏教の影響が大きい日本の文化は、この基準で、漠然と捉える。

何でもパクル中国だが、宗教は結局、根付かない。めしを食うこと、金を儲けることが、最大の基準だ。倫理より金儲けだ。新技術も、古代からすぐパクルが、結局は発展しない。
すぐ使える物にしか興味がないから、発展させることを求める文化がない。

今回のゲノム編集も、新しい技術を知ったとたん、何のためらいも無くすぐ試した。
太陽光も新幹線も、金になるとみれば一気に生産を始めた。人工衛星破壊も直ちに実験したし、サイバー攻撃も、南シナ海での基地づくりも、出来ること役に立つことなら、何の恥じらいも無い。

こういう国が、核兵器を大量に持っていることは、言葉に出来ないほどの恐怖だ。
何を始めるか分からないのだ。
これだけ、なりふり構わぬ国なのに、メンツは大切にする。ほぼ、欲とメンツだけで動いていると言っても過言ではない。

この恐怖の「大国」と付き合うには、おだててメンツをくすぐり、「裸の王様」にすることだ。
過去、これを上手くやったのは、大英帝国と、始皇帝をたぶらかした、日本人の先祖と言われる徐福だろうか。中国人は老獪に見えるが、案外お人好しなのだ。


成長段階

2015年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃また、アナログレコードがブームだそうだ。音響機器メーカでは、プレーヤーの製造を再開しているところも出てきている。
何より感動したのは、レコード針メーカーのナガオカが、粘り強く生産を続けていたことだ。手作りによる製造は熟練を要するが、携わる若い人の養成も続けられていた。
どんどん生産が減少していく中での、企業の責任感に、思わず目頭が熱くなった。

ブームのきっかけは、団塊世代だが、若い人にも広がっている。若い人にとっては、CDやネット配信には無い新しさがあって、目に見える物から直接音が出ている「現実感」が魅力らしい。
若い人のコメントを聞いていて、「やっぱりなあ」と、納得したり、安心したりした。

近年、あまりにもデジタルや、バーチャル世界が広がり、一体、人間はどうなってしまうんだろうと心配をしていた。
人間の身体はアナログであり、五感によって認識をしている。いくら技術が進んでも、人間の付いていける世界には限界がある。このままでは、デジタル世界の中で人間力が機能停止し、人間自らが、文明を停止させるか破壊するのではないか。

そう心配をしていたが、やはり、行き過ぎれば揺り戻しが起こってくるようだ。
若い人にとっては、アナログレコードを聴くことは、コンサートを目の前で聴くことに匹敵する、少なくとも類似しているのかもしれない。

直接音の出る物を見ながら音を聞く。このリアリティーに接する時、五感と認識が正しく反応し機能し始める。そうした認識方法が養われることで、ネット上の人間関係も正しく認識できるようになるのではなかろうか。

年寄りからすれば、ネットによる人間関係は、どんなに豊富であっても、人間形成には役立たない。人間形成は、熱い、臭い、うるさい、そんな生身の人間と、切磋琢磨し、互いに削り合い、譲り合いしながら育まれていく。
一度に何人もの人と付き合えるわけではなく、目の前の人を、好きでも嫌いでも、実感することで、同時に自分を実感することが出来る。そして、成長する。

人間は第一印象と違うこともあれば、人から聞いた評判とも全く違うことがある。
そういうことが分かるのは、文字に書かれた言葉ではなく、体温、吐息、体臭、声、表情など、諸々の現実に接して初めて感じるのであり、その現実を見つめる自分への問いかけで、思考が成長する。
そして、意外な考えや、時にはウソに遭遇して、さらに成長する。目の前の生身の人間は、嫌でも、プチッとは切れない。我慢し努力し考えなければ、対処できない。

そうした体験を経た後に、初めて、文字を通した意志をも理解することが出来る。いきなり文字で接する人間は、人間ではなくフィクションだ。
バーチャルやフィクションだけで考える世界に、まだ、人間は適応できていない。

しかし、見知らぬ者同士が、声で、絵や記号で、意思伝達を始めた太古から、人間は抽象概念を通して、文明を発展させてきた。文字は時空を超えてイメージを伝える。
新しい方法にいきなり対応できるわけではない。
アナログレコードも現実のコンサートではないが、こうして半歩現実に戻ることも、仮想現実に慣れるために必要な、ステップの一つなのではなかろうか。


 


何時かは

2015年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

地中海では、アフリカからの難民船が遭難し、多くの死者を出している。
戦乱からヨーロッパに逃れようとして、また、悪徳業者の餌食になる。
奴隷船の廃止から、今年でちょうど200年。しかし、アフリカから追われて、人々が過酷な環境の中を先進国に移動していく有様は、奴隷船と何ら変わりない。

太古の昔、飢餓に追われて人類が旅立って以来、何波にも渡り、アフリカから旅立ち、地球上で往来し、混交する人類の歴史は、誰一人好んで動いた者はないだろう。
あらゆる理由で、追われて動いた。
戦争難民や、飢餓からの脱出は言うに及ばず、大征服さえも、精神の不安に追われて動いていた。

地球、あるいは宇宙は、生生し変化する。生命もその触媒として、地表を変える。
物と命を、風が運び鳥が運び、人類が運ぶ。そして、やがて環境を変え、役割を終えて人類はいなくなる。

産業革命パラダイムは、人類退場の序章なのかもしれない。
大量生産による大量消費。その競争で起こる大戦争と大破壊。破壊と混乱が引き起こす難民や移民の人類大移動・・・
核戦争が起こらなかったとしても、環境破壊が起こらなかったとしても、人口膨張に食料が追いつかなくなる。

勝者だけが生き残るシステムは、古代のように敗者の逃げ場がある時だけ成立する。
人口が地球の許容量を超えた時、ある日、突然、崩壊するだろう。
その限界がどこなのか、今のところ誰にも分かっていない。


先祖の話

2015年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

ブラタモリで、タモリが、「九州の人間はたいてい先祖は平家だという」と言っていたが、東北の至る所に、義経伝説があることと相対している。
日本の歴史の中で、源平合戦がいかに大きな出来事だったのかを物語る、日本人のPTSDのようなものかもしれない。

名字の由来も、源平藤橘と言うぐらい、今日に至るまで影響を及ぼす、日本人のアイデンティティの縦糸だ。
「うちの先祖は・・・」で、これを出されると、もう沈黙するしかない。何らかの異を唱える事は、人格を否定することになりかねない。

かく言ううちの先祖も、父方は源氏で、母方の父は平氏で、同母は源氏だ。墓やら祠やら色々な「証拠物件」があるが、有り難いと思ったことがない。親戚にはそれを大事に守っている人がいるが、何とも哀しい思いがする。

先祖など、ガマの油売りの計算で、600年もさかのぼれば、日本中が親戚だ。源平の合戦から、800余年だから、もう既に日本中が源平の子孫になっている。
家系図なども至る所でねつ造されている。あの徳川家さえ先祖の真偽はわからない。
そもそも、女側の家系図は基本的にたぐれない。

先祖話を聞くと、中韓の歴史謝罪要求のように、対応に困る。中韓の場合は具体的な行動を求められるが、先祖話も、うかつに反論できないから、黙っているか、感心して見せなければならない。
「それが、今のあなたと私にどういう関係があるんですか」など、決して言ってはならない。
歴史的な話題としては面白いが、個人の格付けの話となると、苦痛でしかない。

先祖への関心の深さと、その、総本家たる天皇崇拝は心情的に極めて関係が深く、それだけに、日本人は天皇を持ち出されると逆らいにくくなる。
だから、天皇を利用した詐欺にはくれぐれも気をつけなければならないし、いかにも天皇の忠臣かのような振る舞いをする人間には気をつけなければならない。

天皇を利用した一派が、明治維新から今日に至るまで支配権を握っていることは、常に念頭に置くべきだろうし、なぜ、維新ドラマが好まれるのか、よくよく考えてみる必要がありそうだ。


昔の恋人

2015年04月17日 | 星の流れに

双子座アメリカは射手座の土星で、寂しい思いをするか、古いなじみと付き合うことになるが、AIIBでは、寂しい思いをしている。
一方、古いなじみはキューバだ。むしろ、AIIBよりこちらの方が土星作用の本命と言える。

キューバなど、中南米や南米は射手座で、まさに因縁の相手だ。アメリカは昔振った恋人に、成金の中華オヤジが手を出しているのを見て、この分では、昔の恋人どころか、その親族一統まで敵に回しかねないと、色目を使い始めた。

元々、昔の恋人と別れた経緯も、嫌いで別れたわけではなく、互いのワガママがこじれたもので、「ソ連と結婚するもーん」とやって、恋のさや当てに発展してしまったものだ。
そのソ連も今はなく、成金がすり寄ってきてるありさまだ。

しかし、双子のアメリカのもう一人の共和党は、そう簡単に賛成してしまっては、立場がなくなる。グダグダ言って邪魔をするだろう。
しかし、キューバとの復縁は、今となっては一刻を争う。早くしなければ、成金オヤジにすっかり持って行かれてしまうだろう。ある意味、アメリカの新しい正念場だ。

一方逆に、キューバにとっては、土星が来ているわけだから、指導者の老化で、本来、風前の灯火の所だから、木星が獅子座の吉角で大チャンスと言える。喜ばないわけがない。
しかし、木星が乙女座に移るまでに、結果を出さなければ、双方、かえって苦しいことになる。互いに意地もあるだろうが、この際、一刻も早く、よりを戻して欲しいものだ。


母ちゃん

2015年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

客離れの激しいマクドナルドが、再建計画を出した。
正直なところ、日本で、これまでマクドナルドがハンバーガーの本家みたいな顔をしていることに納得がいかなかったが、選択肢が無いせいか、結局、マクドナルドの餌食になってきた。

煎餅みたいなカスカスの肉を、見る度に腹を立てながら食べていた。
長年腹に据えかねたマクドナルドは、結局、物を食べさせるのではなく、手軽さに思わず手を出してしまう母ちゃんのようなもので、習慣化で離れられなくすることが、始めからの狙いなのだと解った。
だから、マクドナルド煎餅でも、この上も無く美味しいと思う人がいるし、始めからそれで育った子供達は、それを本当の美味しさだと信じている。

ところが、ある日、母ちゃんが毒を食べさせていたと知った子供達は、俄然、裏切られた思いになった。
そこに、ハンバーガーってホントはこんなに色々あって、美味しいんだよ~と、様々なチェーンも上陸してきた。

裏切った母ちゃんが、もう一度母ちゃんとして認めてもらうためには、おふくろの心遣いを示さなければならないのだろうが、本社から送られてきたカサノバ社長の失態に、さらに会長までアメリカ人にするときた。

カサノバ社長を送り込んできた時、いよいよだなと思ったが、やっぱり、いよいよだ。
マクドナルドという、食べ物の本質を持たないビジネスが、食に拘る日本で成功してきたのは、ひとえに、日本人の、きめ細やかな「おふくろ志向」によるものだ。
アメリカ流の功利主義では破綻する。


射手痛て

2015年04月15日 | 星の流れに

広島でまた、飛行機事故が起こった。また、アシアナ航空と、また、A320だ。
死者も無く、不幸中の幸いだ。

飛行機事故に関しては、射手座の土星だから、いまさら驚くことではないのだが、韓国は16日でセウォル号事故から1年になる。
セウォル号からちょうど半年後には、野外音楽場の換気口転落事件が起こっている。
対角線上

土星がサソリ座から抜けて射手座で動き出したが、逆行で、射手座よりサソリ座の後遺症の方が出てきたようだ。木星もサソリ座に90゜の獅子座で動いている。
パク大統領側近の不正疑惑も上がってきた。

射手座の土星と言えば、今日は、クロスボウで、自転車で走っている人が撃たれた。
自転車も射手座だが、クロスボウは弓矢そのものだ。こういうものが流行っているとは知らなかった。
古代から兵器「弩」として使われている物が、インターネットで誰でも買えるのは、銃刀法のある日本で、超弩級のおかしな話だ。

もう一つ、射手座の土星の話題として、聖マリアンナ医科大学の医師が、「精神保健指定医」の資格を不正に取得して20人の指定医が資格を取り消された。(精神は射手座)

また、射手座の高等教育では、日本も世界レベルに対応すべく、大学改革が着手されたそうだ。


本当の所(3)

2015年04月13日 | 占いばなし

体感運度
運の善し悪しは、幸福と同じように感じ方による。どのレベルにいるかではなく、どの方向に向かっているかだ。

今のような季節の変わり目になると、冬より明らかに温度は上がっているのに、とても寒く感じることがある。身体が、慣れた温度より3度以上、下がると寒く感じる。
身体が春になっているからだ。
春の始めは20度を超すと暖かいが、秋の20度は防寒具を着込むぐらい寒い。

季節や風向きで感じる、体感温度と同じように、運の善し悪しの実感は、体感「運」度の方が大きい。
「山高ければ谷深し」と言うが、お殿様が普通のサラリーマンになると、強烈な不運と感じるし、食べる物にも事欠いていた人には大出世、大幸運に感じる。

前と比べて、上向くと運が良いと感じ、下降すると運が悪いと感じる。
こうした「体感運度」に惑わされて動くと、本当の幸運を逃してしまう。かといって変化に鈍感でいると、これまた、災難をもろに受けることになる。

昔から、「季節の変わり目には気をつけよ」と言う。それまで慣れていた状態から、環境が変わると、身体と意識がついて行かない。
対処法として重要なことは、慌てないことだ。

暑くなったと、冬物をしまったとたん、桜に雪が積もって、慌てて、冬物を引っ張り出す。
ミッドウェー海戦の大失敗は、鈍感と早とちりの両方をやったことだった。
多少暑くなったからと言って、慌てて生活を変えない。同時に、何があっても良いように、少しの変化も見逃さず、早め早めに頭を切り換える。
不動明王は目を見開いて動かない。

日本の失われた20年は、成功体験に浸り変化を見逃し、対処が後手に回った結果だった。
心配しすぎて過剰な警戒をしても、逆に、少し良いと得意になって野放図になっても、方針を誤り信用を失う。
けちな長者や、宝くじが当たった乞食には、必ず悲惨な結末が待っている。「体感運度」で動けばそうなる。

変化を感知し、かつ、現状を測る。悪いと感じても、実際、現在はどの程度なのか、良い雰囲気は何のおかげなのか。
自分の体感より、客観的な状態を把握することで、大きな損失を逃れ、次のステップを踏むことが出来る。

暖かくなっても、季節温度の基準値を心得ていれば、桜の雪に慌てないで済む。
「体感運度」がどうであろうと、運命の周期律を心得ていれば、大失敗を避けることが出来る。
勝負は勝ちきってはいけないと言う。腹は八分目だと言う。
余韻、余力を残してこそ持続的発展が望める。

開運の心得は、大勝利より、大敗北の回避だ。


本当の所(2)

2015年04月12日 | 占いばなし

ところで、昨日話題にした惑星の逆行の作用について、影響が隠れると話したが、別の見方をすれば、影の部分、ネガティブ作用が起きる。
順行の時には、基本的に惑星の長所が出るが、逆行すると、短所が出る。
木星の場合、長所は楽天的な膨張作用だが、短所が出ると、誇大妄想や無神経な横暴になる。

土星の場合は、長所は大人の知恵や忍耐力だが、短所は悲観的で、融通が利かなくなる。
射手座に土星がいると、教育に復古や道徳が持ち込まれるが、逆行中は懐古や時代錯誤に傾く。また、射手座は法律、運送、旅行、スポーツで、本来、木星の世界なのに土星が来ることで、経営、運営の問題が起こるが、逆行することで、一時的に、問題が解除される。
サッカーや、飛行機の事件、三菱のMRJの初飛行延期など、良くも悪くも、反作用が起こっている。

星占いの逆行に似ているのは、干支術の空亡だが、どんな占いにも、表と裏の現象が存在する。これは当然と言えば当然で、物事には必ず表裏がある。また、周期律的な視点で考えると、「波」は頂点と底点を繰り返すものだ。いずれも、「極まれば転ずる」。
波の山側と谷側が、表と裏であり、一方で良かったものが反転すれば悪くなる。

空亡の場合、十二支の二支だけだから、1/6だが、実際には相互の影響は交錯するから、二支の影響力だけに注目すれば、最大5年ぐらい続く。
空亡期間中に上手くいったことを続けようとすれば、五年は持つが、七年は冷や飯を食うことになるから、トータルな運を考えるなら、やはり、表に賭ける方が本当だろう。
夢の世界で生きるのか、現の世界に生きるのか、酒を飲んで生きるのか、しらふで生きるのか、どちらが正しいとは一概に言えないが、一般常識としては、現の世界をしらふで生きるのが、本当の人生だろう。

干支術と比べ、惑星の影響はリアルタイムで呼応するが、起こることがリアルタイムでも、人間の心理に与える影響力には時間差がある。
また、惑星の作用は、短所であれ長所であれ、他の惑星からの影響や、通過する星座との相性もあるので、これまた一概には言えない。

やはり結局、運の流れは、干支術的な、アバウトな捉え方の方が有効ではなかろうか。


本当の所

2015年04月11日 | 占いばなし

8日、4ヶ月ぶりに木星が再び獅子座で順行を始めると、株価が連騰し、2万円の声を聞いた。獅子座のオバマ大統領は、キューバのラウル・カストロ国家評議会議長と握手をした。
一方、土星は3月14日から射手座で逆行を始め、そのまま6月から3ヶ月ほどサソリ座に戻る。

逆行中はそれまで進んでいたことが、月に群雲のように、一時、影を潜めるわけだが、単純に、そのジャンルの現象が消えるわけではない。他の惑星の影響が輝き出すと言うこともあるから、かえって激しく現れることもある。
例えば株価などは、獅子座が底で、水瓶座が天だが、木星が獅子座に来れば、そこを底として徐々に上がり始める理屈になる。ところが、他の惑星が横の90゜から刺激をすると、思いがけない影響が出てくる。

獅子座の木星に対し、土星が90゜から120゜に変わっていくと、俄然、良くなるはずなのに、その木星が逆行していたり、今のように、吉120゜の土星が逆行すれば相殺になる。
そこに、市場に影響を与えるムードの月が日々、異なった影響をすれば、もう、何がなにやら解らなくなる。

だから、最も大切なことは、大筋を外さないことだ。株価だけではなく、人生も世の中も、漠然、アバウトで捉えておく、心構えこそが肝心だ。

アバウトこそが極意
あらゆる事柄において、小さなことに拘れば、大きな損失を招く。
10円安い、と電車に乗って買いに行く話があるが、人の間違った話を訂正して恨まれたり、大掃除の最中に、ふと目についた記事を何ページも読んでしまったりするのも、大局を見失う例だ。
小さなことが気になっても、本来の目的は何なのかを考えれば、してはいけないことに気づく。

ギャンブルでも、大切なことは、大勝ちすることより大負けしないことの方が大切だ。
病気は、完治することより、悪化・再発を防ぐことの方が大切だし、人間関係は仲良くすることより、争わないことの方が大切だ。
もちろん、あらゆる事に、決断と勝負が必要な時がある。しかし、それこそが、伝家の宝刀であって、何事も、今それを抜く時かどうかと、考えることに意味がある。

判断や決断は軽々しくするものではないし、決定的、絶対的な物言いをする人は、まず、疑ってかかった方が身のためだ。ましてや、それを期待すべきではない。
先ずは、自分を疑おう。


鞭声粛々

2015年04月09日 | 日記・エッセイ・コラム

管官房長官が、沖縄の翁長知事に「粛々は上から目線だ」と言われて、言いませんと言った後、今度は安倍総理がやはり、「粛々」と言って指摘され、「嫌なら使いません」のようなことを言った。

二人とも、『下らんことを言うなあ』と思っているのだろうが、まあ、この際、角を立てないように「使いません」と言っている雰囲気だ。

翁長知事の言い分も、感情論で、そう褒められたことでもないが、元々この経緯が、感情の逆なでから起こっていることなのだから、やはり問題は政府側の無神経の方にある。

そもそも、「粛々」はカッコイイ言葉だから、政府は好んで使うが、「粛々と」何かをされる側にとっては、とてもではない受け入れられない態度だ。

「粛」は静かな状態の表現だから、「粛々と行う」とは、何があっても、慌てず騒がず、静かに行っていくということで、それだけの実力と意志がなければ出来ないことだ。
どんなに抵抗されようが、一切かまわず、文句を言わせず、淡々と静かにやれなければ、言えることではない。

「粛」を使った言葉では、「ご静粛に」が、最もよく使われるだろうが、これはお願いの形を取りながらの命令だ。また、独裁者が気に入らない人物を抹殺する場合には「粛清」する。
相手に粛清される前に、自ら大人しくするのが「自粛」だ。

単に「静かな状態」を表す言葉だが、実際の使われ方は、そう「させる」意志を含んでいる。
つまり、これが「上から目線」なのだが、自民党が好んで使う。
しかも、野党時代には、使おうにも使えなかった。

立場が優位な時に、使う言葉として使いやすく、何となく聴き慣れない響きが、カッコイイから使う。自民党の言葉遣いは、野党と比べて、基本的にカッコイイ。そういう姿に国民も安心と信頼を寄せるのだろう。与党は言葉命だ。
だから、与党の首相でありながら、森や麻生の雑な言葉遣いは政権引き下ろしの格好の材料になったし、民主党政権は軽々しい言葉遣いで政権を失った、と言っても過言ではないぐらいだ。

だがしかし、今回図らずも、美しく格好の良い言葉遣いの実態とは、どういうものかを垣間見せてくれた。安倍総理は「赤ちゃんポスト」を激しく非難したし、夫婦別姓や同性婚と言った旧モラルからすれば響きの悪い言葉に、アレルギー的に反応する。そして「美しい日本」に酔っている。
一方で、何も考えずに「粛々と」と、慣用句的に使い、反発されると、なぜ反発されるのかがよく解っていない。とりあえず、まずいから「自粛」して見せただけだ。

これに比べ、森も、麻生も、読み方を間違えたり、雑な話し方をするが、自分の使う言葉の「意味」はよく解っている。しかも、話しぶりも、わざと口ごもったりして、格好の良い言葉を使うことで、意図が流されることを嫌う。
意味も解らず、流暢に格好の良い言葉を用いる政治家の方が人気は出るが、そうして流れていく政治状況とは、果たしてどういうものなのだろうか。