魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

海も山も

2015年06月30日 | 星の流れに

6月30日。朝から箱根周辺で地震が続き、ついには小噴火が起こった。一方、小田原周辺では新幹線で焼身自殺。新幹線は全面停止。
二つともほぼ同じ地点で起こっている。ここの星座は何だろう。
小田原、箱根は神奈川、静岡の境界だが、相模湾に面する湘南地域だから、「海辺」のカニ座だろう。隣の横浜が、双子座か射手座と考えられるから、連続性もある。

伊豆から富士の辺りは山羊座と考えるとこれも合理的だ。隣り合う地域が真反対の星座はよくある。
アメリカが双子座で、カナダが射手座。中国がカニ座で、インドが山羊座のように、対立構造が生まれやすいが、実は似たもの同士。

インドと伊豆が山羊座だとすると、これは、姿も一致する。インドはインド大陸がアジア大陸に流れてきてぶち当たり、皺のヒマラヤが生まれたもので、伊豆も日本列島にぶち当たって、箱根や富士の火山が生まれたと言われている。
山羊座は、最後の陸地、島や岬を意味する。カニ座は平らなビーチ。

星座の180゜の関係は、互いに目標とする星座であり、カニ座の中国が南シナ海に島を造成するのは、山羊座の島に、中国が海洋覇権の夢を見るからでもある。

湘南がカニ座だとすれば、今回の出来事はつじつまが合う。太陽も火星もカニ座だ。
火星が来た人も事柄も、火星現象が起こる。火星が来れば、熱が出たり、怪我トラブルが起こったり火が出たり、おだやかには収まらない。
さらに、あえて因縁めいたことを言えば、新幹線は225号で、数字の9だから、冥王星と火星を表す。現在、カニ座の太陽と火星は、山羊座の冥王星と180゜になっている。

また、同時に、この日の月は射手座で、交通機関の問題が起こる日であり、日本中が巻き込まれた。


雀荘対決

2015年06月29日 | 日記・エッセイ・コラム

近年、アメリカのB級映画で、宇宙人の攻撃に市民が「ロシアの攻撃か!」と言う台詞があって、驚いたことがある。
ソ連崩壊から20年以上も経つのに、アメリカ人の「敵」は未だに、ロシアのままだ。第二次大戦後、20年以上経った時も、アメリカ映画の中の敵はドイツ人だった。

「敵」とは、実際に戦っていない時は、過去の敵しか浮かばないものらしい。中韓にいたっては、70年経っても、未だに日本を敵視している。
本当に怖い「敵」は、これから現れる可能性がある敵であって、過去の記憶ではない。
これから現れる「敵」とは、目の前にある状況から推測するものだ。もしかしたら、襲ってくるかもしれない状況を見極めることこそが、現実対応だ。

どうも、冷戦に、勝って兜の緒を緩めた、アメリカ人の頭の中は、「敵」に対する現実感が麻痺してしまったようだ。だから、911の衝撃にはパニックになり、闇雲に中東に攻め込んだ。その結果、経済が衰退し、気がついた時には、本当の敵が巨大化していた。

それでも、まだ気づかず、旧敵ばかりに目が行き、わざわざ、ウクライナで旧敵ロシアを刺激し、たまりかねたロシアが動いたら、「ほら出た」とばかりに、経済封鎖を仕掛ける。
そうして、ロシアを追い詰め、ついには、バリバリと皮を破り、正体を現し始めたエイリアン、中共にロシアを追い込んだ。

ハタと気がつけば、中共は完全に、アメリカ潰しに取りかかっている。しかも、旧友達も皆、中共の勢いになびき始めている。将来、世界を仕切る国は?のアンケートに、世界中の過半数が中国だと答えるまでに至っている。

さすがの、オバカ大統領にも事態が見えてきたらしい。ロシアのプーチンに電話をし、南シナ海を問題にし、TPPにも目鼻を付けた。
「旧敵」ロシアを追い込んだのは、オバカ自身だが、一方で、「旧敵」日本を追い込んだのも習近視だ。両者とも、今になって、戦術転換を始めたが、果たしてどう転ぶのか。

今は東西冷戦でも三国時代でもない。東西南北対決の雀荘だ。
昨日の敵は今日の友、人を見れば泥棒と思え、渡る世間に鬼はない、外交に永遠の友も永遠の敵もない、外交は情ではない、理と利だけがシンプルなルールだ。

踊る会議」、「愚老張る


中華文明

2015年06月27日 | 星の流れに

24日に、火星がカニ座に入った。アメリカに替わって中国がイラつく。
中国株が乱高下している。利下げを続けるが、なかなか効果が出ない。南シナ海問題に反発し、日本にも歴史問題を改めて牽制している。高速鉄道売り込みも、やたら日本の新幹線をこき下ろしている。
TPPが進展しそうで焦りが増す中、AIIB57の署名式を行うが、互いが互いを当てにするAKB48のようなもので、ただの空騒ぎになりそうだ。

中国が、アジアの逆襲の主役になれないのは、頭の中が、三国志のままで、グローバル時代の「類的発展」が全く理解できていないからだ。
もはや、国家や民族の時代ではない。政治も経済も、硬直的なトップダウンでは続かない。

確かに、大転換期の混乱社会では、一時的には、塊であることが強力に見える。それは、先進国のシステムが弱体化して、未だ次の形が定まらない中では、対抗軸(敵)が無いからだ。
中韓のような古代的トップダウンは、上手くいけば行くほど、崩壊に向かうしかない。

資本主義は、タコが自分の足を食っているようなもので、一見ごちそうにありついたように見えるが、次には食べる主体も、食べられる客体(足)も無い。
大量生産、大量消費に頼る、経済発展という幻想は、ある日突然、悲惨な現実に目覚めることになる。
自然破壊、気候変動、食糧難、飢餓、戦争、滅亡・・・逃れられるのは、ノアの家族だけだ。

「損して得取れ」という。みんなが競争をしている時。勝ち負けに加わらないものが生き残る。株高の時は、「まだまだ上がる」と言われている時に退散する人が、生き残る。
国家競争の概念で戦えば共倒れになる。一人、全く違う道を歩み出すものだけが生き残る。

近代欧米からの「アジアの逆襲」とは、覇権のことではない。経済文化の逆転だ。
経済文化のエネルギーがアジアから発せられるのは、権力がコントロールするからではない。むしろそれは邪魔になる。地域全体の生命力が可能にするのだ。
抽象的に聞こえるかもしれないが、元来、経済や文化は抽象的であり、景気や文化と言われるように、「気」や「化」なのだ。法律や協定のような形に縛られるものではない。

国家が経済をコントロールできる時代は終わった。文化は言うに及ばない。
軍隊でさえ、トップダウンから、連携システムが重視されるようになった。
グローバルマネーが経済を動かし、ネットが文化や意志を形成していく。コンピュータを動かすのも、プログラムから、有機思考に向かっている。

アメリカという、人種や政治における、近代の実験システムを通して、21世紀は、アナーキーやユートピアと言われたような世界に向かっていく。もはや、単純な国家統治や覇権を前提とした方式は、無用の長物であり、中華人民共和国のような覇権ゾンビは自滅しかない。
中国人が、もし、自由な情報の中で暮らせば、現在のような馬鹿げた言動はあり得ないだろう。一度、麻原彰晃に引っかかったら、なかなか「サティアン」からは抜け出せない。

政治家が、議員定数や議員報酬を減らせないように、国家は国家を否定するようなシステムを受け入れることは出来ない。しかし、時代は確実に、国家を必要としない世界に向かっている。
どういう国家であれ、国家を構成する「人」が、そこから抜けていけば、やがて消滅する。
現代は、国家を超越する人の連携が、明らかに広がりつつある。
そうなった時、本当の意味で、偉大なる中華文明が復活するのかもしれない。


雑木屋敷

2015年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

実家の庭に勝手に生えた桐が大きくなって、隣家から苦情が出たので、切りに帰った。
なるほど、冬、見た時には想像できないほど生い茂って、8mぐらいになっている。
「これは、まずい」

ホームセンターに、格安の電動チェーンソーを買いに行った。前に見た時には二千円代であったのに、さすがに円安のせいか、倍の六千円になっている。
他に無いから買ったが、翌日、同じ店で別の四千円の「目玉商品」の広告が出て、頭に来たが、後の祭り。

とにかく、そのチェーンソーで、小分けしながら、8mをやっつけ、他にも塀からはみ出している菩提樹の枝を幹ごと切り、例年になく大きく茂って満開になったザクロを切った。
ザクロは、このジジイが生まれた時に植えたと聞いていたので、バッサリやるのも忍びなく、内向きの枝は残しておいた。

無事切り終えたものの、大変な量だ。
ガソリンスタンドの、格安レンタカーで、軽トラを予約し、翌日、借りに行くと、
何と、マニュアル車だった。

マニュアル車など、もう、30年以上は運転していないと思うが、それしか無いから借りることにした。
手続きをしながら、
『えーっと、確か、左がクラッチで、ブレーキが真ん中で、アクセルが右・・???』
と、思い出すのがやっとだ。

結構新しい軽トラに乗り込み、セルを回すが掛からない。
スタンドの人に、聞くと、
「ああ、クラッチを踏まなければ掛かりません」
「何十年ぶりなので、何か、気をつけた方が良いことありますか?」
顔をしげしげ見ながら、
「うちの親父もそうですが、昔の車に慣れている人は、シフトをローに入れて駐める人がいますが、あれはしない方が良いと思います」
「ありがとうございます」
とは言ったものの、『それは入れた方が良いんじゃないの』と、思った。サイドが甘くなった時の予備ブレーキになるのに、近頃は、もっと良い仕組みが付いているのだろうか。

取りあえず、恐る恐る、クラッチを緩めると、動き出し、ホットする。
道に出て、トップまで入れ、シフトダウンして止まるまで、一通りの手順を試したら、完全に思い出した。
シフトをコネコネ切り替える、若い頃の感覚が甦って、妙に楽しい。

伐採した木を乗せようとしたら、菩提樹の木に巣を作っていたらしく、小型のスズメバチが10匹以上飛び回っている。
こいつは、又の機会にして、他のやつを運んだ、焼却センターまで二往復。運転が楽しくて、もっと走りたくなったが、他にもすることがあったので、早々に返しに行った。


マメの助

2015年06月25日 | 自動車人間学

自動車人間の、「エンジン」の人は、「おマメさん」と呼んでも良いぐらいマメだ。
ただ、どのタイプも全く逆じゃないかと、思えるような人が必ずいる。
しかし、逆に思える人も、よくよく観察すると、本来の性質の変形として表れていることが解る。

例えば、マメのエンジンが、だらしなく何もしないとすれば、それは、やる気が過ぎて、何もしない前から、「もうだめだ、とてもできない」と、一人相撲で気疲れしていたり、やらなくても良いようなことばかり片っ端から手を出して、全部、中途半端でダウンしてしまっている場合もある。
いずれも、「とにかくやらなくては」が、動機になっている。

また中には、とんでもない馬力の持ち主がいて、良くしゃべり、良く動き、寝る時以外は、片時も止まることがない。まさに元気いっぱいのコマネズミで、周囲からは「うるさい!」「落ち着かない!」とひんしゅくを買うが、一向に気にしない。

テンポが合うのか、しょっちゅう連絡を取ったり会ったりしている「マメ主婦」同士の会話に参加した。この二人は、ともに強烈なエンジンだ。

最近太った、太ったと、自分がいかに太ったか、互いに競争していた。どう見ても二人とも、マッチ棒みたいで、60代の主婦の体型には見えないが、自分では、相当焦っているらしい。
話すうちに、内臓脂肪の話になり、
「わたし、内臓脂肪 6だけど、○○さんは?」
「えっ、うちの体重計には、そんなのないけど・・・」
あれこれ話しているうちに、家族で使う自分のナンバーだと思っていた「2」が、内臓脂肪だったと判明して大笑い、
それを聞いて、驚きあきれて笑うしかなかった。

「6」でもアスリート並みなのに、「2」は無いだろう!!!
普通なら信じられないが、エンジンの主婦なら、あり得る。
痩せるためには、スポーツやサウナより、「ちょこまか動き」が最も効果があると、聞いたことがある。
何があっても、すぐ動き始めるエンジンは、まさに「ちょこまか」だ。その上、この二人とも、普通乗用車に2000馬力のエンジンを積んだようなタイプなので、二人が話しているのに、他の人はついていけないぐらい早口だ。もちろん、動きも速く、そばにいるだけでもせわしない。もう少し若ければ、二人で「マメの助マメ太郎」の芸名でデビューできたかもしれない。

高尚な体重計には、アスリートモードというのがあるそうだが、この人達には、このモードが必要だ。

 


バチバチ

2015年06月23日 | 日記・エッセイ・コラム

先週末、月が獅子座の宵。良く晴れた西の空に、月が金星と木星と並び、見事な三角形を描き、何か、ただ事ではない神々しさがあった。
星占い的には、語るところもあるのだが、素朴に美しいと眺める方が気持ちいい。

今朝は、起きるのが辛く、午後2時過ぎに、たまらず昼寝した。
夜になって、小笠原近海でm6.9の地震があった。体調不良や頭痛の時に、地震のことは考えないが、こう、律儀に起きると、「やっぱり関係あるのだろうか」と思ってしまう。

先日、銀行のATMに入金しようとすると、どうしても一枚読み込まない。インターホンで行員に来てもらい、「今、他行のATMから出してきたばかりなので、怪しくないです」と言い訳しながら、やってもらうが、何度やっても、やっぱり読み込まない。
行員が奥に入って別の紙幣を持ってきて試すと、すんなり入った。
原因は分からないと言われたが、紙幣判読の磁気が関係しているのかもしれない。

こんな不便なことに、しょっちゅう遭遇する。ICカードを、再記入して貰うのも慣れてしまった。電子機器を買うと、必ず不具合が起こり、買いたての携帯を新品に交換して貰ったのも2度や3度ではない。車でも不可解な故障が起こった。

携帯の交換やICカードの書き換えを簡単にやって貰えるのは、他にもそういう人が少なくないと言うことだろう。
おそらく、静電気だと思うのだが、静電気が溜まったり、磁気に反応する人は相当いるはずだが、バチバチ以外は、症状に気づいていないのだろう。


夏至到達

2015年06月22日 | 占いばなし

今日は夏至。今年も、とうとう折り返し地点まで来てしまった。
夏至と冬至が来ると、「とうとう」とか、「もう」とか、時の早さを思い知らされる。誕生日より重い日だ。

夏至と聞けば、冬を思い、冬至と聞けば夏を思う。今日から日が短くなり、冬へと向かい、遠くに雪の街が見えてくる。
そういう意味では、冬至の方が、明るい気持ちになれる。
人生で言えば、夏至は不惑だろうか。まだまだこれからだが、確実に終末に向かう。
すると冬至は、老いの人生を終えて、早く次の人生を始めたいと、あの世を夢見る時だろうか。

ところで、夏至はカニ座の0度でもある。カニ座にはあまり良い時ではないが、魚座やサソリ座には良い季節となる。
今日は、日韓国交正常化50年の記念式典に日韓両首脳が相互出席して、苦し紛れに来日した反日の権化、尹炳世外相も顔が立った。

カニ座の今日、22日が、日韓国交正常化の日だということは、やはり、日韓基本条約は、サソリ座の韓国にとってビッグチャンスであり、天秤座の日本にとって苦しい決断であったことを意味する。

この条約の御陰で、むしろ日本は、後々、苦しむことになったのに対し、韓国は、とことん利用し尽くしている。
やはりどうも、条約も、自分の国に都合の良い時に、最終決定すべきもののようだ。


ちちの日

2015年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、「ちちの日」だそうだ。
学生の頃、サークル合宿で、隣の部屋から「ギャーッ!」と、女子の絶叫が聞こえた。
覗いてみると、大阪出身の男がキョトンと座り、その周りで男女10人ほどが声も出せず、逃げ腰で引いている。

その場では、誰も二の句が継げず、尋ねても答えない。浪花男に直接聞くと、
「男の人は女の人のどこを見るの?言うから、『やっぱり、おちちやね』いうたんや」
それを聞いて、また、女子が悲鳴を上げる。男子は真っ赤になる。

その後の、漫才ブームやバラエティで、関東人もそれほどショックを受けなくなったが、新幹線が走り始めたばかりの半世紀前は、東西文化にはまだ、大きな違いが残っていた。

大阪人にしてみれば、精一杯、礼儀正しい言い方をしたのだろうが、時代の先端を気取る東京の常識は、全ての古い言葉を、「古い」と避けたがり、言葉の持つネガティブ部分だけが印象として取り残された。
こうしたことが、今日の言葉狩りや、女を女性と言い換えるような、「言語差別」の土壌となった。

「乳(ちち)」は、日本語として、少しもイヤらしい言葉ではなく、母性の象徴として、むしろ敬意さえ含まれた言葉だ。
裸をいとわない日本人は、乳房と性を結びつけず、「♪お乳欲しがるこの子が可愛」と、自然に話が出来た。それが、欧米の性嗜好が入ることで、古来の「乳」という言葉を避けるようになり、幼児語の「おっぱい」を使うことで、日本文化をカモフラージュするようになった。

当時は、戦後20年だったが、既に、欧米の価値観で育った若者の間では、乳房も性器に準ずる対象となっていた。しかし、伝統的な日本の意識からすれば、特別なものではなく、話題にすること自体には抵抗がなかったので、簡単に話題にされたが、その時、当たり障りのない言葉として、「おっぱい」に言い換えられたと思われる。
つまり、これによって、「ちち」は卑語に貶められた。いまの「おんな」のように。

この当時でも、関西では、母乳の出を良くするための「ちちもみ」の看板を普通に見かけたが、さすがに、戦後育ちの若者には、驚愕の文字だった。

今や、「乳(ちち)」は、「○○」に近い地位にまで貶められたが、
戦前、もし、「ちちのひ」と聞けば、おそらく誰もが「乳の日」と聞き、母に感謝する日のことだと思っただろう。
言葉や価値観は、ジェスチャーと同じで、時代や場所で変化する。

そういえば、古代の日本語では、沖縄で花のことを「pana」と発音するように、母を「papa」と発音していたそうだから、「父(ちち)」が貶められるのも、時間の問題なのかもしれない???


腕組問題

2015年06月20日 | 京都&ケンミン文化

中国メディアによる、日本人のジェスチャー解説で、
「腕を組む」のは、世界では怒りを表すのに対し、日本人は熟考する時にこうする、と解説していた。

ジェスチャーは地域や時代文化で、全く違う。自分が慣れたジェスチャーが通じると思うのは危険であり、逆に、外国人のジェスチャーや態度で判断するのも、大変に危険だ。
日本人同士でも、世代が違えば通じない。両人差し指を立てて片方を握る「ドロン」は、意味の通じない世代もあるが、様子を見れば、逆にそのジェスチャーの意味が解る。
大切なことは、互いが相手を解ろうとし寛容であることだが、その寛容レベルが解らないから難しい。ジェスチャーより大切なのは、日本人の好きな、「誠意」だろう。

外国人が不思議がるように、日本人の「腕組み」は、怒りを表す意味ではない。
そもそも、日本の風習の中で、相手に「怒り」を表すこと自体が少ない。怒った時には、いきなりの暴言や暴行になる。外国人にはむしろこの、日本人の「堪忍袋の緒が切れる」行動原理を解って貰う必要がある。
限界までがマンしている日本人の心情が解らないから、日本人は突然、戦争を始める、残虐な民族だ。と思われてしまう。

また、日本人も、自分の感情を相手に知って貰わなければならないことを学ぶべきだ。
いきなりの暴言や暴行ではなく、英国紳士のように、ウイットに富んだ皮肉や冗談で、逐一、相手にイエローカードを提示すべきで、それは、相手に考え直すゆとりを与える優しさでもある。

京都人の「底意地の悪さ」と思われがちな皮肉は、英国紳士に通じるところがあり、奥を察知できない知的レベルの低い人には、嫌みや、意地悪に映る。
似たような確執が起こる例では、姑の嫁いびりがあった。年寄りの間接的な言い回しは、若く知恵の浅い嫁には、意地悪としか思えない。

昔、京都の下町のお嫁さんが、お姑さんに「すみません」と、謝ったら、「へえ、毎度のことで」と言われたと泣いていた。これを皮肉と解るのも京都人だが、泣くのはお嫁さんの自覚の無さでもある。口先で謝るより、次から間違いの無いように努力する方が先のはずだ。
嫌みを言われて怒るより、教訓とすべきで、それが解らないと、本当の衝突になる。

皮肉で怒りを表す英国紳士とは違い、世界の標準レベルは、腕を組んで「怒ってるぞ」と、相手に意思表示する。
この「腕組み」は、基本的には防御態勢であり、攻撃を意味しない。
怒っているのに、攻撃ではなく防御態勢を取る・・・とは、何を意味しているのだろう。

いきなり、怒りの行動を起こす日本人とは違い、世界標準は、攻撃の意図を持って、守りを見せる。つまり、「こちらは、もう無防備ではない。必要に応じて何時でも攻撃するぞ」と言っているわけだ。
案外、日本人にとっては不思議に思えることではないかと思うのが、アメリカが、PAC3やTHAADを設置することに中露などが怒ることだ。
「守りの兵器なのに、なぜ怒るのか?」

軍事専門家をのぞく日本人なら、日頃は攻撃する気は無いが、いざとなれば、決死隊の切り込みだけが攻撃だと思うだろう。真珠湾も万歳突撃も、特攻隊も、攻撃のみで、後のことは考えていない。いきなり最終手段しか考えない。
だから、最後の最後まで我慢して、最後にいきなり行動を起こす。キレたら終わりだ。

日本人にとっては、抗議は攻撃と同じで、攻撃前の腕組み「警告」は無い。
世界の人と違い、日本人が、考える時に腕組みをするのは、他人に対して防御や攻撃をするのではなく、自分の思考に対して、構えているということで、それだけ、日本人は観念的であることを表している。

例えば、「ご飯食べませんか」と聞かれた日本人が、「はい」と答えれば、食べないが、外国人が「Yes」と答えれば食べることを意味する。
これは、日本人が、言葉の論理の整合性に答えるのに対し、外国人は、現実に起こることに直接、回答するからだが、それだけ日本人は、論理や思考に、「腕組み」して対峙している。
それはそれで素晴らしいことだが、世界の人がいかに現実思考をしているかは、知っておかなければならないことだろう。


水沢アキ

2015年06月19日 | 占いばなし

水沢アキが、ジャッキ-・チェンとの過去をばらしたことで、中国ネットで非難されているそうだ。かなりどうでも良い話だが、ネットを見ると、元々、「札付き」のバラし屋のようで、それで芸能界を渡り歩いて来たらしい。

アホ臭い話だが、占い的には少し面白いネタかもしれない。
水沢アキは射手座の一白。
件の、ジャッキー・チェンの話は、2013年の暮れのトーク番組で出た話で、この時は、中国まで伝わっていなかったが、今になって話題になっている。
「昔の」男話が、今になって、改めて昔話として復活している。射手座の土星現象だ。

水沢アキという人は「色事バラし」で、食っているようなところがあるから、何はともあれ話題になる今の状態は、むしろ良い状態だろう。とすれば、これは木星の獅子座が効果的に表れていることになる。

ここで、前提条件となる、水沢の占い的資質だが、射手座はセックスをスポーツの一種のように考える。セックスそのものを特別のものと思わないから、それで人生を変えるようなことはない。
一方で、一白の生まれであり、一白は「秘め事」としてのセックスや賄賂に特別、縁がある。一白は、ここに意識過剰だから、ものすごい潔癖症か猛者かの、両極端になりやすい。
セックスをスポーツと考え、特別に関心がある・・・とすれば、セックスの関わりの多さを披露することは、自慢になる。水沢にとってのアイデンティティなのだ。

また、ジャッキー・チェンも同い年の一白で、互いに目の付け所が一致したようだ。彼の火星はほとんど山羊座に近いが、一応、射手座で、「旅先でやる気が出る」タイプ。
水沢も、ジャッキー・チェンも射手座と牡羊座の火の星座。セックス好きではないが、アバンチュール好き。牡羊座は自惚れの見せたがり、水沢が「すごい身体だった」と評したのは、多分に、「見せた」ことがあるのだろう。

ちなみに、ジャッキー・チェン、水沢アキと同い年の一白と言えば、我らがアベちゃん安倍首相も、独メルケル首相、仏オランド大統領も、同い年だ。今年、一白は三碧の位置で暗剣殺に当たる。つまり、本人は話題の人になり、関わった人は「エライ目に遭う」

セックスに縁があるからと言って、「好き者」とは限らない。グルメが、味が分かるとは限らないのは、本当は味が解らないから、データばかりに目が行く場合があるからだ。
何事も、講釈の多い人は本質が解っていないことが多い。日本人の開放的な性は、実は、日本人がかなり淡泊だからだとも言える。
女より男の方が助平に見えるのも、興味において積極的で、感度において淡泊だからだ。男でも、大物主は一穴主義と言われるのは、一つのことを深く掘り下げるからだろう。

エネルギー過剰
水沢が今年、話題になる要因の一つには、生日の日干支が乙未で、今年の干支と同じこともある。やはり乙未の能年玲奈も、このところ事務所問題など、何かと話題になっている。
自分の日干支の年より、陰陽が反対の年の方が悪いことが起こりやすいが、芸能人は悪評が、必ずしもマイナスばかりではないので、去年の勢いの名残が、今のような状態になっている。
(陰陽が反対とは、隣り合った同じ五行で、乙未の場合、前年の甲午となる=納音)

同じ五行は、エネルギーが重なり、過剰になる。だから、多くは、本来の能力を傷つける場合が多いが、中には好結果になる人もいる。
水沢のようなスキャンダル・イーターには願っても無い状態で、中国ネットで出ていた、「60のババアが何を言うか!」も、大喝采の内だろう。


見える化

2015年06月14日 | 日記・エッセイ・コラム

知人が、白内障の手術をして、「驚くほどよく見えるようになった」と喜んでいた。
老眼暮らしだと、よく見えていた昔が懐かしいが、なぜか、これで良いんだとも思う。

身体の機能が衰えると、がんばってしっかり事実を確認しようとする気力も衰える。
耳の遠い人は、聞こえていなくても、適当な返事をする。何度も聞き返しては申し訳ないと気を使い、適当に推察し、相づちを打つ。

これは、本を読む時、知らない漢字が出てきても、いちいち辞書を引かず、前後から適当に解釈するのに似ている。
とんでもない誤解をすることもあるが、読み方によっては、むしろ、行間を読む能力が鍛えられる場合もある。

以前、麻生元総理が未曾有を「みぞうゆう」と読んで、世間から馬鹿にされたが、単語の読みを知らないことと、文章理解とは関係ない。
論語読みの論語知らずの反対で、流し読みや、聞きかじりの方が、「真意」を良く理解することがあるし、場合によっては、その「真偽」を良く見抜くこともある。

読書も人の話を聞くことも、ただ、内容を理解することより、その「話のわけ」を理解することが、もっと重要だ。
人の話を正確に聞き取ろうと集中すれば、詐欺師の餌食になるが、「話」の全体状況を見れば騙されない。

悟るべし
身体機能が衰えると、現場への意欲を失うが、少し引いて物事を見ることで、却って、全体像が見えてくる。これが、老人の知恵だ。
座禅や滝修行も、五感を遠ざけ、現実世界を引いて観ることに有効だが、老化すれば、五感機能が衰え、自然に世界の本質が見えてくる。老化は修行の結果とも言える。

にもかかわらず、老人が詐欺に遭いやすいのはなぜだろう。
それは、能力の衰えを認めないからだ。「自分は、まだ誰の助けも要らない。良く聞こえ、よく見え、良く理解できる」そう、思いたいから、詐欺師に一人で対応しようとしたり、上から目線で、何とかしてやらなければと思ったりする。

出来ないことを出来ると思うのは、老人だけではない。何事であれ、初心者が全て解った気になるように、人生の初心者の若者も無謀になる。
酔っ払いは、「酔ってない」と言う。解っていない者ほど、解っていると思うのが人間だ。
ものの奥義を究めた達人ほど、「まだまだだ」と、奥の深さに引き込まれる。

人は、何も解っていない。「解る」とは、「解らないことを解ること」だ。
老人の知恵とは、「諦め」から始まる視点であり、「まだまだ若いぞ」などと、がんばらないことで得られる境地だ。
ただ、あるがままを受け入れることで見えてくる景色・・・「この世は美しい」


残酷とは

2015年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

今日のクローズアップ現代は、WAZAの技にやられた日本が、イルカショーや動物園維持に困っている話題だった。
世界では、すでに、動物園そのもののあり方が問題になる傾向もある。

動物園そのものが残酷だという考え方は、昔からあるが、いよいよ、そういう時代になってきたようだ。
「猿の惑星」では、人間が観察される対象であり、立場を替えてみることによる、分明文化への皮肉に満ちていた。

動物に対する考え方は、生活文化によっても違うし、時代によって変わってきている。
ほんの短い間でも、ハンティングをスポーツとして見ていた考え方は大きく変わった。
魚釣りも、リリースが文明的なやり方のような思い込みがある。

魚釣でリリースしたり、ゴルフが自然保護だと思うのも、クジラ、イルカの保護精神と全く同じ、偽善だ。
魚釣りもゴルフも楽しいスポーツだが、少なくとも偽善的な免罪符で美化すべきではないだろう。

クジラだろうが、牛だろうが、殺して食べることは同じで、その事実を直視し、感謝して食べるべきなのだ。
釣ってもリリースするから罪がないと言う人は、クジラを殺すなという人と同じぐらい、狂信的で、まともに話すことさえできない人が多い。
その御陰で、琵琶湖の原生種が途絶えることには無頓着だ。

魚釣りは、本来、人間が生きるためにしていたことであり、それを遊びにすることの後ろめたさが、リリースという良いことをしているのだ、に転換される過程で、狂信になる。
クジラ捕りをしていた人々が、その必要がなくなったとたん、過去を打ち消すために、狂信的になる。同じことだ。

人間は元々罪深い生き物なのだから、それを認めさえすれば良いではないか。
殺す時も殺さない時もある。ただそれだけだ。
偽善が、罪を生むことにこそ気づくべきだ。

動物園に動物を閉じ込めて、見学するのは、産業革命で物質的に豊になった人間が、何でもできるような錯覚に陥った、博物学の時代の産物だ。
物と同じように、「生き物」を並べ、それを見て、解ったような気になった。
デパートに並んだ製品を買って、豊になったような気になった。
そういう産業革命パラダイムの現象であり、それがそろそろ、大転換の時代にさしかかっている。

もう動物園など要らない時代になった。バーチャルと、現実の自然を両立させることで、豊かな地球を守らなければならない。
今や、バーチャル動物園や、リアルタイム自然映像館などが可能な時代だ。
一刻も早く動物園を止めて、WAZAに、「残酷な動物園は止めるべきだ」と、逆襲の技を見せてやりたいものだ。

ただ、イルカだけ限定して考えると、東南アジアでは、イルカと漁師が一緒に漁もするぐらい友好的な動物なのだから、回遊しているイルカを馴らして、遊びに来てくれるようにはできないものだろうか。


赤はだか

2015年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

年金個人情報漏洩で、国民が不安になっている。マイナンバーも延期すべきの声が大勢だ。
年金機構の「ズサン」は、今に始まったことではないが、情報は必ず漏れるものであることを、証明して見せてくれたのは、大手柄だ。

個人情報保護法は、できた時から、「言い訳」法であり、何の意味も無い、むしろ、漏洩保護法と言っても過言ではないくらいだ。
「悪いようにはしません」・・・こんな法律に何の意味があるのだろう。

不特定多数の情報を商品にしようとしたJRに、「気分が悪い」と大反対が起こったが、ここで怒った人は、あまりにも現状に無頓着だ。
カードや、製品ユーザー登録など、既に何十年にもわたり、個人情報は蓄積され、名簿など見なくても、日本中の個人情報はプロファイルされて、個人の情報は丸裸になっている。

コンピュータの情報を、縦、横、斜めに重ねれば、個人の住所から、資産、行動様式まで特定できる。もう、とっくにそういう時代が来ているのだ。
JRのICカード情報など、足下にも及ばない。

今回の年金情報の問題は、こうした情報解析をする手間を省ける生情報を、外国からの攻撃に、アッサリ提供してしまったことだ。
マイナンバーに至っては、さらに、個人の生情報にストレートに直結している。
反対しても、必ず、やるだろう。そのために、マイナンバーの「良さそう」なことしか言わない。福祉に役立つとか、診療が便利になるとか、各種届けが簡単になるとか・・・

それは、本当に便利になる。しかし、それこそが危険そのものの裏返しだ。成りすましを始め、極端な話、診療記録を使って殺人までできる。
巷に溢れる雑多な情報から個人をプロファイルするには、それなりの手間がいるが、マイナンバーができれば、芋づる式に情報が上がる。政府は、そんなことの無いような仕組みにしていると言うが、少なくとも、国は、個人の情報を徹底的に把握できる。

しかも、今回の年金のように、「情報は必ず漏れる」。
情報は、金塊のような固形物ではない。金塊を盗めば、無くなるからバレルが、情報は「見る」だけで良いから、盗まれたことさえ気づかない。
情報泥棒は、うなぎ屋の臭いだけで腹一杯食える連中だ。

マイナンバーは、そういう連中に、わざわざ盗み安くするサービスだ。なぜなら、政府役人は国民目線より、徴税や、国民管理の都合しか考えていない。為政者の発想は元来、野武士、野党と同じ、弱者を食い物にする発想だからだ。
古来、権力は、民衆の力を吸い上げるものだ。民主主義は民衆に委託されるものだが、エリート役人を続けていると、古代権力を握ったように錯覚する。
その「便利な」発想が、マイナンバーだ。

「個人情報が知られて、気持ち悪い」程度の嫌悪感でいるのは、
「今日の食事は美味しいね」と、一喜一憂しているブロイラーと同じだ。
「安全安心なお食事を提供していますよ」と、言われて安心して、格子から首を出し、エサをついばみ続け、やがて養鶏場の都合で、首無しで市場に出される。

情報を握られるとは、運命を握られると言うことだ。
そして、今や、誰もそれから逃れることはできない。

「♪か~わをむかれて、赤はだか・・・」


踊る会議

2015年06月08日 | 星の流れに

サミットが終わり、欧州のロシア非難、日本の中国非難、それぞれ、互いにプレゼントし合って、シャンシャンと、めでたしめでたしだが、相変わらず何も解決していない。
アメリカは冷戦のトラウマから、ロシアしか目に入らないために、中国牽制が手遅れになってしまった。今更、カッカしても、どうにもならない。

ヒトラーが地歩を固めている時に、欧米が事なかれを決め込んでいたのと同じ構図だ。
オバマがもう少し、慧眼と度量があれば、中国の動きを注視し、クリミアと引き替えに、ウクライナ問題を決着させ、中国を押さえ込めただろうが、きれい事ばかり言う民主党とは言え、最低の大統領だ。

ロシアにとっての、ウクライナ、クリミアの意味を慮れば、机上論の原則法治より、アメリカ本来の能力である、現実に法をこじつけることはできたはずだ。

歴史は繰り返すとは言え、まだ経済戦争の方がマシだ。
中間児ロシアは、空気を読んで裏切るが、長子中国は、意を決して押し相撲をする。
長子中国を解らせるには、全員がそっぽを向き、別の道を提案するしかない。
尖閣以来、日本が、そっぽを向いたことで、中国は、少なくともマズイことに気づいた。決して頭は下げないが、多少は態度を改めている。

アメリカが、中国への幻想に気づき、ロシアを抱き込む必要に目覚めれば、世界のバランスがとれるだろうが、少なくともオバマでは無理だ。
やはり、来年、木星の天秤座まで、事態は好転しそうもない。
問題は、歴史が、そこまで待ってくれるかだ。表面上は何事も起こらなかったとしても、体制が決まってしまえば、お終いだ。


短期だが

2015年06月07日 | 星の流れに

火星が双子座に来たら、アメリカが憤慨して、攻撃的になっている。
この後、今月24日には、火星はカニ座に移り、今度はカニ座の中国が攻撃的になる。
カニ座の火星は、山羊座の冥王星と180゜になるから、当然、日本にもストレスがかかる。

山羊座:冥王星-牡羊座:天王星、そこに、火星と太陽がカニ座に来れば、活動宮は葛藤に追い込まれる。
中でも、そのまっただ中に位置する天秤座は、羽交い締め状態になる。
ごく短期ながら、危険な時を迎える。

中国は、既にトラブルの畑に種をまいている。尖閣で調査活動をしたり、南シナ海で発砲をしたり、日米をあざ笑うように挑発を繰り返している。
まさか、日本は挑発には乗らないだろうが、ベトナムやフィリピン等はわからない。

先日、日本の玩具売り場のレジで、不機嫌な態度の中国人店員に文句を言った日本人が、ボコボコにやられた。日本人の方は無抵抗だったと言っていたが、先に胸ぐらをつかんだのは日本人だった。
胸ぐらを捕まれた瞬間、中国人店員はカウンターを飛び越え、馬乗りになって乱打した。
これこそ、中国人のメンタリティーだ。 「先に手を出されたら、何をしても良い」

戦争というものは、やられたからやり返した、大義は我にありで始まる。
どんな経緯であろうと、先に手を出した方が大義を失うが、どちらが先に手を出したか、正しくわかっている戦争など無い。
近くによって、目を合わせたら、始まる。