魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日本埋没 3

2008年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

昭和30年代。日本がアメリカナイズに向かっていた頃
日本の風俗が拒否され、全て恥ずかしいこととして取り上げられた。
映画、社長シリーズや駅前シリーズでも、日本風俗を笑いのネタとし、登場人物の「恥ずかしい」振る舞いを笑いものにした。飛行機の中でタクアンを食べたり、ホテルで越中褌を干したりする古い日本人を、観る人達は実際に想像できるから笑った。

しかし、今観ると、実はストーリーの骨格をなす背景自体が古い日本であり、異様で恥ずかしい。
セクハラ、パワハラ、賄賂、軍隊魂・・・実におおらかなものだが、今では通用しない。

当時、新聞などで槍玉に挙がったのが、長距離列車でステテコ姿になって酒盛りを始める旅行客だ。
これが大合唱になるほど、実際、全国的に見られた光景だった。
「旅の恥はかき捨て」は日本だけではない。しかし、定着型の村社会で暮らしてきた日本人と、遊牧型の移動文化で暮らしてきた西欧とは異郷に対する心がけが始めから違う。

東京の人間はちょっとした買い物に行くのにも外出姿になる。これは西欧化の街だからだ。今では全国的にこの傾向があるだろう。つまり、家の内と外をはっきり分ける。
欧米の場合、靴を脱ぐまでは外であり、ベッドまで脱がない。

幕末に来日した外国人は、日本の整備された旅行環境に驚いた。江戸時代に当たるヨーロッパでは、旅行は文字通り草枕であり、諸国行脚のマイスター修行なども基本は野宿だったからだ。
20世紀になって、野宿のできない子供達の宿泊施設としてわざわざユースホステルが考案されたほどである。

整った環境で旅行する江戸人にとって、すでに、旅は旅行になっていた。病気や泥棒の心配以外、それほどの覚悟はいらない。
「♪旅~行けばあ~」と気楽なものであったから、芭蕉のたいそうな覚悟は、欧米人が現実を見れば笑ってしまうだろう。
この頃から、今日のパックツアーにいたるまで、日本人の旅行は、村生活と何ら変わりない空間移動だったから、団体で列車に乗れば、直ちに村の宴会が始まった。今日、沖縄などで見られる食事の団欒は全国の標準だったが、国際知識人たる人たちは、日本の恥として毛嫌いした。

そして今日では、各地の村でも少なくなった、伝統的日本の暮らしをほとんど全く知らない若者が、似たような外国の風習を奇異に感じて毛嫌いしたり、逆に、非常に新鮮に感じてのめり込んだりしている。

ほんの半世紀ほど前に、礼儀やしきたり伝統行事とともに、それは日本に確かにあった風俗と生活であり、美しい伝統だけが存在したわけではない。宝石は原石から生まれる。

是非知って貰いたいのは、半世紀前の様々なトイレや冷暖房、お風呂など、日常に欠かせない設備や、その使い方だ。

戦前の貧しい農家にはこんなトイレがあった。
一坪ほどの小屋に、板が渡してあり、その上から太い荒縄が下がっている。真ん中まで行って、縄につかまってウンチをして、終わったらその荒縄で始末をする。・・・想像してみてください。一坪ウンコ。
少しゆとりのある家は板二枚。無い家は一本橋。灯りなど無い。

キーワード
野ツボ、ウジ虫、もらい水、ハエ、カヤ、寄生虫