急に寒くなって、冬が来たらしい。
温暖化が進むと、日本には四季が無くなり、夏と冬だけになるそうだが、どうも、すでに始まっているようだ。
今年は春もすぐ終わり、秋も、もの思う間もなく、いつの間にか行ってしまった。
近頃の日本の気候は、明らかにおかしい。
何時までも紅葉しないかと思えば、突然、紅葉して、あっという間に散ってしまう。紅葉する年はまだいい。紅葉しないまま雪が降って、うす汚い落ち葉で一杯になる年さえある。松茸も採れなくなって久しい。
季候だけが悪いわけでもない。松茸は採れなくなっているのに、店頭には松茸が並び、あらゆる四季の果物が並んでいる。
自然がどうなろうと、たいした関心を持てなくなっている。
寒ければ暖房、暑ければ冷房と、何から何まで季節を拒否する暮らしをしながら、言葉だけは、「四季折々」とか、「美しい日本の四季」などと、ようやく探した季節の風景を、テレビは「家の窓」に映して安心させる。
ニューマスク
そのテレビが映す四季の風景では、今や、街に溢れるマスクが季節の風物詩になった。
こんなにもマスクが世に溢れ、製造会社が増えたのは、やはり、鳥インフルエンザ以来だが、街が皆マスクの中では、マスクをしないでいると、何か、恥ずかしいような気までしてくる。
髷が当然の時代には、髷を切るだけで罪が許され、帽子が流行れば、帽子を被らず街を歩けない。ミニスカート全盛の1960年代はロングスカートが異様に思えた。時代の常識感覚とはそういうものだ。
昭和初期の大阪の街の写真を見ると、カンカン帽のバガボン・パパが街を埋め尽くしている。
マスクも、これだけ普及すると、正装になり、ファッションから機能まで、そのバリエーションも多様化するかもしれない。
ファッション面では、柄物が現れ、花柄やお星様に始まり、個性派は口のデザインで「キスして」を強調したり、口割け女で威嚇する。ヒゲ柄やスマイルもあるだろう。
スピーカーや、空に浮かんだ「どこでもドア」もいい。
当然、美男・美女マスクは外せないし、自信のある人用には元の顔写真や、3Dデザインでそのままの顔をマスクにすることも可能だ。
機能面では、近頃、香り入りも現れたようだが、これは邪道だ。臭いの中で過ごすのは苦痛になる。むしろ、消臭機能、あるいは、吐息用の香料なら望ましい。
花粉や菌に神経質になると、どんどんエスカレートする。
初めはマスクに防塵滅菌機能が付くだろうが、最終的にはガスマスクまで行くしかない。
と言っても、従来のガスマスクはダースベーダー的不気味さがあるので、パーティ・グッズの鼻眼鏡のようなものから、結局は「美人マスク」に落ち着く。
・・・かな?