名古屋のJTB社員が遠足バスの手配を忘れ、生徒になりすました手紙で遠足を中止させようとした事件。
かなり、笑ってしまった。
よく、世間では、ゆとり世代を馬鹿にしているが、これは、むしろその上の、ゆとり世代を馬鹿にしている世代だろうと思った。
いわゆる、ゆとり世代について、個人的には、そんな変な世代だとは思わない。
意外と、俯瞰的な目を持ち、目的意識が高く、日本を救える世代ではないかという印象さえある。
能力が早く開花するスポーツ界などの人物を見ていてもそう思うし、成人式の言葉を聞いても、そう思った。一言で言えば、自分がある。
むしろ、「ゆとり世代は・・・」と馬鹿にする人々こそは、社会の価値観を信じ、社会の波に乗ることが大人としての正しい生き方だと思い込み、そして、社会に翻弄されているのではないか。
その人達から見れば、若者なら誰でもあるような、世間知らずの言動を、「ゆとり」だからと思い、世間に歩調を合わせる気のない態度を「ゆとり」だからと言う。
自分たち就職氷河期世代が、苦労して順応している社会を、愚弄している・・・ように見える。
「お、お前・・・ぶ、部長になんていう態度だ!」
年寄りから見れば、ロスジェネと言われる氷河期世代も、ゆとり世代も、似たようなもので、伝統的な日本とは、相当、かけ離れているが、この世代間に限定してみれば、確かに、互いは相当違うのだろう。
自意識の強さは同じだが、両者の出方は逆のようだ。
世間の中で自分の立場、プライドを守りたい人と、世間を無視してプライドに賭けて自分を打ち出したい人では、真逆になる。
若い店長
いろいろ聞いているこの世代の話だが、似たような体験がある。
あるチェーン店の価格設定に矛盾があり、店側のマニュアルに無い買い方をしたため、思いがけない値段になり、疑義を唱えたら、30歳ぐらいの店長が答えられなくなってしまった。
(この内容は非常に複雑なので、ここでは省略する)
矛盾を説明できないなら、急がないから本部に問い合わせてくれと言うことで帰ったが、1週間後くらいに店長から電話があって、
あの価格はどうにもならないから、別の割引キャンペーンで値段調整するのでどうでしょう?と言ってきた。
こちらとすれば、お金の問題ではなく、矛盾した売り方が疑問なのだが、これ以上追求するのはかわいそうな気がして、割損だが了解した。
電話をして品物を取りに行くと、店長は「急用」で席を外していた。
電話を貰った段階で、『本部に問い合わすことができなかったな』と、思ったが、そのことはもう追求する気になれなかった。
彼なりにプライドを賭けて、自分の持ち場を守ろうとしているのだろう。それが、かわいそうに思えた。
会社の方針に従おうとし、かつ、自分の能力で解決しようとする。
本部に矛盾を問い合わせれば、店長なのにそんなことも処理できないのかと思われる。そう思ったのだろう。
しかし、それは自分のプライドを守ることであって、会社の欠陥をそのまま放置することになるとは、思いが及ばないらしい。
その会社がどうなろうと、こちらの知ったことではないから、目の前の店長が、彼なりに、苦労をしていることが、かわいそうに思えた。
買い手市場で、彼を良しとして選択したのは、会社なのだから。
考えようによれば、彼は飲み込みが良く、職責に忠実であり、様々な方策を考えつく優秀な人材であり、自分もそう思っているだろう。
そのように一生懸命に生きている人から見れば、自分の目的のために生きている「ゆとり」世代は、ダメな連中になる。
救世主は落ちこぼれ
しかし、どうだろう、日本の企業体質が硬直化し、復元力を失っているのは、受験教育という従順教育を受け、企業で再教育された企業戦士が、また、その目で新兵を採用する悪循環ではないだろうか。
為替や貿易協定で売り上げが一時回復しても、最後の輝きに過ぎず、日本企業の命が尽きかけていることに変わりはない。
今、マスコミやCM、ネットなど、日本の日常にあふれる風景は、こうした硬直化した価値観で成り立っているし、多くの日本人は、それをまともな価値観、常識だと信じている。
件の店長の会社は、新しい会社だが、そんな若い企業でも、中身が硬直教育を受けた人材だとしたら、日本社会が生まれ変わることは不可能と言っても良いだろう。
だからこそ、この流れから外れた、ゆとり世代に光明を感じる。
硬直化し消滅していく古い企業と入れ替わり、起業や、組織内での独自展開で、新しい60年企業として成長していく中核となるのではなかろうか。
偽手紙で自分の失敗を取り繕おうとしたJTB社員が30歳と聞いて、本部に問い合わせられなかった店長を思い出した。また、上司を信じて動いた小保方氏が浮かんだ。