夫婦別姓の権利は憲法で保障されていないという判決が出た。
日本はまだ、この程度のことでもめている。
時代の変化で近代法がうまく機能しなくなり、各国は、現代へ適合させるため、様々な試みをしている。
婚姻は、国家の構成と財源の根幹だが、国の成り立ちの違いが、対応の違いとなって現れる。
国民の意思によって生まれた国は、時代が変われば国民の法を変えていく。国民の意識が変われば、当然、それに合わせて法を変える。
一方、権力者が国の枠を定め、そこに国民を入れたと考える日本のような国は、国民の側を国のルールに従わせるのが当然と考える。
明治憲法は政権交代した武士階級が庶民に与えたものであり、新憲法はやはり戦勝国が与えたものだ。
自主憲法が叫ばれているが、国民を法に「従わせる」のが大前提の国だから、国民も天から賜ったありがたい憲法を変えたがらないし、国もすすんで時代に適合させる意思が無い。
今回の、夫婦別姓を拒否する判決なども、まさにその例だ。
時代が変わっても、形骸化した法に国民を従わせようとする国。
そんな国に、果たして本当に、「国民の総意」による自主憲法が生まれるのだろうか。
本当は母権の国
自主憲法をというなら、何条がどうのどころか、根本的に「日本人とは何か」を問い直さなければならないだろう。いかにして日本人が生まれ、どこに向かうのかを。
日本は父系の男尊女卑の国と自他共にそう思われているが、それは中国から伝わった価値観だ。
日本人の本当の体質は、海洋アジアの母系文化であり、渡来人が持ち込んだ父系の底には、今も、女頼りの社会がある。
男がエラそうにしていられるのは、根底が母性に依存しているからできることであり、実は、中国の父権も母性への甘えがある。
未来は、父系も母系も関係なくなるだろうが、個人財産を国家の礎にする間は、日本憲法のベースを母系の財産で考えてはどうだろう。これは、欧米にも中国にも無かった考え方だ。
古代日本のように、男は母親に奉仕し財産を預け、相続は娘がする。子供は女のものとし、男は基本的に母の子のまま、風来坊として暮らす。そんなバカなと思われるかも知れないが、妻が稼ぎを管理する日本特有の常識も、この意識から来ている。
もちろん、これに社会福祉が加わるから、古代と同じではないが、父系を基本とする社会や法律より、よほど単純で解りやすい。
この方式なら、当然、夫婦別姓であり、父系社会的な、貞操観念や離再婚の煩雑な手続きも要らない。当然、少子化どころか、増えて困るかもしれない。
男が財産権を持つ社会は、「種」と財産を一致させるため、貞操や結婚指輪が必要になる。
親子関係が不確かな父系社会では、女確保、財産確保のための争いが起こるが、母系なら大幅に低減し、戦争の種も減るだろう。
未来を先取りした平和憲法だが、母系主義の憲法は、温故知新で世界を導く、未来憲法になるかもしれない。