魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

未来憲法

2013年05月31日 | 結婚コン

夫婦別姓の権利は憲法で保障されていないという判決が出た。
日本はまだ、この程度のことでもめている。

時代の変化で近代法がうまく機能しなくなり、各国は、現代へ適合させるため、様々な試みをしている。
婚姻は、国家の構成と財源の根幹だが、国の成り立ちの違いが、対応の違いとなって現れる。

国民の意思によって生まれた国は、時代が変われば国民の法を変えていく。国民の意識が変われば、当然、それに合わせて法を変える。

一方、権力者が国の枠を定め、そこに国民を入れたと考える日本のような国は、国民の側を国のルールに従わせるのが当然と考える。
明治憲法は政権交代した武士階級が庶民に与えたものであり、新憲法はやはり戦勝国が与えたものだ。

自主憲法が叫ばれているが、国民を法に「従わせる」のが大前提の国だから、国民も天から賜ったありがたい憲法を変えたがらないし、国もすすんで時代に適合させる意思が無い。
今回の、夫婦別姓を拒否する判決なども、まさにその例だ。

時代が変わっても、形骸化した法に国民を従わせようとする国。
そんな国に、果たして本当に、「国民の総意」による自主憲法が生まれるのだろうか。

本当は母権の国
自主憲法をというなら、何条がどうのどころか、根本的に「日本人とは何か」を問い直さなければならないだろう。いかにして日本人が生まれ、どこに向かうのかを。

日本は父系の男尊女卑の国と自他共にそう思われているが、それは中国から伝わった価値観だ。

日本人の本当の体質は、海洋アジアの母系文化であり、渡来人が持ち込んだ父系の底には、今も、女頼りの社会がある。
男がエラそうにしていられるのは、根底が母性に依存しているからできることであり、実は、中国の父権も母性への甘えがある。

未来は、父系も母系も関係なくなるだろうが、個人財産を国家の礎にする間は、日本憲法のベースを母系の財産で考えてはどうだろう。これは、欧米にも中国にも無かった考え方だ。

古代日本のように、男は母親に奉仕し財産を預け、相続は娘がする。子供は女のものとし、男は基本的に母の子のまま、風来坊として暮らす。そんなバカなと思われるかも知れないが、妻が稼ぎを管理する日本特有の常識も、この意識から来ている。
もちろん、これに社会福祉が加わるから、古代と同じではないが、父系を基本とする社会や法律より、よほど単純で解りやすい。

この方式なら、当然、夫婦別姓であり、父系社会的な、貞操観念や離再婚の煩雑な手続きも要らない。当然、少子化どころか、増えて困るかもしれない。
男が財産権を持つ社会は、「種」と財産を一致させるため、貞操や結婚指輪が必要になる。

親子関係が不確かな父系社会では、女確保、財産確保のための争いが起こるが、母系なら大幅に低減し、戦争の種も減るだろう。
未来を先取りした平和憲法だが、母系主義の憲法は、温故知新で世界を導く、未来憲法になるかもしれない。


嬉しい?

2013年05月30日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック競技種目の復活候補に、レスリングが残ったと皆喜んでいる。これは喜ぶことだろうか。

野球が除外されるのは解らないでもない。しかし、レスリングはオリンピック精神の象徴のようなものだ。面白いかどうかは関係ない。

レスリングの苦境を、高みの見物をしている確定種目には、オリンピック精神から考えて、はなはだ疑わしいものがある。
取って付けたような、場違いな競技が残っているのに、なぜ、レスリングが苦しまなければならないのか。
オリンピックの夢を信じる人は喜んでいる場合ではない。怒るべし

今日のような、金まみれに堕落した近代オリンピックに、夢を持ち続けることがいかに虚しいか。冷静に考えれば解ることなのに、いまだにオリンピックを信仰する人は少なくないし、実態を知りながら、利用しようとする人もますます増えている。

本当にピュアーなスポーツ精神を愛する人は、世界中から集まって、もう一度、純粋な「オリンピア大祭」を、創設してはどうだろう。
それは、世界巡回興行ではなく、例えばギリシャ固定開催で、オリーブの冠しかもらえないが、ここで勝利しなければ最強とは認められないとする名誉の場だ。

そのためには、先ずは現役の最強選手の協賛が必要だろうが、一度、その前提が生まれると、アスリートの魂に火が付くだろう。
日本の企業も、オリンピックに協賛出資するより、これをバックアップする方が、長い目で見ればよほど効率的だ。経済に苦しむギリシャ政府も喜んで協力するだろう。

サーカス


山の迷子

2013年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

滋賀県の山で、行方不明になった遠足の小学生。無事発見されてほんとに良かった。
自分も子供の頃、まさにこの種の子供だったので、何とも複雑だ。

小六の頃、城山に連なる里山に、学校の友達20人ほどで遊びに行った。
墓地や寺もあり、ほとんど街中だったので良く行くところだったが、それだけに路が多く、複雑に別れていた。

みんな、カラスの巣があるから見に行こうとか、立ち入り禁止のお寺の庭に忍び込もうだとか、次々と色々な目的を思いつき、進んで行った。
仲間の一人が、ウンコしたくなったと言うので、野ぐその見張りを頼まれた。(ウンの話
小便一丁、クソ八丁と言う言葉は既に知っていたが、仲間の行き先はわかっていたので、見張りを引き受けた。

用が終わって、皆が行ったはずの所に急いで行ったが誰もいない。
二人であちこち探すのだが、どこにも見当たらず、突然、来たこともないススキが原に出た。秋の夕陽は傾き、うすら寒い風がススキを揺らしている。

不安になり、とにかく帰ろうと引き返したが、意外に奥まで来ていた。
ようやく山から日の暮れかけた街の道路に出ると、薄暮の向こうから50人ほどの集団がやって来る。
いなくなった仲間や、近所の大人達の真ん中で、母が大声で名前を呼びながら近づいてくる。

二人が行方不明になったと聞いた、捜索隊と遭遇したのだった。
そうとう叱られたのだが、ちゃんと夕暮れまでに降りてきている当人にしてみれば、「なんで?」としか思えない。
待たずに先に行った友達が、「いなくなった」と、親に言っていかなければこんな騒ぎにはならないのに、の思いがあった。

しかし、まあ、やっぱりどこか、「空気を読む」協調性が欠けていたのだろう。


凄いなあ

2013年05月28日 | 日記・エッセイ・コラム

80歳の三浦雄一郎は、元来プロだから、ある意味納得するが、
50歳過ぎて本格登山を始め、世界7大陸の最高峰登頂を果たした66歳の女性が、ヒマラヤで遭難した。
この人も、チャレンジ精神という点で、やはり賞賛に値する。倒れても悔いは無いだろう。

昨今の、トムラウシ遭難のような、虫のいい、無責任な冒険登山ブームとは全く次元の違うものだ。
しかし、驚嘆、賞賛の思いの片隅で『なんだかなあ~』の念が過ぎるのは何でだろう。

一つには、横着者には理解できない世界だからだろう。
アムンゼンやスコット、白瀬隊など、調査や探査の目的があることなら良く解る。
しかし、一体何の目的で、誰のために登るのか、そういう意味で、登山だけでなく、冒険家というものが、解らない。

もちろん「そこに山があるから」と登るのは自由だと思うが、何でそれが脚光を浴びるのか。
そんなことを言うなら、スポーツ全てそういうものだと言うことになるのかも知れない。
だから、何か、こういうことを口にしてはいけないような気さえしてくる。

もちろん、スポーツの持つ、人類文化的な価値が解らないわけではないし、医学的な資料にもなるのだろう。ただ、登山の多くがほとんどシェルパの支えがあってのことであり、『シェルパの方が凄いじゃん』と、思ってしまうから困るのだ。

そんじゃあ、お前はやれるのかと言われれば、
「滅相もございません」と、恐れ入るしかない。
だから、ただただ、「凄いなあ」としか言えないのが、もどかしい。

やっぱり、不見識者だから解らないのだろう


日本の壷

2013年05月27日 | 日記・エッセイ・コラム

スマホ普及に勤めている携帯会社だが、ガラケーの使い勝手に慣れた人には相変わらず評判が悪い。
そこで、各社ともスマホをガラケー風に使える工夫をしている。
そうして出してきた製品を見て
「あ~あ」と、嘆息した。 「だめだこりゃ」

日本製品のみならず、日本の基軸となる組織行為は、すべて重大な物が欠落している。それはクリエイティビティ、あるいは、エスプリだ。
ところが、それは、日本文化が持っている根本精神のはずだ。
何でこんな矛盾が起こるのか。

これは、異質を排除し、画一化に専念する日本の学校教育の結果だ。
その規格化学校の優等生が、国を動かし大企業を動かしている。
そして、そこからこぼれ落ちた「劣等生」が、規格外れの生き方で生み出すサブカルチャーが、日本人気の顔になる。

日本の画一教育は、明治維新で実権を握った、遊び心のない田舎者が、産業革命システムを生真面目に徹底させた後遺症だ。
トムソーヤが嫌い、エジソンが付いていけなかった学校は、大量生産の兵隊養成所であり、自由な創造力とは真反対の目的を持っている。

日本文化として今日に残る山のような文物は、学校の優等生が残したものではない。第一、今日のような学校など無かったのだ。
世界が認める優れた日本の文物は、道楽者と職人の精魂であり、日本社会が求め支えた、日本の文化風土そのものだ。

学校は規格知識しか身につかない。日本の再生に必要なものは日本の潜在力であり、敗戦で優等生がなりを潜めた時代に出てきた、起業家の自由な精神だ。

当時の起業家の自由な精神は、国破れてセンスあり。日本人が培ってきた「遊び心」。平和な島でうまれた「生の謳歌」だった。
それは芸術精神であり、あらゆるものへの、デザインセンスだ。

ものづくりとはデザインだ
デザインセンスとは、カオスを形にする姿の追求、つまり創造力だ。
雑多な素材をまとめ上げ、人に新しい世界、新しい意味を解らせる。
SONYのトランジスターラジオやウォークマン。ホンダのカブやN3など、まさに、素材をまとめて、「一つの価値」を提示して見せた。

近年、日本製品がことごとく敗退したのは、ジョブズの才能「デザインセンス」が欠落していたからであり、規格学校の優等生には、見ても理解できない世界だった。つまり、iPodやiPadの何が真の価値かさえ解らなかった。

一方、サムソンが理解したのも、デザインセンスではない。人の心の動きを察知したのだ。理由に関係なく、これが求められている、これが売れると。

日本企業のどうしようもないところは、自らの五官を塞ぎ、新しい価値を追求することもなく、挙げ句の果てに、客からおこぼれを貰おうとしている。
DOCOMOがサムソンの売り子になるのはまさに、易経の山雷頤・初爻の諭す、「頼るべき自分の能力を捨てて物欲しげにする」の凶だ。
むしろ、これでDOCOMOブランドを失っていることに気づかない。

携帯会社が、スマホをガラケー風にしようとするのは間違っている。
デザインとは何か、もう一度、原点から考えてみることだ。

これについても、コロンブスの卵的秘策はあるのだが、こんなところでうかつにバラすと、たちまち、パクリンゴン帝国やフセイギ人にやられてしまうから、沈黙、沈黙。
ウントサプライズのカクレ船長


守るべき

2013年05月26日 | 新鎖国論

レスリングがオリンピックの除外候補になったのは、ルールが解りにくくて、観て退屈だからと言う理由らしいが、それなら代わりに入り込んだテコンドーが、それほど面白いだろうか。野球に優るだろうか。
防具を着けてやるのが面白いなら、アメフトの方がよほど面白い。

観て解りやすくて面白い格闘技と言えば、何と言っても相撲だ。
あれほど単純なルールはないし、総合的な娯楽として、実によくできた見世物だ。

フンドシ姿という、寒い国の欧米人には抵抗のあるスタイルであることを除けば、欧米でも魅了される人が少なくない。初めて見てもルールがすぐ解り、勝負の決着が早い上、ショーとしての儀式が勝負を盛り上げる。

しかも、ルールが単純なために、かえって想定外のハプニングが多く、それが面白い。また、小兵が巨漢に勝つチャンスもあり、大きい者が強いという欧米の常識が通用しない、ハンディ無しの意外性も、実際に見た欧米人が魅了される理由だろう。

しかし、八百長だろうが外人力士だろうが、そんなことより重要なことは、絶対に国際競技にすり寄ってはならないということだ。
もはや柔道は言うまでもないことだが、国際化すれば日本は無くなる。日本のオリジナリティーは日本で守るのが本筋だ。

井の中の蛙になるべきだと言っているのではない。無節操に迎合して、日本のアイデンティティ、独自性を失っては、元も子も無くなるということだ。

地球の宝物殿
日本食が海外で現地化するのは当たり前だが、日本で日本人が食べる和食が全面的に国籍不明になっては困る。もちろん、少しずつ変化していくのは当然のことだが、会席料理にハンバーガーが付いているようなことは、やりたくてもやってはいけない。

何であれ、ますますグローバル化が進む時代こそ、2000年培ってきた、コアな日本を大切にしたい。日本文化にはそれだけの価値がある、人類文明に貢献しうる文化だと思う。これは、ナショナリズムではなく、文明史的な観点からそう思う。

島国という隔絶された環境で、数千年にわたり培ってきた社会は、他に類例がなく、これからの人類が小さな地球で生きる上で、何らかのヒントになるだろう。

もちろん、これから日本も、地球のアメリカ化の中に呑み込まれていくだろうが、だからこそ、混ざって良いものと、守るべき貴重なものは意識して別けておくべきだ。

柔道が、日本の精神を世界に伝えた功績は大きいが、失ったものも小さくない。しかし、柔道はまだ歴史が浅い。ある意味で、始めから、スポーツ精神を日本の武術に持ち込んだものでもあるから、世界化して行っても、日本柔道を失うことにはならないだろう。

だが、相撲は歌舞伎と同様、純粋に日本のものだ。他にも山ほど日本独自のものがあるのだが、これらの存在を誇示しても、進んで世界に広めようとすれば「キズ」が付く。外でマネされようが、世界に招待されようが、「日本でなければ出来ない」ことにしておく方がいい。

日本食の現地化のように、仮の提供は大いに結構だが、コアはやはり日本にある。そういう心がけでいけばいい。
そして、外人力士を拒んでもいけない。修行僧も板前も日本に寄ってくるものは喜んで受け入れ、日本方式を輸出する、これこそが新鎖国主義というものだ。


時は巡る(2)

2013年05月25日 | 星の流れに

今日は射手座の満月で、双子座の人の経営するお店は大混乱だった。
大量注文やらクレームやら、「どないなっているんやろう!?」と、嬉しいやら困るやら。
別の双子座の人は、出かける予定にしていたのに、急に腹痛になって約束をキャンセルした。交通通信事故も増えるだろう。

木星に対しても満月(180゜)だが、それほど悪いことは起こらない。
むしろ、射手座の前のサソリ座の月の方が大きく影響したようだ。
月がサソリ座の土星を通過する間、株の急落乱高下で、サソリ座の黒田日銀総裁も苦しく、サハリンではM8.2の大地震。アフガンではタリバンの攻勢があり、北朝鮮も中国にお伺いを立てた。

サソリ座の月は、カニ座中国には吉角だから、日本の株価急落が中国の経済指標悪化がきっかけだったにもかかわらず、中国は「アベノミクスの悪影響だ」と喜んでいた。
土星が中国に悪影響を及ぼすのは山羊座に入る時だから、2017~18年の頃になる。まさに、毛沢東の大失政、大躍進政策から60年の還暦だ。
5年は長いのか短いのか・・・


理路整然

2013年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカの投資ファンドMRIが、日本国内だけを対象に資金を集めて、資産がまるっきり残ってないという、詐欺事件が起こった。

この詐欺事件の被害者は、ほとんどの人が、投資やファンドに詳しい経験者だったそうだ。したがって、内容も良く吟味し、ファンド側にも詳細を尋ね、各々納得し、投資したのだという。
ファンド側は、投資顧客をラスベガスに無料招待し、配当も払っていたという。

金儲けを期待した詐欺事件に対して世の中は冷たい。たいてい、欲にくらんで「ダマされる奴が悪い」に流れてしまう。
誰でも、不覚を取ることがあるから、ダマされる奴がバカとは思わないが、詐欺を見抜く基本的なポイントについて考えてみたい。

今度の事件に関して、元本保証や非常識な高配当など、疑うべき投資の常識を指摘する意見もあれば、西海岸のマルチ詐欺で知られる宗教集団など、相手の情報から「うさん臭い」と知るべきだとかの意見もある。

こうした「知識」で、正体を知る方法なら、被害者も追求した、配当の仕組み検証とたいして変わらない。要は、知っているか知っていないかの違いで、よく競馬で、「厩舎スジの裏情報があれば当たる」と信じる人のようなものだ。知らない奴がバカという話だ。

スジの通った話は要注意
しかし、詐欺は知識と論理の世界だ。知識があり、その用い方を知っていると却って引っかかる。
詐欺を知るには、知識を越えた「実体」を見極めなければならない。
一見美しい、疑いようのない論理的な話こそ怪しい。そして、さらに、過剰な体裁デコレーションの存在に気づくことだ。

手品や詐欺師に引っかかるのは、そのものズバリ、話題の中心に着目するからで、出てきた物が確かかどうかより、「何でこれが出てきたのか」と考えるべきだ。
手品師が「間違いないですね?同じカードですね?」と確認させるのはなぜなのか。本当に必要なステップか考えてみる必要がある。

今回のMRIの場合、どう考えても不必要な行為は、「ラスベガス招待」だ。ファンドと投資者、双方の目的は金儲けだ。
どんな理由であれ、接待の必要は無い。接待に使う金があるなら、少しでも配当に回せば良いはずだ。お互いはそういう関係のハズだ。

互いが共同事業をするための意思疎通として、接待が必要な場合も無いことは無い。しかし、ファンドは純粋に金を増やすのが仕事だ。
利益を出すために、必要の無い行為が出てきたところで、「おかしい」と考えるべきだ。

「うそ」を論理で見抜くのは極めて難しい。「うそ」は論破されないように創られている。
しかし、その中核の「論理」とは無関係なところに、真実はちゃんと存在している。中途半端に、知識や論理に関心がある人の方が、引っかかる。カナヅチは泳がないから溺れないが、少し泳げる人は泳ぐから溺れる。

ウソが嘘


時は巡る(1)

2013年05月23日 | 星の流れに

今週、木星は双子座の22゜、カニ座まであと8゜の所まで来た。
次の星座の影響が出始めるのは25゜と言われるが、実際には8゜ぐらい手前で兆候が現れ始めるようだ。
今日の株価急落も、中国の経済懸念がきっかけだった。

木星がカニ座の影響圏である双児座の25゜になるのは、6月4日頃。奇しくも天安門事件から24年だ。
木星は同じ双子座だが、星の配置は同じではない。
1989年と比べれば、相当安定している。ただし、6月末から木星、火星と続いてカニ座入りするから、やはり「何らか」の事が起こる。
木星は「打開」で、その後に来る火星は「焦燥」だ。

中国の内情は、相当歪みがたまっている。経済指標もおかしい。
相当さばを読んでいるはずの指標なのに、それでも悪い数値が出た。
木星が来れば、当然、「何らか」の経済対策を打つだろう。それで、どうにかなれば良いが、それが効かなければ、苛立ちが他の行動を促す。

今年は大恐慌から84年。大恐慌の直前は株の乱高下が続いていた。
今度大恐慌が来るなら、震源地はアメリカではない
中国の大失政、毛沢東の大躍進政策から55年目だ。その還暦まで後5年。冥王星ヤギ座で、中国が挫折するまであとわずか・・・
中国の内情は、知れば知るほど、ナイアガラにさしかかった帰らざる河だ。もう戻れない所まで来ている。
日本にとっても人ごとではない。なるべく、離れておくに越したことはない。


男性の涙

2013年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

脳科学によると、深い思考や着想の時、強い感情が起こった時など、シナプスの間を、大量の信号が一気に流れることがあるという。

思考も感情も同じように、大量の信号を流すということは、思考に偏る人が感情を失い、感情に偏る人は思考を失うことがあるのかもしれない。

学者や、ことにコンピューター技術者の中には、全く無表情に話す人がいる。
逆に、血眼になって怒鳴り散らしたり、泣きわめく人、宗教を盲信する人の多くに、論理的な思考ができない人がいる。

思考も感情も、同じ脳嵐の現象でありながら、相反する行動になり、しかも双方が相容れない傾向がある。
という事は、脳信号の大嵐を、何に使うかによって、思考力や創造力に差ができるという事かも知れない。。

おそらく、日常受けるストレスが蓄積すると、その発散のために脳信号の嵐が起こるのだろう。
その時、それを思考に向けると、アイデアや論理の昇華になり、感情に向けると、激情行動になるということだろう。

ゆるゆるの感情
一時の激情に駆られると、人生どころか国運までも誤る。
激情に創造性がないのは、せっかくの脳信号の大量放出を、思考、創造に使わずに、消費してしまうからだろう。

泣いたり恨んだりする、感情発散を良しとする文化は、創造と発展を失う。「葬式に泣きもしない」と批難し、プロの泣き役が存在するような社会は、万古不易を信じ、変化や進歩を嫌う。それでいて、変化が起これば、怒声を上げて走り回り、決して、沈思黙考はしない。

日本に武士道が残っていた、ごく最近まで、「男泣き」という特別な言葉があるぐらい、「男は泣くな」が当たり前だった。ところが、近頃の「男性」は、手放しで泣く。

「男」が男性に、「女」が女性になってから、性による文化的抑圧がなくなり、泣かずに耐えて対策を思考する「男」という役割がなくなった。上司に叱られて、泣き出す新入社員に困った話をよく聞く。
かと言って、女性は泣かなくなったかと言えばそうでもない。
多少は減ったかも知れないが、やはり泣く。

日本中が、泣いて癒し合ったり、ネットで罵倒したりしているうちに、日本の創造力は減退していった。

「泣いても何も始まらない」と言う言葉がある。まさにその通りだ。
泣けば脳の発散にはなるが、論理も創造も生まれない。
泣きたい時こそ、創造のエネルギーが満ちている。
失敗は成功の元、終わりこそ始まりだ。行き詰まった時こそ冷静に考えるチャンスなのだ。

近頃は、「泣くな」と言う事さえはばかられる。心のケアの時代だ。
しかし、日本人の美徳、「堪える」の中には、巨大な潜在力があるのかも知れない。
「泣くな」 「喚くな」 「考えろ


生き馬の

2013年05月21日 | 日記・エッセイ・コラム

中国がアメリカに、韓国による南北吸収統一を提案していると、韓国の新聞が書いていた。
むちゃくちゃ信用できない、おかしな話のように聞こえる。
しかし、これは案外、信憑性が高い。すでに2年前、ウイッキリークスでこの種のことが話題になっていた。

その情報を元に、韓国の新聞が捏造したとも考えられるが、韓国による統一は、中国流の遠謀と考えれば、理にかなっている。

厄介物で、場合によっては自分に噛みつくかも知れない北朝鮮を、金核抜きで、アメリカの子分の韓国に渡して西側に入れると言えば、アメリカは断る理由が無い。その際、北朝鮮復興は韓国や日本、アメリカに委せれば、経済的負担がかからない。

今は、アメリカに逆らわない韓国だが、統一が終わればアメリカに守って貰う必要は無くなる。中韓関係は既に、中国が無ければ韓国経済が成り立たなくなっているから、遠い他人より、金をくれる、昔なじみの隣りのオジサンの方が付き合いやすい。

朝鮮半島の歴史をみれば、一度たりとも義理を果たしたことが無い。
強い者に常になびいてきた。負けたような顔をして、相手を利用するのが、「相手より上」の、裏返しの自負心だ。(利用される者がバカ)
いじめられたと言いながら、強さに憧れ取り入れ、目標にする。
しかも、それを全く自覚しないで自然にやって来た歴史がある。

有史以来の関わりを持つ中国は、その性質を百も承知だ。
今、アメリカ側にあるとしても、いずれ時が来れば、中国に鞍替えしてくる。今は安くアメリカに売り払っても、そのうち向こうから転がり込んでくることを良く知っている。既に財布のヒモは握っている。

面子を立てる6カ国協議にも使えず、それどころか気を抜くと怪我をするような北朝鮮を「整理」する方が得策と、見切りを付け、アメリカに売却交渉を始めたとしても、何の不思議もない。帰ってくる伝書鳩を売りつける。中国らしい「生き馬の目を抜く」取引だ。

見所は、アメリカがどの程度「抜け目ない」かだが、人権という泣き所を持ち、ピューリタンの夢を信じるアメリカは、想像以上にお人好しだ。これまでの北朝鮮政策を見ても、腹案があったとは思えない。

中国の墓穴
米ソ冷戦とは違い、米中関係は絡み合いすぎている。アメリカは中国に対し弱みだらけだ。
しかし、中国が、軍の暴走により、アメリカの独立と覇権の安全を脅かすような一線を越えれば、黙ってはいないだろう。

表面上、中国の外交手法が稚拙なのは、軍事政権だからであり、「力」の視点からしか考えられないからだ。まして、今は、建国当時の周恩来のような人物がいないし、いたとしても、現実感を失った軍部が力を持ってしまっている。戦前の日本にそっくりだ。
巨大人口に経済矛盾など、不測の要因が重なり、民衆圧力で軍内部のパワーバランスが崩れたら、統一中国は一挙に崩壊する。

中国自ら、統一にこだわる政策を転換しない限り、行くところまで行くだろう。
中国に一番良い政治システムは、アメリカのような連邦制か、小国に別れることだろが、世界平和のためには、内部分裂が一番有り難い。


年かな?

2013年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

今しがた、20日の夜23:38、滋賀県南部でM3.7、震度3の、小さい地震があった。

実は今日、夕方、急に眠くなって、1時間ほど寝たが、起きるのが辛かった。睡眠不足でもないのに、17日の飛鳥の疲れが今ごろ出たんだ、年を取るとこれだから嫌だなあ。と、思っていた。
すると、元気になって4時間後ぐらいで至近距離の地震が起こった。

これまでもそうだが、至近距離の地震や、大地震の場合、頭が痛くなるより、しんどくなる。
考えてみたら、飛鳥に行った17日、疲れて何にも考えられないと言っていた後(18日)で頭痛になり、やっぱり熱中症だと思っていたら、福島沖でM6があった。

いまだに、確証が持てないのだが、どうもやっぱり、体調や頭痛と地震は、関係ありそうだ。


焼肉定食

2013年05月19日 | 京都&ケンミン文化

久しぶりの飛鳥巡りは、茹でダコになるぐらい楽しかった。
飛鳥観光を進めるため、様々な組織が活動している。以前行った時も、地元のアンケートに答えたら、後年、地図や行楽セットを送ってもらって、驚いた。

今回も駅から出るなり、国土交通省のGPS調査を依頼されて、GPSをポケットに入れて周った。行った先でも、アンケートにつかまって答えたが、どのアンケートにも、食事ポイントが分からないと話した。

何しろ、基本的には田園地帯なので、コンビニさえ見当たらない。あることはあるが、風致のためか、ほとんどが民家の中にある。
観光ポイントに、周辺のコンビニや食事処を明示して欲しい、スマホを持っている人ばかりでもないし、スマホでも探しにくい、と注文しておいた。

周りながら、ようやく食事処を見付けたので、中を窺っていると、出てきた若いカップルの男性の方が、いきなり、
「あきませんよ、不味いですよ」と言う。
入ろうとしている客に、店の前で、突然の営業妨害には、笑ってしまった。よほど、頭にきていたのだろう。
「そうですか、確かに、そんな風には見えますね」
「不味い不味い、その上高い。ちなみに、僕の食べたのは焼き肉定食ですが」
さすがに、連れの女性が、慌てて、
「人それぞれやから、わからへんやん」
と、取りなすが、こちらも思い当たる節があったので、
「止めときますわ」
と、笑って別れた。

以前、来た時に食べた別の食事処で、値段だけは一人前の不味い店に頭にきた記憶があったので、「親切な人」の気持ちが痛いほど解った。
おそらく、味と値段にうるさい大阪の人だろう。何処に入っても「外れ」のない、大阪の街では、あり得ない商売だ。
田園を歩いて腹を減らし、ようやく見付けた店が、キツネにダマされたような店だと頭にくる。

観光地のボッタクリは、どこでも頭にくる。「京都は店の構えだけは良いが、高すぎる」と言うのも、大阪の人からよく聞く話だ。

幸い、セブンイレブンがあったので、そこで弁当を買って食べた。
ここで初めて飲んだ、セブンカフェの、セルフ100円コーヒーには驚いた。「美味い

今度から、コーヒーはセブンイレブンだ
「焼き肉定食」のお陰だ。 ありがとう

 


言葉の綾

2013年05月18日 | 日記・エッセイ・コラム

維新の会の橋下代表の「妄言」で大騒ぎになっている。
こういう言い方で「妄言」と言うと、支持者の中には、妄言とは何ごとか少しも妄言ではない。などと反応する人がいる。
言葉の裏や、皮肉を全く理解できない人がますます増えている。
ネット炎上もここから起こる。

言葉の多面性や含みを理解した上で、発言する人、聞く人の、立場や感覚を多元的に理解し、その言葉の発せられた背景や意味を知り、幅の広いとらえ方をすれば、人の意見や人格の本質を知ることができる。

こういう訓練は、国語が暗記物になってしまった現代では、古典落語が最も手近な教材のように思える。
ほんの少し前まで日本社会に普通に存在していた、言葉の理解力を前提とした落語を笑えるようになることで、人間関係を理解し、言葉の使い方を知り、一つの言葉に込められる多元性と変化に対する許容度を高めることができる。つまり、人間に幅ができる。

「妄言」で、大騒ぎになっている、と言う時には、「妄言だ」と言っているわけではない。「妄言だ」と言う人がいて、「妄言」かどうかが話題になり、同意する人や、反対する人、そのどちらでもない人、色々現れて、論議が起こっている情景だ。

こんな当たり前のことを、改めて言うのも、この一言の幅を理解できない人が実際に増えているからだ。
一々、主語を付けなければ理解できず、あやふやなことを言うなは、まだ良いとして、いきなり、一つの意味だけ理解して怒り出す。

84年のコーナー
橋下発言を批難する人々も、全く同じように、キーワードだけで、アレルギー反応を起こし、一斉批難している。
一体、何を言おうとしているのか、考えようとしている人はいない。

橋下発言自体も、全くTPOを考えない、「政治家として」は不用意な、失格発言だ。政治家の武器は言葉だ。その使い方を誤れば、戦いに敗れて命を落とすことになる。
しかし、さらに、穿って考えると、意図、偶然にかかわらず、本当に、極右の結晶現象を起こすかも知れない。

祈るのみ」で、カニ座の木星で、カニ座の中国が「何らか」の行動を起こす前兆と言ったが、カニ座の橋下代表も、既にその衝動が現れたようだ。

さらに、橋下代表は自動車人間では「ガソリン」であり、子供の感性だから、魂胆のない、見たまんまの「王様は裸だ」を、言ってしまう。
世界の理想がどうであろうと、キリスト教の建前がどうであろうと、現実は、「王様は裸」には、違いない。

だから、政治家としては失格だが、子供としては純粋だ。
世界の政治は、明らかに行き詰まって信頼を失っている。こういう時には、立て前の綺麗事より、ヒトラーのようなストレートな言葉の方が、人の本音に訴えることがある。
かろうじて、幸いなことは、日本に独裁者は出ないことと、少なくとも目先、景気が上向きかかっていることだろうか・・・


結構辛い

2013年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は半袖で、丸刈りに帽子も被らず、自転車で飛鳥を一日走っていたら、茹でダコみたいに真っ赤になってしまった。
熱中症気味なのか、モウロウとして、何も考えられない。

久々に甘樫丘に登ると、わずかの坂に息が切れた。急に動いたせいだ、寝不足のせいだと、自分に言い訳をするものの、やはり、衰えを実感。

飛鳥寺で、改めて飛鳥大仏を拝顔し、奈良県、滋賀県に共通する渡来系独特の顔立ちながら、この度は、光りのせいか、なぜか穏やかなお顔に見えた。

帰りの電車で、ふざけ合っている高校生の一人が、飛鳥大仏を細くしたような顔で、あまりにもそっくりなので、代々地元か聞きたくなったが、今日もガマンした。

外を出歩いていると、人の風貌や行動を見て、色々なことを確かめたくなるが、どなた様にも、大きなお世話で失礼だから、ガマンする。
結構、辛い。