魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

世代格差

2016年06月30日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は大変な日であるらしい・・・と言われても、
昨日は親父の命日で・・・今日は水無月を食べる日で・・・???
ぐらいしか思いつかないのだが、「ビートルズ来日公演50周年」と言われたら、「へーっ」としか言いようがない、複雑な心境になる。
あの日の騒ぎは、確実に記憶しているが、果たして、今、世間で盛り上がっているほどの出来事だったのだろうかと、何か、喉元にもどかしいようなものが沸いてくる。

十代の記憶は、多くの人がそうであるように、そう楽しいものではなかったが、高度成長期と言われる当時の日本の若者は、東京オリンピックと、ポップス&ロックに刺激され、テレビと車が時代のアイテムだった。
当然、ビートルズの現役世代ではあったが、ビートルズも他のポップスやロックの一つに過ぎず、周囲でも、好みは様々だった。

60年代、まだプレスリーの映画もヒットしていたし、ビートルズも、ローリングストーンズと、人気を争っていた。ボブ・ディランなどのフォークもあって、とにかく当時は、百花繚乱というのか草莽崛起というのか、音楽にかかわらず、世界中で若者パワーが爆発した。

戦後、10~20年経ち、その中で育った世代が、既存の価値観を打ち破ろうとするエネルギーで溢れていた時代だったが、その火付け役をしたのは、実は大人だった。
ミュージック・シーンを盛り上げたのは、既存の音楽システムであり、ビートルズのブームを作ったのも業界だった。若者は、大人の思惑にエネルギーを利用されたと言ってもいいだろう。60年代を風靡した学生運動も、文革の紅衛兵も、裏に思想的扇動者の存在があった。さらにもっと大きな背景としては、既存の世界システムと価値観が崩れることになる、ベトナム戦争が進行していた。

そんな時代の渦中でのビートルズ来日は、百花の嵐の一つに過ぎず、50年後に、それが大事件だったように語られるとは、思いもしなかった。
ビートルズは、その嵐の60年代の終わりとともに解散した。

ところが、ビートルズが解散して10年ほどすると、むしろビートルズ一色になっていた。これは、60年代の現役世代からすると、不思議なことだったが、むしろ、60年代の衰退とともに、ビートルズが墓標のように残ったのではなかろうか。

今、世代としてもっともビートルズを支持しているのは、おそらく80年代に青春を過ごした、今50代の人ではなかろうか。
人の心に染みこむ音楽は、幼児期に子守歌のように聞いた流行歌のようだ。歌手が、もっとも上手く歌えるカバー曲は、その歌手の生まれた頃の歌だ。
今、番組編纂などの実権を握る50代の人が、これほどまでにビートルズを賞賛するのは、まさに幼児期に聞いた歌だからだろう。

しかし、今年二十歳の人にとって、50年前と言えば、その50年前の二十歳の人にとっての1916年、第一次世界大戦の最中だ。ビートルズ来日は第二次大戦後約20年だが、その時、第一次世界大戦の話しを聞くのと同じ感覚なのだ。
別の言い方をすれば、今ビートルズを熱く語る50代は、昭和初期の自分の青春時代の価値観を、戦後20年後の、ビートルズに夢中の若者に「昔の大日本帝国はなあ」と、語っているのと同じなのだ。

ビートルズの価値を否定するものではないが、ビートルズそのものを語り継ぐことより、その時代の息吹として、自然にリメークされ受け継がれていけば、それで良いのではなかろうか。

哀の賛歌


美人好み

2016年06月29日 | 占いばなし

美人の星」のことを書いたら、「どんな星ですか?」と訊かれた。
一言で、これと言えるような星は無い。占いでは一つだけで性格や外見を表現できる星は無い。一般に知られている星は幾つもあるが、どれも、傾向を表すもので、それがすべてを表わしているわけではなく、組み合わせによって一つの人格が生まれる。

ある生年月日は、様々な星に影響されている。世界中でその日に生まれる人がいるが、人種や文化は多種多様だ。文化によって、育ち方も様々だ。結果、各々の文化の中で、同じ結果になる。つまり逆に言えば、同じ要素の人でも、物理的外見は異なる。
また、同じ文化の中でも、当然、遺伝的差異がある。それでも、同じ結果になる。と言うことは、星の示す結果は一つでも、形状は同じではない。

その上で、美人の星を生む、基本的な星の要素を挙げてみる。

西洋占星術
西洋占星術の場合は、金星、火星がベースになる。
女性ホルモンの金星は、穏やかな好意を感じさせる。人は、相手からの好意を感じると、自然にその人に関心を持つ。男性ホルモンの火星は、元気さ、性的なエネルギーを感じさせる。男女にかかわらず、恋は生殖のプロセスだから、火星はその能力の要だ。

太陽と金星火星の素材ベースに、月の感受性、水星の巧みな言葉、土星の安定感で、ほぼ、社会の中での位置ができる。これに、天王星のインパクト、海王星の怪しさが加わると、美男美女と位置づけされるようになる。

陰陽五行
次に、東洋の陰陽五行による美男美女の場合、神殺で美人を表すものがあるが、これはほぼ無意味だ。かなり影響力があると思えるものは、「火」の作用で、火が良い形で活きている人は大体、美人と言われる。
木火土金水は、それぞれ身体の部位や機能を表すが、「火」は心臓と目とホルモンを表す。そう聞いただけでも、何か美人と関係ありそうだと想像できるだろう。
実際、火の陽「丙」と陰「丁」に関して、単純に美人としている場合もある。しかし、あくまで、他の五行との関係による。(火も含む)

顔つきにかかわらず、目の輝きは人の心を惹きつける。これはおそらく、どんな文化であっても同じだろう。二重パッチリであれ、ひき目であれ、その文化好みの輝きがあって、ホルモンの力はそれをアピールする。

この美人のベースとなる火だが、一方で、せっかちで、早とちりのところがある。火は外は燃えているが、内は燃えていないので、表面的でもある。目を表すことから、見た目で判断する傾向があるので、軽薄でもある。また、溢れるほどのホルモンのせいか、好色で、言うところの口説かれ上手の傾向もある。好きこそものの上手なれだ。
ちなみに、火でもっとも有名なのは上も下も火のかたまり、丙午の八百屋お七がいる(真偽?)。
これら火の傾向と、美人と言われる魅力的な要素は、表裏一体であり、美人と言われることは、それほど喜ぶべき事でもない。あとは価値観の問題だ。

しかしながら、動物としての人間は、生殖が生きることの第一目的だから、その能力を最大限に発揮している美人であることは、何と言っても、世の中でもっとも望まれることといえるだろう。だからこそ、世間も歴史も、美女の話題で持ちきりなのだ。


千載一遇

2016年06月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今回の英国のEU離脱は、安倍首相もショックだったようだが、素早く、「消費税引き上げ延期」は先見の明だと吹聴し、サミットでも、EU離脱のようなことがあると危険だと警告したと、我田引水の選挙運動を展開している。

いかにも、一白らしい素早さと、言いくるめの天才だ。それはそれで感心するが、この際、どうせなら、ドサクサニ紛れて、恐慌回避策と称して、減税をしてはどうか。
減税策は色々あるだろうが、消費に直接影響する「消費税ゼロ」のモラトリアムだ。

これは、商品券のような小手先と違い、消費者マインドに与えるインパクトは絶大だ。
さらに、公式には期間限定と区切っておいて、事実上の消費税廃止のムードを作れば、消費者が安心する。
消費税の是非は、難しいところだが、所得税を取り続けながらでは、重税そのものだ。
IMFなども、官僚的銀行屋思考だから、動く時は帳尻合わせから入る。彼らの手前だけで世界の信用を考えていると、銀行から金を貸して貰えず、倒産する企業のようなことになってしまう。

世界が、連携して、出動しなければならないドサクサニ紛れて、ことを行うには、またとない千載一遇のチャンスではなかろうか。


日本の色

2016年06月26日 | 日記・エッセイ・コラム

6年前、ふと、中国文化に感化される時のことを思った。「チャイナイズ
このところの車のデザインを見ていると、明らかに中国好みになっている。
特にフロントグリルの仰々しさが目立つが、全体的に「怒り肩」を感じさせる。

大きくなった中国の自動車市場で売るために、中国好みに迎合した結果、欧州や日本で好まれるような、滑らかでシックなデザインが消え、どちらかと言えば、昔のアメ車のような、存在を誇示する調和破壊の下品なデザインが横行するようになった。
アメ車の場合、それを求めるアメリカ人向けには、アメリカのメーカーで間に合っていたので、日欧がデザインで迎合しても意味がなかった。したがって、性能や価格の合理性で食い込む努力をした。

ところが、車慣れしていない中国の消費者に訴えるには、性能より見た目が効果的だ。車で自己顕示をしたい中国人のニーズを満たすには、とにかく目立つことが先決で、昔の中国武将の鎧のような、派手な荒々しさが好みだ。

日本でも、バブル期のファッションはとにかく誇張が横行した。ボディコンで身体の線を誇張したり、ダブダブのスーツで大きく見せ、肩パットで「怒り肩」にした。
建築物も、なぜか無用な鉄骨フレームや、巨大なオブジェを取り付けるのが流行った。

どこの文化でも、好景気のイケイケのときには、無用に大きく派手にしたがる。攻めの姿勢の動物本能が出るらしく、いかに人間が動物のままであるかを物語っている。

中国の場合は、特に二者択一の価値観が影響するのか、全人代のような赤が多く、他の色使いもビビッドカラーで、特に金色が目立つ。
電車に乗ってきた中国人の若い男性が、ディズニー映画に出てくるような山高帽で、つばの裏が白黒に八等分ぐらいに塗り分けられていたのには驚いた。もちろん服も白黒の大柄のチェックに金で文字が書いてある。
アメリカなどの道化で星条旗を着ている人がいるが、どこか、あれに通じる。

パフォーマンスなら解るが、それをお洒落だと思っているらしく、コスプレとも。ひと味違う。もし、コスプレなら、不思議の国のアリスの何かだ。

今、企業は、中国流のこうしたデザイン感覚を、ストレートに取り入れているが、ひとしきり行き渡ったら、必ず日本的テーストに染め直し、また、新たなジャパンクールが生まれるに違いない。


複合統合

2016年06月25日 | 日記・エッセイ・コラム

英国を離脱に追い込んだ、EUの失敗は、統一を大きな国家にしようとしたことにある。
これは、未来の世界統合にも言えることだが、統合を一元化と考える素朴な概念では、これからの組織統合に必要な、「複合体の一体化」はできない。

インターネットの普及で、世界は「物理的一体」ではなく、「意志的一体」の概念を受け入れつつある。上意下達の軍隊組織のような集団から、渡り鳥の群れのように、一人のリーダーに頼らず、状況に応じてその都度、ふさわしい個が全体を率いていく。
リーダーはその時もっとも可能性をもった個体が前に出て、次々と入れ替わっていく。
コントロール機能は、個人の資質ではなく、全体の意志の代表に過ぎない。

これまでの組織は、機械のように、一つのエネルギーの流れで考えられてきたが、組織が大きくなれば、相互作用で成り立っている自然の働きのように、ネットワークによるバランス効果が重要になる。個々の独立があって、初めて全体が強靱化される。

生命の統合体としての一人の人間がそれぞれ強く生きることによって、集団が強くなるように、世界統合は中央のコントロールで統制するのではなく、個々の地域組織が独自のやり方で強固に活動することによって、全体のバランスがとれる。

世界統合は共産主義や全体主義の失敗のように、中央集権では不可能だ。むしろ、集団は可能な限り小さくなる方が強く、今日の国家さえ大きすぎて無理がある。
生命が進化し、大きな動きをするためには、単細胞ではなく多細胞として統合的な動きをする。それを動かすのは、様々な機能のネットワークだ。

人類社会が、地球的なまとまりを持つには、地域、集団のまとまりと、相互の尊重であり、情報、物流が拡大するほど、それが可能になる。
未来社会が、限りなく個別的である事を理解しなければ、グローバルな統合は不可能だ。
これは、まさに地球や人体のように、個々の組織体は固定的なものから流動的なものまで、多様な形で存在し、それを相互に認め合うことで成り立つ社会だ。

具体的に、現在でも、国家や企業、マネーやNGOのように、様々な組織や集団が、クロスオーバー的に存在している。これを一つの縛りの中に置くのではなく、この共存を図っていくことで、より、活力のある人類社会が可能になるだろう。

輪廻転生」、「銀河の星


何でも初

2016年06月24日 | 日記・エッセイ・コラム

英国のEU離脱!
正直どうなるか分からなかった。星的には、どちらになっても同じだからだ。
仮に、残留になったとしても、EUと英国の安定が毀損されることに変わりなく、星の作用はそのまま表われることになる。(ただし、当日の月は「驚き」の水瓶座)

しかし、市場へのインパクトを考え、24日の朝、易卦を立ててみた。
「火雷噬の三爻」、これは結果的に、驚くほど当たっていた。
噬は、噛み砕くことを表しているが、もめ事の解決を意味し、まさに票決だ。箱の中の一票の姿でもある。
そして、三爻の変爻で上下とも火の「離」に変わる。文字通り離脱だ。
しかも、この結果、投機筋は大きく儲ける。
「離」は「つく」ことを表すから、この動乱に便乗して、大儲けすることを表している。
当然、誰かが大儲けする時には、多くの人は大損をする。

天王星、牡羊座の終演
牡羊座の国は、英独仏とされているので、それを前提に考えてきたが、どうも、本当の牡羊座は英国だけで、仏は射手座、独は獅子座(あるいは牡牛座)とする方が良さそうだ。
このところの英国の動きは、牡羊座・天王星の末期症状のような気配がある。もちろん、仏独も同類の問題を抱えているが、英国がもっとも中心的な影響力を持っているようだ。火の星座の頭となる活動宮とすれば、理屈が合う。

現在、天王星は既に牡羊座の24度にあり、7月30日に24゜30′で逆行する。次の星座の影響圏は25度とされているが、どうも経験的に、22~3度から始まるようだ。現在の英国を始めとするEUの様子を見ていると、やはり、末期症状と言えそうな雰囲気がある。

今回の国民投票により、EUは大混乱に陥る。
EUのことは、よく解らないことばかりだが、周期律で考えれば、1920年代の汎欧州主義が、一つの周期を終えて、次の周期が始まろうとしているのではなかろうか。
EU統合は世界統合の一つの段階だが、その初期段階でも、簡単にはいかないことを表している。何事も、事の始めは牡羊座。今回も英国がリードした。

何事であれ、組織統合のようなことは、一筋縄ではいかない。試行錯誤、行きつ戻りつしながら螺旋状に進んでいく。極まれば転じ、転じてまた極まる。
それぞれ思惑のある者同士が一つの行動を取るのは、極めてむずかしい。関ヶ原の合戦後に大坂の陣があり、明治維新後に西南の役があり、連合軍勝利の後で東西冷戦が始まった。地が固まるには雨が必要ということだろう。

今回の離脱の直接原因は、射手座の土星の移民問題だが、背景には独仏の大陸勢が調子に乗りすぎて、英国を圧迫したために、英国民がキレてしまったともいえる。
統合を前掛かりで進めれば、必ず反発が起きる。しかし、中心になって進める人は、どうしてもエスカレートする。そして極まり、そして転ずる。しばらくは、EU破綻の勢いが強まり、そしてまた思い直して、再統合への道が始まるのだろう。


裏の教訓

2016年06月22日 | 日記・エッセイ・コラム

♪ ある日森の中 くまさんに 出会った

近頃、人食い熊まで現れて、どうなっているんだろう。
何でもかんでも不謹慎狩りする、不寛容社会だから、テレビや幼稚園で、こんな歌を歌うだけで、抗議が殺到しそうだ。

この歌は、おとぼけタッチの童謡だが、熊は怖いという常識があるから、成り立っているストーリーだ。
怖いはずの熊が親切だったという落ちだから、子供には、熊はぬいぐるみのようにカワイイものではないことが暗示的に解る。

博愛主義でありながら、盲目的にカワイイものだと思って、ライオンに抱きついて噛まれるようなことが無くなる良い教訓を、さりげなく植え付けている。

まさかとは思うが、もし、この歌に抗議するような人がいたら、「まんじゅう怖い」と言う人に、まんじゅうを山盛り提供するバカだろう。


年齢詐称

2016年06月21日 | 占いばなし

18歳選挙権が始まる。この中で面白いのは、まだ、18歳になっていない17歳の人で、選挙日の翌日が18歳の誕生日の人も選挙ができる規定だ。
ちょっと聞くと不思議に聞こえるが、これが正しい誕生日の意味だ。

誕生日の年齢は、昔の数え年の場合、生まれた瞬間に1歳で、正月が来ると1歳、歳を取ることになるから、12月31日生まれは、1日で2歳になる。逆に、1月1日生まれの人は一年間1歳で、次の誕生日の正月に2歳になる。

現在の満年齢の場合、生まれた時は0歳で、月を数え、誕生日が来て初めて1歳になる。
この誕生日の意味を、普通、1年経ったと考えてしまうが、実は、1年と1日目という意味だ。
生まれた時間により正確な1年というわけではないが、日数で数える時は時間は切り上げて1日とする。(数え年と同じ発想の、数え日というわけだ)

例えば、22歳の誕生日の場合、それから1年間、「22歳です」と言うことになるが、実は、誕生日の前の日に、既に、正味22年間生きたのであって、22歳の誕生日は、22年間+1日目で、既に23歳目を生きている。

数え年から満計算になって、1年得をしたような気がするが、さらに、満の誕生日の意味をごまかして、1年サバを読んだ認識をしている人が多いのではなかろうか。

18歳の誕生日の前日には、18年を満たしているから、選挙権が生ずるわけだが、これを不思議に思う人は、無自覚のうちに「年齢詐称」しているのかも知れない。


武人大君

2016年06月20日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、マンハッタンに行った時、建造物やインフラの老朽観に驚いた。何世紀も経たヨーロッパの古風な町並みは、すでに定番の歴史景観になっているが、アメリカの都市には最先端のイメージがあるため、年代物には歴史より老朽のイメージを受けてしまう。
勝手な思い込みがそうさせるのだと気づき、自分でもおかしくなったが、それに気づける先進国の国民であることが有りがたかった。

近頃、中国からの観光客が、日本にやたら感心する話があるが、二者択一の国民性のためか、6割程度のことを完璧として賞賛していることには、当の日本人としては面はゆい思いがする。一方で、中国の大都市と比べ、日本の建物は古くさく遅れているとか、日本は未だにキャッシュレスではなく、携帯もガラケーだとか得意になっている話を聞くと、いずれにしても可笑しいような気の毒なような気がして、苦笑してしまう。

昔、日中関係が良かった頃、中国からの留学生を案内して、新幹線に乗っていた人が、規則でできないことを注意すると、「中国人をバカにしているからそんなことを言うんだ」と、車中で泣き叫ばれ、途方に暮れた話をしていた。その人は、中国シンパではあったが、残念ながら、文化に対する認識が浅かった。そのため、「なに、あれ?」と、相当、怒ることになった。

これは国際親善の、いわゆる、生兵法は大怪我の素で、親切のつもりで、単純に自分流の良かれを押し付けてしまった失敗だ。頭ごなしに否定すると、いわゆるメンツがつぶれる。一番良いのは、次回黙って自分がやってみせることだが、とっさの場合は、自分が代わってやるのも良いかも知れない。
そういう意味では、現代の中国人はこれに輪を掛けて無神経で、平気で人が傷つくようなことを言うが、こちらが大人になって認識しておく必要がある。

昔の中国人、特に華僑はそんなことはなく、極めてレベルの高い国際人だった。後で何度も恥ずかしさに冷や汗をかいた記憶があり、これが、中国人を尊敬する理由にもなった。
現在の中国は、無法者集団のような政権の指導が、人民の隅々まで浸透し、本来の中国知識層の文化とはほど遠い、蛮族大国になっている。北朝鮮はその弟子に過ぎない。

中国人は元来、柔軟な理解力がある。賢明な指導者の下では総じて賢明な態度がとれるはずだ。
中国が輝かしい中華の夢を復活したいのなら、粗野な軍人政権そのままに、居丈高になるより、世界に敬慕される振る舞いを見せるべきなのだが、下放育ちの無粋な習近平には、誰も説いて聞かせる者がいないのだろう。

易経 天澤履 三爻 「武人為于大君」
中国共産党は解っているのだろうか


東京の道

2016年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

舛添の後に、同じ射手座の蓮舫。そりゃあ、止めた方が良かろうて。もっとも、そろそろ土星も山羊座に移るから、実際、選出されるようなことになれば、案外、結果オーライかも知れないが、まあ、無い線だ。

当選だけを考えるなら、乙女座か天秤座だが、これに当たるのが、麻生、安倍だから面白い。舛添は都知事に出ず、国政に残っていればもう少しまともなことが出来たと思うが、東京は巨大とは言え国家ではない。

いっそ、東京だけ独立してはどうだろう。その方が、逆説的に地方のためだ。それによる首都移転が起こり、国全体が活性化する。東京が地方の面倒を見てやっている意識が、東京と地方の双方を停滞させている。日本の首都機能を移して東京がどれほどやれるものか、東京に頼らない日本の覚悟がどれほどのものか、ハッキリする。
双方にとってマイナスが生ずると言うことは、そこに新しい活力が生まれる余地が出来る。

都政のドタバタは、東京一極集中の弊害でもある。日本の苦悩は、東京一極集中での復活しか考えられないことにある。
あり得ないことだろうが、東京独立ぐらいの劇薬でなければ、日本と東京を次なる発展に導くことは出来ないだろう。

 


金科玉条

2016年06月18日 | 日記・エッセイ・コラム

晩婚化、少子化で、卵子凍結保存が話題になっている。希望する独身女性は多く、実施した女性は安堵している。一方で、学会は消極的で、リスク認識を持つよう提言している。

どちらの気持ちも理解できるが、こういう話題を聞くにつけ、改めて婚姻制度の不合理に憤りを感じる。
これまでも事あるごとに言い続けていることだが、制度としての婚姻は諸悪の根源だ。
国があるから戦争がある、国がなければ個人が守られない。婚姻はこのような国家制度と表裏にある、人間の業のようなものだ。

制度さえ変えれば、簡単に解決する問題ばかりなのに、制度を守ることだけ考えるのが人間の習性だから、致し方ない。なぜなら、制度は守ることを前提に存在するから、誰でも、考える前に、先ず守ろうとするのが自然だ。

婚姻制度について色々言い出すと切りがないが、ハッキリしていることは、これまでの婚姻制度は人類の生き方の変化に、とっくに合わなくなっているということだ。
経済システムが変わり、家や部族から、個人と国家システムに替わり、男女平等の概念が浸透して、夫婦間の役割分担が不要になり、二人で支え合い子供を育てる必要が無くなっているのだ。子育てを支えるのは、第一義的に国家でなければならない。もちろん、国家のない時代になれば、人類システムということになるが、それは1000年先かも知れない。

個人が、国や企業と共生関係にある時代なら、人間の、つまり子供の面倒を見るのは、事実上、国や企業であり、女性の力をと言いながら、保育施設の用意も出来ない社会認識で政治をしているのが現在の政治家だ。(努力は認めるが原点が間違っている)
どだい、認識、発想が150年前のまま、現代をマネージメントできるわけがない。

少子化だと言えば、結婚を奨励するが、婚姻のない原始の時代から人間は生き続けてきたことを考えもしない。こんなことを言えば、きっと、文明人は原始人ではないと言うだろうが、その文明が、すでに陳腐化していることに気づいていない。頭を叩けば文明開化の音がするだろう。

憲法を変えることに熱心だが、確かに、憲法は金科玉条ではない。しかし、その中の婚姻制度を変える発想など、微塵もないだろう。 なにしろ、夫婦別姓ですら拒否している人々だ。
夫婦別姓を拒否し、育休を宣言して、不倫で辞職した議員を、特殊例のように扱っているが、不倫の部分以外は、同レベルだからこそ、仲間として迎え入れたのだ。いや、もしかしたら、不倫力も同じなのかも知れない。

卵子凍結保存を希望する女性も、結婚しなければ子供を産めないと考える、制度に従順な人達であり、気の毒としか言いようがない。
もし、堂々と子供を産めば、国が完全に面倒を見てくれるなら、多くは、とっくに子供を産んでいたのではなかろうか。彼女たちは、おそらく仕事をし、国に貢献している人達だ。
リスクを唱える学会も、専門家の当然の意見だが、じゃあどうするんですかと問えば、「だから早く結婚を・・・」と言うしかない。

 


蛙の歌が

2016年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム


かえるのうたが きこえてくるよ
クワ クワ クワ クワ
ケロケロケロケロ
クヮクヮクヮ

東電の第三者検証委員会の一方的な聞き取り調査で、清水正孝・元社長は、「メルトダウン」の言葉を使うなと官邸から指示されたと証言したそうだ。
民進党の応援をするつもりは全く無い。
しかし、これは偽証あるいはゴマカシだ。

清水元社長は信用ならない。
民主党の事故当時の対応が批判されていることに便乗した、卑怯者の言い逃れとしか考えられない。こうした抜け目なさで立ち回り、今日まで逃げおおせてきたのだろう。
→「蛙のツラ


感謝だぞ

2016年06月16日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の右翼紙、環球網が、日本で中国人を救助しようとして亡くなった監視員に「中国ネットで感謝の声が高まっているのに、なぜ日本のマスコミはこれを報道しないのか」と報道したそうだ。

中国政府の御用新聞らしい報道で、苦笑した。ネット上での感謝は、素朴に中国人の感性だが、これを盛り上げたり利用したりしようとしているのは、中国政府の魂胆だ。
日中友好のチャンスになる話題を、日本のマスコミが取り上げないのは、日本が日中友好に努力していない証拠だ・・・というわけだ。

根本的な認識違いは、中国はマスコミを政府の伝達ツールだと考えていることだ。一方日本では、マスコミはむしろ政府の敵でもある。
日本のマスコミが報道しないのは、助けようとした中国人は日本で密猟の最中であり、むしろ中国の恥部だから、そこに触れない好意でもある。

逆に、中国ネットで感謝が盛り上がっているのは、中国人の恥ずかしさを、日本人の善意への感謝にすり替えることで打ち消そうとしているからで、これに対して日本が反応しなければ、恥部が打ち消せない。
この中国ネット民の気持ちを盛り上げる形で、中国の御用新聞が、日本批判に利用している。

「感謝に感謝しろ!」???何とも理解不能な話だが、ただ唯一、ハッキリ解ることは、最近の、日本や日本観光への中国マスコミの、妙に好意的な記事が、日中関係修復目的の政策による明確な人民扇動だと言うことだ。
日本叩き一辺倒では不利益であるとみた中国政府は、日本を懐柔するために人民を利用しようとしている。

日本車を始めとする日本製品は良質だと持ち上げ、日本の制度は見習うべき、子供を伴って是非日本観光に行くべしと、恥ずかしくなるほどの手のひら返しだ。これらは各々別のメディアだが、中国本土のあらゆる情報媒体が、中国共産党の意志に逆らえないことを考えれば、これはストレートに共産党の策略と見るべきで、南シナ海での蛮行を続けながら、簡単に懐柔できると考えている。日本人も本当に見くびられたものだ。

ネット上の賛辞に見られるように、中国人の感性は素朴で共産党とは異なるが、権力を持つと、その素朴な感性のままの外交を始める。外交では単に恥をかくだけだが、軍事になると、笑い事ではすまされない。


フロリダ

2016年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

日本時間6月12日、フロリダで乱射事件があった。この事件は、アメリカの抱える問題のパンドラの箱というか、濃縮爆弾のようだ。

テロ、移民、多様性、銃規制、ネット社会・・・どれをとっても、アメリカのアメリカたる体質の陰の部分が絡んでおり、佳境にさしかかった大統領選を、益々ヒートアップさせることになりそうだ。

テロは、宗教と軍事力で成り立つアメリカへの反動であり、強大な資本力と、貧困との闘いでもある。
産業革命後の欧米の権益戦争がなければ、中東は現在のような姿に追い込まれていないだろうし、アメリカが大義名分にする自由と人権は、清教徒移民による建国の時代からの体質であり、基本的にはキリスト教の正義だ。
したがって、アメリカ的なものへの反発が、反キリスト教のイスラム的装いを帯びるのは必然とも言える。

新大陸に進入してきた移民達が、銃で原住民を征服し、銃で開拓して生まれたアメリカが、その勢いを海外にまで広げていく過程は、秀吉の日本統一後の、大陸進出に似ているが、秀吉が、進出前に刀狩りをして抵抗勢力の力を削いだのと異なり、国民国家のアメリカには人民の力を削ぐ必要がなかった。それが、銃規制のチャンスを逃し、さらに、資本主義ゆえの武器産業の拡大で、国内外に武器を溢れさせることになった。

移民と武器の一体化したアメリカ社会が膨張するに伴い、職を求めてさらに移民が増え、多様な価値観が混在し、しかも、その個々の移民が、ネットで外部と直結する社会になった。
昔なら、一端、移民して暮らせば、代を経るにしたがい、アメリカ人になっていくところが、二世三世の移民の子でも、突然、本国アイデンティティが刺激される。

欧州でのホームグロウン・テロリストも、欧州社会のアメリカ化に加え、元々、中東アフリカに近い欧州は歴史的にアメリカより植民地政策の根も深く、文化葛藤が大きい。
欧州の文化の高さも、この葛藤があるからとも言えるのだから、文明と人格の評価はむずかしい。

変容宮クライシス
アメリカは双子座の変容宮。変容宮は次の世界への出入口だから、二つの要素が二律背反的に存在する。
双子座は兄弟であり、身内と敵であり、取引交渉を意味する。
乙女座は女性の青春期で、夢と現実の悩み。
射手座は馬と人間であり、知性と野生の綱引き。
魚座は母子の魚で、愛とエロス、子供は愛の結晶かエロスの結晶か。
変容宮の人はもちろん、変容宮の国や地域には矛盾する問題が一体化して存在し、どちらが本性なのか解らない。

今は、各変容宮に惑星が入り、相互に刺激し合っている。そうでなくても複雑な変容宮が、グチャグチャにかき混ぜられている状態だから、一体、何が原因で、どうなっているのか分からない事件ばかりで、地球が覆われている。

フロリダの事件も、複雑なアメリカの歴史に起因しているが、ここで、フロリダは何座に当たるのかの疑問がわく。
半島だけなら単純に山羊座だが、土地柄を見ると泉や地下水脈に覆われ、一大リゾートとして知られ、ハリケーンのメッカのような土地だ。これは魚座で、日本で言えば沖縄に当たる。
また、今回の事件現場が同性愛者向けのナイトクラブであり、多様な性、あるいは性倒錯もまた、魚座のものだ。事件が起こった日、月は魚座正面の乙女座に、木星といた。

そのフロリダに移籍したイチローが大活躍している。22日生まれのイチローは天秤座だが、サソリ座の影響力も強く受けている。マリナーズや、マリーンズでの活躍には、やはり、サソリ座の影響があるようだ。フロリダ・マリーンズで、メジャー通算か、日米通算かが話題になっているところを見ると、ここにも魚座の二面性が表れている。


資格無し

2016年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム

正確な記憶ではないが、以前、テレビの日韓関係討論番組で、日本の学生が、過去の歴史について質問した。
そのとたん、映画監督の催洋一が、「そんなことも知らずに、日韓関係を語る資格は無い!」と怒鳴りつけ、学生は沈黙してしまった。
すると、日本の大学教授が、顔色を変え怒りを押さえながら、「彼は何も知らないことを恥じながらもそれを知ろうとしている。資格が無いと言っては、何も解決しないんじゃないですか」と、抗議した。

近頃、何かに付け、討論、議論の場で、この「資格が無い」という言葉を聞く。
あの時の大学教授と全く同じことを言いたくなる。
何かを言ったりしたりする時、「資格」の有無を求めるのは、東洋の儒教思想であり、格付けを好むのも、同じ価値観による。

東洋人が、学業成績が良いのも、科挙に始まる、資格取得の目標主義があるからだ。
学問は本来、好奇心と自己研鑽のためにあり、師弟ともに学ぶアカデミーのものであったが、科挙のような功利のためのシステムが生まれたことで、東洋人は学問を資格取得の道具と考えるようになり、宦官になるための去勢と同じものにしてしまった。

進学のための勉強も、自己研鑽ではなく、受験突破の技術マスターと考えられている。
自己研鑽の結果の実力レベル向上ではなく、得点が目的だから、中身は空っぽでも、結果は高い。このことがようやく解ってきた欧米の大学では、東洋人学生の得点成績を割り引いて考えるようになった。

アメリカでは、結果だけを目的とする、中国人留学生のカンニングに手を焼き、呆れているが、学生は単に出身国の子にすぎない、子を見れば親が解る。
大成功した、中韓のパクリ立国は、まさに、目的主義の高得点であり、驚くべき成果を挙げた。

中国から習った日本も、合格だけを目的とする受験勉強が学問と取り違えられ、優秀な成績を収めても、舛添のような人間ばかりが、指導層に溢れることになった。
自分が得た立場を最大限利用して他を排斥し、利権に食らいつき、社会システムの階級を登ることだけしか考えない。役人はもとより、団体や企業の役員に至るまで、「優秀人材」の弊害で覆われている。

品格、国格、品性など、格付けをしたがるムードが国中に溢れ、何事にも資質ではなく、資格を求め、格の無い者に、ものを言わせない雰囲気になり、国全体の柔軟性が失われている。
今中国が、海洋進出に抗議する国に対し、「資格が無い」の論法で罵倒することに、われわれは呆れるばかりだが、実は、日本も近頃は、何かと言えば「資格が無い」と言い出す、問答無用の思考停止が横行している。
自分の基準に合わない者を「資格が無い」と言い合えば、何の対話も始まらず、行き着くところは力ずくしかない。