由紀さおりの「1969」を聞いていると、ピンクマルティニの良さを再認識する。主催のトーマス・ローダーデールという人は音楽家と言うより、ジョブズと同じような、プロデュースの天才かも知れない。
あるいは、彼が特に天才と言うより、題材の取り上げ方が、カバー曲の定石にハマったのかも知れない。
「カバー曲」で、生まれる前後のイメージが、誰でも身体に染みこんでいる話をした。映画では、「三丁目の夕日」の監督も、舞台となる昭和30年代を、生まれる前後で体験した人だ。
歌だけではなく、自覚無自覚にかかわらず、生まれた時代は、その10年ぐらい前を含めて、誰にとっても、「ノスタルジー」の時代になる。直接聞いたことに加え、親の青春が、子供に強く影響を与えているからだ。
生まれた頃は、音楽のみならず、政治経済、あらゆる世相が無自覚な記憶になる。70年生まれのトーマスの場合もこれに当たるし、おそらく彼自身のマルチな好奇心が、現代人の求める、エキゾチシズムのシェアという、グローバル感覚にマッチしたのだろう。
そこに、当時の「かたりべ」由紀さおりを、そのまま素材として使えたことは、それなりの刺激になったと思われる。
港の上海
由紀さおりにとっては、「1969」はノスタルジーではなく、いわば自分自身だが、同年代の、ちあきなおみが歌った「港が見える丘」こそは、カバーの定石、「生まれた頃の流行歌」のカバー集だ。
アルバムタイトルにもなっている「港が見える丘」は、今も残る横浜「港が見える丘公園」が命名された程のヒット曲で、ちあきが生まれた昭和22年の歌だ。
このアルバムの選曲は、80年代初頭のアルバムから集めた、まさに、ちあきノスタルジックワールドで、子供の頃から舞台で歌っていた彼女なら、実際に歌っていたかも知れない。
それが、ちあきの中で完璧に昇華されている。特別にちあきなおみのファンでは無かったが、このアルバムには泣かされた。
その中には、「上海帰りのリル」もある。昭和26年のこの歌を、ちあきで聞いていると、戦前に生きた日本人の喪失感が実感できる。
終戦当時、ほとんどの日本人が身寄りを失い、毎日「尋ね人」も放送されていたが、リルは、それ以上に大きな喪失感を象徴している。
リルとは、帝国時代の夢のことではなかろうか。
四半世紀後の昭和50年。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、このやるせない喪失感を、そのままモチーフにして甦った。
作詞の阿木耀子も、また昭和20年生まれで、当然、リルも聞いていたはずだ。
この、リルとヨーコ「親子」の大ヒットは、いずれも卯年、つまり、木星牡羊座の年であり、昭和26年は天王星カニ座、昭和50年は同じくカニ座に土星がいる。
天王星はブーム、土星は再来を意味するが、カニ座は水辺だから、上海と港で、いずれも同じ水辺になる。
ところで、アルバム「港の見える丘」のamazonのレビューには、編曲がボロクソに言われていたが、どうだろう。
ピンクマルティーニの「1969」や、「菊千代と申します」を聴くと、むしろ、先見性を感じるのだが。