ニュースを観ていると、思わず突っ込みたくなる。
トランプも、この種の「突っ込みオヤジ」の成れの果てだろう。ニュースに突っ込むのと、実際の政権運営は違う。事の背景は単純ではないから、対応も単純ではない。そこが素人と、政治プロとの違いだ。
政治パフォーマンスを心得ないトランプの対応に、支持政党の共和党議員まで離反し始めた。南軍銅像撤去問題でトランプの言う、「騒動の双方に責任がある」は、喧嘩両成敗の観点から間違ってはいないが、メディアに踊る世論を相手の、政治パフォーマンスは素人だ。トランプは白人的価値観だが、差別主義者ではない。しかし、メディアは寄って集って悪の権化に仕立て上げようとする。やはり、トランプもメディアに敗北するのだろうか。
結局、トランプの観点は「王様は裸だ!」であり、正直ではあるが、世論を懐柔する為政者はそれでは通用しない。
ただ、それでも、毒は毒を以て制すには、トランプのような存在しか対応できない。
北朝鮮や、その飼い主の中国共産党のような「ヤクザ」を相手にするには、近代西欧式のお上品で、見識の高い政治プロのお花畑では、いいようにやられてしまう。実際、この半世紀、国際社会は何もできないどころか、むしろ、「ヤクザ」を肥え太らせてしまい、今や恫喝に怯えなければならなくなっている。
テレビの前の「突っ込みオヤジ」も、ジッとしていられなくなったのだ。
古代ゾンビ帝国
中国は二者択一。勝ちか負けか、上か下か、白か黒かでなければ話が進まない。多様性を全く理解せず、常に雌雄を決しようとし、何事も、両極に追い込む。だから、必ず、勝者や上位者として上から目線で発言し、既に決着の付いた既成事実とするため、言葉で事実を実現させようとする。
理解できないまでの執拗な日本叩きも、曖昧な決着となった日中戦争で、歴然とした勝者の側に立とうとする、極端な一元的歴史工作だ。
中国にとって事実など関係ない、言葉こそが事実であり、異論の封殺こそが歴史なのだ。
中華史の語る大悪人は、常に敗者であり、また、たとえ勝者であっても、死ねば負けたことにしてしまう。勝者でなければ存在理由がないという、古代からの強迫観念がある。だから敗者は、滅びるまで徹底抗戦せざるを得ない。殺るか殺られるか、野獣よりも無慈悲な争いを続けて、今日に至っている。慈悲とは結局、勝者、優位者のみが語れるものだ。
中国が絶対優位の時には受け入れた日本の卓球選手を、優位が脅かされそうになると、ためらいなく追い出した。実にわかりやすい。
第一次大戦で、敗者のドイツを追い込みすぎた結果が、第二次大戦を招いたと反省する欧米諸国が、敗者を追い込まない、様々な方法を模索したのに対し、当初は歩調を合わせた中国だったが、時が経ち力を付けるにつれ、昔帰りを始め、日本を悪の敗者にするために徹底的に叩き始めた。そして、それが却って、日本の右傾化を手助けする悪循環を生み、中国自らが、軍拡から逃れられなくなっている。初めから、軍拡のための日本挑発と見る向きもあるが、前者だろう。
力の差がある米国に対しては声を上げないでいたが、自信がつくと、自らを正当化するためには、アメリカを悪に、やがて敗者に仕立てなければならないと思い込んでいる。
中国が多様性を理解し、「喧嘩をしない金持ち」になるのが先か、ジェダイの共和国を滅ぼそうとするゾンビ帝国として自滅するのが先か。冷戦は50年。アース・ウォーズのドラマが、また半世紀は続くのだろうか。